――――――――――――『怪盗フーケ』いや、マチルダ・オブ・サウスゴーダは深くため息を吐いた。
吐き出された息は空気中で冷やされて白く見える。
そう、この場所には暖房などというものは備わっていないのだ。
牢獄の中には、粗末なベッドがぽつんと一つあるだけ。
食器も全て木製で、武器になりそうなものはほとんど無い。
逃亡を防ぐためだろうか、周囲の壁には強力な固定化がかけられている。
こんな状況ではたとえ杖があったとしても脱獄することは困難だろう。
唯一壁よりは薄いと思われる鉄格子付きの扉を破れたとしても、そこから外までは幾重もの扉と下級とはいえ何人もの貴族の警備が付いているのだ。
「……さすがはトリステイン一を謳われた監獄だねぇ」
彼女はそう皮肉を言い放つ。
その指摘はあながち間違いではない。
ここチェルノボーグ監獄はトリステインでは王城に次いで警戒が厳重な場所であったのだ。
彼女が捕まったのは、トリスタニアにおけるコミン・テルンの勢力区を広めるべく、今までよりもより警戒の厳重な貴族街に近い地域で活動しているときのことだった。
それまでのように、トリスタニア平民街の深部近くで活動していたのならば、そのようなことは起こりえなかっただろう。
コミン・テルンの聖域とでも言うべき平民街の深部は王都の治安を守るはずの王都警備隊や銃士隊という訓練された兵士達ですら無事にたどり着くことが困難な場所となっていたのだから。
無論、頑丈な壁や堀に囲まれているわけではない。
そこにはトリステインの現体制を憎む数万人の平民がただ暮らしているだけ。
そんな場を貴族の狗として見られている彼らが無傷で通り抜けることが出来ない――如いてはかつてのような統治を行なうなど不可能であるという意味で、その地区は王国の権力の及ばない場所となっていた。
そして、そうした認識は、王都警備隊や銃士隊が自らの血を持って知らされた現実でもあった。
しかし、マチルダ達の目的はそんな安全地帯に閉じこもっていることではない。
彼女達の目的は、何時いかなる時でも隙あらば貴族達に搾取された人々を解放すること。
――そして、最終的にはこの国を貴族の支配から解き放つことであった。
故に彼女達の行動は防衛ではなく常に攻撃となる。
そんな攻撃に常に晒される銃士隊の行動は手勢の少なさもあって常に後手後手となっていく。
まるで堤防が破れそうな場所を見つけて土嚢を積み始めるが、その間にも他の場所で新たな亀裂が走るように、徐々に銃士隊――すなわち王国の統治の及ばない地域が広がっていったのだ。
それはつまり、既にトリステイン王国が叛意を抱く平民たちを押しとどめるのではなく、受身にならざるを得ないほどに追い詰められ始めているということでもあった。
未だに雪は降っていないものの、暦の上では冬を迎えたばかりのトリステインは人の身を凍えさせる。
天頂に達した太陽の放つ陽光によって幾分和らいだとは言っても未だに人の身を寒さが覆う。
しかし、5000人近い平民に取り囲まれたこの場所だけは別だった。
王都から東に4リーグという場所にあるこの場所は普段だれも寄り付かない――寄り付きたがらない場所だった。
しかし、今この場所はあらゆる計測器でも測りきれない“熱気”に包まれていた。
「準備は?」
そんな場所で才人は傍らで準備に追われるシエスタに聞いた。
才人達の周りは多くの人々で溢れている――全ては王政府の発表した『怪盗フーケ捕縛』という知らせが王都近郊のこの場所に反貴族的な思いを持つ人々を集めさせたのだ。
そんな人たちは口々に『怪盗フーケ』の解放を求め、この国を支配する者たちに対する不満の声を挙げる。
貴族に反感を持つ彼らにとって、日頃の鬱憤を晴らしてくれる存在として『怪盗フーケ』という存在は英雄視されていたという事情も関連している。
――無論、それを煽動しているのは平民達の間で指導的な立場にいるコミン・テルンの活動家たちだった。
彼らはもはや単に貴族に不満を持つ平民の集まりではなくなっていた。
「もうすぐです!それに王都の警備隊と銃士隊はジェシカとレイナールさん達が昨日から予定通り引き付けてくれています」
