人間の欲望の結晶が満ちた帝都の街並み。だがその上空は未だ人の欲望に染められていない未開拓の領域だ。
何人も立ち入れぬ天空で、蒼い騎士と雪の精霊が火花と粉雪を散らす。
空を自由自在に飛び回り冷気や氷結を飛ばすライダー。それに対するは炎の翼を背中から噴出させ、さながらジェット噴射のように追いすがるキャスター。
炎と氷、相反する二つの属性を宿すサーヴァントたちは、お互いの全存在を抹消する意志を己が剣に込めてぶつかりあった。
「炎熱よ……狂い撒け!」
「熱い男は嫌いじゃないけど、焼かれるのは嫌いだよ!」
宝具の力によって自分の手から火炎放射を飛ばすキャスター。ライダーはそれをありったけの氷結で迎撃する。
二人の中心で炎と氷結が衝突し、混ざり合った。炎は氷結を削るように溶かしていくも、ライダーは冷気を操り氷結を巨大にしていく。炎と冷気に挟まれ、氷結が溶解と膨張を繰り返した。
刹那の拮抗。だがキャスターの火炎放射は、最低ランクであるとはいえ宝具による奇跡である。氷結の膨張超える速度で、氷を溶かし遂には完全に呑み込んだ。
「ちっ」
氷結を呑み込んだ炎は、勢いを増してライダーに喰らいかかっていった。
ライダーは舌打ちしながら冷気の壁を生みだし、炎を堰き止めている間に自分は上空へ逃れた。
「逃がさん!」
逃げるライダーを猛然と追撃するキャスター。火炎放射を飛ばしたのとは反対側の手に握られているのは黄金の選定剣。理想の王を選び抜いた勝利すべき剣。
キャスターはナチスに正体を看破され、その担い手としての権利を失っている。だがキャスターが担い手でなくなっても、黄金の剣の力が衰えるわけではない。その切れ味は未だ健在。凡百のサーヴァントなど一太刀で斃す威力を秘めている。
(ライダーは冷気や氷を飛ばしての中~遠距離戦闘は得意だが、反面その運動能力は高いほうじゃない。近接戦に持ち込めば……!)
必殺の一撃をもたず、極限の極限にまで鍛え抜いた究極の一も持っていないキャスターが他のサーヴァントに対抗するには、類稀な多才さを活かして相手の不利な状況に持ち込むしかない。
けれどライダーとてただ棒立ちして、自分の不利を良しとするほど愚かではない。
キャスターの目的に勘づいたライダーは、冷気の鎌鼬を飛ばしてキャスターを妨害する。
「こんなものがっ!」
炎熱を纏った黄金の剣の一振りが、鎌鼬を切り伏せる。
どれほど鋭い冷たい風刃も、炎と黄金の刃には及ばない。鎌鼬を突破したキャスターは今度はお前の番だ、とライダーに突き進んでいく。
「あんまり舐めないで欲しいね。……そんなチンケな火の粉じゃ、私を熱く蕩けさせられないよ。私はまだ最大出力ってやつを出していないんだからねぇ」
「負け惜しみか?」
「惜しむ必要なんてないだろう。負けてないんだから。ほーら、これが私の最大だよ!」
「――――!」
さっき火炎放射に食い破られたものとは比べものにならない。
地上から遠く離れた天上に本来ありえぬ最悪の自然災害が、雪崩が具現化する。
どうやら本当に負け惜しみではなかったらしい。先程までの冷気はこちらの力を測るため、威力を削いでいたのだろう。しかし自分の炎に圧され、手加減などできぬと悟って本気を出してきたか。
(いや)
サーヴァントといっても、決してその力は無限ではない。限りがある有限だ。冬という季節そのものが、人の形で起動した存在たるライダーとてそれは同じ。
自分のフィールドならばまだしも、雪が積もる筈がない天空に『雪崩』を引き起こすなどライダーの容量(キャパシティ)を超えたことだ。
となればこの雪崩は、身を削る覚悟で繰り出した最大最高の一撃ということになる。
「随分とお前の脳味噌は御目出度く出来上がっているらしい。どれほど外面を取り繕ったとて、貴様は人智を知って一月も経たぬ無垢な赤子。赤子が駆け引きで大人に勝てると思うとはな」
「なんだって?」
「手を〝抜いて〟いたのが自分だけだと高をくくった――――それが貴様の敗因だ」
「っ!」
ライダーの反応を見て笑みを深めると、キャスターはカリバーンを一時的に消す。
この雪崩は正真正銘ライダーの全力。であればその全力を、こちらの全力をもって打ち破れば、勝利の流れを完全に我が物とすることができる。幸いにもサー・ケイは冬将軍との相性は頗る良い。
「喰らえ」
「っ! 両手……!?」
右手だけではなく左手も迫りくる雪崩へと向けた。
キャスターの宝具である『巨栄の肖像』は、伝承におけるサー・ケイの超人的能力そのもの。そしてサー・ケイがもつとされる能力の一つが、手から炎を出す異能。
