――――――――――――トリスタニア貴族街前面。
「よし、行くぞッ!」
その言葉と共に10数人の襲撃部隊がトリスタニア貴族街に一番近い平民街の廃屋の中から駆け出した。
彼らの駆け出す先は貴族街を守る為に王都警備隊が展開している広場だった。
10数人という数は、ひっそりと行動する少人数にしてはある程度の相互支援が可能であり、何よりもメイジの一撃では決して全滅せずに反撃が可能であるという経験から編成された人数。
そのメンバーの何れもが貴族に復讐をするためならば、自らの命を惜しまないという彼らは今、一団となってまるで亀のように貴族街に引きこもっている王都警備隊に一撃を加えようとしていた。
「撃てぇっ!」
その号令と共に10丁程の銃が王都警備隊に向かって放たれる。
無論その数では大した損害は与えられないが、今回の目的を達成するにはそれで十分の筈だった。
「よし、撤退だ――」
指揮官の男はそう言って撤退を開始させようとした。
今までの経験から言えば、実弾を装填しているのは歩哨に当たっている数人の衛兵だけで残りの衛兵は急な襲撃に対応するまでに様々な準備を必要とする。
唯一、脅威となるのは単独で行動する貴族の存在だったが彼らはそれに対する対応策も持っている。
フライで飛来してくるメイジは先程発砲しなかった数人の銃撃で一時的に抑え、改めて装填し直した後で対応すれば同等――いや、こちらが複数であることを考えれば同等以上に闘えるのだ。
勿論、貴族が飛び出してこなければ、その合間に自分達は悠々とその場を離脱することが出来る……筈だった。
しかし、この時は勝手が違っていた。
手に銃を持った多くの衛兵が即座に射撃姿勢を取り彼らに向けて応射を行ったのだ。
本来なら指揮官の命令なくして決して射撃姿勢を取ることなどありえない。
それは襲撃された際の混乱した状況の中で味方撃ちを行なわないための行動であり、特に一斉射撃ともなれば指揮官による目標設定が必要となるのだ。
それを行なったということは最初から王都警備隊が即座に対応できる状態にあったということに他ならない。
油断していた襲撃者達の体を無数の銃弾が襲う。
その一撃で襲撃者達のおよそ半数がなんらかの傷を受けて地面に倒れ伏した。
そんな彼らに向けて今度は剣や槍を手にした王都警備隊の衛士達が切り込んでくる。
同じ平民階級である彼らとしても自分達の命を狙われた以上、彼ら襲撃者達に同情や共感などを挟む余地は無い。
たちどころに乱戦模様――いや、数としては圧倒的に少ない襲撃者達を衛士達が制圧していく。
そんな襲撃者と衛士が入り乱れ、争い合う中には杖を掲げた指揮官である筈の貴族士官の姿さえ見える。
普段ならば決して平民同士が殴りあう戦線の前に立つことのないその存在――メイジ最大の強みは魔法という遠距離戦闘能力にあるのだから――が戦場、それも平民との乱戦の中に立つという状況が意味するものは一つ。
「畜生、まるで俺たちを待ち構えていたみた……」
彼に向かってくる衛士達と斬り結ぶ男がそう吐き棄てようとして――
その言葉を言い切らないうちにその貴族士官が振るった杖の先から生み出された風の魔法が彼の体を真っ二つに切り裂いた。
風に乗って遠くから無数の銃声が響き渡り、そして多くの人間の発する喚声が聞こえる。
その音を聞きながら、この騒乱を仕掛けた張本人であるミシェルは自らが拠点としている棄てられた教会の中で彼女と志を同じくする仲間と共に『計画』の用意を整えていた。
「同志ミシェル、襲撃部隊から連絡です――『貴族街前面で初期の目的を達成、しかし敵の猛烈な反撃を受く』とのことです」
その知らせにミシェルは頷いた。
彼女には徐々に小さくなっていくその騒音からその場での勝敗が決したことが分かっていた――当初の計画では一撃を加えた後、直ちに離脱する予定であった襲撃部隊が戦闘に巻き込まれ、そしてその喚声が徐々に小さくなるということは彼らが敵に制圧されたことを意味する。
