※後半です。
※毎度お馴染み、オリ設定がストーム(キーワード能力)です。
※作者はプログラムとかコンピューター用語とかプロレスとかサッパリです。勘弁してください。
※作者の脳内ではRJはPJだったりRDだったりそうじゃなかったりします。『話が違うッスよ』と言う方は堪忍してつかっさい。
※この世界線では、改二型艦娘は海に出てからまだ日が浅いんです。それだけトラブルや不都合も多いんです。堪忍してやってください。
※前後編に分ける意味が無かったほど短かったです。遅筆のくせに。
あいつの魂が、暁の水平線に辿り着けますように。
――――――――対深海凄艦戦争当時、各国の若年層の提督達の間で最も多く使われた弔い文句
ちょうどその時、井戸は己の執務室である203号室の机で突っ伏してうーうーと呻いていた。
口に和紙を咥え、白いポンポンで打粉を大太刀(っぽいチェーンソー)に打ちつけていた天龍が、そんな井戸を見かねて鬱陶しそうに言った。
「井戸、邪魔。つかウゼぇ」
「……天龍、俺は駄目だ。もう駄目だ」
「何を今更な事言ってんだよ」
突っ伏したまま井戸が呟き、口に和紙を咥えた天龍はそちらを見向きもせずに今度は大太刀(っぽいチェーンソー)についていた古い油を打粉ごと拭い去り、新しい油を注しながら切り捨てた。
「お前がダメ人間なのは、俺が一番知ってるっつーの。大体、俺が学校終わって、幼稚園のガキども帰した後にお前の借りてたアパートの部屋の掃除と片付け、毎日やってただろうが」
「違う。そうじゃない」
「ああ? じゃあ――――」
突っ伏したまま井戸が言った。
「俺はな、天龍。お前が天龍に加工されちまった後――――TKTを抜けた時にはもう、科学の発展がどうとか、俺の才能の限界がどうだとか。そんなの、全部もうどうでもよくなっちまってたんだ」
「……」
突っ伏したまま語る井戸の、酷く落ち込んだ様子に、流石の天龍も大太刀(っぽいチェーンソー)の手入れを止めて井戸の方に振り返った。
「でもな。昨日。昨日の龍驤の姿を見てたらな。思っちまったんだよ。コイツ、どうなってやがんだ。知りたい、知りたい。って。いつぞやだったかに重巡リ級に成りかかってた羽黒ん時と同じだよ。コイツのコアをバラしてみたい。コイツの精神構造を暴いてみたい。何をどうすれば再現できるんだろう。俺でも作れるかなって」
「……」
「昨日、名誉会長に聞いたらさ。こないだ見つけた羽黒、無事に戻れたんだってよ。あそこまで深海凄艦になりかかってたのにさ。それ聞いたらもう駄目だったよ。会長いいなぁ、俺もあの龍驤欲しいなぁ。って大真面目に思っちまったんだ」
「……」
「お前と一緒に、昔みたいに暮らせるんならもうコッチには未練なんてないって思ってたんだけどなぁ――――」
直後、203号室のドアが外部から破壊された。
「話は聞かせてもらったぞ!」
「デース!!」
「なのです!!!」
水野中佐と金剛、そして202の電だった。
井戸が立ち上がるのとほぼ同時に水野に胸ぐらを捕まれ、202の電が手に持つ酸素魚雷(弾頭活性化済)をズボンの上から井戸Jr.に押し付けられ、金剛には主砲の一門で脳天をロックオンされている。
因みに天龍は誰が何を言うよりも先に、素直に両手を頭の後ろに組んで壁の方を向いて跪いている。金剛の主砲三門で照準されたら誰だってそうする。筆者だってそーする。
「深海凄艦から戻ってこれたとはどういうことだ!?」
「井戸水少佐! アレ? 井戸技術中尉? ま、どっちでもいいデース。そこの話、もう少し詳しくお願いしマース!」
「なのです!!」
井戸に、選択肢など無かった。
あの日行われた秘密作戦『龍驤抹殺作戦』は、失敗に終わった。
【MidnightEye-01よりHOMEBASE. MidnightEye-01よりHOMEBASE. 目標は依然、第5物資集積島に停泊中。目標は第5物資集積島に停泊中。活動の兆候無し】
発狂し、完全に深海凄艦へと成り果てた龍驤は驚愕する金剛らの隙を付いて逃走。空中でドッグファイトに拘束されていた深海凄艦側の超音速機も、その大多数を撃墜するも全機撃墜には至らかった。
対するこちらの被害はメナイ艦隊(201艦隊)所属の航空機が4機。消費した空対空ミサイルが48発で、対艦ミサイルが4発。撃墜されたのは皆、ミサイルを撃ち尽くしてドッグファイトに移ったか、ドッグファイトに持ち込まされたかのどちらかである。
物資を送ってくるはずだったリコリス飛行場基地が敵に抑えられた現在では、熟練パイロット4名が死亡した事実を抜きに考えても無視できない消耗である。
完全敗北である。
その後、龍驤だったものとお付きの超音速機の生き残りは変温層下へと逃走。即座に追撃戦に移ったMidnightEye-01、02による広域走査と、202と203の電、那珂ちゃん、天龍、大潮、如月に、201艦隊所属の多数の哨戒艇によるアクティブピンガーやソナーによる精密索敵もすり抜け、完全にその行方をくらませた。
捜索開始から一日経ち、二日経ち、三日目が終わろうとしていた頃、事態は急変した。
『メーデー、メーデーメーデーメーデー。こちら、帝国海軍南方海域第5物資集積島守備隊、旗艦『千代田』です。メーデー、深海凄艦の奇襲により第5物資集積場が占領されました。現在、洋上に退避中。小規模な深海凄艦と遭遇。我に抵抗能力無し。至急、救援を求みます。メーデー、メーデーメーデーメーデー――――』
艦娘式水上機母艦『千代田』から入った緊急入電は、ブイン島の面々を驚愕させた。
物資集積島。
文字通り、島1つを丸ごと物資集積場として改造した大規模な施設である。
そして件の南方第5には、ブイン基地に向けて本土から送られてきた、替えのTシャツやタオル、髭剃りや手鏡や医薬品や畑仕事用の鍬の替え刃や草刈り鎌の砥石などの日用品や生活雑貨が集積されている。因みに、ブイン基地向けの武器弾薬や鋼材、ボーキサイトなどの各種資材は、以前に龍驤が壊滅させた第6物資集積島の所轄である。
はぐれ者と思わしき駆逐種数匹に寄って集って沈められそうになっていた『千代田』からのメーデーを受け取ったMidnightEye-01は、即座にメナイ少佐に報告。長距離ミサイル攻撃ではぐれを一掃したのち、少佐からの指示により千代田の他、生き残った数隻の小型輸送艦をブイン基地まで誘導、寄港させた。
そしてその際行われた事情聴取の際、ようやく龍驤だったものの足取りが掴めたのである。
第5物資集積島の生存者の中では一番階級が偉くて、軍隊生活が一番長い艦娘『千代田』の話をまとめると、だいたい以下のようになった。
数日後に控えたブイン島への日用品補充作業のため、必要な物資を『千代田』と小型輸送艦に詰め込んでいたら、深海凄艦が単独で奇襲を仕掛けてきた。PRBRデバイスに表示された波形は軽母ヌ級のそれだった。
だが、軽母ヌ級らしからぬ、むしろ超展開中の正規クウボや軽クウボのような、およそ知る限りの物理法則から片足ハミ出したような戦闘機動だったそうだ。
島の防衛設備は20秒足らずで無力化された。
主戦場である太平洋戦線や、アフリカ大陸や中東各国からの海上輸送路が存在“していた”西方海域、産油地帯の集まる南西諸島海域などの重要海域とは違って元々、南方海域自体が二級戦線だった事と、そのさらに後方であった事も相まって、第5物資集積島には海賊を追っ払える程度の設備しかなかった。同島唯一の艦娘である千代田も、戦闘よりも索敵と輸送を期待されていたため、まともな武装は積んでいなかった。
襲来した軽母ヌ級は周辺の防衛設備を潰すと、どういうことか、こちらが使用している周波数帯で警告を発した。ハッキリとした人の言葉だった。
――――死にとうなかったら、荷物纏めてちゃっちゃと出て行きぃや。
驚く暇こそあれ、実際に僅かな火器を集めて立ち向かおうとした面々はあっさりと叩き潰された。殺しはされなかったが、別に手加減をしていたという訳でもなく、単に邪魔だったから脇にどけた。とでも言わんばかりの乱雑さだったそうだ。
その光景を見て千代田の艦長――――この島の責任者でもある――――は撤退を決意。積めるだけの物資と人材を残っていたすべての船に積み込み、島を後にした。不思議な事に、本当に、追撃は無かった。
はぐれの深海凄艦と遭遇してメーデーを打ったのはそこから数日かけてブイン島に向かっている最中の事で、MidnightEye-01がメーデーを拾っていなかったらどうなっていた事やら。
そして現在に至る。
「あ、あの! 千歳お姉……じゃなかった、第6物資集積島の艦娘式水上機母艦『千歳』とは連絡を付けられませんか!? お姉だけじゃなくて、第6の人達、誰も応答しないんです……」
