約束の場所にいつになってもリリアが姿を見せず数十分。もしかして約束すっぽかされたか、と懸念を抱きかけた時だった。リリアの使い魔の鳩が足に手紙を括りつけてやってきたのは。
その手紙を見た冥馬は急いで冬木教会へと走ったが、冥馬とキャスターが着いた時には全てが終わってしまった後だった。
「冥馬……」
セイバーと二人で散らばった木片を横に退かしていたリリアが、駆け込んできた冥馬に視線を向ける。リリアの瞳には冥馬を労わるような色があった。
戦いがあったのだろう。厳粛にして神聖な神の家はそこにはなく、あるのは滅茶苦茶に破壊された残骸と無数の死体だけ。聖堂の十字架はなにか強い衝撃を受けたのか、根本からぽっきりと折れ、雷撃で黒焦げになっていた。
血溜りと瓦礫を踏みながら、冥馬は無言のまま教会の中へ入る。
鼻をつくのは血の臭いに混じった硝煙の臭い。そして転がっている死体が帝国陸軍の兵士達のものとなれば、ここでなにがあったのか大体の予想はつく。
そして一番奥へ来て、冥馬は思わず目を瞑った。
目にはしたくない現実。あって欲しくはなかったモノが冥馬の前にある。しかし聖杯戦争に挑むマスターとして、目を背けるわけにはいかない。
冥馬は目の前の事実を受け入れるために、その瞳を開いた。
「璃正……」
冥馬の眼前で横たわっているのは言峰璃正だ。璃正は目を瞑ったまま眠るように死んでいる。
リリアが処置をしたのだろう。血止めが施されているが、璃正の腹には剣によるものと思わしき傷口があった。
璃正の纏う僧衣は防弾仕様の優れもの。機関銃だろうとそう簡単に貫くことはできない。ということはこの傷が致命傷となったのだろう。
気になるのは璃正と同じような傷が倒れている帝国陸軍の兵士達にもあったことだが。
「リリア……ここでなにがあった?」
「ナチスと帝国陸軍がグルだったのよ。グルといっても同盟関係とかじゃなくて、帝国陸軍の指揮官の木嶋って奴がナチスと内通してたってだけだけど」
「じゃあ帝国陸軍と璃正をやったのは?」
「ナチスのランサーよ」
「……!」
「そこの神父様も頑張ったみたいよ。なんてったって裏切り者の木嶋少佐以外の兵士達は全員のしたらしいんだから。おまけに神父様らしく、自分に襲い掛かった兵士達も殺さないで気絶させるだけで済ませてね。
だけど一人だけになった木嶋少佐のところに、ナチスのマスターのダーニックがランサーと一緒に応援にかけつけてきて……もうここまで説明すれば分かるでしょう?」
「口封じか」
裏切り者が最も恐れるのが裏切りの露見だ。
帝国陸軍の指揮官という立場でありながら帝国陸軍を裏切りナチスと内通していた木嶋少佐も、当然帝国陸軍に自分の裏切りが露見することを恐れていただろう。
だからダーニックのランサーに『自分とナチスが内通したことを知ってしまった可能性のある』部下達を殺させたのだ。
「璃正をやったのは聖杯を奪うためか」
遠坂冥馬と言峰璃正の付き合いは短い。長さを測るならばまだ一か月どころか二週間も経っていない。だが友情が芽生えるのに時間の長さは関係のないことだ。十年間付き合おうと友人になれないこともあるし、出会って直ぐに友人になれることもある。
自分と璃正は恐らく後者だっただろう。璃正はダイヤモンドよりも堅物で、心臓のかわりに信仰心で動いているのではないかと思ってしまうくらいに真っ直ぐな男だったが、だからこそ腹を割って話せる友だった。
(こんな事になるんじゃないかと思いながら、一方でお前なら大丈夫だと信じていた。それは俺の甘えだったのかもしれないな……)
涙は流さない。璃正はきっと最後の最期まで自分の義務を果たそうと生き足掻いた。ならばそれを無駄にしてはならない。遠坂冥馬もそれに倣う。
自身の義務、即ち外道の魔術師達。ナチスとそれに組する木嶋少佐を消し去ること。
「――――聖堂教会に聖杯戦争の監督をするよう持ち掛けたのはアインツベルンだが、遠坂やマキリもそれに一枚噛んでいる。だから俺がお前が死ぬ原因の一つだったといえるんだろう。
だが謝りはしない。そんなことは監督役としての使命を全うすると誓ったお前自身への侮辱になる」
冥馬はこの聖杯戦争を通して巡り合った友人に背中を向ける。
