中に入った途端、全身がささくれ立つほどの魔力の気配が肌を焦がす。
入口こそ狭かったが、中へ入ってみると大空洞まで続く洞窟はそれなりの広さがあった。中の広さに対して、入り口があそこまで狭かったのは隠匿のためだろう。御三家以外の魔術師たちが、万が一にも〝大聖杯〟に気付くことのないよう、150年前の先祖たちも苦労したに違いない。
「…………」
ゴクリと息を飲みこむ。
父から当主の地位を継承してからそれなりの月日が経っているが、こうして大聖杯の安置されている大空洞に赴くのは初めてのことだ。
この先に自分の祖先とその同胞たちが作り上げた奇跡の結晶がある。そう思うと緊張を隠し通すことができない。これほど緊張したのは父から魔術刻印の移譲を行われ始めた時以来だ。
「さて。急いで大聖杯の所まで行きたいところだが、どうも邪魔者がいるらしいな。出てきたらどうだ、戦争の狗さんたち」
わざとらしく頭を抑えながら、岩の影に息を潜める者達に語りかけた。
隠れているナチス兵たちは冥馬に指摘されても、物音どころか殺意すらも腹の中に呑み込んだまま無反応を貫いている。
聖杯戦争なんて場所に派遣されるくらいだ。物陰に隠れるという動作一つをとっても、並みの兵士は練度が違う。敵ながら素直に賞賛したいくらいだ。
だが今回ばかりは相手が悪かった。
「最後通牒だ。そこに隠れていることは分かっているんだ。大人しく出てくれば半殺しで済ませてやるぞ。」
炎と風の二重属性の魔術師である冥馬は、風と熱を読むことでの気配感知に優れている。アサシンの気配遮断ならいざしれず、兵士たちが息を潜めたくらいでは、その気配感知から逃れることはできない。
「だんまりか」
冥馬がなにか言おうと、返ってくるのは沈黙だけ。返答はない。あくまでも命令を遵守し、物陰からこちらの隙を伺っているのだろう。
短絡的な行動は時に自分の身を危うくするが、今回は一分一秒が惜しい。多少のリスクは覚悟で、冥馬はこちらから動くことにした。
冥馬は足元にあった小石をリフティングのように蹴りあげると、ナチス兵たちが潜んでいる岩に蹴り飛ばす。
蹴り飛ばした石がぶつかる。瞬間、
「Feuer!」
ナチスの兵士達が飛び出し、冥馬目掛けて機関銃を一斉に放つ。だが奇襲とは不意をつくからこそ効果を発揮するもの。予め分かっていれば対処も容易い。
機関銃が放たれるタイミングも、その軌道も全てが冥馬には視えていた。そこまで分かっていれば後はサーヴァント並みの動体視力などは不要。見出した安全地帯に自分の体を潜り込ませるだけ。
鉛玉の雨をいとも容易く掻い潜りながら、冥馬は兵士たちと距離を詰めていく。
これまで当然のように敵兵の命を奪い取った掃射を、なんでもないかのように対応する“人間〟を前に、兵士たちの間を動揺が奔った。
「っ! 落ち着け! 大佐やダーニック殿と同じだ! なにか妙な力を使っているぞ!」
兵士たちの指揮官は自分にとって理解不能な現象を、自分にとって理解の及ばぬ魔術が原因だと決めつける。けれどそれは酷く狭い物の考え方だ。不思議な現象全てが魔術や魔法が原因ではない。寧ろこの世の多くの不思議は科学的に説明がつくことばかりだ。異能という人類にとって未知のロジックがなければ解けない事象はほんの一握り。
遠坂冥馬が機関銃の掃射を回避している方法もまた然り。冥馬が銃弾を回避するのに使用しているのは魔術ではなく、努力すれば万人が使える体術に過ぎない。
「魔術なんて一切使っていない。この先にまだまだ強敵が待っているんだ。お前たち相手に消費する魔力などない。お前たちを倒すのはこの肉体のみで十分だ」
「侮るな、日本人! 生身で武装した兵士に勝てると思うか!」
兵士たちの一人が機関銃を撃ちながら叫ぶ。冥馬は全身に魔力を漲らせ程よく体を強化しながらニヤリと笑い、
「勝てるんだよ、それが。それと俺は侮っているわけじゃあない。俺は全身全霊で戦っている。ただ魔術を使っていないというだけ」
