いきなり帝都から大空洞に転移させられ、規格外のサイボーグと対峙させられながらも、キャスターには驚きはあれ取り乱した様子はない。落ち着き払って、正体不明の敵兵を見据えている。
戦場に新たな標的が出現したことで、クリスの動きが一時的に停止し、その目線がキャスターへ向けられた。
『目標、遠坂冥馬を守る新たな敵影を確認。照合………敵の顔と装備がサーヴァント、キャスターのものと完全一致。目標排除のための障害として、新たにキャスターを排除対象と見なします』
「アサシンは兎も角として、聖杯戦争においてサーヴァントはサーヴァントを相手にするのが務めだというのに、またも機械人形の相手をする羽目になるとはな。しかし帝都からアポもなしで呼び出しとは、お前も中々サーヴァント使いが荒い」
「一々確認していたら間に合わなくなったかもしれないんだ。英断と褒めてくれ」
キャスターは皮肉を言いながら、黄金の選定剣カリバーンと無銘の剣、双つの剣を構えた。
双剣――――二刀流というのは珍しくはあれ、そういう流派が存在しないわけではない。だが二刀流というのは、その殆どの場合において両方、または片方が小太刀などの短刀であることが多い。理由はシンプル。通常のサイズの剣を同時に操るなど、真っ当な人間の腕で出来るはずがないからだ。
持つことはできるだろう。振るうことも出来るだろう。だが十全に使いこなすことは不可能だ。満足に扱えぬ双つの剣を使うよりも、一つの剣を操ることを専念した方が遥かに強い。だがキャスターは円卓の騎士の一人として伝説に名を連ねる英雄。凡百の人間に出来ないことも、英霊の腕力をもってすれば可能だ。
それは科学の生み出した怪物たるサイボーグとて同じ。クリスもまた魔を簒奪する双剣を構える。
双剣と双剣。現代どころか古の英雄同士が鎬を削った戦場においても、滅多に見ることのできない希少な構図がここに生まれる。
「気を付けろ。あいつはこれまで倒したサイボーグの比じゃない。速さ一つとってもランサー以上、膂力一つとってもバーサーカー以上の化物だ」
「――――!」
あくまでもクリスを警戒しながらも、冥馬から告げられたクリストファー・フリードリヒの〝性能〟にキャスターは慄く。
冥馬やキャスターは合わせて二回サイボーグとの戦闘を経験している。一度目は柳洞寺で、二度目はここ大空洞で。
サイボーグの中には一部の能力が、サーヴァントに比肩しうる者はいた。けれどそれが同時に限界でもあった。パワーだけ、速度だけがサーヴァントに並んだところで、積み重ねてきた技と業をもつサーヴァントにそうそう敵うわけがない。
だがクリストファー・フリードリヒはそうではないのだ。
技量に限っていえば幾ら記憶回路に優れた剣技のデータを植え付けようと、生身の剣を操るサーヴァントには劣るだろう。
しかし技量を補って余りあるほどの運動能力があるとすれば。サーヴァントに比肩するスペックではなく、サーヴァントを超えるスペックがあるのだとしたら――――技と業なき機械人形はサーヴァントに匹敵、いや凌駕する正真正銘の怪物へと生まれ変わる。
『排除、続行!』
「っ!」
クリスはサイボーグ。キャスターの出方を待つなんて悠長なことはしてくれない。どこまでも機械的に遠坂冥馬の殺害、それを邪魔するキャスターの殺害というプログラムを実行に移し始める。
虚実も裏表もない突進は、赤いマントをひたすらに追う猛牛のようだった。
(……いや、違う!)
