冥馬と璃正は最低限の朝食を摂取し終えると、向かい合って今後のことを話し合うことにした。
キャスターの姿はない。
戦闘時と比べれば微々たるものであるが、サーヴァントの実体化を維持するために必要な魔力量は霊体化している時よりも多いのだ。
遠坂冥馬の魔術師としての技量、そして魔力量は中々のものであり、サーヴァントを実体化させ続けたとて大したマイナスがあるわけではない。だが節約できるところは節約するというのが冥馬とキャスターの共通意見だった。一銭に泣く者は一銭に泣くのである。
それに霊体化していても声を発することはできるし、どうしても物申したいことがあればキャスターの方から実体化するだろう。
「これからについてだが…………兎にも角にも、冬木へと戻らなければならない。これは遠坂家当主たる私と、監督役である璃正神父との間に共通するものだと認識しているが?」
冥馬は遠坂家当主として慇懃な口調で切り出した。
「……はい」
冥馬の確認に対して璃正もゆっくりと首を縦に振るう。聖杯戦争は本来、開催地たる冬木市で行われるべきもの。聖杯戦争を監督する立場である璃正にとって、冬木から遠く離れた帝都で戦いが繰り広げられるのは本意ではないだろう。
なにせルール違反ということを度外視しても、地方の一都市でしかない冬木と、押しも押されぬ大日本帝国の帝都では様々な事情が大きく異なるのだ。万が一サーヴァントの戦いの余波で国会議事堂などの施設を破壊してしまえば、聖堂教会の隠蔽工作どころで済む問題ではなくなってしまうし、そもそも冬木と違い帝都では聖堂教会のスタッフによる隠蔽も余り期待できない。
「そこで遠坂家当主、遠坂冥馬殿に監督役である言峰璃正の名で要請したいことがあります」
冥馬が遠坂の当主、聖杯戦争のマスターとして話しているように、璃正もまた『監督役』として口を開いた。
「本来であればアインツベルンより『聖杯の器』を委託された後、私は公平を期すため単身で冬木の地へと向かう予定でした。
ですが昨日の襲撃からみてもナチスドイツが聖杯戦争のルールを無視してまで、私の手にある『聖杯の器』を奪取しようとしているのは明白。私もそれなりに腕っぷしには自信がありますが、軍隊が相手では分が悪いという他ない」
「しかもナチスはランサーを有している。サーヴァントなしで冬木に向かおうものなら命が百個あろうと足りないだろうな」
「ええ。だからこそ私は監督役として、貴方に冬木へ赴くまでの護衛を依頼したい」
結局のところこれは『交渉』の名を借りた確認作業だ。
璃正の手にある『聖杯の器』を奪われて一番損するのは遠坂冥馬であり他のマスターたちである。そして『聖杯の器』を奪われては、璃正も聖堂教会の与えた任務を全うできなくなってしまう。
だからこその護衛の依頼。
サーヴァントと戦えるのはサーヴァントだけだ。
時計塔において高位と呼ばれる魔術師だろうと、特に戦闘に秀でた魔術師だろうとサーヴァントと戦っては勝ち目がない。これが聖杯戦争に参加する上で叩きこむべき鉄則だ。
故にサーヴァントを有するナチスから身を守ろうとすれば、璃正もサーヴァントに護衛して貰う他ない。
だが監督役である璃正はサーヴァントも令呪も持ち得るはずもなく、となればサーヴァントを持つマスターに己の警護を頼むしかないのだ。
そして言峰璃正が護衛を頼める唯一の人間であるのが、こうして済し崩し的に共に行動している冥馬だ。
「さて、璃正神父。神父である貴方と違い我々は魔術師だ。魔術師に護衛を依頼する以上はそれ相応の対価が必要となりますが?」
そこまでのことを全て承知しておきながら、冥馬はふざけるようにそんな事を言った。
「対価と言われましても私には貴方に払えるものなどはなにもない。いやはや受けて貰えないのであれば仕方ない。一人で向かえば十中八九『聖杯の器』を奪われてしまいますが、任務である以上、先に待っているのが死という暗闇であろうと、私は足を止めることは出来ませんからな。私は一人で冬木へ赴き、ナチスに聖杯を奪われることにしましょう。
此度の聖杯戦争の勝利者は決まったも同然ですな。遠坂のマスターである遠坂冥馬殿」
「おやおやこれは困った。私としてもナチスに聖杯を奪われる訳にはいかない。これは代価がなくても貴方を護衛しなければならないようだ」
「要請を引き受けて下さり感謝の言葉もありません」
茶番の交渉が終わる。
ここにマスターである冥馬と監督役である璃正は一時的な協力関係を結んだ。
特定のマスターに協力を求めるなど、中立としてはグレーゾーンもいいところだが、事態が事態故に止むを得ない。
少なくとも冥馬はそう思っているし、言峰璃正も例外を例外として認められる判断力と度量がある人間だった。
