――――――――――――砕け散った氷の発した雪煙と共に、シャルロット・エレーヌ・オルレアンは壁に叩きつけられた。
「――っ!!」
そのまま彼女は声にならないうめき声と共に壁にもたれかかるようにして地面へとずり落ちた。
彼女の目の前には金色の髪と病的なほどの白い肌――そしてなにより尖った耳を持つ長身の男の姿があった。
エルフ。
ハルケギニアで最も恐れられ、言葉に出すことすら憚られる存在がそこにはいた。
「無駄だ――いかに野蛮な法を使おうとも、その刃は決して私に届くことは無い」
そう、目の前のエルフは告げる。
彼女の放った魔法はことごとく弾き返され、現に彼女は全身傷だらけで壁に背を預けるようにして倒れていた。
それでも彼女は辛うじて残った意識の糸を繋ぎとめ、手にした杖を握り締める。
シャルロットは決して引くわけには行かない。
――そう、彼女が守ろうとする人が彼女の背後にいたのだから。
体に残された僅かな力を振り絞り、彼女は立ち上がり、呪文を紡ぐ。
しかし、その特大のウェンディ・アイクシルは突如として中空に静止したかと思った直後、術者であるシャルロットに向かって弾き返されたのだ。
『反射』。
先住魔法と呼ばれる精霊の力を借りたエルフの守護の力。
それはハルケギニアに存在するあらゆる攻撃を弾き返すだけの力を持った障壁だった。
そんな先住魔法によってシャルロットは再び壁に叩きつけられる。
薄れ行く意識の中、彼女は彼女を守ろうと窓を破壊ながらエルフに襲い掛かるシルフィードの姿を見た。
しかし、シルフィードの牙がビダーシャルに届く瞬間は訪れない。
シャルロットの魔法同様、シルフィードの牙もまたエルフの目前で見えない壁に阻まれたのだ。
「韻竜よ。私はお前とは争うつもりは無い――“大いなる意思”はその様なことを望んでいないからだ」
しかし、見えない壁に阻まれながらも、シルフィードはエルフに襲い掛かることをやめない。
それは彼女の主人であるシャルロットを守る為だけに、たとえ無駄であろうとも戦うという意志がそうさせたのだ――たとえ敵が自身より圧倒的な力の使い手だとしても。
「魂まで蛮人に売り渡したか。使い魔とは悲しい存在だな」
その言葉とともにエルフは片手をシルフィードの頭に向かって伸ばし、告げた。
「明日、お前はそのシャイターンの残した野蛮な法による頚木から解き放たれる――“大いなる意思”よ……、このような下らぬことに“精霊の力”を行使したことを赦したまえ」
その言葉とともに、シルフィードは弾き飛ばされる。
――そんな光景を目撃した直後、シャルロットの意識は途切れた。
それからどのくらいの時間が経ったのだろう――
轟音と同時に何かが破壊されるような大音響が旧オルレアン公爵邸を襲った。
そして直後に堅牢な造りの筈の屋敷が大きく揺れる。
その衝撃と破壊音でシャルロットはゆっくりと失っていた意識を取り戻した。
「おねーさま! 助けにきたのね~!」
ほとんど真っ白でぼんやりとした視界は未だ完全に意識を取り戻していないことを示していたが、彼女の耳は確かにそう叫ぶ声を聞いた。
それは間違いなく彼女の使い魔たるシルフィードの声だった。
(……どのくらい気を失っていたのだろう?)
朦朧として混濁した意識の中、彼女はそんなことを考える。
彼女が意識を失う前に最後に見た光景はシルフィードがあのエルフによって弾き飛ばされる姿だった。
だとすれば、彼女が気を失っていたのはわずか数分なのか――それとも1日以上も経っているのだろうか?
徐々に回復しているが、未だうすぼんやりとした彼女の視界には破壊された窓の破口から室内に突っ込むようにして飛び込んできた自らの使い魔の姿が辛うじて見える。
――そしてシルフィードの背後にあるもう一人の姿。
その人物の姿を見た瞬間、彼女は目を見開いた。
そして、その驚きによって彼女の意識は一挙に覚醒する。
(……どうして?)
