右半身と左半身を綺麗なまでに真っ二つにされ、蒼い騎士は大地に沈む。
セイバーの繰り出した至高の一斬は、サーヴァントの霊核を完膚なきまでに破壊するに足るものだった。疑う余地などはない。キャスターは死んだのである。
在りし日は鮮烈なれど、斃れれば後には何も残らず、ただ人々の記憶にのみ刻まれる。それが〝英霊〟というものだ。教会の地で躯を晒すキャスターも、直ぐにサーヴァントの摂理に従い、この世から幻のように消失するだろう。驚異的な再生能力があるならまだしも、通常のサーヴァントが、右半身と左半身を真っ二つにされて生存できる道理などないのだから。
故にセイバーがキャスターを一瞥してから、己のマスターに勝利を報告するために振り返ったところで誰が責められようか。
「ッ!」
どしゃ、と鈍い音をたててセイバーの腹から黄金の剣が飛び出した。その黄金の剣は明らかに選定の刃カリバーン。キャスターの義弟とされる偉大なる王の担う宝剣である。
「ま、まさか――――――」
さしものセイバーも驚愕で顔を青くし、普段使わない思考回路が嘗てない勢いで回転する。
生きている訳がない。真性の怪物であればいざ知れず、数多くの特異な能力をもつとはいえキャスターは純粋な英霊だ。体を両断されて生きているなど絶対にないのだ。
だというのに、キャスターはそこにいた。
「隙あり……だ、な。セイバー」
不敵に笑いセイバーの背中に剣を突き立てているのは、どこからどう見てもキャスター。右目を爛々と輝かせたキャスターは、右半身だけとなりながらも闘志を剥き出しにしていた。
セイバーほどの騎士が背中に隙を見せるという最大の好機。これを逃してなるものかと、キャスターはより強くカリバーンを押し込んでいく。
「うっ……おおッ!」
ここでどうして右半身だけで生きているのかと深く考えず、直ぐに背中に突き立てられた剣から身を抜くことに全霊を尽くしたセイバーの判断は賢明だったといえるだろう。僅かに回避行動が遅れていれば、選定の刃は完全にセイバーの命を奪い尽くしていたはずだ。
キャスターも必死にカリバーンでセイバーの命を絶とうとするも、右半身だけでは完全に力も入らず、セイバーの後退を許してしまう。
剣から逃れたセイバーは、リリアの前まで飛び退くと、妖怪でも見るような目をキャスターに向けた。
右半身だけとなりながら、尚も命を保ち、牙をむく騎士。セイバーからすれば、そんなキャスターの姿は妖怪そのものにも思えたことだろう。それはリリアも同じだった。
「どういう、ことなの? 体を引き裂かれても蘇るなんて……まさか不死身!? だけどサー・ケイにそんな能力があるなんて有り得ない! それだけの力なら必ず伝承に残ってなければおかしいもの!」
魔力を送りセイバーの傷を塞ぎながら、リリアはキャスターに最大限の注意を払う。
キャスターの真名がサー・ケイだということに気付いてから、リリアもサー・ケイという英霊の伝承について調べ尽くしてきたのだろう。リリアの言葉には確信の色があった。
キャスターの特殊能力はあくまで肉体操作、手からの火を放ち操る、水中行動、治癒不可の傷を与える、全身から熱気を放つなど小細工の域を出ないものばかり。
彼の王ならばいざしれず、体を両断されてから蘇る不死性なんて神秘をサー・ケイはもってはいない。だが事実としてキャスターは生きている。
「体を真っ二つにされても死なない…………小細工……特異体質……まさか!」
そこまで考えたリリアは、やがて一つの答えに辿り着いた。
「まさか……まさか肉体操作で自分の霊核全てを、右半身に移し替えていたっていうの!?」
「…………やれやれ。セイバーが体力馬鹿でも、それをマスターお目敏さが補うのだから性質が悪い」
「同感だよ。キャスターのマスターの俺も暫くなにがどうなっているのかチンプンカンプンだったっていうのに、ここまで早く答えに辿り着くなんて。大したものだよ、まったく」
キャスターと冥馬は二人とも肩を竦ませた。
霊核、それはサーヴァントにとって人間でいうところの命そのものだ。規模こそ桁違いながら霊というカテゴリーにあるサーヴァントは、人間と違って血を流しすぎて死ぬなんていうことはない。だがサーヴァントは決して不滅ではなく、霊核を傷つけることでダメージを与え、霊核を完全に破壊することで殺すことも出来る。
