冥馬たちの前に現れたサーヴァントは間違いなくアーチャーだ。
だがその様子は一変していた。なにもそれは華やかな赤い舞踏服から英雄然とした姿になっているだけではない。その顔つきは貴婦人を蕩けさせる貴公子のそれから、幾多の戦いを制した威風堂々たる英雄のそれとなっている。
アーチャーが教会の中に足を踏み入れる。瞬間セイバーとキャスターが万が一のために剣に手をかけた。
通常サーヴァントはマスターという憑代なしには生きられない。平均的なサーヴァントもマスターを失えば数時間で消え去るだろうし、その力の5%も出すことができなくなるだろう。
しかしアーチャーのクラスだけは例外が適応される。
サーヴァントが元々保有するスキル以外に、セイバーの対魔力やアサシンの気配遮断などに代表される、現界するクラスごとに付与されるクラス別技能。それは無論アーチャーにも備わっている。
そしてアーチャーのクラスに与えられるクラス別技能の一つこそが『単独行動』と呼ばれるもの。マスターから魔力供給なしでもある程度の自立行動ができるこのスキルは、レンジャータイプの多い弓兵には必須といえる技能である。
そのためアーチャーはマスターを失い〝はぐれ〟となってしまった後も脅威といえるだけの戦闘力を維持することができるのだ。
冥馬はじっとアーチャーを見る。
マスターの権限でステータスを確認したところによれば、アーチャーの単独行動のランクはB。これほどのランクならば通常二日くらいは現世にしがみついていられるだろうが、
(消耗が酷いな。戦闘した後なんだろう……これじゃあ保って一日か)
アーチャーの体からは魔力が殆ど消えている。単独行動スキルをもたない他のクラスであればとっくに消えていたはずだ。
そしてその消耗がアーチャーの『狩麻は死んだ』という言葉に重い説得力を持たせる。
(死んだ……? あの狩麻が……っ?)
冥馬の脳裏に狩麻と過ごした日々がフラッシュバックする。
口が裂けても『親友』などと憚れるほどの仲ではなかったが、お互いに魔術の腕を切磋琢磨する掛け替えのない『好敵手』ではあった。
その狩麻がもう魔術の腕を高め合うことのできない存在になってしまったのが信じられない。
「誰に、やられた?」
「直接マスターを殺したのはアサシンだよ。大量の自律人形に四方から襲撃されてね。自律人形のほうは軽く撃退できたけど、その小躯を活かして自律人形の内部に潜んでいたアサシンに不覚を取った」
「アサシン、ねぇ。どういうやつだったの?」
狩麻のことを良く知らないため黙っていたリリアだったが、アサシンという単語が出ると目を見張らせる。
リリアもマスターの天敵であるアサシンのことは少しでも知っておきたいのだろう。自分の命の安全のためにも。
「だから小躯だよ。大人の膝下くらいの、人形に潜めるくらい小さなね。宝具は『空想電脳』。そのアサシンが左手でマスターに『触れた』時にはもう全てが遅かった。アサシンが真名を解放した瞬間、奴の触れたマスターの頭部は……爆ぜた」
「っ!!」
「まったく。昔から暗殺者なんていう歴史の無粋者に対しては、警戒してきたつもりなんだけどね」
左手で触れた頭部を爆薬にして爆殺する……それがアサシンの宝具。
