【はじめに】
突発的なヒカ碁フィーバーで勢いだけで書きました。逆行みたいなタイトルだけど、転生ものです。
一人称って難しい。
初投稿につき、不備等ありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。
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【初めからの始まり】
進藤ヒカル、25歳。車に轢かれて死亡しました。
交差点で事故った車がその衝撃で歩道に突っ込んでくるとか、ちょうどそこにオレがいたとか、まあ、ありがちっちゃありがちだけどどんな確率だよといいたくなる事故でオレは死んだ。避けるとか逃げるとか全然無理なタイミングだった。アクションスターならかっこよく避けられたかもしれないけど、碁打ちなんて基本的にインドア派なんだ。無理だ。
心残りといえば、挑戦中の本因坊戦くらいで。
ああ、もしかしてこれで佐為に会えるかな、なんて思ったオレは親不孝者と言われても否定できない。ていうか先に死ぬ時点で親不孝か。ごめんな、母さん。不可抗力だ。
トーヤは泣くだろうか怒るだろうか。両方か。ずっと共に高みを目指すという約束、果たせなくてごめん。いつかはそうなるのが当然としても、こんなに早いとは思わなかったよな。オレもびっくりだ。
……本当のびっくりは死後にやってきたわけだけれども。
さて。
改めましてこんにちは。新藤光流、三歳です。
……うん。記憶持って転生とか、物語の中だけの話だとオレも思ってた。しかもこの名前だ。「みつる」とか読まれそうだけど、これは「ひかる」と読むのだ。現両親が呼びかけてくるので名前に関しては早くから分かってたけど、姓に関してはなかなか知る機会がなかったので(なにしろ乳児だったので)フルネームを認識したのは最近だ。いったいなんの冗談なのかと思ったね。
ちなみに、現父親が出産の連絡を受けて産院に向かってる時、大きな流れ星を見たので光流なのだそうだ。愛なんだか適当なんだかさっぱり分からないけど、まあ、ありがたいからいいか。
オレは今、現両親と一緒にリサイクルショップに来ている。ベビーベッドと小さくなった子供服を売って、大きめの服とおもちゃを買うとかで、けっこう大きなリサイクルショップだ。
オレにはここで成し遂げなければならない使命がある。
「あいうえお」とか書いてあるようなおもちゃの購入を阻止し、碁盤と碁石を買ってもらうのだ!
あれだって一般的にはおもちゃの範疇だろう。折り畳みでもいい。いっそマグネットでもいいんだ。一人目隠し碁も頭の中で棋譜並べもいいが、白黒の宇宙をこの目で見たい。
オレは碁に飢えていた。
うちには碁盤も碁石もないし、もちろん詰め碁集なんかもないし、そもそも絵本以外の本はオレには取れないところにしまわれているし、ようやく乳児を脱して幼児にジョブチェンジしたようなオレにテレビのチャンネル権だってあるはずない。ネットで事足りるからと、新聞すらとっていないのだ。
オレは碁に飢えていた。
もういっそ気味悪がられるのを承知で、全部ぶちまけてやろうかとすら思った。実のところ、すでに異常さに気付かれていないこともないんだし。
色とりどりのおもちゃに囲まれて、幼児であるからには一応遊んで見せようとはするものの、気付くと脳内棋譜並べをしているような子供である。傍目にはぼーっとしているようにしか見えまい。
ようやくまともに動けるようになった体は短い手足と重い頭がバランス悪くて、走るのが怖くて走れない。走ると転ぶ。そりゃもう豪快に。幼児の転び方は、一度大人を経験した身にはなかなか恐怖だ。幼稚園の仲間たちがなぜあんなに躊躇なく駆け回れるのかまったく謎だが、つまりここでもオレはあまり幼児らしく出来ていない。
極め付けに、オレはあまりしゃべらないようにしている。なにしろ口調が幼児口調だ。口周りや舌の筋肉が未発達だからだろうか、どうしても舌足らずになるのがむちゃくちゃ恥ずい。
いや、当たり前で仕方ないのは分かってるんだ。子供の声で「ごちしょーしゃまでした」なんてのはむしろ可愛いんだろうとは思う。思うけど! それが自分の口から出てるとなると耐えられないんだよ25歳プラス3歳な男としては!
