――――――――――――トリステイン魔法学院。
周囲数リーグにわたって平原が広がるこの場所はこれまでトリステイン各地で起こってきた平民と貴族との対立と隔てられてきた。
その理由は唯一つ、魔法学院の周囲には人家というものがまるで存在していないためだった。
比較的近い村というのが徒歩で半日、馬なら四時間といった次第なのだ。
そんなトリステインの現状や政治とは遠く離れた場所で魔法学院は眠っていた。
――いや、眠っているのは貴族だけであった。
未だ太陽が顔を出す前から魔法学院に起居する彼ら数十人の平民階級に属する奉公人は起き出し、働いていた。
各廊下には蝋燭による灯りが灯され、魔法学院で生活する貴族が起きだしてくる前に廊下や広間の掃除がこなされていく。
その名の通り、小さな人形の彫像が踊る食堂の隣に作られた厨房では100人近い大人数の朝食の下ごしらえを行なうべく10人を越える奉公人達が立ち回っていた。
そんな彼ら奉公人の指示を行なうのが料理長であるマルトーの仕事だった。
「今日も貴族様はこんな“ささやかな糧”とやらを気に入らないとでも抜かすのかね?」
厨房の中で肉の下ごしらえをする一人の男がぼやいた。
こうした皮肉は貴族に仕える平民の間で何時しか日常的に囁かれる様になっていた。
「……あの人達にとってみれば偉大なる始祖と女王陛下からの贈り物なんだそうですよ」
そんなぼやきに隣で野菜を洗っていた若いメイドの一人が答える。
「へっ!その始祖とやらはよっぽどクソな野郎だな!――俺たち平民は食うや食わずやでいろってのにあんなガキどもには毎日こんな“ささやかな糧”をお恵みとはなぁ!」
そう男は嘲笑して新たな肉の塊にダン!と包丁を叩きつけた。
そんな男の行動を見咎めたのか、マルトーは静かに、しかし圧しの利いた声で言った。
「――おい、食材は大事に扱え」
そんなマルトーの声に男は素直に「へぃ」と答えて黙り込んだ。
しかし、そう言ったマルトー自身、いくら憎んでも憎み足りないほどに燃え上がった憎悪の火を抱いていた。
以前から貴族嫌いで知られていた彼であったが、半月ほど前からじっと黙り込むことが多くなっていた。
「マルトーさん、これはどこに?」
そんな彼に別の使用人が大きな木箱を抱えて指示を尋ねた。
「それは例の場所に運んどいてくれ――当直の貴族に気取られるなよ?」
「大丈夫でさぁ、当直のバァさんは今日も自分の部屋でぐっすりですから」
指示を受けた奉公人の一人はそう答えて次々と両手でようやく抱えられるほどの箱を次々と馬車から降ろして運び込んでいく。
その後ろ姿を眺めながら、彼の口は侮蔑の表情を浮かべて思った。
貴族ってのはいつもこうだ――普段は義務だの名誉だのと口にしている癖に、自分に課せられた仕事すら放り出してグウスカと惰眠を貪っている。
本来ならば夜通し正門前の詰所で当直に当たって居なければならないはずなのに。
――そこまで考えて彼の憎しみはより高まった。
逆に言えば、彼はその程度の連中に仕えなければならないのだ。
しかし、悪いことばかりでもない。
貴族共が自身に課せられた仕事を果たさないということは、彼を含む奉公人達が行なっている行動の意味を知られることも無い。
そう思った彼は振り返って厨房のさらに下の階にある物置に箱を運び込む奉公人達の姿を見つめた。
今、奉公人の一人が運んでいった箱の中身はつい数ヶ月前に滞在していた銃士隊の副隊長だった女性が手配してくれたものだ。
それは毎日魔法学院に食材を運搬する馬車に紛れ込ませて運ばれてきたものであった。
いまや平民の多くが日々の食に困っている中でそれまでと変わらない豪華な食事をしている貴族にとってこれ以上無い皮肉になるだろう――そして、今までの飽食と怠惰のツケを貴族自身に支払わせるのだ。