アサシンのクラスに召喚されるハサン・サッバーハは自分の暗殺の奥義を『ザバーニーヤ』という宝具として保有しているが、さしずめ此度の戦いに召喚されたハサンのザバーニーヤはそれだろう。
一瞬狩麻の頭部が爆ぜる姿を想像してしまい、背筋が……いや、頭が凍り付く気分を味わった。
しかし冥馬には気になる事がある。
「アーチャー、本当にただ不覚を取っただけなのか?」
「というと?」
「狩麻はかなりの使い手だ。それに君自身も相当の強さをもつサーヴァントだろう。その君達が単に不覚をとっただけでアサシンにやられるものなのか?」
「……相変わらず察しが良い」
アーチャーは複雑な顔をしながら、どこか寂しげに笑った。
「実はアサシンと戦う前にライダーと一戦交えていてね」
アーチャーは話し始めた。狩麻の命令で冥馬の邸宅に向かったところで相馬戎次とライダーと遭遇し戦闘になったこと。ライダーの真名と能力。そしてライダーとの戦いで激しく消耗し撤退したところをアサシンに襲撃されたことを。
アーチャーから聞いた情報は驚くことばかりだった。ライダーの真名が〝冬将軍〟だということもそうだが、戎次たちと自分の家で遭遇したことが、なによりも冥馬を驚かせた。
「俺が偶然留守にしている間に狩麻が攻めてきて、そこを偶然同じタイミングで遭遇した相馬戎次とライダーと交戦。撤退した後はアサシンに狙われるだって? こんなもの」
「作為的な臭いしかしないね。大方帝国陸軍と内通していたムッシュ・ダーニックが陰謀を張り巡らせたんだろう。僕のマスターを確実に抹殺するためにね」
「……! ナチスと帝国陸軍が内通していたことを知っていたのか?」
「ここに来た時に君達の話をちょっとだけ聞いてね。後は帝国陸軍の兵士達の遺体が転がっていることから推理したまでだよ。
それで君達はナチスと帝国陸軍を倒すために二面作戦をとろうとしている。わざわざ各個撃破じゃなくて戦力を二分させるのは、どっちか一方を倒してからもう一方を倒すんじゃ間に合わないから。違うかい?」
思わずリリアやキャスターと目配せする。
僅かな情報からこれから冥馬たちのとろうとしている行動の大まかな内容を掴むとは、やはりアーチャーは只者ではない。いやサーヴァントは歴史に名を馳せた英霊ばかりなので、只者なことこそ有り得ないのだが、アーチャーの知略は英霊の中でも飛び抜けている。
武力一辺倒のセイバーは論外としても、どちらかといえば頭脳派であるキャスターもこんな僅かな情報から、ここまでの推理を組み立てることは不可能だろう。
リリアがこくんと頷く。ここまできたらアーチャーにも事の次第を話した方が良い。冥馬もリリアと同意見だった。
「分かった。アーチャー、改めて君にも話そう。ナチスの目的を」
冥馬がこれまでリリアとしたのと殆ど同じ内容を伝えると、アーチャーは特にリアクションを起こす事なく黙って聞いていた。
大聖杯のことや英霊がサーヴァントとして召喚される真の理由を聞いても顔を歪めることすらない。もしかしたらアーチャーは既にこれらのことを察していたのかもしれない。
「話は分かったよ。そこで提案だ。ムッシュ・トオサカ……いいや遠坂冥馬、僕と契約しないかい?」
「!」
「……なんだと?
