――――――――――――平賀才人は憂鬱だった。
現在、高校2年生の才人は学校が終わった後で渋谷区の某大手予備校の本校に通っている、いや、通わざるを得なくなったと言うべきか。
元来、楽天家でどこか抜けている、と評されている彼としては、これから臨むべき受験戦争なんかに興味は全く無かったが、成績が振るわなかった彼を見かねた両親――主に母の主張――が彼をそこに送り込んだのだった。
さらに、その予備校が彼のレベルを遥かに超えたレベルの学生が集う場所であったことも彼の憂鬱さをさらに高めてくれる一因となっていたのだった。
今、そんな才人の心の中心を大きく占めていたのは昨日の夜に登録した出会い系サイトだった。
昨日、自身のノートパソコンが秋葉原の修理店から帰ってきていたのである。
期待に心を震わせ、普段なら些細なことにでも興味を示す才人がわき目も振らずに自宅に直帰した、といえば彼の期待の大きさが知れるだろうか。
だからこそ、自宅に直帰できない今日の予備校の存在は才人の憂鬱さをより増幅させていたのだった。
時刻は夕方、午後4時を回ろうとしていた。
駅前を過ぎれば、才人にとってのあまり気の進まない場所――某大手予備校の超高層ビルが見えてくる。
各種教科書や参考書、資料集と筆記用具一式の詰まった重いカバンを背負いながら、馬車に乗せられるドナドナのような心境で歩を進めながら混雑し始めた駅前にたどり着く。
「派遣労働で搾取された労働者の権利を――」
「もはや資本主義社会は――」
「今の政府は――」
某公安監視対象な政党が駅近隣に本拠地を持っているからだろうか、駅前では某政党による街頭煙説が行なわれ、何本もの赤い旗が林立し、ビラ撒きが行なわれていた。
もっとも、多くの人は無関心に一瞥することなく通り過ぎていく。
そして、才人もその一人であるはずだった――20代初頭で眼鏡を掛け、知的ではあるがどこか余裕のなさそうなお姉さんに声をかけられ、ビラを差し出されるまでは。
出会い系にまで手を広げる思春期の青少年(17)がそんな機会を拒否するはずも無く、ビラを受け取る。
そして当然、そんな才人の目線と注意力は手渡してくれるお姉さんに向けられ――
次の瞬間、正面に現れた「光る鏡」の中に吸い込まれるようにして、平賀才人はこの世界から姿を消した。
……後に、才人が最後に接触したのがその政党構成員だったため、彼の捜索には公安組織まで動員されることとなったが、それはまた別の話である。
午前中の授業、ルイズは魔法学院入学以来、初めて授業をサボった。
いや、授業の存在自体を忘れていた、と言った方が正しいかも知れない。
昨日の召喚の儀の後で、ようやく精神の常態を取り戻したルイズは医務室で水メイジの治療を受けながら、疲労と精神力の不足が原因で意識を失った。
――気が付いたのは朝。
まだ普段の起床時間には早く、早朝と言っても良い時間帯であった。
柔らかいベッドの上で縮こまりながら、ルイズはサモン・サーヴァントについて再び想いを馳せた。
(……今日こそは、今日こそは成功してみせるわ!始祖ブリミル、ちい姉さま、どうか私を御守り下さい)
(……きっと召喚できるわ、そうすれば!)
