――――――――――――アルビオン首都ロンディニウム郊外。
見事に晴れ上がったアルビオンの秋空の下、突然――ドシャ、と何かが地面に叩き付けられる音が響いた。
「ひっ!」
小太りした体を新しさの抜けない軍服に袖を通した少年は目の前に落下してきたモノに怯えた。
それはハルケギニア最強と呼ばれたアルビオン竜騎兵――その残骸だった。
落下と激突によって原型をとどめない黒焦げになったその遺骸から、あたりに肉の焼ける臭いが漂う。
「――うっぷ」
その凄惨な光景と、なんとも言えない臭いに彼――マリコルヌ・グランドプレは嘔吐した。
彼が配属されたのはド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊――この戦役の為にかき集められた傭兵によって構成されたトリステインでは珍しい「銃」を主力とした部隊だった。
茂みに向かってげえげえと吐き続けるマリコルヌ。
その大隊司令部付の学生士官、というのが今の彼が置かれた立場であった。
彼の所属する大隊は未だに戦闘を経験していない。
先のロサイス近郊の会戦ではド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊は司令部予備に指定されたため、戦場に出る機会がなかったのだ。
当然、彼は戦闘に関わることなくそれまでを過ごして来た。
そんな彼の目前に落下してきたのは撃墜された竜騎兵。
――そう、彼は人生初めての戦場に居たのだった。
「――始祖は我らと共に在るのだ! 我らが負ける筈が無いッ! 驕れる敵を粉砕するのだ!」
彼の為に設えられた演台の上でクロムウェルは叫んだ。
それに呼応するように、周囲の兵士達が一斉に叫ぶ。
「驕敵粉砕! 神聖アルビオン共和国万歳ッ! 万歳ッ! 万歳ッ!」
その声に彼は片手を軽く上げて応じると、傍らに佇む諸侯に頷きながら演壇を降りる。
そんな彼の仕草に、彼の周りにいた諸侯は一斉に立ち上がって、それぞれの部隊に帰っていく。
最後の一人が出て行くと、彼の為に張られた巨大な天幕の中にクロムウェルは一人戻った。
「……しかし、本当に大丈夫だろうか」
一人になった個人用天幕の中でクロムウェルは一人ごちた。
先のロサイス近郊での会戦で、レコン・キスタは手痛い敗北を帰していた。
そしてレコン・キスタがようやくのことで体勢を立て直し、壊乱した軍を再編するまでにはかなりの時間を必要とし、その間にレコン・キスタはアルビオン南部の中核都市シティ・オブ・サウスゴーダを初めとする様々なものを失っていた。
特に軍における士気の低下が著しく、それを立て直すために本来ならロンディニウムにいるはずの彼がこうして戦場に赴かなければならない程のものだったのだ。
しかし、彼の実態は傀儡である。
他国からはアルビオンの支配者であるかのように見られている彼であったが、実際の領土の統治権は彼でなく各地の有力諸侯の手にあった。
そんな彼に与えられたのは『神聖アルビオン共和国』の代表である護国卿という名誉だけであった。
故に傀儡。
実際には、彼の実権はトリステインのマザリーニ枢機卿にすら及ばない――その政治的能力については比較するまでも無いというのが実情だったのだ。
そして、彼が最も頼りにしたあの女官が居ない。
片田舎の一司教に過ぎなかった彼を、名目上とはいえアルビオンの支配者にまでのし上がらせた彼女の不在は彼の不安を嫌が応にでも高めていた。
その上、彼の不安を高めていたのは先日ロンディニウムで開かれていた軍議の光景であった。
「クロムウェル閣下、我がプランタジネット家が始祖に歯向かう愚か者どもに鉄槌を下してみせましょうぞ!」
ヨーク公が意気軒昂に言った。
「いや、その役割は我らこそが相応しい!」
そう叫び返したのはランカスター伯だった。
両者ともに王家の系緯であったが、テューダー王朝の時代には不遇を囲っていたという事情があった。
しかし、その一方でランカスター伯は伯爵でありながら6つの伯を兼ねるアルビオン最大の諸侯であった一方、ヨーク公は公爵家でありながらそのランカスター家よりも少ない領地に甘んじるといった負い目を抱えていた。
その対立はテューダー王朝が滅んだ後も継承――無論両家ともに滅んだ諸侯の領地であった土地を加増されていたが――され、事あるごとに対立を深めていた。