「再契約、それもキャスターと既に召喚している冥馬とですって?」
「?」
セイバー以外の全員がアーチャーの提案に吃驚する。
マスターを失ったサーヴァントが、サーヴァントを失ったマスターと契約するということはよくあることだが、既にサーヴァントと契約しているマスターと二重に契約するというのは、聖杯戦争のシステム上あまり例のないことだ。
「悪くない提案だと僕は思うよ。…………〝俺〟は狩麻のサーヴァントとして、狩麻を嵌めたナチスの企みをこの手で打ち砕きたい。そしてお前達は『大聖杯』の奪取を阻止するためにナチスを滅ぼさなければならない。
お互いに目的は共通しているし、お前達も今は少しでも戦力が欲しいはずだ。ナポレオン・ボナパルトの助力は、それなりに君達の勝機をあげる要因となると思うが?」
「――――!」
いきなりアーチャーが自身の真名を名乗った事と、そして告げられた真名が余りにも偉大な英雄のそれだったことに瞠目する。
アーチャーの正体が英雄ボナパルトなどと、少し前なら名乗られても信じれなかっただろう。だが目の前に立つ英雄の威風を備えた男が名乗るのであれば、それは疑いようのない真実となる。
「いきなり真名を名乗るなんて、少し驚いた」
滲んだ汗を拭いながら冥馬はやや緊張した語調で言った。
「僕はこの戦いでは一人の貴公子、たった一人のプリンス。一輪の花として振る舞いたかったんだけどね。マスターの命をみすみす奪われた以上、サーヴァントとしても英霊としても僕の全てを賭けて戦わなければならない。それにこちらの命を預ける証明として先ずは名前を預けなければ……」
英雄としての威風を僅かに引っ込ませると、アーチャーはどこからか取り出した薔薇の香りを楽しむ。
この変わりよう。まるで性格の正反対の一卵性双生児が一瞬で入れ替わったかのようだ。
「どういうつもりだ、アーチャー?」
キャスターが厳しい目でアーチャーを睨みつける。
聖杯が使えるサーヴァントは一人だけ。もし冥馬がアーチャーの提案通りアーチャーと再契約してしまえば、万が一にもキャスターが願いを叶えることができなくなる可能性がある。あくまで己の願いのために聖杯戦争に参加しているキャスターからすれば、それは許容できないことだろう。
アーチャーはそのことを知ってか緊張を解すにように笑うと、
「心配しなくても僕の目的は帝国陸軍やアサシンを操って、僕のマスターを謀殺したナチスに報復することだけだよ。ムッシュ・トオサカのサーヴァントとなってから聖杯を狙う気なんてさらさらない。
元々僕は聖杯なんてもの特に興味がなかったからね。面白そうな戦いがあったから、その戦いをより劇的により華々しく彩るために参上しただけ……。目的を終えればさっさと消えるよ。あくまで僕のマスターは間桐狩麻だけだ」
狩麻の仇討のため冥馬のサーヴァント(配下)にはなっても、冥馬をマスター(主人)と認める気はない。
マスターを失い令呪の縛りなどなくなりながらも、愚直に死んだマスターに忠義立てする。その有り方は戦争の天才、欧州を圧巻した皇帝ではなく中世の騎士を連想させた。
「解せないな。英雄ボナパルト、貴様ほどの男がどうしてあんな女に忠義を誓う?」
「何を今更。サーヴァントはマスターに忠誠を誓うものじゃないか」
さも当然のことのようにアーチャーは断言する。キャスターは一瞬面食らっていたが、珍しく笑みを浮かべた。
「そうだな。お前の言う通り至極当然のことだ。あの円卓にいるとついつい忘れそうになるが、騎士が主君に忠誠を誓うのは当たり前のことだったな」
「まぁ個人的な愛もあるけどね。愛といっても親愛としての愛だけれど。サー・ケイ、永遠の毒舌家。君も僕と同じなんじゃないかな。今生か生前かの違いはあれ」
「お前こそ何を今更。金が欲しい。女が欲しい。人生が欲しい……。恋愛、人間愛、博愛、深愛、情愛、自己愛。この世に蔓延る大抵の願いなんてものは、つまるところ愛の一言で纏められるようなことばかりだ。
人間の超越者、豪傑、偉人、天才。英霊を指し示す単語など腐るほどあるが、結局のところ人間であることに変わりはない。なら俺の願いが〝愛〟なんていうチープな一文字に集約されるのも必然だろうよ」
