――――――――――――トリステイン王国宰相、マザリーニ枢機卿は目の前の論争を黙ったまま、じっと眺め続けていた。
アルビオン王室が最後の抵抗拠点としたニューカッスル陥落の知らせは事前の予測もあって、ある程度の諦観をもってトリステイン王宮関係者に受け入れられていた。
しかしその直後、アルビオン王家滅亡をも遥かに上回る知らせが届いたのだった。
『――アンリエッタ王女に不義密通の証拠あり』
アルビオン王家を滅亡させたレコン・キスタはそうハルケギニア各地に向けて発表した。
当然、その発表は同盟条約と引き換えにアンリエッタが輿入れする筈だったゲルマニア皇帝アルプレヒト三世の下にも届いた。
ゲルマニアという国は始祖ブリミルの後継者が統治するというハルケギニアにおいては異質な国だった。
トリステインの10倍近い国土と数倍の人口を誇りながら、その統治者は純然たる始祖の血を受け継ぐ者ではなかった。
よって、大国の『皇帝』でありながら、外交上の扱いでは他国の『王』に劣る扱いを受けてきたのだ。
今回の婚姻でゲルマニアはかねてから切望していた「始祖の血統」を手に入れ、一挙に国内・国外における威信の拡大を果たす筈だった。
さらに、現在のトリステイン王家に「始祖の血統」を受け継ぐものはアンリエッタしかいない。
故に、今回の同盟婚姻は実質的にトリステインそのものをゲルマニアの影響下に置かせることも目指した国家戦略の一環でもあったのだ。
もちろん、それほどの利益が無ければ他国の為に同盟を結ぶはずも無いのではあるが。
しかし、その期待は見事に裏切られた。
こともあろうにその始祖の直系であるトリステイン王女のアンリエッタの始祖に誓った愛の手紙がアルビオン皇太子に送られていたというのである。
新任のアルビオン大使――すなわち、レコン・キスタのメッセンジャーからその手紙の現物を示された皇帝アルプレヒトは激怒した。
このまま婚約を受ければ、彼の権威は地に落ちる――もちろん、受け入れなくても十分以上の恥辱であるが。
よって、ゲルマニアはこうトリステインに通達した。
『ゲルマニア皇帝、アルプレヒト三世はトリステイン王国王女、アンリエッタ・ド・トリステインとの婚約を見直し、同盟条約の締結を無期限延期する――』
それは事実上の条約締結の拒否に他ならない。
唯でさえアンリエッタの恋文についてのレコン・キスタの発表で騒然となっていたトリステインは、この通告によって一層の混乱に見舞われたのだった。
直ちにその知らせを受けて重臣たちが結集した王宮の中心部――大広間では激論が交わされていた。
「この際、一挙にアルビオンに侵攻すべきだ!――レコン・キスタが政権を奪ったばかりの今なら、奴らが態勢を整える前に攻撃をかけることが出来る」
そう先程から強く主張しているのは軍務卿であった。
レコン・キスタが何を送ったかは知らないが――アンリエッタは沈黙をもって事実上手紙の存在を認めていた――王国の防衛を一手に担う職に就いている彼からすれば、ゲルマニアとの同盟がご破算になった今、トリステインの安定を守る為には先制攻撃によるレコン・キスタの打倒、最悪の場合でも敵に損害を与えて自国への侵攻を防ぐという攻勢防御しかない、という考えがあった。
そんな彼の意見は戦争による自身の利益拡大を狙う軍や有力諸侯などの武闘派貴族からも支持を受けていた。
しかし、その意見に真っ向から反対する人間もいた。
「今のトリステイン王軍だけの戦力でレコン・キスタに勝てるとは到底思えませんな――相手は5万もの戦力を持っておるのですぞ! それに対して我がトリステインの懐事情では全軍合わせて4万がせいぜいといったところでしょう」
相手よりも数が劣るのに攻勢などかけられるか、それが財務卿の考えだった。
王国の財務を預かる彼からしてみれば、人口300万人のトリステインで侵攻軍に最大限編成できる戦力は約4万人が限度であると判断していたのだ。
しかも、相手は大洋上に浮かぶ「浮遊大陸」アルビオン。
その侵攻の為には地上侵攻以外にも大量の艦船とその支援の為の人員が要求される。
戦時体制に入ったとして、王国防衛の為の最小限の防衛戦力も考えるなら、唯でさえ正面戦力に勝るレコン・キスタの5万もの軍に国力の劣るトリステイン軍が勝てるとも思わなかったのだ。
