――――――――――――ロンディニウム、デハヴィランド宮殿。
徐々に近づいてくる外部での戦闘音が響く。
その戦場音楽には爆発音や鉄同士が打ち合わされる音に加えて無数の人間の挙げる叫び声が含まれる。
それは自らの勇気を奮い立たせる鬨の声であり、また自らの最後を彩る末期の叫びでもあった。
しかし、その最深部にあるこの場所は打って変わって、そんな喧騒とは全く逆であった。
部屋の中には3人の人物が佇むのみ。
そして、その内の一人――傍目には最も非力に見える少女が、磨き上げられた大理石の床の上に広がった自らの血の海に倒れこんでいた。
「――さよならだ」
そうワルドは仰向けに倒れこんだ自らの婚約者に向かって淡々と告げた。
胸部に大穴を4つも開けられたにも関わらず、未だ絶命には至らないのか、ルイズは虚ろな表情を浮かべていた。その整った顔を自らの血で汚しつつも、焦点の合わない視線をワルドに向けているようにも見える。
彼女の顔は美しかった。
ワルドにとって決してその存在を認められないとは言え、それでもその表情は彼の心を惹きつける程可憐だった。
崩れ落ちた拍子に乱れた髪でさえ、まるで誰かを誘惑するかの様に無防備に寝台の上に横たわっているかのように見え、何処か精気の失われた表情はまるで達した後のようにすら思われた。
そんな少女の姿を前にしてもワルドはその冷静さを失っていないように見える。
しかし、内心は全く逆だった。
その証拠に先程まで目の前の少女を刺し貫いていた4体の『遍在』は溶ける様にして消えていた。
彼は余裕すら感じさせる心の底からの笑みを浮かべたまま、両手を何度も握っては開き、また再び握る。
その目にはまるでこれまで彼の上に重く圧し掛かっていた何かを除いたことに伴う愉悦の色があった。
そんな、ある意味で極限までの喚起と興奮の局地の中にいたワルドに声がかけられた。
「ご苦労だったね」
その声の主は先ほどからじっと静かに目の前で静かに興奮するワルドをただ見つめていた。
白い神官服に身を包んだジュリオは彼を称えようとするかのように、ゆっくりと歩き出す。
そんな彼の左右異なる目には喜びと同時に何処か冷酷な色が浮かんでいた。
しかし、その瞳の色はジュリオの長く垂れ下がった前髪に遮られてワルドの視界には入らない。
「約束どおり、教皇聖下は貴殿を下にも置かない扱いをされるとの仰せです――始祖の大御心に反したとは言え、伝説の“虚無の担い手”を手にかけた異端者として、ね」
そう言った直後、ワルドの脇腹に焼けた鉄の棒を差し込むかのような痛みが走る。
「くぁ……貴様ッ! 何を――」
跳ねるようにして距離をとったワルドの脇腹から赤い鮮血が零れる。
同時にジュリオの右手に握られた血に染まった短剣の姿が顕わになる。
「貴方はアルビオンの始祖の系譜を手にかけ、あまつさえ伝説の“虚無の担い手”をも手にかけた。ならばその代償を支払うのは当然のことさ」
そう普段の口調に戻したジュリオは続ける。
「そんな異端者には死がふさわしい――それも名誉ある魔法による死ではなく剣と毒によって死ぬという貴族にとっては最低の死に方が相応しい、そう聖下は仰ったのさ」
そこまで言うと、ジュリオは手にしていた血に濡れた短剣をまるで汚れたものを棄てるかのようにして床の上に放り棄てた。
大理石の床に刀身が触れる音が響き、同時に旧評議会議事堂――彼が今居る建物のあちこちから響き渡っていた喊声や爆音が徐々に弱まり始めていることが誰にも知れた。
一度その音が弱まり始めると急速に元の静けさを取り戻していく。
しかし、その音が途絶えると一拍を置いて再び短時間の悲鳴や叫びが響き、再び沈黙が訪れた。
それは彼の手勢として派遣されてきたロマリアの聖堂騎士団が本来の任務――始祖の意志に反してワルドに組した異端達への審問を完了したという証であった。
「ぐッ……貴様、最初から……」
――裏切るつもりだったのか、というワルドの言葉は声にすらならない。
全身に巡り始めた毒によって肌が蒼ざめているにも関わらず大量の脂汗を流しているワルドの顔を眺めながらジュリオは告げる。
「ああ、そういうことになるね」
そうジュリオは邪気の全く含まれて居ない笑顔で答える。