そして、彼は自らが担当する今日の朝食の下ごしらえの作業を何時ものように手早く終えた。
魔法学院の外の人々が飢えているこの状況でも彼の目の前には丸々と太った七面鳥などの豪華な食材が並んでいる。
そんな光景を前に彼は自分の半生とはなんだったのかとふと思った。
若くして貧しい家を飛び出し、彼は密入国同然で隣国ガリアに旅立った。
ようやくたどり着いたリュティスでの辛い下修行の日々。
今は下級貴族を上回る高給取りとして知られている彼であるが、きちんとした職に就くまでその生活は惨め――他の同世代のように耕すべき農地や売り運ぶべき商売を持たなかったのだから当然――なものであった。
そんな彼には自慢の種があった。
極貧生活を送っていたリュティスで知り合った妻との間に生まれた一人娘だった。
流行病で妻を失ってからはたった一人になってしまった家族。
未だ一人前の料理人として認められていなかった彼が懸命に育て上げた、彼の人生の結晶のようなものであった。
そんな彼の娘はとある村に住まう青年の所に嫁いでいた。
その村の名は――“オラドゥール”と言った。
今日も彼は身につけたその調理技術を駆使して貴族の為の食事を作っている。
あのミシェルという女性から彼の娘の住んでいた村を焼いたのは魔法学院の生徒を寄せ集めた「水精霊騎士隊」であるということも聞いていた。
つまり、彼の半生は自分が苦労をかけて育てた娘を殺した貴族の小僧共に日々の食事を作るためにあったようなものだとも言える。
――狂っている。
彼はそう思った……いや、そう思わざるを得なかった。
だからこそ、彼はこの大量破壊計画に協力した――そう、彼は自らの手で“狂った”世界を壊そうと思ったのだ。
狂気と恨み。
大なり小なり、そうした考えを持つ人々は今のこのトリステインには不足しない。
彼もまた、そんな多くの人々の中の一人であった。
数日後――トリステイン魔法学院、寮塔内。
「退屈ねぇ――」
そう言って誰の目も惹きつけずにはいられない抜群のプロポーションと魅惑的な褐色の肌を持つ少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは誰の目を憚ることなく大きなあくびをした。
目の前には冬を迎えたトリステインの大地が窓越しに広がっている。
雪に覆われた山や平原、そして魔法学院の姿を眺めた彼女はふと故郷を思い出した。
同じ冬という季節であったとしても彼女の祖国であるゲルマニアではこのトリステインの何倍もの雪に包まれているであろう。
そんなことを思いながら、彼女は視線を他の生徒が講義を受けている筈の本塔に向けた。
現在、講義室のある本塔では貴族の子女を対象にした「心得」の講義が行なわれていた。
「心得」の講義といっても何のことはない。
以前に一度派遣されてきた――しかし直に引き上げを命令された――銃士隊による護身術の講義と同じように、夫や息子(…といっても将来のことだが)を戦場に送り出す「妻」としての心得を教え込む、ということらしい。
『ずいぶん古典的ね』
その講義内容を告げられた時、彼女はそう思った。
彼女の祖国であるゲルマニアにはそんな心得はない。
有能なものであるのならメイジであろうと平民であろうと貴族に取り立てることによって、辺境の地を開拓し、小勢力が乱立していた地方を纏め上げ、国力であのガリアをも上回る国家を作り上げたのだ。
当然そこには“男”も“女”も関係ない。
軍人一家の娘として育った彼女は将来のゲルマニア軍若手指揮官の一人として有望視されていたのだから。
「ホントに退屈よね―――」
再び同じ言葉を呟きながら彼女は再び初冬の平原を眺める。
ゲルマニアからの留学生である彼女はトリステイン子女の「心得」などに興味はない。
と、同時に外国人でもある彼女はそうした授業を担当する教師からも受けが良くない。
