――――――――――――コツ、コツ、コツという一人の男の足音が響く。
かつて王宮として用いられ、先日までアルビオン革命貴族達による評議会議事堂として使用されてきたロンディニウムの旧王城。
正式名称、ハヴィランド宮殿。
多くのものはその外見からホワイト・ホールと呼ぶその重層な石造りの建物。
今は再びその主を代え、事実上アルビオンを制したある少女のものとなったその内部は「権力」や「権威」といったものが示す怜悧さと重苦しさを醸し出していた。
その最深部、かつて謁見の間として使われていた場所へと繋がる、広く高い廊下をワルドは進んでいる。
腰には剣を模した軍杖。
頭には羽をあしらったつばの広い帽子をやや斜めに被り、周囲の者にその表情を伺わせ難くしている。
彼に続くものは居ない。
彼はあくまでこの建物に住まうある人物の“婚約者”という資格でこの場を歩いているのだから。
しかし、そんな彼の内心は自らの“婚約者”に対する憎悪と恐怖で埋め尽くされていた。
かつてトリステインで王室警備を担当する魔法衛士隊の隊長として、そしてレコン・キスタでクロムウェルの片腕として活躍した男は、今再びその「主」を変えようとしている。
いや、今彼が決意と共に討とうとしている存在は正確には「主」ですらない。
ただ一つ言えることは、彼は再び立ちはだかる『壁』を打ち破る――自らの目標を達成するために行動することを決意し、行動している。
彼が未だ少年と呼ばれるべきであった10年前に目指したものは自らが“正当に”認められることであった。
両親の死によって早くから「社会」に放り込まれた彼が有形無形の嫌がらせや妨害の中で決意した目標だった。
ある意味で幼い、と思われるかもしれない目標ではあったが、彼はその目標を追い求め、自らの魔法の力を頼りにただひたすら経験と実績を積むことによって、ついに実戦軍人としての頂点である魔法衛士隊の隊長職を手にするまでに至った。
しかし、彼がその地位に就いて暫く後、彼は自らに立ち塞がる壁の存在に気付いた。
貴族階級による壁。
それは伝統を重んずるトリステインでは決して乗り越えることの出来ない厚く高い壁だった。
そんな閉塞感を前にして彼はレコン・キスタという自らの壁を打ち砕いてくれると信じた組織に身を投じた。
旧来の王族という権威に代わる“虚無の担い手”という新たな権威はアルビオンをほぼその一手に収め、彼もまたこれまでには得られなかった地位を約束された。
それは彼の目指していた『ハルケギニアを動かすような貴族』への第一歩であった。
ようやく彼の手に届きつつあったその成果はクロムウェルの死後も失われることはなかった――そう、彼の婚約者の目指すものが明らかとなるまでは。
彼の婚約者としてこれまで彼の日陰に立つ筈だったその少女が目指すもの、それは彼の理想とは全く異質であり、それは彼の常識――すなわちハルケギニアの常識を超越したものであった。
彼女はハルケギニアにおいてその社会制度の根幹を成す貴族――そしてその権威を全て否定した。
否定されることにより区分を失った彼らは“ただ一つの階級”に(必然的に上位であった筈の貴族を下層に)集約される。
同時に“ただ一つの階級”に集約されるということは、今まで貴族に「与え」られたとされてきた所領、そして支配されていた領民という存在を消去すると言うことでもあった。
かつて国内に無数にあった貴族達の所領――例えて言うならば「分国」という制度は『アルビオン』という“ただ一つの国家”のものに帰属し、その存在を失う。
無論それらを実施するにはこれまでの既存利益を享受してきた貴族達の反発を覚悟しなければならない。
唯でさえアルビオンはハルケギニアの中でも王権に対して貴族の権限が強く、シティ・オブ・サウスゴーダに見られるような自治議会という半ば共和制に近い伝統を誇っていたのだからなおさらだった。
