「ってなにやってんだこいつらああぁ――――――ッ!?」
目の前で繰り広げられる大人の時間に高麗は思わず叫んでしまうのだった。
「やあ高麗、悪いが今は好感度が10000000000倍になりかけているところなんだ。邪魔しないでくれ」
「そんなことやっている場合じゃないですよテイル様ッ。もうすぐ出入口が閉まる時間ですッ。俺たちも早めに帰る準備をしないとっ」
シャッターの音が止まる。
テイルは袖を軽くまくり、腕時計を見る。
「そうか」
絡み合いそうになっている三人に向き直ると、言った。
「お楽しみのところ悪いけど、僕たちはそろそろ帰ることにするよ」
「ふにゃ? ああごめんらさい、ちょっと取り乱しすぎちゃったかしらぁ?」
「いいや。もう時間なんだ」
三人は頭が回らない。動きを停止させたまま、ぽーっとテイルを眺めていた。
「僕たちは地下世界へ急ぐよ。それと、これを機に、地下世界と地上の出入口は完全封鎖される。だから今日、僕たちは地上へやってきたんだ。君たちに、お別れを告げるために」
「えっ……?」
声を上げたのは留美奈だった。
「まぁ、とかなんとか言っちゃって、どうせ俺たちが忘れた頃にまた地上に来るんだろうが」
「それもそうだね。でも少なくとも、地上にやって来れるのは十年後とか二十年後の話になるかな? 君たちは本当に、僕たちのことを忘れちゃってるかもしれないね」
「に、二十年後……」
自分たちが生きた年の、二倍以上の年数だ。それは笑うところだったのかもしれないが、留美奈は上手く笑うことができなかった。
「そこで、最終確認をしようと思う。本当に、地上に残るつもりなんだね、チェルシー?」
「私は……ルリ様の護衛役よ。ルリ様が残るというなら、残るのが務め」
テイルは次にルリを見る。
「巫女様はどうです?」
ルリは酔いでまだ頬が赤かったが、次の瞬間にはニッコリと笑って言った。
「……残ります。私は、みなさんのことを絶対に忘れませんから。助け出してくれた、みなさんのことを」
テイルはフッと笑う。
「いささか失礼な問いだったかもしれませんね。ではその旨は、このテイルが崇神に直接お伝えいたします。そしてこれまで巫女様に働いたご無礼を、公司を代表し、この場を借りてどうかお詫びさせてください」
ひざまずき、深く頭を下げてから、
「高麗、あれを」
高麗に数枚の封筒を差し出させた。
「公司の運営費からまかなって作った巫女様名義の銀行口座と、巫女様、そしてその護衛チェルシー・ローレックが地上で生きていくための諸々の書類です。今の公司にはこれぐらいのことしかできませんが、どうか、地上での生活にお役立てください」
「ありがとうございます。あの、お顔を上げてください」
テイルは恐れ多くもルリに面(おもて)を向けた。
「テイルさんは、ルミナさんたちを手伝ってくださったそうですね。ありがとう」
にっこりと微笑まれたあと、頭まで下げられた。
一度は、怖い目に遭わせたこともあるのだ。なのに――。
テイルはもう一度深く、頭を下げた。
立ち上がる。
「……シエル。最後に、何か言わなくていいのかい?」
廊下の柱の陰で、金色の尻尾がふるっと揺れた。
「言わなくちゃならないのならこっちに来なくちゃ、伝えられないじゃないか」
しかし、シエルは出てこない。
「伝えたくないのかい?」
今度はブンブンと大きく揺れた。
「伝えたらダメなんだ。この気持ちを伝えたらきっと、ねーちゃんを心配させちゃうから」
その気持ちはもう、はっきりと言葉にでている。その震える声色にも。
「大切な人とのお別れは辛いだろうね。だけどもっと辛いのは、心が離れたままさよならすることだよ。心配ぐらい、思い切りさせてやりなよ。そうすれば、巫女様はきっと、シエルのことを一生忘れないだろうから」
