安物のアイスをかじりながら震える。この季節の夜に、アイスはまだ早かったかもしれない。
「ルミナさん?」
背後から声がかかる。木漏れ日のようにやわらかく、透き通った声。
「ルリ……」
「こんな夜中に、どうしたんです?」
「買っといたアイスでも食べようと思って。お前こそどうしたんだ?」
「私はよく、ここへ夜風を浴びに来るんです。チェルシーもシエルも眠ったので、寝る前に来ようかなって思って」
「そっか」
「おとなり、いいですか?」
「ああ」
あぐらをかいている留美奈のすぐ隣に、すっとルリが座り込む。お風呂からあがって時間が経つが、ほのかな甘い匂いがすぐそばに感じられた。ルリと同じ屋根の下で暮らし始めてそろそろ慣れていい頃なのに、こういう時はまだ少し、ドキドキしてしまう。
肩で、存在が感じられるほどの近さだった。少し身体を傾ければ、それだけで触れ合ってしまうだろう。だから、動かないように身体を固くする。
「……ルミナさん?」
「ん?」
「あ、いや……今日のルミナさんは、いつもと違う気がして」
「そう、見えるか」
「あのときに似てます。シエルに助けられて公司から逃げ出した後、タウンで会ったときのルミナさんに。いつもみたいにおしゃべりじゃなくて、面白いことを言えなくなってる感じが」
「ああ……そういうこともあったな。あのときの俺は……もうちょっといいこと言えなかったのかなァ」
「あっ、でも、あのときとはちょっと違うかもしれませんよ? あのときのルミナさんは子供っぽくてかわいかったけど、今のルミナさんは、少し大人びて見えます」
「えっ、俺ってオトナ?」
「ああ、子供っぽくなっちゃいました」
「あはははっ、そっか。うん、やっぱ、俺はまだ子供だよ。……寂しくなったんだ。あいつらがいなくなってさ」
アイスをしゃくる。やっぱり、話す相手がいると、自分の感情が漏れてしまうものだ。
「ルミナさんと私が離れてしまったのは、公司という敵の組織のせいでした。でも今、ルミナさんと地下世界のみなさんが離れてしまったのは、誰のせいにもできない、しかたのないことだと思います。そういうときに起こる寂しさは、受け入れることしかできなくて、だからルミナさんの表情は、いつもより大人びて見えるんだと思います。たぶんルミナさんは、私のそんな表情を見たことがあると思います。受け入れなければならない悲しさを抱えていた私の表情を。そんなとき、誰かのどうしようもない子供っぽさに、人は救われることがあるんです。私は経験があるから、知ってます」
突然の襲撃がルリを奪った夜。自分の「しかたのない」事情に他の誰かが傷つくことはないんだと、ルリは、悲しい笑顔を浮かべた。あのときのルリのような表情を、今の自分が浮かべているというのだろうか。
「たとえ救われたとしても、あのときの痛みは胸の奥に残し続けないといけないと思います。たとえ今があまりに幸せで、痛みを忘れそうになっても。痛いけど、でも、だからこそ救いの大切さが分かるんです。そうやって、大人になっていくんだなって、分かります。だから、次は、私がルミナさんに手を伸ばす番なんです」
「ルリが、手を……?」
どういう、ことなのだろうか。
「いつも夜風を浴びに来るって、私は言ってましたよね。でも、今夜だけは、それはウソなんです……」
ルリの呼吸が、わずかに乱れたのが分かった。
「すき」
夜の世界に、その声だけがリン――と響く。
「だいすき、」
意味を、その言葉の意味を、
「わたしはルミナさんのことが、すき。世界で一番。チェルシーよりもっと、銀之助さんよりもっと、わたしがルミナさんのことを、一番強く、だいすきっ」
ルリが言葉を重ねるたびに、ちょっとずつ、ちょっとずつ、留美奈は理解してゆく。
「すき、とてもとても。すき、すき、すき、だいすき、だいすきっ、ルミナさんのこと、いっぱい、いっぱい、すきっ、すきっ、すきぃっ、」
強く、
強く、抱きしめた。
ちいさくて、やわらかくて、良い匂いがする身体を、精一杯に。
背中に、回される手も、強く、自分とルリとをさらに強く、密着させる。
「届いたかな、私の、こんな手でも……」
「うっせぇ、こういうのは、男の俺が言わなきゃならなかったんだ」
「えへへ……先に、いっちゃった」
肩の上に顎を乗っけて、首の横に顔を埋めて、耳元でささやかれるほのかな笑いに、留美奈の胸はいっそう甘く締め付けられた。
「ずるいんだよ、ルリは。いつも、俺はいつも、会った時からずっと、ルリにやられっぱなしなんだよ」
「それは私も……」
「好きだ。好きなんだよ、俺の方がッ」
「私の方が好き」
「俺の方がっ……あ~、バカップルみてぇなことやってるよ俺たち」
「ぷっ」
「あははっ」
「ねえ、ルミナさん……」
「ん?」
「どきどきして、今日も、眠れそうにないです」
「…………そうか」
「昨日だって、告白するかどうかで悩んで、眠れなかったはずなのに、今日こそは安心して眠れると思ったのに、どきどきして、眠れません。お酒が、まだ残ってるんでしょうか?」
「どうだろうな」
「どうやったら、眠れますか?」
「ごめんな、金髪」
「へ?」
呟いたあとに、腕を少しだけ緩めた。
暗闇の中で顔を突き合わせて、
視線が絡んで、
何をするか、分かって――、
池にできた小さな水たまりの、水面に映っている月に、また一片桜の花弁が触れる。
いつしか桜は雨となる。夏の日差しに水は枯れ、落ち葉に色を濁し、雪が全てを凍てつかせる。強い風が心を惑わすこともある。二人のいる場所は移り変わっていく。けれど、二人のはるか頭上にはもう、地下世界にはない大空が広がっている。
取り戻したのはきっと、あの日学校の屋上で見た満月だった。