猛牛などでは断じてなかった。
例え突進することしか考えられなかったとしても、猛牛には血が通っている。生命を宿した骨肉がある。だがクリストファー・フリードリヒという血も涙もないサイボーグにはそれがない。
自分の強さを誇ることもなければ驕ることもなく、淡々と自分自身の定めをこなす。迷う、逆らうという思考がそもそも存在せず、一度与えられた命令を果たすまで、自身の破損など構わずに動き続ける。改造人間ですらない。クリストファー・フリードリヒは正真正銘の機械人形だ。
「はっ――――!」
キャスターとて及第点ギリギリとはいえ、剣のサーヴァントの素養をもつ英霊が一人。
ランサーを超える速度だったとしても、反応できないということはない。それがなんの裏もない突進なら猶更だ。
突進に対して敢えてキャスターは前へと進み出て、インパクトの寸前に体を逸らし回避する。
クリスは回避されたことも淡々と受け入れると、人形みたいにその場で回転し、キャスターに双剣という稲妻を落としてきた。
「まるで教本通り。動きが見え見えだ」
双剣をふわりと躱し、隙だらけの横腹にカリバーンを叩き込む。
『左脇腹に衝撃。損傷…………………………皆無』
「!」
クリスを中心にその場で突風が起きた。暴力的なパワーで振られた教本通りの斬撃による風圧が、キャスターを弾き飛ばす。
「まさかパワーどころか防御力もオルランド並みとは。心底、驚いたぞ。ナチスとかいう連中の所には性悪モルガンの転生体でもいるのか?」
鉄をも軽く両断する選定の刃。それを受けながらクリスは全くのノーダメージだった。
破壊力、防御力、速度。その全てにおいて此度の聖杯戦争に集った英霊たちを凌駕する存在。サーヴァントですらないサイボーグがそこまでの性能をもつと一体誰が予想したことか。
『敵損傷皆無。これより目標が沈黙するまで排除行動を続行します』
クリスの胸元に緑色の粒子が集まりだす。無数の緑色の球体がクリスの周囲に浮かんだ。
『発射』
クリスが言うと、球体は無数の弾丸となって散弾銃のように襲い掛かってきた。
冥馬とキャスターが回避したところで、敵が動かなくなるまで殺し続けると決めたクリスは容赦の二文字がなかった。
散弾銃めいた魔力の雨を降らしながら、緑の両目からは高密度・高エネルギーの光線を放ってくる。
しかもクリスは固定砲台ではなく移動砲台。サーヴァントに致命傷を与えうる威力の攻撃をばら撒きながら、双剣を持って向かってくるのだ。
その暴れっぷりは完全にこれまで戦ったサーヴァントたちを凌駕している。
「ちっ。デカブツが!」
魔術では魔戒双剣に簒奪されてしまい、敵を利するのみ。そうと知ったキャスターは嘗てオルランドと対峙した時と同じように、手から炎を出すという戦法をとった。
キャスターの両掌から噴出した炎は、意志ある蛇となってクリスに殺到していく。
宝具による炎といえど魔力によって顕現しているという一点においては、魔術と変わりはない。魔戒双剣は火炎放射の魔力も吸収していくが、炎の蛇は這いまわるように動き双剣を掻い潜るとクリスの全身に纏わりついた。
最大出力の火炎放射。獄炎がクリスの体を焼いていく。
「少しは堪えたか。屑鉄」
「いやキャスター。俺も目を疑いたくなることだが、あれは全然へっちゃらのようだぞ」
宝具の炎に包まれながらもクリスは平然としていた。
クリスの皮膚――――に擬態されたサイボーグの装甲は、キャスターの炎すら完全に防ぎきってしまっている。
『全身に高温の炎。検索……終了、該当魔術なし。炎の正体はキャスターの特異な能力、または宝具によるものだと思われます。被害皆無、戦闘続行問題なし。排除続行します』
炎を浴びていることなどお構いなしに、クリスがこれまでと同じ攻勢に出ようとした。
だが、
「炎が駄目なら砲弾はどうだ?」
轟音を響かせながらクリスに襲い掛かる鋼鉄の十連弾。砲弾の勢いと炸裂による爆風が、クリスのパワーをもってしてもその場に踏みとどまることを許さず、その巨体を弾き飛ばした。
冥馬は顔を綻ばせる。
この上なく頼もしい援軍だ。此度の戦いに大砲を自由自在に操るサーヴァントなど一人しかいない。