「……」
千代田のその問いに、尋問を担当していた基地司令代理の漣は黙って首を振った。第6物資集積島の輸送艦隊は、すでに龍驤の手によって壊滅させられている。第5と同じくまともな防衛戦力を持たない島も、その後に続いた。
「そんな……お姉……」
千代田が力無く座っていた席に沈みこむ。
漣が黙って退出し、扉が閉まってから暫くすると、部屋の中から押し殺したようなすすり泣きが聞こえてきた。
『hey,整備のオヤジサーン。SEサーン。すみませんけど、以前積んだミサイル、システムも含めて全部、降ろしてもらえませんカー?』
ブイン島の地下洞窟を改造して建造された同島唯一のドライドック。
そこでは戦闘艦状態のままの金剛が修理と改修作業を並行して受けていた。かつての大修理――――ダ号目標との戦闘後――――の時ほどではないが、それなりに目の回る大仕事である。
そんな最中、外部スピーカーをONにした金剛が、ちょうど近くを通りがかった整備班長と、その隣のシステム周りを担当する整備丁稚の1人に声をかけた。
「あ? 何言ってやがんだ金剛。折角メナイ少佐の艦隊から分けてもらったんじゃなかったのか、そのハープーン」
「そうですよ。しかも今回の出撃で駆逐ハ級を一隻、早速撃沈してみせたじゃないですか。そのハープーンで」
スパナを片手に握った整備班長殿と、端末を小脇に抱えたSE担当の整備の丁稚が同時に金剛を指さす。
『それが問題なんデース。このミサイル発射プログラム、致命的なバグ……そう、バグ。バグがあるデース』
「「バグだぁ?」」
何を当たり前の事を。とでも言いたげに金剛の艦橋を見上げる整備班長殿と、今度はどこだよと言いたげな疲れた目線を寄こすSE担当の整備丁稚。
金剛が告げる。
『ミサイルの射撃管制系を立ち上げると、私の下半身のモーション・マネージャとコンフリクト起こして、三軸ジャイロ以外の下半身システムがフリーズするデース』
「「。」」
『さっきPG(プログラム)担当の整備の方に見てもらったんですけど、通常の展開中でもミサイルFCSをアクティブにした途端、主機とタービンと推進系が全部まとめてフリーズしましたネー。かなり深い所のバグだそうで、デバッグするよりも該当箇所のソースコード消した方が早いとまで言われマーシター』
二人は、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
ミサイルを撃つとバグで足が止まる。人型でも艦型でも。
だめじゃん。
「お、大事じゃねぇか!? 何でそんなの付けて出撃しやがった!?」
「無休~」
整備班長殿がスパナ片手に大声を上げる。SE担当の整備丁稚はこれから始まるデスマーチの予感と、納品したプログラムに見つかった致命的なバグに対する謝罪と責任の追及尋問を想像して口から泡を吹いてしめやかに失禁、膝から崩れ落ちた。
当の金剛は、だからさっきからそう言ってるじゃないですカー。と実に呑気な声で言った。
『だから、次に龍じょ……次の作戦目標と戦う時には、絶対に要らないどころか足を引っ張りかねないんデース』
「あぁ、そうだな。よし。俺はシステム系詳しくない。お前、後、任せた」
「……ソウデスネー。では、PG担当の言う通り一度ソースコード洗って、パッと見駄目そうなら全Delして、空いたリソースの半分を射撃系に回してしまいましょうか」
『お願いしマース』
整備班長殿はスパナ片手に金剛の砲塔の根元で整備を続けている整備妖精さんの所へ足を向ける。SE担当の整備丁稚は端末を小脇に抱えて、死んだ魚のような眼をしてPG担当が頑張っている金剛の艦橋へと向かっていった。
『……』
金剛には、まだ龍驤と戦う事に迷いがあった。だが、龍驤の実力はかつて肩を並べて戦っていたからよく知っている。半端な気持ちを抱えていて勝てる相手ではないと。
だからこそ、せめて装備周りだけは完璧に仕上げておかねばならないのだ。
(そうデース。まだ、龍驤サンは助けられるかもしれないデース。あきらめたらそこで試合終了デース)
金剛は、己のゴーストから湧き上がる意志を再計算した。
そしてそれは、FCSから先述の記述を削った途端に噴出した、20か所のバグ報告という形で表示された。
(………………………………………………………………あ、あきらめたら試合終了デース)
突然上がった下がったを繰り返す金剛の主機出力に、動力炉回りを整備していた整備妖精さん達が小首を傾げ、上がったバグの多さにSE担当の整備丁稚と、それに付き合わされたPG担当の整備丁稚の2人組が泡を吹いて倒れ込んだ。
その日、龍驤は夢を見た。
懐かしい夢だった。
出撃前のブリーフィングのため第202艦隊の6人全員が集まっていた時の夢だった。
龍驤の中ではまだ半日しか経っていないはずなのに、もう一年くらい昔の出来事だったような、泣き出したくなるほど、ひどく懐かしい夢だった。
――――艦隊を二分割して出撃やて?
――――ああ、そうだ
偵察衛星が深海凄艦の大集団を発見し、緊急警報が発せられたのが三日前。南方海域の総司令部とでも言うべきラバウル基地に、大本営から南方海域放棄作戦が秘密裏に送信されていたのも三日前で、その時間稼ぎとして何とかしてこいとのご命令が下されたのが二日前で、ブイン基地の全戦力と、ショートランド泊地からの選抜部隊(という名の石潰し共)が一堂に会したのが今日この日だった。
――――あんなぁ。この数、見えとるん?
夢の中の龍驤が、監視衛星から提供された偵察写真をペシペシと指ではたく。衛星搭載のPRBRデバイスを経由して撮影されたそれに写っていたのは、赤い霧だった。
活動中の深海凄艦から発せられるパゼスト逆背景放射線量の濃淡を可視化した写真。その赤だけで撮影海域の大半が埋め尽くされていた。辛うじて見えた陸地の形状からして、恐らくは旧ソロモン海。ガダルカナル島周辺のどこか。それ以上は分からない。
――――だからだ
夢の中の水野は言う。
曰く、メナイ艦隊のミサイル飽和攻撃や自走機雷群の壁があるとはいえ、この数の差では正面決戦は自殺行為。かと言って今回の攻撃を凌いだり、押し返したりするだけではただの時間稼ぎにしかならず、やがてすり潰されるのがオチである。
つまり、この場にいる面々が生きて本土の土を踏むためには、今日ここで、この大群団を完膚無きまでに撃滅する必要がある。
これはメナイ少佐や基地司令が出した結論でもあるのだと、水野はそう結論付けた。
――――……
己だけではなかった。背後にいた暁、雷、響、電の4人も、不安そうな目で水野を見つめていた。
龍驤が大儀そうに口を開く。
――――……つまり、少佐達は正面から迎え撃つ。で、暁ちゃん達とウチらは別働隊。夜闇に乗じて背後から潰せと。そう言うとるんね?
――――流石だな龍驤。正解だ
――――ウチが何年アンタと一緒にいるか知らんわけやないやろ。そないな事も分からんで秘書艦が勤まるかっちゅうの
――――まぁな。ついでに言うと、夜間爆撃が出来るほどの練度を持っているのは龍驤、お前だけだし、俺はお前だからこそ別働隊の指揮を任せられるのだ
龍驤は、顔全体を赤くして俯いてしまった。
ここで、ウチも水野と一緒に出撃したい。と言えていれば、その後の話は変わっていたのだろうか。
――――わ、分かっとるっちゅうねん! ウ、ウチに任せておけばええねん!!
――――ああ、頼むぞ
だが、この龍驤は賢明だった。賢明過ぎた。
水野と自分なら、たとえ『泳ぐ要塞』こと戦艦ル級を6隻同時に相手取っても負ける道理は無い。自惚れでも何でもなく。
だが、何をどうあがいても自分は軽空母である。たった15分間の超展開中に6隻の戦艦を殺すことは出来ても、数百近い深海凄艦の群れを殺し尽す事は出来ない。
だから、水野は配属されてからまだ3か月の新入りこと金剛を選んだのだ。火力と装甲、今まで建造された艦娘で得られたデータのフィードバック、そして何よりも24時間という、長大な超展開の持続時間を見込んで。
だが、それでも自分を、龍驤を選んで欲しかった。そう思ってしまうのは兵器として罪なのだろうか。
――――それと、ラバウルの連中とは話を付けてきたんだが……
そんな龍驤の葛藤を知らない水野は一度、言葉を区切った。
――――この作戦が終わったら、ブイン基地全体で2週間の休暇が取れた。本土帰還の許可も下りてる。
一瞬、音が消えた。
この話に最も食いついたのは、今まで不安げな顔で俯いていた暁、雷、響、電の第六駆逐隊の4人だった。
――――ほ、本土!? 本当に本土!? わ、私、帝都タワー行ってみたい! タワー名物のドラゴンのミサイル焼き食べてみたい!! 繭折れタワーの抱き枕カバー欲しい!!!