(……でも、もし失敗したら)
――ルイズの想いは徐々に萎縮していく。
それは前もって最悪の状況を予測して自らの精神を守ろうとする自己防衛本能の働き。
いつのまにか朝食の時間も過ぎ、昼近くになってから、ルイズの理性はその自己防衛本能をようやく圧殺することが出来た。
そして、午後に迫った刻限に向けて、ルイズは意志の力でむりやりに体を起こし昼食に向かった。
昼食の間も周囲のことは気にならなかった。
食欲は無いが、それでも無理やりに詰め込む。
詰め込まなければ、召喚するための体力が持たないと頭のどこかで理解していたから。
いつも嘲りをかける級友の存在自体が気にならない――いや、気にしている程の余裕は無かった。
当然、キザな振る舞いで知られている級友が巻き起こした二股騒ぎすら彼女の意識に引っかかることなく、ルイズは午後を迎えた。
午後の授業を終えた魔法学院教師、ジャン・コルベールは先日の約束通りに校外の召喚場所へと向かっていた。
昨日、ミス・ヴァリエールに告げた言葉が思い出される。
何故自分はあの時、再召喚の場を用意すると言ってしまったのか。
奉職している魔法学院の規則によれば、昨日の時点で彼女は既に留年が決まってしまっている。
何故か――
答えは分かりきっていた。
――あの時、そう言わなければ、確実に彼女は“壊れて”しまっただろうから。
絶望に打ちひしがれる者に、その運命を受け入れさせてしまえば、後に残るのは「無意味」か「死」のどちらかしかない。
彼自身の経験が語る。
戦場で絶望に打ちひしがれた者は、狂うことによって自らの存在を無意味なものと化すか、無理やりに意味を見出して死を選ぶ。
それを避けるには一時的にでも希望を与え、戦いが終わるまで耐えさせるしかないのだ。
――しかし、どうであろうか。
コルベールは自問を続ける。
一時的に希望を与える――
聞こえは良いが、結局は問題を先送りにするだけではないのか。
今度こそ召喚に成功してくれれば良いが、昨日のように失敗すればどう対処すれば良いのだろうか。
彼女――ミス・ヴァリエールが直面しているのは、かつてコルベールが駆けた戦場という一時的な恐怖や絶望ではない。
どんな戦場でも終わりが来る。
問題はその期間であった。
彼女が直面している戦場とは、このトリステイン――ハルケギニアの社会全てであって、それは彼女自身が生き続ける限り続くものであった。
彼女が戦場を去る、ということは彼女の“意味のある”人生が終わる時ではないのか。
ならば、かつての贖罪として、教育者として人を生かすと誓った私はどうすればいいのだろうか――そうコルベールは思った。
「宇宙の果ての何処かにいる私の僕よ――!」
日が傾き始めた頃、ルイズの詠唱が始まった。
「神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ――!」
(……本当は神聖でもなく、美しくもなく、強力でなくても良いから)
力強く詠唱される呪文とは裏腹に、ルイズの内心は縋るような気持ちで一杯だった。
――たとえミミズやオケラであっても、召喚に応じてさえくれたなら、この絶望しかない暗い未来から逃れることが出来るのだ。
そんな思いと共に彼女は心から呪文を唱え続ける。
「――私は心より求め、訴えるわ!我が導きに答えなさい!」
(……お願い、何でも良いから応えて!)
詠唱が終わると同時に、彼女は魔法を発動させるために杖を振り下ろした――
結果は――昨日と同じく、爆発。
(……やっぱりダメなの?)
もうもうと立ち込める爆煙を前に、ルイズの全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
彼女の頭の中は真っ白になった。
最後に得た機会もまた、失敗に終わってしまったのだ。
真っ白になった思考の中で、ルイズはただぼんやりと同じことを思い続けた。
(……やっぱりダメなのね)
目前にもうもうと立ち上る爆煙を見つめながら、彼女は膝を付く。
今日こそは――最後のチャンスとして挑んだ使い魔の召喚。
しかし、それもまた失敗に終わった――
ルイズはそう考えていた。
(……そうよね、私はやっぱり「ゼロ」なのよね)
「ゼロ」。
そこには何もない。
何も持たない。
魔法の担い手としての存在によって、その地位を誇っている貴族主義のこの国では“魔法の使えない”貴族というものは存在しない。
逆説的に言えば、彼女は「魔法」が使えないだけではなく――貴族として、その存在があってはならない存在であるということにもなる。
そうした諦観のなかで、自らの運命を半ば受け入れ始めたその時、
「うわっっ!」
ルイズは煙の中から間の抜けた人の声と――直後に何かが地面に衝突する音を聞いた。