――どうして彼はここに居るのか。
彼女はそう思わずには居られなかった。
そして、そんな思いを抱いたのと同時に、彼女の体を猛烈な痛みが襲う――それまで意識を失うことで切り離されていた痛覚が意識を取り戻したことで一挙に彼女を襲ったのだ。
しかし、その痛みを彼女は僅かなうめき声を漏らしただけで耐えきった。
それでも彼女の全身は少しでも痛みを押しとどめようと強張り、その拍子に体の上に積もっていた瓦礫の破片の一つが転がり落ちる音が響いた。
「さぁ、さっさとおねーさまを助け出して欲しいのね!」
シルフィードに半ば拉致されるようにして連れてこられた才人は破片塗れになりながらも、なんとかシルフィードの背中から降りて無残にも破壊尽くされた旧オルレアン公爵邸の一室に降り立った。
今は装飾品が失われ、無残に散らかった室内。
それでもその室内は建物の造りの良さを示すように、広々とした空間が広がっている。
そんな中に一人、異質な空気を発している存在がいた。
部屋の中央に身じろぎもせず立つ、長身で白い肌、そして金髪の髪を持つ耳の尖った男。
少々うんざりした表情をしたその男について、才人は尋ねずには居られなかった。
「お前、何者だよ?」
そう尋ねる才人に対して、答えは彼のすぐ傍から返ってきた。
「エルフなのね! あいつが相手なのね!」
そう答えるシルフィード。
「さぁ、さっさとやっちゃうのね!」と言わんばかりのシルフィードに対して、才人の背中に背負われたデルフリンガーの声は深刻だった。
「相棒、悪いことは言わねー。アイツはヤバイ! この俺様が言うんだから間違いねーよ!」
「……? どうしたんだよ、デルフ」
そんなデルフリンガーの珍しい声に才人は尋ね返そうとして――
才人の耳に瓦礫が転がる音と少女のうめき声が聞こえた。
その声のした方向に目をやると、そこには見知った少女が壁にもたれるようにして倒れている。
その姿に才人は弾かれたようにして駆け寄った。
「シャルロット!? 大丈夫か?」
彼女の体に僅かに圧し掛かる天井板の破片をどかしながら才人は声をかけた。
壁に叩き付けられたまま、身動きすら出来ない彼女を抱き起こし、壁にもたれさせる。
そんな少年の姿にシャルロットは混濁した意識の中で辛うじて言葉にした。
「……逃げて」
彼女は彼女が出しえる最大限の声で才人に言った――と言ってもその声は微かなものにしかならない。
それでも彼女は目の前の少年に逃げるように告げた。
それはこの戦いで誰にも傷ついて欲しくないという彼女の意志の現れだった。
しかし、その言葉を聞いた後の才人の行動は彼女の内心に大きな衝撃を与えた。
――どうして彼は自分の手当てをしているのか。
目の前では彼女の下半身に圧し掛かっていた天井の化粧板をほうり捨て、苦しげに呼吸する彼女の首を圧迫していたブラウスのボタンを外す才人の姿があった。
わからない。
全身の痛みを堪えながら、才人に尋ねようとした彼女を制して才人が告げる。
「しゃべるなよ?――じっとしてろ」
そこには彼女の忠告を無視して、彼女の体を心配する少年がいた。
「心配」。
それは彼女にとってかけがえの無いものだった。
無論、彼女の体を気遣う者達は今も沢山いる――旧オルレアン公派の筆頭とも言える東薔薇騎士団団長のバッソ・カステルモールなどがその代表例だ。
しかし、その気遣いはあくまで彼らが忠誠を誓った旧オルレアン公爵の系譜である「シャルロット・エレーヌ・オルレアン」という人物に向けられるものであって、シャルロットという少女に向けられるものは少ない。
そして、今目の前で彼女の手当てを行なう才人の姿は、彼女にとって家庭というものを失ってから程遠いものとなっていた“愛情”というものがあるように思えた。
そんな時、必死に彼女の介抱――といっても大半は才人がこの世界に来てから覚えた応急的な治療――をする才人の背後から声が聞こえた。
先程の才人の質問に対する返答のつもりなのだろうか?――男はここが戦闘の結果として荒れ果てた部屋の中で似つかわしくない仕草で名乗りを挙げた。
「わたしはエルフのビダーシャル」
しかし、才人は答えない。
