――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは馬車に揺られていた。
しかし、その心にかつての絶望は無い。
むしろ希望の光に満ち溢れていると言うべきだろうか。
車窓から差し込む初夏の日差しを浴びながら、彼女は自らの進むべき道について思いを馳せていたのだった。
あの“決闘”の後、彼女が罪に問われることは無かった。
何故なら、モンモランシーの死因と彼女の「力」との因果関係を誰も立証出来なかったためである。
それは当然かも知れない。
魔法学院の教員ですら誰も“体の内側から弾けた様な遺骸”を作り出す魔法など知らなかったのだから。
そして、最大の決め手となったのは、ルイズは「魔法」が使えないとされていた事だった。
『「魔法」の使えない彼女が手を触れずにあのような形で人間を殺せるはずが無い――』
そんなメイジとしての常識が結果として彼女を守ることとなった。
事件翌日、教員達によって行なわれたルイズに対する喚問の際の彼女の行動もまた周囲を煙に巻くものだった。
乱れた服装と髪のまま学院長室に現れた彼女は、まるで周囲の全てが――学院長や教員達を含めて――まるでくだらない物を見るかのような態度で過ごしたのだった。
――いや、実際に彼女にとってはくだらないものだったのだ。
この場に居ることも、教養を重視した魔法学院の授業も、そして彼女が殺めた少女の存在もまた、彼女にとっては取るに足らない出来事に過ぎないと感じられた。
しかし同時に彼女の高度な知性はフル回転を続けていた。
誰も信用せず、誰にも油断しない。
そんな彼女が自らを処断しようとする目の前の連中に隙を見せる筈も無かったのだ。
そうした彼女の行動に、その場に居た教師全員が気味悪さを覚えた。
自身の常識と相反する思想を持った異形の者に対する恐れと言っても良いかも知れない。
同時にハルケギニアの身分秩序に囚われた彼らは公爵家令嬢に対して遠慮せざるを得なかったという点もあった。
その結果として喚問は成果を挙げぬまま流会となったのだった。
「……コルベール君が居てくれたらのう」
学院長室で一人、そうオールド・オスマンは呟く。
唯の教育者・人格者としてだけでなく、おそらく彼が隠し通そうとしている経歴を持った彼の視点からならば、ルイズの変調や「魔法」について何か答えを出せていたかもしれない――特に彼は貴族としての権威よりも教育者としての人徳を多く持った人間だったのだから。
しかし、彼は先日から休暇届を出して何処かに出かけていた――おそらく新しい研究の為の調査か何かに出かけたのだろう。
「肝心な時に居ないんじゃから」と学院長として口には出しながらも、個人として内心では居なくて良かったとも思っていた。
――人を生かす為に教育者となった彼がこの事態を知ればどれだけ後悔することだろうか。
そんなことを思い至りながら、オスマンとしてはおそらくルイズがこの“事件”を引き起こしたのだろう、という確信があった。
しかし、彼はルイズを罪には問えなかった――なにしろ具体的な証拠が何も無いのだ。
状況証拠だけならいくらでもある。
ヴェストリの広場に向かうルイズの姿を目撃した学生の証言と、同じく現場に向かったモンモランシーについての証言。
広場のほうから自室に向かうルイズの姿を目撃した生徒の存在。
そして何より、ルイズの異変。
彼女がこの“事件”に関わっていたのはおそらく間違いない。
しかし、そんな状況証拠だけで「あの」ヴァリエール公爵家令嬢を犯人であると決め付けたところで誰も彼女を罰することはできないだろう――特に今代のヴァリエール公爵は子煩悩で知られていたのだから、明確な証拠も無く娘を犯人扱いされることを許しはしない。
当然、現状のままでは彼女が罪に問われることも無いだろうし、我々にはこれ以上出来ることもない。
(――本来なら貴族の金蔓から子弟の教育費用としての金を集める算段をしていれば良かった筈なのじゃが)
そう思い悩むオスマンに更なる問題が突きつけられた。
「失礼します」と入室した彼の秘書、ミス・ロングビルが報告した。
「――生徒が二名、昨日から行方が分からなくなっているそうです」
最終的にルイズは「自主退学」という形となった。
無論、“事件”に対する処分ではない。
彼女に与えられたのは「使い魔との契約不十分」による2年生への進級の不許可、すなわち「留年」か「自主退学」という選択肢だった。
つまり、学院側としては全てをうやむやのままに終わらせようとしたのだった。
……原因不明の生徒変死事件として。
学院側から提示された選択肢のうち、ルイズは迷うことなく自主退学の道を選んだ。
それは彼女にとって当然の選択だった。
彼女はもはや魔法学院に何の価値も感じていないのだから。
その一方で、彼女の実家であるヴァリエール公爵家も彼女の将来について手を打っていた。
