――――――――――――トリスタニア郊外、路上。
周囲に森の迫った道の上を一台の四頭立ての大きな馬車が進んでいた。
大きな馬車であるにも関わらず、その馬車には所属を示すものが無い。
文字通り、上級貴族――その多くが領地持ちか王国の要職に付いている――の忍びで使われるその馬車は夜間、ひっそりと王都トリスタニアを離れたものだった。
とは言っても、ここ最近王都を離れるそうした馬車は珍しくもなくなっていた。
その馬車の持ち主は多くが領地持ちの貴族達であり、自らの所領に帰るためにそうした無紋の馬車に揺られていたのだ。
今や王都では軍務卿派と高等法院長を務めるリッシュモン一派との対立が激しくなっている。
一瞬でも隙を見せたならば、蹴落とされるという状況の中でどうして高い地位にあるはずの彼ら領地持ち貴族がこっそりと所領に戻っているのか――その答えはトリステイン各地に広がった革命騒ぎに起因している。
トリステイン――ハルケギニアにおいて、貴族というものは大きく二つに分類される。
一つは言わずと知れた封建貴族。
彼らは所領を持ち、王家から託されたとするその所領とその統治に関して絶対的とも言えるほどの権限を持つ。
もう一つは宮廷の法衣貴族である。
彼らは専ら宮廷での雑事――と言っても儀式や儀礼といったものを取り仕切り、彼ら自身が物品を運んだりする訳ではない――や勅令の発布等の行政を担当する。
彼らの生活は毎年定額が支給される王家からの年金によって賄われる(収入を王家からの年金で賄うという意味では軍人もこのカテゴリに属すると見ても良い)。
では、封建貴族の収入とは何なのか。
それは文字通り、王家から付託された領地そのものである。
彼らは王家――その正統な統治権者であるとされる者――から領地の支配権を譲り受け、その領地の統治権限を代行する一方で、その領地から自らの生活の為の金を徴税する権利を与えられている。
当然、単なる無人の土地を与えられても収入には結びつかない。
その収入は与えられた土地で生活・労働している領民となった平民階級が生み出す富から徴税されることになる。
つまり、封建貴族はそんな自らの所領に生きている平民の生み出す財貨によってその生計を立てなければならないということでもあった。
その領地で革命騒ぎが広がる、ということは王家から信託された――すなわち王命として期待された領地の統治という職務を果たせないということだけを意味しない。
すなわち、自分の収入源そのものが危機に晒されているということでもあるのだ。
勿論、そうした封建貴族の大半はどのような騒乱が起ころうとも最終的に王軍のような巨大な力の前にはそうした叛乱が成すすべもなく倒れるであろうことは理解している。
だが同時に彼らは自らの収入源となる領地を自分で守る必要性もあった。
例えばヴァリエール公爵家は身内の不祥事によってその所領を大幅に返納させられた。
ならば、自らの所領で起こった騒乱がもし王家に――あるいは宮廷政治に大きな影響力を発揮する近隣の諸侯に――いらぬ面倒をかけたとするならば、それこそヴァリエール公爵の二の舞になりかねない。
いや、ヴァリエール公爵家なら縮減されて猶、その生活に不自由することの無いほどの領地を持っているが、多くの諸侯はそうはいかない。
文字通り、彼らの所領は一枚看板であり、大諸侯であるヴァリエール公爵家と比べるべくも無いのだ。
トリステインの多くの貴族の間に昔から言われてきた言葉の中にこんな言葉がある。
『伝統を守る為には金がかかる』
そんな声の真意を問うならばこう答えが返ってくるだろう。
――自分達の体裁を守れないものに伝統あるトリステイン貴族である資格は無い、と。
彼らにとっての体裁とは、王家より委任された所領での『安定した統治』は勿論、時候の区分に合わせた各貴族への贈答品の格式や貴族として恥ずかしくない見栄え良い装束を取り揃えることに他ならない(ちなみに、ここで云われている『安定した統治』とは平民の生活の安定を意味しない――それは文字通り、騒乱等を起して王家や他の諸侯に迷惑をかけない、といった意味合いを持つ)。
