――――――――――――アンリエッタ・ド・トリステインは数年ぶりに幼馴染の少女と再会した。
いそがしい政務の間を縫った、お忍びという形で彼女はワルド子爵領を訪れていた。
そして、現在の彼女の目の前には膝を付き、控えるような形で跪くルイズがいる。
そんな状態でルイズを待機させたまま、アンリエッタはまるで舞台の上の俳優のような大げさな振る舞いと共に傍らの少女に話しかけた。
「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ――!」
しかし、目の前の幼馴染はそんな彼女の姿を一瞥することなく、じっと黙ったまま傍らに控え続ける。
そんな姿を眺めたアンリエッタはまるでそれに気付かなかったような素振りで言葉を継ぐことにした。
「ああ、ルイズ!ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめて頂戴! わたくしとあなたはお友達、お友達じゃないの!」
そんな言葉を投げかけても、目の前の幼馴染の少女の反応は返ってこない。
むしろ、身じろぎもせず、じっと目を閉じた状態でまるで耐え難いほどにくだらないものを見せられているかの様だった。
そんな少女の様子に気付いた風も無く、彼女は再び目の前の幼馴染に話しかける。
「――昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ! 幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって――」
しかし……いや、やはりと言うべきか、依然として跪き続ける幼馴染からの反応は帰ってこない。
――沈黙。
そして、数十秒にも感じられた沈黙の後、ようやく彼女の幼馴染は思い出したかのように一言、言った。
「もったいないお言葉でございます、姫殿下」
まるで目の前のルイズ自身でなく、何処か遠いところから聞こえてくるようなどこか乾いた冷たい声に驚いたものの、アンリエッタは一応の反応が返ってきたことに安堵した。
そんなルイズの反応を確認した彼女はようやく本題に入るべく、演技を継続した。
「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの忠臣面をして寄って来る欲の皮の突っ張った宮廷貴族達もいないのですよ――ああ、もうわたくしには心を許せるお友達はいないのかしら?」
言外にあなたしか居ないのよ、と含ませる。
そんな彼女の思惑に彼女の幼馴染は平然と――そして依然として黙ったまま傍らに控え続けていた。
「ルイズ・フランソワーズ――?」
そう彼女は声をかけた。
本当なら、既に“感動の再開”を果たし、悲劇の王女の心労について彼女が心配して声をかけるという筋書きだったのだ。
(ルイズが変ってしまったというのは本当だったのね……)
彼女はそう心の中でひそかに思う。
ならば、と彼女は過去の麗しき思い出から、現在の自身に直面した“悲劇”について語りかけた。
「結婚するのよ、わたくし――」
「……おめでとうございます」
もの悲しいものを含ませたアンリエッタの言葉に対しても、やはりルイズの声はどこか無機質なものだった。
アンリエッタの嫁ぎ先が、以前からルイズが「野蛮な成り上がり者どもの国」と侮蔑し続けていたゲルマニアだと言ってもその様子は変わることはない。
――同様に「王国の為の道具とされた」“悲劇の”少女についてもルイズが感情を顕わにすることはなかった。
そんなルイズの態度に諦めたのか、アンリエッタは単刀直入に言い放つ。
「あなたに頼みたいことがあります――アルビオンでわたくしが以前したためた手紙を回収して頂きたいのです」
そう言って彼女は現在のハルケギニアの国際関係について説明する。
アルビオンで「聖地」の回復を目指す貴族の叛乱によって王制が滅びようとしていること。
アルビオンの王権が倒れれば、彼らは次にこのトリステインを狙うであろうこと。
そんな彼らによるトリステイン侵攻に対処するため、ゲルマニアとの同盟が必要であること。
そう簡単に説明した後、彼女は続けた。
「その手紙が敵に渡れば、トリステインは一国で強大なアルビオンと対峙しなければならなくなるでしょう」
―――くだらない。
ルイズとしては、このくだらない演技に付き合う気はさらさら無かった。
たとえ国が滅びるのだとしても、滅びるのなら勝手に滅べば良い、とすら思っていた。
そもそも全ての元凶は彼女の目の前で悲劇の王女を気取っている女のせいではないか。
王女と言う地位にありながら、他国の皇太子に勝手に恋文を書く。
それは自身の地位に見合う責務を果たしていない象徴ではないか――尤も地位に見合う責務を果たしていないのはこの国の貴族全般に当てはまることだけれども。
そして今、目の前の幼馴染は自身の地位を守る為――恋文の件が露見した上で同盟を組めるのはせいぜい彼女を廃嫡した後くらいなものだろう――にわざとらしい演技までして、手紙の件を闇に葬るべく動いている。
それも彼女の心境を察した下々の者の自発的な動きという形を整えて。
そう、まさにこの国にしてこの王女あり、というわけだ。
