「効かねぇよ」
先手必勝とばかりに喰らわせた冥馬の蹴りは、大男の強靭な二の腕によって防がれた。比喩ではなく鉄を蹴った感触がする。どうやら腕の中身もナチスの技術で改造されているらしい。
サイボーグ、人類の生み出した科学的怪物。
人類が生み出した科学技術は、たった五つを残し、あらゆる神秘を魔法の座から突き落とした。皮肉なことに科学者の対極たる魔術師だからこそ、科学技術の進歩の凄まじさを誰よりも理解できる。だがこんな代物まで作り出すとは、一人の人間として科学の秘めた可能性に戦慄せざるをえない。
「おらぁ!」
「ふっ!」
大男が腕を薙ぐのと同時に、冥馬は上体を曲げて剛腕を躱す。しかし完全には回避しきれず、風圧が頬を切り裂いた。
今の冥馬はルネスティーネとの戦いまで纏っていた防御スーツを着てはおらず、全身を縛り付ける重りは皆無だ。その冥馬が完全に回避しきれないほどの腕速。完全に回避しながら、風圧だけで人体を傷つけるパワー。正に化け物だ。
だが速度だけなら僅かに冥馬が勝っている。その僅かな差をどこまで活かせるか。それが勝負の分かれ目になってくるだろう。
(戦闘力を得るために、肉体を改造した人間か)
肉体を弄るのは魔術師ではわりとポピュラーな技術だ。
さる名家では少しでも後継者の魔術回路を増やすために、母体内で胎児に調整を施したそうであるし、自分自身の肉体を実験体として弄ることもある。知り合いの封印指定の執行者は自分の生命力を高める為、自分の内臓と化物の内臓を入れ替えるなんて荒業をしてもいた。
極端な話だが封印指定にされた魔術師がホルマリン漬けの標本にされるのも肉体改造といえば肉体改造である。
しかし同じことを科学や最新技術でやっているのを目撃したのはナチスのサイボーグが初めてだ。
(結局、魔術的狂気と科学的狂気……行き付く所は同じというわけか。魔術師だなんだのと言っても、人間っていうのは根っこのところで変わらないものなんだな)
魔術も科学も最終的に到達するのは〝ゼロ〟だと言ったのは誰だったか。
冥馬はその言葉の意味を、こうして科学の生み出した怪物と対峙することで噛みしめていた。
「…………」
「どうした? 来ねぇのか?」
大男はニヤリと笑いながら、くいくいと指を折り曲げ挑発する。そんな挑発に乗る事はなく、冥馬は心を静めて隙無く相手を伺った。
沈黙の中で赤いスーツを羽織った魔術師と、黒衣の軍服と赤い腕章をした鋼鉄の戦士が睨みあう。
「名前を聞いておこうか」
「あぁ?」
「名前だ。そちらだけ俺の名前を知っているのは不公平だろう。減るもんじゃあるまいし、名前くらい教えてくれたっていいんじゃないのかな」
「……分からねえ野郎だ。自分を殺す相手の名前くらい憶えておきたいってやつか? まぁいい。お前の言う通り別に減るもんじゃねえしな。……オリバーだ。」
「オリバー、か」
柳洞寺で戦ったサイボーグは、どれも感情のないロボットのような表情をしていた。
サイボーグとなる過程で兵器として不要な『人間の心』を消されでもしたのだろう、と推理していたが、このオリバーに関しては例外が適用されるらしい。
尤も心の有無など、彼等を殺しに来た冥馬にとっては関係のないこと。相手が魔術師だろうがサイボーグ兵士だろうが、大聖杯を奪取しようとする盗人を叩き潰すのが御三家が当主たる遠坂冥馬の役目だ。
「…………………」
「―――――――」
仕掛けず、小川のようにゆっくりと距離を縮めていく。オリバーが背負っている宝具級の神秘を内包した大剣に手をかけた。