「詭弁を――――!」
「詭弁かどうかは拳で証明する!」
ナチスのことだ。どうせ炎と風の魔術については、例の否定の概念を込めた銃弾で対策しているだろう。敵に対策されている魔術を、わざわざ使うことはない。
魔術などなくても、遠坂冥馬には最も頼れる武器を、生まれたその日に親から与えられている。ならばそれを使うだけだ。
「はぁ!」
鍛え抜かれた冥馬の脚力による踏み込みが、地面を爆発させる。兵士たちの視界から遠坂冥馬は消え失せ、数秒で彼等の背後へ回り込んだ。そして両腕を鞭のようにしならせると、体を回転させる遠心力を使い、鋭い手刀を二人の兵士の後頭部に叩き込む。
徹底的なまでに鍛え上げられた手刀は刃物と同じ。ただの一撃で二人の兵士達は即死する。
「二人の兵士を一瞬で……! 化物め! どんな魔術を使った!?」
「だから言っただろう。魔術じゃない……武術だ!」
近接戦闘で銃は不利と判断した兵士達が、ナイフを抜いて襲い掛かってくる。
軍隊で仕上げられたらしい無駄のない、ただ敵を殺すための動き。ナイフの軌道も正確にこちらを一撃で殺すため急所を狙ってきている。
実に良く訓練されているが、余りにも教本通り。馬鹿正直過ぎる。
動きに嘘が皆無ならば、それを見切るのは難しいことではない。最小限の動きでナイフを躱すと、逆に五人連続で鳩尾に肘を叩き込んだ。
人体の急所である鳩尾に強烈な一撃を喰らった兵士達は次々に死亡、或いは失神していく。
(いつもより体が軽い。まるで全身のバネというバネが洗われたかのように、なんというかスッキリというかハッキリしている)
次々に兵士達を己が五体で鎮めながら、冥馬は自分のコンディションの良さを確かめていく。あの重いスーツを着ていないからというのもあるのだろうが、それを考慮しても冥馬の体は絶好調だ。
思い当たる節はある。これまで自分は幾度となく、自分より格上の戦士の戦い。サーヴァント同士の殺し合いを間近で見てきた。格上の武人の戦いを〝見る〟ことはそれ自体が一つの修行。歴史に名立たる剣豪たちも、他の剣豪の技を見ることで、その技を盗み己のものに昇華してきた。
古の武術家たちが見ることによって自分の武を練磨したように、冥馬もまたサーヴァントたちの戦いを見ることで、武術家として更なる高みへと上ることが出来たのだろう。これは嬉しい誤算だった。
「実戦の中でこそ、得られる経験値があるか。これだから武術は面白い!」
何人目、否、何十人目かに分からぬ兵士達を前蹴りで宙へ飛ばす。蹴り飛ばされた兵士は空中で何回転もしながら、洞窟の天井に頭をぶつけると、重力に体を引っ張られて落下した。
「さて、と」
冥馬が残った兵士達に視線を向けると、兵士達が怪物を見るかのような目で後退する。
ふと冥馬の頬に血が一筋流れた。不覚にも銃弾が一発だけ頬をかすめていたらしい。この程度、治癒すれば元通りにするのは容易いだろう。
(だが敢えてそれはすまい)
こんな傷程度を治癒する魔力が勿体ないし、これも自分自身の修行不足の証明だ。甘んじて受け入れよう。
だが逆を言えばたったそれだけだった。冥馬の負傷は。
傷一つだけの冥馬に対して、残ったナチス兵士たちは息も絶え絶え。
もはや勝負は着いたも同然だが、ナチスの兵たちにもプライドがあった。無手の男一人にここまでやられて、大人しく両手をあげて降参することなどできない。
「くっ……! 撃て! 撃てぇ! 弾が尽きるまで撃ちまくれぇ!!」
生き残った兵士達で最も階級の高い男の叫びで、無数の銃口が一斉に火を噴いた。だが神経をより研ぎ澄ませた冥馬は、銃弾を回避しながら近付いていく。
「くそっ! なんで当たらない! 銃弾より速く動いて回避するなど本当に人間なのか!?」
「はは。馬鹿を言っちゃいけない」
両足で地面を蹴り跳躍すると、更に天井を足場に二段跳躍を行い、兵士達の輪の中に着地する。