実際にこの行動は全て予定された行動だった。
彼がわざと当初の予定を変更して早めにルイズの注意を引き付けるように行動したのもワルドの隠し玉である『遍在』を引きずり出すため。
そして目的を達して周囲への警戒が一瞬解ける瞬間を狙ったのも全て初めから計画の内だったのだ。
「おのれぇぇぇぇッ!」
最後の力を振り絞ってワルドは腰に下げた杖をジュリオに向かって振り上げようとする。
しかし、次の瞬間には彼の体を数本の杖が貫いていた。
彼に杖を突きたてたのはジュリオと共に行動していたロマリア異端審問官達だった。
ガリア北花壇騎士団にも匹敵するロマリア宗教庁の秘密部隊。
表の顔である聖堂騎士団とは異なってただ始祖と教皇の為だけに尽くす狂信者集団。
そんな彼らはワルドが目的を達したのを見計らって密かにこの部屋の中に紛れ込んできたのだ。
何本もの杖で串刺しにされたワルドの姿はまるで先程、自らが手にかけた少女の姿と瓜二つのように見える。
「それに貴方には相応しいのじゃないのかな? あれだけ憎んでいた婚約者と共に死ねるのだから」
そんなワルドの姿を見てジュリオは傍らに倒れているワルドの婚約者に視線をやった。
相変わらず誰もが振り向かざるを得ない美貌を備えた目の前で死に掛けている男の婚約者――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
伝説の“四”にして虚無の担い手。
伝統あるトリステイン貴族の地位を投げ打ち、アルビオン一国をほぼ我が物とするまでになった少女。
そして――彼女は最後にこうして自らの血に沈んだ。
しかし次の瞬間、その美しい顔がうっすらと薄れ、消えていく。
「何ッ――!?」
「……なん…だと!?」
驚きの声は両者同時だった。
と同時にの先程ワルドにとどめを刺した異端審問官達のど真ん中で猛烈な「爆発」が起こった。
その爆発によって彼らは周囲に吹き飛ばされる。
たった一撃の攻撃で彼らのうち2名が致命傷を負った。
一人は爆風によってちぎれた胴体から赤黒い血液と内臓だったものを撒き散らし、最後の叫びを上げるでもなく瞬時に絶命し、もう一人は対象的に口から大量の血とあぶくを吐き出し断末魔の痙攣を起こしている。
なんとか致命傷を免れた数名も程度の差こそあれ、口や耳といった全身の穴という穴から血を流している――強力な爆圧に耐え切れずに内臓や鼓膜が潰されたのだ。
「あら、もう終わりなの?」
その言葉と共に物陰からゆっくりと少女が姿を現した。
柱の影から姿を現したのは確かに先程全身を貫かれて血の海に沈んだ筈の少女。
「どう?楽しんで貰えたかしら――私の『魔法』を」
そう少女は口にした。
彼女の使った『魔法』はイリュージョン。
ありもしない幻影を誰にも気付かせないほどに繊細に描き出して映し出す、『虚無』の初歩の初歩。
そしてルイズはとある古びた香炉を取り出して放り投げた。
石畳に金属の当たる鈍く、乾いた音が響く。
そこにあったのは紛れも無くハルケギニアの各王家に伝わる宝物の一つ――
それを見たジュリオ達の目が驚愕に歪む。
ガリア王家に代々伝わる始祖の秘宝の一つがどうしてこんな場所にあるのか。
それはまさか―――
「“始祖の香炉”よ」
その場に居る全員の目に浮かんだ驚愕を楽しむかのように、ルイズはそう答えを示す。
そしてそのまま足元に転がった秘宝をためらうことなく踏み砕いた――
「――■■■ッ■■ァ■■!!!!!」
そんな彼女にロマリアの異端審問官達が襲い掛かった。
その叫びは既に声になっていない。
先程の爆発で肺をやられていることに加え、熱狂的で純粋なブリミル教徒である彼らにとっての禁忌以上の行動を目の前で示されたことによる怒りと興奮によって叫びとも唸りとも取れない何かを発しつつ彼らは突き進む。
無数の爆発音。
その音に混じって響くのはロマリア聖堂騎士団特有の歌うような魔法詠唱ではなく、まるで地獄の亡者どもがあげる叫び声や唸り声の連鎖。
しかし、その地獄から響くような歌声は櫛の歯が欠けるように徐々に叫び声やうめき声に代わり、消えていく。
そして、ある時をもってその音はぱったりと途絶えた。
そこにあるのは血と肉片と破片と埃と煤によって彩られ、形作られた世界。
