「ったく。あんな代物を出してくるなんて、ナチスのヤバさ加減を見縊っていた」
ロディウスの掲げた聖槍より発せられた、生きとし生ける者を滅ぼす極光。あれに呑まれれば一介の魔術師など一溜まりもない。だが冥馬はキャスターが全力で結界を展開したお蔭で、リリアはセイバーが身を挺して庇ったお蔭で悪運強く生を繋いでいた。
未だセイバーとキャスターの戦いとロディウスの襲撃により、破壊の痕が残る教会では、冥馬とリリア、そして璃正と教会関係者たちが顔を突き合わせている。セイバーとキャスターは霊体化しているが、その存在を感じることができた。
こうして聖杯戦争の関係者が集まっているのは、言うまでもなくロディウスが聖槍を持ち出してきたからである。特に璃正を筆頭にした教会関連者は目の前に神が降臨したような興奮と、目の前で神が死んだような悲壮感を同時に漂わせていた。
無理もない。ロディウスの聖槍は冬木の聖杯とは違って正真正銘、紛れもなく神の子の血を受けた聖槍。教会にとっては億の命に勝る価値をもつ最大最上級の聖遺物だ。
「……聖槍ロンギヌスは長い年月が経ち、ヴァチカンから散出し行方不明になっていた聖遺物の一つ。総統命令で世界中の聖遺物を収集する仕事に従事していたロディウスは、どこでどうしたかは知らないが破損していた聖槍を見つけ持ち帰ったのだろうと思う。私の推測でしかないが」
「だろうな。奴自身そんなようなことを言っていたし」
璃正の言葉に冥馬は同意を示す。璃正は聖堂教会でも聖遺物の回収を旨とする第八秘蹟会の所属。聖杯戦争の監督役に任じられたのも、聖遺物に関してはかなりの知識があると見込まれたからでもあるし、聖槍についての情報にも精通している。
だが偽物の聖杯争奪戦を監督するはずが、本物の聖槍と立ち会うことになるとは璃正どころか教会をもってしても予想できなかっただろう。
「聖槍ロンギヌスが本物で、ナチスがそれを手にしたというのは恐ろしいことだ。しかし解せないのは、どうして奴が聖槍を扱えるのかだ……。聖槍はこの土地にあるような聖杯とは違う。アレは誰にでも扱えるようなものじゃないはずだろう」
「璃正、お前の指摘は正しいよ」
冬木の聖杯は偽物であるが故に、万人が扱える万能の願望器として機能する。対して聖槍ロンギヌスは本物であるが故に、選ばれた者しかその奇蹟を担うことはできない。
脈々と続く人類史において、海を超え山を越えて、聖槍は幾多もの英雄の手を渡り歩いてきた。円卓の騎士やシャルルマーニュ十二勇士もその一つである。
しかし誰一人として聖槍を担える者は現れなかった。力の一端を引き出せる者はいただろう。奇蹟の恩恵を得ることができただろう。だが力の全てを引き出した真の担い手は、人類史において未だに唯の一人も現れてはいない。
もしも聖槍の担い手となれる者がいるとすれば、それは二千年前のあの救世者だけだ。
「ロディウス・ファーレンブルクという魔術師にして軍人が、救世主と並び立つほどに徳が深い偉人だっていうなら兎も角、まさかそんな筈がないだろう。〝ロディウス・ファーレンブルク〟ではあの槍を担うことは出来ない」
「だが奴は……」
「聖槍の力を完全に引き出していた、か? なぁに。不可能を可能にしているってことは必ずトリックがある。マジックだってそうだろう?
