バッカじゃねーの
バッカじゃねーの
ばっかじゃねーの
…………
聞き間違いではなく、この親友はそう言った。
そのままの勢いで詰め寄ると、いきなり胸ぐらを掴んでくる。
「なんで板形を出た?」
「なんでって……そりゃいきなり襲われたら逃げるだろ!」
「それでも屋敷なり城の一郭なりに立てこもって宗善討伐の号令を呼びかけてりゃ、去就を決めかねてた連中はお前になびいたのに。さっさとケツまくって逃げるもんだから、みんな宗善派になびいちまった。ったく、その程度の勘定もできねーから、国も盗られる。お前のオヤジも、冥府の門をくぐる前に息子の教育に本腰を入れなかったことを後悔してるだろうさ」
「だぁぁ! やかましい!」
友人の容赦ない批判を振り払うようにバタバタと大手を振り、環は指を突きつけた。
「お前な、あの状況でそこまで頭が回るわけないだろ! そういうのは当人じゃないから言えることなんだよ!」
「当たり前だろ」
ケロリとした顔で、由基は胸を張った。
「でなきゃこんな無責任なこと、言えるもんか」
「……っ……っ!」
環は、突きつけた指を震わせた。
絶句する口は金魚のようにパクパクと上下する。
そんな彼の姿を見て他の朋友たちはゲラゲラと笑い、黒衣の美女はクスリとこぼす。
……幡豆由基がこういう人間であると、環は我が身の情けなさとともに思い出した。
幡豆家は鐘山家の被官の家柄であるとともに、戦と水の神とされる盤龍神(ばんりゅうしん)を祀る宮、そのもっとも外郭に位置する五ノ宮を司る神官の家系である。
この由基はその第四子として生まれた。
歳は、環より三つ年下。
本人はすっかり忘れたような顔つきでいるが、赤子の頃よりの付き合いである。
いかにも神職らしい、気品に満ちた凛とした顔立ちと、射抜くような眼光の強さに、初対面の相手は気圧されることが多い。
だがそれに反した粗暴さが、なおさら人を寄せ付けない。
長い髪が動くのに面倒という理由で、バッサリ切り落とされている。
その牡丹の如き色の唇から漏れるのは、一割が直言、正論。九割がそれが可愛いと思える大暴言である。
そんな輩が、爪弾き者同士で徒党を組み、市井を闊歩するのは、自然な流れと言えた。
落ち着いた色合いながら上等な絹織物を瀟洒に着こなしつつ、背に骨太の強弓を背負う姿は、常に一団の中でも一際目を惹く存在だった。
「ああハイハイ! どうせ俺は出来損ないで無能な三代目ですよ! で、そんな野郎のところに、わざわざ馬駆ってきたお前はなんなんだよっ!?」
「仕方ねーだろ」
と、由基は腕組み嘆息して言った、
「他ならぬ、勝川舞鶴殿、直々の頼みだ。断れねー」
まるで、知っているかもような口ぶりだった。
――追っ手の奴らも知っていた。
波打ち際、童女のように一人戯れる、あの女を。
「なぁ、おい……おい」
にわかに友人に詰め寄った環は、その肩を抱いて、顔を近づけ声をひそめた。
「なんだよ」
「で、あの女は何者なんだ?」
「お前……」
と、由基は少し身を引いて、目を見張って環を見つめた。
呆れたように睨み、嘆息し、
「彼女がどんな人間かも知らず家臣にしたってわけか。ったく、こんな情報弱者が一丁前に天下を狙おうってんだから世はまさに大荒れの大乱世だよな」
「あの女がお前らへの知らせになんて書いたか、そんなことはどうでも良いけど、俺は天下に望みなんてない。でも、あれは一体何なんだ? 本人に聞いても、自分は不老だなんだのと、ふざけたことしか言わない」
「聞いてるじゃないか」
と、由基は大儀そうに息を吐いた。
「言葉のとおり、あの人は不老。それも凡人が経験する天寿の、二倍三倍という時間を、それこそ王争時代より生きているという順門府の最長老。『百年史』曰く、彼女の活躍あればこそ現朝廷の統治が百年遅れたとも、逆に百年早まったとも言われる、生きる伝説だ」
――その伝説とやらが、俺なんぞに力を?