その中に一人無傷で佇むその世界を生み出した少女は周囲を見回した。
彼女に襲い掛かった異端審問官達が時間を稼ぐ間にジュリオは姿を晦ませてしまっていた。
残されたのはもはや原型を留めずに、何名いたのかすら判らない程無残になったロマリア異端審問官達の遺骸と――そして未だに死に至らない一人の男。
一人取り残されたそんな男に彼女は声をかけた。
「気付いていないとでも思っていたの?ワルドさま――」
彼女を「処理」しようとしたワルドに向かって言葉を発しているにも関わらず、彼女の声色は“婚約者”だった頃と変わらない。
それが尚、死にかけたワルドにとっては不気味さを増して感じられた。
そして発せられた彼女の言葉――それはワルドが彼女の命を狙っていたということを知っていたということを指摘している。
ワルドは答えない。
いや、既に答えるほどの体力も残っていないのかも知れない。
そんな彼にかつての婚約者は辛辣に続けた。
「私は知っているわ。アンタがあの欲に塗れた連中とこの国を支配しようと密談を重ねていたことも、あのとっくに死んだ人間を崇拝して止まない御目出度い連中と手を組んだことも。勿論、アンタが私を消そうとして手駒を集めていたこともね」
その事実を前にしてもワルドは声をあげることはない。
そんなワルドの反応を見つめながら少女は続ける。
「だから手を組んだのよ。まさかアンタは外部の連中と手を組むのが自分だけだっただなんて思っていたのかしら?」
そんな彼女の指摘にもワルドは答えない。
もはやこれ以上生を繋ぐ可能性が皆無に等しい彼にとって見れば、自らが手にかけたのが幻影であったことも、そして自らの裏切りが露見していたことすらどうでも良かったのかもしれない。
勿論、彼がロマリアと手を組んでいたことも、だ。
ストロベリー・ブロンドの髪を持つ目の前の少女はそんな彼の反応をつまらなさそうに眺めた。
いや、実際に内心では面白く無いのだろう。
一瞬の沈黙の後、彼女はまるで面白いことを考え付いたかのような表情を浮かべて新たな言葉を紡いだ。
「――ああ、そうね。これでアンタ達の“古い”世界は終わるわ。貴族なんてものは過去の記憶となり、始祖なんて唯の人間に成り下がる。そして……聖地はもはや誰にっても聖地では無くなる」
その言葉に彼の目が大きく見開かれた。
彼女が彼に語った言葉は既に自らの運命について諦観していた彼にとっても決して聞き入れられるものではなかったのだ。
自分自身について、如何に扱き下ろされようとも構わない――何故なら自分にはもはや生きる可能性が無いのだから。
しかし、目の前の“魔女”が口にしたのは彼が内心で最も大切にしていることを抉り出した。
――早くに死んだ彼の母が何故か執着していた“聖地”の存在を。
彼の母は死に際してその理由を彼に残すことも無かった……いや、残すことが出来なかったが、それ故に彼は“聖地”について常に心に留め続けていたのだから。
「貴様ッ、な……にを言って……い、る?」
もはや呼吸もままならないのか目を剥いて怒鳴るようにして吐き出しているにも関わらず、途切れ途切れに擦れたそんなワルドの質問を無視してルイズは続けた。
「アンタの頼った“ロマリア”は消えてなくなる。始祖も貴族も神官も全て過去のものとして葬り去られる。もはや誰もブリミルなんて6000年前に死んだ男のことを思い出したりもしないし、そんな男が生み出した権威なんてものも存在しなくなる――」
そう言って彼女はワルドと自らとの違いをはっきりと口にした。
「そうよ、自分自身の価値は自分で決めるわ。アンタみたいに誰かの威を借りて満足する俗物とは違うのよ!」
その言葉の意味するものは、彼のように他者の権威に依存することへの明確な拒絶でもあった。
事実、レコン・キスタ崩壊後の彼女の権威は誰からも与えられたものではない。
彼女は様々な勢力の入り乱れる中で自らの権威を築き上げたのだ――属した者に絶対的な信頼を要求することによって。
彼らは絶対的な信頼、すなわち忠誠と服従を目の前の少女に提供し、代わりに彼女は自らの理想とする世界――現在のハルケギニアの社会制度の下では決して報われることの無い、あるいはかつての地位を取り戻すことの出来ない者達にとって“希望”に満ちた世界像の実現を約束したのだ。