まあそんなわけでオレは現状、遊ばない、走らない、しゃべらない幼児である。……うん、変だ。
現両親は、もしや障害があるのではと戦々恐々としているようで、ちょっと申し訳ない。
かといって全部話してしまうのも、オレはあなたたちの子供じゃないと言うようなもので、それはそれで申し訳ない。いろいろ面倒なことにもなりそうだし、考えどころである。
まあ、喋らないことに関してはそろそろ解禁してもいいかなーって感じになって来ているので、この件に関しては要検討。とりあえず碁盤と碁石があれば耐えられる。
とにかく碁盤である。碁盤はどこだ。
はやる気に押されて店内を駆け抜け――ようとして、頭から転んだ。慌てて抱き上げようとする母親の腕をすり抜け、また駆ける。涙がにじむのは痛いからじゃない。
オレは碁に飢えていた。
オレがここまで碁バカだとか、知ってはいたけど分かってなかった。
たったの三年、うち半分くらいは進藤ヒカルとしての意識はほとんど朦朧としてたから、実質一年半碁に触れていないだけなのに。こんなに気が狂いそうにあの世界を求めてる。
ああ、佐為。
佐為はどんなに苦しかっただろう。
求めても求めても触れられず、ただ過ぎて行く時間。何もできないこの身を恨んで、こんな運命に投げ込んだ神様を憎んで、でもまだこの道を繋いで行ける事に心から感謝した。
そうして辿り着いたのは、足付きの碁盤が重ねて置かれている一角。木地はくすみ、とりきれなかったのだろう傷や汚れのある、いかにもな中古品ばかりだ。うっすらと埃っぽい片隅の、いかにも売れていないし売る気もない風情が泣けてくる。
ひとつだけ、他のものより状態のいい碁盤が平置きされて、見本とばかりに碁笥が二つ乗せられていた。震える指先で蓋を取り、つややかな黒い石にそっと触れる。
前よりずいぶん大きく感じられるのは、もちろんこの手が小さいからで。小さな手と細い指と薄い爪で、すっかり慣れたあの打ち方はもう出来ない。
(また初めから、始めるんだ――)
佐為と出会った当時のように、初心者同然の手付きで石をつまんで。
十九路の宇宙に、そっと置いた。
「………………あれ?」
置いたばかりの石を拾い上げ、碁笥をひっくり返さないように慎重に下ろし、オレは袖口で盤面を拭った。
「……これ、オレのだ」
木地の色、木目の形、小さな傷に至るまで記憶のとおり。じぃちゃんに買ってもらった最初の碁盤――佐為と打った、あの碁盤だ。
「は……はは……」
ぺたりと座り込むと、三歳児にはテーブルにちょうどいいくらいの高さ。腕を置いて顔を伏せる。
進藤ヒカルの碁盤ともなれば、欲しがる人はそれなりにいただろうけど、形見分けには一人暮らしをしていた部屋の碁盤が充てられたのだろう。佐為との思い出が残る碁盤を、佐為と過ごしたあの部屋から動かす気にはなれなくて、引っ越すときに新しく買ったものだ。
しまいこんでいたこれを見つけたのは母親だろうか。一人息子の遺品を見ていたくなかったのか、しまいこむより使って欲しいと思ったのか。棋院にでも伝えれば喜んで引き取っただろうけど、碁界とは疎遠なままだった元両親には思いつかなかったのかもしれない。
(佐為……おまえいま、どこにいる?)