故に授業をサボった彼女を叱責する者もいない。
さらに悪いことに、彼女の友人であるタバサも居ない。
以前から彼女は一人で何処かに旅立っていくことがあった。
今回はその期間がいつもより長いことに気付いてはいたが、その行き先を知らない彼女には友人を探す方法もない。
よって、元々ゲルマニアからの留学生ということ(そして日々の奔放な生活のせい)でトリステイン出身の同世代の女子学生から受けの良くない彼女はこうして自室で黄昏ているのだ。
(……全くタイミングが悪いわね)
彼女はふと内心でそう思った。
アルビオンでの内戦が始まって以来、ハルケギニアは大きく変わろうとする歴史の流れに押し流されるように変わり始めていた。
それはこのトリステインでも顕著であり、それまでの貴族至上主義に凝り固まっていた王政に反発した平民達が毎日のように騒乱を起している。
だとするならば、彼女の祖国であるゲルマニアもそうした流れに無関係ではいられないだろう。
「……平民の平民たちによる国、ね」
思わず彼女はそうつぶやいた。
果たしてそれはどんな国なのだろう。
誰もが『自由』にふるまえる国。
それはお題目としては立派――レコン・キスタの示した『聖地奪回』よりも遥かに理想、いや夢想的かもしれない――だがたとえ彼らを押さえつけている身分制度が崩したとして、“力”の無い彼ら平民が自分達の国を守り切れるのだろうか?
そこには平民が「国」というものを運営出来るかという疑問は含まれない――彼女は故郷であるゲルマニアで並みの伝統貴族よりも経営手腕に優れた平民出身貴族を多く目にしていたし、ハルケギニアで「国」というものが果たす機能は第一に外敵からの防衛、すなわち外交と軍事でしかない。
そして軍事においてメイジの能力は重要ではあるが決定的なものではない――結局のところ、アルビオンの内戦で示された様に未だハルケギニアの戦争では戦場で兵力の多い側が勝つのだ。
しかし、そんな事情を考慮し平民に対する蔑視観の薄い彼女でさえ、果たして彼ら平民が「国」というものを維持できるのかという点では大きな疑問を持っていた。
貴族の持つ“力”とは単に魔法の力だけではない。
始祖以来のメイジの血統という伝統に裏打ちされた一体感――時に派閥を組ませる原因でもある――そこから生み出される一種の親近感がハルケギニア諸国の間で戦争を抑止する一種の“力”として作用しているのだ。
互いの王族や貴族が血縁を持って結ばれ、互いが親族であることにより血みどろの戦争を抑止する。
その点を示すかのように、かつてのトリステイン-ゲルマニアの戦争の原因はそうした互いの血統の薄さ(そしてトリステインの重視する血統主義と実利を重視するゲルマニアの制度の違い)がその原因ともなっていた。
だからこそ彼女の実家であるツェルプストー家はヴァリエール家の婚約者の血統を狙った(それが数度の国境紛争の一因となっていたことも事実だが)のだ――血縁となった他のトリステイン貴族たちによってヴァリエール公爵家を抑えることが出来るために。
そして、そうした血統という“力”を持たない平民達の国は他の血統を重んじる国との戦争を自然に抑止する能力を持ってはいない――必然的に彼らはハルケギニア全てを相手に戦わなければならなくなる。
そうなれば、たとえどれだけ平民達が抗おうとも抵抗は効を成さない。
トリステインが小国であることを考えれば、確かに彼らは国内で多数派ではあるが、ハルケギニア全体という視点からすれば彼らは少数派に過ぎないのだ。
そう考えていた彼女の視界に変化が起こった。
突如として数台の馬車が砂煙を蹴立てて一斉に走り出す姿が見えたのだ。
まるで逃げ出すかのような勢いで馬車列は魔法学院から猛烈な速度で走り去っていく。
……何かあったのかしら?