無論、その一種の契約関係は誰もが自動的に結ぶ、あるいは強制的に結ばされることの出来るものではない。
貴族だった者は勿論、果ては平民一人に至るまで、「自らの意志」で契約を結ぶことが出来る。
つまり彼女は自らの“理想”において平民にも契約を結ぶという「自由」と「責務」を認めた。
そして、それまで貴族にだけ認められてきた特権である「自由」を平民にも認めたということは、貴族階級という区別をのものが存在しないことを意味していた。
それが意味するものは、彼女の理想がこれまでのハルケギニアの社会制度とは全く異なる社会契約システムだったということである。
勿論、彼女の目指すものに貴族体制の維持というものが含まれていない以上、貴族がその契約に参加するには自らの地位の放棄が必要となる――これこそがワルドの側へ貴族勢力の大半が流れることになった理由だった。
だとするならば、彼女の支持階層はハルケギニアにおける被抑圧階級でしかありえない。
常に低い地位に置かれ続けた傭兵や平民メイジは勿論、既に数年に渡る内戦と戦争に疲れた平民達の多く(ただしその大半が自らの“力”を持ちながらも低い地位に甘んじていた者だった)も彼女の側へ流れ込んでいる。
つまり、隣国トリステインと同様、確かにアルビオンにも階級間対立が現出していたのだった。
そして、その勝敗は決しつつあった。
自らの権威を他者に頼ったワルドは地に伏し、自らに頼ったルイズは今もこうして床の上に立っている。
そして彼女は傍らで既に死相の現れているワルドへ向かって向き直る。
同時に彼女はその言葉使いをかつての“婚約者”だった頃のように戻して、彼に最後の別れの言葉を告げた。
「さよなら、ワルドさま――私、アンタのこと、ちっとも愛してなんか居なかったのよね」
――伝えなければならない。
無数の爆発音と歌のような唸り声、そして断末魔の叫びを聞きながらジュリオはそう確信していた。
彼が伝えなくてはならないこと、それは目の前で示された未知の“虚無”魔法ではない。
そもそもハルケギニアにおける諜報界――古い言い方で示すなら“長い法衣と杖”の担い手である彼は既にアルビオンにおける始祖の秘宝である『始祖のオルゴール』が失われたことを知っていた。
はっきり言ってそれは対して重要な問題ではない。
4人の担い手に対して秘宝は1組あれば十分――単にそれを回し読みしてしまえば必要は満たせるのだから。
先程狂ったようにルイズへと突撃した異端審問官達とは異なり、教皇の右腕としての彼はそのことを理解していた。
また、未知の魔法に関してならば――“虚無”の魔法はそれが必要とされる時になって初めて“担い手”の前に現れる。
故に彼の主人にしてハルケギニアで最も尊いとされた男が知らない“虚無”魔法があってもなんら問題はない。
それに彼の主人ならばその未知の“虚無”魔法すらも『始祖への信仰に対する試練』とでもしてしまうだろう。
彼が伝えなければならない、と確信したのはルイズが取り出した、始祖の秘宝の種類についてであった。
『始祖の香炉』。
それはこの浮遊大陸ではなく、大陸にある三つに分かれた始祖の家系であるガリア王家に伝わる秘宝であった。
その秘宝を彼女が手にしていた理由はいくつか考えられる。
その中でも最悪の可能性を脳裏に思い浮かべながら、彼は宮殿を逃げるようにして飛び出した。
「アズーロ!」
宮殿の外――王城を取り囲む様にして鬱蒼と茂る森へ辿り着いた彼はそう自らの相棒の名を呼ぶ。
しかし、いつもなら直に彼のもとに向かってくる筈の風竜の応答は無い。
そんな様子に彼はいぶかしげな調子で再び自らの相棒の名を呼んだ。
「……アズーロ?」
やはり答えが無い。
彼の相棒の身に何が起こったのかが気にかかった。
気になると言えば、彼の周囲の森もどこかおかしい。
相変わらず鬱蒼と茂った周囲の森は暗く、静かに佇んでいる。
一見した所、異常は無い様にも思えたが――
そこで彼は気付いた。
――静か過ぎる。
「……くっ!」
その事に気付いた直後、思わずジュリオが声を洩らした。
……おそらく囲まれている。
周囲に人間の気配は無い。
しかし、この無機質な殺意は何だ?