――――ラバウルのけちんぼにしてはずいぶんと剛毅ねー。ひょっとして空手形なんじゃないの? ねー司令官……あれ? 聞いてるー?
――――……帝都では、ガード下の赤提灯ではウォトカのオツマミとして赤トウガラシの粉末が出ると聞いた。是非とも試してみたい。流石にもう、塩は飽きた。
――――ほ、本当なのです!?
今までの沈んだ表情はどこへやら。瞳に星を輝かせて4人が――――特に暁と響の2人が強く――――水野に詰め寄る。
――――
それまで黙って様子を見ていた金剛が、小さな声で何事かを呟いた。それを耳聡く聞きつけた水野と金剛が、同時に顔を赤くする。互いに顔と目を逸らす。
龍驤の胸の奥底でドス黒い何かが寝返りをうつ。
確か、あの時彼女は――――
【MidnightEye-01よりHOMEBASE. MidnightEye-01よりHOMEBASE. 目標は依然、第5物資集積島に停泊中。目標は第5物資集積島に停泊中。活動の兆候無し】
夢から覚める。
『嗚呼、栄光のブイン基地 ~ 龍驤抹殺作戦(後編)』
【MidnightEye-01よりHOMEBASE. MidnightEye-01よりHOMEBASE. 目標は依然、第5物資集積島に停泊中。目標は第5物資集積島に停泊中。活動の兆候無し】
夢現から帰還した龍驤の意識に飛び込んできたのは、かつて龍驤も良く頼りにしていた電子偵察機(っぽい何かこと)MidnightEyeの通信電波だった。
「……あー」
寝ぼけ眼のまま、龍驤の首筋に針を突き立てようとしていた飛行小型種――――龍驤が何かと気に掛けている例の一機だ――――をヒョイと摘み上げる。
現在の龍驤は、もうほとんど人の形を残していなかった。
上顎を大きく開けた軽母ヌ級の口の中から、龍驤のおヘソから上と両手だけが生えている有様である。そのおヘソ付近ですら、もう後ろ半分が上顎と癒着している有様である。傍から見てみるとヌ級に龍驤の下半身が飲み込まれかけているようにも見える。(※翻訳鎮守府注釈:前話の時点ではもうちょっと下まで龍驤が生えていました。具体的に描写するとアウトなので省略します)
だが、これで全部なのだ。艦娘としての龍驤は、もう。
「……ただの痛み止め。姫さんからはそう聞いてたんやろ? でも、ごめんな。それ、もういらんねん」
ワシャワシャと動いていた着艦節足が力無く折り畳まれる。
「うん。キミはウチの事心配しれくれてたんよね。分かってる。でもそれね、痛みと一緒にウチの心も消えてしまうねん。だから、ごめんね」
龍驤に対して『痛み止め』と注射されていたそれは、かつて艦娘だった龍驤が、深海凄艦として改造される時に押し込められた繭の中に満たされていた物と同じ、嫉妬色をした粘性の低い液体である。
効能は変質と汚染。
鎮痛・鎮静作用はあくまでその副作用でしかないし、投薬の分量を少しでも間違えると、かつての龍驤のように急性の心神喪失状態に陥ってしまう劇薬でもある。間違ってもこの龍驤の様に全液交換で投与されるようなものではないし、そんな事をされてもこの龍驤のように自我が残っているなどというのはあり得ない。この龍驤という存在は、最早奇跡に分類される存在である。
当の飛行小型種からしょげくれたような概念が伝わる。
「大丈夫やって。まだそんなに打たれたわけやないし、キミがそんなひどい事する子やないって事くらいわかっとる。キミには何度も助けられたしね……そうや! 今まで助けてくれたお礼にウチが名前を付けたるわ!」
飛行小型種が龍驤に質問信号を飛ばす。
「……え? 名前って何って。そら、名前は名前やろ。ウチの『龍驤』とか。そんなん……うん。そう。個体専用の識別コードとか、不揮発属性のコールサインとか、そんな感じ」
龍驤の返答を聞いた飛行小型種から、今までにないほどに強力で、期待的な概念が発信された。
思わず龍驤がドン引いてしまうほどの大出力だった。
「うっわ、めっちゃ期待されとる……こらフーミンとかげろしゃぶとかで誤魔化せんなぁ……うーん。飛行機やし、オメガ11、柿崎……どっちも不吉やな。となると、凄い戦果を上げたからガルド・ゴア・ボーマン、ジェイド・ロス……あかん。どっちもまともな死に方しとらん……うーん。となると……縁起が良くて、すごくて、お助けで……よし。決めたで」
龍驤は顎に指をやり、虚空を睨んでうんうん唸っていたが、ややあって、件の飛行小型種にズビシ、とでも音が出そうな勢いで指を突きつけると、
「ひしゃまる。ええ名前でしょ? 古事記の中に出てくる、白い犬の姿をした絶対無敵の用心棒の名前や。飛行機やないけど、高速なFCSとリニアバレルさえあれば人工衛星も撃墜できるっちゅう逸話もあるし、それで堪忍な」
当の飛行小型種から、歓喜の概念が爆発的に叩き付けられた。
それに対して、他の飛行小型種達からは、罵声信号が飛んできた。
「あはは。分かっとるって。今度の戦いが終わったら、皆も、ウチがちゃあんと名前を付けたげるさかい。楽しみにしといてや」
『イヤッッホォォォオオォオウ! 龍驤最高ー!!』とでも言いたげに飛行小型種達が目をビカビカ点滅させ、身体全体でワシャワシャと蠢く。
――――でも多分、ウチがウチのままでいられるのは次で最後やろうけどな。
心の中だけでそう付け足した龍驤の頭上に、影が差す。
「ュゥ、ジョゥ……」
軽空母としての龍驤ですら子供に見える巨大な体躯、白く長い髪と同色の皮膚、頭部から伸びた髪飾りとも耳っぽい角ともとれる奇妙な石質状の黒い突起物、黒で統一されたボディスーツと腰止め式マント、両端を切り詰めたカヌーような下半身と、背中に担いだ己の身長にも匹敵するほど長大な砲身。そして、横一文字に切り裂かれたかのような喉首の傷跡。
深海凄艦側勢力の切り札的存在。
合衆国での識別コード『ONI』
帝国海軍上層部では深海凄艦側の重要拠点(というかハワイ諸島)の防衛以外ではその存在が確認されていない事から、イロハコードを付けられずに『泊地凄鬼』あるいは単に『鬼』と呼ばれる存在。
「お、鬼さんやないの。どしたん? ちゅうかどうしてここが分かったん?」
「……ィメ、ァサガィテタ」
「……あー、鬼さんごめんな。ウチ、もう帰れんねん」
寂しそうにアハハと笑う龍驤に対し、泊地凄鬼はそれと悟られぬよう重心を落とす。拳を握る。
この距離なら、拳の方が速い。
鬼こと泊地凄鬼の警戒に気付いた龍驤が、ブンブンと手を振って否定した。
「ちゃうちゃう、って。そら、もう全部思い出したんはホンマよ? でもね、ウチ、もう帰れんねん。ブインにも、リコリスにも」
「……」
「こんな姿になってもうて、それでも鬼さん達とは違う。まだウチは深海凄艦やないんやって、そう思っとんのや」
でも、と龍驤は続ける。
「でも、ブインや他所の基地の皆にも盛大な迷惑かけて、何人も何人も殺しておいて、今更ノコノコ帰る訳にもいかんねん。……もう帰れんねん。どこにも、どっちにも」
「……ッタラ、ゥシテ、ォンナトコォニ?」
かすれた声で鬼が問う。どこにも帰れないというのなら、何故こんな所にいるのかと。
「うん。あんな。ウチな。旅に出よう思うてな」
「。」
鬼の目が点になる。
――――脳か。
鬼は一瞬、そこまで考えた。
このご時世、人類側でもこちら側でもない、どっちつかずの第三勢力がフラフラと彷徨えるような空隙がこの世のどこかにあるとでもいうのか。
もしも本気でそう考えているとしたら、そいつはただの大馬鹿野郎だ。
海は戦場で、我々の縄張りだ。陸は海から追い出された人間共でひしめいている。
空は……いくらクウボでも飛びながら寝たり食べたりは無理だろう。多分、きっと、おそらく。
「……マジモンの大馬鹿野郎め。って顔しとるな、鬼さん。けど、ウチ1人くらいならどうとでもなるくらい、海は広いんやで」
「……ゥ、ナノ?」
「ホンマや、ホンマ。現にブインのすぐ近くにも、どっちも寄り付かない無人島なんて仰山あるで? 基地の近くだけでもそんなんやし、世界中の海やったら、もっといっぱいそういう空僻地みたいなのあるんと思うんや」
「……」
そして鬼こと泊地凄鬼は、彼女の瞳を見た。
笑って誤魔化してはいたが、龍驤本来の黒と深海凄艦の緑が混じったまだら色の瞳は、本気だった。
「もし――――もし、今度の戦いが終わった後に、ウチがウチのままでいられたら、もう何もかんも放り出して、どこか、誰も知らないようなところに行こう。そう思とるんや。あ、もちろんこの子らは一緒やで」
でもね、と龍驤は続ける。
「でもね、ウチ、まだやる事が残っとんねん。せやから、待っとるんや」
そこで龍驤は初めて上空を――――頭上のはるか高空にて超低速の8の字飛行を続けていたMidnightEye-01を――――見上げる。
自我コマンド入力。自分のIFFがまだ生きている事を祈って接続Call。
数秒間のCallの後、MidnightEye-01との回線が繋がった。
【元202龍驤よりMidnightEye-01. 龍驤よりMidnightEye-01. 金剛はんに伝えてや。ウチはここで待っとるって】
数秒間の沈黙。
【……MidnightEye-01より202龍驤。了解した。202金剛はすでにそちらに向かっている。それと我々、いや。水野中佐も、202のカンムス達も、一年前からずっとお前の帰りを待っているぞ】
【あはは。ありがとうな……そっか。もう一年も前なんか。出撃したんは今朝やと思てたんやけどなぁ。一年かぁ。そっかぁ。水野少佐、昇進したんかぁ】
うつむき、涙声になり始めた龍驤に割り込み通信。
#%$? - Res(001):リュウジョウ、キタ。:EOS
周波数帯にも変換プロトコルにもまるで共通点の無い通信波だったが、龍驤自身がコンバーター(翻訳機)となって、MidnightEye-01の機体ログにもそれは残された。
たとえ万金を積んでも買えないもの。
絶対勝利への鍵の1つ。
(深海凄艦の……通信プロトコル――――!!)