といってもサーヴァントの霊核など、通常の魔術師では到底届かぬ神秘の塊。サーヴァントの攻撃を除外すれば、対霊体に特化した一級品の聖典でもなければ、傷つけるのは難しいだろう。
ではどうすれば霊核により強力な損害を与えられるかと言えば、なんのことはない。人間霊の霊核を壊すには人間の急所を狙うのが一番。頭と心臓、ここを破壊されれば大抵のサーヴァントは死ぬ。
だが仮に自分自身の肉体をある程度自由に操れるサーヴァントがいるとして、そのサーヴァントが内臓器官の位置すらも移動できたとしたら、心臓や頭を潰されても死なない不死身の英霊を再現することも不可能ではない。
「……さっぱり良く分からん。どういうことなんだ?」
「アンタは、ったく」
リリアは溜息をつくと、唯一人なにも分かっていない自分のサーヴァントに説明する。
「いい? セイバーに切られる前にあいつは内臓諸々に脳味噌を全て右半身に移していたの。結果的にアンタの剣は右半身にある心臓や脳味噌にまったくダメージを与えられなかったわけだから、霊核にもダメージがあんまり与えられなくなる。これなら体を真っ二つにされても、理論上は生きていられるわ」
「へぇ。自分の体半分を囮にするなんて、とんでもない策を使うんだな。やっぱりオリヴィエに似ている。あいつもいざという時の根性はとんでもなかったしなぁ」
キャスターは自分自身の治癒魔術で、なんにもつまっていない左半身を再びくっつける。
体を真っ二つにされたのだ。幾ら小細工を弄したところで完全にダメージが皆無なわけではない。しかし黄金の刃で体を突き刺されたセイバーが受けたダメージと比べれば、キャスターの受けたダメージなど微々たるものだろう。
(惜しいな……)
不利を悟られぬよう外面は余裕気に、心の中で冥馬は悔しさを滲ませる。
キャスターがカリバーンの担い手としての力を失っているのが災いした。ただでさえ変則召喚の影響で霊核が落ちているセイバーである。キャスターが黄金の選定剣の担い手であれば、背中からの一撃でセイバーの霊核を破壊できていただろう。
しかし背中に刃を受ける寸前に、セイバーが本能的に僅かに体を逸らしたのと、担い手ではないため僅かに破壊力が落ちたこと。その二つが重なりセイバーの命を奪うには足りなかった。
肉体操作を用いての騙まし討ちなど、所詮は小細工を用いた奇策。そしてリリアとセイバーは小細工が何度も通じるような相手ではない。
(しかしセイバーにかなりの痛手を与えたのは確かだ。ここは――――)
冥馬は決断し、キャスターに指示を下す。
「キャスター! このまま畳み掛けろ」
「――――承った!」
リリアがマスターとして優れていることもあり、外面的にはセイバーのダメージは完治したようにも見える。しかしカリバーンほどの剣が貫通したのだ。即座に完全回復などできるはずがない。
不利は承知だが悪戯に戦いを長引かせても逆にますます追い詰められるだけ。ここはリスクを承知で踏み込むべき時だ。
「やっぱり〝アレ〟を使わざるをえないわよねぇ」
自分のセイバーがダメージを負いながらも、やはりリリアリンダ・エーデルフェルトは焦らない。リリアは手持ちの宝石を炸裂させて目晦ましにすると、セイバーと共に大きく飛び退いた。
追撃をかけようとするキャスターだが、セイバーが持っている角笛を視界に修めると凍りついたように固まる。
その角笛を戎次との戦いで一度見たキャスターも、そうではない冥馬も一目で直感する。あの角笛だ……あの角笛が、張り巡らせた罠の悉くを薙ぎ払った熱風の発生源。対人宝具たる聖剣とは、比べ物にならない火力を持つ対城宝具だ。
「切り札は温存しておくものだけど、使うべき時に使わないのは温存じゃなくて宝の持ち腐れだしね。なにより……内蔵の位置を自由自在に入れ替えるなんて相手には、剣でチマチマ斬りつけるより大砲で体ごと吹っ飛ばした方が簡単だし。
セイバー、初っ端と違って全力の真名解放。いけるわよね?」
「当然。コレを使うべきタイミングは俺では測れない。故にマスターに任す、これを手にしたその時に言っただろう」
セイバーがキャスターと冥馬を捕捉し、真っ直ぐ白亜の角笛を向けた。
人造のモノでは有り得ぬ、完全なる清廉さをもった角笛は、セイバーほどの剛の者が吹けば万里の先にまで響き渡るだろう。