その答えはすぐに現れた。
現れたのは自律式の魔法人形。
それが彼を取り巻くように木々の影から現れる。
その光景を前に彼は予想した最悪のシナリオが現実のものとなっていたことを理解した。
「出て来い! ミョズニトニルン」
彼はそれまでの歩みを止め、まるで生き物の気配が感じられない暗闇に向かって叫んだ。
「――良くわかったわね、ヴィンタールヴ」
彼の後方から特徴的な高い女の声がまるで森全体に届くかのように響き渡った。
振り返ると、大きく張り出した巨木の枝の上にその女の影がある。
「貴様らは何をたくらんでいる?」
その影にジュリオは問いかけた。
彼の背中には氷のような汗が流れ続けていたが、それを感じさせないような声だった。
「さぁ?、結末は私にも判らないわ」
影に過ぎなかった女がその言葉と共に徐々に輪郭を持って現れる。
額には特徴的なルーン。
ハルケギニアでは珍しい、長く黒い髪を持つ女はその姿を完全に現すと言葉を続けた。
「私が知っているのは、“この世界をあるべき姿に戻す”ことかしら。貴方達の言い方で表現するならば、“始祖の御心に沿う”とでも言えるのかも知れないわね」
飄々とした答え。
見え透いた挑発のような、そんな意味のわからない答えにジュリオは思わず怒鳴り返した。
「ふざけるな! 貴様達の目的は何だ? このハルケギニアをどうするつもりなんだ!?」
そんな彼の問いには答えずに、ミョズニトニルン――シェフィールドはまるで独り言の様に語りかけた。
「貴方は知っているかしら? 虚無の担い手はその“力”が発現しない限り唯の魔法の使えない落ち零れ(ゼロ)に過ぎないのよ。まるでお笑い種よね――貴方達の求める担い手はその力が何なのかわからない限り、貴方達の守ろうとする世界では魔法の使えない無能な存在として扱われ続けるのだから」
その言葉が示しているのは貴族や神官達にとって最も尊ぶべき始祖以来の“虚無の担い手”は彼らの常識に従えば最も始祖の加護の遠い人間であるということでもあるということだった。
――“ゼロのルイズ”
――“ガリアの無能王”
そのどちらもが虚無の担い手でありながら周囲に認められなかった。
ただ系統魔法を使えなかったことだけを理由にして。
そんなことを思ったジュリオの思いを見透かすようにしてシェフィールドは究極的な問いを投げかけた。
「果たして本当に貴方達は虚無の担い手を求めていたのかしらね? もし本当に求めていたのならばそんな扱いを決してしなかったでしょう。あるいは――初めから求めてなど居なかったのじゃない?」
そう彼女は言ってのけた。
――この世界はどこかおかしい、と。
今の世界が始祖の望んだ世界を実現しているのだとしたら、彼の力を受け継ぐ者は何故迫害されねばならないのか。
そんなことを6000年前に死んだ男が望んでいたのか。
あるいは“魔法”の使えない人間を彼の“力”の後継者とすることによって魔法という力を持つ者とそうでない者との調和を図ったのではないか、とすら言える。
「だから、私達はこの世界をあるべき姿に戻したい。そう言ってるのよ」
――今ある全ての常識をゼロに戻すことによって。
そう彼女は語った。
「さて、おしゃべりはこのくらいにしておこうかしら。貴方自身はともかく貴方の主人はどうせその考えを棄てないでしょうし」
彼女、そして彼女の主人の目的はこの世界をあるべき姿に戻したいことではない。
あるべき姿に戻すことによってどんな世界が生まれるのかを知りたいのだ。
故に“この世界をあるべき姿に戻す”ことは「目的」ではなく「手段」となる。
――そして彼女はその「手段」を実現する為に邪魔者を排除することに躊躇は無い。
「悪いけど、死んでもらうわ」
その声と共に彼を包囲していた無数のガーゴイルが手にした武器を構える。