そう〝手〟だ。別に片手だけと限定されているわけではない。両手からの火炎放射であれば威力は単純計算で二倍。本気を出したライダーの冷気の出力を上回る。
「さぁ。もう一度」
重なる二つの火炎が僅かな拮抗の後、雪崩を貫いた。単純な破壊力が増したのもそうだが、炎と冷気では相性というものがある。空気を凍てつかせる冷気と、空気を燃焼させる炎がぶつかれば炎が勝つのは自然の定め。
キャスターもそれは重々承知している。だからこそ相馬戎次の相手をセイバーに任せて、自分がライダーを担当したのだ。
「焼かれるのは嫌いって言ってるのにねぇ。まったく無粋。騎士様の癖して女の扱いがなってない男だ。少し傷つくよ」
「殺し合いに老若男女もないだろう。少しとは言わずに上半身と下半身を真っ二つにする勢いで傷物にしてやる。動くな、剣が外れる」
「お断わりだよ。アンタみたいなのは私のタイプじゃないんだ。傷物にされるわけにはいかないねぇ!」
マーリンが魔術刻印に刻んだ魔術のお蔭でキャスターは飛行を可能にしているが、飛行速度では騎乗兵のライダーに分がある。
破壊力で負けている分、ライダーはその速度でキャスターの攻撃を掻い潜っていった。
ライダーとの速度の差を認識したキャスターは、馬鹿正直に火炎放射を使うのを止め、応用技を繰り出す。
「踊れ!」
手からただ火炎を放射するのではなく、右手より鞭のように炎を生みだし振るう。炎の鞭は空間を暴れ狂いながら、蛇のようにライダーの喉元へ飛びかかっていく。
氷や冷気で炎を防ぎながら、速度を活かして回避するライダー。そして隙あらばライダーに接近し、近接戦に持ち込もうとするキャスター。二騎の間で一進一退の攻防が繰り広げられた。
キャスターとライダーをシンプルに強さで測るなら、ライダーの方が勝っているだろう。なんでもできる多才さだけで、極限に鍛え上げた一つをもたぬキャスターと違い、ライダーは〝極寒の具現化〟という誰にも真似できぬものを持っている。
アーチャーより齎されたのはなにもアーチャーという戦力だけではない。ライダーの真名と宝具含めた具体的な能力についても、アーチャーによりキャスターたち全員に教えられていた。
冬将軍。過去・現在――――そして恐らくは未来においても、名高き英雄の野望を打ち砕き、国を守護する護国の化身。
力量のみならず〝冬将軍〟が人々より集める信仰と畏怖とは、円卓において最弱でしかないサー・ケイを上回っている。
「だが勝つのは俺だ」
より相手より強い者が必ずしも勝つとは限らない。
ライダーはキャスターより強い。近代の英霊でありながら、その破格の偉業により神代の英雄にも勝りうる霊格をもつアーチャーですら、このライダーは破ってみせたのだ。それが弱いはずがないだろう。
けれど聖杯戦争において勝敗を分けるのは、英霊としての強さだけではない。もう一つ重要なものがある。
それこそが相性。
キャスターがアーチャーと戦えば十中八九敗北するだろう。現に一度戦った時はまったく歯が立たなかった。
しかしそのアーチャーを倒したライダーは、決してアーチャーより強いというわけではない。ライダーがアーチャーに勝てたのは、アーチャーが世界的にも有名な〝征服者〟であり、征服者キラーというべきライダーとの相性が最悪だったことが最大の原因だ。
しかしキャスターは違う。キャスターは征服者ではなく護国者側に属するが故に、ライダーの征服者への優位も通じない。しかも炎というライダーの不得手とする属性の攻撃を得意としている。
キャスターはアーチャーに勝てないが、アーチャーを倒したライダーには勝てるのだ。
「ライダー。貴様がアーチャーの天敵だったように、この聖杯戦争において俺こそが貴様の天敵のようだな!」
遂にキャスターの刃がライダーへ届く。
「――――!」
薄皮一枚の切り傷。されど圧されていることの証明である負傷。
ライダーは傷つけられた皮膚を自己治癒しながら、全速力で後退していく。
「何度同じことを言わせる。逃がさん」
魔術回路にありったけの魔力を送り、背中の炎翼が勢いを増す。
暗闇に赤い流星を描きながら、キャスターはライダー目掛けて突進していく。その手には炎熱を纏った黄金の刃。
「しつこい男は……嫌われるよ!」
「心配無用。元々俺は嫌われ者だ、喰らえ!」
黄金の剣が上段から振り落された。
ライダーは限界にまで小さく細く丈夫に凝縮した氷の剣を出現させ、黄金の刃を受け止める。
鳴り散る金属音。
「ふふ……まだまだ」
ライダーの生み出した氷の剣は炎に炙られながらも、その形を維持し持ち堪えていた。