ロンディニウムでは彼の女官がその対立を見事に収めてくれたものの、戦場を間近にした現在でも両者の間にはそのしこりが残っている。
そして、そのしこりを解きほぐす為には名目上とは言え唯一彼らの上に立つことのできるクロムウェルの仲裁が必要となり、彼は精神をすり減らしていたのだった。
「クロムウェル閣下、敵が前進を開始しましたぞ――」
その声に彼は一時の安息の地であった天幕を出て、好きでもない戦場を眺めなければならなかった。
唯一の救いは彼の周りで何時もやかましく対立している諸侯――特にランカスター伯とヨーク公が居ないことだ、彼はそう思った。
「閣下、我が軍も前進を開始致します」
その声と共に吹き鳴らされる太鼓や喇叭の音が変わり、レコン・キスタ軍も前進を始める。
――しかし、彼はその時異変に気付いた。
左翼のランカスター伯の部隊が前進を続ける一方、右翼を任されたヨーク公の部隊は遅々として前進しない。
そのレコン・キスタ側の連携の乱れに付け込む様に、敵の精鋭であろう中央部の部隊が銃兵からメイジに至るまでの持てる火力全てを注ぎ込んで中央に圧力をかける。
さらには同様の遠距離火力が前進していたランカスター伯の部隊にも叩き込まれ、その前進衝力を削いだ。
「閣下、前線が――」
30分ほどの戦闘の間に、進出の遅い右翼軍に合わせるようにした中央部と猛然と前進した左翼軍の間の間隙を突いたトリステイン軍が戦闘を優勢に進めていた。
遅れて進出しようとした右翼もまた遠距離火力と敵の槍兵によって防がれ、集中攻撃を受けて前進衝力を削がれた左翼が中央から切り離されるように押し返された為、特にレコン・キスタ側の中央部が大損害を受けていた。
特にメイジの数の上で有利なトリステイン側の集中攻撃を受けたレコン・キスタ軍の正面中央部はかなり押され気味で突破されるのも時間の問題であるかのように思われた。
クロムウェルはその報告を受けて周囲を見回した。
その顔からは血の気が失せ、額には脂汗が浮かんでいる。
馬鹿馬鹿しい――
ルイズは慌てふためくクロムウェルの傍らから、戦闘の状況を見てそう思った。
彼女とワルドはトリステイン諸侯で在るが故に、この戦いでは自前の兵力を持っていない。
よって総司令部でクロムウェルの護衛を務めることになったのだ。
そんな中でレコン・キスタ中央の情景を見続けてきたルイズには判った。
おそらくヨーク公が部隊の前進を遅らせたのは、敵の攻撃を左翼のランカスター伯の部隊に集中させるためだろう、と彼女は見当を付けた。
彼よりも所領の多いランカスター伯の部隊を先に敵に削がしておけば、ライバルよりも兵力の少ない彼の部隊でも同等、あるいはそれ以上の戦果を挙げられる――そう考えたに違いない。
連中は誰も彼もが自身の利権のみに固執し、最後には全てを失ってしまうことに気付かない。
別にそれは良い。
それは彼女にとってどうでも良いこと――むしろ自業自得だと思っていた。
「…っ、ヨーク公は何をしておられるのか!」
とうとうクロムウェルが不満を爆発させた。
しかし、その言葉を伝令によって当人に伝える気は無いらしい。
(……無様ね)
特にそんな連中の思惑に乗せられたクロムウェルに対しては、そんな思いすら抱いていた。
何もすることの出来ない指導者。
そして今にも逃げ出しそうな小男。
所詮は“神輿”でしかなかったクロムウェルの限界を見極めた彼女は思った。
――自らの「力」の源泉を他者に依存してはいけない。
依存した結果が彼女の目の前にいる互いにいがみ合う有力諸侯の対立に翻弄される哀れな男の姿そのものなのだから。
そう、自分自身に力が無いのなら――決して担がれてはいけないのだ。
だけど、気に入らない。
同時に別の次元で彼女は強くそう思った。
彼女はこの場にいる自分自身がこの連中と同じだと思われるのが気に入らなかったのだ。
「ル、ルイズ! どこに行くんだい――?」
唐突に席を立ったルイズを追ってワルドも立ち上がる。
そんなワルドの問いにルイズは答えた――奥に居るクロムウェルとその取り巻きたちに聞こえるように。
「私は絶対に敵に背中を向けないわ!」
そう言って本陣を飛び出したルイズとそれを追いかけていくワルド。
一転して静かになった本陣の中は沈黙が支配した。
それは気まずさからではない――ルイズが見せた幼げな行動は、本来ならむしろ冷笑の対象ですらあった。