相変わらずビダーシャルに背を向けたまま、シャルロットの介抱をし続ける。
そして、一通りの治療――傷口に携帯していた包帯を巻きつける程度だが――を終えた才人は彼女を抱え上げようとする。
軽い。
つい先日、トリスタニアの路地で感じた彼女の軽さはそこにあっても変わらなかった。
(……こんな体で)
そう才人は思う。
ここまでの道中、彼女についての事情をあらいざらい――シルフィードの知る限りのことを聞かされていた。
ゆっくりと、まるで壊れ物を扱うかのようにシャルロットを抱え、才人は立ち上がった。
そのままシルフィードのもとに向かおうとして――
「待て、そこな娘を連れ去ることはならぬ。我はそこな娘に用事があるのでな」
その言葉と共に、才人の前に先程の男が立ちふさがった。
シャルロットを取り返したくば、自身を倒していけとでも言いたげな傲岸不遜な姿。
「……用事ってなんだよ!?」
相手がそこを通す気が無いのが分かった才人はシャルロットを抱えたままビダーシャルのほうへ向き直って尋ねる。
その言葉には明確な敵意があった。
「何、用事は直に済む。そこな娘を哀れな女と同じところに送ればな」
そう言ってビダーシャルは破れた窓から覗く月の位置を確かめる。
――ジョセフはオルレアンの系譜を終わらせるという依頼にいくつか条件をつけていた。
その一つが刻限の設定だった。
その言葉を聞いた瞬間、シャルロットは狂ったように暴れ出し、彼女の母が眠る寝台へと駆け出そうとする。
しかし、傷む体は彼女の思うように動かず、立ち上がろうとした小さな体はそのまま才人に抱きとめられた。
「おい! 大丈夫か?」
急に暴れ出した彼女を気遣う才人の声を聞きながらも、シャルロットは本能で感じた。
――おそらく、あの寝台に眠る母はもうこの世のものではないということを。
その事実を前に全身から力が抜け、先程まで暴れていた彼女の体は呆然と糸の切れた操り人形のように才人の体に寄りかかった。
才人はそんな彼女の体を抱きかかえ、ゆっくりと彼女を部屋の荒れ果てていない場所へと横たえると、背にしたデルフリンガーを抜き放ち、ビダーシャルに向かって正対した。
そんな才人に対してビダーシャルはエルフ全体が一般に持つ人間に対しての明確な蔑視と侮蔑を込めた眼光で才人を見つめる。
「立ち去れ、蛮人の戦士よ――お前では決して我に勝てぬ」
そうビダーシャルは優越種としての視点から冷酷な言葉を告げる。
しかし、そこには単に相手をするのが面倒だ、という事以上の思いも込められていた。
そもそもこの依頼は彼にとって気の乗るものではなかったのだ。
『――そうだな、こんな趣向はどうだろう』
彼が取引に応じた後、ジョセフのその言葉に続いて紡ぎ出されたのは余りにも残酷な条件だった。
それは目の前の少女に母の死を見せ付けること。
与えられたものとは言え、そんな任務に乗り気になれるはずもない。
だからこそあえて少女の母の死を口頭で告げた。
最後に母の死んだ姿を見せずに最後を迎えさせてやる。
それこそがビダーシャルの出来る唯一の手心でもあった。
そして、同時に彼はエルフの代表として少女の叔父から与えられた依頼を果たさねばならない。
故にビダーシャルは才人の前に立ちはだかった――王との約束を果たすために。
「相棒、やめとけって! アイツには絶対に勝てねーよ!」
本気で焦った声で才人に忠告するデルフリンガー。
目の前の男が何らかの力を持っているのは才人にもわかる。
しかし、彼は引かない。
引けば目の前のエルフとやらはシャルロットを殺すのだろう――それは才人にとって絶対に受け入れられない。
それは単に彼女が才人の恩人だった、ということだけではなく、目の前の男が自身の持つ圧倒的な力でほとんど無抵抗な彼女を傷つけようとすることが許せなかったためでもあった。
そして、目の前の男が決して逃がさない、という意思を示している以上、彼女を救って逃げ出す方法は唯一つ――目の前のビダーシャルを倒すことしかない。
その決意と共に、才人はハルケギニアで最も忌み嫌われ、恐れられる『エルフ』という存在と対峙した。
