――――――――――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは自らの部屋に閉じこもっていた。
彼女の使い魔が姿を消してから既に半月以上が経過していた。
彼女自身による使い魔の捜索はついぞ成果を挙げることなく、無為に時間のみが過ぎていったのだ。
――そして、現在。
ルイズは一人、自室のベッドの上で膝を抱えていた。
昼間だと言うのに、貴族用の日当たりの良い筈の部屋はカーテンが閉ざされ、薄暗い。
その姿はかつての輝くような美しさとは一転して、病的なまでにやつれ、幽鬼じみた雰囲気まで醸し出し始めている。
彼女をそんな姿にした原因は、彼女の使い魔の“失踪”――少なくとも彼女には理由も無く姿を消したものとして受け止められていた――だった。
ルイズにとって、初めて召喚に成功した“使い魔”とは、二つの意味を持つ。
一つは彼女が魔法を使えるということを証明する存在であるということ。
そして、もう一つはヴァリエールの家名を貶めない――魔法学院を無事卒業する――ために絶対に必要なものだった。
そんな自らの将来を約束する筈だった、使い魔の失踪により追い詰められ、ルイズは絶望の淵に立たされていた。
故に、彼女はその薄暗い部屋の中で一人呟き続ける。
その言葉の羅列を一言で表現するならこうなるだろう。
「――どうして?」
どうして、自分は魔法が使えないのか。
どうして、自分が召喚した筈の使い魔は居なくなったのか。
どうして、自分はこんな状況に陥らなくてはならないのか。
級友の誰もが使い魔を召喚して楽しげに過ごす光景を思い浮かべて、ルイズは泣きたくなった。
希望に彩られた将来を誇示するような級友の姿の幻想に対して、彼女の現状は絶望に塗りつぶされていた。
そうした衝動に流されたのか、自然と自らの杖を取り出し、憎たらしげに眺める。
でも、……それでも諦めきれない。
絶望の中で何かに縋るようにして、おもむろに彼女は部屋のランプに対して『灯り』の魔法を唱えた。
次の瞬間、ランプの心棒部分が爆発し、その余波を受けて装飾の施された高価なランプ台全体がバラバラに吹き飛ぶ。
その破片が彼女の頬を掠め、一筋の傷を付けた。
思わず傷口を押さえた彼女の手に暖かい液体の感覚が感じられ、彼女は再び絶望の中に叩き落された。
――あぁ、コレが私に与えられた運命なのね。
頬を伝う液体の感覚に彼女は「死」というものを明確に感じた。
(……いっそ死んでしまおうかしら)
脳裏にふとそんなことを思う。
しかし、「生」への欲求がその究極の逃避への欲求から彼女を引き戻し、再び彼女を絶望へと引き戻す。
そんなことを繰り返しながら彼女はぼんやりと考え続けた。
始祖ブリミルは貴族たるメイジに魔法を与え、私にはその魔法を与えなかった。
私にあったのは、この「爆発」という能力だけ。
その瞬間、誰かから受けた屈辱が脳裏に蘇る。
『魔法も使えない、使い魔も居ないんじゃ、もう平民とおんなじだな』
平民と同じ。
仮にもトリステイン貴族の頂点に位置する筈の公爵家令嬢の私が平民と同じ。
魔法の使えない貴族はもはや貴族でもないのだろうか?
『敵に背中を向けない者』こそ貴族だと母から習ってきた彼女の理想が揺らぐ。
“メイジでなければ貴族にあらず”というトリステインでの常識が彼女の心を痛めつける。
――では、そもそも貴族とは何なのか?
そう彼女は自身に問いかけてみた。
メイジとは始祖ブリミル以来の血統と系統魔法の担い手たるもの。
では何故、メイジが貴族で居られるのか。
貴族と平民――その関係は人間の人間に対する支配関係に他ならない。
支配者としての貴族。
被支配者の平民。
ならば、その差異はどうして生じるのか?
――それは他の平民よりも強い「魔法」を使えるから。
そう、平民は貴族に「勝てないから」従っているに過ぎない。
自らの経験から、そう答えを出した彼女はさらに自問自答を繰り返す。
――ならば、支配階級としての貴族の中ではどうなのか?
強力な使い魔を召喚して使役することが出来れば優秀。
魔法の系統を足せる数が多ければ優秀。
馬鹿馬鹿しい。
それならば、弱々しい使い魔しか持たないあの学院長はどうなるのだ。
それに、様々な魔法を放てるスクウェア・メイジだって、戦闘に特化したドットに敗北することだってあるのだ。
平民が貴族に「勝てない」から従っているのに対して、貴族はその小手先の技の多さを競っている。
そう気付いた彼女は“他人が決めた尺度”の中で認められようとしていた自分が余りにも愚かに思えた。
他のメイジと違って使い魔の居ない自分。
トリステインに並ぶ者の無い公爵家の令嬢としての自分。
――他者から与えられる評価を気にして生きてきた自分が余りにも矮小に思えた。
では、被支配者である平民は暴力でメイジに「勝てない」からこそ、その支配を受けているのに対して、何故支配階層である貴族の間ではその持てる暴力によって地位を認められることはないのか。
彼女は今までに見てきた様々な貴族を思い浮かべる。
中にはどう見てもその地位に相応しくない連中も居た――というよりも大部分がそうだった。
そこでルイズは気付いた。
連中はその「実力」ではなく、「家柄」や「メイジの区分」によって自身の地位を守っているに過ぎない。
支配者階層に存在する貴族は互いにそうした尺度や規範によって互いの利益を守っているのだ。
――被支配者たる平民を、支配者階層たる貴族の魔法という力によって押さえつけながら。
そして、それは連中が既得権益を守るために作り出した規範として、このハルケギニアの「社会制度」という形を形成している――魔法の使える「貴族」社会という社会制度として。
そこまで思いを進めた彼女は絶望の中に一縷の光が射した気がした。
暗闇の中で彼女は呟く。
「――なんだ、簡単なことじゃない」
そう言って彼女は笑った。
貴族と平民の違いは、それぞれが持つ「力」によって生まれる。
権力、財力、そして地位――それら全ては根源である「暴力」によって作られ、支えられている。
全ての秩序は暴力によって作られ、支えられ、壊される。
これこそがこの世界の根源的原理なのだ。
そして、貴族であるメイジの保有する暴力とはつまり魔法のことに他ならない。
――魔法を使えなくては、貴族として認められない?