故に、彼の婚約者はその実施に際して絶対的な頂点を志向した。
超越的で絶対的な頂点でなければ決して自らの望む様に世界を変えることは出来ない――それを彼女は身をもって知っていたのだ。
かつて護国卿を名乗ったクロムウェル。
実際の「力」を持たず、既存権力の調整者として、あるいは傀儡として自らの地位を得たが故に彼は滅びた。
その轍を踏まず、自らの理想を実現する為に、彼の婚約者はこの『アルビオン』という国に存在するあらゆる人々を自らの理想へと導く存在となることを望んだのだ。
……拒絶する者に対しては彼女がその死すら与え得ることを示すことによって。
それはある意味で非常に原始的であるように見えるけれども、彼女のみがその「無制限な物理的暴力行使」を認められるという点でこれまで存在してきた貴族達による封建制とは全く異なった意味合いを持っている。
『アルビオン』という領域内での無制限な“力”の行使はアルビオンの絶対的な頂点である彼女自身に限られ、彼女以外の人物や団体は彼女の認める範囲内でしかその行使を認められない――封建制の下では自らの所有する所領の領民や資産に対する無制限な“力”の行使が認められていたのとは対照的でもある。
言い換えれば、それはこれまでの貴族連合の長ではなく、完全なアルビオン一国の支配者、いわば「独裁君主」とでも言うべきものであった。
つまり、完全なる中世的貴族制や共和制の否定――総てを統べる“ただ一人の指導者”によってハルケギニアの社会構造を自らの望むままに作り変えることをルイズは目指したのだ。
その理想が具体的に形を持ち始めた時に至って彼はようやく気付いた。
――彼と彼の婚約者の目指すものが根本から大きく違っていることに。
ワルドは広く、暗い廊下を進み続ける。
そんな彼は心の中で呟いた。
(――魔女め)
彼は自らの婚約者のことをそう内心で罵った。
共にハルケギニアの社会制度の中では満たされることの無かった二人。
そんな二人が奇しき縁から婚約者となった。
ある男はただひたすらに自らの望む地位を目指して空に向かって伸びる梯子を登り続けた。
周囲の連中が位階という羽を得て楽々と登り続ける中で彼はひたすらに自らの肉体に備わった能力だけを頼りにして黙々と努力をし続けたのだ。
そして、彼は自らの登る梯子が途絶えていたことを知った。
その事実を知った彼はいままでに登ってきた梯子を棄てた。
トリステインという梯子を棄て、『レコン・キスタ』という新たに伸びる梯子を掴んだのだ。
しかし、その『レコン・キスタ』は既に無い。
盟主であったクロムウェルの死、そしてガリア両用艦隊侵攻による瓦解を経て、いつのまにかこのアルビオンは事実上彼女の婚約者のものとなっていた。
――思えば最初から異常だった。
粘ついた、まるで女性的な感情の命ずるまま、彼はそう考えた。
自らレコン・キスタに接近するかのような行動。
ウェールズ暗殺の時に見せた突然の狂態。
初めてクロムウェルに謁見した時の異常な応対。
そしてなにより戦場での身勝手な、それでいて誰も並ぶ事の出来ないあの“力”。
その全てが彼にとって見れば常識外れの存在であり、まるで御伽噺に出て来る魔女の振る舞いそのものだった。
いや、何時の間にかアルビオンを手中に収めつつある現状を見れば、魔女というよりは吸血鬼に近いのかも知れないとさえ彼は思った。
ハルケギニアでエルフの次に恐れられる吸血鬼は、ある日突然ふらりと村に訪れ、自らの手下となる屍人鬼を駆使しつつ何時の間にかその共同体を自らのモノとしてしまう。
村人達は日に日に減っていく隣人の存在や吸血鬼を恐れるが、しかしついに吸血鬼を見つけ出すことは出来ない。
それは日中の吸血鬼は人間に偽装し、人間の生活の中に紛れてしまっているからだった。
――そう、まるでかつてレコン・キスタに潜り込んだあの女の様に。