まるで逃げるように走り去る馬車を眺めた彼女がそう思った次の瞬間――彼女は歴史の目撃者となった。
魔法学院の本塔の基礎部分にある一室には大量の箱が積み上げられていた。
其処は物置として使用されていた部屋であり、時折やってくる使用人のほかに近づきたがるものは少ない。
そんな埃に塗れた部屋の中には半月もの時間をかけて天井にまで積み上げられた無数の箱があった。
その箱の中にはぎっしりと火薬が詰められている。
何故、この戦争が始まってから大量に必要とされていた物品が魔法学院に溜め込まれていたのか。
――この大量の火薬の正体は盗品だった。
先日、王都からアルビオン侵攻軍に輸送するためにラ・ローシェルに向かっていた輸送隊から強奪されていたものである。
劣勢の戦力で大勢の戦力を誇るレコン・キスタ-アルビオン軍に対抗するため、トリステイン軍は士官の大半――“メイジ”である貴族を侵攻軍に大幅に増強した。
そのために魔法学院の生徒まで徴用して代用士官として運用――実際にはその士官そのものの不足も相まって第一線に魔法学院生徒を送り込まなければならないほど(ろくな軍事教練を受けたことも無い単なる魔法学院二年生が中隊長――中隊とはおおむね百~二百名もの兵が所属する戦闘部隊の編制――に任命されていたという事実はトリステインの人材不足とその国力に比較して大きすぎる侵攻軍を編制したことの象徴だった)であった。
同様に、ついこの間まで学生、しかも戦場に送られなかった魔法の成績の良くない生徒――すなわち才能が無いか、向学精神の薄い者――が輸送隊の指揮官、あるいは輸送部門の管理者として配属されていたのである。
そのため、トリステインではアルビオンに輸送される大量の物資が、実際に物資を取り扱う平民兵によって横流しされたり、防備の不十分な輸送隊が襲撃されて物資を奪われるという事態が多発――前者に至ってはむしろ日常茶飯事と化していたのだった。
――そして勿論、銃や火薬といった特殊な物資を大量に必要としている者は、トリステインには軍以外に一つしか存在しない。
本塔の基部から閃光が煌く。
その光と共に慌しく走り去る馬車に関してのキュルケの疑問は吹き飛んだ。
「何!? えっ――きゃっ!」
そう叫んで魔法学院の中央に立つ本塔の方を振り返った彼女の声を追うようにすさまじい轟音が魔法学院の周辺に響き渡る。
同時に爆風の衝撃が彼女の部屋の窓ガラスを打ち砕き、思わず彼女は小さな悲鳴を上げた。
そして、やや遅れるようにして彼女のいる寮塔自体が巨人の手でシェイクされたように大きく揺さぶられる。
そんな中、彼女は目撃した。
強固な石造りの本塔の基礎が一瞬膨れ上がったかのようになったかと思うと、その直後に巨大な本塔が一瞬浮き上がったかのように彼女には見えた。
――いや、実際に浮き上がっていた。
黒色火薬とはいえ約1万リーブル――才人の世界の単位で5tもの火薬の燃焼エネルギーはその燃焼と共に猛烈な圧力を作り出し、その解放を求める。
しかし、その膨張するエネルギーと圧力は天井にまで達したところで障害に直面し、それ以上の拡散を阻まれた。
その結果、密閉空間である室内内部にすさまじい高圧が発生し、強固な固定化のかけられた外壁を弾き飛ばすと同時に、同様に固定化のかけられた天井を何層も突き破りながら本塔そのものを数メイル程、浮き上がらせたのだ。
魔法という存在によって組み上げられた建造物は頑丈に作られていると思われがちであるが実はそうでもない。
確かにレビテーションや固定化に代表される各種の魔法は魔法学院の本塔に象徴されるように巨大な石造建築を実現した。
しかし、その一方で魔法という存在によってハルケギニアの建築技術の進歩は妨げられ続けてきたとも言える。
