対魔術師用近接戦闘特化サイボーグ、オリバーを撃破した冥馬は更に空洞の奥深くへと足を進めた。
もう空洞にいた兵は全て倒してしまったのか、妨害する兵士たちが現れることはなかった。
そして冥馬は遂に百五十年もの昔、三人の賢者が集まり『大聖杯』という奇跡を生み出した地に到達する。
初代当主、遠坂永人とその娘。奇跡の誕生に立ち会った先祖から時が経ち四代目。遠坂冥馬は百五十年ぶりに聖域に足を踏み入れた遠坂の末裔となった。
本当ならばこの地に踏み込むべき者は、御三家の悲願を遂げた者のみ。己の主義から聖杯をもって悲願を叶える気のない冥馬にとっては、生涯訪れるはずのない場所だった。
奇妙な因果というものだろう。悲願を叶えるつもりのないマスターでありながら、悲願の成就を求めた数多の魔術師が到達することのなかった場所に、遠坂冥馬は来てしまっている。
「おっと。いけないいけない」
感慨に耽ってはいられない。自分がここに来たのは、聖杯を鑑賞するためではない。遠坂の四代目当主として、ナチスドイツの暴虐を阻止するために来たのだ。
冥馬は大聖杯の真下でそれを見上げている、白い外套を羽織った男に近付いていく。
「柳洞寺以来になりますね、遠坂冥馬殿。貴方ならばあらゆる障害を突破してここに至るだろうと、なんとなく予感していました」
あくまでも背を向けたまま、聖杯戦争始まって以来の大泥棒は慇懃に言った。
隙だらけ。まるで殺して下さいと言わんばかりの無防備。だがそれを真に無防備と見て襲い掛かるほど冥馬は短絡ではなかった。
八枚舌と怖れられ魑魅魍魎渦巻く時計塔で生き抜いてきたダーニックともあろう男が、なんの対策もなく隙を見せるはずがない。
もしも万が一冥馬がダーニックを殺すべく近付けば、その瞬間になにかが冥馬のそっ首を切り落とすだろう。
「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア……まったく口惜しいよ」
「なにがです?」
「本当なら俺は遠坂静重の子として、父を殺したお前とナチスに報復をするつもりだった。お前等全員生きては帰さない、なんて決意すらもっていたくらいさ」
「それはまた穏やかではない」
「昔、父に一発殴られたら十発殴り返してやれと教わってね。今思えば冗談交じりの激励だったのだろうが、子供の頃の俺はそれを真に受けた。以来、大人になるまで子供の頃の父の教えを忠実に守り続けてきた。
今回はほら、殺されたのが父親ときている。他人からすれば父などただの赤の他人だが、俺にとってはそうじゃない。人としては掛け替えのない親で、魔術師としては得難い師だった。
そんな人物が殺されたんだ。これはもう殺した相手を皆殺しにするくらいしか報復のしようがないだろう。
俺にこんな教えを授けたのは父上だから、文句があったのなら父へ言ってくれ」
「あの世で、ですか」
「そうかもな」
とぼけたように冥馬は肩を竦める。だが明らかな殺意を向けられ、物騒な会話をしながらも、ダーニックが振り返る様子はなかった。
その姿はさながら大自然の生み出す芸術に立ち会った旅人のよう。カメラをもたない旅人は、自然の奇跡をカメラではなく己の脳裏に焼き付けようと、他の一切を無視してそれを視ることに全神経を傾けるものだ。
「しかし貴方は遠坂静重の子として此処へ来たのではないのでしょう」
漸くダーニックが振り返る。
ギリシャの彫刻のような美しい顔立ちで穏やかに微笑むその姿は。とてもではないが追い詰められた人間のものではない。近いものをあげるなら、園遊会で談笑する紳士のそれだ。
冥馬もダーニックに対抗するかのように、貴公子のように温かい笑みを浮かべながら、
「その通り。私は遠坂静重の子である以前に遠坂四代目当主だ。私は遠坂の後継者として、大聖杯を盗もうなんて企てる稀代の泥棒たちの野望を阻止しなければならない。それが父より当主を継承し、魔術の薫陶を受けた者に課せられる義務というやつだ」
ポケットに入れてあった宝石を握りしめ、いつでも攻撃でも回避でもできるような構えをとる。
