――――――――――――ミシェルはその光景を前に立ち尽くした。
その村は――いや、村だったものの残骸が彼女の目の前にあった。
家が燃え、崩れ、かつて百人を超える人々が暮していた場所だとは思えなかった。
「これが人間のやることかよ!」
そう叫んだのは才人だった。
彼の周囲にいるシエスタやジュリアンもまた口にこそ出さないものの、同じように沈痛な表情を浮かべている。
おそらく、その才人の叫びはコミン・テルン、いやこの光景を目撃した全ての平民にとって共通の思いだっただろう。
事件が発生してから既に数日が経過しているにも関わらず、それほどまでにこの場所の光景は凄惨であった。
全てが焼け落ちた村はつい先日まで貧しいながらも多くの人が暮していた場所の筈なのだ。
ふとミシェルは足元に落ちているものに気付いた。
所々焼け焦げているそれは傍目には単なるゴミにしか見えなかっただろう。
しかし、彼女は気付いた――それがかつて布切れを縫い合わせて作られた粗末な人形であったことに。
震える手で彼女はその人形を手にとった――いや、とろうとした。
しかし、彼女の手がそれに触れた途端、焼け焦げたその人形だったものはぽろぽろと崩れ落ちる。
反射的に彼女はその人形の残骸を両手で胸の前で包み込んだ。
怒り。
憎悪。
恨み。
そうした様々な感情の中、彼女の心の中に暗く、燃え立てるような感情が生まれた。
何故この村の住人は死ななければならなかったのか?
生きることすら侭ならなくなった彼らが貴族の屋敷に蓄えられた作物で生を繋ぐことが罪だとでも言うのだろうか――そもそもその農作物は彼らが生きる為に作ったものではないか!
彼女の中の暗い部分が膨れ上がる。
貴族の対面を保つためだけの無意味な戦争――それがトリステインでは収穫に大きな影響を与えた。
戦争による徴集のため、トリステイン全土で労働力が不足したのだ。
必然的に夏季の農作業――秋の収穫を上向かせるために非常に重要な意味を持つ――が不十分なままに終わり、それがハルケギニア全土の不作を殊にトリステインで悪化させた。
あえて極端な表現を用いれば、例年ならば「不作」で収まったものであろうものが、戦争によって「凶作」となったといえばわかりやすいだろうか。
平民達がそんな状況の中でこの村の領主は徴税と称して目前に迫った冬を越すための作物すら奪ったのだ。
彼女は思った。
貴族が自分の利益の為に平民から作物を奪うのは良くて、平民が生きるために貴族から作物を取り返すのは死罪に値する罪だとでもいうのだろうか?
それが罪だというなら――我々平民は生きることすら貴族によって決定されねばならないのか!?
その思いはさらに彼女自身も両親を貴族によって殺されたという事実を持って留まることなく溢れ出る。
いや、そもそも彼女がコミン・テルンに参加したのはその復讐を実現したいという欲求からだったのだからなおさらだった。
そんな彼女の内心で復讐心がこれまでに無く膨らんでいく。
そして、彼女は思った。
ならば、この恨み誰が晴らそう。
彼らが“平民”だからという理由で貴族が彼らを殺したならば――我々にとって貴族どもはただ“貴族”であるというだけで死に値する存在でもありうるのだ。
目には目を、歯には歯を。
生者の為にはいたわりを――死者のためには復仇を。
誰もが悲憤に暮れる中で彼女はそう決意した。
オラドゥールの凄惨な光景は人々の口々を通してトリステイン――いや、ハルケギニアの各地に向かって伝わった。
実際に反抗したものかどうかを確認することもなく、おそらく関与しているであろうという理由だけで村一つ――村人のそのほぼ全員を――焼き払うという暴挙。
その苛烈な行いは人の理性ではなく感情に訴えかける。
無論、コミン・テルンという革命集団に参加する人々はその感情を制御して「自分達の手によってより良い社会や国家を作る」という理念に向かって進むことを目指している。
と、同時に人間集団である以上――その集団に属する人間の価値観は全く均一ではないし、誰もが本質的に貴族を否定する感情を持っている。
この戦争開戦以来、コミン・テルンは急速に拡大していた――組織の急速な拡大とは文字通り参加する人々の数の増大を意味する。
その背景には戦争が始まってから急速に顕在化した貴族の腐敗、王家に対する不信、そして人々の生活が戦争によって疲弊し尽したということが挙げられる。