一瞬遅れて、シェフィールドは手を振り下ろした。
武器を構えたガーゴイル達が一斉に彼に向かって突進を開始する。
魔法の使えない――そして聖職者であるが故に杖しか持たない彼にとって不利は明らかだった。
正面からの刺突。
速い。
その一撃は常人にはさけることすら困難な速さで繰り出される。
辛うじてかわすことができたのは僥倖というべきなのか、それとも精一杯の生存本能が為した技だったのか。
あるいは速さはあるが、直線的な動きだったということが幸いしたのかもしれない。
その攻撃を体をひねることによって辛うじてかわしたジュリオに別のガーゴイルの繰り出した背後からの斬撃が迫る。
唐竹割りの要領で繰り出された攻撃を転がるようにして避けた。
空を切る形になったその一撃はそのままの勢いで大地を穿つ――人間では振り回すことが困難な重量武器であったとしてもガーゴイルならば長時間不自由を感じることなく使うことが出来る。
そしてそんな特性を持つ魔法人形を操るのは“あらゆるマジックアイテムを使いこなす”シェフィールドだった。
とめどない無数の攻撃を紙一重で避け続けてきたジュリオの体力は徐々に失われていく。
と同時に体力の低下は注意力の低下を呼び起こす。
ならば、何れその限界が来るのは明らかだった。
「くッ――!」
突き出された魔法人形の槍の穂先がかわし切れなかった彼の脇腹を掠める。
既にボロボロになりつつあった彼の纏う白を基調とした神官服にうっすらと血が滲み、そしてその範囲が徐々に広がっていく。
その間も全く手加減無しの刺突や斬撃が彼に向かって繰り出される。
「諦めなさい」
もう御仕舞いなのよ――そう言いたげな表情を浮かべて彼の姿を眺めているシェフィールドを前にジュリオは心の中で叫ぶ。
――死ねるものか!
任務を果たすまでは死ぬに死ねない。
それは孤児であった彼を拾い上げてくれた自らの主人に対する彼なりの恩義への報い方であると同時に彼の生きがいから生み出された情念でもあった。
彼の最悪の予想が正しければ、あの少女はガリアと手を組んでいる――それも事前にこちらの動きを掴んだ上で、だ。
ならばロマリア本国が手薄になっていることもあの狂王に伝わっているだろう。
であるならばガリアは確実にロマリアに侵攻する。
無論敗北するとは思っていない。
彼の主人の“長い法衣と杖”はガリア中枢部へも伸びている――いざとなれば信仰に訴えかけることによってガリア自体を二つに割ることが出来るのだから。
しかし、そうなってしまえばこれまでの計画は破綻する。
ハルケギニアの中央部に広がり、遥か聖地のあるサハラと接するガリアで巨大な戦乱が広がるということは聖地奪還の為の早期遠征を不可能としてしまう。
それに、ガリアが分裂するということはあの狂王を亡き者とした後に新たなる「王」としてあの不幸な少女を送り込むことすら不可能になってしまうのだ。
そう、こんなところで奴らの手にかかっては死んでも死に切れない……いや、何のために今まで働いてきたのかさえわからなくなってしまう――
そんな彼の脳裏に浮かぶのは狂王亡き後に「王」として送り込まれる筈だった一人の少女の姿。
魔法を使うことを禁じられ、大陸から数リーグも離れた孤島の修道院でじっとひそやかに暮している蒼髪の少女。
当初は彼女の血統を利用するためだけに接近した筈だったのに、いつのまにか愛するようになってしまった少女。
そのを再び日の光の当たるところに戻すために彼――ジュリオ・チェザーレという名を与えられた孤児はその内心の気持ちに気付いて以来闘い続けてきたのだ。
ハルケギニアに再び始祖の栄光が戻ったならば、彼女はガリア王家、そして始祖の直系として誰もに称えられる。
もう二度とあんな暗く希望のない世界には戻らなくて済む。
だから死ねない。
死んでなるものか!