そんな才人の質問に全ての状況を把握しているらしいシエスタがはきはきと答える。
普段、誰も寄り付きたがらないこの場所に5000人近い人々が集まっているのと同様に、王都ではジェシカ達によって誘導された平民達が貴族街ギリギリで王都警備隊とアニエス率いる銃士隊や魔法衛士隊と睨み合っていた。
彼らは『怪盗フーケ』が解放されるまで決して解散しないとされていた――決して暴発しないように注意しながら。
それだけではない。
コミン・テルンはこの戦争に乗じて勢力を広げた地域――その各地に造られつつあった地区組織を動員して同様の行動をとっている。
戦争が始まって以来、単に反貴族的な噂やビラを流すだけではなく軍需物資の横流しによって手に入れた糧食を用いた炊き出しや貴族たちに指名手配された人物の保護などを行なっていた。
勿論、そうした糧食の手配や運搬などの段取りを行なうためには高度に組織化されていることが必要であり――トリステイン各地の農村にまで伸びたコミン・テルンの手は未だ小さいながらも確かに王国全土に広がっていた。
そして現に人民会議の承認を受けて、決して蜂起と呼ばれない程度に王国各地に分散して駐留している貴族、そして軍の注意を逸らす動きが行なわれていた。
「でもどうやってあの壁を越えるんだ?」
才人はそう内心の疑問をシエスタに投げかけた。
才人達の前には水掘に囲まれたチェルノボークの高さ30メイルにも及ぶ防壁が聳え立っている。
元々トリスタニアを守る要塞として建造されたここチェルノボークは8本もの塔を繋ぐように一体化した壁を持つ巨大な施設であり、単に包囲されたくらいでは簡単に落ちないように作られていたのだから。
そんな才人の質問にシエスタは淡々と答える。
「正面の門は中にいる味方がタイミングを合わせて開いてくれることになってますから――」
そんな会話を交わす才人とシエスタ。
マチルダが捕まったという知らせの入った数日後、コミン・テルンの工作員がチェルノボークに駐留している部隊の指揮官と接触を持ち、協力の約束を取り付けていたのだった。
怪盗フーケ――いや、マチルダ・オブ・サウスゴーダという“同志”を救うためにコミン・テルンもまたあらゆる手を打っている、そんなことを示すかのように。
無論、彼女の活動がコミン・テルンの活動費の一部を支えているという側面もあったが。
そんな二人の前にジュリアンが小走りで駆け寄った。
「姉さん! サイトさん。準備、終わったよ」
ジュリアンの声にシエスタは頷き――才人に視線を送った。
ある意味で王城よりも平民に対する威圧感を示すその構造物は平民達にとっても怨嗟の的――当然そこに収監されるのは平民のみであり貴族は自宅に軟禁される――であったチェルノボーク。
その姿はまさに貴族支配の象徴だった。
強固に閉じられた正門の鉄扉はまさに今の貴族体制の強固さを示すかのようでもある。
そんな監獄を前にした才人は背中に背負ったデルフリンガーを掲げ――
「よし、いくぞ!」
その言葉と共に才人は駆け出した。
デルフリンガーの刀身が弱い陽光を浴びて煌く。
その姿はまさにトリステイン――ハルケギニアに住まう平民全ての英雄と言うべき姿でもあった。
何時の間にかトリステイン各地で反貴族・平民の味方の象徴の様になってしまった才人に続くように手に武器を抱えた突入隊が続く。
そして、才人の言葉とともにチェルノボークを取り囲むようにしていた平民達――正確には平民達の中に紛れ込んでいるコミン・テルンの構成員達が一斉に鬨の声を上げ、監獄に向かって進み始める。
その声に興奮した多くの平民達が雪崩を打ったように監獄に二箇所設けられた門に向けて押し寄せはじめた。
「扉を開けろ!」そんな声が押し寄せた平民達の間から無数に響く。
しかし、そんな声とは反対に堅く閉ざされた扉は全く開く気配が無い。
――この牢獄に配されているのはせいぜい10数人の下級貴族とそれに従う200人程度の衛士でしかないため、貴族側は扉を閉ざして持久することに決めたのだ。
当然、固定化のかかった鉄扉を外側から開けることは簡単ではない。
いくら平民達が怒号や呪詛を吐こうとも、その扉はびくともしない。
しかし、暫くするとその分厚い扉の向こうから大きな音が響き始めた。