セイバーの魔力と周囲の大気という大気が角笛の中で極限にまで小さく凝縮され、外へ出ようと凄まじい勢いで荒れ狂っているのが冥馬にも分かった。
――――嘗て、
この星、或いは精霊は最も偉大なる三人の騎士に星の鍛えた宝物を与えた。
イングランドにその名も高き騎士王には、星々の光を束ねた最強の聖剣を。
北欧最大の英雄たる竜の心臓をもつ騎士には、太陽の灼熱を内包した最強の魔剣を。
そしてフランスにおいて最強とされる聖騎士に、星々が送った神造の兵器こそが、万の軍勢を薙ぎ払い、万の軍勢を呼ぶ角笛。
「どこまでも遥かに戦場に反響せよ――――儚く遠き勝利の音色(オリファン)」
真名の解放と共に角笛が吹かれ、一つの極音が世界を蹂躙する。
極限にまで束ねられた大気が一気呵成に解放され、太陽の灼熱をも消し飛ばす熱風となり顕現した。
「――――!」
津浪や雪崩といった大自然の猛威が個人に降りかかった時、人は恐怖すら覚えることができない。ただただ自然という偉大なる力を前に己の矮小さを思い知らされ、身動きもできず己の死を諦観するのみ。
熱風を前にしたキャスターの心中も似たようなものだった。
目が塞がっていても肌で、耳がなくとも叩きつける熱い匂いで分かる。これは防ぎきれない。
最初の第一撃で教会の敷地中に巡らした魔術式が吹き飛んでいなければ、キャスターも『儚く燃ゆる勝利の剣(エクスカリバー・ウルナッハ)』で応戦もできただろう。だがそれにどれほどの意味があろうか。
キャスターの灼熱の光は所詮、全て遠き日に心奪われた星の輝きを模倣したものに過ぎないのだ。
虚構の光で星の暴威そのものに敵う道理などない。あの熱風を切り裂けるとすれば、それは星々の光を束ねた最強の斬撃以外にはないだろう。
それは――――この熱風が最大出力でなかったとしても同じだ。
驚くべき事だが、今まさにセイバーが繰り出した熱風は正真正銘の最大出力ではない。恐らくは最大出力を出そうとすれば己にもかなりの反動が返る上に、召喚の際のペナルティで反動に耐えうる肉体が弱体化しているからだろう。
だがそれだけの不利がありながら、やはりキャスターにはどうすることも出来ない。
キャスターも英霊の端くれ。凡庸な人間と違い足がすくんで動けなくなるなんてことはないが、なまじ優れているが故に『どうしようもない』という事実がよりはっきり分かってしまう。
もはやキャスターが出来ることは、己の全魔力を防御に費やして背後のマスターを守ることだけだ。
キャスターが命を懸けて防御したところで止められる熱風ではないが、冥馬の力量を思えば一割程度は生還の可能性もあるだろう。
死して尚も聖杯にしがみ付いて現世に迷い出ておきながら、悲願を果たせぬとは情けない。
そう自嘲しながらも両手を翳そうとして、
「――――キャスター。剣を構えろ」
「……冥馬?」
顔面は蒼白で汗をびっしりとかきながら、尚も冥馬は戦意を喪失してはいなかった。
今更剣を構えたところでどうするのか。そうキャスターの冷静な思考が囁くも、そんなものよりもキャスターはこれまで共に戦った遠坂冥馬の言葉を信頼することにした。
「―――――Anfang! Vertrag(令呪によって告げる)……! Bitte spielen Sie ein Schwert(再び選定の刃を担い給え)!」
令呪の猛々しい魔力がキャスターに流れ込み、その魔術回路を魔力で満たす。三度だけの奇跡が、正しく奇跡を引き起こした。
黄金の剣が脈打つ。正体を看破され、失ったはずの力がキャスターに戻ってくる。
剣を握る両腕に、誰か別の――――金砂の髪を靡かせた少女の手が添えられる。それは果たしてただの幻か、それとも……。
キャスターは自然と選定の刃の真名を叫んだ。
「勝利すべき黄金の剣――――ッ!!」
最も偉大なる王を選び出した剣が、この地上に再び奇跡の光を生む。荒れ狂う破壊という概念は、黄金の剣の生み出した輝きにより薙ぎ払われていった。
熱風が晴れる。破壊を撒き散らした教会に立つのはリリアとセイバー、そして満身創痍ながらも生を保っている冥馬とキャスター。
「嘘でしょう……! あれを耐えきったっていうの!」
「往生際が悪いんでね。主従共に……」