この、たった20バイトのテキストデータと、それに付随していた翻訳用の各種データ群が持つ価値に気付いたMidnightEye-01は即座に全てのミッションを放棄。エスコートパッケージの出撃を要請しながら、燃料ガン無視の最大戦速でHOMEBASEことブイン基地に帰還を始める。
「……なんや?」
「……サァ?」
そんなMidnightEye-01の心境など知る由も無い龍驤と泊地凄鬼が同時に首をかしげる。
「……リュウジョウ」
鬼が口を噤む。両手を動かす。かつて、龍驤自身が教えた手話の1つ、灰羽語だった。
鬼は、灰羽語でこう言っていた。
『祈る』『戦』『幸運』『あなたの』『進む』『大きな塩の水たまり』『あっち』『いつも』『朝』『光』『存在する』
――――御武運を。あなたの行く水平線の向こう側に、いつも暁の光がありますように。
別れの挨拶だった。
泊地凄鬼が別れの挨拶を告げ、再び海の底へと沈んで行った。
直後、水平線で光が爆発した。
数秒遅れの衝撃波が二人のいる位置を吹き抜ける。爆心地は太陽のように眩しく輝いており、そこからキノコ雲が連続して吹き上がっていた。
そんな、熱と光と衝撃波の嵐の中で、胎児のように体を丸めた巨大な何かが蠢いたのが、はっきりと見えていた。
「戦艦級の――――いや、金剛はんの『超展開』か。いつもならあと5分ってとこやけど……早すぎや。もうあんなにハッキリとオーマ体が見えとるやないかい。ウチが寝ボケとったこの一年でどんだけ技術発達しとるんや!?」
念のために述べておくが、これでも改二型艦娘の中ではかなり遅い方である。北上改二などの早い奴は睦月型駆逐艦とほぼ同じスピードで超展開を終えてしまうくらいだし。
爆風が止む。連続爆発によって押し出され続けていた周辺の大気が爆心地に向かって、一気に引き込まれはじめる。
光が晴れる。
そこには、金剛がいた。
ただ、今の今まで戦艦として海に浮かんでいた金剛は存在しておらず、代わりにいたのは、艦娘としての金剛だった。外観は多少機械の部分が多くなっており、背中の煙突からはジャンボジェットなどに使われるガスタービンエンジンのように甲高く、連続した汽笛と熱を吐き出し続けており、左胸の心臓――――動力炉からそれこそ太陽のような輝きが装甲越しにも見えているとはいえ、普段艦娘としてブインにいる時の金剛とそう変わらない形状をしていた。
ただ、そのサイズが異常であった。
「来よったね。水野少、中佐と金剛はん」
超展開を実行した水野と金剛が見たフラッシュバックは、金剛がブインに配属されてからの、龍驤との日常の記憶だった。
両手を腰に当てて、配属初日だった金剛を威嚇するかのように睨む龍驤。これといった被害も無く、ほとんど無傷で帰還した金剛を何とも言い難い表情で見つめる龍驤。朝、同じ部屋から出てきた水野と金剛を見て一瞬だけ見せた、泣きそうな顔をしていた龍驤。最後の出撃前、隊を二つに分けると言った時の裏切られたような顔をしていた龍驤。そして――――
【……hey,提督。『金剛』超展開、完了しましたデース。機関出力120%、維持限界まであと72時間】
これから戦う相手が相手故か、金剛の声は、普段とは違ってかなり落ち込んでいた。
第5物資集積島に向かって腰まで海に浸かりながらも難なく水を掻き分けて進む二人に、当の龍驤から通信。
【来よったね。水野少、中佐と金剛はん】
【龍驤サン……】
【そう言えば、何気に初めてやな。ウチと金剛はんが、お互い超展開状態で模擬戦するっちゅうんは】
まぁ、これは模擬戦やないし、ウチは超展開しとるわけやないんやけどな。と乾いた笑いをあげる龍驤。
ひとしきり笑った後、急に顔から笑みを消し、金剛を睨み付けた。
【なぁ、金剛はん。もう知っとるとは思うけど、ウチ、アンタの事が嫌いや。大嫌いや】
【……】
【生産されてから三か月かそこらの、ロクに実戦もヤってない新品風情がウチらよりもずっと高性能なのが嫌いや。ウチらが何度も何度も修羅場をくぐって、死ぬ思いで集めた情報や経験則を当たり前に持っとって、当然のように生かしとるアンタが嫌いや。ウチらが必死こいてそれでも何とか。にしかならんようなモンを、1人であっさりとこなせるアンタが嫌いや】
【龍驤サン。でも、それは、私のせいではないデース……】
龍驤は、艦娘の中では中堅。空母娘の中では最古参に製造された存在である。そして、金剛型は艦娘全体の中で見ても相当の新入りである。
故に、龍驤達が培った全てのデータを金剛が引き継いでいるのも、龍驤達よりもはるかに高性能なのも、兵器としては自然な流れなのである。
だが、それは逆恨みだろう。とは誰も言えなかった。
【んなの知っとるわ。ウチは旧型。あんたは新型。それで普通や。でも、だからこそや。だからこそウチは――――ウチの魂をかけて、アンタを憎む】
でないと惨めすぎや。という最後の一言を飲み込んで龍驤が腰掛けていた山の斜面から立ち上がる。膝にバネを蓄え、腰を深く落とす。右半身。右手を貫手に構え、背後に隠した左手でエネルギー触媒の入った缶を探る。
中に残っていた最後の3粒が軽い音を立てて転がった。
――――艦載機の皆にエネルギーをチャージして1粒、いや、この距離やとチャージなんぞさせてもらえへん。せやったら――――
既に第5物資集積島の接岸ドックにまで侵入した金剛と目が合った。
指呼の距離。互いの口の動きがしっかりと分かる距離。
【……】
【……】
龍驤が跳ぶ。
金剛が主砲を一斉射する。
言葉は不要だった。
――――4粒。それより多い事は絶対に無い。
改二型金剛のメインシステム索敵系が拾ってノイズを弾いた音から、水野はそう判断した。
龍驤とは、自分が提督となった時以来の付き合いである。当然、龍驤との超展開を実行しての戦闘経験なんぞもう数えきれないほど繰り返しているし、指先の感覚と音だけでエネルギー触媒の残りを確かめる術は水野だって持っている。
そして、こういった状況に陥った龍驤なら、こういった状況に陥った自分なら、次にどう動くかも、水野は熟知していた。
龍驤が、いつの間にか手に隠し持っていた艦載機用の爆弾をスローイングダガーの要領で投擲しながら向かって左に跳ぶ。金剛と水野が視線を向けるよりも先に意識を向けるよりも先にメインシステム索敵系が龍驤を追跡。カメラの向こうの龍驤がブレる。
ターゲットロスト。
【ワッザ!?】
――――右!!