普段なら今回のような小規模部隊による散発的襲撃に迅速に対処することの出来ない貴族側の軍事組織が対応出来たということは、おそらく事前に情報を掴んでいたか、たまたま何らかの理由で迅速に対応することが出来たのだろう。
そう彼女は自分の中で結論を出した。
しかし、それでも構わない。
彼女の立案した『魅惑の妖精』亭派からの物資強奪計画にとって、この襲撃はあくまで陽動――それも『魅惑の妖精』亭派に対するものなのだから。
仮に襲撃部隊が全滅しようと結果的に貴族街前面で貴族派と『魅惑の妖精』亭派との間に衝突が発生すれば計画に齟齬は発生しない。
彼女の計画では、今や王都における貴族達の支配領域が殆ど貴族街に限られていることを前提として立案された。
貴族街前面で貴族側と平民との騒乱を起せば既に貴族街に押し込められている筈の貴族派の注意はトリスタニア前面に向けられる。
当然、その衝突は『魅惑の妖精』亭派にとっても座視できない。
ほぼ間違いなく大規模な衝突に備える――あるいはそれを阻止するために『魅惑の妖精』亭派は手持ちの戦力を衝突の起こったトリスタニア前面に向かわせなければならない。
その隙に彼女達は手薄になった『魅惑の妖精』亭派の握っている秘密武器庫から今後の戦いに必要な物資を強奪するという計画だった。
そして、その物資を握った後は――未だ貴族に尻尾を振る者と目的を忘れた裏切り者共にこの闘争の本質を見せ付けてやる。
誰もが彼女の行なおうとしている第二撃に恐れ慄くだろう。
それこそが……そう、それこそが復讐であり、まるでモノのように壊されていったオラドゥールの人々に対する鎮魂でもあるのだ。
あの全てが灰になった村を目にした時から決して消えることなく、彼女の心の中でくすぶり続ける思い。
その思いの命ずるままに、彼女がもう何度目か分からない決意を再び刻もうとした時、駆け込んできた伝令が彼女に思いがけない報告をもたらした。
「ほ、報告します! 敵が――王都警備隊と銃士隊が平民街に向かって前進してきています!」
「銃士隊、前へ!」
その号令と共にアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランの率いる銃士隊は今や未知の領域と化しつつあるトリスタニア平民街に向かって前進を開始した。
かつての繁栄を誇った姿はそこにはない。
通りを圧するかのように立ち並んだ無数の出店の姿は既に消えて久しく、喧騒と活気に満ち溢れていた平民街の表通りには人の姿すらない。
一見すると、まるで打ち棄てられた街のようにも見える。
しかし、そうでないことは明らかだった。
彼女達銃士隊の前は道を塞ぐようにして築かれた巨大な障壁――無数の廃材を寄せ集めて作られたバリケード。
脆そうに見えるそのバリケードは見た目は悪くとも、実際に彼女達の行動を阻害して食い止める力があるのだから。
「バリケードを排除しろ、かかれ!」
人為的に造られた障壁を前に、アニエスは彼女の指揮下にある銃士隊の各隊に命令した。
同様の行動が数百メイルから1リーグ離れた場所でも王都警備隊によって開始されていることだろう。
リッシュモン不在の今、一時的に軍務卿の下に指揮系統が一本化された王都の治安維持にあたる王都警備隊と銃士隊は先ごろから激化した貴族の無差別襲撃に対抗するために叛乱組織の中枢を武力によって排除するという強硬手段に打って出たのだ。
トリステインではこの革命騒乱で貴族に多くの被害を出していた。
無論、それまでに叛乱した平民達への討伐隊を率いた貴族が逆に返り討ちにあったり、上級下級を問わず日頃平民達から怨嗟を買っている悪名高い貴族が殺され、あるいは資産を奪われる事件は何度もあった。
しかし、先日の魔法学院爆破テロ以来そうした『憎まれている』貴族だけでなく、温厚で領地の平民から慕われている貴族や腐敗に関わっていない清廉潔癖な貴族までが被害に遭うようになっていた。