冥馬もぎゅっと両拳を握りしめ、いつでも踏み込めるよう半歩下がる。
「せいっ!」
先に動いたのは冥馬。最初の蹴りは防がれてしまった故に、次に狙うは上半身ではなく下半身。下段からの回し蹴りがオリバーの足腰に炸裂する。
並みの人間なら足の骨が砕け散って動けなくなるほどの破壊力だったが、サイボーグであるオリバーは骨まで鋼鉄で出来ているのか倒れることすらなかった。
「いってえじゃねえの。こいつは、お返しだッ!」
オリバーが大剣を背中から引き抜くと、改めてその巨大さに圧倒される。2mもある大男より更に一回りデカいのだ。その大きさは如何程か。サイボーグの腕力であんなものを叩きつけられた日には、人間なんて粉々になってしまうだろう。
その絶望を、冥馬は真っ直ぐ見据える。
「くたばりなッ!」
オリバーが大剣を叩き下ろした。
威力は途轍もないものがあるが、丸太のような大きさの大剣である。その重量は巨大さに比例して途轍もない。サイボーグの常識外の筋力をもってしても、その剣速は十分躱せるレベルだった。
(まだだ……)
しかしまだ回避しない。ここで回避したところで、直ぐに体勢を立て直され振り出しに戻るだけだ。勝利を引き込むには、ただ躱すだけでは駄目なのだ。
(今だ!)
十分に大剣を引きつけてから、ぎりぎりの所で上半身を横に逸らす。
必殺の一撃はギャンブルのようなもの。決まれば勝利だが、決まらなければ一転して窮地を招く。
オリバーは大剣を振り落したことで隙が生まれている。冥馬は渾身の力を込めた正拳突きをオリバーへと叩き込んだ。
元々の冥馬の超人染みた筋肉に魔力を纏わせての突き。だがそれを、
「残念、読めてるんだよ」
「……! これを躱すかっ!」
オリバーは大剣の束から左手だけ離して、その手で冥馬の正拳突きを受け止めていた。
必殺を外せば今度は自分が窮地に追いやられる。その意味を冥馬もまた同じように思い知ることになった。
「おらぁ!」
地面を抉った大剣をその状態のままで打ち振る。大剣の腹に打たれ、冥馬はバレーボールのように吹っ飛んだ。
「ぐっ、ぁ!」
上手く受け身をとり致命的なダメージを回避するが、あの質量とパワーで打ちつけられたせいで全身がボロボロだ。肋骨も何本かやられている。
だがこれでもいい方だ。ありったけの魔力を全力で防御につぎ込まなければ、今の打撃で冥馬は見るも無残な姿になっていただろう。
術者のダメージを察知して、魔術刻印の自動治癒機能が作動する。大聖杯の安置されている大空洞内部という、魔術師にとって絶好の霊地だからだろう。遠坂の土地並みに傷の治りが早い。
にしても、
「これは……体内の魔力が、抜けている!?」
魔力温存のために大それた魔術など使っていない。この戦いで使ったのは全身にかけている〝強化〟が精々だ。
しかし冥馬の消費している魔力量は明らかに強化の魔術で消費した量とは釣り合わない。となると原因として思い当たるのは一つ。オリバーの大剣だ。
「ほう。その様子じゃ気付いたな。お察しの通りだ。この剣の銘は魔戒剣ギャリィオーゾ、魔力を奪い吸収する刃……。貴様等魔術師が作り上げ、操るという『魔術礼装』なんてものなんざ目じゃあない。正真正銘、本物の魔剣だ!」
「……ランサーといいお前の魔剣といい宝具の大量生産だな。ナチスが世界中から聖遺物を収集しているのは知っているが、如何なナチスとはいえそう幾つも宝具級の魔剣を用意できるとは思えない。となると秘密はランサーにあると見るべきか」
言いながら冥馬は烈風と炎を飛ばす。
「効かねえよ!」
