真っ二つに両断され、崩れ落ちた脅威のサイボーグ、クリストファー・フリードリヒ。
あれだけ縦横無尽に暴れまわった狂気の怪物も、動力炉を破壊されてしまえば単なる鉄の塊だ。
「これが魔力炉か。こんなものが無尽蔵のエネルギーを生み出していたなんてな。実物を見ても信じ難い……」
冥馬はクリスだった鉄屑の傍にしゃがみ込むと、完全に機能を停止した魔力炉を拾い上げる。
壊れたとはいえサーヴァントの宝具によって生み出された正真正銘の宝具。魔力炉にはかなりの神秘の残滓が残っていた。
とはいえこうなってしまえば完全にただのガラクタだ。核というものが破壊されていては、修復も不可能だろう。赤水晶のように美しい魔力炉を、冥馬はそっとその場に戻した。
「キャスター。大聖杯に仕掛けられていたっていう大規模転移術式の解除は終わったか?」
「九割といったところだな。こんなデカい魔法陣を土地ごと転移させるなんて発想は大胆不敵というか滅茶苦茶としか言いようがないが、術式そのものは緻密かつ繊細ときている……。
大聖杯の冬木市に張り巡らせた地脈から魔力を吸い上げる機能を利用して、マスターの令呪の効果を大幅に増幅。サーヴァントとの回路を大聖杯の魔法陣に繋げることで、大魔法陣を自身のサーヴァントと誤認させ、令呪による空間転移を行う。
この魔術式を構築した奴はかなりの腕前だな。術式に二人分の魔術式の痕跡が残っているから、恐らくはダーニックとロディウスだとかの共同制作だろう」
「ダーニックとロディウスねぇ」
クリスを倒しナチスとの戦いに制した冥馬たちだったが、ダーニックとロディウスを捕えるないし殺すことまでは叶わなかった。
「ダーニックは戦闘中のドサクサで逸早く逃げ出したのだとしても、一体全体これはなんなんだろうな」
「…………」
ロディウスの影が映っていたすりガラスの向こう側にあったもの。
それは椅子に座ったロディウス・ファーレンブルク本人ではなく、ロディウス・ファーレンブルクの写真を頭部に張り付けただけのマネキンだった。マネキンにはマイクがついており、ロディウスはそのマイクで遠くから冥馬やダーニックと会話していたのだろう。
ロディウス・ファーレンブルクは戦場にはいなかった。替え玉をたてて、遠い安全な所から戦場を見下ろしていた。これはそれだけの事のはずだ。しかし何故だろうか。死神に背後に立たれたような悪寒が消えてくれない。
もしかしたら自分はなにか致命的なことを見落としているのではないだろうか。
(馬鹿馬鹿しい。大聖杯を奪う計画に完全失敗して、サーヴァントとサイボーグさえいなくなったマスターに何が出来る)
サイボーグだけではない。ナチスはこの戦いでかなりの数の兵士も失った。
ナチスがどれほどイカれた連中の集まりだったとしても、同盟国とはいえ他国の日本にばかすか兵力を送り込めるはずがない。外交上の問題もある。
ナチスの兵力は今や物量のみでいっても当初の半分にも満たないはずだ。質でいえば五分の一か十分の一程度かもしれない。
聖杯戦争において、ナチスはこれ以上ないほどの敗北をしたのだ。これは疑う余地のないことだろう。
「後はリリアが上手くやって小聖杯を取り返してくれれば、聖杯戦争は晴れて元通り。
色々とおかしい相馬戎次にしてもライダーは倒したんだし、これからは軍隊の介入なんてない清く正しい聖杯戦争ができる。璃正も喜ぶだろうな、事後処理が楽になって」
「魔術師が清く正しく? 醜く汚くの間違いじゃないのか?」
「それは――――」
「中身が醜く汚いものほど、必死になって外面を美しく着飾るものだよ。戦争も女性もね」
冥馬の言おうとしたことをアーチャーが先に言う。
「だろう? ムッシュ・トオサカ」
「仰る通りで、皇帝陛下」
「ノンノンノン。僕は皇帝じゃなくてプリンス。美しき青薔薇を守護するため遣わされた薔薇の貴公子さ!」
悪戯っぽく笑うその横顔は、紛れもなく初めて見たアーチャーそのものだった。
その横顔を見て、なんとなく冥馬はアーチャーとの別離を悟る。
アーチャーは、ナポレオン・ボナパルトは偉大な英雄でありながら、あくまでも聖杯戦争において一介のサーヴァントとして振る舞っていた。だがそれは間桐狩麻に対してだけのこと。冥馬のサーヴァントとなってからは、一介のサーヴァントではなく、英雄・皇帝として振る舞っていた。
きっとそれはサーヴァントとしてのマスターは唯一、間桐狩麻のみというアーチャーなりの不器用な意思表示だったのだろう。
そのアーチャーが再びサーヴァントとしての顔を除かせたということは、間桐狩麻のサーヴァントに戻るという意志の発露に他ならない。
「ここでお別れだね。ムッシュ」
「……考えを変える気はないのか?」
「ムッシュ・ダーニックの願いを打ち砕くまでの契約、最初にそう言っただろう? 正者の従者は熾天の玉座を目指し、死者の従者は黄泉路へ還る。同盟期間が終わったのなら、速やかに元の形に戻らねば」
生きる遠坂冥馬はサーヴァントと共に聖杯戦争の終幕へと。
死した間桐狩麻のサーヴァントは、その人生の終幕に同伴する。
それが正しい形であるとアーチャーは語った。