特に比較的下級の封建貴族にとっては、後者である格を示すための衣装を着て時候の贈答品を贈る――特に所属する派閥の長や要職にある高位貴族に金銭や贈答品を送って自らの立身出世を目指す――といったことが宮廷内における『政治』の大半であるのだから、彼らの『伝統』を守る為の金を生み出す所領が如何に重要かということを示している(所領の無い法衣貴族では自らの権限を私的に流用して平民から上乗せ徴税を行なったり、公金を横領してまでその資金を捻出する者すらいた)。
そうした事実を示すように、事実上の独立国としてトリステインの政治から切り離されたクルデンホルフ大公国はそうしたしがらみからも離れ、その家産が豊かなことで知られていた。
そんな状況ならば、諸侯にとっての収入源が領地である以上その領地を繁栄させることによって収入を増せばいいのではないかという考え方も生まれそうなものだが、以外なことにトリステインでは所領の『経営』と言ったものに興味が振り向けられることは少ない。
一部の大諸侯を除けば多くの諸侯が豊かではない――尤も彼らの視点からすればだが――中ではその収入の大半は上記のような「貴族としての体裁」を守り、維持するために使われるのだ。
さらに言えば、領地の繁栄というものは確実に成功するものでもない――言い換えるならどこか賭博にも似たものでもあるし、その投資そのものにも莫大な額が必要となる。
さらに、成功しても元本を回収するのにどれほどの時間が必要とされるのかもわからない。
無論、過去にもそうしたリスクを踏まえた上で領地に投資した者もいる。
一例を挙げるならば、代々水の精霊との交渉役を務めていたモンモランシ家という貴族が10年ほど前にある湖の干拓を企てたことがある。
しかし、結果は水の精霊の機嫌を損ねて干拓は失敗――そして代々務めていた水の精霊との交渉役という役職すら他の貴族に奪われるという結果に終わったのだ。
表向きは水の精霊との交渉役でありながらその協力を得ることに失敗したことを理由として、その代々勤めた役職から追われることになったとされているが、実際のところ当時の貴族達の間では干拓失敗による莫大な損失の為に「貴族の体裁」を守れなかった――高位の貴族に贈るべき贈答品に金をつぎ込むことが出来なかった――からであると噂された。
そしてその役職を継いだ別の貴族が「貴族の体裁」を守ることに熱心な者であることを知らぬ者は誰もいなかったからなおさらだった。
そうした失敗の事例に加え、そもそもが『経営』という概念を理解していない――領地そのものが彼らの「家産」であり、家計と領地経営は不可分であるという認識を持っている――以上、封建貴族達が宮廷政治に必要な原資である領地を守る為に王都を離れるのは仕方ないものとして受け止められていた。
勿論、必要以上に貴族の体裁を傷つけないようにひっそりと、という形であるが。
そんな忍び仕様の馬車の周囲には10人を越える数の騎乗した下級貴族の護衛が共に駆けている。
いかな下級貴族とは言え、周囲を10人以上ものメイジの護衛が付くというのは並大抵の事ではない――たとえそれが戒厳令下であってもだ。
そんなメイジ達に守られた馬車の豪勢な詰め物の入ったクッションに身を預けていたのは今や亡きマザリーニ枢機卿や隠居を余儀なくされたヴァリエール公爵を凌ぐトリステイン一の権勢者となった高等法院長リッシュモンだった。
彼は今、編成を行なっている彼の所領軍を率いるために自領に向かっている。
魔法学院を初めとして王都を含めた各地で平民による大規模な襲撃や騒乱が頻発している今、王都での主導権を完全に握るためには彼の手勢を入れることが必要不可欠であると彼は考えたのだ。
名目は「王都を叛乱した平民から守る為」。
戒厳令が発せられた今、王都に彼の手勢を入れてさえしまえば大抵のことは可能となる。