しかし、彼らに残された最後の戦力があんな少女とその婚約者であったという事実を認識させられたことが、彼らに沈黙を余儀なくさせていたのだった。
「か、閣下! いくら子爵殿が風のスクウェアであるとて、アレだけの軍勢を止めるのは困難かと……」
ぽろり、と臆病風に吹かれた側近の一人が進言する。
しかし、クロムウェルは答えない――いや、答えられない。
今ここで不用意な返事をすれば、それは彼が今まで積み上げてきたもの全てが崩れかねない。
「閣下、お逃げくださいませ――閣下さえ居れば軍は、革命はまた直に再興できます」
「――我らがここで虚無を失えば、聖地回復もままなりませんぞ」
既にそわそわと腰の定まらなかったクロムウェルはその側近達の言葉に流された。
このままでは自身が戦場の露と消えかねない。
そんな生命の危機に加え、撤退する名目――革命を守るという、政治的正当性を見つけたのだった。
「ふ、ふむ、そうであるな」
そう言ってクロムウェルはついに席を立った。
「私の馬をもてい!」
そう側近に命ずると、クロムウェルとその取り巻き達は一斉に逃げ出したのだ。
「銃兵! 構えッ――放てぇ!」
ニコラの指示で第2中隊の銃を持った傭兵たちが一斉に引き金を引いた。
敵の中央部に一番食い込んだ部隊である彼の中隊は、既に敵の第1列を突破して第2列に猛烈な攻撃を加えていた。
連続した破裂音と硝煙の煙の後に乱れた敵の第2列の姿が見える。
――いける、そうニコラは思った。
このまま切り込めば目下のところ最大の脅威である敵メイジの魔法はこれ以上飛んでこなくなる。
よしんば飛んできたとしても、メイジの少ないアルビオン側は彼らの突撃を一撃では破砕出来ない……彼はそう確信した。
「中隊長殿、今なら切り込めますぜ」
そう言って彼は傍らの指揮官に次の指示を出させた。
軍隊における指揮統制システムが未発達であるハルケギニアでは中隊本部とは中隊長と最先任下士官である彼のたった二人でしかないのだ。
そして彼の所属する第2中隊に配属された指揮官は魔法学院から徴集された学生士官で戦争について何も知らない。
必然的に中隊最先任である彼が事実上の指揮官となっていた。
「よ、よし! 槍兵前へ――白兵戦闘じゅ、準備!」
その命令と共に先程発砲した銃兵が銃を置き、腰に下げた両手剣を引きぬく。
ハルケギニアでは未だ銃剣は発明されていないため、接近戦となれば各々が腰に下げた剣に持ち替えねばならないのだ。
既に前列には護衛として付けられている短槍兵が展開し、あとは中隊長の号令を待つばかりになっていた。
「突撃用意! 目標っ、前方の敵隊れ――」
中隊長が命令を発しようとする。
その言葉が終わらないうちに彼も手にした剣を掲げ、敵に向かって飛び出そうとした瞬間。
――轟音と共に彼の肉体は周囲の仲間と共に粉々に砕け散り、彼の中隊は突撃の目標を冥府へと変えた。
轟音と共に大地が揺れる。
「な、なんだ!?」
突然発生した大地の振動によってマリコルヌは頭から転倒した。
見習いとは言え、貴族士官らしくそこそこ華美に纏められた軍装が泥まみれとなる。
そして数秒後、泥だらけになりながらようやく立ち上がった彼は目撃した。
先程まで敵を圧倒していた筈の最前線が大混乱に陥っていた。
――いや、大混乱に陥っていたのは大隊の両翼部だけで、中央に存在していた筈の大隊主力の第2大隊は忽然と消え失せていた。
第2大隊の兵士たちの居たはずの場所には巨大なクレーターが穿たれ、その窪みの周囲には手や足、それに胴体といった人間だったものの残骸が散乱していた。
「なっ?……今のはなんだ!?」
彼の隣にいた大隊長が呆然と叫んだ。
勿論、大隊長からも前方で起こった惨事の状況は見えている。
数十メイルもの幅を吹き飛ばす攻撃。
……彼はそれを魔法だとは思わなかった。
いや、思えなかった。
魔法とは、どれだけ強力でも結局は個人技――すなわち対人戦闘技術である。
ドットメイジ1人で平民兵10人に匹敵すると言っても、10人全部を一撃で吹き飛ばせるわけではないのだ。
「ミスタ・グランドプレ! 至急、司令部に――」
そう大隊長は傍らのマリコルヌに叫んだ。
先の会戦での竜騎兵の襲撃に怯えたポワチエは司令部を遮蔽物の多い後方に布陣させていた。
必然的にそれは戦場を見渡すことが出来ない――つまり迅速な指示は望めないということでもあった。
