四方八方から雨と降り注ぐ銃弾。
だが銃弾が冥馬たちの体を貫くよりも早く、魔術師の英霊たるキャスターが動いた。
キャスターは手を薙ぐ様に振っただけだ。たったそれだけでキャスターは並みの魔術師なら長い詠唱を必要とするランクBの魔術を起動させる。
灼熱の炎が冥馬と璃正たちを守護するように吹きあがり、鉛玉を鼠を喰らう蛇のように呑み込んでいく。
「成程。サーヴァントは現代の知識を聖杯より与えられているが――――これが銃、この時代の兵士が使う弓か。
弓矢など目じゃないほどの連射性と威力、精度がある。剣や弓が時代の遺物として取り残されたのも、この威力を知れば合点がいく」
なんでもないように銃弾を防ぎきったキャスターは、なんでもないように防いだ銃という武器に高評価を下す。1000年以上も過去の王であるキャスターにとって、現代の主武装である銃は興味をそそられるものらしい。
冥馬は周囲を見渡した。見えるだけでもざっと三十。帝国陸軍の軍服を着た兵士達に囲まれている。
「サーヴァントは狙うな! マスターを仕留めろ!」
周囲の中から一際良く通る声が響き渡った。
彼等の指揮官の声だったのだろう。命令を受けた兵士達がキャスターではなく、その銃口を冥馬の方へ集中してきた。
だが慌てることはない。自分にはキャスターという心強い味方がいるのだから。
「キャスター、頼む」
「分かっている」
冥馬に降り注いだ銃弾は、さっき起こった出来事をなぞるように炎に防がれた。
陸軍の判断は正しい。どれだけ強力な銃火器を用意したところで、街一つを吹き飛ばすほどの爆弾を用いたところで霊体であるサーヴァントを倒すことはできない。
霊体の中でも最上位に位置するサーヴァントを傷つけるには、特に霊体を殺すのに特化した武装を用意しなくてはならないのだ。
だがサーヴァントとは違いマスターはただの人間。鉛玉が脳天に直撃でもすれば一溜まりもない。
「もっとも当たればの話だが。一掃しろ、キャスター」
「命令ばかりで良い御身分だな」
文句を言いつつもキャスターは命令通り、炎の魔術の矛先を銃弾ではなく周囲の兵士達へと向けた。
彼等軍隊が使用しているであろう火炎放射器よりも遥かに高温の業火が、冥馬たちを囲っている兵士達を焼き払っていく。
「奇襲は失敗だ。第一隊は退け! 第二作戦に任せろ!」
生きながらに肉を焼かれる断末魔の中、指揮官の怒声が轟いて兵士達が撤退していく。だが退却できなかった兵士達は一人残らずキャスターの炎に焼き殺されていった。
「冥馬。聖杯戦争は国が派遣した軍隊同士が凌ぎを削る戦いだったのか?」
どこか疲れた顔で璃正が皮肉を言った。
「いや。七人の魔術師が七人のサーヴァントを呼び出して殺しあう戦いだったはずだ。少なくとも六十年前はそうだったらしい」
ナチスといい帝国陸軍といい、サーヴァント同士を戦わせるという聖杯戦争の常識をまるで無視してきている。
これが一魔術師の勢力であれば監督役である璃正を通し、聖堂教会・魔術協会から警告を発することもできるかもしれないが、相手が国家となるとそうもいかないだろう。
第三帝国と大日本帝国。共に世界に覇を唱える国家であり、聖堂教会や魔術協会の圧力を跳ね除けるだけの力をもっているのだから。
「二人とも喋っている暇があるのならば周囲を警戒していろ。……なにかが高速でこちらに近付いてきている」
「……! サーヴァントか?」
こうして自分達を襲い掛かって来たということは、十中八九帝国陸軍もサーヴァントを召喚してきているはずだ。
軍隊を投入してきているといっても、これが聖杯戦争である以上、最大の戦力は呼び出されたサーヴァントである。
幾らただの人間の兵士を倒したところで意味など余りない。例えここにいる兵士を皆殺しにしたところで、陸軍には万を超す兵隊がいるのだ。
冷酷なことを言えば兵士の代わりなど幾らでもいる。
故に相手に致命的損害を与えるには変えの効かない存在を――――サーヴァントを倒さなければならない。
相手がサーヴァントを投入してくるならば、なんとしてもそれを倒すのみだ。だが、
「違う。魔力が発せられていない。単に高速で近付いてきているだけだ。サーヴァントじゃない」
キャスターは近付いてきているのがサーヴァントではないと言う。