どうにも眉唾な話に、またも口の端には、自然と皮肉な笑みが浮かび上がった。
「はっ、それってアレだろ? 一人で生きてるって生きてるって言いながら、実は一族内で代替わりしてるってオチだろ?」
「そう思うか? あの御仁、お前とは旧知と言っていた。てことは既に一度、あるいはそれ以上、どこかで顔を合わせているはずだ。そこで会った彼女と今のあの女は、お前の言うように別人なのか?」
斬りかかるような鋭さで言を継ぐ由基にたじろぎながら彼は思い返したあの日の姿を、今の彼女と照らし合わせた。
やはり幼き日、亡母に繋がれて見た立ち姿は、今この時と寸分違わない。
そしてそれは、この短時間で何度も繰り返した疑問だった。
それでも、毎度出た解答は「甲と乙は同一人物である」という解であり、その度に、
「ありえない」
と繰り返してきた。
「妖狐や仙人じゃあるまいし」
「いるんじゃないか。そういうのは。お前を追いかけてる宗善の娘は、銀髪紅瞳ってウワサだ。……そして齢十にして、突如目が青く変異する奴もいる」
無二の友は、空色の双眸を覗き込みながら言った。
それが妙にこそばゆくて、環は視線を外した。
「舞鶴のこともよろしゅうございますが」
と、
ふと振り向けば、至近にその舞鶴のにこやかな笑みがあった。
うおっ、とのけぞる二人に今度は話題の人物が問い返す番だった。
「舞鶴は、殿と由基殿の関係こそ気になります」
「関係って、知ってるからこそこいつを呼んだんじゃないのか?」
「えぇ。ご昵懇とは風の噂には聞いていましたが、実際にはどのような仲なので?」
「ゴジッコン?」
聞き捨てならないことを耳にした、と言わんばかりに、由基の人相が悪くなっていく。
「ただの腐れ縁スよ」
「ですので、それを具体的に」
「なんでもない。ほんとうになんでもない」
「……流天組(りゅうてんぐみ)」
ボソリと呟いたのは、一団の中で一番年若い良吉(りょうきち)だった。
懐かしい言葉を聞いた瞬間、環の総身は、ビクリと無意識に揺れた。
「はて、なんでしょうか? それは」
「我々が結成した義賊の集まりさ」
「民を泣かせる腐れ役人を叩きのめし!」
「がめつい商人の証文を焼き払い!」
「市井を歩いて悪を挫く、義理と人情、伊達と酔狂の命知らずども!」
「と、そこの環が言ってただけで、要するに不良の集まりだ」
ぎゃあああ、と。
悲鳴をあげたのは、ほかならぬ環だった。
「やめろぉ! それ以上言うんじゃない!」
「……あらあら、うふふ」
身悶える主人を横目で見ながら、舞鶴は思わせぶりな笑みを浮かべていた。
「鐘山環様は、実直な方とうかがっていましたが」
「は? 誰スか? そんなこと言ったバカは? こいつほどの悪たれ、順門百万石の中でもそうそういねーっすよ?」
環の後頭部を無遠慮にベシベシとはたいて、由基は言った。うんうんと、他の朋友も同調した。
「毎回集まりに参加してたし」
「さっき言ってたことにも積極的に参加してたよなぁ?」
「おまけに旗とか歌も自作してたし」
「双鎌術なんて誰もやってないような奇特な武術をかじり始めたのもその辺りだったか?」
「……合言葉は……『天』」
「ぎゃあああああ! やめろ、やめてくれぇっ!」
という環の懇願も虚しく、暴露されていく忌まわしき記憶。
その事実が明らかになって行くたびに
「ふーん、へーぇ、なるほど」
と、舞鶴はしきりに頷いた。
転げ回る環のほうを見て、にやにやしながら。
「それで、殿は鐘山家の公子ですし、当然その頭目だったのですね?」
「いや、下っ端」
「ぶふっ!」
由基のあっさりとした解答に、堪えきれなくなって舞鶴は吹き出した。