怒鳴り声、剣の打ち合わされる音、そして銃声。
時折、悲鳴までも聞こえる。
そうした音の中、良く通る澄んだ声が扉の向こうから響き渡った。
「扉を開け!」
そして、その声に合わせるように堅く閉じられていた正門が重々しく開いていく。
1000人以上の平民達でさえ開かせることの敵わなかった扉が僅か10数人の内部の味方の手によって開いたのだ。
開いた扉の隙間から真っ先に飛びこんだのは、やはりデルフリンガーを握った才人だった。
目の前では10数人の衛士同士が争っている――いや違った。
才人の目に映ったのは、鉄鉢を被った男の衛士と戦う鎧姿の女性達の姿だった。
そんな光景に才人は一瞬戸惑いと覚える。
どちらがシエスタの言っていた味方なのか、それがわからない。
立ち止まった才人に向かって、正門の警備担当者なのだろうか――1人の下級貴族が襲いかかろうとした。
「相棒! 後ろだ!」
デルフリンガーの声に従って才人は襲い掛かってきた下級貴族の攻撃を避けるべく、横に飛ぶ。
直後、才人の横を人間の頭くらいの大きさの火球が通り過ぎていく。
しかし、才人はそのままの勢いで貴族の命令を受けて襲い掛かる衛士を次々と打ち倒し、先程の魔法を放った貴族へと駆ける――左手のルーンを輝かせながら。
そして、堰を切ったように次々と押し寄せる突入隊の平民達も才人の姿を見て一斉に男の衛士達に向かっていく。
乱戦模様となった……いや、圧倒的多数の平民達の濁流に押し流されていく衛士達。
コミン・テルンの突入隊以外の大多数の平民は手に武器と呼べるものを持ってはいないが、その圧倒的な数を前にして立ち向かえるものはそうはいない――いや、傭兵に近い存在である衛士の職業意識は元々それほど高いものではないのだからなおさらだ。
『勝ち目の無い戦いはしない』
『命あっての物種』
そんな考えがこの時代の戦闘に携わる者達の考えの主流を占めている。
当然だったのかもしれない。
貴族という名誉――あるいは各種の特権による実利――がある貴族たちはその特権を守る為に、それを与えてくれる国家の命に従う。
逆に言えば国家の与えた名誉という価値は、その恩恵を受ける者達を国家の為に働かせるための物であるのだ。
――ならば、国家から何の特権も与えられていない平民の兵士や衛士達が好き好んで国家の為に危険に身を晒そうとするはずが無い。
そして、才人が指揮官である下級貴族を倒したことによって、そんな衛士たちの士気が一瞬で打ち砕かれた。
元々やる気の無い衛士達を戦わせているのは指揮官の統率力であり、ハルケギニアの中世的社会構造の下でそれを支えているのは個人的武勇――平民では決して勝てないと言われてきた「魔法」という能力を持つメイジという権威である。
彼らは逃げ出す部下を処断する権限を持ち、配下の平民達を戦わせている。
つまり、「指揮官に殺される恐怖」をもって「敵に殺されるかもしれない恐怖」を打ち消させ、戦わせているのだ。
その頚木から解き放たれた衛士は一斉に手にした武器を捨てて逃げ出しはじめる。
中には前からの味方であったかのように逆に抵抗を続ける者に向かい始める者まで現れる。
もはやチェルノボークでの戦いの形勢は誰の目にも明らかであった。
そんな中、周囲の敵を一掃した才人に声がかけられた。
「こっちだ!」
そこに居たのは銃士隊の格好をした若い女性だった。
青みがかった髪を短く整えたその姿は凛々しいと評するしかないと言える。
彼女の手には血に濡れた鋭剣が握られていた。
「ミシェルさんですか?」
そう才人はシエスタに教えられた協力者の名前を確認した。
才人の質問に軍人らしいきびきびとした動きと声で女性――銃士隊副隊長、ミシェルは「そうだ」と才人の質問を肯定した。
「『フーケ』が収監されているのは、最上階の第5階層だ」
そう続けるミシェル。
監獄本棟の入り口は彼女の部下が既に確保している。
彼女はそのことを手短に才人に伝えた。
「行こう!」
そう叫ぶと、才人を先頭とした武装した平民達が上層へと続く階段に向かって駆け出していく。
そんな才人の後に続きながら、ミシェルは思った。
本当にこれで良かったのだろうか。