つまりのところ、レコン・キスタはその中心人物であったクロムウェル自らの命令によって滅ぼされたのだ。
クロムウェル自身が引き入れることを命じた彼の婚約者によって。
そんなワルドの下にはルイズを快く思わないものの、さりとて滅ぼされたくは無いという貴族が集っている。
ヨーク公やランカスター伯という本来集うべき有力諸侯が既にこの世に存在しなかった(ヨーク公を暗殺したのは他でもないワルド自身だったが)からこそ、という理由もあったものの、彼はそうして彼自身の派閥を作ることに成功してもいたのだ。
驚くべきことに今の彼が動かすことの出来る兵力は実に2万人を越えていた。
その大半が依然として対トリステイン戦争時から雇われ続けている傭兵や徴集された農民兵(故にその規模と各地に分屯していることから迅速な行動は不可能でもある)であったとしても、その軍勢を統括する彼の下に集ったアルビオン封建貴族の数が尋常ではないことが窺い知れた。
しかし、それほどの数であるにも関わらずワルドは安心しては居なかった。
ルイズが直接動かせるのはあのいけ好かない盲目のメイジ――白炎のメンヌヴィルを初めとしたせいぜい3000人程度でしかないが彼は決して油断などしていなかった。
出来よう筈もない。
彼は見ていた――今の彼が討ち果たそうとしている彼の婚約者がたった一人でハルケギニア最大を誇るガリア両用艦隊を壊滅させた瞬間を。
ならば、彼の下に集った兵力の数に何の意味があろうか。
だからこそ、彼は奇襲を選んだ。
あの少女――ルイズ・フランソワーズこそが現在の彼に立ちはだかる壁であるということを認識して以来、彼の行動はその一点に集約されていたのだ。
彼の婚約者の唯一の弱点、それを彼は知っていた。
いかな虚無の担い手と言えども数万の軍勢を吹き飛ばすには十分な詠唱時間が必要である。
でなければ巨大な精神力を注ぎ込めない。
あるいは対人戦闘において短小節の“爆発”を使う場合にもそれは作用する。
かつてウェストウッドの森で目撃したルイズの十分な精神力の注がれていない攻撃は『土くれ』――土のトライアングルの攻撃を辛うじて防ぐ程度でしかなかった。
ならば、メイジの力の源泉である杖を――彼女に杖を振る暇を与え無ければ良いのだ。
そのために彼は手駒を揃えた――ルイズが決定的な一撃を放つ暇を与えないために。
ワルドにとって彼らの存在は護衛を引き付けるための単なる捨て駒でしかない。
能力的にもかつて目撃した『土くれ』――怪盗フーケに及ばない彼らはルイズの相手はおろか、おそらくあの盲目の傭兵にも及ばないかもしれない。
しかし、それでもワルドにとっては何の問題も無い。
おそらく彼らが自らの命の代償に――彼はその実力差から一度戦闘に入ってしまえば彼らは逃亡することすら不可能だろうと判断していた――稼ぎ出した時間の間にその目的を達するのだ。
彼はその為だけに『遍在』すら可能にする使い手を惜しげもなくあの不遜な炎のトライアングルに当てることにした。
さらにロマリア宗教庁から派遣された聖堂騎士団の使い手も加わる予定であった。
それでも彼の不安材料は消えない。
その不安を打ち消すために遥かロマリアの協力までも得たにも関わらず、彼の婚約者――ルイズ・フランソワーズという少女の存在は彼の内心に重く圧し掛かる。
そう――彼にとって婚約者であるルイズの目指す理想は決して受け入れられないものなのだから。
暗く、長い廊下にようやく終端が訪れる。
そして巨大な扉を押し開いた彼は、そこに居るであろう自らに似て非なる存在である少女に声をかけた。
「やぁ、ルイズ」
ワルドはかつて玉座として使用されていた席でつまらなさそうに佇み続ける婚約者にそう挨拶を交わした。
そんな気楽な声色とは裏腹に、さすがのワルドも彼女を前にしてじっとりとした汗が手袋をした手のひらに浮かび上がってくるのを感じずにはいられない。