「だぁぁ! もう良いだろ! あんなのは忘れたい記憶なの! 否定したい過去なの! 完治した病なの!」
「完治したと言えば、できてもいない古傷はどうした? 今でも突然痛むのか?」
「もう許してくれよ!?」
由基がトドメを刺すと、他の五人もゲラゲラと笑う。
それに混じって舞鶴も笑う。
一人ふてくされている環の肩を、事の始まりである由基が小突く。
「ま、この手の話題で夜通し語り尽くすこともやぶさかじゃねーけど」
「こっちはやぶさかだよ!」
「軍議だ」
「は?」
「まず宗善から逃げなきゃ天下取りどころか仇討ちもできゃしねーだろ。ほら行くぞ、未来の天下人どの」
揶揄するような響きに、環は苦い顔をした。
あの女の姿が見えてから、自分の感知しない領域で事が運ばれている。
それも、自分が予想だにしない方向で。
~~~
「じゃ、軍議を始める」
口火を切ったのは、元流天組の中でも口が達者な色市(いろいち)始(はじめ)だった。
「まずは、さっきまで寝てたって言うそこのマヌケ面に合わせて状況を改めて振り返る。事の発端は三日前、我らが大殿、鐘山宗流(そうりゅう)様が家臣の弥七郎に討たれたことから始まる。そしてその直後、まるでその隙を見計らうかのように公弟宗善殿が家中の統制を名目に各軍を率いて本城を占拠。いやはやその神速たるや、普段の凡愚の名を返上する勢いだったという。その後、娘御の銀夜殿が反発する勢力を次々に駆逐していった。で、おわかりか? 我らがご主君?」
熱を込めて嬉々として弁舌をふるう始に対し、環はぶすっとふくれて、きゅっと長羽織の袖口をつかむ。
「……なんだか、鏡餅の上の橙になった気分だ。それとも餅は餅屋と言うべきかな。頭を無視して、勝手に話が進んで行ってる」
「ご自身の立場をようおわかりなようで、結構」
「お前はただのお飾り。オレらみたいな跳ねっ返りどもは宗善の治世だと弾かれるしな。だから舞鶴殿の誘いに乗ってお前をてっぺんに載せて、一旗あげようってわけだ」
「……お前らの方がよっぽど無謀だよ」
――しかし
と。
幡豆由基の吹聴はともかく、舞鶴の目的が未だ見えない。
会って数日、そのほとんどは環は昏睡状態にあったから、たった一夜の付き合いとも言えるが、彼女は参謀のように、あるいは侍女のように、姉のように、母のように付き従う。だが、この会合においてはニコニコしたまま、未だ沈黙を貫いている。
……この、騒がしき酒場での、語り合いでは。
逃亡者がこんなところで油を売って、いや酒を買っていて、なおかつ国の大事をツマミに飲んでいる。
空になっていく徳利を横目で見ながら、環は呆れかえっていた。
「まぁこういう店のほうが、酔いどれの戯れ言と思われて、かえって人目を避けることもできる、ってもんさ」
とは発案者の豊房の弁。普段の彼らしくもないこの浮かれようは、一大事に関わらんとしている自分たちに状況か、でなければ酒に酔っているに相違ない。
前髪を、くしゃっと手で包む。
――まぁ良い。橙は橙らしく、無言で載っかってれば良いんだろ。どうせ一度死んだ身で、何かの間違いで俺は生きている。自分の死体がどう使われようと、死霊は口出しできんというわけか。
「……では当面の目標としては」
集団の中で、舞鶴を除けば一番年嵩の地田(じた)豊房(とよふさ)が重い口を開いた。
祖父が朝臣の近従であったというが、その祖父の代、朝廷と鐘山家の戦いで捕虜となり、そのまま降伏して配下となったという外様の家柄だった。
そういう事情が彼をそうさせたのか、環や由基ら不良連中の中では、もっとも成熟した人格者と言って良い。それ故に信頼され、由基に次ぐ二番手として活躍している。
「未だ抵抗を続けているどこぞの城……例えば笑(えみ)城や連賀(れんが)城の軍と合流して再起すべきではないかな。舞鶴どののお考えは、いかに」