その思いは裏切りを決め、今まさに平民達に加わってこのチェルノボークを落とそうとしている現在でも彼女の内心にあった。
隊長は――アニエスは自分を信頼して一個小隊を任せたのだろう。
現在の銃士隊の3分の1に相当する戦力を。
そんな信頼を与えられながらも、彼女は王国を――アニエスを裏切ったのだ。
いや、裏切ったのはどちらだろう――彼女はそう思いなおした。
彼女が自らの“力”を欲したのは彼女の両親を殺した者に復讐するためではなかったのか。
少なくとも両親が死に至った経緯を知った彼女はそう決意した筈だ。
彼女の両親を殺したこの国に復讐する。
その為に必要なら何だってしてみせる――たとえ一時的に貴族に使われることになろうとも。
そんな思いがあったからこそ、彼女は銃士隊に入隊し――そして接近してきたコミン・テルンの工作員の求めに応じたのだ。
「衛士だ!」
先頭を行く平民の一人がそう言って警告の声を挙げる。
彼らの目の前には外部の情勢を読みきれなかったのか、やる気の無い動作で通路を阻むように展開し始めている衛士の一部隊があった。
「でやぁぁぁあッ!」
しかし、次の瞬間には左手のルーンを輝かせた才人の峰打ちを受けて一人が倒れたかと思うと、残りの数人の衛士も返す刀で蹴散らされる。
そして、そんな崩れた陣形の隙間に殺到する様に、続く平民達が残りの衛士達を制圧していく。
そんな光景を眺めながら、彼女は改めて首を振った。
彼女は知っていた。
アニエス自身も何か取り憑かれたように過去の記録を調べていること――そしてそれがダングルテールの虐殺についてのものであることも。
そこから彼女はアニエスが自らの復讐のために銃士隊に入ったのだと信じていた。
しかし、実際に銃士隊の隊長として指揮を執るアニエスの姿を前にした彼女は違和感を覚えていた。
自らの復讐を果たすため――当然その相手は貴族の筈だった――にしては余りにも彼女は命じられた任務に忠実だった。
それはまるで彼女達が平民達から浴びせられる嘲笑――「貴族の狗」という言葉を体現するかのように。
最初はアニエスの性格によるものかと思った。
彼女は「鉄の塊」と評されるほど頑固で剛毅な人柄を持っていたのだから。
しかし、先日のトリスタニアでの出来事を経て、疑問は疑念へと変わった。
『この人はもう復讐などは諦めているのではないか?』
そんな思いが彼女の脳裏に浮かび上がる。
銃士隊の隊長として姓と名を与えられ、貴族となったアニエスはもはや復讐など忘れて彼女達平民とは違った存在となったのではないか、という疑念だった。
平民から貴族となったアニエスは旧来の貴族達からの妬みを受けつつも、確かにトリステイン貴族となった――そしてトリステインで貴族に与えられる特権はかなりのものがあったのだから。
そして、一度浮かび上がった疑念は消えることなくどんどんと大きくなる。
彼女の中で、彼女の両親を奪った憎むべき貴族とアニエスの姿が重なる。
しかし、それと同時に彼女達銃士隊の隊員を救うためにアニエスが何度も危険に身を晒したことも知っていた。
矛盾。
そして生まれる迷い。
しかし、彼女はもう戻れない。
そう――後戻りの出来ない一歩を踏み出したのだから。
最上階である第5階層への最後の一段を登った時、彼女は誰にも聞こえない程小さな声で一人、呟いた。
「隊長……私は貴女の考えが理解できませんでした」
そう呟く彼女は傍らに倒れた貴族を倒したものが魔法によるものであったことに気付かなかった。
「なんだい? さっきからうるさいね――」
そうマチルダは愚痴った。
外を除き見ることも敵わないこの牢の中ではその日の天気もわからないのだ。
聞こえるのは大勢の人間が発する声。
その声が徐々に大きくなっていることに彼女は気付いたのだ。
「ああ、まったく騒々しいことこの上ないな」
そんな彼女の声に応じたのは暗い廊下を歩いてくる一人の男だった。
気取った羽帽子に腰から下げた杖――そして背には貴族の象徴である黒いマントが翻っていた。
しかし、彼女を驚かせたのはそんなことではなかった。
その貴族――と思しき男――は顔全体を覆う、白い仮面をつけていたからだ。
「アンタは――!」
思わずマチルダは驚きの混じったで尋ねた。