「サーヴァントじゃないならなんだって言うんだ? あちらも銃やそこいらではこっちを倒せないなんて承知しているだろう」
「それは、もう直ぐ分かることだ」
キャスターの言う通りだった。
いよいよとなり冥馬の耳にも、なにかが高速で回転しているような喧しい音が響いてくる。
(ま、まさか……)
冥馬の脳裏に接近してきているものの正体が思い浮かび、空を見上げる。そして冥馬は自分の想像が正しかったことを突きつけられた。
プロペラを回転させながら空を穿つように飛翔しているのはゼロ戦――――科学や兵器には疎い冥馬すら知っている、日本の誇る戦闘機だ。
「ぜ、ゼロ戦!? 正気か、帝国陸軍の連中は。戦闘機を投入してくるだと!?」
「よもや、ここまでとは」
冥馬も璃正も絶句するしかない。帝国陸軍が遊び半分で聖杯戦争に挑んできている訳ではないことは承知していたつもりだが、本気の度合いを測り違えていたようだ。
まさか聖杯戦争に勝つために戦闘機を投入してくるとは流石の冥馬をもってしても予想できなかった。
たった三人の人間を殺すためだけに空を飛ぶゼロ戦は、冥馬たちに機関銃を掃射してくる。
戦闘機に装備されているほどの機関銃だ。その威力は歩兵が使う銃とは比べ物にならない威力である。冥馬の魔術では防ぐのは難しいかもしれない。
けれどキャスターはそうではなかった。
「空を飛ぶ騎馬か。面白いものを投入してくる――――!」
毒づきながらもキャスターは冥馬と璃正を守るように飛び出すと、透明な障壁を手より出現させて機関銃を全弾防ぎきった。
キャスターが防いだ勢いでゼロ戦を撃墜すべく、高密度の魔力が凝縮された光弾を放つ。しかしゼロ戦のパイロットはかなりの腕らしく、キャスターの光弾を巧みに躱すと再び大空へ舞い上がっていく。
それに回避しているだけではなかった。置き土産とばかりにゼロ戦は爆撃を加えてくる。
「チッ」
舌打ちしつつキャスターが障壁を上方へと展開して、爆撃を受け止めた。
「……気を付けろ、冥馬」
ゼロ戦を落とし切れなかったとはいえ、攻撃を全て防ぎきったキャスターだったが、顔に浮かんでいるのは苦戦している者のそれだった。
「どうしたんだ?」
「ゼロ戦といったか、あの戦闘機の名前は。さっきの爆撃といい機関銃といい……単なる兵器じゃない。魔術的な補強が……『強化』の魔術が加えられている」
「強化の魔術……!」
魔術でも最もポピュラーな魔術のうちの一つ『強化』。その名の通り魔力を込めて対象の存在を強化する魔術だ。
身体能力を強化すれば運動能力が上がるし、盾を強化すれば頑丈さが上がる。……そして機関銃や爆弾を強化すれば、ただでさえ高い破壊力を更に上げることになるだろう。
「見ろ、この障壁を」
「あっ!」
キャスターの展開した障壁には蜘蛛の巣状の皹が入っていた。
幾ら機関銃のような元々の破壊力が高いものを強化したところで、キャスターの障壁に皹を入れるほどの威力は生み出せない。
だというのにここまでの破壊を実現したということは、強化した『兵器』だけではなく術を施した術者も強力だということだ。
「冥馬、キャスター。まだ来るぞ!」
璃正が声を張り上げた。
旋回してきたゼロ戦の機関銃が火を噴く。二度目の攻撃にキャスターは先程以上の魔力を込めた障壁をもって対応した。
しかし今度はそれだけではない。
キャスターがゼロ戦の相手をしているのを好機とみたか、兵士たちが再び銃撃を再開したのだ。
璃正は咄嗟に『聖杯の器』が入ったスーツケースを自分の体で庇う。そしてそんな璃正を守るように冥馬が前へ立った。
「こんなもの、キャスターの手を煩わせるまでもない!」
炎と風、二つを同時に出現させた冥馬は壁が迫るような銃撃を防ぎきる。
しかしこのままでは防戦一方。魔力とて無限ではないのだ。このまま防御に徹していれば魔力をどんどん消費していくだけである。
襲い掛かってくるのが生身の人間の兵隊だけなら、こうして防ぎながら相手の隙を見出すのがベストな選択肢なのだが、生憎とこれが聖杯戦争である以上そんな悠長なことはしていられない。
(相手はまだサーヴァントを投入してきていない……! もし消耗したところに強力なサーヴァントが出て来れば!)