そんな財務卿の意見に対して軍務卿が反論する。
「しかし、今攻撃しなければ、我々はいずれ『聖地回復』を訴えるレコン・キスタの総攻撃を受けてしまう。そうすれば国土は荒れ、多大な被害をもたらすことは必定ではないか! それとも財務卿はレコン・キスタの杖にかかるまで金勘定でもしているお積りか?」
「一時的な支出と仰るが、戦費として必要な額を考えれば……」
「――必要なら平民から徴収すれば良かろう。それに、一時的な支出など連中に勝利すればいつでも取り返せるのだ! 畏れながら、アンリエッタ姫殿下は始祖よりの血統を失ったアルビオンで一番血縁の近い御方。よって勝利の暁にはアルビオン一国が丸々我らの手に入るのだ! その利を考えれば、一時的な支出などなんとでもなるではないか!」
彼の言葉の後半部分は周囲に集う諸侯に向けたものだった。
その言葉をきっかけに様々な意見が噴出していく。
「財務卿! 我ら伝統あるトリステイン貴族が内紛で半減したアルビオン貴族に劣るとでもいうのですかな?」
「し、しかし……」
財務卿が言葉に詰まったのを見た軍務卿が好機とばかりに畳み掛ける。
「おぉ、正統な領主の居ないアルビオンを制すれば、統治の為にここに集う有能なる諸侯のお力が必要となるに違いないでしょうな!」
その軍務卿の発言を機に一挙に侵攻支持派の貴族が増えていく。
基本的に対外戦争の機会がほとんどないトリステインで領地が増える機会などめったに無いために、形勢は一挙に傾いていく。
そんな光景を見つめながら、マザリーニは内心で思う。
確かに、今は無きアルビオン王国皇太子ウェールズとトリステイン王国王女アンリエッタは従兄妹の間柄。
それは王朝の血縁が途絶えれば、他の地域の一番血縁の近いものを王として迎え入れるという古来からの慣習にも適合していた。
そして同時に今回の政治的失点を招いたアンリエッタの地位を保全する――彼女の存在こそアルビオン領有の大義名分なのだ――ことにもなる。
さらに、アルビオン全土が手に入るのならば、一時的な支出(と言っても1000万エキュー単位の莫大な額が必要になるが)も回収出来るかもしれない。
――無論、統治後のアルビオンが平穏であるのならば、という但し書きが付くが。
「――マザリーニ枢機卿、貴殿はどのようにお考えか?」
軍務卿派の侵攻論に追い詰められた財務卿は傍らで先程から沈黙を続ける事実上の宰相に助けを求めた。
政治家としての彼の目には、強大な軍事力を誇るゲルマニアとの同盟交渉が決裂に至った今、レコン・キスタがトリステインに攻撃をかけてくるのは火を見るよりも明らかであった。
攻撃してくるのが明らかであるのなら、先に叩いてしまえば良い――確かにそれは軍事に携わる者の間では常識的な戦術論でもあった。
しかし、軍人ではない彼としては財務卿の主張する防戦論の方が好ましいようにも思えた。
財務卿の言うように、敵軍は最低でも5万、それに対してトリステイン軍は4万がやっとというところで同数がぶつかり合ったなら到底勝てるとも思えない――おまけに一般的に不利と言われる攻撃側ならなおさらだった。
さらに戦時体制ともなれば必要となる戦費を調達するために新たに戦時課税を制定し、平民から税を徴収するしかない。
王軍の主力は治安維持の為の僅かな常備軍を除けば大半を傭兵団に頼っているのだから、その為に必要な額は莫大なものとなる。
そしてその為の支出は、王国財政はもとより王国の経済そのものの正常な形を害する――普段なら必要ない傭兵に大量の金が流れ込み、その異常に合わせて兵員の供給源である農村や傭兵相手の商売をする都市ですらもそれに応じて変化せざるを得なくなる――ことにもなる。
しかし、軍務卿の言うようにこのままレコン・キスタの侵略を座視することも出来ないこともまた事実――自国領で敵軍と決戦となれば戦場周辺に大きな被害を出すことは明白だった。
――おまけに相手は準備を整えた後に少なくとも5万もの軍で侵攻してくるのだ。
そんな彼が答えを出せずにいた、その時、
「諸卿の皆さん」
彼らの上座に一人伏し目がちに掛けていた筈の少女の声が聞こえた。
その声を聞いた全員が押し黙り、耳目をその少女に集中させる。
そして、注目に晒された少女――トリステイン王国王女アンリエッタは目前に集う人々に告げた。