炎と風が魔戒剣ギャリィオーゾの刃に触れると、オリバーの言った通り魔剣が炎と風の魔力を根こそぎ吸収してしまった。
「……魔力を奪うというのは嘘じゃなかったようだ」
「それを確かめるために魔術を使ったか。少しは信用して欲しいもんだね」
「みすみす敵の言うことを真に受けていては、キャスターに馬鹿にされる」
余裕をもって優雅に――――外面上は振る舞うが、実際には少しピンチだった。
魔力を奪う魔剣、シンプルな効果だが魔力を扱い奇跡をなす魔術師にとっては天敵とすらいっていい能力だ。
あの魔剣が並みの魔術礼装であれば『神秘はより強い神秘に敗れる』の法則で、単純な馬鹿火力によるごり押しで突破し、剣を砕くこともできただろう。
しかし魔戒剣ギャリィオーゾは上級ではないとはいえ正真正銘の宝具だ。魔術師の魔術礼装程度の神秘で、宝具の神秘を打ち破ることなど不可能だ。
例え冥馬がもつ全ての宝石を使っても傷をつけるのが精々。最悪無傷で終わるだろう。
そうなるとやはり、
「真に頼りとすべきは鍛え抜いた己が肉体ということか」
相手が魔術の天敵たる魔剣をもつのならば、魔術ではなく武術をもって応戦するのみだ。
オリバーの右目、緑色の義眼が鈍く発光する。
「いざ――――!」
「来い、遠坂冥馬!」
魔戒剣ギャリィオーゾに触れれば体内の魔力を奪われる。とはいっても触れた瞬間に根こそぎ全魔力を奪われるわけではないし、そもそも躱してしまえば効果は発揮しない。
冥馬は大剣の台風を躱しながら、オリバーの懐に潜り込もうとする。単純な力比べなら巨躯は小躯より有利だが、回避なら小躯の方が巨躯より有利だ。オリバーの大剣は冥馬を捉えることができず、空振りを続ける。
「そこだ!」
冥馬とオリバーの距離は半歩。ここまでくれば剣技ではなく肉弾の距離だ。冥馬はストレートな前蹴りを繰り出した。
オリバーの右眼がまたも輝く。
「ハッ! 無駄なんだよ! お前の動きはお見通しだ!」
「なに!?」
あろうことかオリバーは完全に冥馬の動きを見切っていた。まるで先読みしたかのように、オリバーは冥馬の蹴りを掴む。
「死にな」
パカッとオリバーの胸元が開く。人間にとって心臓があるべき場所から、サイボーグ用に改造されたゾロターンMG30機関銃が顔を覗かせた。
(不味い!)
右足を掴まれて動けない冥馬はさながらまな板の鯉。このままではバナナみたいに吊るされたまま無残に蜂の巣にされてしまう。
「死ねィ!!」
「甘い! 足首を掴んでいなかったのがミスだったな。遠坂家秘伝、緊急離脱!」
スポッと靴から足を抜いて脱出すると、横合いに飛び退く。少し遅れて機関銃の弾丸がぶちまけられた。
「ええぃ! 姑息な真似を!」
オリバーが横合いに飛んだ冥馬を機関銃で追撃するが、宝具級の弾丸でないのなら例え『否定』の概念がこもっていても魔術で防御はできる。
切り札の宝石一つ分を使った防御壁で、機関銃の弾を防ぎきった。
「はんっ! 見っともなく避けおって。だがよもや遠坂家の御当主様とあろう者が靴を脱いで逃げるとは、なんともマヌケじゃないか」
「みっともないのは承知しているが、体中が風穴だらけになって風通しがよくなることに比べたらマシだ」
「それはそうだ。だが同じ手が二度も通じると思うなよ。貴様のその動き……確かに我が脳髄に保存した」
緑色の義眼が冥馬を見据えながら点滅する。よくそれを観察すると、なにやら瞳の中で奇妙な極小の文字列が浮かんでは消えていった。
「保存――――やはり貴様、その右目。俺の動きを……」