元よりなければ他から持ってくるのが魔術師だ。魔術師本人に聖槍を扱う力がなければ、余所から扱える者を持ってくればいい」
「馬鹿な! 地上を隈なく探したところで、この現代に聖槍を担える者などいるものか! 地上にいない者を何処から連れてくるというのだ?」
「天からだ」
冥馬は至極真面目に天上を指差す。あまりのことに璃正は口をポカンと開けて固まってしまった。
「天、だと……? 何時もの下手なジョークならよしてくれ」
「この期に及んで下手なジョークなど言いはしない。だけど少し比喩表現が強すぎたな。正しくは〝座〟からだ」
「座、まさかサーヴァントと同じ……」
そう、この現代に聖槍を担える人間など要る筈がない。もし阿頼耶の確率でいたとしても、それはロディウス・ファーレンブルクではないし探す術もないことだ。
けれどここは冬木市。冬木にあるは聖杯。聖杯が招くはサーヴァント。サーヴァントとは過去・現在・未来の英霊。であれば現代には存在しない槍を担える者を、過去か未来から呼び出せばいい。
「だ、だがやはり不可能だ。そもそも冬木の聖杯戦争で呼べるのは英霊だけだろう!? 槍を担える力をもつ救世主は、英霊ではなく神霊の域にある存在だ! 召喚など無理だ!」
「まぁ普通に聖杯戦争のサーヴァントとして召喚するのは無理だろう」
例えば三国志で有名な『関羽』のように、人間でありながら死後に神となった英雄は数多い。そんな英雄を冬木で召喚した場合、神としてではなく英雄だった頃の姿で召喚される。
二千年前に滅んだ救世主は無論神霊のカテゴリーにある存在。そんな救世主をサーヴァントとして呼び出すなど絶対に不可能だ。
「だがさっきも言っただろう。不可能を可能にする以上はトリックがあると。冬木のサーヴァントシステムじゃ神霊を呼び出すなんて無理さ。そもそもサーヴァントはとっくに七騎……あ、いや。セイバーが分裂してるから八騎か。それは兎も角、サーヴァントは全員出揃っている。追加でもう一体呼ぶなんて、神霊じゃなくても無理なことだ。
だからロディウスはこの地の聖杯とサーヴァントシステムを利用しつつ、独自の召喚を行った」
「独自の召喚?」
「ロディウスのサーヴァント、ランサーの真名はトバルカイン。鍛冶の祖、こと〝モノを作る〟ことにおいては随一の英霊だ。その英霊が必要な礼装を作り上げ、聖杯の降霊が可能なほどの歪みがある場所で、そしてこれまで脱落した英霊の魂というエネルギーがあれば……神霊の欠片くらいは地上に降ろせるかもしれない」
槍の柄にあった不自然に太い場所。あそこが『聖杯の器』と同じように、魂というエネルギーを溜める場所だったのだろう。
トバルカインがロンギヌスに施したのは修復だけではない。本来なら選ばれた救世主のみにしか担えない槍を、万人が扱えるように改良(改悪)したのだ。
「冥馬、そこまでは私も分かってたわ。けどね、一つだけ腑に落ちないことがあるのだけど」
「エネルギー源になった英霊の魂か?」
「ええ。だって『聖杯の器』は私が持っているのよ。だったら英霊の魂は私の持つ『聖杯の器』にあるってことでしょう?」
リリアは帝都で木嶋少佐から取り返した『聖杯の器』を見せる。蝋燭の灯を浴びて金色の光を反射する杯は、目を奪われるほどに見事なものだった。
「確かに『聖杯の器』をリリアが持っているなら、サーヴァントの魂を生け贄にするなんて出来ないだろうな」
「でしょう?」
「もしそれが本物ならば、だが」
「どういうこと?」
「直ぐ分かる」
「――――連れてきました!」
教会のドアが勢いよく開き、サングラスをかけた神父が急ぎ足で入ってくる。その後ろにいるのは銀髪に赤目の、人間離れした美しさをもつ美女。
アルラスフィール・フォン・アインツベルン、ヘブンズフィール3のためアハト翁が鋳造し送り出したホムンクルスにしてアインツベルンのマスターだ。いや、だったと言うべきだろう。彼女は聖杯戦争四日目にして、誰よりも早くサーヴァントを失い脱落しているのだから。