「ダーニックは生きているし、狩麻を殺したアサシンも生きているぞ」
「ふふふっ。復讐っていうのは危険だけど、甘美で甘く切ないもの。それ故に人を惹き付けてやまぬ黒き華。とはいえ行き過ぎた復讐は悲劇しか生まない。
我がマスターの希望を摘み取ったダーニックはその野心(希望)を打ち砕き、マスターの命を摘み取ったアサシンにはその矜持(魂)に泥を塗った。
僕の復讐はこれまでだ。これ以上やるのは悲惨な末路を招くだけだよ」
「……ほどほど、か。そうだな。確かに……その通りかもしれないな。教訓として覚えておこう」
最初は逃げたダーニックに追撃をかけようとしていた冥馬だったが、アーチャーの心の言葉を受けて復讐という刃を収める。
殺した敵兵は両手両足の指を合計した数を倍にしても足りない。これだけ殺せば十分すぎるほどだ。アーチャーの言う通り、父の報復にこれ以上固執しても悲劇しか生みはしないだろう。
「俺は君が味方でいてくれた方が心強いんだがな」
本心からの言葉だった。
ライダーが消え、ランサーが消え、帝国陸軍とナチスというイレギュラーが排除された今、聖杯戦争はあるべき元の形へと戻る。
そしてアーチャーとキャスター以外に残っているのが、セイバーとアサシンの二騎だ。
アサシンを相手するにしてもセイバーの打倒を目指すにしても、サーヴァント二騎が味方にいれば非常に心強い。
「聖杯で願いを叶えられるのは、勝ち残ったマスターとサーヴァントの一人ずつだろう。僕と契約を維持し続けたら、誰か一人が無駄働きをすることになるね」
「俺は聖杯戦争を遠坂が制したという事実さえあれば満足だ。願いはキャスターとお前とで分ければいい」
「魅力的な提案だね。でもやはり辞退するよ。僕も君と同じでね。叶えたい願いなんてものは特にないんだ」
「……なんでも良いんだぞ? 第二の生とか、復活してフランスに舞い戻るとか」
冥馬の悪い癖だ。アーチャーという破格の英雄が惜しくて、ついつい無駄と知りつつも引き留めてしまう。しかも自分で分かるほどチープな提案で。
アーチャーもそれに気付いてか、教え子のジョークを聞いた教師のように笑った。
「ははははははははははっ! 君ほどの魔術師が随分と貧困な発想をするんだね。そこまで僕のことを惜しんでくれるのは光栄だけど、ごめんねぇ~。やっぱりその期待に応えられはしないな~。僕は第二の生なんて興味はないし、それに――――」
「それに?」
「一人の英雄が世界を牽引する時代はもう終わった。これからは民衆の中から選ばれたリーダーが民衆と共に世を牽引する時代さ。僕のような英雄はもはやこの時代に必要ない」
「アーチャー……」
「英雄のいない世が、英雄の牽引していた時代より良くなるかは分からない。もしかしたら英雄の時代より悪くなったり、英雄の時代にはなかった地獄が生まれるかもしれない。
だがそれは今を生きる君達の決めることだ。この時代はこの時代を生きる者達のもの。僕は次の時代にバトンを渡した過去の英雄の再生。君達の未来に手を出すなんて野暮な真似はしないよ」
人類史において偉大なる功績を残した稀代の英傑は、そう言って朗らかに笑う。
時代とは過去の人間達の積み重ねによるもの。今の時代に過去の時代の人間が関わってはならない、と。
「なら……仕方ないな」
冥馬はアーチャーをサーヴァントとして引き留めることを諦めた。
アーチャーほどのサーヴァントを、みすみす手放すことが惜しくないといえば嘘になる。だがそれ以上に、冥馬はこの稀代の英雄に対して敬意を示したくなったのだ。
契約完了の同意を得たアーチャーは、自身の象徴たる法典を開く。
「我が永遠の偉業たる法典よ、第四の奇跡をここに示せ。尊き革命の法典」
尊き革命の法典のもつ五つの奇跡の四番目。それは束縛からの解放。あらゆる制約・呪縛・契約を初期化し自由を得る理念の具現。
それはサーヴァントの契約とて例外ではない。
冥馬とアーチャーの間にあった契約のラインが消失する。アーチャーはマスターという鎖と楔を同時に失い自由の身となった。
「これで僕は君のサーヴァントじゃなくなった。どうする? 僕を殺すかい?」
「必要ない。その体ではもう保たないだろうし、再契約する気もないんだろう」
アーチャーは最後の宝具使用で自分自身の貯蔵魔力をごっそりと使ってしまった。
単独行動スキルを有し、マスターなしでも活動できる力をもつアーチャーといえど、貯蔵魔力がほぼ空っぽでは、保ってあと一時間が精々だ。
「感謝する。……ああ、最後に君に伝えるべきことがあった。どうか聞き流さないでいて欲しい」
「なんだ?」
アーチャーは振り返り、
「我がマスター、間桐狩麻は君のことを異性として好いていた」
「……なに?」
予期せぬ告白に冥馬は言葉を失う。しかしアーチャーの眼差しは真剣そのものだった。
「狩麻。消え果た君の想い、確かに届けたよ。……僕の役目はこれで本当に終わりだ。さようなら、遠坂冥馬。短い間だったけど君は中々良いマスターだった。間桐狩麻のサーヴァントとして、彼女の想い人である君の勝利を祈っている」
アーチャーが霊体化してその姿を消す。だがアーチャーが立ち去った後も、冥馬は暫くその場に棒立ちして動けないでいた。