御槍城下の港に、その大型船が着いたのは、実に二度目のことであった。
その船の主は、大きく伸びをしたが、出迎えがやって来ると慌てて態勢を整えて、貞淑な未亡人の顔になった。
「これはこれは。ご使者どの。毎度ご贔屓にさせていただいております。六番屋の史でございます」
そう名乗る彼女に「ウム」と、武士団の頭目は頷いた。
口にはしないが、商人など、まして女の分際で店主など、見るのも汚らわしい。そういう徹底的にこちらを蔑んだ態度が見え隠れしている。
この熊井(くまい)は傲岸で我の強い男である。
相手を見下し、偉ぶることで城代である己の体面を守ることができると本気で考えている。
どう考えても折衝には不向きの男なのだが、城の留守が彼なのだから、致し方もないことだろう。
軒並みの者は軍に従い出ていったし、御槍城下が何かと不穏な空気に満ちた昨今、この男の高圧的な態度こそ頼りになると、城主の銀夜は判断したのだろう。
「それが姫がご所望であった鳥銃五百丁か」
「さようで」
「納期より大分遅れているぞ。すでに姫様は御出立された」
「そ、それではお代金は?」
にわかに慌てた様子で尋ねる女に、彼は鼻で嗤い、返答をした。
「約定を違えたのはそちら。支払うわけがなかろう」
「確かに納期に遅れが生じたのは事実でございます。ですが、元々無理のあるご注文ゆえ、銀夜様にはあらかじめその可能性がある旨お伝えしておりました」
「そのようなことは知らぬ。異論があれば御槍を発した姫様に相談すれば良かろう」
そう突き放し「ではな」と踵を返す。
だが、
「お待ちください。それではこちらの大損ではありませんか。そちらがそのような態度をされるのであれば、この商品のお渡し先を、考えねばなりません」
と彼女が言うと、ひどい頭痛でも抱えているかのような渋面で、彼は振り返った。
「環に売るとでも言うのか?」
「不本意ながら、丸損こうむるよりは、あちらへ薄利でお売りいたしますわ」
ほう、と。
「それは、よいことを聞いた」
低い声でせせら笑い、熊井は片手を持ち上げた。
「こやつらを捕らえよ!」
見る見るうちに彼の郎党十数名が商人や人足、随行した私兵らを囲い込み、青白くなった彼らに、刃を向けた。
「何をなさいます!」
「黙れ! そのような生意気な態度、環に対して安く武器を提供するという発言! どれをとっても我らへの叛意は明白! よって貴様らを捕縛する!」
「乱暴なっ」
「安寧たる秩序のためだ! 我らが勝ち、環らの首が挙げられるまで、この城にご逗留いただこうか!」
と、彼女たちが縄で縛られている間、熊井はニタリと笑って、重量感のある荷箱手をかけた。
「これは我々が有効に活用させていただこう。……すぐさま輜重隊を繰り出し、これを送り届けよ!」
~~~
決行の日。
色市が久しぶりに足を運んでみると、相も変わらず、陣地の中は慌ただしかった。
汗水垂らして節操なく縦横を駆けずり回る将兵や人足たちを、憐れに思い、と同時にその愚直さを鼻で嗤う。
既にこちらに銀夜の本隊が向かっている。おそらくは三日のうちには、ここにたどり着くものというのが、彼の盟友の目算だった。
それまでに砦などできそうにもない。
これでは周囲の森や岳を切り拓いただけで、笹ヶ岳の野営地とさほど変わらないではないか。
本来の計画では、環と銀夜が対陣した際、こうして自分たちが内部から切り崩し、その混乱に乗じて銀夜が攻め取る手はずになっていた。
その予定が早まった。
「到着前に将兵を説得し、自分たち自身の手で環を討ち取り、その首級と兵力を手土産に順門府へと帰参する」
と言う趣旨へと変わった。
だが、彼のやることは変わらない。
環の虚言から人々解放し、ともに祖国に帰る。
――あの桜尾の重臣とて、満身創痍。さほど抵抗も義理立てもせずに逃げ帰るだろう。
という見立ての下、彼は目で高台を探した。
やがて、現場を監督する見張り台らしきところに目をつけると、その階に足をかけた。
環は人を引き付ける術を持っている。それは認めよう。だが、それは小手先の小細工のようなものだ。
たとえば大渡瀬が良い例だろう。
察するにあれは、巨大な絵札を用意することにより、人の耳目を引き込んだだけのことだ。
――だが今日はその詐術をこちらが利用させてもらおう。
彼が握りしめ、背で負うものは、身の丈はある巨大な木札だった。
ふうふうと、汗みずくになって担ぐそれには、文言がビッシリと、さながら祝詞や経典のように書かれている。
高所を確保し、木札を突き立てた彼は、その目論見通りに作業をする者の手を止めた。
「皆、聞けぇい!」
大音声の前置きから続く色市の弁舌は、その自負と自惚れに見合った、確かなものであったと言ってよかった。
彼が今日に至るまで自室に引きこもり、練りに練った文言は、環の弁の矛盾の論破から始まり、その軌跡、その過失を徹底的に非難するものだった。
一語を十の美辞で修飾するほど練磨されたそれは、製作者の確かな滑舌により淀みなく秋空の下を過ぎていく。
世が世であれば、それは千軍万馬動かす檄文となっただろう。そして彼は、偉業を成した希代の縦横家になれたことだろう。
まさに色市始の人間の中で、会心の出来栄えであった。
「……つまりっ! 援軍など環という詐欺師が諸君らに見せている幻に過ぎないっ! この戦には千に万に億中に、一勝もありえない! ……さぁ、今こそ魔のしがらみより解き放たれて、ともに祖国へと帰る道を歩もうではないかっ」
演説の余韻に、しばし色市始は身を震わせ、ジン、と心を震わせていた。
呼吸を整え、興奮を静めるが、己の弁才に対する酩酊は、今なお澱のように心の奥底に沈んでいる。
……だが……
我に返り、見開いた目の先に待っていたものは、彼の期待した反応ではなかった。
確かに動揺はしている。
それが続いてもいる。
だが、一部だけ、ほんのわずかな者たちだけで、他の者は始めこそ注視していたが、飽きたのか、やれやれと離散していく者が大半だった。
律儀に居残った者は、珍妙な獣でも見るかのように色市始を見ていたが、その両目に感動の輝きは見当たらず、戸惑っているばかりだった。
「ど、どうした……? 何故話を聞こうともしないっ!?」
乾いた舌を使い、枯れた声を絞り出す色市の眼下で、人足たちは目語した。
そして、その内の素朴な顔つきの男が放った問いかけが、色市の胸に早い寒風を到来させた。
そこに悪意はなかった。おずおずと、申し訳なさげな気遣いがあった。
「っていうかアンタ…………誰?」