――――――――――――ジェシカは目の前で震える少年を見つめていた。
実質的な『魅惑の妖精』亭の経営者であり、優れたプロポーションと黒い髪によって隠れた店のナンバーワンでもあった彼女であったが、その一方で年齢に相応しく、噂や騒動が大の付くほど好きだったのだ。
騒動を聞きつけた彼女が人ごみを掻き分けて目にしたのは、全速力で遠ざかる馬車と何人かに介抱された従姉の姿、そして息も荒く震えながら嘔吐の気に耐える自分や従姉と同じ髪の色をした少年の姿だった。
周囲の群衆からおおまかな事情を聞いた彼女は、ようやく駆けつけたらしい衛士を周囲の群衆の協力で明後日の方向に追い払いながら、シエスタと才人を『魅惑の妖精』亭へと運び込んだのだ。
――幸い、シエスタは極度の疲労による衰弱以外は足の擦り傷だけであったので、命に別状は無い。
才人のほうも、数箇所の打撲と全身の切り傷で済んだため、一週間ほどの安静でなんとかなりそうだった。
そんなこんなでジェシカは才人の部屋として割り振られた屋根裏部屋に居た。
ほとんど何も無い部屋の端にポツンと置かれた古びたベットの他には、簡単な机とイスが一脚しかない埃っぽい部屋――元はただの物置だったのだ。
唯一つのベットの上には当分の間、安静を言いつけられた才人の姿。
その姿を眺めるように、イスの背に組んだ両肘を置くようにして彼女は座っていた。
「――あんた、何者なの?」
その目には普段には無い鋭さが浮かぶ。
その一方でどこか申し訳なさげな声色を含ませながら、彼女は尋ねた。
「シエシエを助けてくれたことは感謝してる、本当よ。ここに居る子はみんなワケありだから、他人の過去を詮索しないのがここのルールなんだけど――」
――さすがに今回のことは別、と言外に含ませる。
彼女が聞いたところによると、目の前の少年は貴族――しかもトライアングルを打ち倒したのだ。
ならば表向きには報復はなくても、その貴族の手のものがひっそりと報復に来るかもしれない。
彼の居所がばれるくらいなら未だ良いが、『魅惑の妖精』亭の「正体」までが露見することは何が何でも避けねばならない。
その為ならば、目の前の少年を監禁するくらいのことはしてみせる――
全ては彼の返答次第だが、とジェシカは一転して決意に満ちた視線を少年に向けた。
――才人は自分がよっぽど不思議に見えるんだろうか、と漠然と思った。
何人かの群集に担がれるようにして『魅惑の妖精』亭に帰り着いた彼はようやく衝撃から立ち直り、精神の均衡を取り戻し始めていたのだった。
そんな状況の中で、「あんた、何者?」と聞かれた彼は、そういえば前にも同じことを聞かれたっけ――と何処か他人事の様に考えていた。
「――答えて」
そんな才人の意識を現実に引き戻したのは、彼の目の前で椅子の背を挟んで腰掛ける少女の声だった。
その顔にはいつもなら絶えることの無い明るさは無い。
そんな彼女の気迫に押されるようにして、才人は彼女の質問に答え始めた――
「……つまり、あんたはどことも知らない場所からその暴力貴族に召喚されて、逃げ出してきたってワケね」
「大体はそうだけど――どことも知らない場所じゃなくて、日本の東京だって!」
ジェシカのまとめに対して才人は大筋を認めながらも、抗弁した。
「誰も知らない国なんてどことも知らない場所と同じじゃない」
そんな才人の抗弁を正論で軽くいなす少女。
しかし、その彼の言葉の中には彼女の脳裏に引っかかる言葉があったが、彼女はそんなことをおくびにも出さず、質問を続ける。
「――もう一つ、教えて頂戴。あんたが貴族を追っ払ったっていう剣技、それはどこで習ったの?」
彼女が騒動の見物人に聞いた“事実”では、目の前の少年が魔法すら打ち消す程の剣技でトライアングル・メイジに手傷を負わせて勝利した、ということになっていたのだった。
その問いに対して答えに詰まる――実際、才人自身にも分からないのだ――状況を打開したのは先程から壁に立て掛けられていた剣だった。
「――相棒は『使い手』って奴さね」
その言葉に二人はそれぞれ驚きを示した。
ジェシカは剣がしゃべることに対して。
才人は自身の疑問に対しての答えを持っている、と主張したことに対してだった。
「『使い手』ってなんだよデルフ?」