たとえそれが彼の優勢がほぼ確定しつつある今も、未だ彼に完全に従おうとしない軍務卿一派の粛清であってもだ。
幸運なことに彼は未だ高等法院を取り仕切る地位にいる――いや、マザリーニ亡き今彼を事実上の宰相に、という声も多かったのだが彼はその地位に固執したのだ。
彼にとってトリステインの司法を一手に握っているということはそれなり以上に都合の良いことでもあったためだった――司法を握っているということは政敵を蹴落とすにも都合が良い。
疑惑の提起に始まり、証拠の捏造、そして罪状酌量も全て彼の裁量次第ということでもあるからだ。
だとするならば、彼の政敵に残された最後の武器は彼の握っていない軍事力――彼と彼に味方する諸侯を一斉に急襲して拘禁するという手段――ということになる。
それを阻止し、あるいは思いとどまらせるだけの戦力を整えることが現在の彼にとっての至上命題となっている。
そのためには彼の手勢である所領軍を王都に入れるのが最も手っ取り早い。
と同時に所領軍と共にいれば彼自身を狙う軍務卿一派の襲撃から身を守ることにも繋がる――そのために一時的に王都を離れ、彼は自領に向かっていた。
途中、彼の手勢たるリッシュモン所領軍は同じく彼がその政治力によって編制した水精霊騎士隊とも合流し、たとえ軍務卿一派がその手勢を先に王都に入れたとしても対抗出来る戦力を整えることになっていた。
最大の政敵たる軍務卿を排除さえしてしまえば、あとは王女であるアンリエッタを傀儡としてこのトリステインという国は文字通り彼の手に握られる。
その王女であるアンリエッタが一向に政治に関心を持たない――トリステイン中央政界がこのような状況にあってもだ――現状ではそれを実現することは容易い。
その場合、唯一彼の邪魔になりそうな者は王女の近衛である銃士隊とそれを指揮するあの粉屋の娘ぐらいであろうがせいぜいが1個中隊程度の平民の集団に何が出来るものでもない――彼は平民出身者で編制されている銃士隊をそう評価した。
そして、彼がこの国を握ったならば――
彼が輝かしい未来を思ってほくそ笑んだ時、その幻想を破るかのように彼の馬車列の先頭を行く貴族の頭蓋が吹き飛び、馬上から崩れ落ちた。
「襲撃だ!」
どさり、と先頭を行く貴族が頭蓋とその中身を周囲に撒き散らしながら落馬したのに一瞬遅れて、彼を護衛する任を受け持った下級貴族達は暴れる乗馬をなだめると共に、一斉に警告の声を挙げた。
次いで彼らは困惑しながら一斉に周囲を見回し、銃撃してきた場所を探そうとした。
本来ならそんなことをする必要は無い。
銃撃というものは発砲時にどうしても大きな銃声が響くものであり、銃声のした方向を辿れば直に発砲した場所がわかるものなのだ。
しかし、先程の先頭の貴族を撃ち倒した銃撃は完全な無音だった。
命中した一弾の他に少なくとも10発以上の銃弾が撃ち込まれ――そして目標に命中せずに外れた――にも関わらず、である。
そんな異変に混乱しているうちにリッシュモンの行列は再度の斉射を受けた。
移動中の貴族を狙った1斉射目に対して停止中の行列を狙った2斉射目の命中率は高く、さらに二人の護衛貴族が乗っていた馬と共に血飛沫を撒き散らしながら路上に崩れ落ちる。
しかし、二度目ともなるとさすがに護衛の下級貴族も銃撃地点を見つけることができた。
相変わらず発砲音は聞こえないものの、彼らが視線を向けた森の一部には発砲に際してどうしても隠すことの出来ない発砲の閃光と燃焼した装薬の放つ煙を明確に見ることが出来たのだ。
さらに銃口から発砲と共に漏れ出た煙は一度目の銃撃の際の硝煙と混じりあうことによって色を増し、確かにその場所が銃撃地点だと今なお明確に示している。
「あそこだ!」
そう一人が指し示すと、周囲の護衛貴族達も一斉に銃撃地点を狙って魔法を唱えようと杖を構える。
その瞬間、今度はその側面から一斉に銃声が響き、同時にこぶし大の黒い球状の物――擲弾が数個投げ込まれた。