カリバーンの切れ味は氷の剣を両断するには十分すぎるほどのもの。カリバーンを振るったのが本物のアーサー王なら、こんな不手際は起こさなかっただろう。一刀のもとに氷の剣諸共、ライダーを両断していたはずだ。しかし剣を握るはアーサー王に非ず、剣を振るうはサー・ケイ。円卓最弱の武勇の騎士。例え剣の切れ味が落ちていなくとも、サー・ケイではカリバーンの性能を100%引き出すことはできない。ならばこの結果は必然だった。
「――――ふ、はは」
「……なにが可笑しい?」
必然の結果。であれば自分の弱さを誰よりも理解しているキャスターが、その結果を予想できぬ筈がない。この状況は完全にキャスターの計算通りだ。
「まだまだなのは俺の台詞だ!」
ライダーと鍔迫り合ったまま、両手で握っていたカリバーンから片手を離す。空いたその手に粒子が集まり顕現するは、カリバーンではなくサー・ケイが持つ本来の剣。
武器としても権威の象徴としてもカリバーンに遥かに劣る無銘の剣であるが故に、これまでキャスターは真名を看破された後もカリバーンを使い続けてきた。だが決して自分の剣を捨てたわけではない。
ライダーはいきなり現れたもう一つの剣に驚いて、動きを硬直させている。
ほんのコンマ1秒の空白。その隙を見逃すキャスターではない。
「はぁぁぁあ!」
氷の剣と鍔迫り合ったまま、もう一つの剣でライダーを切り裂いた。
「あっ……ぐっ!!」
ライダーの肩から真っ赤な血が吹き出し、白い着物を朱に染める。
宝具ではないとはいえキャスターの剣は英霊の武器だ。しかも高名な円卓の騎士たちが装備する鎧をも両断し、聖剣・魔剣と切り結ぶことをも可能とする無銘の名剣。
流石に致命傷とまではいかなかったが、その一太刀を浴びてライダーはかなり霊格にダメージを負った。
――――このままでは負ける。
否応なくライダーは悟った。
彼女のマスターである相馬戎次がいれば幾らでもやりようはあるが、頼もしい彼は今はセイバーを相手取っているせいで手が放せない。
だからこそ彼女は形勢を逆転するために自分自身ともいうべき宝具を解放する準備に入った。
「一つ教えよう。強力無比、万夫不当の〝宝具〟を攻略する最も簡単かつ手っ取り早い方法を。それは宝具を使わせないことだ」
「っ! これまで馬鹿みたいに放射していた火が――――」
戦いの最中何度も冷気や氷結を焼き払った炎。ライダーの冷気は役目を終えると直ぐに消えたが、キャスターの炎はそうではなかった。
ライダーは「どうして気付かなかったのか」と自分の失態を呪う。攻撃の残りカス、ただの残滓でしかなかった炎は、積もりに積もり帝都上空に巨大な魔法陣を生み出していた。
満点の星空で煌々と光る炎のアートグラフ。その幻想的な光景にライダーは息を呑む。
「ちと準備に時間がかかるのが難点だが、これで用意は整った」
黄金の剣ではなく、なんの変哲もない無骨な剣に魔法陣により集められた大気中の魔力、そしてキャスターの宝具による炎が凝縮されていく。
銀色の刀身が太陽の灼熱に変わった。
「いくぞ――――」
それは決して宝具というわけではない。準備に要する時間、労力、そして肝心の破壊力の全てで黄金の選定剣に劣るだろう。
だが黄金の選定剣は、彼の王の借り物に過ぎない。英霊としてのサー・ケイにとっての切り札ではないのだ。
故にこれこそがサー・ケイにとっての切り札。彼の王や円卓の騎士たちが担う聖剣に対抗するために、自分の持つ特異能力と擬似魔術回路を使い生み出した奥義。彼の王が持つという『最強の聖剣』を模した大魔術。
「儚く燃ゆる勝利の剣(エクスカリバー・ウルナッハ)!」
限界にまで凝縮された炎が解放され、一気呵成にライダーへと殺到する。
固有結界で世界を塗り替える時間すら与えられない。冷気や氷結など、聖剣を模した灼熱に敵うべくもない。
抵抗らしい抵抗もできず、ライダーは炎の中に消えていった。
「……チッ」
敵を消し飛ばしておきながら、キャスターは舌打ちした。
手に命を刈り取ったという手応えがない。逃げられた。
幾らライダーが空での動きに優れているからといって、敏捷性だけで躱せるほどキャスターの大魔術は甘くはない。となれば、
「令呪で逃げたか」
灼熱がライダーに直撃する寸前、なにか強力な魔力のようなものを感じた。恐らくそれが令呪の空間転移だったのだろう。
本物の『聖剣』であれば例え令呪を使われたとしても逃がさなかっただろうに、やはりこれが偽物の限界といったところか。
しかしライダーに深手を与えたのは間違いない。炎翼を羽ばたかせ、キャスターは相馬戎次とセイバーの所へ向かった。