そんな思いを胸に抱くジュリオに次々と武器を持った魔法人形達が襲い掛かる。
その動きは最初とは異なり、一撃が回避されてもその次の攻撃で確実に仕留められるように連携のとれたものへと変わって来ている。
付け入ることが出来るのはたった一回。
しくじれば確実に次は無い。
迫り来る明確な「死」。
違いは遅く確実に訪れるか、それとも一瞬で終わるかの違い。
だから、ジュリオは行動に出た――生き残るために。
「あぁぁぁぁぁあッ!」
その叫び声と共に彼は突進してくるガーゴイルの胴へ握り締めた拳を叩き付けた。
ぐぎっ、と骨の砕ける音が周囲の誰にも聞こえるように響き渡り、砕けた骨が肉を切り裂いて血飛沫が舞う。
飛び散った液体が魔法人形の胴を赤く彩った。
「何を!?――ッ!しまった!」
まるで自殺行為にしか見えない行動を取ったジュリオにシェフィールドが驚きの声を挙げる。
しかし、『神の頭脳』としてあらゆる魔法具を使いこなす彼女は一瞬後にジュリオの目的に気付いた。
突進してくる衝撃で魔法人形は前へと倒れこみ、内部に異常を来たしたのか立ち上がれないままバタバタと両手を振り乱し始め、同時に包囲網の一角が崩れたことが知れた。
回避した彼をしとめようと次の攻撃を準備していたガーゴイル達――そしてそれを操るシェフィールドの予想を超える動き。
まさか武器も持たないあの状況からどう見ても自殺行為にしか思えない反撃をするとは思っても見なかったのだ。
あわててシェフィールドは新たな命令をガーゴイルに伝達しようとする。
しかし、その一瞬の隙を突いてジュリオは深い森の中を目指して全力で駆け出した。
血にまみれ、激痛に苛まれる拳をもう一方の腕で庇い、少しでも遮蔽物の多い場所をめぐるようにして走り続ける彼の心の中に去来する無数の思い。
生きたい。
逢いたい。
―――帰るんだ。あの優しいジョゼットのところへ。
それこそが彼にとっての本当の目的だった。
彼はただその思いを胸に暗いアルビオンの森の中を駆ける。
ただひたすらに。
ただその目的を果たすために。
――長く広い廊下に今度は複数の人間が早足に進む足音が響く。
その足音が一度途絶えると共に閉ざされていた大きく重い扉が力任せに開かれた。
「ほう――随分派手にやったみたいだな」
謁見の間に姿を見せた彼女の“同志”達を代表して声を上げたのはやはりメンヌヴィルだった
光の失われた目では見えない筈なのに、彼は残された嗅覚と幾多の凄惨な戦場を作り上げてきた肌でその光景を感じ取っているらしい。
そんな元傭兵隊長の問いにルイズは少し謙遜気味に答えた。
「そうかしら? これでも少しは手加減したつもりよ」
嘘ではない。
実際に彼女が全力で戦ったとしたならば、少なくともこの広間は崩壊していた可能性が高い。
そんな事実を前に改めて敬服の念のようなものを示しながら彼は尋ねた。
「そうかい。それで大将。で、これからどうするつもりなんだ?」
「ええ――決まってるじゃない」
メンヌヴィルの問いに対してルイズは心底楽しそうに答える。
そこに迷いや躊躇は無い。
彼女は自らの目的を達するために。
そして彼女に付き従う人々との契約を果たすためにその答えを“指導者”として明確に示さなければならないのだ。
彼女の口から紡がれた言葉――それは、
「階級や血統、位階を盾に私達を忘却の彼方に追いやり、眠りこけている連中を叩き起こすの」
静まり返った謁見の間に複数の息を呑む音が聞こえた気がした。
まるでこの凄惨な場が神聖な場所であるかのように誰もの耳目が彼女一人に注がれる。
「そんな連中の髪の毛を掴んで引き摺り下ろし、眼を開けさせ思い起こさせる――」
彼女のその言葉にメンヌヴィルを初め、彼に――いや彼女に続いた者達の間から満足そうな呻きが漏れる。