水野は痙攣と同じメカニズムで金剛から主砲のコントロールを瞬間的に奪い、発砲。
金剛の主砲から発射された砲弾群を、龍驤は紙一重で躱していく。砲弾が擦過する際に生じた衝撃波と気圧差だけで体の肉ごと引き千切られ、持っていかれそうになるが、そこは深海凄艦特有の頑丈さと龍驤自身のド根性で耐え凌ぐ。
龍驤を外れた砲弾群が背後の管制塔と、その周辺の小さな倉庫群に着弾。炸薬の装填されていない徹甲弾だったために爆発こそしなかったが、着弾時の運動エネルギーだけで、塔を根こそぎヘシ折り、倉庫やその周囲のコンテナをゴミクズか何かのように吹き飛ばす。
再装填の隙をついて龍驤が突撃。
真っ直ぐ。極端に身を低くした以外は何の変哲も無い、ただの愚直な突進。
【イヤーッ!!】
その速度を維持したまま、龍驤が金剛の喉首目がけて右の突きを繰り出す。超展開中のクウボ――――隼鷹ですら仕留めた由緒ある一撃である。クウボとは比べるまでも無いウスノロの戦艦娘如きでは避けるも防ぐも出来ない速度である。
そして金剛は、それを何とか間に合わせた右腕一本で防いで見せた。
【防いだやてッ!?】
――――【腕がッ!?】
タダでは済まなかった。
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:右腕部小脳デバイス応答途絶。ケーブルの断線と推測されます。同部レスポンス、およびリアクションに深刻な遅延が予想されます】
【メインシステムデバイス維持系より警告:右腕部第4、第5、第6随意ケーブルに漏電発生。電圧低下】
【メインシステムデバイス維持系より報告:右腕部尺骨ユニットに亀裂発生】
外見上は袖口が破けた以外は無傷だが、金剛の右兵装保持腕のシステムが半壊状態に陥った。特に、水野からの運動命令を中継・補佐する小脳デバイスとのやり取りが死んだのが一番デカい。右肩から先の反応が鈍く、重たいものになる。
それを目ざとく見つけた龍驤が、今度は右へ右へと旋回しながら距離を詰める。
艦としての金剛の戦闘系が自動迎撃。
0秒起爆に設定されていた三式弾が砲口より飛び出すとともに爆発。前方に広がる円錐状の爆発から、思わず龍驤が飛び退く。当たりもかすりもしなかった燃え盛るナパームジェルはそのまま龍驤の背後にあった海面に着弾し、湾の出口を炎の壁で塞いだ。
それでも龍驤は足を止めずに右へ右への旋回を続ける。
水野と金剛が全身で旋回しながら後を追う。
(流石は戦艦……アホみたいに頑丈なやっちゃ)
ちらりと見た己の右手は、先の一突きだけで完全に使い物にならなくなっていた。五指はあらぬ方向に曲がり、折れた骨が付き出し、血液代わりの黒い統一規格燃料が傷口から漏れ出ているのが見えた。
(グーで殴っても効果無さそうやし、艦載機用の爆弾じゃあ火力が足らへん。となるともっと大きい威力は――――)
ちらりと破壊され尽した港湾施設の一角に目をやって目星を付けると、龍驤は右へ右への旋回を続けながら質問信号を送った。マイクロセカンド単位の時差を経て帰ってきた返信数は5。いずれも問題無しと告げていた。
2機を背後から出撃させ、遠くに飛ばす。カタパルトは使わない。ここで必要になるのは速度ではなく奇襲性だ。
龍驤はさらに右へ右へと旋回を続ける。
(艦載機の残りは5機……上手にやらんと、な!!)
ここで初めて龍驤が切り返しを行う。右へ右へとの移動に慣れきっていた水野と金剛の追従が遅れる。メインシステム戦闘系からの補佐もあって、2人は何とか左へと切り返した龍驤の追跡に間に合った。
その意識の隙間を狙って、龍驤の背中からこっそりと発艦していた先の2機が超展開中の金剛の視線とほぼ同じ高度で侵入。腹に抱えていた小型の爆弾を投擲し、金剛の両側頭部から伸びていた黄金色の電探の帆を正確に爆弾で狙撃し、破壊した。
そして爆発時の破片と余波で、艦体の各所に巧妙に配置されていた、小型のフェイズドアレイレーダーにも甚大な被害が発生した。
【メインシステム戦闘系より緊急警告:頭部レーダーシステム破損。前方集中照準システムに重大な悪影響が出ています】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:APARシステムダウン。全球早期警戒システム、一部機能停止】
【メインシステムデバイス維持系より緊急報告:内耳三軸ジャイロに異常傾斜発生。補正完了】
【メインシステム索敵系より報告:友軍属性のIFFを複数確認。高速接近中。全球早期警戒システム機能不全につき詳細不明】
――――対空砲、弾幕!
金剛の艦体各所に増設された対空機関砲の火線に絡め取られるようにして、金剛に狼藉を働いた2機が撃墜される。火を噴きながら、海に向かって無様に燃え落ちる超音速機の姿を見て、暗い満足感を覚えた水野が、龍驤に意識を戻す。
索敵系はターゲットロストを二人の脳裏に表示。水野は右、索敵系は左、金剛は上を見た。
――――何処だ!?
【ッ!? 提督、上デース!!】
驚愕する金剛の概念が伝わった水野が反射的に『金剛』の首を上に振り仰がせる。そこには、崩れ落ちた鉄筋コンクリート製の残骸を3つの手に――――龍驤自身の左手と、軽母ヌ級の両腕だ――――握りしめ、大上段に構えた龍驤の姿があった。それなりの距離があったにもかかわらず、歯に加えたエネルギー触媒までハッキリと見えた。
【遅いで!!】
罵倒と共に龍驤が残り3粒を一機に噛み砕く。
直後、龍驤の足の艤装の裏に刻印されていた『鐵飄浮。好像油一樣浮起。在冰上面為使滑行前進。急々如律令』の文字が過剰なエネルギー供給で半ば融解しつつも爆発的に発光し、異常なまでの反発力を持った斥力場を発振する。
不可視の斥力場を蹴り、自由落下の勢いを借り、龍驤が突撃。さらには残る3匹の超音速機も鉄筋コンクリートのそこかしこに着艦節足でしがみ付き、枯れ木も山の賑わいとばかりに尻先端部のジェット推進器官を全力で吹かしていた。
大質量塊による乾坤一擲の高速突撃。
金剛の全ての砲が上を向く。全ての砲が火を噴く。その全ての対空弾幕をさらなる加速のみで容易くすり抜け、龍驤が墜落する。
金剛が反応の鈍い右手を握り、CIWS――――ボクシンググローブの形をした鋼鉄製のおっかないアレだ――――を展開。かなり不自由な姿勢のまま、全身を使ったアッパーカットの出来損ないで迎撃。
接触。
撃ち出された金剛の右の拳が、豆腐か何かのように肩まで一気に叩き潰される。
飛行機乗りは目が命。
ミサイルなどの誘導兵器がまだおとぎ話の住人だった頃は、機体に据え付けられた銃以外の対空兵器が無かったので『先に見つけた方が勝つ』とまで言わしめた、いっぱしの戦闘機乗り達ならばわきまえておくべき常識中の常識である。
一説によれば、かつての世界大戦当時、艦娘ではなくてごく普通の航空機母艦だった『加賀』と『赤城』の所属する一航戦の連中に至っては、別の戦闘機で飛んでる相手の眉毛の動きまで読めたという。
そしてその常識は、かつての世界大戦当時にプロペラ機に乗っていたパイロット達から始まった当時から、ミサイルを抱えた平均戦速マッハ幾つの第5世代型ジェット戦闘機が飛び交い、ジャマーとセンシングデバイスがシノギを削る現在に至っても変わっていない。
「ちゃーらー♪ へっっちゃらー♪ おーなーか空っぽの方がー♪ 飯詰め込めるー♪」
そして、ブイン基地の第203艦隊に所属する艦娘式正規空母『赤城』は、その常識に従って、砂浜に座って水平線を眺めながらブルーベリーとニンジン(茹)を貪り喰っていた。
お前が飛ぶんやないやろが。
というツッコミなどどこ吹く風。艦載機の皆さんがそうするなら母艦の私もそうすべきという、ほとんど言いがかりに近い屁理屈を捏ねて赤城は今日も、目に良いとされているブルーベリーとニンジン(茹)をモリモリと喰っていた。
ブルーベリーは基地の隣のイモ畑の隅に、赤城自身が植えていたものなのでどんだけ喰っても良いとして、問題なのはニンジン(茹)の方である。このニンジン(茹)、見てくれはただの血色の良いニンジン(茹)だが、その実は帝国本土でも最高級品として扱われているカロッテビレッジ種である。本日の給食当番である天龍が、今夜の夕食にと考えていたヒヨコ豆とソラマメと鶏肉のトマト煮に入れようと考えていた一品である。こいつ夕飯抜きの極刑判決が下るんじゃあなかろうか。
「ベリーズベリーズお食事しましょうそうしましょ……ん?」
そんな己の未来を知る由も無い赤城の視界の終わりの付近。水平線の彼方。そこに、揺らめくゴマ粒が見えた。
「あら、蜃気楼。珍しいわね」
上位蜃気楼。ミラージュ。あるいはファタ・モルガーナ。
水平線や地平線の向こう側の景色、あるいは物体。それらが光の屈折によって空中に浮かんで見える現象だ。珍しい事は珍しいが、そこまでありがたがる現象でもない。
だがそれでも、赤城はそのゴマ粒に奇妙な違和感を抱いた。何かは分からないが、酷く嫌な胸騒ぎがするのだ。放っておいたら、致命的な何かを引き起こしてしまうような、酷く嫌な胸騒ぎ。
一番近い感覚を言うと、70年前のミッドウェー。
右手でブルーベリーをつまんで口に入れながら、左手で目の上に手をかざして目を凝らす。
ゆらゆら。ゆらゆら。
「……」
赤城がデバイス維持系に自我コマンドを入力。血中ボーキの3%を消費して視覚野の倍率と解像度に一時的な補正をかけ、超展開中のそれに等しいパフォーマンスを発揮させる。
揺れるゴマ粒が大きく、はっきりと見えた。
上下の反転したゴマ粒の上半分は黒く、角ばっていた。下半分は海の青に溶け込むような白灰色であり、細長い棒のようなものが横から付き出していた。一見すると大型クレーンにも見えなくは無かった。
棒切れがゆっくりと動く。海と空に溶け込むような色合いをしていた上、像全体が揺らいでいるため、酷く視認しずらかったが、こちらに向き直っているところらしかった。
(あんな形のサルベージ船って、あったかしら?)