「アーチャー! 来てくれたか!」
「すまなかった。暫し……遅れた」
ランサーとの戦闘でついた煤の汚れすら、英雄の精悍さを際立たせる装飾にしかならない。キャスターに少し遅れて、間桐狩麻に仕えた騎士。アーチャーが戦線に加わった。
まるで光芒に包まれているような安心感を感じる。絶体絶命の窮地に数万の援軍が駆け付けてきた指揮官は、きっと今の自分と同じ気分を味わったのだろう。
「帝都にいる俺が真っ先に駆けたというのに、一緒に大空洞に来ていたお前は遅刻か。皇帝というのはいいな。遅刻を叱る者がいないのだから」
「今の俺は皇帝じゃない。ただのボナパルト……否、一介のサーヴァントのアーチャーだ。その皮肉、叱責として受け入れよう。手始めにあの機械人形を打ち倒しす功績をもって、遅れた罰の相殺としようか」
砲弾に弾き飛ばされたクリスがゆっくりと起き上がる。
信じ難いことにアーチャーの砲弾十連発を喰らいながらも、クリスには一切のダメージが通っていなかった。
(オルランド並みの防御力というのは俺のミスだ)
冥馬は静かに自分の過ちを認識する。
クリストファー・フリードリヒはオルランド並みの防御力など持っていない。オルランド以上の防御力を持っているのだ。
これには険しい顔をせざるを得ない。しかし、
「キャスター、アーチャー。いくぞ」
「オーケイだ、合わせろよ」
「――――任された。今日のボナパルトは本気を超える。ライダーと比べればそうおっかない相手じゃない。嘗て制した相手だ。この勢いにのれば必勝を確約しよう」
キャスターとアーチャー。この二人のサーヴァントが手を汲めば、如何に相手がサーヴァントを超えるスペックの機械の怪物だったとしても負ける気がしない。
本来敵同士の二騎は肩を並べて怪物へと立ち向かっていった。
自動車に揺られながら、木嶋少佐はぼんやりと窓から流れゆく帝都の景色を眺める。
朝から昼ごろは騒がしい通りも、太陽が完全に地平線に沈み夜の暗闇が支配する現在は完全に無人だ。
だから陸軍の車両に護衛された自動車の行列が通ろうと、誰もそれを注視する者はいない。仮に見ている人間がいたとしても、その行列から漂う只事ではない雰囲気を察知して見て見ぬふりを決め込むだろう。
(どちらでもいいことか)
空虚な視線を窓の奥の景色から、隣にある木箱へと移す。
この木箱の中にあるものこそ小聖杯。リリアリンダ・エーデルフェルト、セイバー、キャスターが三人がかりで冬木から奪還しにきた聖杯戦争の鍵というべきものである。
木嶋少佐は魔術を含めた裏の世界について知ってはいるが、魔術回路を一本も持っていない普通の人間だ。
だから木嶋少佐には『小聖杯』もただの美しい杯にしか見えないが、本物の魔術師が目にすれば全く別の感想を――――感動を覚えるのだろうか。
らしくもなくそんなことを思った自分が滑稽で、木嶋少佐は苦笑する。
「どうかされましたか、少佐?」
そんな木嶋少佐を不審に思った部下の一人が尋ねてきた。
「なんでもない。それより目的地までは後どれくらいだ。相馬少尉からの最後の報告によれば、既に追っ手はこの帝都まで来ている。それもセイバーとキャスター、サーヴァントが二騎だ。
急がなければ我々はサーヴァントを相手にすることになるぞ。それは君も嫌だろう」
「……………臆病者と罵られることを覚悟して本心を話すのならば。はい、相馬少尉とライダーを抜きにサーヴァントと戦うのは避けたいところです」
当初サーヴァントなど所詮は過去の人間の再現、過去の英雄など最新の兵器で装備した軍隊にとって雑魚に過ぎない、とサーヴァントを見くびっていた兵士達もこれまでの戦いを通して考えを改めている。
例え実体化していようといなかろうと魔力のない物理攻撃は一切効果がなく、毒ガスをばら撒こうと徹甲弾を打ち込もうと無傷で生還するサーヴァントは、兵士達からすれば悪夢そのもの。
魔術師ではない木嶋少佐にサーヴァントシステムの詳細な仕組みなど欠片も理解できないが、ただ軍事的戦力として見るにサーヴァントは最強最悪の人型兵器だった。