そのまま兵士達が次の行動に出るのを先んじて、両足でしっかり重心を固定し、両手で兵士達の顎を粉砕していった。
「俺……おほん。私は銃について詳しい方じゃないが、弾丸の速度は大体秒速300㎞以上。サーヴァントならいざしれず、そんな速さで人間が動けるわけがないだろう。
だが指の動きで発砲のタイミングを予想して、両手の動きと銃口の向きで弾道を計測すれば、銃を躱すのはそう難しいことじゃない」
銃弾を発砲されてから回避することができないならば、発砲される前に躱してしまえばいい。
相手の動きの予想……。冥馬のしていることを一言で表現すればそんなところだ。高度な武術家同士の戦いや、サーヴァント同士の戦いなら当たり前に行われているスキルの一つである。
「と、説明したが聞いている人が誰もいないな」
時間にして十分ほどだろうか。ここに潜んでいた兵士達は全て片付いたようだ。
片付けたといっても全員が死んでいるわけではない。中には運良く失神だけで済んだ者もいる。そんな人間には止めを刺さず先に行こうとして、
「よう。終わったようだな」
「!」
ナチスの軍服に身を包んだ2mはあろうかという大男が、忽然と冥馬の行く手を遮った。
左目はブルーの極普通の人間の瞳だが、右目は人間味のない機械的な義眼が緑色に発光している。背には宝具らしき気配を放つ巨大な剣。
明らかにナチスのサイボーグだ。しかも人語を話すところからして、柳洞寺で襲い掛かって来たサイボーグとは一味違う臭いがプンプンする。
「随分な重役出勤じゃあないか。お前の同僚たちは、お前が出勤する前に殉職したぞ」
「木端兵たちにウロチョロされると戦いの邪魔になるんでね。お前が兵士どもを片付けるのを待っていてやったんだよ。俺に与えられた命令は、お前をここから先に通すなというものだけ。他の連中がどうなろうと関係ないからな」
「それはそれは豪気なことで」
口だけではない。この男の気迫は並みの兵士の比ではなかった。
宝石は出来るだけ温存しなければならないが、この男が相手となると一つ二つの消費は覚悟しておいた方が良いかもしれない。
「ではその命令、守れなくしてやる」
先手必勝。冥馬は男の脇腹に蹴りを叩き込んだ。
冥馬とアーチャーがナチス相手に戦いを始めたのと同時刻。
キャスターをパイロットに、リリアと霊体化しているセイバーを乗せたゼロ戦は『小聖杯』を移送している帝国陸軍を追って帝都を目指していた。
帝国陸軍の動きは迅速で既にかなり遠くまで行ってしまっていたが、不幸中の幸いと言うべきか教会側が聖杯の器に特定の気配を放つ聖遺物を仕込んでおいたお蔭で、追跡するのに支障はない。
とはいえ問題のない飛行を続けるのは簡単なことではなかった。
キャスターが自身の魔術で認識阻害をゼロ戦そのものにかけているが、それとて絶対的なものではない。ゼロ戦で都市を突っ切るなんて無茶をすれば、明日の朝刊の一面を飾ることになるだろう。
故にキャスターは頭の中に叩き込んだ地図から、最も人気がないであろう進路を選びつつ、出来るだけ回り道をせず列車を追うという飛行をしなければならなかった。
ゼロ戦のパイロットにキャスターを選んだリリアの判断は正しかったと言わざるを得ない。
頭脳労働が苦手と公言して憚らないセイバーには、到底そんな器用な操縦はできなかっただろう。そもそも目的地に真っ直ぐ飛んでいくことすら怪しいのだ。
「まだ列車は見えないの?」
いつまでたっても敵の見えない現状に苛立ちを覚えたリリアが、棘のある口調でキャスターに尋ねる。
頭の中でより最短距離を検索し、手足を黙々と動かしながら思考の片隅を使ってキャスターは口を開いた。
「十二度目の問いだ、それは。馬鹿は同じ言葉を二度言っても分からないそうだが、十二度も同じことを言わせる貴様は馬鹿未満だな」
「…………キャスター。本気でセイバーけしかけて背後からアンタを切り殺したくなるから、ここでそういう敵対心丸出しの口調で話すのは止めてくれないかしら?