「うるせぇ長耳野郎。誰が蛮人だよ。俺はお前みたいな、偉そうに余裕を気取った奴が一番嫌いだ」
確かにそうしたビダーシャルの姿はどこか傲慢で彼の嫌いな貴族達と重なって見えるところがあった。
そして、才人が告げた言葉は同時に彼の不退転の決意を示したものでもあった。
そんな才人に「俺はどーなっても知らねーからな?」と、しぶしぶ戦うことに同意を示すデルフリンガー。
そして、次の瞬間、左手のルーンの輝きと共に、才人は弾かれたようにしてビダーシャルに吶喊した。
「でやぁぁぁぁっ!」
気合と共に才人はビダーシャルに向かってデルフリンガーを振りかぶって斬りかかる。
しかし、ビダーシャルは守るどころか、避ける素振りすら見せない。
ビダーシャルの体まであと少し、となったその時、速度と重さを兼ね備えた才人のその一撃は何か不可視の壁に当たったかのようにしてはじき返された。
「うわっ!?」
その衝撃で弾き返され、ごろごろと床を転がる才人。
それでも才人は直に飛び上がるように立ち上がり、デルフリンガーを構え直しながら呟いた。
「痛ってぇ……なんだあいつ?目の前に見えない壁があるみたいだ」
そんな才人の呟きに答えたのはデルフリンガーだった。
「ありゃぁ『反射』だ。魔法すら弾き返す、えげつねぇ先住魔法さ」
俺は先住魔法は吸い込めねーからな、と何処か投げやりな声で返すデルフリンガー。
そして、あの先住魔法を突破する方法は「虚無」しかないと才人に告げる。
しかし、当然ながらこんな場所に「虚無」なんてものは無く、そして才人は引くわけにも行かない。
彼は改めてデルフリンガーを構えなおすと、ゆっくりとシャルロットのほうへと歩き始めたビダーシャルに向かって再び立ち向った。
「お、うぉおおおおおっ――!」
母親の死という事実に直面して呆然としながらも、シャルロットは目の前で繰り広げられる戦い――と呼ぶにはあまりにも一方的なものをぼんやりと眺め続けていた。
彼女の目に映る才人は、防がれても、防がれても、諦めずにビダーシャルへと立ち向かっていく。
(……どうして?どうして彼は戦うのだろう)
そんな光景を見たシャルロットは心の底から思った。
彼女が今まで何をしてでも守りたいと思った母はもういない。
だとするならば、もはや彼女に戦うべき理由――いや、生きる理由など無い。
そして、あのエルフは彼女を殺そうとしている。
ならば――何故あの少年は戦い続けているのだろうか。
彼女がそんなことを考えている間にも、才人はビダーシャルに斬りかかる度に『反射』によって弾き返され、荒れ果てた屋敷の床を無残に転がっては立ち向かうことを繰り返す。
意味の無いこと――彼女は倒れ、そして何度でも立ち上がる少年の姿を見て思った。
殺されようとしている彼女自身が死を望んでいるのに、どうして彼は抗い続けるのか。
決して勝てない相手に。
戦わなければ傷つくこともないのに。
そう思ったとき、才人の攻撃は再び弾かれ、彼は地面に転がった。
それでも才人は立ち上がる。
全力で斬りかかった攻撃が弾かれるということは、才人の体はその衝撃を逆に受けている筈だった。
ふらふらになりながらも手にしたデルフリンガーを杖代わりに才人は立ち上がり、ビダーシャルに挑み続ける。
そんな光景を前にして彼女は思う。
(……どうして? どうして立ち上がるの?)
しかし、少年は今も傷つき、抗い続けている――彼女を守る為に。
そんな才人の背中を見つめ続けた彼女はついに声を発した。
「……やめて!」
しかし、疲労と傷の痛みのせいで彼女の声はあまりにか細く、心を奮いたたせて全力で戦い続ける才人には届かない。
「無駄だ、そのようなものでは決して我には届かぬ」
尊大な言葉とともにビダーシャルは悠然とシャルロットに向かって歩き続ける。
そんなビダーシャルを押し止めようとするかのように、才人は通じないとわかってもデルフリンガーを振るい続けた。
才人は徐々に追い詰められていく。
それでも、才人はシャルロットを守るかのように、彼女とビダーシャルの間に立ちはだかり続ける。
そんな才人の姿を見ながら彼女は思った。
どうしてそこまでして彼は私を助けようとしてくれるのか?