「ご苦労だった」
「ええ。璃正神父の御命令通り連れてきましたとも。爪先から脳天までアルラスフィール嬢です。どうぞご検分あれ。それでは私はこれにて」
サングラスの神父は慇懃に頭を下げてその場を辞する。
アルラスフィールは帝国陸軍とナチスによる教会襲撃に感づいて、教会から抜け出したが、ホムンクルスである彼女はいかんせん世間知らず。サポートのホムンクルスもいなければアインツベルンの地へ戻るのは難しい故、まだ冬木近辺に潜伏しているかもしれないという冥馬の推理の正しさが証明された。
お陰で聖杯について最も知識ある人物から話を聞ける。
「遠坂家当主として単刀直入に聞こう。ミス・アインツベルン、君が監督役に預けた聖杯の器。あれは本物か?」
「……隠しても、今更意味もないでしょうね。そうですよ、遠坂冥馬。そこの監督役に渡したのは本物に似せて作った真っ赤な偽物。聖杯の器の贋作です」
「なっ! じゃあ私が命懸けで帝都へ行った労力はなんだったのよ!」
「ええと、日本語では〝無駄骨〟というのではないでしょうか?」
「っ! へ、へぇ……。エーデルフェルト相手に喧嘩売るなんていい度胸じゃない。真っ白な肌を黒焦げにしてあげましょうか?」
「気に障ることがあったらすぐに暴力に訴えるなんて、エーデルフェルトは実に野蛮ですね。末裔がこんな様では宝石翁もさぞ嘆くでしょう」
「なんですって!?」
「止めろ、二人とも。今はどうでもいい諍いをしている場合じゃないだろうに。燃やすぞ」
「君も止めろ冥馬。私の教会が焦土になる」
武力介入をしかけた冥馬を含め、璃正が割って入ったことで、一触即発だったアルラスフィールとリリアはどうにか収まった。
偽物を掴まされたという確執があるとはいえ、リリアもそこまで沸点が低すぎるわけではない。なのにいきなり喧嘩腰になるあたり、リリアとアルラスフィールは性格的に合わないところがあるのだろう。
女三人寄れば姦しいとは言うが、リリアとアルラスフィールを二人っきりにして一時間も放り出しておけば、姦しいを通り越して大火災が発生するかもしれない。
「だけどおかしいですね」
「なにがかね……アルラスフィール」
「聖杯の器、本当にロディウス・ファーレンブルクが持っていたのですか?」
「……どうなんだ、冥馬」
「持っていたよ。前に見た偽物の小聖杯とは意匠が違っていたが、あの雰囲気は確かに小聖杯だった」
自信をもって冥馬は璃正に返した。
アインツベルンが監督役に提出した『聖杯の器』は気配や内部構造に至るまでが、本物と見分けのつかない途轍もなく精巧な贋作。その贋作と似た気配をもっていたということは、ロディウスの『聖杯』が本物であるという証明である。
「妙ですね……」
「妙?」
「あるはずがないんです。本物の聖杯の器なんて」
「本物が、ない?」
「はい。だって聖杯の器は戦いの最中、流れ弾でとっくに壊れてしまったんです。他らぬナチスの襲撃で」
「な、なんだと!?」
璃正が目を見開いて仰天する。
アルラスフィールが聖杯戦争から脱落したのは四日目のことだ。もしアルラスフィールの証言が正しいならば、この聖杯戦争は四日目の時点で既に有耶無耶に終わっていたということになる。
四日目以降――――ルネスティーネや狩麻や帝国陸軍との戦い、その全てが茶番だった。
自然、この場にいる全員がアルラスフィールに厳しい目を向ける。
中立である璃正が代表して問いかけた。
「……どうして教会に保護された時にそれを言わなかったんだね?」
「下らない八つ当たりですよ。私はアインツベルンに勝利を捧げるためだけに鋳造されたホムンクルス。だというのに勝利どころか、あんな役立たずを押し付けられ、挙句の果てには城さえ追われた……。ならせめて他の参加者が茶番劇で踊っている様を笑ってやろうと思いまして……。ふふっ、アヴェンジャーが少しうつったかもしれません」