擲弾と呼ばれるその原始的な手投げ爆弾は先日の魔法学院爆破以来トリステインの各地で起こった貴族を対象とした襲撃で多用され始めた武装だった。
その爆弾の構造はきわめて単純――火薬を詰めた容器に短く切られた導火線を繋げ、導火線の火が弾体の火薬に到達すれば爆発するというだけのシロモノだった。
しかし、いかに単純で原始的な代物だとしても遮蔽物の無い状態なら半径数メイル以内にいる人間は無傷ではいられない。
側面から受けた銃撃にさらに数人の下級貴族が倒れる。
一拍置いて、地面に転がった擲弾が次々と爆発して銃撃を受けて倒れた貴族に駆け寄ろうとした他の下級貴族達をなぎ払った。
「挟撃だと!?」
「一箇所に固まるな! 固まると集団で殺られるぞ!」
護衛の貴族達の間で混乱が広がる。
その間に最初の一撃をかけた襲撃者達はさらなる攻撃を行なうために身を晒して一斉に接近を開始した。
その光景を前に攻撃を受けて混乱していた貴族の一人が身を晒して接近する襲撃者の手に握られていたのは杖ではなく銃や剣であることを見て取った。
「おのれッ! 平民風情が――」
攻撃に激高した貴族の一人がそう叫んで『飛行』の魔法で宙を舞う。
一見遮蔽物の無い空中に舞うというのは自殺行為の様にも見えるが、そうでもない。
空中で浮遊していれば少なくとも擲弾の攻撃は防げるし、空中を移動する物体を銃撃するのはかなり困難なものでもあるのだから。
そんな下級貴族の思惑通り、ふわふわと空中に身を晒した彼に対する銃撃はその予測照準の困難さもあって命中することなく彼の周囲の空間を飛び去っていく。
飛び上がった下級貴族はそのまま眼下で突撃を加えようとしている襲撃者達に向かおうとした。
しかし、その直後――その貴族はファイアーボールの直撃によって打ち落とされた。
「な、メイジだと!?」
先程宙を舞った貴族が文字通り火達磨になって大地に叩きつけられた光景を前にして、さらなる驚愕が護衛貴族達の間に走った。
メイジもいるのならば、先程までの無音の銃撃も理解出来る。
銃兵の周囲に『サイレント』の魔法をかけていたのなら、確かに無音の銃撃が可能であろう。
しかし、彼らにはそもそも平民の攻撃の補助として魔法を使用するという概念が欠落していたのだ――ハルケギニアで最強の武器と言えば魔法そのものであったのだから。
そんな彼らの推理を肯定するように、先程まで無音であった場所から銃声が響き、放たれた3斉射目の銃弾が彼らの体を貫いた。
そんな中、リッシュモンもまた混乱していた。
手近にいた護衛の貴族に怒鳴るようにして尋ねかける。
「軍務卿の手勢か!?」
そんなリッシュモンの疑問にその下級貴族もまた答えるべき答えをもたなかった。
襲撃者達の中にはメイジが混じっているのは確定しているが、その攻撃の主体はあくまで魔法ではないのである。
軍務卿の一派ならこういった襲撃に平民を混ぜなければいけないほどメイジの数に困ることはないだろう――暗殺というものはその詳細に関わった人間が少なければ少ないほど成功の度合いが高まるのだから。
「わかりませぬ! しかしながら、一刻も早くこの場からお逃げください! 我らがこの場で防ぎます故――」
そう答える護衛貴族の声に「当然だ! 何のために今まで良い目を見させてやったと思っている!」と怒鳴るようにリッシュモンは答えた。
彼にとっては護衛の10数人の貴族――今は既に数人に減ってしまったが――など使い捨てても問題ないという程度の価値しか無いと思っていた。
いや、彼にとって自分の命とその享楽な生活以外に真に価値を認めるものなどなかったと言えるかも知れない。
そんなリッシュモンは馬車の御者に向かって「行け!」と命じた。
しかし、馬車は進まない――前方にはそれまでの銃撃で倒れた貴族達の遺体が横になったままなのだ。
「しかし――」
そう御者は抗弁した。
当然、前に走って逃げようとすれば馬車はその遺体を踏み潰していかねばならない。