今まで数々の要人を暗殺し、また戦闘を経験してきた彼であったが、現在の事態を前に自分が初めて人を手にかけた時のように緊張していることに気付いた――とっくの昔に彼女を除くことを決意し、もはや彼一人では取り返すことの出来ない状況に身を置いたにも関わらず、だ。
あるいは無意識のうちに彼女がかつてガリア両用艦隊を一撃で吹き飛ばした光景を思い出し、その時抱いた感情をぬぐえないのかもしれない。
それでも、ここで彼女に違和感を覚えられては計画が失敗に終わる。
ワルドは彼の地位をここまで至らしめた驚くべき精神力を持って意識的に普段通りの彼を演じる。
――それに今の彼を見つめている筈なのは目の前の少女だけではない。
彼が抱いた「目標」。
ある意味で幼年期特有の幻想だったのかも知れない。
母を早くに失った彼が「他者に認められる」ことを目指したあがきだったのかもしれない。
それでも尚、彼は求めずには居られなかった。
それが彼にとっての全てであり、その目標を否定することは彼の半生を否定することだったのだから。
しかし、彼のそんな目標には大きな矛盾があった。
それはメイジの区分による“実力主義”というものと同時に“貴族”という階級に拘った彼の矛盾点でもある。
その矛盾点とは、『貴族という権威の格付けには外部にそれ以上の権威が必要とされる』という点である。
“貴族”という称号は誰もが勝手に名乗ることが出来ないが故にその価値を生む。
例えるならば、どこかの浮浪者が“公爵”を自称したところでだれもそんな人物に敬意を払うことがないのと同様に、名誉という価値のある称号を与えるためには誰もが認める公的な権威が無くてはならない。
かつて“子爵”を名乗った彼の名誉を保証していたのは彼自身が忌み嫌ったトリステインの固陋な伝統的権威であったし、あるいは“虚無の担い手”としてアルビオン貴族達が認めたクロムウェルの権威であった。
その権威そのものが失われた今、彼が新たな「権威」を求めたのは不思議ではない。
そんな彼の求めた新たな「権威」――それは彼に新たな未来を約束している。
おそらく、何処からか彼の求めた「新たな権威」は彼の一挙手一投足に注目している筈なのだから。
(……そろそろ頃合だね)
ワルドがルイズに言葉を投げかけた事を確認した少年は身を預けていた石柱から背を離した。
自然な仕草で二人を見下ろすことの出来る中二階の窓際の回廊に立つ。
彼に自覚は無いが、傍目にはその動きは非常に洗練された動きに見える。
ガラス越しに背後から満月の月明かりを受けつつ、彼はこの場には場違いな挨拶をした。
「――こんばんは、いい月夜だね」
そう言ってベランダの外に場違いな微笑を浮かべて佇んでいたのは、金髪の少年だった。
絶世の美少年――そう評しても違いない少年の顔には特徴的な左右の色の異なる目が輝いている。
唐突に現れたそんな彼の声に素早く、しかし余裕を失わない仕草でルイズは振り向いた。
「誰?」
純粋で全くその目的を疑いようの無い質問が投げかけられる。
ルイズのその質問に答える気も無いまま、眼下の二人を見下ろし続ける。
そんな彼には、彼の視界の端に映るワルドが内心で舌打ちしたことが手にとるように分かった。
当初の予定通りならば、彼の登場は遥かに後――ワルドが自らの婚約者の警戒心を解かせた後に行なう筈だった。
なぜならば、彼らの目標である「虚無の担い手」に対抗するにはまずその刃が届く所まで自らを送り込まねばならないからだ。
彼女の戦闘能力で特筆すべきは二つ。
一つはあらゆる系統魔法の及ばない巨大な破壊力。
その一撃は所謂“失敗”魔法でさえ歩兵一個中隊を吹き飛ばすほどの威力を誇る――ガリア両用艦隊を一撃で殲滅した虚無魔法については言うまでもない。
もう一つは驚くべき短縮詠唱によるその即応性。
系統魔法ならば発動に失敗すれば何も起こらず、込められた精神力は霧消する。