冷や汗を流しながら冥馬は言う。
令呪によってキャスターに『勝利すべき黄金の剣』の担い手としての力を取り戻すという荒業を咄嗟に思いついたのが奇跡ならば、それが上手くいったのも奇跡だった。ぎりぎりで〝勝利すべき黄金の剣〟を解放し相殺できたから良いものの、あとほんの数秒でも真名解放が遅れていれば、冥馬もキャスターも跡形も残さず消し飛んでいただろう。
〝儚く遠き勝利の音色〟
この宝具を使って仕留めきれなかったのは、リリアとセイバーにとって大きな痛手だろう。
戦いは振り出しに戻った。
元々宝具は連発できるものではない上に、あれほどの破壊力。それを使うのに必要となる魔力もまた膨大なもの。連続で三度の解放はない。
それは冥馬の側もまた同様。令呪による担い手への回帰なんて荒業は保って十数秒。もう一度あれをやるとなると、残り一画の令呪を使うしかなく、例え使ってもまた同じように成功するかどうかの保証もない。
「キャスター」
「……ああ」
「セイバー」
「おう」
四人全員が分かっていた。出せる手札は全て出し切った。
ここまできたら後は気力の勝負。より強い気力を振り絞った方が勝利し、気力で劣る者が負ける極限の戦いだ。
冥馬とリリア、キャスターとセイバーは負けじと睨みあい――――緊張の中で、時計の長針が6の数字を指示す。
そしてそれが聖杯戦争の終わりでもあった。
「いやぁ、見事、実に見事な戦い。流石は聖杯戦争最終戦」
『!』
6時になったことを告げる鐘の音色と共に、その男は戦場に姿を現した。
まったく予想すらしなかった来訪者に四人全員が一瞬最終戦のことを忘れ、その来訪者に視線が釘付けになる。
烏のようでもあり、悪魔のようでもある黒を基調とした軍服。腕章で所属を主張するは逆鉤十字。手には布で覆われた長い棒のようなものを持っている。
ロディウス・ファーレンブルク大佐、ナチス・ドイツの指揮官であり、封印指定の魔術師でもあるという複雑な経歴をもつ男だ。
「貴様、なんでここに……。まさか聖杯を横から掠め取りに来たのか?」
「いえ、冥馬。それなら私と貴方の戦いが終わってから来るはずでしょう。このタイミングで割って入る理由がないわ」
「……確かに、リリアの言う通りだ。目的はなんだ、ロディウス!」
ナチス・ドイツの聖杯戦争は、以前の決戦での敗北により完全に終わっている。ロディウス・ファーレンブルクは既に聖杯戦争における敗北者であり、それが変わることはない。彼に出来るのは冬木から尻尾撒いて逃げることだけ。
そんなことは考えずとも分かることだ。だからこそ冥馬はアーチャーの『復讐はほどほどに』という言葉もあり、ナチスへの復讐心とそれによる執着を断ち切り、ナチスに対して執拗な追撃をかけることを止めたのである。
なのに聖杯戦争の脱落者である筈のロディウスは、今日このタイミングで戦場に現れた。冥馬にはロディウスの意図がまるで見えなかった。
「私としてもセイバーかキャスター、片方が消えていた方がやり易かったんだけどね。儀式は……〝今〟じゃなければ駄目なんだ」
「儀式だと?」
「聖杯を降霊できるだけの〝歪み〟が発生している場所で地の利を得て、6と6と6の三つの6が並ぶ最も神を冒涜する時間により天の時を得て、この私という存在で人を得る。――――我は天を味方につけたり」
「っ! なにか不味い! キャスター、奴を止めろ!」
「させないよ。御三家の百五十年に、私の十年間を無駄にさせてたまるか。防げ」
ナチスの軍人達が一斉に飛び出して、ロディウスを守る生きた防波堤となる。
ただの人間による壁などサーヴァントの力をもってすれば突破は容易い。だがあろうことかその軍人達は全てがサイボーグ兵だった。大空洞で戦った連中ほど強力ではないといっても塵も積もれば山となる。サイボーグ兵はキャスターと、それに続いたセイバーの行く手を見事に遮った。
その間にロディウス・ファーレンブルクは〝歪み〟へと到着する。ロディウスは歓喜の笑みを深めると、長柄の物にかかっていた布をばっと放り捨てる。
「―――――」
声を失う。瞬きすら忘れ、視線がそれに吸い込まれる。
ロディウスを止めようと、サイボーグたちを押しのけようとしていたサーヴァントたちも戦うのを止めた。改造を施され人格を喪失してしまったサイボーグすら、喪ったはずのものを呼び覚まし、それを一目だけでも見ようと振り返った。
