「では、軍議を始める」
集落から少し外れた場所に、各一団の代表者たちが直立して一同に会している。
と言っても、流天組の面子と、魁組の亥改大州とその護衛役らしき巨漢。
その険悪な両派閥の間に挟まれて、居心地の悪そうにしている環と、平然と笑みを保っている舞鶴。
……そしてその環の頭の横は、今も腫れていたし、その加害者は今もなお、機嫌が悪かった。
――その八つ当たりが俺自身に来るのはまだ良い。だが、
「……で、警護役殿が何故現場をほっぽり出してこんな場に出てるんだかね」
と、幡豆由基は乾きかけた前髪をかき上げて亥改大州を睨んだ。
「ちゃんと周囲は見張らせてるし、敵を発見した場合の対処ももう言い渡してある。それにこの高所からなら敵の動きなんて簡単に見て取れる。……何か問題が?」
「ふん」
――だと思った。
環は内心うんざりしたように幡豆家の巫女を見た。
もっぱら敵視しているのは由基ばかりで、大州自身が流天組を悪し様に言ったことはない。だが、こうもいちいち突っかかられて面白いわけもないだろう。
咳払いして両者の気を散らすと、緋鶴党から渡された文を回し読むよう促した。
その文面を説明したのは、事前に報告さればかりの由基だった。
「ご覧の通りだ。朝廷は兄殺しを正当化し、その被害者を悪者と見なした。朝廷だか帝だかのえこひいきは今に始まったことじゃねーけど、よそ様の評判は悪くなり、特に各府公がオレらを正直に受け入れることは難しくなっただろう」
その報せを初めて知った同志たちが、色めきたつ。
「……くそっ、だったらこの檄文も無意味になっちまったな」
色市は悔しげに取り出した紙をくしゃくしゃと丸め、草の上に投げ捨てた。
「……何やってるんだ。紙も筆も墨も、無尽蔵にあるわけじゃないんだぞ」
「好きで無駄にしたわけじゃない! ……おれだって考えてるんだ」
座ったまま身を屈めて拾い上げた環が、その文章を見る。
諸流派を修めたという色市の書の腕は、独特ながらも字体そのものは美しい。
そして文面には、宗善らの主張とは逆に、自分たちこそ朝廷に降伏するので、父の仇を討って欲しいという話が、麗句を多分に交えてびっしりと、みっちりと記されていた。
……鐘山環の名で。
「……お前な」
「だがこうして見てみると確かにこいつは駄文だな。本人の汚点を美点にすり替えたうえ、三割増し、とくりゃあこれじゃ別人だ。良吉、鼻紙に使って良いぞ」
彼らの反応を楽しむかのように、意地の悪い微笑を浮かべて、舞鶴が進み出た。
だが彼女の唇から、発せられたのは、さらに現在進行形でひどくなっていく事態についてだった。
凱旋した銀夜が素早く各逃走路を封鎖にかかっていることが伝えられたのである。
彼我の速度を鑑みれば、今はまだ警戒網へ向かっても着いた時には既に封鎖されていることも考えられた。
――そもそも、境界線を抜けたところで、容易に追撃を諦めるとも思えないが。
「そこでこの苦境、どのようにして脱するべきか、各々の存念あれば、是非とも忌憚なく言っていただきたいと思います」
――何を白々しい。
自分の頭の中では既に煮詰まった腹案があるだろうに。
舞鶴の言葉にそっぽを向いたが、積極的に拒絶することもなく、環は終始無言で、餅の上の橙となっていた。
まず手始めに挙手したのが、色市始だった。
「どうぞ」とにこやかに黒衣の女に促され、弁筆達者なこの若者はまず咳払いした。
「海上封鎖と言っても、全てしらみつぶしに行えるわけじゃない。それぞれ分散して船に乗り、海を渡って境界を抜ける」
「渡ってどーするよ?」
「無論、朝廷に我々が拒まれている以上、それと公然と彼らと剣を交える相手と合力するほかない。すなわち、任海、水樹たちの反乱軍に合流する」
「……どんな海路で、最短距離はどれぐらいになる? 渡航に必要な食料は、人員は? 寄港地があるとして、それが位置するのは朝廷か、もしくは桃李府の領ということになるが?」
ずばずばと、容赦なく指摘を浴びせたのは、対面に座る大州だった。
そして色市を擁護する人間は、味方であるはずの流天組の中にさえいない。むしろ、
「それに肝心なのは国を抜け出るまでの流れだ。そこにアラが多すぎる」
と、地田豊房も大州の反対意見に同調した。
悔しげに唇を噛みしめる弁士の隣で、幡豆由基が手を挙げた。
「はい、幡豆殿」
「関所を無理矢理突破すれば済むという問題じゃねーってんなら、変装して抜ける。例えば、巡礼中の神官を装うとか。その受け答えはオレがすりゃ良い。仮にも神仕えだからな。口上ぐらいは諳んじることができる」
「……にしたって環の人相は敵も分かっているだろう。それを指摘されたらどうする?」
「そんなもの、コレを役人の前でブン殴れば済む話だろ」
「!?」
「まさか連中も大将がそんな扱いを受けるとは思わねーって」
「……どこかで聞いたことある話のうえに、俺、普段も相当ひどい扱いを受けてるんだけど」