しかし、(簡潔な共通魔法を使用した“爆発”だけでなく)虚無魔法ならばその詠唱を途中で中断しても発動し得るのだ。
これらのことが意味することは――空間こそが彼女の防壁である、という点である。
彼女は戦闘で平民に対して高い火力と遠距離攻撃を可能にするメイジが常に優位に立つように、あらゆるメイジに対してその破壊力と即応性の優位を誇っているのだ。
すなわち、空間のもたらす時間的優位こそが彼女の強さの秘訣なのだ。
勿論、そんなことはジュリオにはとっくに判っている――彼はロマリアの「担い手」に召喚された「使い手」なのだから。
しかし、問題はその“空間”に誰を送り込むべきか、という点だった。
並のメイジでは近づくことすらままならない。
だからこそ彼女に憎しみを抱きつつ最も近づける人物であるワルドを使ったのだ。
しかし、今の彼が言い放った言葉はまるでわざわざルイズに警戒心を抱かせる様だった……実際にそれが目的なのだから当然だ。
おそらく今のワルドの内心は怒りと焦りで煮えくり返っていることだろう。
そんなワルドの様子を気にもかけない様子でジュリオはルイズを見下ろしながら、適当な社交辞令に等しい美辞麗句を並べ立てた言葉を紡いだ。
「こんな真夜中に、あなたのような高貴な女性の部屋を訪れるには少々無作法だったかな?」
そう言葉を紡ぎながら彼は自らの主人によって与えられた目的について頭の隅で思い浮かべた。
ロマリアに伝わる伝承によれば、“虚無の担い手”と“使い手”の四の四が揃った時、「聖地」への道が開くと云う。
ならば、すべからく虚無の担い手は「聖地」への道を開くために集わねばならない。
何故ならば、それこそが偉大なる“虚無”を始祖が“担い手”に与えた理由であり、担い手がこのハルケギニアに存在する唯一の意義でもあるからだ。
彼らが始祖の遺志によって力を得た以上、そこに彼ら個人の自由意志は介在し得ない。
彼らの存在は始祖が許した給うたが故であり、始祖の遺志の為だけに存在するツールでしかないのだ。
少なくともロマリア宗教庁教皇、聖エイジス32世――かつての名をヴィットーリオと言う男はそう考えていた。
“正しき”神の教えを捨て、トリステインで死んだ自らの母の死さえも「神の裁き」と言ってのけた男にとって“虚無の担い手”という存在はその程度の存在でしかない。
そう言った意味で彼に付けられた渾名“新教徒教皇”という名はその本質を見事に捕らえていたとも言える。
彼はこれまでロマリアを支配し、信徒達からその財を貪っていた歴代教皇やその取り巻き共とは決定的に違っていた。
教皇の権威を形骸化し、権益から上がる利権や利潤を貪っていた枢機卿達を引き摺り下ろし、自らはただ清貧に教皇としての勤めを全うする――そんな彼はある意味で旧教徒達と対立する新教徒達と同じ方向を見ていたように見える。
しかし、彼の目的は「始祖の遺志を全うする」事だった。。
6000年前に死んだブリミルという男の残した遺訓をただ純粋に、ただひたすらに追い求める彼は自らの地位に伴う春を謳歌することは無かった。
彼にとって見れば“教皇”という地位は「始祖の遺志を全うする」為の手段に過ぎなかった――単にその地位にあることが始祖の遺訓である『聖地』の奪回に役立つ、という為だけに彼はその座を手にしたのだ。
そんなヴィットーリオにとって見れば、始祖から“力”を与えられておきながら始祖の遺志を継ぐどころかあまつさえ始祖の残した遺法をも否定する存在となった“担い手”の存在など許容出来るはずも無い。
可能ならば担い手を彼の目指す「聖地」奪還へと協力させること。
無論、その為の手段は問われない――彼にとって見れば、“担い手”とは始祖の残したその目的の為だけに存在するのだから。
そして、それすら不可能な場合は――
そこでジュリオは改めて眼下の少女を見つめる。