(もっとも私の目的は既に完了しているのだがね)
他のマスターとサーヴァントを引き付ける為に小聖杯をもって帝都へ行く。
木嶋少佐がナチスと交わした取引はこれまでだ。皇居に聖杯を移送するなど、相馬戎次や部下達に上層部を納得させるための方便に過ぎない。
この仕事が終われば木島少佐は、ナチスとダーニックから一戸建ての豪邸と大金を貰える約束となっている。
付き従う兵士達や相馬戎次は純粋に国の為に戦ってきたのだろうが、木嶋少佐はこの国がどうなろうと知ったことではない。
滅びるなら滅びれば良いし、どこかしらの属国になるなら属国にでもなればいい。少なくとも一人の軍人として予想するに、これから起こる戦争に勝利して日本が世界に覇をなすということは先ずないだろう。
脱線事故を起こすと分かっている電車に乗り込む馬鹿がいないように、亡国を迎える可能性がある国は一刻も早く切り捨てるのが賢明な判断というものだ。
が、賢明な判断をした者が必ず報われるとは限らないのが世界というもの。
「見つけた!」
皇居へ向かう自動車の行列に、赤いドレスを着た一人の魔女が躍り出る。
ツーサイドアップの金色の髪をなびかせ、少女は――――リリアリンダ・エーデルフェルトは三つの宝石を投げつけた。
「少佐! 伏せて!」
「必要ない。奴は小聖杯を取り戻しに来たのだ。小聖杯のあるこの車は狙われん」
ただし狙われないのはこの車だけだ。
宝石に込められていた魔力が消費され、金色の雷が木嶋少佐の車を護衛していた陸軍の車両を吹き飛ばす。木島少佐は眉をピクリとも動かすことなく命令する。
「車を止めろ」
「し、しかし……」
「命令だ」
「は、はっ!」
自動車を止めさせると、木嶋少佐は小聖杯の収まっている木箱を小脇に抱え外へ出た。運転していた部下の兵士も躊躇いつつも銃をもって、上官の護衛のために車外へ出る。
これも国への忠誠心というものだろう。木嶋少佐にとっては忠誠など唾棄するべきものに過ぎないが、忠誠心ある部下というのは実に使える。
「あら。小聖杯まで消し飛ばしちゃ不味いから、貴方の乗っている車は車輪だけ使えなくしようと思ってたんだけど、やけに素直に出てきたじゃない」
敵兵は二十歳にも満たぬ外国人の少女一人。
だというのに木嶋少佐を護衛する兵士は少女一人を圧倒するどころか、逆に圧されていた。
単なる少女と侮るなかれ。リリアリンダ・エーデルフェルト、彼女は魔術師としての出力なら遠坂冥馬をも超える化物。サーヴァント程ではないにしても、その戦闘力は兵士一人とは比べ物にならない。
「少佐。こうなれば逃げられません。魔術師とはいえ人間です。捨て身の覚悟で挑めば、腕の一本くらいは奪えます。どうか命令を」
部下の言葉など木島少佐は聞いていなかった。
「ここらあたりが頃合いだな」
「は? 今なんと?」
護衛の兵士はここで特攻でもして名誉の戦死を遂げる覚悟なのかもしれないが、木嶋少佐はそれに付き従う気は毛頭ない。
戦って確実に負けるとまでは言わないが、わざわざ魔術師という条理の外にある魔人に挑んだところで百害あって一利なしだ。
木嶋少佐は懐から銃を抜くとリリア――――ではなく、自分を守る護衛の兵士の頭を背後から撃ち抜いた。上官に撃たれるなど想像すらしていなかった兵士は、頭を破裂させ地面に倒れる。
「っ! なんで味方の兵士を!?」
「余所見していていいのか。君はコレを取り返しに来たのだろう」
木嶋少佐はニヤリと口端を釣り上げ、脇に抱えていた木箱を空中へ放り投げた。
「まさか小聖杯! まずっ!」
アインツベルンが作った『聖杯の器』なのだから落下くらいの衝撃で壊れるほど脆くもないだろう。しかし万が一落下の衝撃で『聖杯の器』が壊れてしまえば、第三次聖杯戦争は終わりだ。
リリアリンダ・エーデルフェルトは木嶋少佐から視線を逸らし、小聖杯の落下していく場所に走っていった。
「では、さようなら。フィンランドのお嬢様」
その隙に木嶋少佐は止めていた自動車の運転席に乗り込むと、窓から目晦ましの煙幕弾を放り投げ車を発進させる。
リリアリンダが『聖杯の器』を受け止めた時、そこにはもう木嶋少佐と車の影はなかった。