それこそが彼らがこの少女に無制限の忠誠と服従を誓った理由だった。
彼女はかつての“婚約者”の様に自らがハルケギニアに君臨したい訳ではない。
このハルケギニアの社会制度を打ちこわし、彼女の存在を認めさせたいだけなのだ。
旧来の貴族支配との最大の違いは相手から敬意を受けるための見返りの存在――すなわち新たな「社会的契約」の提示だった。
彼女はこれまでの貴族たちによる一方的な敬意の強制を否定した。
何の見返りもなくただその地位を誇示し、奉仕を強いる存在こそが彼女が最も拒絶した存在だったからだ。
故に彼女はその「代償」を提示した――自らの求める世界像とそれを保障するに足る“力”を。
彼女の“力”によって彼女に付き従う者達にはこれまでの階級社会ではありえなかった“権利”が与えられる。
と同時に、その「契約」に応じた時点で彼らは彼女に付き従わなければならない――彼女こそが彼らの権利を保障する源泉であるからだ。
そして、目の前の少女の意志と発言のみが全てに優先するという指導者原理が完成した。
その過程では、これまで彼らに十分な「代償」なく服従を強いた者達は確実に排除される――そのための行動が今示されようとしているのだ。
そんな興奮の含まれた同意の呻きを聞きながら、彼女は続けた。
「無能なあの連中に恐怖の味を思い出させ――連中に私達の存在を思い出させて、この地上には 奴らの常識では思いもよらない事があることを思い出させてやるのよ!」
そう言って彼女は周囲にいる“同志”達の顔を眺めた。
歓声に包まれた広い部屋の中で彼女は笑みを浮かべていた。
これまでのどこか貼り付けたような笑みとはまったく別の微笑み。
単に満足したという笑みではない。
目的を達することへの確信というべきなのかもしれない。
一言で言うならば喜びと決意、そして残酷さの共存した笑み。
そんな凄惨な笑みを浮かべて彼女は宣言した。
「始めるわ――私達の革命を」
その言葉が発せられた瞬間、貴族革命に次ぐ第二革命が開始された。
長らく権力の不在だった『空白の国』、アルビオン。
その地において新たな「社会的契約」と絶対的な権力を持つ頂点の存在は数年に渡る内戦と戦争に疲れ果てた平民達にとってもそれまでの単なる支配階級の交替とは異なり、何らかの変化を及ぼすこととなるだろう。
後にこの夜の出来事は砕け散った無数の窓ガラスからある呼び名が付けられた。
そして当然のことながら、その名には杖やマントと並んで貴族の象徴であった宝石が砕け散ったという意味も込められている。
その凄惨な革命の始まりを告げる夜――その一夜について語る者はその惨劇をこう呼んだ“水晶の夜”と。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
さて、ついに終盤です。
更新してたの?とか今年中に終わるのか?と聞かれたのでなんとか頑張ってみました。
過去最大の分量になって本当は分割しようかな?と思ったりもしたのですが、これ以上「終わる終わる詐欺」を続けるわけにも行かないので一話に纏めました……相変わらず遅筆ですけどorz
あと、これ書いてる時に怒涛の更新中のYY様の作品、『ヤンデルイズ』読んでたらネタが被ったので、二番煎じになってはと急遽話を書き換えたり、ついでに先読みされた展開を可能な限り変更したりして……。
YY様の『ヤンデルイズ』は個人的に大好きな作品なので未読の方は是非御一読を。
10/06/25追記。
他作者様のネタバレとのご指摘を受け、あとがきの部分を修正しました。
aanoi◆d840d17d様を初めとして皆様にご迷惑をおかけ致しましたことをお詫び申し上げ、以後このようなことが無いように精進させて頂きます。
10/08/09追記。
二回目の改定を実施。