平民の死体ならともかく、高貴なる者である貴族の遺体を馬蹄と車輪で踏み潰すなどという行為はハルケギニアの常識からすれば誰しもが躊躇するだろう。
御者を仰せ付かったのが彼の護衛の中でも最も下級の貴族――高位の貴族は馬車の手綱など取らない――だったがためにその躊躇は誰よりも大きかった。
しかし、その間にも襲撃者達は突撃を開始し、リッシュモンの身には危険が刻一刻と迫る。
銃声の音よりも剣と杖をぶつけ合う音が聞こえ出し、それが次第に断末魔の声にとって変わられる。
喚声が徐々に近づき、剣戟の発生源が彼の馬車に迫る。
そんな状況で一向に走り出そうとしない御者に向かってリッシュモンは怒鳴った。
「かまわん、行け!――死体など踏み潰せ!」
「は、はっ!」
意を決して御者が牽馬に鞭をあてた時、馬車の下に数個の黒く丸い物体が転がり込む。
直後、轟音と共にリッシュモンの乗った大きな馬車は下から突き上がるようにして宙を舞った。
「副隊ちょ、ゴホン!――同志ミシェル、制圧完了しました」
銃士隊以来の部下がついそれまでの癖で彼女を呼ぼうとして――あわてて修正しながら答えた。
そんな部下の報告にミシェルは気にする様子も無く「損害は?」と尋ねた。
コミン・テルンの中で最も集団戦闘に優れた部隊とその部隊指揮の才能を持つ彼女にとって見ればこの程度の戦闘なら大した損害も無くこなすことが出来る。
そんな彼女の評価を肯定するように、彼女に伝えられた損害は重傷が二名、軽傷が六名というものだった。
重傷者と言っても最も重い者でさえ腕の骨折であり、生死に関わるものではない。
いくらほぼ完全な伏撃とは言えメイジの集団相手にこれほど少ない損害で相手を殲滅するというのはやはり彼女の能力が並大抵ではないことの証拠だった。
彼女がこの襲撃で率いていたのはせいぜいが1個小隊程の戦力でしかないのだから。
「これほどの護衛だ、乗っていたのはよほどの大物だったのだろうな?」
そう尋ねたミシェルは改めて戦場となった路上を見つめた。
彼女達が王都から離れたこんな場所にいたのは、この近隣にオラドゥールの惨劇の実行犯――水精霊騎士隊がいるらしい、との報告に基づいてのことだった。
彼女としては彼女なりにその復讐を果たそうとしたということなのだろう。
でなければトリステイン全土で一斉に貴族襲撃を開始させた者達の事実上の張本人自らがこんな場所に居るはずがない。
今、彼女の視線の先に在る路上には様々なモノが散乱していた。
あちこちに人間と馬の死骸が転がり、そんな死骸の前では逃げ延びた者がいないかどうかその数を彼女の部下達が襲撃直前の数と比べるために数えている。
特に外部から数えることの出来なかった馬車の中に関しては徹底して確認が行なわれているが、数度の爆発によって原型を留めていない馬車の内部に乗っていた人間の数を数えるということは困難でもあった。
「身なりからはかなりの高位貴族と思われますが……」
――さすがにあの状況では誰だったかを判別するのは難しい、と彼女の部下は苦笑いして答えた。
馬車自体を文字通りバラバラに粉砕した攻撃に加え、その後も安全確保の為に続けて数回投擲された擲弾の爆発によって馬車の中身は肉片と構成部品だったもので入り混じり、果たしてそれが人間だったかすら判別するのも困難な状況だった。
そんな答えに「まぁ、仕方が無い」とミシェルは答えた。
そしてミシェルは視線を頭上の太陽に向ける。
南に低くかかった冬の太陽は既に中天に達している。
これ以上、水精霊騎士隊の探索に時間をかけると、次の計画の初動に支障をきたすかもしれない。
彼女の内心で水精霊騎士隊を追いたい気持ちと指揮官としての義務がせめぎあう。
数秒の沈黙の後、ミシェルは彼女の指揮下にある部隊に命令を下した。
「負傷者を担げ! トリスタニアに帰還するぞ!」
ミシェル達がトリスタニアに帰り着いた時は既に日も沈んで文字通りの暗闇が都市全体を覆う頃になっていた。
と言っても暗闇に覆われていたのは平民街だけで、対照的に襲撃に怯える貴族街には無数の篝火が焚かれ、まるで昼間のように明るい。