デルフリンガーの発した声に対して最初に反応を返したのは、「剣がしゃべる」ことを知っていた才人だった。
「当然、このデルフリンガー様の『使い手』、つまりは伝説の使い魔ガンダールヴってことさ」
おでれーた、自分の状況も知らねーのか?といった感じで答える剣。
そんな剣に対して、才人と剣のやりとりを見ていたジェシカが尋ねた。
「で、あんたは何者なの? それからガンダールヴって何?」
「俺? 俺様は魔剣ってやつさ……あとは忘れた」
その発言に話を聞き入ろうとしていた二人から一斉に力が抜けた。
直後に立ち直った二人を代表して才人が突っ込みを入れる。
「どうして覚えてないんだよ!?」
その突っ込みに対して、デルフリンガーは胸?――剣にそんなものはないが――を張って答えた。
「――そりゃぁ6000年も経てば、いくら俺様だってそんなことくらい忘れるだろうよ」
カチカチと鍔元の金具を鳴らしながら、細かいこと気にする連中だねぇ、と豪勢に笑うデルフリンガー。
どうやら細かいことは気にしない性質らしい。
その自信に溢れた声にもはや聞く気もなくしたのか、ジェシカがもう一つの問いについて尋ねた。
「ガンダールヴって何なの?」
「相棒の左手にルーンがあるだろ?そいつが『神の左手』ガンダールヴの証だ。ガンダールヴはありとあらゆる武器を使いこなし――」
そこでデルフリンガーは唐突に言葉に詰まった。
「……ところで相棒、相棒のご主人様は何処にいるんでい?」
「そんなの居ねぇよ!」
その言葉に対して強い語気で才人が答える。
デルフリンガーの問いは彼がしばらく思い出さないでいた不満と憎悪に対してあまりにストレートだったのだ。
その言葉を聴いた瞬間、彼の脳裏に桃色がかったブロンドの少女――彼をこの世界に連れ込んだ元凶――の姿が浮かぶ。
「俺は誰かの使い魔でも、従者でもない!平賀才人だ――!」
――特にあんな女の使い魔なんて願い下げだ。
そう心から叫ぶ。
その言葉にデルフリンガーがさも驚いたかの様な声で言った。
「おでれーた! 主人から逃げ出した使い魔なんて、初めて見たぜ!」
やっぱり細かいことには気にしない性質らしい。
おでれーた、と笑いながら繰り返すインテリジェンスソードを眺めながらジェシカもまた驚いていた。
彼女は、彼が「召喚された」という事実に対して――貴族の手先ではないかという――不安と疑義を抱いていたのだった。
確かに、才人は貴族と争い勝利した――その時点で“勝利”が仕込みであるのではないかということを彼女は疑ったのだ。
通常、唯の平民が貴族に勝利する(特に一対一で)ことは不可能に近く、それを可能とするのは「メイジ殺し」と呼ばれる様な凄腕の傭兵しか居ない。
だからこそ、先程の彼の発言は重要であり、彼の言葉に嘘は無いと判断した彼女は才人を信用に足るものであると認識したのだった。
「わかったわ」
彼女はそう納得すると――さっさと寝た寝た、とばかりに少女はそのまま部屋を後にする。
彼が信用に値する人間であるとするなら、彼を守る為にいくつか手を打たねばならない。
事の詳細について早急に調べる必要がある――そう心にしたのだった。
一方で才人にとって見れば、あれだけの剣幕であった彼女が何故すんなりと納得したのか疑ってもおかしくない筈なのだが、未だ正常な精神状態に復帰しきっていない彼にはそんなことを考える余裕も無いまま、彼はそんな彼女の後姿を見送った。
――扉が閉まり、部屋の中で「一人」になると同時に才人は薄暗い部屋の中で震えだした。
目を閉じると先程の光景がまるで映画のワンシーンの様に脳裏から消えずに鮮明に思い出される。
同時に、両手に剣で人間を斬る感触が蘇る。
さらに自身に降り注いだ男の血液の温度までを思い出すことが出来たのだ。
先程まで抑えていた恐怖が一斉に押し寄せるのを才人は感じた。
才人は自分自身が恐ろしい、と思った。
――いかに相手が悪人であろうとも、自分の力によって他人を傷つけたのだ。
無論、喧嘩程度でなら人を殴ったことはある。
むしろ同年代に比べれば、その喧嘩っ早い性格からそうした経験は多いほうだと言ってもいい。
しかし、相手に対して明確な殺意を持って取り返しのつかない大きな怪我を負わせたことはなかったのだ。