碁の神様のところで打っているのだろうか。
そこに行ければ良かったけど。
(オレはまだまだ修行不足なんだってさ)
この事態はそういうことなんだろう。だったらどうして師匠を取り上げたんだと文句を言いたいけど、打っていくことに否やはない。
嫌ではない、けど。
(オマエと打ちたいよ、佐為……)
本当はもうそれだけで良かった。塔矢アキラのライバルだった進藤ヒカルは死んだのだ。タイトルに手を掛け、国内外の強敵としのぎを削った進藤ヒカルは。
それからまだたった数年。そこに、まったく同じ打ち筋の言葉も覚束ない幼児が現れるとか、あんまり怪しすぎて笑える。
「さい……」
息だけで囁いたら涙が落ちた。
碁が打ちたい。自分じゃない誰かと打ちたい。
なにより誰より、佐為と打ちたかった。
だから。
『何を泣くのです、幼子よ――』
その声が聞こえたとき、夢ではないかと思ったのだ。
――佐為。
言葉は声にはならなかった。
顔を上げれば目の前に、白い狩衣。
長い黒髪を引きずる風なのも気にせずにしゃがみこんで、優しげな顔立ちに心配の色を乗せて。
ばっちり目が合ったら、ひどく驚いた顔をした。
『私の姿が見えるのですか?』
「……みえ、る」
『私の声が聞こえるのですね』
そう言って微笑んだ綺麗な顔が、水の膜で歪んだ。
(佐為。佐為。佐為――っ!)
消えたんじゃなかった。消してしまったんじゃなかった。オレに見えなくなってただけだった。いてくれた。いてくれた!
……喉が詰まって声が出ない。
そういえばオレはいま、たった三つの子供なんだから泣いたっていいんだ。そんな風に思ったらもう止まらなくて。
『な、泣かないでくださいよう』
本格的に泣き出した幼児におろおろうろうろする囲碁幽霊。
でもなぁ、佐為。泣かせたくなかったら、ホントは出てきちゃだめなんだぞ。オマエ幽霊なんだから、子供は泣くさ。そうだろう?
大泣きするオレを迷子だと思った店員が館内放送で両親を呼び出し(ちなみにオレは碁盤に張り付いて離れなかったので、迷子センター的なところには連れて行かれなかった)はぐれて焦っていた両親がすっ飛んできた後もやっぱり泣いて。
連れて行こうとする腕に全力で抗い、碁盤と碁石を抱え込もうとし、泣き声の合間にこれが欲しいんだどうしてもいるんだと訴えた、らしい。
――うん、どこからどう見ても駄々をこねる子供デスネ。正直よく覚えてないんだけど、このまま忘れてもいいかな?
泣き過ぎて重い身体をチャイルドシートにはりつけにされて、隣の座席には囲碁セット。その向こうに困惑しきりの囲碁幽霊を乗せて、車は帰宅の途に就いた。
子供体力で泣き喚いたのは失敗だった。眠くてたまらない。もう目を開けていられない。
(ごめん、佐為。自己紹介はまた後で……)
懐かしい繋がりを確かめるようにそう言葉を向けて、オレは目を閉じた。
――ああ神様、お願いです。
今度は間違わない。絶対に間違わないから。全部佐為に打たせるから。
だから神様、オレから佐為を取り上げないで。
おねがいだから。
ずっといっしょにいさせてください。
――了。
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佐為:ヒカルの碁盤で寝てた。なんか呼ばれた? と思ったら初対面の幼児に大泣きされた。
『なんでこの子、私の名前を知っているのでしょう』
ひかる:一回死んだせいか違う身体だからか、塔矢アキラへのライバル心にちょっと距離感。
「オレはもう、佐為と打てればそれでいいや」
光流の母親:かわいいかわいい一人息子がちょっと変。ていうかすごく変。
「やっぱり検査してもらった方がいいのかしら……」
光流の父親:かわいいかわいい一人息子がちょっと変。ていうかすごく変。
「まあ、これも個性だろう」