彼女達がその本拠地としていた場所はかつてトリスタニアを中心とした広大な管区を持っていたジュノー教会。
とは言ってもロマリアから派遣された聖職者達が彼女達を匿っているわけではない。
『赤い虚無の日』以来、頻発する平民の反発に怯えて司祭たちが逃げ出し、空家となっていた建物を接収したのだ。
しかし、司祭たちが逃げ出したのも仕方が無いことかもしれない。
このハルケギニアで聖職者の見入りとは住民からの布施ではなく、寺院税という税金の形で徴集されるのだ。
無論、税金である以上、平民に拒否権は存在しない――それ以前にブリミル教徒である以外の選択肢など無いが。
言い換えればハルケギニアの平民階層はその上に、王家あるいは封建貴族とロマリア宗教庁という二種類の権威を背負わされている。
そしてその両者が統治の正統性について相互に補完しあっているのだから王都での騒乱に際して司教が逃げ出したのは当然の帰結と言えるかも知れない。
一流の料理人でもいるのだろうか?と思うほどに素材は粗末なものながら妙に美味しい夕食を兵士特有の速さでかきこんだミシェルに告げられたのは各地での貴族襲撃の成果だった。
「モット伯爵、シャレー伯爵……」
ここ数日の間に戦果はさらにそれまでの倍近くに膨れ上がり、下級貴族も含めれば1000名の大台に達しようとしていた。
この勢いであればあと1週間もしない内に2000名以上に達するだろう。
無論、襲撃した側である彼女達にも損害が出ている――それはつい先程の襲撃でも明らかだった。
しかし、それでも彼女達の士気は衰えない。
誰かを喪ったならば、その死すらさらなる復讐の為の糧として次の戦いに挑む。
動けるのであれば、剣をその手に持ち最後の一人までその『復讐』を果たすべく突き進んでいく。
まるで誰も彼もが狂気という酒に酔ったかの様だった――いや、革命というものが一種の酔いであるとすれば彼女達はその『復讐』という銘柄の酒によって泥酔していたと言えるのかもしれない。
しかし、いくら酔ったとしても現実の制約というものから完全に離れることは出来ない。
その一例を示すかのように、物資について取りまとめを行なっていた部下の一人が申し訳なさそうに報告した。
「ミシェルさん、次の襲撃の件ですが」
彼女が報告したのは予想以上の速度で消費されていた武器の量だった。
特にその消費は彼女が平民による対貴族の主力とした銃に必要不可欠な火薬において特に激しいものだった。
「――火薬が足りない? 『魅惑の妖精』亭から火薬を受け取る予定だったと思ったが?」
そうミシェルは不満げに尋ねた。
元々、彼女の配下と同調者達の管理していた武器はそれほど多くは無い。
特に必要最小限以外の火薬といった特殊な物資はその多くがスカロンを中心とした『魅惑の妖精』亭派とも言うべき者達によって管理され、各地の秘密拠点に蓄えられている。
戦術上の基本原則に従い、第一撃にその多くをつぎ込んだ彼女としては、続く第二段階の襲撃に必要な分量は彼らから譲渡によるものとしていたのだ。
「それが、説得に向かった班は全員拘束されてしまった様です」
帰ってきた答えにミシェルは失望した。
彼女としては本来コミン・テルンが組織を挙げて行なうべき貴族との戦いに必要な武器をあくまで正当な目的に則って要求したつもりでいたのだが――実際に『魅惑の妖精』亭に押し掛けたあの元銃士隊隊員もその正当な目的の為に要求していた――その彼女の要望をコミン・テルンの中枢を占めるスカロン達は蹴ったらしい。
――勿論、彼女の言う「正当な目的」とはオラドゥールを初めとして犠牲になった平民達の復讐であることは言うまでもない。
「……武器の保管場所はどうだ?」
しばらくの黙考の後、改めてミシェルは尋ねる。
とは言ってもその声は一転して重く、慎重だった。
彼女はトリスタニア各地にあるコミン・テルンの武器貯蔵庫について尋ねている――つまり、彼女は警備の手薄な武器貯蔵庫から貴族との戦いに必要な武器を運び出せないか?と聞いていた。