四日目以降の戦いで死んだ狩麻の顔が脳裏を過ぎり、冥馬はアルラスフィールの人形めいた美貌をグチャグチャにしてやりたい衝動にかられる。だが魔術師としての理知的な部分がそれを抑え込み、結果的に冥馬は氷のような無表情になった。
アルラスフィールにはまだ話して貰わなければならぬことがあるし、仮にもマスターだった者を教会で殺せば璃正にも迷惑になるだろう。
「聖杯の器が破壊されたのは特に問題にならない。いや寧ろ器が壊れた事はロディウスにしたら好都合だったかもしれないな」
「なに? どういうことだ、冥馬」
「アインツベルン製の小聖杯を真似して作るなんて、歴代遠坂に歴代間桐の当主たちを集めても無理なことだ。だが完成品の本物がモデルとしてあるなら寸分違わず同じ代物を作るのは無理にしても、劣化した代物を作るのは不可能じゃないだろう。
ましてやランサーは鍛冶の祖だ。壊れたとはいえ『小聖杯』が目の前にあるなら、その構造を解析して、それ以上の代物を作り上げるのは難しいことじゃないだろう」
このタイミングで嘘を吐く理由はないので、やはりアルラスフィールの言う通り『聖杯の器』は四日目に壊れたのだろう。
だがロディウスはランサーに命じて、新たなる『聖杯の器』を作らせた。それならば辻褄も合う。
これは冥馬の推理に過ぎないが、根拠がないわけではない。
――――五つの魂を生け贄に捧げ、二千年の時を超えて地上に降臨せよ。
詠唱の中でロディウスは五つの魂と言っていた。
しかしこれまでに脱落したサーヴァントの合計はアヴェンジャー、セイバー(オルランド)、ランサー、ライダー、アーチャー、アサシンで全六体。言葉通りに介錯すれば一体分がロディウスの持つ器にはなかったと考えるべきだろう。
つまりアヴェンジャーが脱落し『小聖杯』が破壊されてから、ルネスティーネとセイバーが脱落するまで。その間にもう一つの聖杯は作られたということになる。
そう冥馬が当たりをつけた時だった。
「言峰神父!」
璃正の部下が慌てふためいた様子で駆けこんでくる。
「なんだ?」
「ロディウス・ファーレンブルクの所在が分かりました」
「なに! 何処だ、何処にいた?」
「柳洞寺です。我等の手の者が発見致しました。それとこれを。ここ冬木の上空写真です
「見せてくれ。…………これは、魔法陣か?」
「どれ。俺にも、確かに魔法陣だな。だがこれは――――」
上空写真に写っているのは冬木市をすっぽり囲むように、あちこちに刻まれている魔法陣だ。その数はざっと数十。しかも数十か所所全てにナチスの兵隊たちの影が見える。この魔法陣を守る兵隊と考えるべきだろう。
数十の魔法陣は他の魔法陣たちと繋がり、数千数万通りの意味を孕んだ大魔法陣となって外界と内界を隔絶させている。
「ロディウスめ。大聖杯強奪に聖槍に続いて、こんなことを仕出かす気か……!」
冬木市中に描かれた魔法陣と、柳洞寺にロディウスがいるという事実。冥馬はそこからロディウスの企む恐るべき〝儀式〟について察した。
冥馬の両手が小刻みに震え、冷や汗が流れ落ちる。もしこの儀式が成就などしてしまえば、この冬木市は破滅だ。
「不味いわね」
上空写真を見たリリアも、冥馬と同じことに気付いて顔面を蒼白にさせる。
しかし魔術師二人は気付けても、璃正にはなにがなんだか分からない。璃正は二人の表情からただならぬものを感じながらも口を開く。
「なんだね? ロディウスはなにを仕出かそうというのだ!?」
「冬木市にいる人間の皆殺し」
「っ!」
「無論ただ皆殺しにするわけじゃない。奴は冬木の地脈の中心である柳洞寺から、この冬木市にある全ての魔力を吸い上げる気だ。生命力っていう人間誰もがもつエネルギーと一緒に。もしかしたら魂もかもしれないな……」
「ば、馬鹿な! そんなことをして何の意味がある!」
「さぁ、そこまでは知らない。ただ桁違いの魔力がロディウス・ファーレンブルクの下に集まるのは確かだ。そして奴は嘗て封印指定を喰らった魔術師。なにか大規模な儀式を行おうとしていると考えるのが自然だろうな」