テイルは、そういう辛い「さよなら」を知る一人だ。唐突に、肉親に売られ地下世界へやってきたテイルは、そのことに長いあいだ悩まされてきた。ひたすらの困惑と、憎悪と、なのに愛を求めたいという矛盾した望み。もちろん現在もだ。一生、表に出さないにしても心の底では悩み続けるのだろう。テイルの言葉にある異常な説得力に、シエルも気づいてはいた。伝えなきゃならない、そう思い始めた。あとは、震えを止める勇気だけで――
「ねえ、教えてシエル。あなたの気持ちを」
それをくれたのはルリだった。だから、あの時白龍にも立ち向かえた。そういう気持ちを、ルリねーちゃんがくれた。
「……ごめん、やっぱり、顔は見れない」
ようやく、一歩踏み出せる。
「うん」
ルリの声が優しく応える。
「……ずっと、考えてたんだ。ルリねーちゃんに言うお別れのことば。でも、出てこないんだ言いたいことは、いっぱいあるのに。地上のおいしいごはんの話とか、いつか話してくれた『がっこう』のこととか、風使いのにーちゃんとは、どうなってるの、とか、いつか『うみ』や『やま』へ一緒に行きたいね、とか、いっぱいいっぱいあるのに。でもそれは、全部お別れの言葉なんかじゃなくて、ルリねーちゃんとおはなししたいって気持ちなんだ。ルリねーちゃんと、したいことなんだ。いっしょにごはん食べたかった。いっしょにお買い物したかった。いっしょにお風呂に入りたかったっ。いっしょのお布団で眠りたかったッ! お別れなんてっ、したくないよッ!」
離れているあいだずっといいたかったこと、離れているあいだに溜まっていった気持ちを、離れた時間の長さだけ強く、叫ぶ。
「わたし、ここに残りたい! たとえそれがムリなんだとしても、ルリねーちゃんとずっと一緒にいたい! でも、離れなきゃならない! だからわたしは、」
「じゃあ、地上に残るかい?」
「……ぇっ?」
思わず詰まる。テイルは、まるでそれができるとでもいうような口調だった。
「でも、わたしは地上から追われた、地下世界の人間で……」
「白状すると、シエルのための書類も作ってあるんだ」
おそるおそる、柱から覗こうとすると、高麗が封筒を押し付けてきた。
手に取る。見た目よりずっとぎっしりと重い。
「……………………うわあああああああああああああッ」
泣いているのか、笑っているのか、驚いているのか、だから叫んでいるのか、そんなことはどうでもいい、身体のなかからいろんなものが溢れてきて、それを出さずにはいられなくて、
「ガマンしなくていいんだ。それが、今度の公司の運営方針なんだから」
そう、テイルの言葉の通り、もう、離れ離れなんかで我慢しなくていいんだ、そう考えただけで救われたような気持ちになっていく。
「ふひっ、ふひひひひっ」
ようやく柱の陰から顔を出せた。片手で封筒を抱えながら。涙を拭いながらも、あふれる笑いを、おさえきれない。
「ふひぃ、」
「喜んでもらえたようで、嬉しいよ」
「テイル、ありがとう」
「さあ、行ってきな」
別れ際、ポン、と頭に手を置かれる。
「こーりん、ありがとう、04も、今までありがとうねっ」
「ああ、こちらこそありがとう……高麗、さっきからおとなしいが、まさか泣いているのか?」
「うう、泣いてなんかないやいっ」
「まったく、年少組から可愛い女の子が消えるからってそんなに泣かなくてもいいでしょっ。それに、もう高麗には04がいるしー?」
「うるっせぇっ」
「じゃあね。ばいばい」
「……今まで、ありがとな。ばいばい。いつか、また会う日まで」
うなずく。背を向け、新たな場所へ駆け出す。
「ねーちゃんっ、お風呂いこう、おふろッ!」
「わっ、ちょっとシエルっ」
手を引くシエルの勢いは、ルリが転びかけるほどだった。
二人はたぶん、あのときのことを思い出す。
公司から逃げ出そうとしたあのとき――その手は離れてしまった。だけど今、この地上で、シエルの手はただお風呂へ連れ出すためルリの手を握っている。邪魔する者は誰もいない。
「あははっ、それじゃあみなさん、お先ですっ」
封筒を持つ手を大きく振って――ルリとシエルは、浅葱家の奥へ消えていった。
そして――――――――