そして、風潮とでも言うべきこうした流れに乗ったコミン・テルンは組織拡大と同時に、内部にそれまでの方針――スカロンを中心とした主流派の「貴族制度」の否定――とは異なる考えを持つ者をも加えさせた。
異なる考えを持った新たな構成員――彼らの大部分が心のうちに抱くものは貴族そのものへの復讐心であった。
そうした人々の心の内側にあった憎悪や怨恨の矛先は彼らを苦しめた貴族個人に留まらず、貴族階級全体への復讐へと結びついていく。
「貴族制度」の否定と「貴族そのもの」の否定。
似ているようで全く違ったその二つの観念。
オラドゥールの出来事がもたらした感情は人々をさらにその二つの観念に引き付けると同時に、その二つの観念の境界線をあいまいにした。
無論、それはコミン・テルンに所属する人々の中でも例外は無い。
ミシェルが心に秘めていた両親の仇である「貴族」への復讐の思い。
そんな個人的な思いがコミン・テルンの掲げる「貴族制度」の否定という思想と混ぜ合わされ、そしてオラドゥールの惨劇を触媒として、それは貴族階級に属する人々の存在の否定へと転化した。
そして彼女はそうした彼女の考えに同調する一部の人々と共にさらなる“悲劇”を引き起こすこととなる。
――それは彼女が中世的な社会構造の破壊を目指す思想を持つ革命集団に参加しながら、無意識のうちに身につけた中世的な意識から逃れられなかったことの証拠でもあった。
そして、人々はその感情の突き動かすままに革命を急速に新たな局面へと向かわせていく――
アルビオン――アルバ地方デネット。
大洋の空に浮かぶ浮遊大陸の北の端、そんな村の近郊にぽつんと忘れ去られたように存在するやや小ぶりな屋敷の中に彼はいた。
元トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊隊長ワルド子爵――いや、子爵だった男がそこにいた。
今の彼は既に「子爵」ではない。
彼が婚約者とともにアルビオンを支配していたレコン・キスタに身を投じたことが明らかになったことによって彼の所領と位階は既に剥奪されている。
しかし、その一方で彼は今のアルビオンにおける最高権力者に二番目に近い地位にあった。
では何故そのような地位にある男がたった一人で雪に囲まれたアルビオン北端にいたのだろうか。
彼は人を待っていた。
ある人物が差し向かわせている筈のメッセンジャーを。
彼の周囲には誰もいない――いや、この屋敷の中には使用人すらいない。
元々この屋敷はクロムウェルの隠れ屋敷だった。
かつてこの近郊の村の一司祭に過ぎなかったクロムウェルが権力の座にあったときに密かに作らせたものだ。
彼の死後、使用人達が逃げ散ってしまったために無人となって残された、かつての権力者の遺産。
そんな場所にいるうちにふと彼の中に暗い過去が蘇った。
――かつて彼は婚約者にこう語ったことがある。
『僕はただの魔法衛士隊の隊長で終わるつもりは無い。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている』
彼がそう語った理由の中には青年時代に受けた数々の屈辱があった。
早くに両親を失った彼は若くして所領1000戸余りのワルド子爵家を継がねばならなかった。
封建社会の下で家を継ぐ、ということはそう簡単なものではない――数例を挙げるならば、自領の安定的な統治、同じトリステイン貴族との社交、そして王家が貴族に課した義務の履行と言ったものが挙げられる。
それらを実行するために、彼は子爵家当主として他の同年代の者達よりも遥かに早く大人の世界に放り出されたのだ。
幸い自領の統治に関しては、今は無き彼の両親が懇意にしていたヴァリエール公爵家が助力をしてくれた。
そして、彼は王家が貴族に課した義務――領地持ち諸侯である彼が進むべきとされたのは軍役――を果たすために軍に入ったのだ。
軍で過ごした最初の数年間は屈辱の連続だった。
本来なら魔法学院卒業後にそれぞれの家で受けるべき進路に合わせた立ち振る舞い――魔法学院で行なわれるのはせいぜいが魔法・社交に関する基礎教育でしかない――を受けるのだが、彼にはそんな時間の余裕は無かった。
そんな彼が士官候補生なら誰でも起こしうる些細なミスを犯した時、彼の周囲は必要以上に批難した。
彼が同期の士官候補生よりも数歳年が違っていたのが原因だったのかもしれない――以後、彼らは一人だけ歳の違う彼を事あるごとに中傷するようになった。
同年代の頼れる者がいない中、彼はじっとその屈辱に耐え続けた。