なまじ不可能を可能にする魔法の存在によって、外見を重視した内部構造の弱い建築物が作られ――そして維持され続けたのだ。
各々の石はレビテーションの魔法によって塔の上へ上へと積み上げられた。
形の合わない石は風の魔法によって成形され、本来は使用に適さない筈の柔らかい石は『硬化』や『固定化』の魔法によって固められた。
未発達の建築技術の中でそうした石材は互いにかかる圧力を分散するのではなく、単に下の石材が上の重量を支えるだけの構造――極端に表現するならば、まるで積み木のようなかたちで積み上げられた。
しかし、そんな構造であってもこれまで問題は無かった。
塔全体はその大質量のおかげで風雨に抗えたし、このハルケギニアには地震など滅多に起こらない。
土メイジの巨大なゴーレムですら――そもそもメイジが魔法教育の拠点であるこの場所を襲うことなどありえないと考えられていたが――塔全体の大きさを考えるならば数体がかりでも破壊できるようなものでもなかった。
しかし、今この塔が直面したのは建造当初想定すらされない内部からの猛烈な衝撃と圧力だった。
魔法によって組み上げられた塔であっても、その重量を支えるのは構造材そのものとしての石である。
お互いの重量や位置を支えあうのではなく、そして固定されているわけでもない構造材は単にその重量によって自らの位置を確保し、上部の重量を支えていた。
ならば、塔全体を支えている基部が無くなればどうなるか――その答えが今彼女の目の前で示されようとしていた。
一度浮き上がった本塔は物理法則に従って落下する。
その過程の中で外壁はもちろん、爆発の衝撃に耐えて原型を残していた内部に存在する全てのものが傾き、崩れ、砕かれていく。
ハルケギニアの中でも有数の高さを誇る塔であっても、それは変わらない。
崩れる石材の発する轟音と振動――そして巻き上げられるすさまじい砂埃の中で巨大な塔は横倒しになりながら地面に吸い込まれるように消えていく。
そんな光景をキュルケはただ呆然と眺めることしか出来なかった。
そして、幸運にもその日授業を欠席していたことが、彼女をハルケギニアの歴史上、初めて平民が貴族に対して行なった大量破壊の目撃者の一人とさせた。
この日、コミン・テルン中央から分派した平民主義過激派とでも言うべき勢力は魔法学院を初めとしてトリステイン各地の王立施設や貴族の所有する施設、数箇所に同様の攻撃を実施した。
被害は魔法学院を初めとして3箇所以上が甚大な被害を受け、残りも少なくない損害を出している。
貴族の死者は全てを合計すると350名以上――そのほとんどが施設の倒壊による圧死だった――に上る。
数日後、この大規模破壊を受けて王政府はトリステイン全土に戒厳令を布告――トリステインが事実上の内乱状態に陥ったことを公式にハルケギニア全土に知らしめた。
王都トリスタニア――その貴族街の一角からは黒い煙と土ぼこりの入り混じった煙霧が舞い上がっている。
つい数時間前に発生した爆発によって立ち上ったその煙は初期消火に失敗――なにしろ消火に当たるべき者自身が救助を要求する側となったのだ――したこともあって今も濛々と立ち上っている。
その煙は急遽集まった才人達のいる『魅惑の妖精』亭の二階からもはっきりと見えた。
「――姉さん、サイトさん!」
そう叫びながらジュリアンが駆け込んで来る。
彼は会議場とされた『魅惑の妖精』亭の中の一室で、彼の姉と才人の姿を見つけると、
「あいつら――ミシェルさん達のやってることは滅茶苦茶だ!」
荒い息をつきながら、意気も絶え絶えにそう叫んだ。
「ジュリアン、落ち着いてゆっくり報告しなさい。今度は何があったって言うの?」
ジェシカのその叱責にジュリアンは深呼吸して答えた。
しかし、その口調は彼の内心での混乱を示すかのように乱暴で整っていないものだった。