――それはまるで『貴族』という階級に属する人間全てを憎み、この世界から消し去りたいが様に。
「そーれっ! 曳け、曳けえっ!」
彼女の目の前でバリケードに使われている廃材に縄がかけられ、障害を乗り越えるための侵入路が造られていく。
数百メイル離れた場所では軍務卿の肝いりで増強された王都警備隊が同様に――いや、彼女達銃士隊には居ない貴族の魔法を使ってバリケードを突破していく。
あっという間にバリケードを破壊し、平民街の内部に侵入してく王都警備隊を尻目に彼女の率いる銃士隊もまた着実に正面の障害に取り組んでいた。
巨大に思われたそのバリケードの中央に徐々に侵入路が開け、作業にかかる人員以外の銃士隊員たちはバリケードの先に向かって間断無き警戒の視線と装填済みの銃口を向けている。
「突入路が開けるぞ! 全員バリケードから離れろ! 第1小隊は開口部から突入して警戒態勢!」
その言葉と共にアニエスの率いる銃士隊を初めとして、総計で約2000名――王軍の一個連隊相当――にも上る貴族側戦力が叛旗を翻したトリステイン平民街へと侵入を開始した。
「何者かが貴族街前面の王都警備隊に銃撃をしたって――」
「どういうこと? 誰がそんなことを!?」
『魅惑の妖精』亭は混乱の最中にあった。
先日、ミシェル派が武器入手の為にコミン・テルンが蓄えている武器や物資を狙っているという情報を入手してからというものの、才人達『魅惑の妖精』亭派は何時もなら貴族街に接するバリケードを守っている者達まで動員して各地の秘密武器庫の周辺を固めていたが、それが裏目に出たのだ。
しかし、単に貴族側を襲撃しただけならばここまで混乱はしなかっただろう。
問題は続けてあちこちから入ってきた報告が引き起こしたものだった。
「ブルドンネ通り前面で銃士隊が前進を始めています!」
「ラスパイユ通りから報告!――『王都警備隊が平民街に侵入を開始した』と」
トリスタニア各地から寄せられる報告の数々は確かに貴族側の平民街侵入が事実だと示していた。
「銃士隊は第一のバリケードを既に突破、前進中!」
「王都警備隊はマジャンタ通りを前進しながら避難する平民に向けて杖を向けています!」
続報が入るに連れて状況の深刻さがどんどん明らかとなっていく。
貴族側の目的はコミン・テルンの誰もがその程度であって欲しいと思っていた威力偵察といった次元をはるかに超え、トリスタニア平民街を再び制圧しようとでも言うかのように前進の勢いは止まらない。
抵抗を続ける平民達は容赦なく排除され、そしてその過程で無数の悲劇を生み出していく。
特に都市市街戦において戦闘員と非戦闘員の区別が困難な状況の中で、安全を求めて避難しようとする平民にまで貴族の杖は向けられた――猛烈な反撃に遭っている貴族の側からすれば、そんなことを識別している余裕などないのだからある意味起こり得るべくして起こった悲劇でもある。
「早く助けに行かなくちゃ!」
ジェシカがその場にいる全員に向かって言った。
しかし、直後にシエスタがそれを押し留めるような声を挙げる。
「待ってください!……もしかしたら手薄になった武器庫を狙うのがミシェルさん達の狙いかもしれません」
シエスタはそうミシェル達の目的を推測した。
今彼女達が即座に動かせるのは『魅惑の妖精』亭や武器庫の警備を行なっている部隊だが、それらを送り出してしまえばミシェル達の襲撃を阻止することは出来ない。
と言ってごく少数の人員を残していくという方法も執る事は出来ない――唯でさえ単一の部隊戦闘にかけてはミシェル達の方が上なのだ。
だからと言って極少数の部隊を銃士隊や王都警備隊に向かわせるのは戦術上の原則からしても下策だと断言できた。
しかしそれが分かっていても受け入れられない、とジェシカが反論する。
「でも、今貴族達と闘ってる人たちを見捨てるなんて出来ない!」
「――アタシは行くよ、やられっ放しってのは性に合わないからね」
椅子から立ち上がり、今にも飛び出して行きそうな表情でマチルダがそう言い放つ。