「ご名答だ。俺は対魔術師用に近接戦闘特化仕様の改造を施されたサイボーグ。俺の右目は相手の動きを逐一収集し、メモリーに保存する。その集めた情報により、俺は擬似的な先読みを可能としているわけだ。
遠坂冥馬、貴様は強い。研究費用を稼ぐため封印指定の執行者の真似事をするだけはある。だが如何せんお前は自分の力を惜しげもなく晒し過ぎた。
外道の魔術師や化物の討伐でお前が披露した戦闘技術。そしてこの聖杯戦争中でのお前の戦いぶり。全てこの目で記録保存させて貰った。俺にはお前の動きが手に取るように分かるぞ」
「ほう。だったら俺が次になにをしようとしたか当ててみろ」
「簡単なことだ。お前がこれからやる行動の候補は二つだ。
一つは俺の撃破を狙う選択。お前はこれまで武術的に勝る敵には武術で、魔術的に勝る相手では武術をもって打倒してきた。だが俺に魔戒剣ギャリィオーゾと先を読む目がある以上、お前は近距離戦闘の武術、遠距離戦闘の魔術。どちらにおいても不利な戦いを強いられる。
ならばその逆。本来なら肉弾戦を挑む距離たる近接で、敢えて魔術戦を挑む。これまで遠坂冥馬が一度としてやったことのない戦術であれば、俺のメモリーにも記録されてはいない。俺の先読みを無効化できる、とお前は考えている」
悪くない手、一見するとそう思える。しかし超至近距離での魔術戦は、ほんの微かなズレが死に直結する極限の魔術戦だ。余りにもリスクが高すぎる。
「…………」
「もう一つは撃破を狙わない選択。あくまで俺との戦いは時間稼ぎにのみ専念し、アーチャーがランサーを倒して駆けつけるのを待つか、或いは令呪でキャスターを呼ぶか。自身で勝てないのならばサーヴァントを使う道。
だが時間が押している以上、お前としては一刻も早く俺を倒したい。故に前者の方に心が傾いていた。違うか?」
「――――――」
見事なまでに大正解だ。これから冥馬がやろうとしてことを完璧といっていいまでに予測しきっている。
少しばかりナチスの科学力を舐めていたかもしれない。よもやこれほどとは。
「…………」
オリバーは遠坂冥馬のこれまで見せた戦闘データを完全に解析しきっている。
今の今まで冥馬が使ってきたカードをどう組み合わせてもオリバーに勝つのは難しい。だとすれば、
「出し惜しみなど、してはいられない、か」
丹田まで息を吸い込んでから、大きく吐き出す。
呼吸を整える冥馬は、大地を蹴って再び2mの鋼鉄の巨人に真っ直ぐ突っ込んでいった。
完璧にこれまでの『遠坂冥馬』のデータを収集しきっているオリバーは嘲笑する。
「これだから思考回路がアナログな奴は愚かなんだ。至近距離での魔術戦なら動きが読まれない? 浅はかにも程がある。例えお前が気近距離で魔術戦をしたというデータがなくとも、収集された格闘戦と魔術戦のデータから動きを予測することは可能だ!」
完璧なデータによって叩き出される完全なる先読みとは異なる、最も可能性の高い未来を導く予測。だが数瞬先の未来が全てを決する近接戦において、未来予知ではなく未来予測でも十分脅威だ。
だがそうと知りつつも冥馬は止まらない。破れかぶれ――――とオリバーには見えた――――特攻に、オリバーは嘲りの色を深める。
「はっ! 例え動きが予測されていたとしても、重い大剣での攻撃なら躱すことはできる――――と、思っているんだろうが、その考えはシュトーレンのように甘い」
オリバーは〝魔力を吸収〟するという魔術師にとっては天敵となるであろう大剣を、敢えて背中に背負い直す。