「ミシェルさんの仲間が魔法学院を、学院ごと全部ふきとばして――」
「な――!」
「なんだって!」
この場に居る全員の口から驚愕の声が漏れる。
スカロンを初めとしてこの場に居る誰もがその意味を理解していた。
魔法学院――未だ統治者と成って居ない貴族の子弟を対象とした教育機関を襲撃するということは、つまりのところ貴族であることを理由にその命を奪うということを意味する。
それは貴族による統治――すなわち“統治者”に対して反発してきたこれまでのコミン・テルンの方針とは大きく異なるものだった。
そんな中、一人部屋の中から駆け出す者がいた。
それに気付いた才人が声を上げる。
「おい、ちょっと待てよ!」
しかし、シャルロットはその声に耳も貸さずに早足で部屋を後にする。
そんなシャルロットを追って才人も部屋を出ようとした。
その時――
ドタドタと床板を蹴り上げるようにして走る数人の足音。
同時にカチカチという装具の擦れ合う音も響く。
「動くな――!」
蹴破るように乱暴に扉が開かれ、つい先程飛び出したシャルロットと入れ違いになるように、手に武器を抱えた数人の平民達が部屋の中に押しかけた。
「全員静かにしろ、妙な動きを見せたなら――その時は命の保証はしない」
狭い部屋を一瞬の間に制圧した平民達の指揮官らしい若い女性がそう全員に聞こえるように告げた。
腰には短銃、手には細い長剣を手にしているところから見ておそらくミシェルと共に加わった元銃士隊の者なのだろう。
彼女は余裕の無い顔つきのままで室内にいた全員にゆっくりと告げた。
「我々はこれまでに貴族によって殺された平民達の仇を撃つためにさらなる武器を必要としている。だから、その武器の保管場所を教えてもらう必要がある」
そう告げると共に、彼女は自らの行動の正当性を述べ挙げる。
どうやらミシェル一派はさらなる報復の拡大の為により多くの武器と物資を必要としているらしい。
「わたしたちが目指しているのはそんなことじゃないわ!」
そんな言葉と共に元銃士隊員の前に進み出たのは冬にもかかわらずハーフパンツにレザージャケットを羽織ったスカロンだった。
一時は壊滅寸前だったコミン・テルンを建て直し、その中心的指導者となっていた彼には決然とした理想があった。
「コミン・テルンが目指すものはわたしたちを苦しめる“統治者”としての貴族制度を無くすことであって、貴族に復讐をすることなんかじゃないわよ!」
大きく腕を振り回し、誰もをひきつけるような調子で語るのはコミン・テルンでは見慣れたスカロンの姿だったが一点だけ違うところがあった。
いつものオカマっぽい声色ではなく、おそらくは地声であろう声で彼女は心の底から訴える。
――それは彼の半生にわたる貴族との戦いの中で妻を失った彼が私怨を捨て、理想の為に生きた証でもあった。
「復讐の為に誰かを殺したって――」
「うるさい! 黙れッ!」
何かを殴りつけるかのような音が響き、そこでスカロンの声は途絶えた。
柔らかいものが堅い床板に倒れこむような音が響く。
衝撃で机の上に置かれていた安物のカップが床に叩きつけられて割れる。
「お父さん――!」
傍に居たジェシカが叫んで駆け寄る。
倒れこんだスカロンを抱き起こしたジェシカに向けて元銃士隊員は叫んだ。
「オマエは仇を討たずにただ耐えろと言うのか!? だとすれば殺されたものの恨みはどうなる?それとも平民1人の命は貴族1人と等価でないとでも言う気か!」
そして彼女は室内にいる全員に向かって言い放った。
「我々は行動する! いままで貴族達によって受けた苦しみと屈辱を奴らの血で贖ってやる! 我々平民の生血を吸って暮してきたあの吸血鬼どもを今度は奴ら自身の血の海に沈めてやる。それこそが“正しい”――そう、我々は“正義”を実現するために行動するのだ!」