アンリエッタが彼女に何かを依頼するために訪れたのはわかっていた。
でなければ、いかな幼馴染と言えど、ここまで会いに来る必要がない。
彼女と王女は既に数年もの間、会っていなかったのだから。
――しかし、彼女としてはこの「依頼」を自身の目的に利用するつもりでいた。
そう、彼女は既にレコン・キスタの一員なのだから。
よって彼女は不機嫌でも耐え続けていたのだ。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。直に件の手紙を返してくれるでしょう。それから、これを――」
そう言って彼女は自身の填めていた指輪を外して彼女に手渡した。
「この任務にはトリステインの運命がかかっています――よろしく頼みますわね」
そんな言葉にルイズが返答をする前に、突如として部屋の扉が開き、そしてワルドの姿が現れた。
「――子爵!?」
その姿を見た瞬間、ルイズは内心で舌打ちをした――が、表情には出さない。
そんなワルドの様子にアンリエッタもまた戸惑いを隠せない。
しかし、入室したワルドはそれに臆した様子も無く、言葉を発した。
「その任務、この私めにも仰せ付けますよう、お願い申し上げます」
その言葉が意味するものは、すなわち彼はルイズとアンリエッタのやりとりを全て聞いていたということに他ならない。
絶句するアンリエッタに対してワルドは畳み掛けるようにして、言った。
「婚約者に命じられた任務は私の任務も同然!――それとも、私のことは信じられませんかな?」
そうワルドはアンリエッタに語る。
現グリフォン隊隊長にして、トリステインでも数少ない風のスクウェア。
任務に対して忠実で、事実上トリステインの内政を仕切るマザリーニ枢機卿からも信頼されている若手実力派貴族の筆頭。
――彼ならば信用しても良いかもしれない。
どうせ、危険なアルビオンに魔法の使えないルイズ一人を派遣するわけにはいけないのだ。
だとするならば、少数でも腕のいい護衛としてなら使えるかもしれない。
「――わかりました、ではルイズ・フランソワーズとワルド子爵の二人にお願い致しますわ」
そう言って、彼女は改めて目の前の二人を眺めた。
その言葉を受けて、ワルドが跪きながら答えた。
「ご安心下さい、我が婚約者であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと私、ジャック・フランシス・ド・ワルドは見事に姫殿下のご期待に答えることでしょう!」
そう言いながら、ワルドは隣のルイズに促す。
「君からも一言、姫殿下にお伝えしたほうが良いんじゃないかな?」
そんなワルドの声を受けて、彼女は内心で吐き気のするような気持ちを抱く。
そして彼女は憮然としながらも、仕方ないといった様子で答える。
「……謹んでお受けいたしますわ――アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下」
そう、彼女はまるで初めて接する他人に答えるように返したのだった。
「ワルドさま、どうしてあなたはあの時に入ってこられたのでしょう?」
アンリエッタの馬車を見送りながら、ルイズは彼女の婚約者に尋ねた。
「あの時、とは何時のことだい? 僕のルイズ――」
そう言って、いつもの様にあいまいに誤魔化そうとするワルド。
「私と姫殿下の会話の最中のことですわ」
王族が臣下に下した密命を盗み聞きする。
それは本来ならそれだけで死罪に相当する罪である。
あの時、アンリエッタが改めて命じたから良い様なものの、本来なら黙っていてもルイズに任務が命じられた筈なのだ。
それをあえて闖入するというリスクを犯したワルド。
その真意は何処にあるのか――彼女にはそれが気がかりだった。
「君のことが心配だったからね」
そう答えるワルド。
――そこには「何に対して」心配だったかという理由をあえて語らない。
「そんなにも私が信用できないのかしら?」
彼女は尋ねる――ルイズがレコン・キスタを裏切るのではないか、という疑問を持っているのではないかと。
そんな問いをワルドは大げさな身振りで否定して見せた。
「とんでもない! 信用できない相手に僕は秘密を語るほど堕ちたつもりはないさ」
そう語ったワルドは、次に一転して彼女の目を見つめながら、悪戯っぽく語って見せた。
「ところで信頼の証として、一つ僕の任務に協力してくれないかな?」
『――初夏のアルビオンの程、素晴らしいものはない。遮るものもなく、広大な大空から乾いた柔らかい風が吹き、旅するものに暑さを感じさせない。大陸塊から遥か下の広大な海に零れる川は途中で霧となり、高空の強い太陽の日差しを浴びて虹を描き出す』
そう謳われる浮遊大陸の片隅――三方を崖に囲まれ、まるで空中に突き出すように築かれたニューカッスル城。
数百年前に作られたこの古城は既に数十年もの間使われること無くただ朽ちるに任されていた筈だった。
しかし皮肉なことに、打ち捨てられた後にようやくこの城は城砦としての機能を発揮していた――アルビオン王朝最後の拠点として。