儀式がどんなものかは想像もつかないが、伝説の聖槍に冬木市一つを地獄の釡にくべることで成されることだ。碌なものではないのは確実だろう。
冥馬は溜息を吐きつつも、教会の扉へ向かう。
「何処へ行くんだ、冥馬!」
「知れたこと。柳洞寺だ」
聖杯戦争は、もう駄目だ。教会の敷地にあった〝歪み〟もロディウスが神の子を降ろす儀式をしたことで消えてしまっているし、そもそも聖杯の器はとっくに壊れていて中身も使われてしまった。ヘブンズフィール3、第三回目の聖杯戦争は正しい聖杯の所有者を選ぶことなく終結したのだ。
だが聖杯戦争が終わっても、遠坂冥馬が冬木市のセカンドオーナーであることに変わりはない。自分の領地にいる外道の魔術師を始末するのが管理者の務め。冬木市全ての命がかかっているというのであれば猶更である。
個人の感情を超えた所でロディウス・ファーレンブルクを止めるのは絶対的な義務だ。
「時間がないんだ。それこそ次の瞬間にロディウスの儀式が始まって冬木市が焦土になるかも知れない。真っ直ぐ大将へ突っ込むことが危険だっていうのは百も承知だが、悲しいことに今からナチスの兵隊共を掃討して魔法陣を一つ一つ潰していく時間はないんだ」
「……確かに、そうだな。今からでは教会から援軍を呼んでも間に合いはしないだろうし」
聖堂教会は埋葬機関というサーヴァントに匹敵するような化物達を擁している。聖槍やロディウスのことは、埋葬機関を派遣するに足る大事であるが、残念ながら如何な埋葬機関といえど海を越えてこの冬木市にやってくるのには時間がかかる。
或いは世界中にコネクションをもつ聖堂教会であれば、危うい緊張下にある今の情勢でも一日あれば埋葬者を冬木に送り込めるかもしれない。けれど今度ばかりはその一日を待つ余裕がないのだ。
幸いこちらにはサーヴァントであるキャスターがいる。聖槍があるとはいえロディウスは人間に過ぎない。戦えないことはないはずだ。
「行くぞ、キャスター」
そう言うが、キャスターは教会の壁に背中を預けたまま追従しようとはしなかった。
「どうしたキャスター?」
「――――勝手に一緒に戦うものと決めつけるな。お前の話しだとこの聖杯戦争はもう終わっているんだろう? ならばどうして俺がお前に協力してやらなければならん」
「……そうか、そうだったな」
サーヴァントが自分より力の劣る魔術師に従うのは聖杯のため。聖杯が欲しいからこそサーヴァントという身の上にも甘んじるし、マスターの剣として仕えもする。
キャスターも同じだ。例え義妹の想いを踏み躙ることになろうと、義妹に人並みの幸せを与えたい、そのためだけにキャスターは死の淵で聖杯戦争に参加する機会を手繰り寄せた。
だが聖杯戦争そのものが崩壊した今、もうなにをどうしようとキャスターが聖杯を得ることは叶わない。ならばもうキャスターが冥馬に従う必要はない。聖杯戦争の終了は、冥馬とキャスターの主従の終わりも意味していたのだ。
「分かった。なら俺一人で行く。さようならだ、キャスター」
キャスターが霊体化して掻き消える。冥馬は苦笑しながらもそれを見送ると、単身柳洞寺へ赴こうとして……腕を掴まれた。
「一人じゃないわ。私も行くわよ」
「リリア……? しかし外来の魔術師のリリアに、冬木市のことは関係ないだろう」
「関係ならあるわよ。場所云々以前に外道の魔術師には腹が立つし、エーデルフェルトの獲物を横から掠め取っていった屈辱は、百倍にして返してやらないと気が済まないわ。セイバーもいいでしょう?」
リリアはキャスターと同じく黙って話を聞いていたセイバーに問いを投げた。
境遇としては、セイバーはキャスターと同じ。聖杯が手に入らない以上、もはやリリアのサーヴァントである必要などない。だがセイバーはキャスターと違い力強く首肯した。
「任せとけ」
「いいのか? 聖杯は手に入らないんだぞ」
「騎士とは剣だろう。俺はオリヴィエと違って考える頭はないから、これはという人物に我が身を剣として捧げ、その人物が振るうままに動くのみ。リリアがやれというのならやるし、やるなと言うならやらん。