軍隊を擁するナチスと帝国陸軍。この二勢力は外来の参加者でありながら、御三家を超えるほどの優勝候補だ。
しかも一勢力でも厄介なそれらが裏では繋がっているときている。つまり璃正の仇討をしようとすれば、必然的にナチスと帝国陸軍の両方を敵に回さなければならない。
だがここは冬木市、御三家のホームグラウンドだ。自分の生存を度外視した捨て身の攻勢であれば十分に勝ち目はある。
「短かったな、四代目当主の就任期間は」
「冥馬……貴方、死ぬ気なの?」
リリアが呼び止めた。冥馬は振り返らないまま、
「忘れたのか。魔術は等価交換が原則。ナチスと帝国陸軍を一片に掃除しようっていうんだ。俺の命くらいは賭けないと釣りが合わないだろう。
俺にはアメリカに弟がいてね。これがまた出来た弟で、俺が聖杯戦争中に死んだ時には弟の息子が五代目になることになっていた。
だから大したことじゃない。俺が死んでも、俺のかわりに俺の甥が遠坂を継いでくれるんだから」
自分以外の為に先を目指すもの。自己よりも他者を顧みるもの。…そして、誰よりも自分を嫌いなもの。それが父より教えられた魔術師の素養だ。
しかしそんな人間は有り得ない。魔術師だなんだといっても人間である以上、自分のことが一番可愛いものだ。もしも本当に自分を度外視できる人間がいるとすれば、それはもう人間として致命的に壊れている。
だが父の後継者として冥馬はそういうように生きてきた。
死への恐怖がないかと問われれば、魔術師として表向きは無いと即答するだろう。内心では殺し切れない恐怖というものが残っているが、そこは勇気や気合や根性で乗り切る。
遠坂冥馬は死の恐怖を克服できているわけではない。だが自分が死ぬ覚悟など、魔術師の道を歩むと決断した、その日にしていることだ。
「思えばナチスに俺の知り合いを殺されたのはこれで二人目か。一人目は父さんで次は友人。なら三度目はお前達の命と引き換えに、俺の命をくれてやる。いくぞ、キャスター! 璃正の敵討ちだ!」
冥馬は気合を入れて教会から足を踏み出そうとして、
「……か、勝手に……人を…………殺すな」
死んだと思っていた友人の言葉に心臓が飛び出しそうになった。
「り、璃正!? 生きていたのか!」
「死んだふりをしてやり過ごし…………なんとか……だが。いつつっ」
よろよろと上半身を起こしながら、璃正が歯を食いしばって痛みを堪える。
息は荒く肩で息をしている状態だったが、間違いなく璃正は生きていた。
「呆れたしぶとさよね。宝具級の剣に腹を貫かれて生きているなんて本当に人間なの? もしかして死徒の血が混ざってるとかいうオチはないでしょうね」
「生憎と私の両親はどちらも清く正しい人間だよ」
冥馬が友人が生きていた事を素直に喜んでいると、キャスターが隣りで「ふっ」と鼻で笑ってくる。
(こいつ……。さては璃正が生きてることを知っていたな)
璃正が生きているのを知っておいてマスターに黙っておくとは、つくづく性格の捻くれた男である。こんなのが義兄でアーサー王はさぞ苦労したことだろう。
尤もキャスターは性格に難があるもののTPOを弁えない程ではないので、いよいよ冥馬がナチスに捨て身で突撃しようとしたら止めに入っただろうが。
「とはいえギリギリだった……。運良く急所を外れていたとはいえ、彼女の手当がもう少し遅ければ今頃私は血を流し過ぎて死んでいただろう。
まさか神父である私が魔術によって命を繋ぐとはな。皮肉な運命もあったものだよ」
自嘲するように璃正がふっと笑う。
「リリアが?」
「勘違いしないで。監督役やアンタに感謝される為に治療したんじゃないわ。あくまでナチスと帝国陸軍のことを聞きだすためよ」
そっぽを向くリリアだが、耳が僅かに赤くなっていたのを冥馬は見逃さなかった。
「……分かった。じゃあそういうことにしておこう」
触らぬハイエナになんとやらだ。これがプライベートな時間だったら、このことで突いてその反応を眺めたくはあるが……今は時間が惜しい。
傷を負っている璃正には悪いが、彼からナチスたちのことを聞きださなければならない。
「璃正。話を戻すが、死んだふりをしてやり過ごしたということは――――」
「君の考え通りだよ……。私が死んだふりをしている間、しっかり彼等の行動には聞き耳を立てていた」