建物の外では彼女と同じように血気にはやるトリスタニアの住民達がたいした武器もないのに銃士隊や王都警備隊に向かって集まり始めていた。
彼らをそのまま行かせてはさらに大きな被害が出るのは明白だった――しかし、このままトリスタニア平民街を明け渡す訳にも行かない。
それぞれがコミン・テルン――如いては平民による革命を実現するために最良と信じる意見をぶつけあう。
その一方で貴重な時間が刻一刻と過ぎ、その間にも自発的に貴族側と闘う平民達の血が流れていく。
そんな時、部屋の一番奥に座っていたスカロンが部屋の中に良く響き渡る声でコミン・テルン議長として口を開いた。
「店は焼けてもまた建てられるし、武器もまた集めれば良いわ……でも人は生き返らない! だから――」
そうスカロンは呟いて、結論を下した。
「皆を助けに行くわ。動ける人全員で、よ!」
その言葉と共に周囲の仲間たちが一斉に準備を始める。
店の地下蔵に隠されていた大量の武器が運び出され、剣や槍は勿論、銃や擲弾までもが次々と平民街を守ろうと『魅惑の妖精』亭の前に集まった者達に配られる。
受け取った者達は次々と戦闘の行なわれている場所に向かって足早に駆けていく。
――この瞬間、トリスタニアで貴族派と平民派の全面衝突が始まった。
「頭を上げるな!狙われているぞ!」
アニエスがそう警告の声を上げた直後、彼女自身のすぐ傍を数発の銃弾が霞め飛ぶ。
当初あっけなくたどり着けるかと思われた平民街への突入は、今や城砦攻略にも等しい困難さとなって彼女の率いる銃士隊の前に立ちはだかっていた。
「くそ! まるでフルコースだ。投石に弓、それに煮えたぎる熱湯。何もしないうちにやられていく!」
もう何度目になるか分からないバリケードの前でアニエスの隣にいた副隊長代理が怒鳴るように悪態を吐いた。
トリスタニア平民街に侵入した頃は抵抗の少なさに安堵を覚えた彼女達だったが、今やその認識が見込み違いだったことを思い知らされていた。
無人だった最初のバリケードは唯の警戒線に過ぎなかった。
次のバリケードに迫る頃には既に100人を超す平民が彼女達の侵入を阻もうと集まってきていたし、それを突破した先にはさらにその数倍の平民達が集まってきていた。
彼らの手にした武器も当初は投石がせいぜいだったものが徐々に槍や弓矢、さらに銃弾までもが彼女達を狙って無数に放たれ、通りの両側にある二階建て以上の家屋の上層階からは投石や銃撃は勿論、煮えたぎる熱湯までが彼女達に向かってぶちまけられる。
まるで無数の迷路のような路地からはどこをどう回り込んだものか、側面や背後からの奇襲を受けることも度々あった――とは言ってもその大半は個々人の判断で行なわれたような統制の取れない散発的なものだったのが救いだった。
その全てを排除して銃士隊は前進を続ける。
しかし、百メイルほど前進するたびに新たな障壁に直面し、新たに集まってきた平民達との争いは続く。
おそらくこの抵抗は彼女達銃士隊だけに向けられたものではなく、同時に平民街に突入した王都警備隊にも同様に向けられている筈だった。
しかし、その攻撃は全く衰えを知らない――どころかますます苛烈になっていくと言っても良い。
特に平民街最深部に近づけば近づくほど、銃や手投げ弾などの対処の難しい厄介な相手が増えていく。
そんな攻撃に彼女達の前進速度は徐々に低下していく一方だった。
副隊長代理であらずとも悪態の一つも吐きたくなるのも当然だろう。
そんな彼女に合わせるかのように第1小隊長代理――正規の小隊長は負傷して後送されていた――も一人呟く。
「無数のバリケードの次は剣の山に槍ぶすま――銃撃の次は手投げ弾、おまけにメイジの魔法……」
そう、彼女達には貴族ではない平民メイジの魔法までもが降り注いでいる。
そんな攻撃に対してなにやら悪態を吐こうとした第1小隊長代理の視界の端に何かが写った。
直後、彼女ははそこで急に声色を変えて全員に警告した。
「熱湯、来るぞ! 防御!」