浅葱留美奈は縁側にあぐらをかき、自宅の中庭を眺めていた。
「……こりゃ、明日はジジイの説教だな」
桜の樹ははげ、松の枝が折れ、池の水はまた溜め直し。日本庭園が見る影もなくなっているのが、慣れてきた夜目になんとなく分かった。
『おいルミナ、肉ばかりとるな』
珍妙な髪型をしたあいつの声が、どこからともなく聞こえてきた気がする。
留美奈は隣を見たが、テイルの姿はもうなかった。
『ほら、野菜は肉の十倍摂取せなあかんのやで』
今度は関西弁。でもバーベキューセットの火はもう収まっていて、その周りで奉行していたシャルマの姿はもうない。
代わりに浮かんできたのは、最後に「打倒、チェルシー宣言」を打ち出したときの姿だ。
『わかっとるんや。あんたと同じよーに公司を裏切って、ねーやんの敵を討った今、こんなことにこだわるんはおかしいのかもしれんって。お前はもう、倒すべき標的じゃなくなったんや。でもな、なんだかんだであんたと一緒に旅してきて、思うたことがある。何度も思って、確信に変わった。ウチ、チェルシーのこと超えたい。なんでってな、あんたがカッコええからや。今まで、ウチはあんたのこと、初めから強かったんやと思うてた。だからあんたが公司を裏切った時、どうしても許せへんかったんや。でも、弱さがあることも知った。傷ついて傷ついて、それでも何度でも立ち上がるから、強いんやと知った。あんたももがいてるんやなと思ったら、ウチも強くなれる気がした。悔しいが、あんたに勇気もろたんやっ。涙を流す勇気をなァ。そうじゃなかったら、敵なんて討てへんかった! ウチ、チェルシーと出会えてよかったッ。……だから今度会うときは、お前を倒したるんや。この別れが無駄じゃなかったんやって胸を張るために。ただのお別れなん、辛気臭おて嫌やからなッ、お前を超えるための、準備期間にしたるでッ。覚悟しとけやッ!』
そういって、チェルシーの返答も待たずに駆け出して行ってしまったのだった。
すぐにチェルシーが追いかけて行って、その後どういうやりとりがあったかは、留美奈は知らない。何十分か経って帰ってきたチェルシーは、やたら顔を見せたがらなかったけど。
チェルシーが追いかけていったあと、中庭は非常に男臭くなってしまったのだった。
『はあ~、俺も、なんか泣かせるようなこと言った方がいいか?』
『へぇ。何か僕にやってくれるのかい、ルミナ?』
『ねえよ! さっきまで考えてたけど、てめえに話すことなんざ何もねえぜ!』
『奇遇だな、僕もだ。高麗たちは何かあるかい?』
『驚くほどに何もないぜ』
『私も特にはない』
『おいっ! ちょっとぐらい俺を感動させてくれてもいいじゃねえかっ』
『僕とテイルさんなんてほとんど初対面に近いですしね~』
『……じゃあ僕たちは、これでおいとまさせてもらうことにしよう』
門のところまでは、見送った。
『じゃあ、今夜は世話になった』
『おう。じゃあチビども、いつまでも末永く、な』
『うっさい。こいつ、最後の最後までナメやがって!』
『? ……そんなこと言われなくても仲良くやるぞ。な、高麗?』
『あっ、ああ。うへ、うへへへ』
『最後の最後にノロケが見れて俺は嬉しいなあ』
『その割には殺気立った顔をしてるけどね』
それで会話が途切れて、
『じゃあ、行くよ』
『ああ』
一行は背を向け歩き出す。テイルの髪の尻尾が揺れる。街灯に照らされる彼らを見ていると、
『おい尻尾頭!』
なんとなく呼び止めたくなったのだ。けれど、テイルは振り返らなかった。
『健康には、気をつけろよ』
『なんだよそれルミナ……』
銀之助のツッコミが入るほどどうでもいい内容。
テイルは、軽く手を挙げただけだった。
いつまでも見送っているのは何だか変だったので、すぐに家の中へ引っ込んだ。
『あっ』
『どうしたの、ルミナ?』
『アイス食べたくなったから、ちょっとコンビニ行ってくるわ』
『そう?』
そうやって、すぐに門を出た。
そこにはもう、あいつらはいなかった。