そう叫ぶ彼女の目は血走り、何人にも反論は許さない、という色が浮かんでいた。
そこまで言って女性が室内を見回した時、彼女は部屋の隅にいた一人の人物に気付いた。
「――どうして貴族がここに居るッ!?」
そう声を挙げた彼女の視線の先にはレイナールの姿があった。
その声に一瞬、襲撃者達の注意が才人達を離れてレイナール一人に向けられる。
「……そうか、そういうことか」
彼女はそう呟くと、腰に吊るしてあった短銃を手にとり、ゆっくりとレイナールにその筒先を向けた。
彼女の心の中では目の前の光景によって全てが一つの結論へと繋がった様だった。
あわてて才人達が飛びかかろうとするが、目の前に剣先を突きつけられて動きを封じられた。
「貴様らは、とっくの昔に貴族どもとつるんでいたんだなぁぁぁッ!」
その叫びと共に彼女は引き金を引いた。
撃発機が作動し、打石が点火薬の満たされた火皿に叩きつけられる。
「――やめて!」
ジェシカがそう叫んだ瞬間、紙風船の弾けるような乾いた音が響いた。
血飛沫が飛び散り、同時にレイナールが床に崩れ落ちる。
そして、床の上に崩れ落ちたレイナールの苦悶の声が漏れた。
「が――、うぁ――」
そう意味の無い叫びを漏らすレイナールの肩口があっという間に血に染まり、傷口を押さえる右手も血に濡れる。
そんな光景を一瞥した元銃士隊員は軽く舌打ちをすると「連れて来い」と一番近い位置にいた男に命じた。
男は命令通り部屋の奥に倒れこんだレイナールの元に近づくために一歩を踏み出そうとして――次の瞬間、そんな男の足をシエスタが引っ掛けた。
「サイトさん!」
男がもんどり打って倒れるのとシエスタが声を挙げるのは同時だった。
「おう!」
そのシエスタの行動を合図にしたかのように、弾かれたように才人が男の取り落とした剣を拾い上げる。
左手に刻まれたルーンが輝き、体が羽根のように軽くなる。
一瞬後にはシエスタが足を引っ掛けた男を含めて3人の乱入者が床に倒れ落ち、立っているのは指揮官らしき元銃士隊員一人だけとなっていた。
「―――ッ!」
反射的に若い元銃士隊員は腰に吊るした短銃に手をかける。
しかし、そこに吊るされていた銃は先程の一撃で装填されていないままだった。
慌てて右手に手にした長剣を構える――しかし、ガンダールヴのルーンによって加速された才人の体重の乗った一撃を受けきることが出来なかった。
彼女の手にした細身の長剣は砕け散り、そのまま背後の壁に叩きつけられて彼女は意識を失った。
「大丈夫か?」
相手を無力化したことを確認してから才人はレイナールの方に駆け寄った。
先程まで床を血で濡らしていたレイナールをジェシカが抱え込むようにして止血するための傷口の圧迫を試みていた。
一方、スカロンの方はジェシカの代わりにシエスタがそっと床に寝かせているところだった。
そんな才人の声に自らの衣服もまたレイナールの血に染まったジェシカが圧迫包帯にするためにスカートの端を引きちぎりながら答える。
「良かった、弾は抜けてるわ――これならなんとか出血は止まると思うわ」
そのジェシカの答えに「うん」と頷いて才人は周囲を改めて見回した。
机は脚が折れて片方の辺が床に着き、椅子が壊れながら散乱している。
壁の一部には穴が開き、何よりも赤黒いペンキのようなものが壁に毒々しい色合いを添えている。
そこから発せられる鉄の様な匂いと薄まったものの部屋の中に広がる硝煙の臭い。
そんな中、再び廊下を数人が走ってくる足音が聞こえ、慌てて才人は手にした剣を構えなおした。
手にした剣の柄にじっとりと汗が滲む。
廊下と部屋を隔てる壁越しに才人は相手が部屋に入ってくるその瞬間を待ち――その振り上げた剣を慌てて止めた。
「どうしたんだい!?――ってなんだいこりゃ?」