それに俺が聖杯に託そうとしたことなんて誰の利益にもならん必罰を通すことのみ。この街の人間全てとどっちが重いかなんて俺でも分かる。白状したら罰は恐いし」
冥馬は念のために確認をとる。が、セイバーの意志が変わることはなかった。
必罰を通す、そう言うセイバーの願いが具体的にどういうものなのか、どうしてそんな願いを抱いたのか。それは彼のマスターではない冥馬には分からぬことだ。詮索する気もないし、詮索して良いことでもない。
ただセイバーという戦力が味方になってくれたことを喜ぶ。
「感謝する。璃正、聞いての通りだ。ロディウスは俺達でどうにかする。だからお前達は冬木中にいるナチスと魔法陣を頼む。あと市民の避難も」
「任された。有毒ガスが発生したと表向きにはしておこう。……死ぬなよ、冥馬」
「そっちこそ。俺も別の監督役と一から仲良くなるのは面倒で嫌だからな」
別れの挨拶に握手をすると、璃正は自分の務めを果たすべく教会の者達に指示を飛ばす。
魔法陣のことは璃正に任しておけばいいだろう。言峰璃正ほどこの件を対処するに適した人材はいないのだから。璃正がやって駄目ならば、誰がやっても駄目だったと諦めもつく。
「待って下さい」
戦場へ向かおうとした所でアルラスフィールが冥馬とリリアを呼び止める。
アルラスフィールは浮くような足取りで冥馬とリリアに近付くと、二人の体に触れて小さく呪文を唱えた。
瞬間、冥馬の体に魔力が渦巻く。まるで海から川に水が流れ込んでくるようだ。吸い上げても吸い上げても尽きぬ魔力が冥馬に流れてくる。
「これは……」
「私と貴方達の間にラインを通しました。これで私の魔力が貴方達に流れます」
「どうしてこんなことを?」
「貴方達は二人とも優れた才覚をもつ魔術師。聖杯のバックアップなしにサーヴァントを維持するのは難しいことではないでしょう。
けど戦闘となれば話は別です。戦闘で消耗する魔力は、ただサーヴァントを維持するだけに必要となる魔力とは比べ物にならないのですから。しかし私の魔力があれば、例え聖杯のバックアップがなくてもサーヴァントを十全に運用することが可能でしょう」
「いや俺が聞いているのはそういうことではなく」
「なんで私達が茶番劇で踊っているのを眺めて嗤ってたアンタが、今更になって私達に協力するのかってことでしょう?」
冥馬の言わんとしたことの続きをリリアが引き継ぐ。
聖杯戦争が終わってしまい、聖杯の補助が消えた今、アルラスフィールがバックアップしてくれるのは嬉しいことだが、さっきのアルラスフィールの発言を鑑みると裏がないのかと疑ってしまう。
冥馬とリリア、二人から疑いの視線を受けたリリアは冷たく笑い言う。
「よくよく考えれば私が散々な目にあったのはナチスが原因ですから。この機会に仕返しの一つでもやらないと死んでも死にきれません。
一応下手にロディウスを放置したら聖堂教会が大挙して押し寄せて今後の聖杯戦争すら終わってしまうという、実にアインツベルンのマスターらしい理由もありますけど、やっぱり一番はナチスへの報復です。
アハト翁の失策中の失策のせいで全く役立つことなく終わった『神霊を御せるほどの魔力』です。どうぞ自由に使って下さい」
冥馬が以前に見たアインツベルンのホムンクルスは機械的で、人の形をした機械のような存在だった。
だがアルラスフィールは違う。人間の感情とは正しさのみに非ず。怒りや憎悪に嫉妬や恨み、これらの負の感情も人間の心を構成する一つ。
負の感情を滲ませたアルラスフィールは人間そのものといっていい。
ホムンクルスである彼女がどうして、こんな確固たる負の感情を獲得したのかに興味はそそられるが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「行くか」
教会の扉を開き、最後の戦いへと赴く。
粉雪が空から注ぎ、一段と寒い夜。教会にある時計が11時になったことを告げた。