剣で体を突き刺され身を焼かれるような激痛の中で、少しでも敵の情報を集めようとする姿勢。流石という他ない。常人であれば死んだように黙っていることすら痛みが許してくれないだろう。
言峰璃正を聖杯戦争の監督役に据えた聖堂教会は英断を下したらしい。
「教えてくれ。奴等の目的はなんなんだ?」
「彼等は……教会からアインツベルンより預けられた『聖杯の器』を探し出し持っていった。内通者だった木嶋少佐は『聖杯の器』を帝都へ持ち帰るつもりだよ」
「聖杯を、帝都に?」
「木嶋少佐はサーヴァントは愚か時計塔や聖堂教会ですら干渉することの叶わぬ場所と言っていたが……すまない。そこが具体的に何処かは聞いていない」
「サーヴァントや時計塔にも干渉できない……? そんなところがあるの?」
リリアの言葉に冥馬は答えを言うことはできなかった。
確かにサーヴァントは強力無比な存在であるが、決して無敵というわけではない。真祖や吸血種の頂点に名を刻んでいる犬に蜘蛛あたりならサーヴァントを一方的に屠ることもできるだろう。
しかしそんなのは例外中の例外だ。
物理攻撃の一切が効かず、強力な神秘をもった攻撃でしかダメージを与えられないサーヴァント。例え魔術師が百年をかけて作り上げた城塞だろうと、サーヴァントならば楽に突破してみせるだろう。
それにサーヴァントだけではなく時計塔にも聖堂教会にも干渉できないという所も気になる。
時計塔も聖堂教会も裏社会で勢力を二分する一大組織。この二つにかかれば大抵の場所には、
「いやまてよ…………あったぞ! 一つだけサーヴァントどころか時計塔や聖堂教会も迂闊に干渉できない場所が!」
「本当なの!?」
「ああ」
そう、この国に一つだけある。外敵の干渉の一切を許さぬ神聖不可侵の場所が。
「それでそこは何処なの?」
「忘れたのかリリア。この国は大日本帝国なんだぞ。そして帝国の都で最も難攻不落にして侵入不可能な場所といえば―――――どこだと思う?」
「……ハッ! ま、まさか」
「そのまさかだ。連中め、聖杯の器を皇居に持っていく気だ」
大日本帝国の中心、帝のいる皇居。そこに時計塔に所属する魔術師が足を踏み入れることは、大日本帝国という国家そのものに戦争を売りにいくようなものだ。
万が一冥馬とリリアがサーヴァントと共に皇居に突撃などすれば、大日本帝国は国の威信にかけて、日本に根付いている魔術組織も駆り出して冥馬たちを抹殺すべく動き出すだろう。時計塔や聖堂教会に助けを求めようにも、無用な混乱を避けるため両勢力は冥馬たちを切り捨てる筈だ。
つまりあそこに『聖杯の器』が運ばれてしまえばその時点でジ・エンド。冥馬たちの敗北だ。
「大変なことになったわね。下手すれば時計塔とこの国が全面戦争……いえ、下手すれば第二次世界大戦の引き金にもなりかねないわよこれ」
「降りたければ降りればいい。元々リリアは外来の参加者、聖杯にそこまで執着もないだろう」
「冗談。確かに聖杯が皇居に運ばれたらおしまいだけど、要は運ばれる前に帝国陸軍を叩きつぶせばいいんでしょ」
下手すれば第二次大戦のトリガーとなる可能性すらある鉄火場に、リリアは臆するどころか獰猛に笑う。
敵にすれば恐ろしいが、味方にすればこれほど頼もしいものはない。
しかし冥馬にとっての厄ネタはそれだけではなかった。
「冥馬……それにミス・エーデルフェルト。皇居への移送、恐ろしい策略に見えるがそれだけじゃない。聖杯の器の皇居への移送は囮に過ぎないのだ……」
「なに? 聖杯が囮?」
璃正に言われて気づいた。よくよく考えると、この作戦には帝国陸軍へのメリットがあってもナチスへのメリットが一つもない。
ナチスの指揮官が帝国陸軍と内通していたというのなら、この構図も分かるが事態はそのあべこべだ。ということはつまり、ナチスには聖杯を囮にして別の〝なにか〟を企んでいるということになる。だが聖杯を囮にするほどの計画とは一体全体なんだというのか。
「聖杯の器を囮にするなんて。ナチスはそんな大それたことを考えているわけ?」
リリアの問いに璃正は口を開く。
「円蔵山地下大空洞に安置されている大聖杯。それを奪取することがナチスの狙いだ」
その余りにも埒外の計画に、遠坂冥馬は声を失った。