「お前達の企てもここまでだ。討たせて貰うぞ」
「ふっ、あはははははははははははははははははははははっ!」
哄笑が大空洞に反響する。
冥馬の目の前で対峙しているダーニックは薄笑いを浮かべているが、声に出して笑ってはいない。笑い声の発生源はダーニックの立つ場所より更に奥だ。
余りにも自然に置かれているせいで、露骨に不自然だというのに気付かなかった。
大空洞内にポツンと置かれたすりガラス。その向こう側では、男性と思わしき人影が椅子に腰かけながらこちらを見ている。
「お前は――――」
「いや失敬失敬。こうして話すのは初めてだねぇ。ミスタ・トオサカ。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬。ロディウス・ファーレンブルク、ナチスでしがない大佐なんてやっている元時計塔の魔術師だよ。しくよろー」
「し、しく? なんだって?」
「知っての通りナチスは彼、ダーニックと協力関係でね。彼の望みである一族の繁栄を叶える対価に、こうして我が軍の力を彼に貸しているんだよ」
「…………」
ダーニックが単独でナチスを操っているわけではないと思っていたが、こんな場所に親玉がいるのは予想外だった。てっきりナチスの軍隊を率いている親玉は、安全な所でぬくぬくとしていて指示を出しているだけだと思っていただけに驚きは一入である。
ダーニックはロディウスの話しに割って入る非礼を警戒してか、静かに黙り込んでいる。
「一族の繁栄か。今のナチスが本気でバックになれば、魔術師の家一つを貴族にすることは難しくはないが……それはナチスが力をもっている間だけの仮初のものだぞ」
「そんなこと言われなくても、私も彼自身も知っているさ。だからこそ第三帝国が永劫不滅の千年帝国を築き上げ、ユグドミレニアの繁栄を盤石のものにするためにも、彼は我々にシンボルを――――大聖杯を手に入れさせようと奮闘しているんじゃないか」
「大聖杯をシンボルに……? ナチスの?」
「贋作とはいえ、それだけの価値と力がここの聖杯にはある。そうだろう? 三人の賢者たちの末裔よ」
「――――――」
荒唐無稽な与太話と切り捨てたいのは山々だが、大聖杯のことを知る冥馬にはそれが出来ない。
冬木の大聖杯は偽物だ。だが偽物であるが故に、持ち主を選ばないという一点において本物以上に優れている。
世界各地から聖遺物を掻き集め、表ではなく裏世界においてもその権勢を広めつつあるナチスが大聖杯を手にすれば、千年帝国という夢物語が夢ではなくなるかもしれない。
「遠坂冥馬。これまでの君の奮闘ぶりは私も見させて貰った。確固たる決断力、臨機応変な柔軟性、魔術師としての才能、武術家としての力量。多少うっかり屋なところが玉に瑕だが、君の実力はべらぼうに高い。
こんなことを言うとダーニックがへそを曲げてしまうかもしれないが、間違いなく聖杯戦争に集った魔術師たちの中で君は最高のマスターだろう。
そこで提案なんだが、君もダーニックと一緒に我々の側につくというのはどうだい?」
「なに?」
これはダーニックにとっても予想外だったのが、眉が動き両目をロディウスへと向けた。
だがロディウスを立てたのか、ダーニックはなにか意見を言うこともなく沈黙する。
「君ほどの傑物なら親愛なる総統閣下も気に入るぞぉ。時計塔なんてかび臭い場所に閉じこもっていないで、私達と一緒に世界を相手に大暴れしようじゃないか。
なによりも君が味方になってくれたら私たちの障害もなくなるし、我々としても楽ができる。どうだい、中々に良い提案じゃないかと思うのだが」
「断る」
「はっはっはっ。だと思った。じゃ、そういうことで」
あっさりと冥馬の拒絶を受け入れると、ロディウスのいる所からパチンと指が鳴った。
大空洞の天井に蜘蛛のように潜んでいた『ある物』がその音を察知して、地響きを鳴らしながら飛び降りてくる。
(こんなものが天井にへばり付いていたのか)
大空洞に入ってからナチスには驚かされることばかりだ。