戦場とは程遠い、聖域の大聖堂のような清浄な雰囲気が世界を満たす。それをおかしいとは思えない。思えるはずがない。ロディウスの持つソレは存在するだけで、世界の気配を一変させてしまったのだ。
ロディウスの持つ長柄の物の正体は槍だった。華やかでもなく、さりとて無骨過ぎるということはなく、ただひたすらに神々しい銀色の槍。
一度も見た事がなくとも、誰に教えられなくても、それを見た瞬間にその槍の銘を本能が理解した。
「嘘、だろ。その槍は……その槍は――――ロンギヌス!」
誰よりも早く、セイバーが驚きに満ちた目でロディウスを睨みつける。
聖槍ロンギヌス、その真名を天照らす神明の聖槍。二千年前に神の子を殺し、その血を受けたことで奇蹟の力を得た聖槍。神の子の血を受けた杯たる聖杯と起源を同じくする、最大級の聖遺物だ。
「やっぱり十二勇士の目は欺けないなぁ。そう、これこそが聖槍ロンギヌス。言っておくがこの地にある聖杯のような贋作じゃなく、この世にたった一つしかない紛れもない真作だ」
「何故……それをお前が持っている!」
嘗て主君が持っていた槍を見つめながらセイバーは叫ぶ。
「ふふふ。心配しなくても〝聖槍〟が私のことを、世界を遍く照らす使命を帯びた聖人として、自らの担い手に選んだ、なんていう奇想天外なエピソードはないよ。
我々の役目たる世界各地の聖遺物の収集。その過程で偶然にも見つけて入手したんだよ。ま、完全に破損していて、とても使い物にならない酷い有様だったけどね」
「破損……?」
冥馬はもう一度、ロディウスの握る聖槍を見る。しかし槍はとても壊れているようには見えず、その清浄さはまるで衰えているようにも思えなかった。
「どうして壊れたのか、それは全ての過去を知る由がない私には当然分からないことだ。問題はこれが完膚なきまでに壊れていたことでね。これじゃあ例え明日にでも神の子が再臨したとしても、肝心の聖槍は役立たずだ。私の目的にも使えない。私の目的達成に必要となるのは聖槍の力であって、破損して力を喪なった聖槍じゃなかったんだよ。だから先ずは喪失した力を取り戻すことから始めなければならなかった。
分かるかい? 私が聖杯戦争において求めていたのは『万能の願望器』なんてものじゃない。過去の英霊を呼び出し使役するというシステム――――それだけが重要だった。なにも聖杯を使って聖槍を修復してくれ、なんて頼み込む必要すらありはしない。聖杯で聖槍を修理せずとも、聖槍を修復できるサーヴァントを呼び出して修理して貰えればそれで済むだろう」
「馬鹿な。聖槍を修復できるような者がいるはずがない!」
或いは二千年前の救世主であれば、槍を元通りに復元するなんて奇蹟を行うことができるかもしれない。
しかしあの救世主をサーヴァントとして召喚するなんて、冬木の聖杯戦争システムでは不可能だ。魔術師が通常自分より弱い者しか使い魔として使役できないのと同じ。聖杯を超える規模の存在を聖杯で呼び出すことは出来ないのだ。だが、
「いるじゃないか、一人だけ。聖槍は神の子の血を受けて奇蹟の力を得た。破損したといっても嘗て受けた血は槍に残っていた。ならば後は神の子の血を受ける前に、その槍を鍛えた鍛冶師を呼び出せば良いだけ」
瞬間、遠坂冥馬は理解した。これまでまったくの謎であったランサーの真名を。
聖槍を鍛えた鍛冶師。神の子以外に神の子の聖槍を修復できる唯一の英霊。
「トバルカイン。カインの末裔、鍛冶の祖……!」
「その通り。それが彼の真実だ」
確かに鍛冶の祖、神域の腕を持つトバルカインであればロンギヌスの修復も不可能ではない。思えば次々に繰り出してきた多種多様な宝具の数々も、全てランサーが作り上げた物だったのだろう。
英霊の宝具は一人につき基本的に一つという常識を、平然と打ち破れたのも当然だ。何故ならばランサーは宝具の使い手ではなく宝具の製作者。その宝具は剣でも槍でもなく、鉄を鍛える腕そのもの。宝具を生み出す宝具をもつ錬鉄の英霊、それがランサーだったのだ。
ロディウスが試験管に入った己の血液を垂らすと、血が意志をもつように地面を滑り、サーヴァントを召喚するための魔法陣を描き上げる。
「――――始めよう」