一瞬だけ、縦に大きく揺れた。
像の上に、別の小さな、黒いゴマ粒が発生した。
「……?」
新しい方の黒ゴマは、徐々に徐々に大きくなっていった。
そして瞬間的に赤城の頭上のはるか彼方をフライパスし、数秒遅れの衝撃波が赤城と、赤城のいた周辺を問答無用で薙ぎ払った。
深海凄艦の砲撃だった。
「――――え?」
ブイン島中央付近の大山の山頂部に設置されたレーダーシステムは普段通り沈黙したままだった。そしてそのまま、今しがたの砲撃で山の頂上付近ごと吹き飛ばされ、赤城が轟音に振り返った時にはもう、小規模な土砂崩れを誘発させながら島の反対側へと転がっていったところだった。
赤城が噛みかけのブルーベリーを口からボトリと垂らす衝撃。
「え? え? ……えぇ!?」
だが、赤城が呆けていたのは一瞬にも満たなかった。
赤城がその場で正規空母本来の姿に『展開』しようとして思いとどまる。正規空母が『展開』する際には、核爆発クラスの熱衝撃波が周囲一帯を無差別に薙ぎ払うからだ。
「……くッ!!」
ならばせめて敵の姿だけでも。そう思って視線を海の彼方に向けた時にはもう、下手人と思わしきゴマ粒は影も形も残っていなかった。
ここでようやく基地と島全域に張り巡らされた警報サイレンが鳴り響く。
逃げられた。遊ばれた。
「~ッ!!!!!」
それを理解した瞬間、赤城は苛立ちのあまり、すぐ背後にあったヤシの木に拳を打ち付けた。
ヤシの木はさしたる抵抗も無く叩き折られて盛大な音を立てて倒れたが、赤城の気分が晴れる事は無かった。
迎撃した金剛を、右の拳から肩まで綺麗に叩き潰した時、龍驤の心の中にあったのは歓喜でも歓声でもなかった。
一抹の後悔と焦燥感だった。
――――しくじった!!
金剛の右腕のレスポンスが極端に落ちていたのが災いした。本当だったら、肩口にわざと引っ掛けて右半身ごとまとめて叩き潰すはずだったのだ。インパクト時のあまりのズレに、龍驤が無意識の内につい軌道修正をして、綺麗なまでに右腕“だけ”を斬り潰してしまったのだ。喰らった『金剛』の方にも衝撃は一切抜けておらず、殆ど全ての力のベクトルが、真っ直ぐに振り下ろされた証拠でもあった。
ただの鉄筋コンクリで斬鉄という偉業を成したのは確かに恐るべき、あるいは誇るべき事だが、今この瞬間においては致命的だった。身体がコンクリート柱を振りぬいた勢いに引き回されている。
金剛が――――金剛と一体化している水野が残された左腕一本で拳を握る。
龍驤が目を見開く。世界がスローモーションになる。
振る。
上半身と腰の捻りを入れた打ち下ろし。左腕部のCIWS――――ボクシンググローブのフリをした、鋼鉄製のおっかない何か――――が龍驤の背骨を直撃する。
「 あ」
比喩でも誇張でも無く、龍驤の身体が海面でバウンドする。宙に浮いたところに追撃の蹴り。咄嗟に入れたヌ級の両腕によるクロスガードは、まるで意味を成していなかった。文字通り粉砕され、身体ごと背後に吹き飛ばされる。
艦としての『金剛』と、艦娘の金剛を中継して一体化している水野にとって『金剛』の右腕の喪失とは、そのまま己の右腕の喪失と同義である。
己の腕があっけなく斬り潰された痛みと、そして何よりも、己の愛する金剛の身体が傷物にされたという怒りが、最後の最後まで龍驤と戦う事を躊躇していた水野を後押しした。
―――― ――――――――――――――――――――――――――ぁ!!!!
怒りと痛みと、艦娘としての金剛から逆流してきた、混乱した無数のネガティブな概念のオーバフローによって、最早人の言葉すらも蒸発した水野が自我コマンドを入力。FCSよりも早く怒りで照準。電気信号よりも早く殺意でRUN。
係留用のアンカーチェーンが、空中を吹っ飛ぶ龍驤に向かって撃ち出される。都合4発撃ち出されたアンカーチェーンの内、2発はかする事無く宙を貫き、1発は龍驤の額に弾かれ、最後の1発はどういう理屈か、返しが足に絡みついた。
空中を吹き飛んでいた龍驤がチェーン巻取りに合わせて勢いを急激に失い、墜落。そのまま金剛の足元までウィンチが巻き取られる。
そのまま金剛がマウントポジションを取る。左の拳で龍驤の顔面を殴りつける。どうせ片腕一本では満足なラッシュなど望めないのだとばかりに手数は少なく、代わりに一撃一撃が十分に溜めの入った、必殺の重さを持っていた。
燃え盛る三式弾の炎で封鎖された港湾内の浅瀬に、水を激しく叩く音と、それに混じって柔らかい何かを殴打する音だけが木霊する。
柔らかい音に硬い物が混じる。金剛の周辺に大量のオイルが浮かぶ。金剛が蹴り飛ばされる。大戦艦クラスの構造物が、ギャグ漫画か何かのワンシーンの様にポンポンと海面を吹き飛ばされる。
海中から龍驤が手をついて立ち上がる。壊れかけオモチャの様に三歩に一歩の割合でカクンカクンとふら付きながらも金剛の水没した地点に向かって歩を進める。頭と両肩に飛び乗った超音速機達も『やっちまえボス!』とでも言わんばかりに、着艦節足ワシャワシャ、発光器官ビカビカで威嚇していた。
【ッだらァ! 下出にでりゃあつけ上がりやごうて! おんどれ覚悟出来とるんやろなああっ!?】
斥力場の暴発によって砕け散った右足の事など意にも介さず、龍驤は、コンクリート製の護岸に背を預けたまま動かない金剛の頭を何度も蹴りつける。
金色のカチューシャにも見える上天用APARレドームが割れるのと同時に、仰向けに倒れたままの金剛が主砲を斉射。狙い違わず龍驤が抱きかかえるように持っていた鉄筋コンクリート柱を粉砕し、着弾時の衝撃で手の中からもぎ取った。
龍驤の意識と視線が吹き飛ばされた鉄筋コンクリに向いた瞬間を狙って金剛が突撃。
――――【ぁぁぁああああおああああああ!!!!】
腹にタックル。
龍驤がそう思った時にはもう、金剛は器用にも左腕一本だけで龍驤を人さらいめいて肩に乗せ、コンクリート製の護岸のカド目がけて背中から倒れ込む元祖ブレーンバスター。ただでさえ乙女らしからぬ腫れ上がり方をしていた龍驤の顔面から、絶対に響いてはいけない音がする。
1秒も掛からず立ち上がった龍驤が反撃。クウボ本能的が龍驤の腰を深く落とし、セイケン・パンチ。正規・軽問わず全ての空母娘が最初に覚えるカラテが金剛の腹部装甲を打ち据える。外見上は無傷だが、衝撃が内臓を抜く。
致命傷だった。
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:コア内核に異常圧力。抗Gゲル、水温急上昇中】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:脊椎第1、第2、第3小脳デバイス機能停止。艦体各所のレスポンス、およびリアクションに深刻な遅延が発生しています】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:門脈送電ケーブル断線。電圧低下。腎臓デバイスに深刻な障害が予想されます】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:腎臓デバイス機能低下。浄気・浄水システム機能停止】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:艦内各所に浸水・燃料漏れ発生。気化ガスを検知。自動排出システム作動しません】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:艦内各所に火災発生。自動消化しsてむ%動しません。超展開実行者は速やかにBCマスクを着用してください】
【メインシステムデバイス維持系より緊急報告:メインカメラとの接続に異常発生。聴覚デバイス動作不良】
【メインシステムデバイス維持系より緊急報告:内耳三軸ジャイロ異常傾斜。修正不可能。超展開実行者の内耳cochlear系にメインコントロールを移します。You have control.】
(だめーじこんとろーるはん、しゅつどぉーう!)
(((おおっー!!)))