その為、こちらから連絡して指示を請う必要があったのだ。
爆発。
今度は最前線からやや後方に展開していた予備兵力である第4中隊の半数が吹き飛ばされる。
「『我、敵ノ正体不明ノ強力ナ攻撃受ク、一時撤退ノ許可求ム』と――」
そう大隊長は言った。
現状で彼のド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊は突撃衝力を失っている。
それにこのままでは遠からず戦闘力そのものをも失うことになってしまう。
爆発―
彼の予測を肯定するかのように、先程の爆発に生き残った第4中隊の幸運な傭兵たちが吹き飛ばされ、数十秒遅れで戦友たちの後を追った。
そして、巨大な爆発は最前線に残存した味方をさらに吹き飛ばしながら、徐々に彼らのいる場所へと接近していた。
「――以上だ、このことを直ちにポワチエ閣下にお伝えしてくれ」
爆発――
轟音と振動の中で、将校伝令を任されたマリコルヌは必死に首を縦に振って命令を受け取った。
そして、その言葉を鸚鵡返しのように呟きながら一目散に司令部――後方に向かって走り出そうとした。
その直後、爆風が彼をなぎ倒すと同時に、何か柔らかいものが彼の背中にぶつかった。
と同時に頭上からなにか生暖かい液体が土砂に混じって降り注いだ。
下半身の筋肉が弛緩して力が抜け、同時に柔らかな温かみが広がるのを感じる。
しかし、彼はそんなことを気にしている余裕はなかった。
爆発によって彼の体に降り積もった土の中で、もがくようにして立ち上がろうとする。
そして、なんとか立ち上がろうとして膝を起した彼の背中から、先程ぶつかったものが転がり落ちた。
付け根部分に指揮官の象徴であるきらびやかな肩章の付いた腕。
――それは先程まで彼の傍にいた筈の大隊長の左腕だった。
「ひ、ひゃぁぁぁぁあ――!」
そう叫んで逃げ出した彼の背後で再び爆発が起こり、彼は再び地面に叩き付けられ――そこで彼の意識は一端途絶えた。
次に彼が気付いた時、目の前には彼が良く知った少女が居た。
指揮所の置かれていた小さな丘の上に佇みながら、彼女は僅かに口元を歪めながら周囲の情景を眺めていた。
「う、ぁ――」
吹き飛ばされた衝撃で打撲でもしたのだろうか?
全身が悲鳴を上げるような痛みの中でマリコルヌは不思議と静かな周囲に驚き、首を振って周りを見渡そうとした。
周囲に味方は誰もいない――生きているものは全て後方に逃げ散った様だった。
「あら、気が付いた?――久しぶりね」
そんな彼の耳に声が聞こえた。
声のした方に目をやると、それまで周囲を見ていた少女が視線を転じて彼を見下ろしていた。
その姿を見た彼は思わず尋ねる。
「き、きみはルイズ? ルイズなのかい!?」
そう言いながらマリコルヌは心から安堵した。
目の前の人物がルイズなら――彼は学院退学後のルイズがどうなったのか知らなかった。
トリステインの貴族である筈のルイズが彼の傍にいるなら、今の彼は無事に危機を脱したのだろうと思った。
しかし、彼女の次の言葉を聞いた瞬間、その期待は裏切られた。
「ええ、私はルイズ、そう『ゼロのルイズ』よ」
その声が聞こえた瞬間、彼は異常に気付いた。
――おかしい。
彼の知るルイズとは自分から『ゼロ』なんて言う様な相手ではなかった筈だ。
だとするなら、目の前のルイズそっくりの少女はなんなのか。
改めて目の前の少女を見る。
そこには、まぎれもなくつい先日まで級友だった人物にそっくりの姿があった。
全身から脂汗を流しながら、必死に考えるマリコルヌを他所に、少女は続ける。
「今思えば、私の本当の才能を見抜いてくれていたのはあなただけだったのかもしれないわね」
そう言って彼女は視線をマリコルヌから上げた。
楽しげに周囲の光景を眺めるルイズそっくりな少女。
まるで風光明媚な名所にでも観光に来たかの様な振舞いのその少女の周りには、彼女自身が作り出した無人の荒野が広がっていた。
そんなこの場に不相応な振る舞いは彼に恐怖を抱かせる。
――そして、周囲に味方は誰もいない、ということがさらに彼の不安を煽る。
「あなたの付けてくれたこの渾名、今はとっても気に入っているのよ」
そう言って、目の前の『ゼロのルイズ』は再び視線を周囲の光景から彼に移してにこやかに微笑んだ。
魔法の成功確率『ゼロ』。
彼女の魔法の結果はそこには存在しない――いや何も存在しないことこそが彼女にとっての結果なのだ。