百五十年前に大聖杯の起動を唱えた賢者のように、冬の城で悪神を招いた翁のように、ロディウスは高らかに槍を天に掲げ宣言する。
ロディウスの胸元に刻まれた聖痕、令呪が天に昇るように雲散した。
今宵、神聖なる神の家で神を引きずりおろす背徳の儀が行われる。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。始祖には最初の人アダム。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
サーヴァント召喚の詠唱と同じようでいて、どこか違う詠唱をロディウスは祈るように唱え始める。
キャスターとセイバーどころか、冥馬とリリアも慌ててそれを止めようとするが、サイボーグたちは儀式を邪魔してなるものかと死力を振り絞った。
「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
人格なきはずのサイボーグが死力を振り絞る。きっと彼等も降りてくる存在に〝救い〟を求めているのだろう。だとしても、それの降誕を見過ごす訳にはいかない。アレは降りてきてはならぬものだ。
だが冥馬たちの必死の奮戦も空しく、ロディウスは『英霊の魂』を修めた聖杯の器と酷似した杯を大地に置く。
「汝の身は汝を砕きし槍の内へ、汝が命運は我が手の内に。五つの魂を生け贄に捧げ、二千年の時を超えて地上に降臨せよ。人々に血肉を与えし救世者よ――――!」
光が、溢れる。巨大な天を貫く光の柱がロディウスの立つ場所に注いだ。
「これはっ! 引っ張られる……!」
光柱は五体の生け贄ではまだ足りぬとばかりに、近くにある生きとし生けるものを呑み込もうと手を伸ばしてきた。
サイボーグたちが抵抗もせずに、どこか満ち足りた表情で呑まれていく中、四人は必死になって自分の立つ場所にしがみ付く。もしも呑まれれば、自分も人柱となってしまうだろう。
「はは、ははははははははははははははははははは!!」
光の中心でロディウス・ファーレンブルクは笑っていた。狂笑でも邪悪な高笑いでもない、純粋な歓喜の笑い声。
ふとロディウスの鋼鉄の義手が吹き飛び、そこから新たに瑞々しい血肉をもった腕が生えてきた。
肉体の修復、復元呪詛、移植。そのどれとも違う。あれは再誕だ。生まれるという一度きりであるはずのそれ。でありながら再誕を果たした存在たる彼は、一体何者になったというのか。
ロディウスは槍を強く握りしめる。
――――聖書曰く、はじめに〝言葉〟があった。
世界創世の輝きが充満する。なにが起こったのか認識すら出来ない。
光の中で喜びに震えながらも、ただ身近な所だけを見据えているロディウスの横顔を最後に、遠坂冥馬は意識を喪失した。
【元ネタ】旧約聖書
【CLASS】ランサー
【マスター】ロディウス・ファーレンブルク
【真名】トバルカイン
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??
【クラス別スキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
【固有スキル】
錬鉄の眼識:EX
鍛冶師としての眼力。
武装としての宝具を目にした場合、高確率で真名を看破できる他、その武器の最適の運用法を実行できる。ただし銃火器類はこれに該当しない。
アイテム作成:A++
魔力を帯びたアイテムを作成できる。
ランサーが得意とするのは『武器』のカテゴリーにあるものだが、それ以外にも非常に精度の高いマジックアイテムを作り上げることが可能。
狂化:D
筋力と敏捷のパラメーターをランクアップさせるが、感情のタガが外れ、冷静な判断力を失う。
ランサーの場合、彼の逆鱗に触れることをした時のみこのスキルの効果が適用される。
【宝具】
『始天の錬製』
ランク:E~A++
種別:????
鍛冶の祖とされるトバルカインの神域に達した鉄を鍛える腕。
伝承に記されていない全く新しい〝宝具〟を生み出すことができる。宝具のランクは製作年月と材料に左右される。
生み出した宝具は製作者であるトバルカインの宝具となるが、他人に譲渡することも可能。
素材に現代の物を使っているのでトバルカインが消滅した後も、生み出された宝具は存在し続ける。