アサシンやバーサーカーならまだしい。
しかしもしも帝国陸軍が擁するサーヴァントが魔術に秀でたキャスターには相性最悪というべき高い『対魔力』をもったサーヴァントであったならば。
「冥馬、俺はあのゼロ戦を落とす。だから俺がいないでも暫くは持ち堪えられるか?」
現状はキャスターも良く理解しているのだろう。そんな提案をしてきた。
「人間相手ならば、一時間でも二時間でもいけるが、サーヴァントが出て来れば無理だ」
「OKだ。なら暫く持ち堪えていろ。俺はあれを落としてくる! なにかあれば令呪を使え」
ピシャリと言い切るとキャスターは歩兵たちの銃撃など無視して、建物を足場にしてゼロ戦へと跳躍する。
「と、こっちはこっちで連中をどうにかしなければ」
キャスターはキャスターでどうにかするだろう。
冥馬も自分のやるべきことを、周りにいる兵士達を相手にしなければならない。仮にサーヴァントがいない隙を見計らい敵がサーヴァントを投入してくれば、少し勿体ないが令呪を使いキャスターを呼び出すまでだ。
「――――サーヴァントが遠坂冥馬より離れた。今こそ好機だ。行け!」
新たな命令を受けた兵士達の目により直接的な殺意が宿った。物陰に身を隠しながら銃撃をしていた兵士たちが飛び出してくる。
勝負に出たのだろう。兵士達が冥馬に発砲しながら突進してきた。
右手の指に嵌めたルビーの指輪に魔力を流し込む。
「Verbrennung!」
一喝。冥馬の手より出現した炎が、鞭のようにしなり兵士達を薙ぎ払った。
しかし一方向から突進してくる兵士達を倒したところで、兵士は四方にいるのである。冥馬が焼き払った方向の反対側にいる兵士が、冥馬ではなく璃正へと襲い掛かっていった。
「璃正!」
冥馬が叫んだ。
兵士達の狙いは璃正ではない。璃正がもつ『聖杯の器』だ。その証拠に間違って『聖杯の器』を破壊せぬよう、銃ではなくナイフを構えて襲い掛かってきている。
「帝国のため、聖杯は頂く!」
「くっ……!」
冥馬は急いで璃正の援護に回ろうとする。だがはっきりいって冥馬のその行動は無意味といって良かった。
別に冥馬の援護が間に合わないのではない。単に援護する必要がそもそもなかっただけだ。
「覇ァァァァッ!!」
気付けば璃正に襲い掛かった兵士達が宙を舞っていた。
並みの人間なら認識すら出来ないような早業だったが、冥馬の目はそれに追いつけていた。
信じ難い事に璃正は強烈な一歩で兵士達の間合いに踏み込むと、目にも留まらぬ速度で三人の兵士に掌底を叩き込み宙へ飛ばしたのだ。
璃正の掌底を喰らった兵士達はどさりと地面に落ちてきて、動かなくなる。死んではいないだろうが、完全に気絶していた。
「聖杯を奪いにかかってくるからどれほどのものと思えば、まだまだ功夫が足らなかったようだな。軍人よ、その程度では私の手より聖杯は奪えんぞ」
主君を守る用心棒のような佇まいで璃正はすっと兵士達を見渡す。
神業じみた璃正の動きに呆気にとられてしまったのか、兵士達の足は止まっていた。
「来ないのならば、こちらから行くまで」
璃正が動く。兵士達が慌てて発砲するが、それよりも早く璃正の拳が兵士達の腹にめり込んでいた。
「はははは。これはたまげた。こっちも負けてられない!」
忍び寄ってきた兵士を冥馬は裏拳で弾き飛ばす。遠くにいる兵士は炎と風で焼き払い、切り払いつつ、近くの兵士は鋼鉄へと変えた四肢の餌食とした。