「それが、こんな指示書が各地の保管場所を担当する者達に配られて以来――」
そう言いながら、彼女の副官格とでもいうべき銃士隊以来の付き合いのある女性が一枚の書類を差し出した。
そこにはトリスタニア中の武器貯蔵庫にスカロンの許可が無い限り武器を運び出すことを禁じる、ということが記されていた。
また、搬出の際には指示書だけでなく必ず署名者の立会いによる確認を受けるようにとの二重確認まで含まれている。
そしてミシェルは指示書の最後に書かれた署名に目を向けた。
リストの最上位には人民会議の議長――名目上のコミン・テルン代表であるスカロン。
次いでジェシカ、マチルダと言った名前が並び、続いてこの指示書の発行者でコミン・テルンの事務を総括するシエスタの署名。
さらに酷く下手な文字で見慣れない『ヒリガット・サイトン』という署名まである。
「……ヒリガット?」
思わず珍妙な名前をミシェルは呟いた。
そしてその瞬間、彼女はああ、と言った表情でこの署名の人物が誰か理解した。。
おそらく、この『ヒリガット・サイトン』というのは才人のことだと見当を付けたのだ。
彼女の推測は当たっていた。
シエスタに薦められるまま、才人は読むことは出来るように――と言っても理解した瞬間に日本語に置き換わってしまうのだが――なったガリア語の文字で自身の名前の読みに合わせた署名をしていたのだった。
そしてトリステイン中の平民から英雄視されている才人の連名があるということは、それだけでこの革命闘争における正統が『魅惑の妖精』亭派の手にあるということを意味しかねない――それだけの支持と知名度を才人は持っていたのだ。
「これが配られて以来、各地の武器保管庫の周囲は厳重に『魅惑の妖精』亭派ががっちりと固めています。おそらく……」
一戦を交えずして武器を手に入れることは出来ないでしょう、と彼女の副官は続けた。
その答えにミシェルはゆっくりと頷いた。
とは言え、その内心では彼女の目的に同調しない『魅惑の妖精』亭派に対する苛立ちが燃え上がっている。
彼女が『魅惑の妖精』亭派の様に武器や物資を横流し等で手に入れられないのには事情があった。
彼女の「正当な目的」に同調したのはコミン・テルンの構成員の中でも多いとは言えない――トリステイン全土でせいぜい3000名と言ったところだった。
一見大きな戦力のように見えるが、王都だけで数万人の支持・協力者を持つコミン・テルンの中では大した数ではない。
そして、彼女の目的に組しない『魅惑の妖精』亭派はコミン・テルンの残りのほぼ全てを取り仕切っているのだ。
さらに悪いことに彼女に同調した者達の多くが家族や友人を貴族によって失った者達――すなわち怨恨を最大の理由として組織に加わった者であった。
彼らの中にはこの戦争――アルビオン継承戦争の開始前から個人的に貴族に対して戦いを挑んでいた者も少なくない。
そうした点において、彼女の率いる部隊はコミン・テルンの中でも武闘派とも言うべき存在であった(特に元貴族のメイジ――その多くが親族を殺された経験を持つ――の比率は他の何処の部隊よりも高かった)が、その一方で物資の調達や協力要請といった細々とした行動には適していなかったのだ。
特に表面上は貴族の命令に従いつつ、1000リーブルもの単位で物資の横流しを行なったり、重要な情報を集めるといった行動はその大規模な組織力と求心力が問われる以上、彼女の部隊には決定的に向いていなかった(皮肉なことに彼女の率いる元銃士隊の小規模部隊としての組織力は極めて高かったが)。
また求心力の面でも平民の間に絶大な人気を持つ才人に比べて、元とは言え平民達の間で貴族の犬と悪名高い銃士隊出身の彼女達は劣る面があった。
「次の計画はどうされますか?」
ふつふつと湧き上がる内心の苛立ちを堪えつつ今後の展開について思慮を巡らすミシェルに副官が尋ねた。
勿論、副官にも彼女達の置かれている状況はわかっている。