彼女の自主退学と同時に、彼女を許婚であるワルド子爵のもとに預けることとしたのだ。
故に、彼女の乗った馬車はヴァリエール公爵領ではなく、彼女の婚約者であるワルド子爵領へと向かっていた。
彼女の父であるヴァリエール公爵としては、直ちに実家に戻すよりも彼女の気持ちが落ち着いてから会うことを期待していたのかも知れない。
しかし、そんな親心は当のルイズには逆に受け取られた。
――すなわち、彼女の家族もまた、彼女を遠ざけておこうとしている、と。
彼女の婚約者であるジャック・フランシス・ド・ワルド子爵は若くして王室守護の任を持つ魔法衛士隊のうちの一隊――グリフォン隊――の隊長に任命されるほど優秀な男であった。
彼の所領はトリステイン北部、ゲルマニアとの国境付近を所領とするヴァリエール公爵領の南東に接する位置に存在し、ヴァリエール家とは比較的近い仲であったと言える。
しかし、ルイズの実家であるヴァリエール公爵家とワルド子爵家との婚約を巡っては余りにも不釣合いな婚約だと見られていた……少なくとも今までは。
その理由としては、いくら三女とは言え、公爵家――しかも男子の直系が存在しない――の婚約者として、子爵というのはあまりに相手として位階、すなわち家の格式が低いということだった。
と言うのも、トリステイン王国での位階制度(貴族階級区分)としては公爵を筆頭に――クルデンホルフ大公国のように大公爵という階級も存在するが、事実上の独立国であるために例外――侯爵、その下に伯爵、次いで子爵、男爵、準男爵、さらにその下に所領を持たない「シュヴァリエ」に代表される騎士爵という階級と定められていた。
すなわち、彼女の実家である公爵家からすれば三階級も格下な家であったのだ。
さらに問題となったのはワルド子爵家の所領である。
ワルド子爵家の所領は1100戸余りだった。
その所領1100戸余りというのは、子爵として見るならまずまずと言う範疇であるが、3万戸を超える所領を持つヴァリエール公爵家の30分の1程度でしかない。
……考えてみて頂きたい。
いかな末娘とは言え、自分の家の30分の1の財産しかなく三階級も格下の家に嫁ぎを出すのはあまりにバランスが悪すぎる。
その上、今代ヴァリエール家の子息は娘が三人だけ。
末娘であるルイズの上には、いささか行き遅れの感がある長女エレオノールや病弱な次女カトレア――おまけに自家を興しているため公爵家の継承権は消滅している――がいるのみであった。
トリステインで男爵以上の位階を持てるのは男性のみであることを考えれば、ルイズの婚約者は次期ヴァリエール公爵家頭首となってもおかしくない筈なのである。
次期ヴァリエール公爵ともなれば、トリステイン王国の中でもかなりの政治権力を手にすることとなる。
その可能性を秘めた者がただの子爵、しかもルイズとは10歳近く年の離れた男であると言うのは異常であり、婚約決定の時から政治的問題とすらなっていたのだった。
そんな結婚を後押ししたのはヴァリエール公爵夫人、カリーヌ・ド・デジレであった。
公爵夫人――前マンティコア隊隊長「烈風のカリン」は、両親を早くに失った青年に過ぎなかった新人グリフォン隊隊員の才能を見抜いていた。
そして、そのトリステイン最強と呼ばれた風のスクウェアの強力な後押しによって、ルイズとワルドとの婚約が決定されたという事情があったのだ。
――しかし、今、こうした過去の長いいきさつを問題にする者は居ない。
当然だろう。
名誉を重んじる貴族として、いかな公爵家三女と言っても、「魔法学院中退」という経歴を持つ少女を好んで受け入れる者がどこに居るのだろうか――
仮にルイズを受け入れる者が居たとしても、魔法の使えない――と見做されていたルイズの血統からではその子孫までもがメイジとしては望み薄となるだろう。
トリステインでは魔法の才能はその先天的資質――如いては血統的な資質に頼るものであると考えられていたのだから。
すなわち、公爵家に一時の恩を売る代わりに後代のメイジとしての地位をすべて失ってしまう可能性すら存在するのである。
いわんや特にメイジとしての血統を重んじるトリステインにおいては、彼女を好んで迎える家があろう筈もない。
そんな周囲の風潮の中で、彼女の自主退学を聞いた周囲の貴族たちからはこう見られていた。
――すなわち、ワルド子爵は「ババ」を引かされたのだ、と。
「久しぶりだな! ルイズ、僕のルイズ!」
ワルド子爵家の今代当主、ジャック・フランシス・ド・ワルドはそう言いながら、到着したルイズを出迎えた。
その顔には心からの笑顔が浮かび、走り寄らんばかりの勢いで彼女の傍に向かってくる。
その姿を一瞥した後、ルイズはゆっくりと馬車から降りて、答える。
「――お久しぶりでございます、ワルド様」
そう言って彼女は顔を上げ、目の前に居る自らの婚約者の姿を見つめながら思う。
(この男の目的は何だろう――?)