展開・超展開時の余剰エネルギーを汲んで作られた艦娘式戦闘艦の無人運用システム群――――妖精さん達が意気高々に出動。
矢継ぎ早に上がられるダメージリポートを脳裏の片隅に追いやり、水野と金剛がゾンビの出来損ないの様に立ち上がる。同じく半死半生で立ち上がっていた龍驤を睨み付ける。
致命傷だった。
軽母ヌ級としての両腕は折れ、右足は砕け、上顎を反対側まで倒した口の中から生えていた龍驤の上半身は、そのいたる所が腫れ上がれ、裂け、血液の様にドス黒いオイルを流していた。
そして、二度も金剛の装甲を叩いた右腕は、完全に潰れていた。最早詳細を語るまでも無い。棒状の肉塊だった。
ただ、それでも龍驤の瞳には憎悪の炎が宿っていたのがハッキリと見えていた。
龍驤がフラフラになりながらも金剛に近寄る。今までのような鋭さは無く、少し小突いただけでも倒れそうなほど弱弱しかった。金剛も似たような物だった。
龍驤が金剛の胸元に倒れ込みながら左の拳で金剛を叩く。
型もクソも無い、子供の駄々の様に弱弱しかった。
それを見て、不意に水野の理性が戻った。ひょっとしたら、あまりの無様さに無意識の内に龍驤を見下し、侮蔑する事によって落ち着いたのかもしれないが、水野と金剛にはそんなこと分からなかったし、考える余裕も無かった。
回線を開く。
【……なぁ、龍驤】
【……】
【俺は、最初から知ってたんだよ。お前が、俺の事を好きだって事を。龍驤。だがな】
【……】
【だがな。俺は怖かった。怖かったんだよ。俺は金剛が好きだ。その事をお前に告げて、今までの関係が崩れてしまう事が】
【……】
【金剛は好きだ、お前にも嫌われたくない。でもそれは、俺の思い上がりだった】
【……ゃ】
初めて龍驤が口を開いた。
【……何や、いまさら】
龍驤が左の拳で金剛を叩く。子供の駄々の様に弱弱しかった。
【何で、何でそんな事言うんや!? ウチが、ウチがどんな、思いで……ずっと、ず っと……!!】
龍驤が左の拳で金剛を何度も叩く。まともな音すらしなかった。
こんな状態でも元気よく稼働している金剛のPRBRデバイスは、龍驤から発せられるパゼスド逆背景放射の線量と濃度が急速に弱まっている事を示していた。だが、それでもIFFはENEMYのままだった。
【酷い人や……酷いやんか……】
金剛を叩く音が弱まる。龍驤が金剛の胸元に体を預けたまま、力無くずり落ちる。
【酷いよ、 ひど い、よ…… ぅ……】
その日、龍驤は夢を見た。
何の変哲も無い夢だった。前評判とは違って全然大したことの無かった作戦が終わって、基地に帰る夢だった。
ただいまー。と龍驤が202号室の扉を開ける。
そこには、窓から差し込む光を背にして水野が立っていた。
――――お帰り。
――――お帰りデース。
――――なのです。
――――仲間をこんなに待たせるなんて、一人前のレディのする事じゃないわ。
――――……罰として駆けつけ三杯。
――――遅かったわね。ご飯もうすぐできるからねー。
金剛がいた。電もいた。
そして、暁が、響が、雷がいた。
202艦隊の皆だけではなかった。201艦隊のメナイ少佐がいた。愛宕もいた。見た事の無い少佐さんと、その傍らで立つ軽巡『天龍』がいた。来年の秋頃に着任するという新入りさんだろうか。
何故かは解らないが、龍驤は無性に悲しくなった。
――――
涙で視界が歪む。涙に反射したのか、窓の外から差し込む光が強く刺さる。
ぐしぐしと目をこする。
光はますます強くなっていった。部屋の中はほぼ白一色になった。
気が付けば、部屋の中には龍驤の他に、暁、響、雷の3人だけとなっていた。
その光の中、龍驤は――――
本日の戦果:
軽母ヌ級 ×1
各種特別手当:
大形艦種撃沈手当
緊急出撃手当
國民健康保険料免除
以上
本日の被害:
戦艦『金剛改二』:大破(右腕部兵装保持腕脱落、コア内核抗Gゲル異常劣化、竜骨ユニット応力異常、一部内臓デバイスの壊死、艦内失火、超展開用大動脈ケーブル断裂、主機異常加熱etc, etc...)(※1)
各種特別手当:
入渠ドック使用料全額免除
各種物資の最優先配給(※1)
以上
※1 現在ブイン基地には、改二型艦娘用の修理資材が存在しません。応急処置の上、本土からの追加発注をお待ちください。
特記事項
MidnightEye-01が『最重要情報:深海凄艦の通信プロトコル』を持ち返りました。
オーストラリア本国の国際的発言力が大幅に強化されました。
オーストラリア本国で、翻訳チームの編成が始まりました。
本日のOKシーン
酷いよ酷いよと繰り返しながら、龍驤は動かなくなった。
水野と金剛からは、金剛に顔をうずめる様にして事切れた龍驤がどのような顔をしているのかは、分からなかった。
水野の手には、龍驤の肉を叩き潰した時の感触がまだ残っていた。直接殺した訳でも止めを刺した訳でもないのに、酷く重たい何かが心と手のひらにこびり付いているように思えた。
龍驤と過ごした、5年分の重さだった。
――――……そうだ。コアだ。
幽鬼の様に力の抜け落ちた声で水野が呟く。
コアだ。コアを剥ぎ取らなくては。井戸少佐から聞き出した情報が正しければ、コアを切り出して、大至急で浄化処置を行えばまだ大丈夫のはずだ。何処かの部隊の羽黒もそれで助かったと言っていた。なら、龍驤も大丈夫だ。大丈夫でなくてはならない。
艦体としての『金剛』が崩れ落ちる様にして膝をつく。もうまともな握力も残っていない左腕一本だけで、苦労して龍驤の姿勢を仰向けに直す。
龍驤は、顔面こそ乙女らしからぬ腫れ上がり方をしていたが、それでも笑ったような表情をしていた。
この龍驤を、今度はバラバラに壊せというのか?
【……提督】
金剛の不安、拒否、嫌悪、不快、心配といったネガティブな概念が水野の脳裏に流れ込む。水野が一瞬躊躇する。
その瞬間だった。
【悪いけど、その龍驤はウチらが貰ろうていくで】
港湾を閉鎖していた炎の壁を貫いて飛来した一巻の長大な巻物が、金剛を拘束した。巻物が飛来した衝撃波だけで、ナパームジェルの炎が吹き飛ばされ、瞬く間に鎮火した。
その炎の向こう側には、超展開中の龍驤がいた。
それもただの龍驤ではなかった。
基本的な外見は、超展開中の龍驤とそう大差無かった。巻物状の飛行甲板も同じだし、艦首を模した特徴的な形の帽子も同じだし、エネルギー触媒を密閉保存しておくための赤い缶もある。髪の色が少し明るい茶になっており、腰部の艤装ユニットにも多少の増設デバイスが認められるが、まぁ誤差の範囲だ。
だが、最大の相違点として、この龍驤の周りには紙で出来た人型が無数に浮いており、それらは寸分の歪みも無いオービタルリング軌道で一定の速度を保ったまま龍驤の周囲を周回していた。
この龍驤の所属艦隊を示すエンブレムは、燃える炎に包まれたスズメバチと炊飯器、そして燦然と輝く『TKT』の意匠化文字だった。
こんな悪趣味なマークを付けた艦隊は、世界広しと言えども一つしか存在していない。
水野と金剛が同時に驚愕する。
――――【ち、Team艦娘TYPE……!?】
アップデートされたIFFには『TKT South-Ocean Area, Fleet『世界海竄素敵艦隊』龍驤(Version 2.00α)』とあった。
Version2.XX。
改二型を意味するバージョン情報だ。
【そうや。むちむちポ……ああ、いや。名誉会長の直属部隊の龍驤や。キミらには悪いけど、その龍驤のコアはウチらが貰うで。羽黒ちゃん、見捨てるわけにはいかんのや】
【改二型……いつの間に!?】
――――い、いや、それよりも! 羽黒の為とはどういうことだ!? 助かったんじゃなかったのか!?