監獄の中で素顔を隠して歩く男――そんな男がマトモなはずが無い。
おそらくは彼女が散々コケにした貴族達の誰かが派遣した刺客なのだろう。
普通、仮面を付けたような男が監獄の中を歩くことが認められることなどあるはずが無いのだ。
そんな彼女の問いに答えることなく、男は牢獄の見張り窓から確かめるような仕草とともに声をかけた。
「『土くれ』だな?」
感情の無い声。
そんな声を前にしても、マチルダは怯えることなく堂々と答え返した。
「誰が付けたか知らないけど、確かにそう呼ばれているわ」
そう答えるマチルダの耳に時折散発的な銃声が聞こえた。
その音は先程よりも少し大きくなっているかのように思われた。
「話をしにきた」
しかし、仮面の男はそんな音も聞こえないかのような態度のまま、単刀直入に言葉を続ける。
「率直に言おう。かつての地位を取り戻したくは無いか?」
――私は優秀なメイジを必要としているのだ。
そう仮面の男は傲岸不遜に言った。
男の問いに対してマチルダは興味は無い、と言わんばかりの態度で答える。
「アタシはもう貴族なんかじゃないさ――それに自分の顔も出さないような男じゃ話を聞く気にもならないね」
そんなマチルダの言葉に仮面の男は一瞬考え込むような仕草を示した。
そして、ゆっくりと顔に手をやって仮面を外す――その姿は紛れも無くアルビオンで才人と戦っていた男の姿であった。
「ならば、もう一度貴族にしてやろう」
そう仮面を外した男――ジャック・フランシス・ド・ワルドはゆっくりと告げる。
彼がマチルダに目を付けたのは、絶対にルイズに引き込まれない手駒を必要としていたためだった。
その点、目の前の『土くれ』は合格だった。
土のトライアングルという優秀さ――その優秀さはトリステイン各地で貴族の屋敷から様々な宝物を盗み出したことが証明している。
さらに、あのルイズと一度戦い、引き分けているという点こそが最大の魅力だった。
互いに殺しあった相手をそうそう簡単に受け入れないだろう。
そして、それは決してルイズの側へ転ぶことの無い彼の手駒として機能することを意味していた。
相手の正体と予想外の答えにマチルダは戸惑った。
「――もう一度貴族にしてやろう」そんなことを言われるとは思いもしなかったのだ。
その間にも先程からの銃声がより多く、近づいてくる。
そんな音に支えられるように、彼女は虚勢を張ってぶっきらぼうな声でワルドの提案を一蹴した。
「アタシはあんたみたいな貴族は嫌いだし、貴族の地位なんかにゃ興味がないわ」
そんな答えにワルドは急速に反応した。
表情こそ変えないものの、体から発する雰囲気には明確に殺意というものが含まれるようになった。
彼女の答えを聞いた彼は腰に下げた長い鉄杖に手をかけ、言葉を継いだ。
「『土くれ』よ、お前は選択することができる。貴族という絶対的な強者として生きるか――平民という負け狗としてここで死ぬか、だ」
それは事実上の脅迫だった。
仲間になれば甘い汁を吸わせてやる。
仲間にならなければ、殺す。
そんな問答の間にも、物を破壊する音と銃声、そして大勢の鬨の声はもうそこまで近づいてくる。
そして、ついに牢獄入り口の扉が破られた。
「貴族だっ! 貴族が居るぞ!」
ワルドの立派な衣服とマントを一瞥した突入隊の平民が叫ぶ。
その声を聞いた周囲の平民が一斉に銃を構えようとする。
しかし、ワルドは手にしていた長い鉄杖をまるで閃光のように引き抜くと、エア・ハンマーで彼に銃を向けようとした平民達を吹き飛ばした。
「平民風情が我々貴族に勝てるとでも思ったか――!」
そう叫ぶとワルドは再び鉄杖を構え、押し寄せる平民に対してさらに魔法を詠唱しようとする。
そんなワルドの叫びに対して、静かに、しかし、断固とした声でマチルダは答えた。
「――勝てるさ」
「ほう? どうしてそう思う?」
さらなる詠唱を続けながら、ワルドはマチルダに尋ねる。
――先程の詠唱方式は魔法の種類と長さを完全に隠し切るトリステイン魔法衛士隊独自の詠唱方法。
となると、この男はトリステインの貴族でありながらレコン・キスタに組しているのだ。
彼女はそんな男の余裕が気に入らなかった。