いくら許婚とは言っても、彼女としては現在のトリステインでの価値基準の中で今の自分にそれほど価値があるとは思えなかった。
魔法学院で「ゼロ」と呼ばれた存在。
表向きは負の価値になりさえこそすれ、決して評価されない称号のはずだった。
――そして、唯一彼女が価値在るものと認めた彼女の「力」については彼女しか知らない。
そんな中、わざわざ休暇まで取って自邸で彼女を出迎えてくる存在。
彼女はトリステイン王国の常識からすれば、ワルドにとっても彼女はむしろ邪魔な存在の筈だった。
それなのに目の前の男は自主退学後の彼女を引き受けるとヴァリエール公爵に直談判までしたと言うのだ。
人間は目的の無い行動はしない――それが貴族ならなおさらの筈である。
意識の有無に関わらず、行動は目的の存在によって成り立つのならば――
そう考えながら、彼女は婚約者の挙動を観察する。
逞しい体格にトリステインでも数少ない風のスクウェアという実力の持ち主。
銀の髪に整った顔立ちはまさに生まれながらの支配者然とした風貌を醸し出している。
「相変わらず軽いな、君は! まるで羽根のようだね!」
ワルドが彼女を抱き上げ、そう言葉をささやく。
しかし、彼女は仮面のような微笑を貼り付けたまま、自身を抱き上げた男の顔を間近で眺めながら考え続ける。
ワルドは若くして魔法衛士隊の内の一隊、グリフォン隊を率いるにまでなったトリステイン有数の風の使い手である。
ということは目の前の男はそこまで無能ではない――トリステインに三つしかない魔法衛士隊の隊長はただのおべんちゃらの得意な男が就任出来るような地位ではないのだ。
すなわち彼女の現状での価値を理解できない男では無い筈である。
単なる情に動かされるような男であるとも思えない。
現にその目には、知性に支えられた野心と自信に満ち溢れた眼光があった。
そして同時に、先程から語り続ける彼女を迎え入れた声色には隠し切れない喜びが過分に含まれているのも事実である。
(……この男は私に何の価値を見出したのだろうか?)