以前にほんの数度だけ会ったことがあるに過ぎない私を。
家族でもない私を。
そして、――かつて彼を殺そうとした私を。
彼女のところまであと10メイル、となった時、それまで『反射』を頼りにただ進み続けていたビダーシャルは初めて能動的な行動をとった。
ビダーシャルは右手をかざすと才人の方へ振った。
「相棒、あぶねぇ!」
デルフリンガーの警告の声が上がるが、既に時は遅く、その声と同時に才人は勢い良く弾き飛ばされる。
「ぐわっ……!」
彼女が横たえられた場所のすぐ傍の壁に叩きつけられる才人。
弾き飛ばされた拍子に手にしていたデルフリンガーもどこかに転がっていったらしい――もはや才人の手には戦うための武器すらない。
何度と無く床の上を転がり、擦り切れてボロボロになった才人の姿。
しかし、それでも彼は立ち上がろうとする。
立ち上がろうとして思わずふらついて床に手をついた彼の姿を見ていられなくなったシャルロットは残された全力を振り絞って哀願するように叫んだ。
「もうやめて!」
その声に反応したのか、才人が彼女の方に意識を向ける。
なんとか立ち上がろうとする才人の目には明確な拒絶の意があった。
そして次の瞬間、才人は両手を床に着きながらも一転してビダーシャルの方を睨みつける。
――そんな才人の手に触れるものがあった。
それは、シルフィードに拉致される直前にコルベールから渡されたものだった。
才人が『M72ロケットランチャー』を手にとってもビダーシャルの顔色は変わらなかった。
無駄なことだ、とばかりに首をかしげたビダーシャルを前に才人は素早くインナーチューブを引き出し、射撃姿勢をとった。
勿論、噴射ガスの排気方向の確認を怠ることも無い――左手のルーンが全てを教えてくれる。
装填されている砲弾は一発きり。
デルフリンガーもどこかに弾き飛ばされた今、才人の手に残された武器はたったそれだけだった。
しかし、ビダーシャルの姿は目の前にある――これならば外すことはない。
「――これでも喰らいやがれっ!」
縋るような思いでそう叫んで才人は発射レバーを押し込んだ。
同時に内部に装填された砲弾の推進薬が点火され、白煙と共に発射機から飛び出した――同時に尾部から高温のバックブラストが噴出する。
「無駄なことを」
才人の行動を目撃したビダーシャルは呟いた。
彼からすれば、銃弾よりも遅い飛翔体など取るに足らない。
戦列艦の主砲ですら軽々と弾き返す精霊の加護――『反射』の先住魔法――からすれば、蛮人風情の使う武器は魔法も含めてエルフの敵ではないのだ。
砲弾は白煙を引きながらビダーシャルに向かうが、やはり見えない壁に阻まれる……かに思えた。
弾頭が不可視の障壁に激突し――押しとどめられる。
しかし、そこで終わりではなかった。
――信管に圧力を感知した弾頭は内部の円柱状の炸薬を発火させた。
そして前部が漏斗状に凹んだ炸薬が急速燃焼を起こし、膨張すると共にさらに前部にある同様の形をした金属製のライナーを前方に向けて押し広げる。
押し広げられたライナーはユゴニオ弾性限界と呼ばれる金属の変形限界を超えると同時にノイマン効果を発揮させ、超高速のメタルジェットとなって前方の障害物に叩きつけられた――現代装甲板換算で300㎜以上を貫通するエネルギーとなって。
弾頭から発せられた膨大なエネルギーは、ハルケギニア最大の攻城砲の直撃にも耐え得る『反射』を軽々と貫通する――まるで障壁など元から無かったかのように。
言葉にすると長いが、その全ては秒間に満たない間に行なわれた。
確かに、エルフの先住魔法は彼に襲い来るあらゆる攻撃を阻むであろう――それがハルケギニアに自然としてあるものならば。
しかし、第二世代MBTを仮想敵として開発されたM72の弾頭はそんな精霊の守護を軽々と打ち抜いた。
糸の切れたマリオネットの様に、ゆっくりと男の体が崩れ落ちる。
膝を付き、そして前方に倒れた男の体は腰から上が忽然と消失している――超高速のメタルジェットに吹き飛ばされたのだ。
そんなエルフの最後を眺めた才人は誰にも聞こえないような声で、ぽつりと一言呟いた。
「人間ナメんな。ファンタジー」
シャルロットは目前で起こった光景を信じられなかった。
彼女は見たのだ――壁に阻まれた砲弾から放たれたオレンジ色の閃光と共に、あの「エルフ」の上半身が消し飛ぶ瞬間を。
余りにも想定を超えた光景の衝撃に呆然とした頭の中でシャルロットはふと思った。
――どうして彼は助けに来てくれたのか。