その言葉の直後、彼女の声の届く範囲にいた銃士隊員たちは一斉に頭上に盾を構えた。
本来なら装備することの無かったはずのこの盾は今や彼女達銃士隊には無くてはならないものとなっている。
そして、今もまたこの盾によって彼女達が食い止められているバリケードの横にある建物からぶちまけられた熱湯はなんら損害を与えることなく地面へと染み込んで行く。
「火薬を濡らすな――制圧射撃! 撃てぇ!」
その号令と共に数丁のマスケット銃が一斉に熱湯が放り出された二階の窓を狙って放たれる。
しかし、その瞬間を狙い済ましたかのように反対側の建物の中から銃撃の為に身をさらした銃士隊員を狙って銃撃が放たれた。
「くっ――あぁっ!」
「――第2小隊、小隊長が負傷!」
「誰か! この子の傷口を押さえて!」
銃声が過ぎ去った直後、銃士隊のあちこちで一斉に悲鳴や怒号が飛び交う。
横からの伏撃に銃士隊は一時的な混乱に陥る。
しかし、そんな状況であってもアニエスの一声で銃士隊は平静を取り戻した。
「負傷者は後送しろ! 装填ッ!」
遠くまで良く通る彼女の声に一斉に銃士隊員たちは自らの使命を思い出し、各々の為すべきことに向かって再び取り掛かる――彼女達の多くは隊長であるアニエスを信頼していたし、その指揮に従うことが最も彼女達銃士隊の損害を減らすことに繋がると理解していた。
しかし、そんな銃士隊の先頭からさらに悪い警告が発せられる。
「隊長! 前方に敵の新手が――」
しかし、その警告が言い終わられる前に火球が叫びを挙げた銃士隊員を包み込む。
さらに側面の建物に陣取った敵が再装填を終えて筒先を彼女達の方に向けるのが見えた。
「また来るぞ! 全員伏せろ!」
再び銃声が響き渡り、何名かの銃士隊員が斃れる。
しかし、それに臆することなくアニエスは命令を下す。
「銃士隊、射撃用意! 目標――前方の敵メイジ!……撃てェ!」
号令と共に無数の銃声が響き、次なる魔法を唱えるために身をさらしていた平民メイジが赤いモノを撒き散らしつつ膝を折って倒れる。
彼女達銃士隊にとってもやはり最大の脅威は魔法という高い遠距離攻撃能力と火力を持ったメイジなのだ。
そして、相手が同じ平民であれば訓練を積んだ彼女達銃士隊は半ば素人同然の相手に互角以上に戦える。
「前方の敵、突入してきます!」
銃撃の行なわれた側面の建物を制圧した第3小隊長が警告の声を挙げる。
その声を聞いた彼女は誰もが身を低く屈めた中で一人立ち上がり、腰に下げた鋭剣を抜き放つ。
中天に登った太陽の光を鈍く反射する自らの剣を手に、彼女はその場にいた総員に聞こえるように叫んだ。
「総員抜剣! 白兵戦に備えろ!」
――トリスタニア平民街は無数の銃声と喊声、そしてうめき声と断末魔の叫びによって包まれていた。
今、コミン・テルンの本部たる『魅惑の妖精』亭を目指して部下と共にトリスタニアの裏道を進みつつあるミシェル自身が引き起こした無差別貴族襲撃を皮切りとして、貴族側の銃士隊と王都警備隊の平民街侵攻――そして『魅惑の妖精』亭派の反攻に伴う大規模な衝突の真っ只中に彼女はいた。
「ミシェルさん、『魅惑の妖精』亭派はその殆どが貴族側の襲撃に対抗するために貴族街側に集結しています」
ミシェル自身がトリスタニアのあちこちに散らせた偵察員からの報告を聞きながら、彼女は部隊を率いて『魅惑の妖精』亭へと向かう最後の角を曲がる。
直後、一軒の居酒屋から大量の物資が運び出されている光景が目に入った。
大量の剣や銃と言った武器は勿論、どう使うつもりなのか火薬を収めた火薬箱までもが『魅惑の妖精』亭の地下やその周囲の建物から運び出され、前線で戦う人々に向けて運搬するための馬車に積み込まれつつある。
そしてその運搬に当たっている人々の多くは使用可能な武器を手にしていない――片手に武器を抱えた状態で大量の物資を運ぶなどということは非効率極まりないためである。