『それについては私が説明しよう』
割り込み通信。
いつの間にか、新手の龍驤の背後にホバリングしていたヘリコプターからだった。水野でも知っている有名機だった。
絶滅ヘリ『大往生』
単機で重巡リ級7隻を撃ち取った事で世界的に名の知れた残酷支援戦闘機『F-2』と並んで知られる、帝国空軍の傑作ヘリだった。
そのヘリから、合成音声が流れて来ていた。
『合成音声のみで失礼する。私がTeam艦娘TYPE、南方海域支部部長『世界海竄素敵艦隊』のむちむちポーク名誉会長大佐である』
ひっでえ偽名だ。
水野と金剛は同時にそう思ったが、相手の立場が立場なので、全力で口と顔には出さないでいた。
『水野中佐。君にはいつぞやだったかに、私の那珂ちゃんごと撃ち殺されそうになったな。だが今は、そんな事はどうでもいい。 重要なことじゃない』
――――そ、そうだ! 何故龍驤が必要なんですか!? そちらの羽黒は、もう元に戻ったと――――
『嘘だ』
水野と金剛は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
『井戸水中尉から聞いてきたのか。ご苦労な事だった……と言いたいところだが、井戸水中尉流した情報は嘘だ。理由は一つ。我が心の総旗艦、羽黒を救うためだ』
――――【……】
『帰投直後にコア洗浄を3度やった。コア内核内の抗Gゲルの全液交換も2度やった。新しい『羽黒』へのコア移植だって4回だ。変質化した部位の切除と交換手術など、もう何回やったかなど覚えておらん。未だ実験薬扱いの抑制薬の投与もやった。だがそれでも、それでも駄目なのだ! 全然駄目なのだ!! 羽黒の侵食は一時的に沈静化するが、止まらないのだぞ!!』
それは最早、心からの絶叫だった。
『貴様らに解るか!? 首から下が深海凄艦に成り果てたあの娘の絶望が! 日ごとに進む浸食汚染の恐怖が!! それを止められない私の絶望が!! ……それでもあの娘は笑うんだぞ? 涙混じりで『私の事は、他の娘の役に立ててくださいね』と。笑っていたんだぞ。もう、手足の感覚まで無くなっているのに、暴走痙攣まで始まっているのに、これ以上のコア移植が不可能なほど衰弱しているのに、それでも笑ってたんだぞ……』
だからな。と名誉会長は続けた。
水野を拘束する龍驤が、顔を顰めた。何処かと通信をしていたらしかった。
『この龍驤の存在は、私にとって、一つの希望だったのだ。まるで同じ症例なのだ、我が羽黒と。だから、この龍驤を徹底的に解剖し、その原理を明らかにすれば――――』
【……会長。無駄や】
龍驤が口を挟む。激高した名誉会長が『大往生』の照準を起こすよりも先に龍驤が続けた。
【今、ラバウル基地の支部から、連絡、が入ったんや。……羽黒ちゃん、羽黒ちゃんが、いま、たっだ い゙ま゙……!!】
名誉会長も、水野と金剛も、途中から言葉にならなくなった龍驤の涙声で全てを察した。
『……――――――――ぁ、』
半壊した物資集積島に、一人の男の号泣だけが木霊していた。
本日のNGシーン(エンディングだぞ、泣けよ)
【何で、何でそんな事言うんや!? ウチが、ウチがどんな、思いで……ずっと、ず っと……!!】
龍驤が左の拳で金剛を何度も叩く。まともな音すらしなかった。
こんな状態でも元気よく稼働している金剛のPRBRデバイスは、龍驤から発せられるパゼスド逆背景放射量の線量と濃度が急速に弱まっている事を示していた。IFFはENEMYのままだった。
【酷い人や……酷いやんか……】
金剛を叩く音が弱まる。龍驤が金剛の胸元に体を預けたまま、力無くずり落ちる。
【酷いよ、 ひど い、よ…… ぅ……うえええええん!】
――――え。
【え】
【水野中佐のアホー! ボケー! オタンコナスー!! 穴掘って埋まってしまえー! うわーん!!』
そして大泣きしながら金剛から勢いよく離れると、泣きながら海上を走って何処かへと行ってしまった。今までの大怪我はどうした。
――――……帰るか。
【……そうですネー】
そしてその場に残された水野と金剛は、途方に暮れながらもブイン基地へと帰還した。
その日の夜。リコリス飛行場基地では、白い姫と泊地凄鬼が食後のお茶を楽しんでいた。
等身大の白い姫は基地の給湯室から発掘した1パックいくらの安物の紅茶を。そして並大抵の深海凄艦よりも巨大な体躯の泊地凄鬼は重油の詰まった缶を傾けていた。
ひどく平和な夜だった。
「ウン、 ニンゲンドモノ、 『オTEA』ッテノモ、 ゾンガイ、 イケルワネ」
「……デモ、リョウガ、スクナイ」
「アジハ、 イイカラ、 イイノヨ」
だがそんな静かな夜は、龍驤の泣き声で突然の終わりを告げた。
「リュ、 リュウジョウ!? ドウシタノ!? ナニガアッタノ!?」
困惑する重巡リ級に連れられて白い姫の前に連れてこられた龍驤は、ボロボロだった。
傍から見れば、帰宅途中に変質者に乱暴された小学生に見えなくもない。如月の中破絵のように。
一歩遅れて入ってきた泊地凄鬼も、言葉を失う衝撃だった。
「ダ、ダレニヤラレタ!? リュウジョウ!?」
「うん、あんな、あんな――――」
声が出にくいという設定すら忘れて泊地凄鬼が龍驤の肩を掴んで詰め寄る。
龍驤は嗚咽混じりに事の顛末を語る。
「――――と、言う訳なんや」
「ワタシノ、 カワイイ、 リュウジョウヲ、 ソンナ、 ヒドイメニ、 アワセル、 ナンテ!!」
白い姫が怒りのあまり、第3の綾波めいて巨大化する。
「ユ゙ル゙ザン゙! ブインキチニイクゾ!!」
泊地凄鬼はカワラワリ20段でその怒りをパフォーマンス! 龍驤は二人のその勇ましさに喝采を上げる。
「鬼さん、姫さん、超カッコええ!!」
次の日の朝の事である。
【……MidnightEye-01よりHOMEBASE. MidnightEye-01よりHOMEBASE. 黒が十分で青が0。繰り返す。黒が十分で青が0。……俺、このまま本国まで逃げてもいいですか?】
ブイン島の全周囲を、深海凄艦の群れが埋め尽くしていた。
駆逐種から始まり、ダークスティールや泊地凄鬼、巨大化した姫まで勢揃いである。
珍しい深海凄艦だけにスポットを当ててみても、両拳にメリケンサックを嵌めてショートヘアに整えた眼鏡の戦艦ル級や、『彼氏募集中』の看板を肩に担いだウェーブがかった茶髪ロングの重巡リ級、『東6ホール A-01a 我らが龍驤ちゃんを泣かせたブイン基地の不届き者をブチのめし隊 最後尾はこちらではありません!!』と書かれた看板を持って列の中に立つ、妙に居酒屋のママさんっぽい雰囲気を出している空母ヲ級などと、実に多種多様な深海凄艦が勢揃いしていた。
文字通り、蟻の子一匹出入りする隙間すらなかった。見えてないだけで、海中にも詰まっているからだ。
何の脈絡も無く全艦が全力砲撃を開始。
ちゅどーん。
という爆音が響くが先か、閃光と爆炎が無数に立ち上り、それらが晴れた時にはもう、ブイン島は原型を留めていなかった。
それを見て満足したのか、深海凄艦らが一斉に帰還する。
彼らが去った後には、チロチロとした火の消え残りと、燃えカスだけが残されていた。
さぁ、良い子の皆集まれー♪
(((YEAAAAAAAAAAAAAAー!!!!!!!)))
良い子のみんあー、もういい加減に鬱エンドとか飽きちゃってんじゃないのー!?
(飽きたー! by 龍驤)(飽きたでちー! by 伊58)(あ、飽゙ぎまじだー!! by 羽黒)
OK,OKだ!
みんな正直だ。正直者が一番いい! うむ!
そんな正直者の皆で、今日は艦隊これくしょんのうたを歌おうかな!?
(((YEAAAAAAAAAAAAAAー!!!!!!!)))
よーし、いくよー? ワン、ツー。ワン ツー サン ゴー ハチ ジュウサン
(前奏)
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおう
みんなで みんなで うたいましょう
じゃあまずは井戸少佐ね。あ、みんなはうたわんでいいよ(アイエェェ)
井戸少佐 井戸少佐
ほんとのなまえは 井戸水技術中尉
コアのしゅうふくとかしてくれるし しんかいせいかんのこととかくわしいし
だけどね かげがうすい(※翻訳鎮守府注釈:一応は主人公です)
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおう
みんなで みんなで うたいましょう
次は水野水野、水野いくよ
水野さん 水野さん
ほんとはやさしい好青年
こんごうのこといちずにおもってるし りゅうじょうのきもちにもきづいてたし
だけどね わがままだよぉぉぉ(土下座すれば両手に花ルート行けるかな?)
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおぉぉう
みんなで みんなで うたいましょぉぉう
次はメナイ、メナァァァイ
メェェェナイ、メェェェナイ
ほんとは ぐんじんじゃないんだ
あさとかやたらはやいし なんか肥臭いし
それはね のうかのごなんぼうだから(オラこんな家さ嫌だズラー!!)(ニンジンくださーい)
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおー
みんなで みんなで うたいましょー
じゃあさいご古鷹ね、ふるたCar
ふるたCar ふるたCar
ほんとは ちゅうそつ くろうにん
しんがくとかたいへんだし おとうとたちのがくひもかせがないといけないし
だってさ 筆者の嫁艦だから(※翻訳鎮守府注釈:愛の鞭です)
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおぉぉう
みんなで みんなで うたいましょぉぉう
艦隊これくしょんのうた みんなでうたおぉぉう
みんなで みんなで うたいましょぉぉう
(トロイカマシンガンの銃声と、艦娘達の断末魔)
今度こそ終れ(※本編はもうちょっとだけ続きます。念のため)