否。そもそもそういった判断力を認められたからこそ璃正は年若いながら聖杯戦争の監督役という大任を預かったのである。そういう意味で璃正を監督役に任じた聖堂教会の人事は優れたものだった。
「――――で、下らない茶番は置いておくにして、これから具体的にどうするつもりだ?」
キャスターが実体化する。
監督役との一時的な協力関係は締結された。そうなると次に問題となるのは、如何にして冬木市へと帰るか、だ。
「俺に考えがある」
「ほう」
自信ありげな冥馬にキャスターは興味深そうに顔を向けた。璃正も良案があるならば、と期待を寄せる。
二人の視線を集めたことを見計らい、冥馬は自信をもって自分の考えを告げた。
「――――――!」
冥馬の『考え』を聞いた璃正とキャスターは唖然としてしまった。
太陽の光が照らす昼時を、冥馬は璃正と霊体化しているキャスターを伴い堂々と歩く。
聖杯戦争は神秘の隠蔽のためにも人が寝静まる夜中に行うべき、というセオリーがあるのだがそんなことはお構いなしである。
人気のない裏道を進む、なんてこともなく寧ろ人通りが出来るだけ多そうな道を冥馬はぐんぐんと歩いて行っていた。
「……本当に、ここまで堂々と歩いて大丈夫なのだろうか」
璃正が不審の目を冥馬へと向けた。
無理もないだろう。ナチスの襲撃を警戒し、どのようにして発見されずに無事に冬木へ辿り着くか……という議論をしようとしていたというのに、冥馬の考えはまったくの逆。なんの警戒もせず堂々と大通りを歩いて、普通に電車で冬木市へ行く、というものだったのだから。
常人を超えた英霊であるキャスターもこれには呆れ顔をまったく隠そうともしなかった。
だが冥馬はなんでもないように返答する。
「寧ろ夜中にこっそり歩く方が危険だよ」
「というと?」
「昨日の件からいってナチの連中はどんな手段を使ってでも聖杯を奪取するっていうスタンスで挑んできている。そうでなければ一般客がいたロビーにいきなり銃撃戦なんて仕掛けてこない」
「だとすれば、こうやって歩いていれば襲撃を仕掛けてくるのでは?」
「そうとも言えない。もし正真正銘なんでもあり、だったならナチの連中はあそこで退却なんてせず、全軍を投入して一気に聖杯の器を奪おうとしたはずだ。
幾らこっちにはキャスターがいるといっても、あっちには三騎士に数えられる〝最速〟の英霊が……ランサーがいる。俺だって消耗していたし、あそこで大部隊が来ていれば防げてかどうか怪しいものだ。こちらの勝ち目はどれだけ多めに見積もっても30%そこそこか。だからナチスが撤退を選択したのには、他に理由がある」
キャスターがアーサー王という破格の英霊であったということもあるだろう。アーサー王ならランサーを倒した勢いで、そのままナチスの軍隊を全滅させるのも不可能ではない。
しかしそれ以上にナチスはあれ以上暴れることが出来ない理由が他にあった。
「……どれだけ狂った連中だろうと、ナチスは軍隊だ。こうして聖杯戦争なんて裏側の戦いに首を突っ込んでいるといっても、表世界に影響力と知名度がある組織であることに変わりはない。
表側に属する集団である以上、それ相応のしがらみというものが連中にはある。ましてやこの国は連中の元締めのドイツとは共に天を抱かんとする間柄だからな。同盟国であるこの日本であれ以上は銃撃戦なんて出来なかったんだろう。ましてや必勝が確信できてるわけでもない戦いで」
「ではこうして人目のある道を行けばナチスは仕掛けてこないと?」
冥馬は頷いた。
「完全に襲撃してくる可能性がゼロになるわけじゃない。だが少なくとも夜中にこっそり歩くよりは安全なはずだ。
もっともナチスにも狙撃兵はいるだろうし、今も遠くからこっちをスナイパーが狙っているとも限らない。だからその対策はしてある」
「対策?」
「俺の今着ている服は宝石を溶かしこんで作り上げた魔術礼装でね。大砲クラスは無理だが、銃弾程度ならまるで通しはしない」
昨日の襲撃の際にも着ていればもっと楽に立ち回れたんだが、と冥馬は付け加えるようにぼやいた。
「……成程。だが冥馬、身体はその服で守るとして、その……頭はどうするんだね?」
服というのは着るものであって被るものではない。
冥馬の言葉が正しいのならば〝遠坂冥馬〟の体は服という魔術礼装に守護されているので、スナイパーの狙撃にもびくともしないだろう。一方で冥馬の頭はなににも覆われておらず、完全に無防備だ。長距離から音速で飛来する弾丸に対して人間の頭部はトマトのように脆い。
これではスナイパーに『頭を狙え』と言っているようなものだろう。
「抜かりはない」
その指摘を待ってましたと言わんばかりに冥馬が話し始める。
「実は銃弾すら弾く服なんて気休め程度のものだ。本当の対策というのはキャスターだよ」
「キャスター?」
