鐘山銀夜の率いる軍勢は、御槍城を発した。
平伏した民たちの横を素通りし、軍馬は戦場へと向かう。
民がひれ伏して自分たちを見送るのは当然のこと。そして、度を過ぎた見送りや歓待無用、各自の職務に精励すべしと命じたのも、銀夜自身であった。
だが彼らのまとう空気には、当たり前のことを当たり前にこなせば、後はどうでも良い、というような冷淡さがある。
地に向けた顔は、あざ笑っているに違いない。
そう考えると銀夜は、むかむかと腹が立った。
だがその衝動を抑える。
病床の恩師、三戸野光角を除く順門府の諸侯を父に代わって統べる大役だ。軽挙妄動は慎まなければならなかった。
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樹を切り、開けてきた山道を、大きく伸びて遠望する。
牧島村の家々や、田で働く人々の動きなどが、事細かに見える。
「大将、裏手の縄張り終わったぜ」
亥改大州がそう言って持参した簡略図に、環はざっと目を通す。
「ただ、コレは本当に作る気なら時間かかるぜ?」
「いや、ガワだけで良い。どうせ使わない」
何度も軽く頷いた大州は、自らの大将の肩に肘を置く。薄笑いを浮かべた悪相を、環の顔の横につけ、耳打ちした。
「それと、土地の人足の二、三人、逃がした」
「逃がした、な」
なんとも微妙な言い回しだと思うが、ふてぶてしい賊の顔つきが、それが確信犯だと告げている。
「あの密偵どもは、今頃息せき切ってこちらの所在を本陣に報せるだろうさ。俺らの位置も、この砦の普請も、禁制のことも」
「……また勝手なことを」
「だが、やらんとしていたことだろう?」
「……そういうふうに、独断で行動するところがあるから、お前は信用ならないんだ」
ぶつくさと腐る環に、大州は得意げに鼻を鳴らし、ダンビラを担ぎ直す。
「『信用ならない』なんて、面と向かって言うところにこそ信頼を感じるぜ? 大将」
「……言ってろ」
えへん、と。
咳払いしたなすび斎、こと羽黒圭馬の方へと、二人は振り返った。
大州にいたっては「なんだこいついたのか」というような目つきで、この客将を見ていた。
「しかし、わざと逃すことなどなくとも……むしろこちらの狙いまで掴まれるおそれがありますが」
「情報において恐ろしいのは漏れること自体じゃなく、漏れていることをこちらが知らないということです。相手にわざとこちらの都合の良い情報を流し、締めるところはキッチリ締める。それに、今の銀夜にそれを容れて行動する器量があるか……」
「まぁ、開いたからくり箱にも、喋り過ぎる女にも魅力はないわな」
冗談を交えて口を挟む大州に、環と圭馬は顔を見合わせ、苦笑を浮かべた。
「では、環殿。我らがのみが知る、新しい情報は?」
そう尋ねる圭馬に、環は並べた書簡を披瀝して語らった。
一、蓮花城下にあって響庭村忠は、緋鶴党を使い、例の内通者の背後関係を洗い出した。その過程で、持ち去られた環陣営の金銭の隠匿先を掴んだということ。
一、『六番屋の史』から頼りが届いた。
『こちらに留めた彼女はよろしくやっている。だから安心して戦に専念しなさい』とのこと。
一、赤池家の遺児、赤池束仲(つかなか)が帰順を申し出た。さっそく彼を頭に各地に分散させたその旧臣らに命じて各地にて諜報に当たらせている。
「しかし、赤池勢は元朝廷の禁軍の家柄。はたして本心からこちらに忠誠を誓っているやら」
「だが、朝廷を裏切った彼らを、朝廷やそれに従う今の順門が許すとも思えない」
「……なるほど」
ともかく今は、情報によって時間をはかり、虚報と虚勢を用いて敵陣を混乱せしめて、時間を稼ぐ。
――そうすれば、義種の言うとおりに引き返してきた『こちらの主力』はやってくる。
立ち上がった環は、大きく伸びをした。
「さって、飯とするか! 圭馬殿、皆にも休憩と伝えてくれ」
「承知」
と、なすび色の若武者が去ってから、、環も大州を伴って歩き始めた。
だが、下り坂に足をかけようとした瞬間に、その足先を止めて振り向いた。
「お前も一緒にどうだ!? ユキッ!」
環が鋭く発した大音声に、答える者はいなかった。
「コソコソとどっからかは見てるみてぇだな。……どうする? 良吉あたりに引きずり出させるか?」
「ほっとけ」
大州の耳打ちに、環は首を振った。
どのみち、色よい返答を期待しての招きではなかった。
――今はまだ、だが。
いつか、向かい合う時はくるはずだった。
たとえそのとき向けられたものが、真意ではなく、弓矢であったとしても。