「誓うわ――『ゼロ』の名に賭けて、誰一人として生きて返さない!」
その言葉の意味するところを理解したマリコルヌは必死に後ずさろうとする。
彼の全身からは汗や涙は勿論、鼻水に至るまでのありとあらゆる液体が流れ出していた。
「だ、助けて――」
「――あら、ダメよ? さっき言ったじゃない、『誰一人として生きて返さない』って」
本能が命ずるまま、無意識のうちに思わず命乞いした彼の言葉に、目の前の『ゼロのルイズ』は杖を掲げてにこやかな笑顔のまま『魔法』を紡いだ。
ぶしゃぁり、と何か柔らかいものが弾けたような音が丘の上に響く。
無人となった、その丘の上に一人立つ少女。
丘の上には彼女以外誰も居ない。
そこに立つ小柄で流麗な顔立ちをした少女の服を染めているのは無論、彼女自身の血液ではない。
そして、少女は一人哂い出した。
いや、哂わずには居られなかった。
その理由は彼女自身にも判らない。
嬉しかったのか。
それとも悲しかったのか。
心の奥底から表現することの出来ない想いの命ずるまま、自身の作り上げた光景を眺めながら一人哂い続けた。
それは、まるで自分自身が成したことを確かめるかのように眺めながら。
眼前の光景を噛み締める様に確かめながら、彼女は哂い続けた。
あるいは、彼女は必死に自分の「力」を確かめようとしていたのかも知れない。
まるで、目の前の光景が『ゼロ』と呼ばれていた過去を否定でもしてくれるかの様に。
彼女の心にぽっかりと開いた隙間を埋めてくれるかの様に。
無人の荒野を作り出した彼女の「力」。
それこそが彼女にとって唯一信じられるもの。
それこそが彼女にとって唯一感じられるもの。
――その時、彼女は自身の頬に暖かい何かが伝う事に気付いていなかった。
「これは……」
眼下の光景を見つめながら、クロムウェルは息を呑んだ。
いち早く逃げ出した彼であったが、追っ手がこないことをいぶかしみ、そろそろと隠れるようにして前線に戻ってきたのだった。
「クロムウェル閣下、我が軍の大勝利のようですわね」
突然、背後から声が掛けられた。
その声にまるで電気が走ったかのように驚きながらもクロムウェルはゆっくりと背後を振り返る。
そこに居たのは数日前から姿を消していた彼直属の女官。
いつもローブで目立たないように顔を隠しているはずの彼女は珍しく顔を顕わにしていた。
そんな彼女にクロムウェルは馬を降り、何故か敬語で話しかけた。
「うむ、やはり始祖のご加護に恵まれた我が軍の勝利でありました」
そこに先程まで逃げ出そうとしていた男の姿は無い。
……その点ではクロムウェルは優秀な政治家であった。
「一時はどうなるかと思いましたが、このままトリステインの連中をアルビオンから追い落として見せましょうぞ!」
「それだと困るのよ」
意気軒昂に大言壮語するクロムウェルの言葉。
その言葉に対して、クロムウェル付の女官――シェフィールドは不機嫌そうに言った。
「……あの御方(は戦争が続くことを望んでいるのだから」
「は?――今なんと?」
シェフィールドの言った言葉の意味を理解出来ずに、クロムウェルは思わず聞き返した。
そんなクロムウェルの問いに答えずに、彼女は言い放った。
「まぁいいわ。どうせ貴方の役目はここで終わりなのよ」
その言葉と同時に彼女は懐から短刀を素早く、何気ない仕草で取り出して用済みとなったクロムウェルの胸に突き刺した。
ゆっくりと崩れ落ちていくクロムウェル。
決して閉じられることない見開かれた目には決して解かれることのない疑問が浮かんでいた。
「さて、どうしようかしら」
とある酒場での冗談をきっかけに護国卿にまで伸し上った男の遺骸を見ながら、シェフィールドは呟いた。
トリステイン軍の敗北は防げたが、かといってこのままレコン・キスタが崩壊して貰っても困る。
かと言って目の前で物言わぬ躯となった男ではもはやレコン・キスタを維持できない――戦場で逃げ出した指導者など、もはや誰も信用しないからだ。
彼女の主人の目的を達するためには双方にさらなる戦乱を維持してもらう必要がある――そのためには。
「新しい英雄が必要よね――」
彼女の視線の先には無人となった荒野の丘で一人哂い続ける少女の姿があった。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施