最初は聞き間違いかと思った。
しかし続けて、
「――痛ってぇ!」
という声が聞こえた瞬間、ルイズは声のする方向を目指していまだ立ち込める爆煙の中に向かって駆け出した。
「うわっっ!」
突然、地面の感覚が無くなって体が自由落下することに驚かない者はごく少数派だろう。
当然、平賀才人もそんな一般人的感覚に従って驚きの声を上げた。
――おまけに数秒前の彼はそんなことが想像することが出来ない駅前に居たのだから。
そして、「落下する」ということは、いつかは地面に叩きつけられる、ということでもある。
物理法則に従って、彼の体は1mほどの高さから地面に向かって落下した――不運にも顔から。
「――痛ってぇ!」
地面に叩きつけられた顔を上げて、才人が発した最初の言葉はしごく普通のものだった。
しかし、次に口からこぼれた言葉は、普通でありながらも“異常”を認識した上で発せられた。
「何が起こったんだ?」
周囲は砂煙に包まれ、つい先ほどまで居たはずの駅前とは似ても似つかないものだった。
彼自身の思考の及ぶ限り――異世界への転移とか、何処かの戦場へタイムスリップとか――数秒間考えた上で一番現実的にありえそうなものが脳裏によぎる。
(……もしかして、爆弾テロとか)
(……いや、埋まってた不発弾が爆発したとか、ガス管の爆発って可能性も――)
それならば、この目前の光景の説明もある程度付くだろう。
――なにしろ周囲の地面は大きく抉られて、すり鉢状になっているのだから。
とりあえず、自身の体に異変がないことを確かめながら、ゆっくりと立ち上がろうとして――
彼は一人の少女と出会った。
――ルイズは視界のあまり無い煙の中を走り続けていた。
走りながら、必死になって視界の利かない周囲を見回し、自らの使い魔の姿を探していた。
昨日から幾度となく爆発を受け続けた大地はあちこちに無残な傷跡を残し、ルイズはそれに何度も躓きながら、そのたびに必死になって立ち上がり、走り続けた。
全ては彼女の召喚した使い魔に出会うために。
全ては最悪の未来から逃れるために。
そして爆発の中心地であろう場所――煙が一番残っている所――にたどり着こうとした瞬間、目の前で何かが急に立ち上がり――彼女はそれまでの勢いのまま、“それ”に激突した。
「きゃっ!」
「うおっ!」
思わず尻餅をつく形となったルイズは立ち上がることも忘れ、不意に目の前に出現した“それ”を観察した。
――そこに居たのは一人の少年だった。
自分と同じく尻餅をついた、変な格好をした少年。
ハルキゲニアでは珍しい黒い髪、日焼けをした、というには少し違和感を覚える黄色っぽい肌の色。
そして、その服は埃にまみれ、顔には泥が付いていた。
――みすぼらしい。
ルイズは彼女の常識に照らし合わせて、そう思わずには居られなかった。
いや、そう思ってしまった。
そして、それが彼女の抱いた才人への第一印象となった。
それでも、ルイズにとって見ればようやく成功した召喚である。
ならば、確実に契約を成功させねばならない――彼女の将来の為にも。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ――」
気を取り直したルイズは、立ち上がってコンクラト・サーヴァントの呪文を唱える。
トリステイン魔法学院での2年生昇級の課題は、使い魔を『召喚(サモン)』して『使役』出来るようになること。
その使い魔を『使役』するための根本的な『契約(コンクラト)』を成功させて初めて、次の学年へ進級することが出来るのである。
詠唱を終え、ルイズは才人に近づき、
――気付いた。
(……コ、コレって私のファ、ファーストキスよね!?)
そう、確かにコンクラト・サーヴァントなる『契約』に必要な過程には術者と使い魔との接吻が必要とされ、――実際のところ、使い魔を使役するためには術者から使い魔へのパスを繋げるための微量の体液の接触が必要とされる。
他者の精神構造の内部にまで術者への服従という要求を書き込むためには最低限必須な条件である。
そして、その行為は一般的にキスと呼ばれていた。
(……こ、こんなどこの犬とも知れない平民なんかに、わ、私のファ、ファーストキスを!)
正直ゴメンだった。
ルイズとしては、“初めて”はもっとロマンティックな――例えば、月夜の晩餐会の後にテラスで――なんてハルケギニアの貴族としては年相応な願望を抱いていたのだから。
――しかし、目の前に居たのは薄汚れた平民の少年。
場所は爆風で吹き上げられた砂煙の舞う、穴だらけの大地。
ロマンティックのかけらもないこの場所で、このシチュエーション。
正直、本当に遠慮したかった。
(……でも、進級出来なかったら!)