そう考え続けるルイズをようやくワルドは地面に降ろした。
そして、彼女の婚約者はまるで宝石を扱うかのような丁寧な仕草で彼女に自らの館を案内し始める。
――心に秘めたルイズの思いに気付かぬままに。
子爵領到着の一件以来、彼女は常に婚約者の動きを観察していた。
そんなある日、ついにルイズはワルドの不審な行動に出くわしたのだった。
夕食後、ワルドと共に彼の執務室で寛いでいたルイズは窓をコツコツと叩く音を聞いた。
その音を聞いたワルドは素早く立ち上がり、窓を開く。
直後、ワルドの肩に一匹の大きな梟――当然、誰かの使い魔なのだろう――が羽を休める。
ワルドは慣れた仕草でその梟の足の結わえつけられた文章筒を外し、内部に収められた文を素早く読み取った。
――そこまでならば特に不審にも思わなかったかもしれない。
しかし、読み終わったワルドは急に立ち上がり、届けられたばかりの手紙を傍らの執務机に納める。
貴族のたしなみとしては、立場上語れない内容である場合を除いてこういう手紙が届いたときにはその相手や内容を同席者に簡単に伝えるのが礼儀である。
しかし、彼女の婚約者はその慣習――親密な相手に対しては特に重視される――を行なわなかったのだ。
「何の連絡でしたの?」
そう探りを入れるルイズに対してワルドは軍務に関わることだから、と言明を避けた。
彼女もまた、深く追求はしない。
相手の“目的”を探し出す前に必要以上の不信感を持たれては困るのだ。
そうして、誰もが寝静まった深夜、彼女はこっそりとワルドが文を仕舞った机の引き出しを開ける。
そこに仕舞われた手紙を一瞥して彼女は公用の文章ではないことを確認する。
トリステイン王国で用いられている公用文章ならば、封をされた場所に王国紋章を模った花押が押されている筈である。
しかし、その手紙にはそんな花押は無く、蝋で封がされていた痕があるだけであった。
それだけでもワルドが彼女に嘘をついた証拠となる。
だが、そんな事は大したことではない。
――問題は何故嘘を吐く必要があったのか、と言うことである。
彼女は封を切られた便箋に仕舞われた手紙に記された内容に目を通す。
そして、その手紙にはより重大なことが記されていた。
――レコン・キスタ。
その手紙の差し出し元を理解した彼女の口元に笑みが浮かぶ。
アルビオンに於いて旧来までの王権を打ち倒し、貴族による新たな社会制度を打ちたてようとする組織。
彼女の婚約者であるワルドはその組織の一員だったのだ。
彼女の口元の笑みが大きくなる。
彼女自身の為の世界を作り上げるという彼女の目標。
その為の第一歩が既に準備されていたと言っても過言ではないのだから。
「――ねぇワルド様? 何か私に隠していらっしゃいますよね?」
翌日の夜、二人きりになった彼女はワルドにそう問いかけた。
内心では全く敬意を払う必要は感じていない彼女であったが、落ち着いた丁寧な声で尋ねる。
「――ッ、どうしてそう思うんだい?」
唐突に投げかけられた言葉にワルドはまず驚きを示し、次いで警戒の色を持って答える。
そんな様子を眺めながらもルイズは平静なまま、詰問者を演じ続ける。
「私、見てしまいましたのよ」
そう言いながら、彼女は懐から例の手紙を取り出す。
それはワルドとレコン・キスタの繋がりを示すこれ以上は無いという証拠に他ならない。
もしこれが公になればもはやトリステインにワルドの居場所は無い。
しかし、そんな証拠を突きつけられたワルドはまるで悪戯を見つけられた子供の様な笑顔で言った。
「悪い子だな」
そう言って笑うワルド。
そこにはこの事実が公表されることに対しての恐れは全く無い。
そんなワルド様子に対して、戸惑った様に見えるであろう顔を作り上げながらルイズは続ける。
「これがどういう意味を持つかはお分かりですわね」
そんな彼女の“脅迫”に対してワルドは答えた。
「そうだな、いずれ君には話しておこうと考えていた。これは今、君に話せという始祖のお告げなのかもしれないな」
そう言ってワルドは一転して真剣な顔を作ると、ルイズに“秘密”を語り始めた。
「僕はただの魔法衛士隊の隊長で終わるつもりは無い。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」
そう心の底に秘めた決意を口にするワルド。
彼は話の途中でその決意に至るまでにさせた理由の数々についても語った。
早くに両親を失った青年時代に受けた屈辱。
実力も無いのに位階の差を盾に身分秩序を強要する無能な上位貴族への不満。
それらの動機が彼を秘密組織であるレコン・キスタに走らせたのだ――彼を現在よりもより高い地位に上らせるという欲望を満たすために。
そして、最後にワルドはそれまでの独白から一転して彼はルイズの方へ向き直り、彼女の両手をとって、言葉を継いだ。
「――そのためには君の力が必要なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、ルイズは確信した。
目の前の男は「彼女」をなにがなんでも必要としている。
不要であるならば、とっくに手紙を奪うなり口を封じるなりの行動を起こしている――「魔法」の使えない彼女相手ならなおさらだ。
それはすなわち、
――目の前の男は彼女について、彼女自身も知らない情報を握っている。
ということに他ならない。
そして、その確信は彼女の行動計画を少々修正させることとなる。
ならば、それが何なのかを知るまでは目の前の男の茶番に付き合ってみよう、と。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施