「わ、我々はその……風祭武徒の家臣でございます」
同輩の死体の傍らで、震える声を揃え、残された捕虜たちはそう答えた。
対する圭輔の反応は、真偽を問うことはせず、うっすらと、微妙に表情を崩して、
「そうですか」
というものだった。
自分たちの答えが意に沿っていたのかを分かるよりも先に、圭輔の対応は迅速だった。
部下に命じて捕虜たちに拘束を解いた彼は、今までの不当な扱いをまず謝した。
当惑する彼らにそれなりの駄賃を手渡し、
「では、武徒殿には『三日後の夜に』と、よろしくお伝えください」
と伝言を頼んだ。
「……それは、いかな意で?」
とは、彼らは尋ねることはできなかった。
彼らは武徒の配下と騙ったが、実際は親永の臣である。
圭輔より言い含められたことが、自分たちの知らぬことであっても、それを知らないことが露呈し、不審に思われてはことだった。
故に、訊きたくとも、訊けない。
たとえそれが、怪しげな密約を示唆するものであったとしても。
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無論、解放された彼らが向かった先は、風祭武徒の陣取る東の野営地ではない。
それとは真反対、自分たちの本来の主である親永の包囲網西陣だった。
「……三日後の夜?」
「は。そのように、申しておりました」
息も絶え絶え、という体で自らが受けた労苦を語る家臣達に、親永は首を傾げた。
「さらに、城中は物々しい様子でございました」
「敵は籠城しておるのだ。当たり前であろうさ」
「しかし、ただならぬ戦意に満ちており……今にも討って出そうな雰囲気でございました」
「君は」
近郊の清水で点てた茶を机に置き、親永はそこで一度言葉を切った。
「何か、違うことを危惧しているのではないか?」
言いよどむ彼が、よほど穏やかならざる意見を申し述べようとしているのは、親永にも分かった。
そしてそれはおそらく、ここまでの始終を聞いた自分の懸念と合致しているのではないか、という予感があった。
「武徒殿は、圭輔めと内通しているのではないでしょうか?」
「……つまりこれは三日後、夜襲を仕掛ける合図であると? 武徒殿がそれに呼応すると?」
こめかみに拳を押し当てる親永に、その家臣はなお言い募った。
「ここまでの戦で、あの好戦的な武徒殿が少数の敵に挑もうともしていない。妙ではございませんか?」
「緒戦の戦では彼が後詰めであったからだ。そして今回は私が交戦を控えるように通達を出しているからだ」
「しかし殿の家臣と告白した捕虜は斬られ、武徒殿の臣だと名乗った我らは助けられたばかりか厚遇された! 理不尽ではありませんか?」
――その理不尽で生き残ったのはどこのどいつだ?
親永は眉をひそめたくなったが、問題とせねばならないのはそこではない。
あくまで風祭武徒に敵との密約があるか否か、彼は信に足るかそうでないか?