そう叫んで駆け込んできたのはマチルダだった――どうやら『魅惑の妖精』亭の前で銃声を聞いて駆け込んできたらしい。
慌てた様子で彼女がレイナールの治療の為にティファニアを呼びに行ったことを確認して才人はほっと一息吐く。
そんな才人の様子を見て、声がかけられる。
「でも、これで終わったわけじゃないですよ」
そう声を挙げたのは襲撃者を縛り上げていたジュリアンだった。
確かにこの場での危険は終わったかもしれないが、ミシェルと彼女に同調する一派の行動が終わったわけでは無い。
才人の耳には今は気を失って後ろ手に縛られている元銃士隊員の言葉がはっきりと残っていた。
『我々は行動する! いままで貴族達によって受けた苦しみと屈辱を奴らの血で贖ってやる! 我々平民の生血を吸って暮してきたあの吸血鬼どもを今度は奴ら自身の血の海に沈めてやる』
その時の彼女の目に浮かんでいたのは彼女が掲げた“正義”に対しての純粋な熱狂だった。
その正義を実現するためにはさらに多く――文字通りどちらか一方が絶滅するまで――の血と犠牲を必要とする。
「やめさせないと!」
そう声を挙げたのはレイナールだった。
彼も元魔法学院の生徒として内心忸怩たる想いがあるのだろう――傷口が開くことを恐れずに体を起して彼は言った。
「これじゃあ、唯の殺し合いだ――」
「――それだけじゃありません」
そんなレイナールの言葉を受けて次に口を開いたのはシエスタだった。
「こうも無計画に大切な武器や火薬を使われてはこれからの活動に大きな支障が出てしまいます」
彼女は組織内部での物資や装備の手配、各細胞組織への活動を指示するための書類作成に至るまでのあらゆることを管轄していた。
反政府組織に書類。
一見不釣合いに思えるかもしれないが、組織が規模を拡大するにつれ、どうしても個人間の伝達では不都合が生じるのだ。
書類作成と伝達にかかる時間と、口伝えで指示していく組織。
組織が小規模なうちは後者のほうが有利だが、組織が大規模化していくにつれて前者が優位に立っていく。
情報の確実性――口伝えでは情報の正確度や手間という必ず限界が来る――という面でも前者が有利だった。
さらにそれらの中で装備や糧食の手配までするとなると、事務が出来る人間は必要不可欠だった。
そして、コミン・テルンはそうした事務を必要とする組織となるに至るまで成長し――シエスタはその担当となったのだ。
それらの書類を管理する最高責任者としての彼女はトリステイン中の何処に、どれだけの物資が備蓄され、
それを誰が管理し、あるいはそれが何のためにそこに保管されていたのかを当然知っている。
――そんな彼女の言葉には大きな意味があった。
つまりのところ、ミシェル達の行動は社会的・道徳的影響だけでなく今後のコミン・テルンの闘争活動に大きな影響を与えるものでもあったのだ。
このまま貴族統治ではなく貴族そのものを敵とした無秩序な戦いを行なえば、結果的にコミン・テルンが目指す革命そのものが遠のく可能性がある――シエスタはそう言っているのだ。
「――サイトさん」
そうシエスタは才人に促した。
コミン・テルン――いや、トリステイン中の平民から高い人気を持つ才人が立ち上がれば、人々が無秩序に過激な貴族襲撃に走りつつある状況を圧し留めることが出来るかもしれない。
そして、逆に才人達がミシェル達の掲げた過激な貴族排斥主義を止めることが出来なければ、文字通り“血で血を洗う”闘争が始まることとなる。
絶対にそんなことにはさせない――いや、決してさせてはならない。
そう才人は決意して答えた。
「ああ、ミシェルさんを見つけて――止めさせる!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施