「……では、僭越ながら」
と、次に地田が発案した。
「関守と言っても、全員が潔白というわけではあるまい。賄賂が通用する相手も、必ずいるはずだ」
「賄賂? そんな金があると思ってんのか?」
「そこは、亥改、貴殿の手勢に盗みに長けた者はいないか? そういう人間に城にある蔵なりを襲わせて……」
「てめぇ……うちの組は盗賊団だってのか!?」
席を蹴り、気色ばむ護衛役を、大州は座ったまま引き戻した。
「そんなのがいたら、とうに持ち金を増やしてる」
「そうだったな。……すまない、気を悪くさせた」
わだかまりもなく素直に地田は失言を詫びた。
「では亥改殿は、何か妙案がお有りですか?」
魁組の頭領は切り株にどっかり腰をつけたまま、ニヤリと笑った。
「なぁ、軍師殿。茶番はもう良いだろう? いい加減、あんたの頭の中のこと話してもらっても」
――どうやら、この男も気づいていたな。
舞鶴が自分たちの意見を求めたのは、案が出尽くしたところに自分の策を披露し、その採用をより確実のものとするため。
「あらまぁお気の早い」と微笑み、彼女は木に立てかけた黄金の杖を手に取り鳴らした。
しゃらん
「皆様の意見には多々聞くべき点がありました。しかし惜しむらくはそれが通用するする人間と、しない人間とがいることです。銀夜殿は恐らく我々の行く先に見当をつけ、その要所に無駄なく精兵を配置するでしょう。そうなれば、ちょっとした細工は通じません」
「だったら、どうしろと?」
「絶対に来ないだろう。行く意味がない。そんな場所こそ、油断も生じる。そこが狙い目です」
「その場所、とは?」
「この西に位置する、御槍(おやり)城の城下町」
……環は、重ねて問うた己の愚を呪った。
要するにそこは、敵の主力、鐘山銀夜の本拠だった。
「無茶だっ!」
まず反対したのは、常識人枠の地田だった。
「敵の城を乗っ取ろうと言われるか!? いかに彼女が出ていたとしても、我らに倍する将兵が詰めているだろう!」
例えば十六人で堅城を落とした智将の講談があるが、それは相手が暗愚なお殿様であるから成立するお話であって、敵は一流の将帥、鐘山銀夜とその家臣たちだ。
攻めあぐねて増援に挟撃されるのがオチだ。
だが……
「第一戦略的にも悪手だ! 仮に城を落とせたとして、来襲する宗善本隊に包囲され、味方が来ることもなくそのまま揉み潰される! どうかそのあたりを」
「もう良いだろ。地田さん」
と、珍しく激昂する年長者を、環はそっとたしなめ、それから舞鶴を睨み見た。
「この女が俺らが危惧していることに気づいてないわけがない。やたらと迂遠な言い回しはいつものことだ。……危険を冒して城下に侵入するのは、別の目的から。そうだな? 舞鶴」
「ご明察、恐れ入ります」
深々と頭を下げて、それから勢いよく上がる舞鶴の顔は、とても晴れやかだった。
しゃらん
「実は銀夜殿に、出国許可をもらえるよう、お願いに行くのです!」
「…………今度ははしょり過ぎだ。もっと具体的に言え」
環組んだ腕に怒りを込めて、できるだけ感情を押し殺した。
「具体的と言いましても、これが一番核心を突いた言い方ですので。……亡き宗円公に、力添えいただいて、ね」
どうして、今の話に故人が出てくるのか。
環を始め、その場にいた全員が当惑し、あるいは呆れた。
この黒衣の軍師の言わんとすることを探るべく、皆口を閉ざして思案した。
「……つまり、この方はオレらに死ねと言っているらしい。確かに死んで魂だけになれば国境なんて関係なく飛んでいけるからな」
由基が面白くもないうえに笑えない冗談を飛ばし、静まり返った場がさらに白ける。
死人、御槍城下、許し、力添え……
――まさか……
てんでバラバラなその四言、それらが環の頭の中で、解きようもないほどに鎖で繋がれた。
理解、してしまった。
黒衣黒髪の女を見る。
少女にも見えるそれは、環が導き出した解答が正しいのだと、強く、頷いた。
瞬間、
「…………くく……くくくく……ははははは! あははははははっ!」
少年は、笑った。
タガが外れたように、
まるで自分が生きて呼吸することが、滑稽だとでも言うように。
その狂笑が少女の冗談によってこみ上げたものではないことは、誰の目にも明らかだった。
「あはははは! なるほどな! その手があったかっ! だがそれほどか!? そうまでして俺は生きなきゃならないのか!? そんなことまでして生きる意義が、必要が、権利が! 俺にあるのか!?」
彼は帽子を上から押さえつける。
自らの頭蓋をそのまま割ってしまいそうなほどに、強く、激しく。
だが、方法は、それしかない。
この場にいる誰も死なせることなく、この国より出るには。
舞鶴の肩を叩く。
それは彼女の悪事に加担するという彼なりの意思表示だった。
「……ロクな死に方しないぞ、お前……っ!」
「それが、殿の王道のためとあらば」
流浪の公子の笑みは、鬼女と契る高僧のようだった。