そんな古城の礼拝堂、その祭壇の前にルイズは追い詰められたアルビオンのテューダー朝最後の継承者と共にいた。
彼女が身に纏うのは清楚さを表す純白のドレスに、永遠に枯れない花をあしらった王家に伝わる新婦の冠。
傍らのワルドもまた、正装に白いマントを羽織り、傍らに佇んでいる。
「では式を始めようか――」
そんな声と共に、ウェールズは中央の演台にコトリ、と古びたオルゴールを置いた。
「殿下、それは!?」
其処に置かれたものを見てまさか、と驚いた様子で尋ねるワルド。
そんな反応に対して、「ああ、これか」といった調子でウェールズは答えた、
「『始祖のオルゴール』さ――アルビオンでは王族が婚姻する時に、このオルゴールの前で永遠を誓うのさ」
「――トリステインでは『始祖の祈祷書』の前で誓うのだろう?」と皇太子は笑った。
そう言いながら、ウェールズはオルゴールの蓋を開け、宣言した。
「これより式を始める――新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓うか」
「誓います」
ワルドは重々しく頷き、宣言した。
その誓いを確認したウェールズはにっこりと微笑みながら、新婦の方へ振り返り――
――呆然と立ちすくむ少女の姿に気付いた。
「新婦?」
そう呼びかける皇太子の声も無視して、彼女は先程から聞こえ続ける『声』を聞き続けていた。
『――これを聞きし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者なり。またそのための“力”を我より担いし者なり』
そう『声』は彼女に向かって語りかける。
そんな言葉に対して、彼女は小さく呟いた。
「……ふざけんじゃないわよ」
――アンタが私に「力」を与えた?
違う!
この「力」は常に私と共にあった。
彼女の脳裏にこれまでの辛い思いが思い起こされる。
――魔法を使えば必ず爆発する。
思えば、彼女の魔法が爆発する理由を、誰も言わなかった。
両親も、姉たちも、先生も……、友人たちも……、ただ『失敗』と笑うだけで、その爆発の意味を深く考えず、魔法の使えない彼女をなじった。
そんな中で、唯一私が持っていたこの「力」が始祖に与えられたものだという。
つまり、今までの彼女の不幸もまた、始祖によって与えられたものだったと言うのである。
「――ふざけんじゃないわよ」
彼女は再び呟いた――先程よりは少し大きく、はっきりと聞こえる声で。
『――志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ』
彼女の脳裏に響く言葉は、この「力」は異教と闘う為に神から与えられた「力」だという。
そしてその『声』はルイズに6000年前に死んだ自分の意志を継げ、という。
「――ふざけんじゃないわよ!」
そして、彼女は叫んだ――その叫びは心からの絶叫だった。
私は始祖の奴隷でもなければ、異教と戦うための戦闘兵器でもない。
今まで「ゼロのルイズ」と呼ばれ、虐げられてきたのは、始祖とその後継者とやらが作り上げた魔法至上主義のせいではなかったのか?
私は始祖の為に、そんな連中の為に戦うことを生まれながら宿命付けられていたとでも言うのだろうか?
――そんなことは認めない。
絶対に認めない!
コレは私の「力」なのだ!
その思いと同時に彼女は自らの杖を掲げ、誰も止める間もなく呪文を紡ぐ。
そして、完成した「魔法」で彼女はその『声』の元――『始祖のオルゴール』を粉々に吹き飛ばした。
「ラ・ヴァリエール嬢、君は一体何を――」
「――チッ!やむを得んか」
そう舌打ちすると、ワルドは自身の杖を抜き放ち、『エア・ニードル』の魔法と共にウェールズに襲い掛かる。
しかし、その攻撃はルイズの異変によって警戒心を取り戻していたウェールズの衣服の端を切り裂くに留まった。
「ワルド子爵!?」
「ウェールズ殿下、悪いが貴方の命、貰い受ける!」
その言葉と共に、ワルドは魔法を纏わり付かせた鉄杖をウェールズの胸に突き立てた。
「貴様はッ…貴族派だったのか――?」
口から鮮血を吹きこぼしながら、最後の力を振り絞ってウェールズは問いかけた。
そんな問いに乱れた衣服の端を直しながら、なんでもないという風にワルドは答える。
「いかにも僕らはアルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員さ」
「トリステイン貴族である貴様が何故――」
ウェールズの問いはそこで途切れた。
顔から血の気が失われ、その蒼い瞳からは輝きが失われていく。
そんな皇太子の亡骸に向かって一人ワルドは答えた。
「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟――ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」
そう、死にゆく者への手向けとして語るワルド。
しかし、彼は気付いていなかった。
――その傍らにそんな目的を欠片たりとも信じていない少女がいることに。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施