彼女がコミン・テルンに加わったのは周囲の状況に流されたから、ということだけではない。
彼女も平民として暮らしていた間に数多くの差別や屈辱を経験している。
そして、彼女は周囲の「同じ」平民に助けられて生き延びてきたのだ。
そんな平民が自分達で自身の権利を勝ち取ろう、としていると聞いた時、彼女は決断した。
彼女もまた、“平民”であったのだから。
目の前の男は生活の保障された特権階級である“貴族”でありながら、さらなる富と権力を欲するという。
彼女は気付いていた。
先程、彼女が「貴族の地位なんかには興味がない」と答えた時に、目の前の男が密かに激高していたことに。
平民が自らの生存を賭けて戦おうとしている時に、自らの利益の為だけにさらなる欲求を表して恥じない男。
だから、彼女はそんな男の余裕を突き崩さずには居られなかったのだ。
「――アタシも平民だからさ!」
そう言って彼女は懐から「杖」を取り出す。
といっても以前から使っていた杖ではない。
当然ながら、ここチェルノボーク監獄に入れられる前に持っていた杖は全て取り上げられていた。
彼女の手に握られていたのは木のスプーンを壁にこすり付けることによって杖状に加工したもの。
そして、彼女はそこにありったけの魔力を注ぎ込んで素早い詠唱を行なおうとする――そんな彼女の視界の端に見慣れた黒髪の少年の姿が見えた。
盗賊として名を馳せた彼女は多くの貴族達が好む複雑な魔法をあまり好まない。
高度な魔法が必要な時を除いて、掛け合わせを多くするよりは、単一の魔法に強大な魔力を注ぎ込んだほうが強力であると知っていたのだ。
「チッ――!」
しかし、ワルドは舌打ちすると、詠唱の完了した魔法を彼女に向かって放とうと杖を向ける。
その隙をマチルダが捕らえられている牢獄に面した廊下にたどり着いたばかりの才人は見逃さなかった。
ワルドに向かって飛び上がるように駆け出すと同時にデルフリンガーを上段に振りかぶる。
「うおぉぉぉお――!」
そして、才人はその叫びとともにマチルダに向かって杖を突きつけようとしているワルドにデルフリンガーを振り降ろした。
「ぐおっっっ!」
ワルドの絶叫が響く。
同時に周囲の壁に自らの血液を撒き散らしながらワルドは倒れこんだ。
とどめ、とばかりに才人はさらにデルフリンガーを倒れたワルドに突き立てる。
――しかし、そこに何か柔らかいものを貫く感覚は無かった。
致命傷を負ったはずのワルドは血を撒き散らしたまま、うっすらと消えていく。
奇妙な光景に思わず才人は疑問を口に出した。
「消えた――?」
「ああ、おそらく『遍在』ってやつだね」
そう答えるのはマチルダだった。
結局彼女の手にしたスプーン改造の「杖」では魔法は発動しなかったのだ。
そんな役立たずの「杖」を床にほうり投げると、彼女は才人を安心させるように続ける。
「とにかく、本体はここには居ないし、新たな『遍在』を送り込むには時間がかかるだろうさ」
そう答えるマチルダ。
そんな言葉に安心したのか、才人は周囲を警戒する視線を転じて彼女の捕らえられている頑丈な扉に目を向けた。
代わりに、周囲には遅れて飛び込んできた多くの平民達が警戒の視線を送っている。
才人は扉を押してみた。
二、三度揺すってみても扉はびくともしない。
「離れて――」
彼女が捕らえられた牢獄の鍵を外そうと、才人がデルフリンガーを鍵に向かって振り上げる。
そして、頑丈な錠前をデルフリンガーが破壊する音が響いたその瞬間――
「―――感謝してるよ」
そう彼女はひっそりと呟いた。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
前回の更新でお聞きしたWWWCの件についてなのですが、感想欄の皆様、ご教授有難うございました。
私自身の環境がIEなので今まで全く気付きませんでした。思えば感想欄321の名無し◆91472858様に指摘されていたものの、当時は三点リーダーのことだと勝手に勘違いしていたり……(汗)
以後、気をつけて正規のW3Cにて表記させて頂きます。
過去分もおいおい直していくつもりです。
もし表示がおかしければ連絡をお願いします。
10/08/07
二回目の改定を実施