無論単に耐えるだけでなく、礼儀作法や軍事技術を人一倍優れた才能で受け入れ、身に付けた。
しかし、一度染み付いたレッテルを剥がすことは難しい――その後も彼は周囲からの難癖を受け続けなければならなかったのだ。
そんな彼の心の支えとなったのが、魔法の才能であった。
『最強』と言われる風の系統。
日頃受けた屈辱を晴らすように彼はひたすらに魔法の才能を磨いた。
そして、文字通り血の滲むような努力の結果としてメイジの中では最高ランクであるスクウェアまで上り詰めた彼は若くしてトリステインに三つしかない魔法衛士隊の一隊――グリフォン隊の隊長を任されるまでに至った。
しかし、魔法衛士隊の隊長――直接戦闘に関わる武人としての頂点を極めた彼であったが、そこで彼は大きな壁に直面することとなった。
魔法衛士隊の隊長となった彼に立ちはだかったのは位階の壁だった。
子爵――トリステインにおける位階制度においては下から二番目という位階の低さが彼の将来の前に大きく立ちはだかったのだ。
いくらその実力を見込まれて魔法衛士隊の隊長に納まったとしても、いずれ次代の者にその地位を引き継がねばならない――永遠にその地位にしがみつける訳ではないのだ。
軍人としていずれ実戦部隊から身を引かねばならない彼に望めるのは王国軍部での栄達であるが、軍司令官や軍務卿と言った役職に就くには彼の子爵という階級はあまりにも低かった。
そうした役職に就くには通常侯爵以上――せめて伯爵であることが内々に求められたのだ(でなければ王軍とは別に諸侯軍という軍務を受け持つ他の諸侯が従わない――たとえ就任できたとしても家柄の劣る子爵の命令に侯爵や伯爵がすんなりと従うだろうか?――全てはそういうことであった)
位階というのは家の伝統であり、領地持ち貴族にとっての誇りの源であるのだから。
彼の絶望はどれほどのものだっただろう――
ただひたすらに自身の栄達を望んだ彼は位階という区分にそれ以上の栄光を掴み取ることを拒否されたのだ。
そこでは彼が血の滲む努力で得た「スクウェア」の称号も何の役にも立たない。
その傍らでたかだか「ライン」程度でしか無い者が「スクウェア」の彼を差し置いて、家柄を理由に上へと登っていく。
そんな光景を幾度も目にした彼は憎悪した。
子爵という領地持ち貴族としては低い(…と言っても領地持ち貴族自体は貴族全体の中でも少数派なのだが)「位階」という階級と「スクウェア」というメイジとして最高位の称号。
そんな区分の中で彼は「位階」という区分を否定しながらも、彼のプライドを支える「スクウェア」という区分――その「スクウェア」という区分は当然メイジのみに適用される区分であるから、彼の内心には当然の如く平民と貴族という区分が残存した――に縋った。
結果として彼の抱いた思いは必然的に平民と貴族という区分を保持しながら、貴族内部での区分をメイジとしての区分に合わせる、という歪なものとなった。
無論、本能的に彼自身もそれがどこか歪んでいることを理解している。
しかし、そうでなければ彼の内心のプライドが許さない。
感情は理性に優越する――大多数の人間にとってそうであるように、彼もまた自分自身の幻想を守る為にその矛盾を無意識のうちに押し殺した。
そして、ワルドのそんな歪な考えに適合する組織が現れたとき、彼は迷わなかった。
当然、レコン・キスタの考えが彼の願望と完全に一致した訳ではなかったが、それでも彼はそこで目指された新たなものを追い求めて身を投じた。
風の「スクウェア」としてかねてから称えられていたその手腕を存分に発揮した。
彼の実力はレコン・キスタの議長であったクロムウェルが直々に賞賛するほどのものであり――彼の栄達を阻むものは何も無いかに思われた。
しかし。
そこで彼は舌打ちをした。
あの任務から全てがおかしくなった。
そう――彼が婚約者をレコン・キスタに引き入れる任務を与えられた時から。
プライドの高いあのクロムウェルが下にも置かない扱いをするなど、レコン・キスタ上層部における彼の婚約者の扱いは何処か異常だった。
それと同時に彼の婚約者自身も常に彼の予想を上回る行動を示していたのだ。
彼女が彼にレコン・キスタから送られた密書を示した時もそうだった。
彼女はその密書を見つけた後、すんなりとレコン・キスタに組することに同意した――まるで彼からの誘いの言葉を待っていたかのように。
――果たしてあの少女はそんな行動を示す存在だっただろうか?