勿論、武器そのものは目の前に無数にあるが、彼らはそれを即座に使用することは出来ない――例えば剣は運搬・保存しやすいようにしっかりと鞘に収められているし、燧石式のマスケット銃を装填した状態で荷車に積み込む者など誰もいないからだ。
「残っているのは残った武器を前線に運び出している一部の部隊だけです」
傍らで同じく状況を確認した仲間のその言葉にミシェルは計画の成功を確信した。
「よし、一個分隊を率いて輜重の前方に回れ」
副官格の仲間にそう指示を飛ばすと彼女は駆けるのではなく、わざと威圧するように隊列を整えて『魅惑の妖精』亭の前に進み出て腰に吊るしていた短銃の一丁を手にとり、上空に向けて引き金を引いた。
「全員動くな!」
乾いた銃声の直後、『魅惑の妖精』亭の前にミシェルの声が響く。
その直後、搬出に当たっていた人々の多くは突如として出現した武装集団を目にして誰もが凍りついたようにその動きを止めた。
しかし、一拍を置いて自らが襲撃されたという状況を理解した一部――『魅惑の妖精』亭から貴族街方面に向かう方向にいた荷馬車の一部が鞭を大きくしならせて走り出そうとした。
そんな彼らに向けられたのは前方に回りこんだ別働隊の銃口だった。
今度は短発ではなく連続した銃声が響く。
「動くなと言っただろう!」
未だ銃口から硝煙の漏れる短銃を片手にミシェルが改めて告げた――それは従わなければ次は容赦しないという警告でもあった。
しかし、そんなミシェルの前につかつかと足を進める人物がいた。
「あなたは今自分が何をしているのか分かっているんですか!?」
そうミシェルに詰め寄るシエスタの声は堂々とした響きだったが、そう言ったシエスタ本人の体は恐怖故かかすかに震えている。
それでも彼女はその場――『魅惑の妖精』亭から搬出に当たっている人々の代表者としてミシェルを初めとする襲撃者達に立ち向かった。
「当たり前だ、我々は今も平民の為に闘っている」
そんなシエスタにミシェルが答える。
ミシェルからすれば貴族への復讐はオラドゥールを初めとして今まで無数に苦しめられた平民達の恨みを果たすための正当な行為であり、貴族を殲滅すれば必然的に平民はそれまでモノのように扱われ搾取されてきた階級社会から解放されることになる、ということになる。
そして、そのためにはもっと大量の武器や物資が必要であるからこそ、彼女はこの行動を起したのだ。
「――シエスタ、貴様もあの貴族どもを守るというのか?」
そんなシエスタにミシェルは尋ね返した。
勿論、そこでシエスタが「そうです」などと言おうものならミシェルは即座に腰に下げた鋭剣を引き抜くもりだった。
「勘違いしないで下さい! 貴族なんて正直どうでもいいです!」
そう思われることは心外だ、とばかりにシエスタが強い言葉で答える。
言うまでもなく、彼女が守りたいのは貴族などではない。
――彼女が本当に守りたいのは人々を守るコミン・テルンの理想だった。
人は生まれつき自由に生きる権利を持っている。
しかし、自分の力だけで自身の権利を守ることが出来るの人間はごく一握りの人間でしかない。
同じ人間だけの社会の中でさえそうなのだから、オーク鬼や吸血鬼と言った強い外敵を持つハルケギニアではさらにその数は限られる。
だからこそ、弱い力しか持たない人々は“自分達の権利を守る為に政府を組織する”、と彼女の曽祖父は言っていた。
そして、コミン・テルンはそんな弱い人々――すなわち現在の王政府に権利を奪われている平民階級のための政府として創られたのだ。
そんなコミン・テルンに一度は参加したミシェル達が今はその手にした武器という“力”を持って貴族という人間を無差別に襲う、という行為が決して許せないだけなのだ。
しかし、そんなシエスタの言葉を誤解したのかニヤリと笑みを浮かべたミシェルが口を開く。
「ならば簡単なことだ、我々に武器を引き渡してもらおう」
そうミシェルはシエスタに告げた――もちろん、我々は新しい“同志”を歓迎する、と付け加えて。
「お断りします、と言ったらどうなるんです?」