しかし、ルイズの脳裏に浮かんだ悪夢がその躊躇を断ち切った。
ルイズは決意の重さを示すかのように、ゆっくりと少年に近づく。
いまだ尻餅をついたままの少年に覆いかぶさるようにして自らの顔を召喚された少年の顔に近づけ、軽く唇を触れるか触れないか程度に重ね――
―――初めてのキスの味は土の味がした。
「ぐあ! ぐぁああああああ!」
砂煙の中、突然出会った美少女にキスをされた。
そこまでは良いとして――その直後、体がとてつもなく熱くなった。
いや、熱いなんてものじゃない!体の中で何かが燃えているような感覚だった。
不意に襲ってきた異常事態に才人は呻きながら、体を抱えて地面の上を左右に転がった。
数秒後にはなんとか収まったが――才人は何が起きているのか全く分からずに混乱していた。
そんな中、傍らで少女の声がした。
「――終わりました」
先ほど無理やりにキスをした少女が、いつのまにか傍にいた中年男性に声をかけた。
「サモン・サーヴァントは何度も失敗しましたが、コンクラト・サーヴァントはちゃんと出来ましたね」
口ぶりからして、少女より上の立場にあるのであろう中年男性は少女が初めて魔法を成功させたことに心底嬉しそうに答えると、興味の対象を才人に変えた。
そして、その中年男性は混乱した才人の方に近寄る。
中年男性は才人の左腕を掴み、尻餅をついた状態から引き寄せる――
(……まさか、こんなおっさんにも!?)
さすがにそんな趣味の無い才人はなんとか離れようと抵抗するが――見かけ以上に力強い中年男性の握力はそんな自由を許さなかった。
しかし、才人の不安は数秒で終わった。
中年男性は才人の左手の甲を見つめ、呟いた。
「ふむ――珍しいルーンだな」
―――へ?
ルーン?なんだそれ?
才人は自らの左手の甲をまじまじと見つめる。
そこには今まで無かったはずの、ミミズののたくった様な刺青――っぽいものがあった。
「なんじゃこりゃあ!!」
――70~80年代の派手な演出で知られた某刑事物ドラマの真似をしたわけではないが、思わず叫んでいた。
そんな声に反応したのか、少女が苛立たしげな声で言った。
「うるさいわね。ただの使い魔のルーンじゃない」
「ただのルーンってなんだよ? 大体、こんなの入れられたら恥ずかしくて外に出れないだろ――」
少女にそう反論しながら才人は気付いた――周囲の風景が一辺していることに。
いつのまにか周囲を覆っていた砂煙がおさまっていたらしく、遠くの風景が見えるようになっていた。
広い草原を囲むようにして周囲には高い山が聳え立っている。
その盆地の中心にはロケットのような形をした石造りの塔が数本、立ち並んでいた。
「――ここ、どこ?」
そう才人は尋ねた。
明らかに先ほどまで居た駅前では無い。
というか、明らかに日本では無い。
強いて言うならば、ヨーロッパに近いイメージだろうか――当然、才人自身はヨーロッパに行ったことなんてないのだが。
そんな質問に対し、少女は仕方ないわね、といった風情で答える。
「トリステインよ。そしてここは、かの有名なトリステイン魔法学院――」
――どこの国だよ?
それに『トリステイン魔法学院』なんて学校、聞いたことも無いし。
有名な学校と言えば東大や京大、ムリをしても映画でよく出てくるMITやハーバードくらいしか知らない程度の才人は思った。
大体、映画やファンタジー小説でもあるまいし、「魔法学院」ってなんだ?
そんな非現実的なことを告げられた才人に対して、少女はさらに追い討ちをかけるように、告げた。
「――そして、私はルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。今日からアンタのご主人様なの。良く覚えておきなさい」
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
ご心配をおかけしました。
改訂と言っても内容は殆ど変わりません……たぶん。
全部消したのは全体の合計話数が変わったからというのが一番の理由です。
……もしかしたら伏線とか小エピソードがこっそり追加されるかもしれませんが、基本的に同じにするつもりです。
ですので、早め早めに更新して元のところまで戻りたいと思ってます。はい。
それでは至らない文章ではありますが、これからも宜しくお願い致します。
※今回の話の中での某政党の表現は私の妄想です。
代々木駅前を本拠地とする某政党の主張とは一切関係ありません。嘘っぱちです。
10/08/07
二回目の改定を実施