この場で才人の姿を見て思った疑問の答えがわかったような気がした。
『おお、イーヴァルディよ。そなたは何故、恐ろしい竜の住処に赴くのだ? あの娘は、お前をあんなにも苦しめたのだぞ――』
それは『イーヴァルディの勇者』の一節。
勇者イーヴァルディに嫌がらせをしていた少女が攫われたと聞いて、「助けに行く」と宣言した彼に告げられた言葉。
しかし、そんな言葉を気にすることなく、イーヴァルディは作中でこう言っていた。
『わからない。なぜなのか、ぼくにもわからない。でも怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが何倍も怖いのさ』
そんな一節が、先程声をかけたときの才人の目に示されていたように思えた。
どんな力にも屈さない、自立した心を持つ人間――それは自身の死という怖さを前にしても変わらない。
そして、そんな心を持った彼は自分の知る人間を助けるために自分自身が傷つくこともいとわない。
――そう、彼は彼女を守る為だけに戦ったのではない。
彼自身の信念を守る為に戦っていたのだ――
そう心に思いながら、彼女は疲労の為に再び意識を失った。
「ああサイトさん!良かった、帰ってきてくれたんですね!」
『魅惑の妖精』亭に帰ってきた才人をまず出迎えたのは閉店後の店内で飛び回るようにして、てきぱきと指示を下していたシエスタだった。
良く見れば、シエスタだけでなく店内のその全てが慌しい――こんなにも大勢の人々が集うのは才人がシエスタに紹介されてこの店にやってきた頃のかきいれ時以来のことかもしれない。
と言ってもアルビオンとの戦争が始まって以来、営業中でも閑古鳥が鳴いているに等しい状況だった。
――そして、閉店後ともなればここに集まるのは当然、コミン・テルンに属する人々以外にありえない。
一体何が起こったのか、分からないという顔をした才人にシエスタは才人が帰ってきたことに対する嬉しさ半分、深刻さ半分と言った様相で言葉を継ごうとして――才人の背中に背負われて眠る少女の姿に気がついた。
「ええ、それが大変なんです!――ところで、その子は?」
シエスタはそう言って才人の背負った少女を示す。
そこには全身の痛みと疲れからまるで死んだように眠る少女の姿があった。
そんな少女の目尻には涙のあとがくっきりと残る。
「えっと、俺の知り合いなんだけど……」
そう答えかけた才人の一言でその少女について何かワケありと察したシエスタが機先を制するようにして答える。
「わかりました、ならその子は私の部屋に寝かしておきますね――とにかく今は一人でも多くの助けが必要なんです」
そう言って才人から預かるようにしてシエスタはシャルロットを抱きかかえ、早足で彼女の部屋へと向かっていく。
普段とは異なった、あまりにも性急で慌てた様子のシエスタの振る舞いに、普段鈍いと言われる才人でも何かが起こっていることを感じていた。
「――何があったんだ?」
そう尋ねる才人にシエスタは深刻な声で告げた。
「……マチルダさんが捕まりました」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
今回の話はArcadeia伝統?の「モンロー・ノイマン効果」のお話でしたー(笑)
……ちなみに私は「とどく」さんの作品が大好きですー!単行本化おめでとーございます!
原作初登場では「あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す…」と書かれていましたが、ヨルムンガントの「反射」の焼入れされた装甲はティーガーの88mm戦車砲(もしくはアニメ版の88mm高射砲)によって貫徹されていたことを思い出してM72を使っちゃいました。……というかこれ以外に勝つ方法を思い浮かばなかっただけですが(笑)
とりあえず原作での「あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す…」とはハルケギニアにある魔法や兵器のレベルでは不可能、ということにしておこう……なまじビダーシャルの防御がヨルムンガントより堅かったとしても、88mm砲よりも威力の高いM72(原作で使用されたティーガーⅠの主砲は射距離2000mで84mm、M72は射程に関わらず300mm以上)ならなんとかなるのではないのかなーという事にしてください(汗)
10/08/07
二回目の改定を実施