璃正は周囲を見渡すがキャスターの姿はどこにもない。あるのは伽藍とした街並みだけだ。
「キャスターがどうしたというのかね?」
「――――キャスターによれば、霊体化していても簡単な魔術くらいなら使用できる。だから今もキャスターに周囲を索敵して貰い続けている。
魔術師のサーヴァントに選ばれるほどのキャスターの魔術だ。これの索敵から逃れられるとしたら、気配遮断スキルをもつアサシンのクラスだけだろう。
人間のスナイパーの銃弾なんて、こっちに飛んでこようものなら即座にキャスターが実体化して弾く。ついでにキャスターは私達の周囲の『認識』をずらしているから、正確に脳天目掛けて弾丸が飛んできても、命中するのはそこいらの家の壁だ」
「確かにそれならば安心かもしれない」
そもそも作戦に不満があれば憚ることなく不平不満をぶちまけるのがキャスターだ。そのキャスターが呆れながらも何も言わなかったというのは、キャスター自身が冥馬のアイディアを認めているからに他ならない。
冥馬は偶に抜けたことをするが決して愚かではない。蛮勇と思われかねない冥馬の考えは、その実、完璧に計算された大胆な作戦なのだ。
「ところで冥馬。人目があるところならナチスは仕掛けてこないと君は言ったな」
「さっきからそう言ってるじゃないか」
璃正が足を止める。そして普段は混雑しているであろう大通りを見渡した。
呆れながら、恐らくは璃正よりも早く同じ異常を悟っていたキャスターが大通りでありながらも実体化する。こんな場所で実体化したキャスターを咎めようと口を開きかけた冥馬だったが、それよりも早くキャスターが鋭い指摘をする。
「冥馬、お前の顔についている目玉は飾りなのか? これのどこが人目のある場所なんだ?」
「は? 何言ってるんだキャスター。一昨日ここへ来たときもこの辺りは沢山の人で賑わって………………あれ?」
そこで漸く冥馬も〝異常〟に気付いた。
誰もいないのだ。普段であれば幅広い年齢層の人間でごった返しており、人々が忙しなく通る大通りに人っ子一人としていないのである。
活気のある街並みは、まるで毒ガスでもばら撒かれたかの如く死んだように静まり返っていた。
「待ってくれキャスター。この周囲に人払いの魔術の類は仕掛けられてないはずだ。いや余程こういうことに秀でた魔術師なら、俺に気付かせずに人払いをするなんてことも出来るかもしれないが、幾らなんでもキャスターを騙せる訳がない」
キャスターとてもし人払いの結界が張られていたのならば、念話を使い冥馬に警告を告げただろう。
しかしキャスターは何も言ってこなかった。つまりキャスターも人払いの魔術を感知していないということだ。
「そうだな。俺もキャスターの端くれ。人払いの結界があれば、仕掛けたのがマーリンでもない限り、お前が気付かなくても俺が気付く。これはキャスターの名において断言するさ。この周辺に人払いは仕掛けられていない」
「なら……」
「だが此処に人払いを仕掛けずとも人払いをする方法なんて幾らでもある」
「――――!」
人払いの魔術は依然として感じない。だが冥馬も璃正も気付いていた。三人を取り囲むように何かが物陰に隠れ近付いてきている。
聴覚を強化して周辺を探る。間隔なく地面を進む足音。十人やそこらではない。正確な数は判別できないがかなりの数の集団だ。
冥馬は宝石を握りしめ、璃正は拳法の構えをとり、キャスターは黄金の剣を出現させ――――いつ相手が仕掛けても対応できるよう準備を整える。
「キャスター、此処に人払いを仕掛けずに人払いを仕掛ける方法って?」
油断なく全方位を索敵しながら冥馬が尋ねる。
「単純なことだ。例えば十字路であれば、四方の道に人払いの結界を張っておけば、中心である十字路は人払いがなくても結果的に人がいなくなるだろう?」
「理屈はわかるが、これほどの大通りから人っ子一人なくすなど魔術師一人では到底不可能だぞ。軍を引き連れて参加しているナチスですら難しい」
璃正の言う通りだ。
これほどの大通りから完全に人気を消そうと思えば、かなり広範囲に渡る地域の道を全て〝潰す〟必要がある。そんなことをするのは大勢の集団と、相応の土地勘が不可欠だ。
自国であるのならばまだしも、他国の軍事組織にそのような土地勘があるわけがない。
(……ああ、そうか)
他国の軍事組織にそのような土地勘の持ち主がいるはずがない。ならば簡単だ。他国の軍事組織ではなく自国の軍事組織であれば――――そういう土地勘の持ち主くらい探せばいるだろう。
余所の国であるナチスすら聖杯を求めてはるばる海を越えて参加してきているのだ。ならばこの国の軍事組織が参加しない理由などどこにもない。
「――――来るぞ!」
キャスターが警告を発する。
冥馬の推測を裏付けるように、物陰から飛び出した帝国陸軍の兵士達が三人に発砲してきた。