降り立ったのは鮮やかな金色の髪をもつ青い瞳の男だ。だが大空洞の天井から着地するなんていう異常極まる身体能力からして、ただの人間ではなくサイボーグの一体だろう。オリバーより背丈は一回りほど小さく、またオリバーにはあった人間味も一切ない。あるのは他のサイボーグと同じ機械的な無機質さだけである。
しかしダーニックが自分達を守る最終防衛線として用意したサイボーグだ。ただの量産型であるはずがない。
『製造番号KN451046、固有名称クリストファー・フリードリヒ。愛称クリス。現時刻02:22、おはようございます。ファーレンブルク大佐、ダーニック様。御命令をどうぞ』
ナチスの軍服を纏う機械兵士は機械的な合成音で喋った。
「クリス、命令だ。大規模転移術式を起動し大聖杯の移送が完了するまで、移送を妨害するありとあらゆる障害を抹殺しろ。まぁ要するに……だ。
遠坂冥馬とそのサーヴァントを皆殺しにしてくれれば万事問題ないんじゃないかな。ただ大聖杯は死んでも傷つけないように」
『承りました、大佐』
ロディウスが指令をインプットすると、サイボーグ――――クリストファー・フリードリヒの両眼に強烈な光が点灯する。
瞬間、クリスが掌から緑色の破壊光線を飛ばしてきた。
「っ!」
クリスはあくまでも機械だ。人間やサーヴァントすら人を殺す時に殺気や殺意を発するというのに、栗栖にはそれがない。心のないサイボーグにとって殺人という行為はただの作業に過ぎないのだ。
そのせいで冥馬の反応が一瞬だけ遅れる。
「ぐっ……!」
腕を霞める光線。破滅の緑光は冥馬の右腕を僅かに食い破ってから、大空洞の壁に着弾する。振り返らずとも爆発音から光線が壁を抉り取ったのが分かった。
万が一冥馬の反応があと少し遅れていれば、冥馬の右腕はこの世から消滅していたことだろう。
『第一射にて目標が未だ生存しているのを確認。目標のデータを検索……完了。遠坂家四代目当主、遠坂冥馬であることを認識。
目標の戦闘データから、遠坂冥馬は射撃武器を躱す技能に優れていると推測されます。これより遠距離からの殲滅から、近距離での排除行動に移行します』
クリスの背中の一部がパックリと割れて、そこからオリバーの背負っていたのと同種の二対のロングソードを抜いた。
『対象が魔術師であることを考慮し対魔術師に優れた武装を選択します。装着、魔戒双剣ギャリオージ』
名前からしても気配からしても、あれはオリバーの魔戒剣と同様の性能をもつ剣なのだろう。だとすれば魔術による攻撃は効果が薄い。
冥馬は宝石を一時しまい、いつでも回避ができるよう構える。
『排除開始』
「――――――!」
そこで冥馬は己の間違いに気付いた。
クリスは疾かった。ただ速いのではない。足の動かし方やスタートの瞬間まで、全てが人を殺すための人型人形として理想的な運動だった。
最適の技術と埒外の運動力、これが合わさった時に生まれる速度は風そのもの。
頭で考えたわけではない。ただクリスの埒外の――――下手すればランサーを超えるほどの――――疾さに、反射的に体が飛び退いていた。
それは最良の判断だったといっていいだろう。
『第一撃……排除失敗』
ランサーの速度で迫ったクリスは、セイバーの太刀筋で双剣を降りおろし、バーサーカーの腕力で地面を抉り取っていた。
戦慄する。サーヴァントというマスターにとって最大の戦力を失いながら、ダーニックがあそこまで余裕のある態度を崩さなかった理由を、目の前の現実を見て聞いて感じて完全に理解した。
なんのことはない。至極単純極まる理屈だ。
サーヴァントを超える強さの化物を擁しているなら、サーヴァントが相手だったとしても臆することはない。
『これより目標が完全沈黙するまで排除行動を続行します』
クリスが再稼働を始める。
それを見た冥馬はラインを通じて状況を確認することもなく、ただ大きく魔力を張りつめながら叫んだ。
「来い、キャスター!」
マスターに与えられた三つの絶対命令権のうち一つが雲散する。莫大な魔力の塊が魔法級の奇跡をここに実現し、
「随分と急な呼び出しだな、マスター」
遥かな帝都・東京より、ここ冬木・大空洞に魔術師の英霊を呼び出した。