――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
気の強そうな整った顔。
流麗で見るものを惹き付けずには居られないストロベリー・ブロンドの長い髪。
あらゆる人物が一目置かずに入られない彼女は、まるで自分がそこに存在することが当然であるような雰囲気すら発している。
……それは彼がひっそりと思いを寄せる蒼髪の少女とは全く対照的な存在だった。
そんなルイズの存在にジュリオは内心にどこか表現しきれない不快感を抱く。
つつましくロマリアの果てにある牢獄のような修道院で世界から切り離されたまま暮し続けるあの少女。
そんな蒼髪の彼女と目の前の少女の落差を思わずには居られなかったのだろう。
そして、ふと彼の主人の言葉を思い出した。
それはヴィットーリオがロマリアに伝わる始祖の秘宝から示された言葉。
『……もし、四の担い手、四の使い魔、志半ばでそのいずれかが欠けても“虚無”を受け継ぐものは諦めるなかれ。“虚無”は血を継ぐ他者に目覚めん。虚無を担いし者は、その他者を見つけ出せ。そして異教より“聖地”を取り戻すべく努力せよ』
この言葉を彼の主人はこう解釈した。
「始祖の遺志」が聖地を目指す限り1人の“担い手”が消えたとしてもその代わりに“新たな担い手”が現れる。
故に、現在の“担い手”が始祖から与えられた存在意義を放棄したならば、その担い手がこの世界で生きている必要が無い。
ならば、適切な行動の後、改めて彼らはその“新たな担い手”を見つけ出せば良い。
それがブリミル教最高指導者であり、彼の主人でもあるヴィットーリオの決定だった。
そしてそんな男の「使い魔」たる彼に与えられた任務はそれだった。
可能ならば“担い手”を始祖の遺志に適えさせること。
それが出来ないならば、行動せよ――異端の使い手を抹殺し、新たなる担い手を見い出すために。
「我らが親愛なる聖下はこのように仰られた――」
彼はそうハルケギニアで最も神聖であるとされた男のメッセージを伝えた。
その内容を彼の口調で要約するならば、以下のようになる。
『アルビオンを正しき者達に“返し”て、聖下と共に“聖地”へ向かうつもりは無いかな?』
勿論、ジュリオには彼女がその言葉に応じる気が無いのはわかっていた。
いや、まるで“上から”与えてやるというような言い草では目の前の少女に例え応じる気があったとしても受け入れることは無いだろう。
そして彼は止めとばかりに付け加えた。
「――今なら丁度、第九次空中機動聖地奪回軍が教皇陛下の祝福を終え、準備を整えていることでもあるし」
そうジュリオはにこやかな顔のまま冷酷な脅迫を行なった。
第九次空中機動聖地奪回軍。
名称こそまさに“聖地”を目指す聖戦の尖兵である。
しかし、同時に実際の運用面ではその高い戦略的機動力を生かしてハルケギニアの何処にでも展開出来る。
事実、彼の言った“第九次空中機動聖地奪回軍”は既にアルビオン沖に展開しつつあり、ヴィットーリオの命令――直接的にはその信任を得たジュリオの指示がひとたび下れば直ちにこのロンディニウムへとその進路を向けることが可能であった。
また、彼は口に出していないが、この聖地奪回軍は特に異端狩りを専門に編成された部隊――狂信的な信仰に支えられた対人戦闘のエキスパート達によって構成され、その戦闘力は額面よりも遥かに強力だった。
彼らの一部はジュリオ自身と共に既にアルビオンへ入り、ワルドの用意した手駒と共に発動の時を待っている。
そう、ロマリアの宗教庁にとって見れば、アルビオン進駐は聖戦完遂の為の前菜に過ぎないのだから。
「……いやよ!」
そんな脅迫に対してルイズははっきりと拒絶の意を示す。
きっぱりと口に出されたその言葉を前にジュリオもまた仕方ない、という風に首を竦めて言った。
その仕草はまるでそっけないものだったが、誰もが振り返らずに居られない美少年である彼が行なうとまるで芝居がかったような仕草に見える。