「退け! 退け! 少尉でもなければ、そいつらに近付いて勝てはしない。ここは退け!」
兵士達も冥馬と璃正を相手に接近戦を挑むことの愚を悟ったのだろう、銃を発砲しつつ後ろへ退いていった。
冥馬と璃正は背中を合わせて逃げる兵士達を見据える。
「教会の神父が八極拳とは、聖堂教会の第八秘蹟会は一体全体どうなっているんだ?」
「そちらこそ魔術師が肉体をそこまで鍛え上げるとはどういうことか?」
「健やかな肉体にこそ優れた魔道は宿る。遠坂家では武術も魔術を刻む上での必修科目だ。そっちは?」
「聖地を巡礼し各地へ散らばった聖遺物を回収するには、病や疲労に負けぬ鋼鉄の肉体が必要。神父たるもの武術は嗜みの一つ」
「お前のそれは嗜みという次元じゃない。もはや達人だ」
「そちらこそ魔術師など止めて武術家になった方が良いのでは?」
「来世の職種候補に入れておこう。それより、キャスターの方も首尾よくやったようだ」
キャスターの放った光弾を翼に直撃させたゼロ戦は、飛行能力を失い墜落していっていた。
魔力を若干消耗していたものの傷一つないキャスターが冥馬たちのもとへ戻ってくる。
「……その様子だと、無事かと尋ねる必要はないようだな」
「お互いにね」
戻ってきたキャスターは開口一番にぶっきらぼうに言う。
厄介なゼロ戦も墜落させ、相手の兵士達の士気を折ることもできた。これをもって形勢は逆転する。
「日の丸を刻んだゼロ戦は地に堕ち、我が下には我が従僕が戻ってきた」
威圧するために両手を広げて、尊大に冥馬は告げた。
「まだ戦うのか?」
静かな威圧だが効果は覿面だった。息を潜めていても兵士たちが動揺しているのが伝わってくる。
やがて兵士達は上官からの許可がでたのか、周囲から完全に撤退していった。
「やれやれ。出来れば邪魔なしにスマートへ戻るのが理想的だったがままならないもの――――ん? これは……!」
兵士達の撤退は戦闘の終了を意味しない。
撤退した兵士達と入れ替わるように、百人の兵士すら霞むほど濃密な殺意が突き刺さる。
鋭利な槍に五臓六腑を貫かれたようだ。息すら出来なくなる程の殺気、そして隠しようもないほどの魔力の塊が付近に潜んでいる。
「本命のお出まし、だな」
「そのようだ。身構えろ冥馬、来るぞ」
キャスターが言った瞬間だった。建物の屋根の上から黒い影が飛び出してくる。
「だ、っらぁぁああああああああああ!!」
飛び出してきた黒い影は風車の如く回転しながら、空気を犯す妖気を秘めた刀をキャスターへ振り下ろしてきた。
「なっ!」
驚愕しながらもキャスターはその刃を聖剣で受け止める。現れた黒い影とキャスターの間で鍔迫り合いが起こった。
「あ……ありえない……」
そう、鍔迫り合いなど起こる筈がないのだ。
相手がサーヴァントだというのならば、冥馬もキャスターも驚いたりなどはしない。当たり前のようにサーヴァントを警戒し、当然の如く対処しただろう。
問題なのは――――キャスターと鍔迫り合っているのがサーヴァントではないということだ。
「は、ははは。凄ぇな騎士。強ぇ力だ」
猛獣のように男は獰猛に笑った。その首級には日の丸のような赤い刻印が刻み込まれている。
その刻印を見間違えるはずがない。それは聖杯がマスターに与える令呪だ。あろうことか男はマスターなのにサーヴァントであるキャスターと打ち合っているのである。