対魔術師のアドバンテージの一つを失う代償に、オリバーの両手がフリーになる。どれほど速い相手だろうと、両手が自由に使えて、しかも動きが予測できるのであれば捕まえるのは難しいことではない。脳味噌がハイテクなサイボーグらしい、非常に合理的で無駄のない行動だった。
しかし、だからこそ読み易い。
「お前こそデータさえ集めればなんとかなるなんて、少し武術を舐めていやしないかい?」
「な――――」
距離を詰めたところで唐突に冥馬の動きが完全に変わる。
魔術回路は強化の魔術に費やしたまま。新たな魔術を使う予兆もない。だが冥馬がオリバーの知る『遠坂冥馬』のデータにはない動きをとった。
さながら甲虫が蟷螂になるように。武術は変わらずに武術の種類だけがガラリと変わった。
「双纒手!!」
オリバーの両手のガードを、門を開くようにこじ開けると、足腰の力を両手へと送り渾身の双打を喰らわした。
「な、がっらぁあああああああああッッーーーーーー!」
流石はサイボーグ。オリバーは他の兵隊のように吹っ飛ぶことはなく、地面に両足を陥没させながら、その場でどうにか堪えた。
「ば……馬鹿な! 貴様の使う武術は遠坂家に伝わる古流武術のはず! それは言峰璃正と同じ八極の動き!? 何故貴様がその動きを! 貴様が八極拳を使った情報などどこにもありはしない!」
「自分の力を大っぴらに誇示するような馬鹿、魔術師としては三流だ。魔術師なら本命は誰にも明かさないものさ。そら、休んでいる時間はないぞ」
「クッ、フフフフフ。だが宛てが外れたな遠坂冥馬。お前が八極拳を使ったのにはちと驚いたが、八極拳は言峰璃正が修めた武術。そのデータも私の中には入っている。そのデータを用いれば、貴様の動きなど容易く再構築できる!
これがナチスの生み出した最新のテクノロズィー! 最新の科学力によるデータ収集と、無駄なくプログラミングされた動き。これこそが最新のテクノロズィーによって生まれた最強の格闘術! 最強の武術!
アナログな石器時代の遺物などに頼っているお前など、私からすれば――――――ぐぼぁ!」
ペラペラと自分の性能を喋るオリバーの顔面に、八極拳でもこれまで冥馬の使っていた武術とも似ているようで違う蹴りが炸裂する。
冥馬の父・静重から叩き込まれた武術と、大陸を放浪しながら身に刻んだ数々の武の合理。それらを混ぜ合わせて生まれた、どれでもない未知の技。冥馬が八極拳を使うことすら知らなかったオリバーに分かるわけがない。
「武術は魔術とも科学とも違う」
自分で自分の呼吸を意図的に乱し、オリバーの計算にない動きをしながら鳩尾に肘を喰らわす。
「魔術のように最古の技法が新きに勝るわけではない、科学のように最新の技法が古きに勝るわけではない! 古きは新しきを取り入れ、新しきは古きを取り入れ、時代と共に千変万化する不変の術理! それこそが武術ッ!」
「ぬおおおおぉぉ! だ、だが私の全身の装甲は鋼! 拳では打ち砕けんわ!」
最新科学の結晶であるオリバーは、怒涛の猛攻撃にも耐えきった。
なるほど鋼の装甲であれば拳で打ち砕くのは至難の技だろう。ならあの装甲を打ち砕くに足る至難の技を使うのみ。
「この世に最強の武術などありはしない。もし武術の世界において最強があるとすれば、それは最強の武術ではなく最強の武術家のみ!」
宝石に込められた魔力が、遠坂冥馬という人間にある種のエネルギーを纏わせる。
極みに到達した真の魔拳士ならば天地と一体となり、大地の気を吸い上げただろう。だが冥馬にはそこまでの力量はない。故に足りないものは己の魔術の業で補う。