ミシェルの誤解に肝が据わった、いやさらに怒りの度を増したのか――先程よりもさらに強気な態度でシエスタがそう問いかける。
シエスタの質問に意外そうな顔をしてミシェルはさっと右手を掲げた。
「構え!――撃てッ!」
直後、ミシェルの背後から響いた号令と共にトリスタニアの平民街の最深部――『魅惑の妖精』亭の前で連続した銃声が響き渡る。
次の瞬間、あまり質が良いとは言えない木造の壁に無数の穴が穿たれた。
加えて壁との衝突で勢いを減じたとは言え、未だ十分なエネルギーを持った銃弾が内部の装飾に被害を及ぼしたのだろう――建物の内部からは家具やガラスの砕ける音、さらに怯えた誰かの悲鳴も聞こえる。
数秒後、薄まった硝煙の向こうに一瞬のうちに無残な様相を呈することを強制された一軒の居酒屋が目に入った。
――壁には無数の銃撃痕が穿たれ、かつて“トリスタニア一の名店”と銘打たれていた面影は感じられない。
それを示すかのように、店の入り口付近に掲げられた古びた看板は今やただの木片と化し、穴だらけとなった看板はその自重を支えきれずに一拍を置いて、他の粉々になった破片とともに地面へと落下した。
「今のは……銃声?」
侵攻してくる貴族派を食い止めるべく貴族街方面に向かって進んでいた才人は背後から響いた無数の銃声を聞いてふと立ち止まった。
無論、前方からはそれを圧倒的に上回る戦場音楽が響き続けている。
実際にミシェル達の放った2回の警告の銃声は今よりも『魅惑の妖精』亭に近い場所にいた筈の才人達に届くことなくトリスタニア中を包み込みつつある戦いの騒音に飲み込まれていた。
「うちの店の方向ね」
同じく、その銃声が聞こえたらしいスカロンが答えた。
「おそらく、ミシェル派の襲撃」
そうぽつりと予測を洩らしたのは才人の隣にいたシャルロットだった。
「……」
予想された中でも最悪の状況にその場にいる誰もが足を止めて沈黙する。
今、この場で引き返すというのは簡単なことでもあるが、しかしそれは逆に言えば、残っているシエスタ達を救うために今貴族側と闘っている人達を見捨てる、ということでもある。
かと言って戦力を分散することも出来ない――貴族側に押されている人達を救うためには一人でも多くの戦力が必要となるし、襲撃してきたであろうミシェル達の戦力は全く不明で中途半端な戦力を送り込めば各個撃破される危険も高まる。
誰もが決断しかねる状況の中で口を開いたのは、やはり先程最悪の予想を口にしたシャルロットだった。
彼女は才人の方に向き直ると、ぽつりと彼女の決意を伝えた。
「ここは私たちがなんとかする」
彼女はそう才人に告げた。
身内であるが故に冷酷な判断を迫られていたスカロンもまたその言葉に同意する。
「――行って」
シャルロットはそう告げて再び貴族街の方向に向かって走り出した。
同じくスカロンは太い腕で才人の両肩を掴むと「シエシエを助けてあげて」と言葉をかけた。
「わかった」
そう頷くと才人は一人来た道を駆け戻り始める。
スカロンはそんな才人の背中を一瞬眺め、次の瞬間にはくるりと背を向けると、持ち前の野太い女言葉で共に進む仲間達に向かって叫んだ。
「さぁ、行くわよ! マドモアゼル達!」
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
>麦のんが誰だかわからなかったのは俺だけではないはず
(マクロスF風に)ご存知、ないのですか!?彼女こそ、秘密組織アイテムのリーダーにして学園都市第四位に君臨する、原子崩し、麦野沈利さんです!
詳しくは鎌池和馬氏著【とある魔術の禁書目録】シリーズをお読み下さい。
特に、麦のんの大活躍の読める15巻・19巻は絶賛発売中(たぶん)です!
……でも前回ご報告したようにしばらく封印予定(涙)
代わりに気が向けば(出来が人目に晒せるレベルなら)佐天さんの話をひっそりとチラ裏にでも投下するかも知れません。
10/08/07
二回目の改定を実施