だからこそ、逃げるモットに止めを刺すことはなかったし、男が逃げた後に緊張の糸が緩むと才人は震えながら何処からとも無く襲ってきた猛烈な吐き気に耐えていたのだ。
「相棒――怖いのか?」
そんな才人の様子を見て先程までとは一転して沈黙していたデルフリンガーが尋ねた。
才人はその問いに対して、小さく同意の呻きを漏らす。
「人を斬ったのは初めてか――?」
才人は答えない。
その沈黙を同意と取り、デルフリンガーはさらに続ける。
「相棒がどんな場所から来て、どんな生活をしてきたかは知らねー」
元々ただの剣の俺には分かんねーし、興味もねーからな、と前置きしてデルフリンガーは言った。
「相棒のやったことは間違っちゃいねーよ。あの時相棒が戦わなきゃ、あの娘っ子は間違いなく酷でー目に遭わされてた」
しかし、才人はそれに答えない。
ただじっと暗い天井を眺めながら震えていた。
沈黙した才人の姿を眺めながら、デルフリンガーは小さく呟いた。
「――こりゃあ、重症だな」
そんな才人の状態が改善されたのは二日後のことだった。
大分回復してきたのか、一人で歩けるようになったシエスタが才人の部屋となっている屋根裏部屋を訪れたのだ。
その間、才人はほとんど眠らずにいた――眠りに就く度にあの光景が思い出されたため――のだった。
人の目がある間だけは気丈に振舞う彼であったが、体も回復していないのは明らかであった。
そんな才人の様子に心配したジェシカから聞いたのか、彼女自身も未だ癒え切っていない体を推してやってきたのであろう――服の端々から覗く体の一部は痛々しげに包帯が巻かれたままだった。
そんな状態の彼女は入室直後にこう言い放った。
「サイトさんは悪くありません――!」
そして、「何を恐れているんですか」と逆に強い口調で尋ねる。
そこには自身が発揮した力に怯える才人を非難するかのような色までが込められていた。
彼女は自身の危険を顧みず、身を挺して助けてくれた少年に心底感謝していた。
――だからこそ彼女は言う。
自身を守る為に戦ってくれた少年が“あんな男”の為に苦しむなんて許せない。
「もしあの時、サイトさんが助けてくれなかったら――」
最後の部分を言葉に出すのがはばかられ、消え入りそうな声になるが、それでも続けようとする。
「シエスタ――」
才人がその真意を読み取って、気遣うような声で少女の名を呼ぶ。
その声に反応してシエスタは叫んだ。
「それに、あの時そうしなければサイトさんも生きていられなかったんですよ!」
それまで堪えていた物が堰を切った様にあふれ出したのか、彼女は続けた。
「だから、サイトさんは何も悪くありません! 悪いのは全部あの男で、あんな男を貴族にした連中で――!」
始祖が魔法なんてものを持ち込まなければ、魔法使いなんて存在しなかったのに!
魔法なんてなければ、貴族なんてものは存在しなかったのに!
貴族なんてものが居なければ、平民は苦しめられずに暮らせるのに!
彼女はそうトリステイン――ハルケギニアの社会の問題について吐露する。
無論、それは彼女達平民からみた視点ではあるが、そうであるが故に深刻さと暴虐さについては真実味を帯びていた。
「私たち平民が貴族に比べて弱いのは仕方ありません。でも、弱いのは悪いことじゃないんです――」
――だから、力のある人は弱い人を助けて欲しい。
サイトさんにはその力があるし、それを行なっただけ。
そして、彼女は告げた。
「正しい理由の無い力は暴力でしょう。でも何かを守る為の力は暴力じゃありません!」
そう言い放つと同時に彼女は目の前のやつれた少年を抱きしめた。
そして、そのまま優しく諭すように言葉を継いだ。
「――だから、サイトさんの振るう力は暴力なんかじゃないんです」
だから、怯えることはないんです。
怖がらなくても良いんです。
そう彼女は優しく言った。
その言葉を聴いた才人の瞳にかすかに光が戻り始める。
同時にそれまで感じなかった疲労が彼の体に一斉に押し寄せる。
そうして少女に抱かれたまま、いつしか才人は血に塗れた悪夢に怯えることなく眠りに就いた。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施