「そうか、残念だね」
しかし、その言葉とは裏腹に表情には全く残念そうな色は無い。
そして彼はもう一度だけ呟いた。
「――本当に残念だ」
その直後、旧評議会議事堂が無数の小振動に揺れ、同時にあちこちから何かが壊れる音が響き始める。
トライアングル級メイジの魔法によるものと思われる爆発音すら混じった轟音の中でまるで歌う様な魔法詠唱が聞こえ、風の具合によるものなのか、時折そこに破壊音以外の甲高い断末魔の声すら混じる。
それの意味する所は一つ。
ロマリアは彼女を実力でその地位から引き摺り下ろすつもりなのだ。
彼女がそう確信した時、そんな状況の中であるにも関わらず彼女の婚約者――ジャック・フランシス・ド・ワルドはまるで愛を囁くような場違いな声色で彼女に囁きかけた。
「ルイズ――ルイズ・フランソワーズ」
事を起こす前に自ら声をかける暗殺者、というものには明らかに違和感が存在する。
それは「暗殺」というものの持つ最大の利点――“最も無防備な相手に最も都合良く攻撃を仕掛ける”という点を自ら失うようなものだからだ。
声をかけられた相手は必ず声をかけた対象に意識を向ける。
だとするならば、その時点で本質的な意味で「奇襲」という意味は失われたことになる。
しかし、あえて彼はそうした。
ロマリアの助祭枢機卿の犯した“ミス”を補い、確実に目の前の少女を屠る為には仕方が無い。
彼は自らの身を予定よりも危険に晒すことによって目的を達成しようと瞬間的に判断し、行動した。
「――死んでもらおう」
そうワルドは優しげに宣告した。
彼の婚約者の注意はベランダの上から見下ろすようにして語りかけたジュリオだけでなく彼自身にも注がれる。
しかし、それは同時にジュリオとワルドという人物のみに彼女の注意が注がれていることも意味する。
それこそが彼の真の狙い。
――そう、襲撃者は彼自身であると同時に、彼自身ではないのだから。
ワルドがそう告げた次の瞬間、突如として彼女の背後から姿を現した4体の『遍在』が一斉にルイズに向かって襲い掛かった。
切磋に彼女も自らの杖を取り出し、応戦しようとする。
しかし、彼らの方が早かった。
事前に魔法によって作り出された4体の『遍在』は彼の二つ名――“閃光”に恥じない速度で彼女に迫り、「ブレイド」の魔法を纏わりつかせた軍杖を少女の体に向かって突きたてる。
魔法を帯びた4本の杖がルイズの背中に突き刺さり、まるで彼女の扁平な胸から生えたかのように赤い鮮血と共に飛び出した。
彼女の体が一瞬、短く痙攣し、一拍を置いてボタボタと大量の血液が床の上に零れ落ちる。
そして、何が起きたのか分からない、と言った表情を浮かべた彼女の口からはゴボリ、と血の固まりが吐き出されると同時にその瞳からは光が失われ、右手からは咄嗟に取り出そうとしたワンドが握られることなく滑り落ちていく。
落ちた杖はカラン、という乾いた音を立てて大理石の床の上を数度撥ね、転がり、後から床の上を追いかけるように広がる赤い液体の中に沈んでいく。
同時に彼女の全身から急速に力が抜けていく姿が誰の目にも分かるほど明白に映り――そのまま彼女のか細い体は自らが床の上に撒き散らした赤い液体の上に力なく崩れ落ちた。
そんな彼女の姿を眺めながら、ワルドは自らの婚約者だった少女に別れの言葉をこう贈った。
「――さよならだ」
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
感想欄が荒れ始めてるみたいですね。
私は基本ノータッチなのですがあまり酷いと削除依頼するかもしれませんのでコメする方もそのつもりで宜しくお願いします。特に個人名で誹謗してる方とか自作の宣伝してる方とか。
もちろん、作品に対する批判・感想はどんなものでもお待ちしています。
10/08/07
二回目の改定を実施