それのみである。
「……もし万一夜襲があるようであれば、武徒殿にもご注意せねばならぬ」
「殿!」
「……案ずるな。文でのやりとりに留め置く。だがあえて伝えることで、あの御仁の反応も知ることができるはずだ」
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東の陣地にて、従兄弟よりの書状を受け取った風祭武徒もまた、首を傾げていた。
「……直接言いに来れば良いものを」
「総大将というお立場だから、動きたくないとか、かな?」
彼のぼやきに答えたのが、年若い被官、旭(あさひ)瞬午(しゅんご)だった。
父親が先の戦で死に、弱冠十代でその当主の座をついだ彼は、その目の利きにより武徒の腹心に抜擢されている。
どことなくあどけなく、甘みと憂いと色気を含んだ美貌。
それゆえに「武徒の寵童ではないか」「だから策が採り上げられるのではないか」と陰口を叩かれることも少なくない。
だが傍目から見れば、それほど昵懇でもないことがわかるだろう。
それどころか、お互いに進んで接近しようという気配もない。
武徒がぼやき、それをこの少年が拾って私見を事務的に言う。そしてその意見が自然と取り上げられることが多かった。
それだけの、間柄であった。
お互いに毒のある陰気者ゆえ、気が合う部分もあるだろう。
「夜襲は、三日後に行われるか?」
「ここは元は風祭府の土地。また番場の古狸が圭輔のような他所者をむざむざ案内するはずがない。慣れない土地での夜駆けなんてもってのほか」
「それでも、羽黒圭輔は仕掛けてくる」
武徒も、瞬午も、お互い顔も向けない。ただ己の中で言葉を反芻させるが如く、俯きがちにブツブツと呟くのみだった。
「親永様はどうして三日後と断定したのか、どこからその情報を持ってきたのか。それが分からないね」
無教養と弁護することもできない無礼さが、そのへつらいの無さが、かえって武徒には心地良く響く。
そこで、風祭武徒は美少年の横顔を覗き見た。
「では、警戒を促すとしよう」
腰を上げた主君を、黒目がちの、幼さ残る瞳が一瞥した。
ここで初めて、この主従は顔を見合ったのである。
「……よした方が良い。文には文で十分」
普段はちぎっては捨てるような口ぶりの副将らしからぬ、言葉の濁りがあった。
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――御大将の見立てに異議あり。
夜襲のおそれなど、露ほどもなし。
余計な気合いを入れることなく、泰然と構えられるように。
有事の際は、当初の打ち合わせ通りに。
武徒の文は、そのような旨を、簡潔に記していた。
実際に筆をとったであろう右筆が、文面に手を加えただろうから、実際の口上はもっと辛辣かつ味気ないものであったに違いない。
文を一読した親永は、やや眉から口元にかけてやや苦みを走らせて、
「……三日後の夜は篝火を倍にせよ。夜通し警戒を怠らないように。……それと、武徒の陣の動きにも目を光らせておくように」
と、鋭く低い声で諸将に命じた。
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「……ふわーぁ」
夜が明ける。朝日がのぼる。
結局手ぐすね引いて万全の態勢で待ち構えていたものの、羽黒勢は影さえ見えず、無為に不眠の時を過ごしただけであった。
そのことを嘆く者。連戦における疲労に、寝不足に、体調を崩す者。
風祭の将兵の反応はまちまちだったが、己が健常であることを示すものは稀だった。
特に顕著だったのは、末端である見張り番であったと言って良い。
何しろ彼らは、一晩中、いつ、どこから来るかもしれぬ敵の来襲を警戒していたのだから。
当然その中で交代もした。仮眠もとった。それでも、自分たちの目が風祭全軍の生死を握っているという重圧と、一瞬後には命のやりとりが行われるかもしれないという恐怖が、彼らの心身を平常より倍する速度で疲弊させた。
あるいはそこに、本当に敵が急襲してきていれば、その苦痛からは解放されたのかもしれない。
だが、羽黒圭輔は現れなかった。
兵らの中には切れてだらしなく垂れる緊張の糸と、徒労感だけが沈んで残った。
ゆえに、誰が別の誰かを、咎めることはできなかった。
朝日を背に進む、黒い影のの塊に、その出現に、進撃に、その存在に、ほんのわずか、反応が遅れたということに。
たなびく軍旗は、銀刺繍の蜂。
並ぶ銀穂は、乱れもない。
銀色にきらめく胴を身につけた将が、先陣を自ら切り、采を躍らせる。
左右の瞳が、微妙に色違いであるとある兵は気づいた。
何者であるかが分かった。
だがそれは、彼の死期がすぐそこまで近づいたことの証明でもあった。
「てきっ……」
告げるより先に、その将、羽黒圭輔の逆手で抜きはなった刀が、彼の脇腹を刳り抜いた。
血と臓腑を散らし、倒れ伏す彼を顧みず、二千名の軍勢は、止まることなく突き進む。
彼らがつい先頃まで警戒していた奇襲は、たった今、四日後の日の出とともに行われた。
「貫け」
桜尾晋輔と名乗りし頃以来の、羽黒圭輔の旗本衆。
それが中核を成す精鋭軍が、研ぎ澄ましていた牙を突き立てた瞬間だった。