二人して腹の探り合い――――いや願望の探り合い染みたことをするが、キャスターとアーチャーから最初の険悪なムードは掻き消えていた。キャスターもアーチャーのことを一先ず認めたらしい。
アーチャーは改めて冥馬へ視線を向けた。
「僕の目的はこういうわけだ。それでも足りないなら、はいこれあげる」
ゴソゴソと懐を探り、アーチャーが取り出したのは何の変哲もないメモ帳だった。
用心しつつ観察したところによれば罠の類はなさそうなので、アーチャーの差し出したメモ帳を受け取りぱらぱらとページをめくる。
「これは?」
「ナポレオン・ボナパルト著。第二次大戦必勝法」
「ぶっ!!」
思わず噴き出した。
慌ててページを捲っていくと、そこには『戦争の天才』たるボナパルトの今後の未来予想図から、どこをどうすれば日本を始めとする国々が上手く立ち回り勝利できるかまでが記載されていた。
「あんまりこういうことするのは僕の主義じゃないんだけどねぇ。ムッシュ・トオサカなら悪用はしないだろうし。それにその必勝法は僕が独裁を振るえたらの仮定の上で成り立ってるから、それだけこの国の軍隊に渡しても勝機を5%くらい引き上げることにしかならないからね」
確かにこのメモに記されている内容は、余りにも突飛かつ大胆不敵なアイディアが含まれていて、軍部も一枚岩ではないこの国では実現は困難極まるだろう。
だがたかが5%、されど5%だ。彼のボナパルトの記した必勝法、どこの国家元首も涎を垂らして欲しがるだろう。
「ど、どうするのそれ?」
リリアが躊躇いがちに尋ねてくる。
「どうするって……こんな世界の大爆弾が持っていることがばれたら、下手したら聖杯戦争以上の大騒動だ。大切に保管しておくさ」
「この国のお偉方に渡して、祖国の勝利に尽す気はないわけ?」
「ない」
時計塔、つまり魔術協会があるのはイギリスでイギリスは連合国側である。
そしていずれ連合国と戦争するであろう枢軸国は目下敵対中のナチス、聖堂教会の影響力も強いイタリア、それに日本だ。
枢軸国が万が一にも連合国を完膚無きにまで打ち負かしてしまっては、裏側における勢力図も一転し、時計塔に所属している冥馬には困った事になってしまう。
「この国の一般人が聞いたらどう反応するやら」
「非国民は余裕をもって優雅かつスタイリッシュにやらなければ。泥臭いのは趣味じゃない」
ただこのメモ帳はなにかと使える。それこそ冥馬なら枢軸に渡すなんていう使い方をせずとも、これを元手に聖杯戦争で消費した宝石を取り返す収入を得ることもできるだろう。
やはり何事においてもお金という先立つものは必要だ。それにナポレオン・ボナパルト直筆のメモであれば、次の聖杯戦争で彼を召喚する触媒にもなりうる。
「満足して頂けたかな。ムッシュ・トオサカ」
「……分かった。契約しよう、アーチャー」
サーヴァントとの再契約に大仰な魔法陣などは不要。令呪を宿したマスターと、契約意志のある未契約のサーヴァントがいれば事足りる。
二体ものサーヴァントを同時使役するとなれば、魔力供給は単純計算で倍となるが、幸い冥馬の魔力量ならば二体程度は問題ではない。
「“―――告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――”」
アーチャーは狩麻を謀殺された報復をするために、己の命を敵であった遠坂冥馬に預けた。
だとすればそのアーチャーに対して冥馬がするべきことは一つ。
「―――我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けよう」
「アーチャーの名に懸け誓いを受ける。遠坂冥馬、貴卿を髑髏の野望を砕くまでの仮初の主人として認めよう」
これは通常のマスターとサーヴァントの契約ではない。契約はあるが、それは主従ではなく対等の共闘者としてのもの。ナチスの野望を砕くまでの一時の同盟だ。
そのことに否はない。アーチャーにとって間桐狩麻が唯一無二の主君だったように、冥馬にとっても狩麻は最も長い付き合いの好敵手だったのだから。アーチャーが報復のため剣をとるのであれば、遠坂冥馬も戦う理由に狩麻への鎮魂を添えるまで。
ここに九番目の契約が結ばれた。