オリバーに迫った冥馬は山を掻き毟る虎のような動作をとり、
「猛虎硬爬山ッ!」
八極の絶招が一つ、目にも留まらぬ連続の攻撃。どれほど頑強な城門をも打ち破る奥義は、オリバーというサイボーグの鋼の鎧を完全に打ち破っていた。
全身からスパークを撒き散らせながら、鋼の装甲をグチャグチャにされたオリバーは膝をつく。
「俺がこれまでの人生で見た限り最強の武術家の得意とした必殺の套路だ。どうだ? 人の肉体のみによる武術の味は?」
オリバーは応えない。
体からはオイルが漏れ出し、ギチギチと割れた部品が歯車に挟まるような音が響く。機械には疎い冥馬の目から見ても、オリバーという存在を、吸血鬼に勝るほどの怪人へと変えたナチスのサイボーグ技術は壊れていた。
点滅を繰り返していた緑色の右眼が、やがて永久に光を失う。
「……まだ立つのか?」
だというのにオリバーは立ち上がった。色を残した青い左目には、先程までの荒々しくも機械的だった殺意とは異なる、もっと澄み切った純粋な色が宿っている。
オリバーの誇った最新技術は壊れた。これは間違いない。では機械を壊されて尚も立ち上がったオリバーに残っているものとは、果たしてなんだというのか。
「ふ、ふふふ。最強の武術はなく在るのは最強の武術家のみか。俺は――――強くなりたかった。誰よりも強く。だがどれだけ肉体を苛め抜いても超えられぬ壁にぶち当たり、その壁を壊すために私は己の体をナチスに差し出した。
人間の体などなくなってもいい。俺の血管が脈動しない電線にかわろうと、俺の血が油臭いオイルになろうと、俺の心臓が物言わぬエンジンと成り果てようと、強くなれるならばそれでいいとな。
だが不思議なものだ。そこまでやって〝力〟を手にしたというのに、その力をお前に打ち破られてどこか清々しい気持ちだ」
オリバーは朗らかに笑うと、大地に転がる大剣を拾い上げて構えた。
「最期に頼みがある。ナチスのサイボーグとしてではなく、俺を人間として死なせてくれ」
「虫のいい話だ。人にモノを頼むのなら、せめて名前くらい教えて欲しいものだな」
「既に名乗っただろう。オリバーと?」
「嘘が下手だな。それはナチスから与えられたサイボーグとしての名前だろう。あるんだろう、ちゃんとした人間の名前が」
オリバーは少しだけ驚いた顔をすると、懐かしむように口を開いた。
「ローレンツ、ローレンツ・オルトヴィーン・リバー」
「覚えておこう」
自分のもてる全ての力を右手に込めて、冥馬は大地を蹴る。
交錯は一瞬。オリバーが大剣を振り落すよりも早く、冥馬の右手はオリバーの体を貫通していた。自分の敗北を噛みしめたオリバーは、敗北の悔しさと敢闘の清々しさを浮かべると目を瞑る。
冥馬は拳を引き抜き、倒れ掛かったオリバーを支え、ゆっくりと地面に寝かせる。
「………………」
強さを追い求めた末に、己の魂と肉体をナチスに売り払った男は死んだ。最後の最期に人間としての尊厳を取り戻して。もしかしたら自分がこれまで破壊してきたサイボーグたちにも、なにか魂を売り払うほどの決意があったのかもしれない。
(いけないな。こんなこと考えても仕方ないというのに)
らしくない感傷を振り払う。死んだ者達を悼んでいる時間はない。生きている自分は先を急がなければ。こうしている間にもダーニックの計画は進んでいるのだ。
脱ぎ捨てた靴を拾って履き直した。そして戦いのせいであちこちが破れてしまったスーツを脱ぎ捨てると、冥馬は空洞の奥へと進んでいく。
その背で死闘を繰り広げた〝人間〟が爆発し、躯を天へ送った。