一応私達は手を組んでいるんだし、友好的にいきましょう。ね?」
ニッコリと微笑みかけながら脅しかけるリリア。だがキャスターはそれで態度を改めるどころか、逆に心外だと言わんばかりに。
「何を言う。仮にも共闘している仲だから、控え目かつ紳士的な忠告をしているというのに」
「あれで紳士的ってアンタはどんだけ口悪いのよ!」
「お前がこれまで会った誰よりもじゃないのか?」
共闘者であるリリアと慇懃無礼に……いや、無礼に会話しゼロ戦の操縦をしながらも、キャスターの左目はラインを通じて冥馬の視界と繋がっていた。
ナチスの兵隊相手に己の身一つで戦う冥馬はひたすらに圧倒的である。弾丸をいとも容易く躱しながら、片手と片足で無駄なく確実に敵兵の命を刈り取っていく。
もし冥馬に危険があれば冥馬のサーヴァントとして、キャスターは操縦をセイバーに任せて戻らなければならないが、どうやら今のところその必要はなさそうだ。
「それに、もしも列車が見えたのならば、だ。いの一番にお前達に教えるに決まってるだろう。人が頭を回転させて『聖杯』を追っているというのに、今の今までなんにもせず空の旅を満喫していたお前達を相応に働かせてやらないと俺の気が済まないからな」
「う」
自分がキャスターに運んでもらっているという自覚はあるためリリアは押し黙った。
リリアは自尊心も高いし素直でないところもあるが、道理が分からない人間ではない。そして道理を弁えた人間とは往々にして正論に弱いものだ。
「だ、だけど仕方ないじゃない。私だって戦闘機の操縦は自信ないし、セイバーはアホなんだから」
『ん? なんか言ったか?』
「アンタは敵が見つかるまで黙ってなさいね」
『おぉ。じゃあ、また一人しりとりの続きをやって待ってるぜ。さっきはメロンで終わったから次はンから始まる言葉だな』
「…………………」
霊体化したままのセイバーは必死になってンから始まる言葉を考えている。キャスターとリリアは呆れながら溜息をついた。
天は二物を与えずとは言ったものだ。神はセイバーに一つの国の歴史において並ぶ者のいない『武勇』を与えはしたが、人並みの知略を与えることはなかったのだろう。
「だがまぁ。この戦闘機はお前が帝国陸軍から奪い取った戦利品。これがなければ連中を追うのにも一苦労だった。その点ではこうして俺が操縦しているので貸し借り無しか」
気を取り直す様にキャスターが呟く。
ナチスと共謀し『聖杯の器』を奪取した帝国陸軍の動きは迅速そのもの。戦闘機という空路を行く足がなければ追い付けたかどうか怪しいものだ。
キャスターのフォローにリリアは意外な目をする。
「年中無休ひねくれっ放しの奴かと思ったけど、ちょっとは話が分かるじゃない。貸し借りなしなら私は遠慮なく空の旅を満喫してていいわけね」
「自由にすればいい。運転手に三十分おきに目的地にはまだつかないのかと尋ねるのが、名門貴族の御令嬢の姿であるべきだとお前が考えているのならばな」
「うぐ……! ホントにああいえばこういう」
「なにか言ったか?」
「あーもー。なんも言ってないわよ。私達を運んでくれてありがとう。敵が見えたらこの空の旅で育まれた鬱憤を全力でぶちかましてあげる。これで良いんでしょう?」
「上出来だ」
「もう二度とアンタとは口喧嘩しないわ……」
リリアとの口喧嘩に勝ったことをまるで誇ることなく、素っ気なく言うとキャスターは再び意識を操縦のみに傾ける。
「最良の選択をとるためだったとはいえ、作戦会議に少し時間をかけ過ぎたかしら」
「時間を惜しんだ挙句に、碌な作戦もなく特攻する方が好みならそうだろう」
焦りというのは判断力を鈍らせる。判断力が鈍れば普段なら絶対にしない些細なミスを犯してしまうもの。そしてその些細なミスが戦いでは命取りになる。
例え時間が押していても敢えて時間を消費して、冷静に作戦を組み立てるのは悪いことではない。少なくともキャスターはあの作戦会議は決して無意味なものではないと判断していた。
「――――む」
キャスターがピクリと眉を動かす。
「どうしたの?」
「いやなに。冥馬が少々厄介な敵と遭遇したようだ。ま、気にする必要もないだろう。この程度に負けるほど冥馬は弱くないし、そもそもこれでやられるようじゃどの道、先は長くない」
「冷たいのね」
「信頼してると言ってくれ」
それに今は冥馬のことばかりに気を向けていられる余裕はない。
このまま馬鹿正直に列車を追いかけても果たして追いつけるかどうか。
(多少リスクがあるが仕方ない)
問答するのも面倒だったので、リリアには何も言わず内緒で当初予定していた進路を変更した。
馬鹿正直に追って追い付けないのなら、やるべきことは回り道と昔から決まっているのだから。