「確かに、今回の同盟失敗はわたくしの不始末が引き起こした事態です。トリステイン王女として誠に申し訳なく思っておりますわ」
そこで彼女は一端言葉を切る。
そう語りかけた彼女の脳裏には、未だ帰ってこない――そしておそらくきっと帰ってこない幼馴染の顔が浮かんで、消えたのだ。
そして次に浮かんだのは彼女が愛を語らい、恋した皇太子の姿。
その想いを胸に、彼女は周囲に居る貴族を一瞥し、続けた。
「しかし、そもそもの事態は始祖よりアルビオンの統治を託されたテューダー家を裏切った不遜なるアルビオンの貴族にある筈です――レコン・キスタの始祖をも恐れぬ所業は断じて討たねばなりません!」
そして、彼女はゆっくりと息を吸い込むと、大広間に集う有力諸侯達に告げた。
「――わたくしは、アンリエッタ・ド・トリステインはトリステイン王国王女としてアルビオン侵攻を命じます。レコン・キスタを叩き潰し、アルビオンに再び正統なる血縁による統治を復活させねばなりません!そのために、諸卿の力をわたくしにお貸し下さいませ」
その王女の声を聞いた閣僚達がざわめき出す。
或る者は侵攻軍司令官のポストを獲得するために有力諸侯と語りだし、また気の早いある者は自領で軍を編成するために足早に部屋を立ち去っていく。
そんな喧騒の中、マザリーニはぽつりと呟かれた王女の声を聞いた。
「……ウェールズ様――愛しき貴方の無念、わたくしが晴らして見せますわ」
そんな声を聞いたマザリーニは上座に腰掛ける王女を見つめ、気付いた。
――彼女の目に明確な憎悪と復讐の炎が宿っていることに。
平賀才人は店の端から呆然とステージの上を眺めていた。
既に事件から2週間が経ち、貴族による捜索は王都から周辺の地域へと移り始めた今、その隙間を縫うようにして再び才人はトリスタニアに戻ってきていた。
そんな彼は今、コミン・テルンの中枢に居た。
演台――といっても普段は店に備え付けられたただの簡易ステージなのだが――の上には一人の男……らしき人物が熱弁を奮っていた。
その人物の名はスカロン。
40台前半の中年にしてこの『魅惑の妖精』亭の経営者だった。
「――アタシはメイジも平民も差別しない!」
コミン・テルンは創設者であるシエスタの曽祖父の死以来、純ハルケギニア人だけで運営されてきた。
しかし、その実情は貴族への反骨精神はあっても、その組織力と行動力を生かせないでいたのだった。
その背景には20年前、コミン・テルン最大の決起であったダングルテール蜂起が王政府の特殊部隊によって武力鎮圧された――すなわち事実上の虐殺が行なわれた――ことがあった。
「――アタシは金持ちも貧乏も差別しない!」
ダングルテールの虐殺は彼らに大きな挫折と衝撃を与え、さらにその数年後にシエスタの曽祖父が亡くなったことにより、加速された。
組織の精神的指導者であり、理論的指導者でもあった彼の死は組織全体に大きな衝撃と失望感を与え、コミン・テルンは組織崩壊の際まで追い込まれることとなったのだ。
「――アタシは男も女も差別しない!」
そんな組織を救ったのは、シエスタの従姉であったジェシカの父親である壇上の人物であった。
その姿は一見してマトモではない。
特徴的な黒い髪をオイルで撫でつけ、大きく胸元の開いたシャツからは逞しい筋肉と共に胸毛が覗いている。
鼻の下と割れた顎に髭を生やしたその男の姿からは、香水の香りと共に誰もを注目させる有無を言わせぬ何かが溢れ、その誠実な人柄は経営者として――そして指導者として周囲の誰からも信用されていたのだった。
「だって人は生まれながらにして平等で、そしてアタシは両方アイしてるから――!」
そう叫んだ直後、店中の人々から一斉に歓声と拍手が沸き起こる。
その拍手を手で押さえる仕草をして、店内を収めると、一転して悲しそうな表情を浮かべ、続けた。
「さて、まずは人民会議議長から悲しいお知らせ。トリステイン王政府はわたしたち平民に『戦時特別税』をかける事を通告してきました。ご存知の通り、最近アルビオンで王政を倒した『レコン・キスタ』なる下賎な貴族たちに対抗して自分たちの利益を守るため、わたしたちの財産をうばいつくすつもりなのよ……。ぐすん……」
そんな中年男に対して周囲の人々が声をかける。
「泣かないで! ミ・マドモワゼル!」
「そうね! 貴族の圧制なんぞに負けたら『コミン・テルン』の看板が泣いちゃうわ!」