「……予定通り続けさせろ」
そう押し殺した声でミシェルはゆっくりと答えた。
現状の手持ちの武器は不足している――しかし、持てる全量をかき集めれば次の計画を実行するのに最低限必要な量を整えられる。
それに愚図愚図していてはアレも『魅惑の妖精』亭派に抑えられてしまうかもしれない。
次の一撃はようやく自分たちが絶対安全でないことに気付いた貴族共に決定的な衝撃を与えるためのものなのだ。
そして、彼女の作り出した光景を眺めた時、貴族達は否応無しに気付かされることになるだろう――自分たちは決して超越者などではなく、今まで虐げてきた平民と同じ存在であったことに。
彼女の脳裏にオラドゥールでの惨劇が生々しく浮かび上がる。
あの光景を今度は貴族共で再現してみせる。
理不尽な暴力というものの本質を奴らに見せ付けてやる――そのためには。
「渡さないというのならば、奪うしかない」
彼女はそう決意して呟いた。
感情は理性に優越する。
その言葉のままに彼女は彼女の目的を果たすために動くことを決意した――その目的を果たす邪魔になるのなら、つい先日までの“同志”を踏みにじってでも。
――そんな彼女の声をはっきりと記憶した少女がいた。
ミシェル達がが拠点にしているこの空家でミシェル達の世話をしていた少女。
未だ幼く、武器を使えないがために襲撃に参加しなかった少女の視点はミシェル達とは異なったものだった――あるいは襲撃に参加して血に酔っていないが故の思いだったのかもしれない。
この少女もまた家族を貴族の為に失っていた。
しかし、この少女が完全にミシェル達の主張に同調していたかといえばそうでもない。
仇をとるのは良い――この少女も子供心に家族の仇が果たされることを望んでいたし、そうなって欲しいとも思っていた。
しかし、同時に子供特有の醒めた部分では自分の家族が決して帰ってこないということもどこか理解していた。
だとするならば、帰ってこない家族の為に人を殺し続けることは『正しい』のか?
ミシェルの声を聞いた少女は走り出した。
少女が求めていたものは『復讐』でもあったし、身寄りを失った彼女を受け入れてくれるこの『居場所』でもあった。
しかし、それらの『正しさ』が先程のミシェルの一言で揺らいだ。
――果たしてつい先日まで行動を共にしていた仲間を犠牲にしてまで行なうミシェル達の言う“正義”とは『正しい』のだろうか?
ミシェル達についていく様に共にコミン・テルンと袂を分かっても、今も付き合いのある彼女の友人や知人は『魅惑の妖精』亭派の中にたくさんいた――いや、むしろそちらの方が多かった。
彼らを犠牲にしてまで自分は『復讐』を果たすという“正義”を望んでいるのだろうか。
ミシェル達と共に築いた『居場所』。
しかし、この少女にとっての居場所の中には今は袂を分かった筈の人々も多く含まれていたのだ。
そんな思いに押される様に彼女の足は速まる――そして少女の足が向かう先には『魅惑の妖精』亭という看板の掲げられた一軒の居酒屋があった。
度重なる過激な闘争は人を引き付けると同時に遠ざけることもある。
ミシェルがオラドゥールで貴族の行なった行為によってこの行動を決意したのと同様に、そんな報復だけを求める行動に対して違和感を覚える者に行動を覚えさせた。
それは、ある意味で裏返しであり――当然の結末でもあった。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
すみません、この連載が終わった後に書こうと思っていた上条×麦のんのSSの原型を書いてたら遅くなりました。
おまけに超電磁砲本誌でVS麦のんが始まったのでしばらく放置&修正予定(涙)
キュルケさんのことは……原作初期から改変してるのでそれほど気にかけてはいなかったとでもしておいてください。原作のように一緒に冒険した訳でもなく、才人を取り合った訳でもありませんので(汗)
10/08/07
二回目の改定を実施