いまさらながらに彼の中に疑問が浮かぶ。
かつて彼が知っていた婚約者は頑固かつ強情で国家への裏切りなど絶対に座視しないであろう性格をしていた。
それが、あの様な行動を示す、ということは――ワルド子爵領で再会するまでの数年間の間にあの少女の中でどんな変化が起こったというのだろうか。
そう思った彼の内心に苦々しい思いが広がる。
あの少女はメイジとしてはロクに魔法も使えない少女だったが、その一方でトリステインでは絶対に不足しないであろうものを持っていた。
それは、公爵家という家柄。
まるで彼の対極にあるかのような存在があの少女だった。
彼にとって、彼の栄達を支えるための道具に過ぎなかった筈の存在。
そんな存在が今、彼の築き上げてきた幻想を打ち砕きつつある。
そう、ルイズだ!
どこか粘ついた感情の命じるまま、そう彼は内心で叫んだ。
彼の内心にどっかりと腰を据えたその感情に近いものを挙げるとすれば、それは「嫉妬」に似ていたと言えるかもしれない。
初めてあの少女に出逢った時、彼は少女を侮蔑すると同時に何処か羨んでいた。
魔法の使えない公爵家の少女と風のスクウェアでありながら家柄の低い青年。
そんな彼の対極にあった筈の存在は今や公爵家という血統を捨て、自身の持つ“力”によってアルビオンを得ようとしている――それは彼がこの10年間ひたすらに取り組んできたはずの方法と同じだった。
その事実を気付かされた彼は明確に断じざるを得なかった。
あの少女――ルイズ・フランソワーズこそが現在の彼に立ちはだかる壁なのだ!、と。
そして、彼はその壁を前にして現在の場所で諦めるつもりは無い。
彼の望みは『ハルケギニアを動かすような貴族となること』。
それを実現するためには――出来ることなら何でもやってみせる。
『フーケ』の手駒化には失敗した後、彼は幾人かの手駒を手に入れたが、結局のところ「それなり」でしかない。
その間にもルイズとそれに従う勢力――無論、それまで野にあった平民階級が中心――は日々その力を増し続けている。
既に3年以上にもわたる内戦と戦争によって疲弊した民心もまたそれぞれの所領の領主ではなく「英雄」としてのルイズに心を寄せ始めていた。
そうした事実は封建制秩序にとってあまりにも危険な兆候だった――自らの主人で有る筈の地方領主ではなく、所詮一個人でしかない筈の人間へ超えてはならない筈の壁である“所領”を超えて希望を抱くという状況は人為的に作られた境界である領地という単位を基盤とする封建主義社会ではあってはならない事態であるからだ。
そして、このままではアルビオンの貴族制はルイズの一派に押しつぶされてしまうかもしれない。
仮にルイズがアルビオンを得たとしても、そこに“貴族”というものが無ければ彼の望みは果たされない。
いや、貴族の居ないそんな国に何の価値があるというのだろうか?
だからこそ、こうして今アルビオンの片田舎である人物を待っている。
表で飛竜の羽ばたく音が聞こえた。
しばらくの間を待って扉が開き、一人の少年が現れる。
「遅くなってしまったね――」
金髪に白い神官服。
端正に整った顔に左右の違った瞳の色が目立つその少年は時代がかった挨拶を交わして、言った。
「ロマリア宗教庁助祭枢機卿、ジュリオ・チェザーレ――教皇聖下の命を受けて参上した、って所かな」
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施