そう叫ぶと、スカロンはテーブルの上に飛び乗った。
と、同時に激しいポージングと共に続けた。
「『コミン・テルン』の目指すもの!ア~~~ンッ!」
その声に周囲の人々が唱和する。
「何人にも奪えない自由な権利の回復!」
「『コミン・テルン』の目指すもの!ドゥ~~~ッ!」
「誰もが等しく扱われる真の平等の実現!」
「『コミン・テルン』の目指すもの!トロワ~~~ッ!」
「人民の人民による人民の為の国家の樹立!」
「トレビアン♪」
その唱和が終わると、満足したかのようにスカロンは微笑んだ。
そして、次に再び新たなポーズを決めると、周囲の人々に語りかけた。
「さて、今度は同志たちに素敵なお知らせ。今日はなんと新しいお仲間ができます!」
店内にどよめきが満ち、その直後に拍手が満ちる。
「じゃ、紹介するわね! サイトちゃん!いらっしゃい!」
そう言って、スカロンは舞台下の端でシエスタと共にひっそりと立っていた才人を手招きした――ウインクしながら。
その仕草に吐きそうになりながらもシエスタに背中を押されて才人は舞台の上に上った。
才人は緊張していた。
シエスタに勧められるまま、トリスタニアに戻ってきたのはともかく、こうしてコミン・テルンの本部とも言うべき会合にいきなり参加させられるとは思っていなかったのだ。
――特に彼が驚いたのは、その組織のリーダーが「あの」スカロン店長だったことだったが。
会合前にそのことを紹介された才人は思わずちょっと引いたが、直に持ち前の純朴さで気付いた。
……思えば、見た目はアレだがこの世界につれてこられて困っていた彼を雇い、治療し、匿ってくれたシエスタやジェシカの裏にいたのはスカロンだったのだ。
それについて礼を述べた才人に「あらん……そういうコ、私好きよぅ」と言われたのにはもっと引いたが。
「サイトちゃんはある日突然、貴族にさらわれて無理矢理使い魔にされそうになったんだけど、間一髪逃げ出してきたの。とっても可哀想なコだけど、とってもスゴイ子なの―――」
そう前置きしたうえで、スカロンは才人がここ一月ほどの間に行なってきたことを、まるで傍らで見てきたかのように饒舌に、そして熱く語りだす。
それはルイズ――無論だれもそんなことを知らなかったが――から逃げ出したことに始まり、『魅惑の妖精』亭での真面目な働きぶり、モットを追い返してシエスタを救い出したこと、そして取るに足らない理由で彼らと同じ平民の命を奪った少年貴族を倒すことまで続いた。
そして、そこまで言うと、スカロンは新たなポーズを決めながら、続けた。
「サイトちゃん、じゃ、お仲間になる同志たちにご挨拶して」
その言葉にあまりこうした紹介に慣れていない才人は不安げに周囲を見回しながら舞台の中央に向かって進みながら、心底緊張していた。
しかし、才人は気付いていなかった。
先程のスカロンの紹介の間に、それまで彼の若さに心配げに見つめていた人たちの顔が徐々に期待に目を輝かせていったことに。
そして、そんな状況の変化に気付かぬままに才人としてはとりあえず、自身の思いつく限り無難そうな言葉を選んで話すことにした。
「は、はい―――え、えぇと、平賀才人です。ふつつかものですが、よ、よろしくお願いしますっ!」
「はい、拍手!」
そんな、なんとも珍妙な挨拶をした才人をフォローするかのようにしてスカロンが促す。
その声と同時に周囲から大きな拍手が響く。
そして、その拍手が静まる時を待って、スカロンは興奮した声で宣言した。
「さぁ、始めましょう!―――最初の議題は王政府が通告してきた『戦時特別税』に対する私達の方針について」
なにはともあれ、こうして才人は無事コミン・テルンの一員となったのだった。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
この作品を思いついたのは、らっちぇぶむ様の『運命の使い魔と大人達』を読んだことでした。
その時に思ったことを感想掲示板に書き込んだことが今回のアルビオン侵攻を決定する場面に生かされている……のかな?と思います。
『運命の使い魔と大人達』は名作ですので、読んでいらっしゃらない方はこの場所には居られないかと思いますが、是非ご一読をオススメします。
10/08/07
二回目の改定を実施