と、空気を読んだ結果か、話題を振られた不老の最年長者に対し、周囲の関心が一気に集まった。
舞鶴は微笑を浮かべて小首を傾げ、主人に発言の機会を求めた。
主人は憮然としたまま手を振り、やる気もなくそれを許した。
「……ムダでしょうね」
「ムダ?」
「先日我が手勢より一報がありました。その二城および積木(つみき)城はすでに破られ、流方様の御次男虎千代(とらちよ)様、御三男有千代(ゆうちよ)さま、ともに最期を迎えられたとか」
瞬間、思考が凍り付く。
頭の中にカッと熱いものが流れ込んで、真っ白になった。
気がつけば、掌を激しく卓上に叩きつけて、店内の耳目を一斉に集めていた。
「……死んだのか、あいつら」
震える唇で、かろうじてそれだけ言った。
「…………はい」
舞鶴は口だけに微笑を残して、ここまでで一番低い声で肯定した。
ワンワンと、環の耳鳴りは激しくなっていく。
「二人とも?」
「はい」
そして、耳鳴りが大きくなって形になって、その音がどういうものかを思い出す。
……在りし日の弟たち、その朗らかな笑い声だった。
美貌の従姉妹の才能に嫉妬したこともある。立ち振る舞いに劣等感を覚えたこともある。
それでも、殺意を覚えたのはこれが初めてだった。
――あれは、殺す。
「城にいた者は?」
「それは……」
「はっきり言え! この店内だけじゃない! 町中に響き渡らせろっ!」
由基らも舞鶴も、
環のその指示にギョッと瞳孔を開いた。
「落ち着けって、こんなところで騒いだって、正体がバレるだけだぞ」
「構うもんかっ! どうせバレる!」
「…………錯乱したか」
舌打ちまじりに、幼なじみは吐き捨てた。
他の五名も同様の感情をもって、環を睨んでいた。
だが、勝川舞鶴だけは……
彼女だけは、静かに目の中に笑みを取り戻していた。
「城内のご親族、宗流さまの妻、妾、家臣、老僕、投降を拒んだ者合わせて数百名、ことごとく粛正の対象となりました」
「あいつら、まだ十代にもなってないんだぞ……っ」
「はい」
「楓は……妹はどうした?」
「兄君たちと等しく首を並べられたそうです」
「……乳飲み子だぞ!? まだ!」
「はい」
「それでも……死ななきゃならなかったのか!?」
「はい」
「あいつら、そんなものを討って武功を誇ってるのか!? どんなツラして晴れがましく秩序がどうとか言ってるんだ!?」
思わぬ凶報に対する民衆のざわめきと同情を背に受けて、吐けるだけの思いを吐き出した環。少年は頭痛と耳鳴りに小さく喘ぎながら、姿勢を正した。
「……この感情の爆発が、お前の死期を早めるかもしれねーな」
由基は呆れと共に一気に濁酒を呷る。
「…………いや」
環は前髪をクシャクシャとしながら、低い声で呟いた。
「これで、良い」
「……は?」
「まぁそれより、頼りの勢力が潰されたな。どうすれば良いのか、冷静じゃない俺には判断もつかない。流天組の頭領殿に、判断を任せる」
それだけ言って、覚束ない足取りで彼は酒場を退出した。
傷心の貴種に対する憐憫と、奇異の視線、紛糾する怒号。それらを甘受しながら、環は新鮮な外気を吸いに入り口へ。
そこには、いつの間にか回り込んだ黒衣の美女が、さながら護衛のように待ち構えていた。無邪気な満面の笑みを浮かべて。
それを無視してのれんをくぐろうとする環に、
「殿」
と呼びかけ、
「……ご心痛お察しします。それと」
囁く。
「お見事でございました」
……環は、尖らせた青い瞳に、黒い憎悪を混ぜて女を睨みつけた。
しかしその憎悪が己自身に向けたものだということだけは、環の傷だらけの心の中で、はっきりとしていた。