否、認められない筈が無い――だって、世界は暴力で成り立っているのだから。
ならば、魔法でない「力」でも認められる筈なのだ。
私は私自身で自身の未来を切り開く。
もう誰にも――使い魔なんてものに支えられた尺度にも――頼らない。
私の力によって、実力もないのにのさばっている連中を叩き潰そう。
反抗する連中には、私の力を示せばいい――それも誰も反抗できないほどの。
――そうすれば、誰もが私を認めざるを得ないもの。
その結論にたどり着いた瞬間、ルイズはそれまで以上に笑い出した。
夕食を運んできたメイドに用意させた湯で身を清めた――彼女は一週間近く部屋から出ていなかったのだ――ルイズはゆっくりと部屋を出た。
身を清めた、と言っても数日間手入れされていなかった髪は癖が付き、肌は荒れていたが彼女は気にすることも無い。
偶に擦れ違う生徒もまた、その異様な姿と彼女の置かれた環境に顔をしかめ、誰もが彼女をまるで存在しないかのように気付かないふりをして遠ざかっていく。
そうして、人気の無いヴェストリの広場に着いた彼女は「魔法」を唱えはじめた。
初めは『ファイアー・ボール』。
――離れた壁で爆発が起き、壁に亀裂を入れる。
次は『エア・ハンマー』。
――中空の爆発地点から強力な爆風が彼女の髪を揺らす。
さらに続けざまに『錬金』を唱える。
標的としたのは広場中央にある大きな石造りの噴水塔。
――その噴水塔が内側から弾けた様に粉砕され、爆風と共に周囲に石の破片を撒き散らした。
それを確認した彼女の口元に小さな笑みが浮かぶ。
小さな破片を受けたのか、額に切り傷を作ったルイズだったが、彼女はそれを気にするでもなく、新たな“標的”を探す。
彼女の目に留まったのは、粉砕された噴水塔に居たとおぼしき一匹のカエルだった。
――そして、その系統魔法の最後の一つを唱え終えた時、彼女は心の底から笑い出したのだった。
モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは彼女の「彼」を探していた。
金髪の立てロールにそばかすの浮いた顔を持つこの少女は、他国から「嫉妬深い」と評されるトリステイン貴族の評価に恥じない行動を起こしていた。
「まったく、どこに行ったのかしら」
彼女はそう呟きながら、彼女は学院中を巡っていた。
その嫉妬の原因――彼女の彼氏であるギーシュ・ド・グラモンと、彼女が密会相手だと見当を付けたケティ・ド・ラ・ロッタの不在は、彼女の精神に強烈な打撃を与え、それは不機嫌という形で彼女の態度に表出しているのだ。
その傾向は現在も尚、続いている。
いや、夜になっても二人が部屋に帰ってこないという事情によって、より強化されていた。
そんな時、一瞬自らの使い魔からの視界が開け、消えた。
ほんの一瞬だけ見えた光景は魔法学院の中庭の一つであるヴェストリの広場のものだった。
「えっ?」
――ロビンに何か起こったの?
その視界を目撃したモンモランシーの心の中には不安とも焦燥とも言えない感情が沸き起こっていた。
そして、彼女はギーシュの居そうな秘密のデートスポット巡りをしていた足を止め、脳裏に映し出された映像を元に、自らの使い魔の居場所へと向かって駆け出した。
息も荒くヴェストリの広場に到着した彼女が見たものは、まるで内側から爆発したようにバラバラになった自らの使い魔と、その変わり果てた使い魔の姿の傍にクスクスと笑いながら立つクラスメイトの少女の姿だった。
しかし、自らの使い魔を発見した彼女はそんな少女のことを気にする余裕もなく、自らの使い魔に走り寄る。
「ロ、ビ…ン?」
自らの使い魔の「残骸」に跪きつつ、その現実の衝撃を受け入れたくないとでも言うかのように呼びかけるモンモランシーのその姿を眺めながら、傍らに立つ少女はさも面白そうに言葉を投げかけた。
「あら、ごめんなさい。アレ、あなたの使い魔だったの――?」
――私、カエルが嫌いなのよね。
そう顔に笑みを貼り付けつつ、少女は言葉を継いでいく。
「そう。なら新しく召喚しなおせば良いじゃない――『洪水』のモンモランシー?」
その言葉にモンモランシーは「残骸」から顔を上げ、その声の主を見上げる。
彼女の二つ名は『香水』である。
それをその声はあえて間違えて見せた。
さらに、目の前の少女は笑いながら「――『ゼロ』の私とは違うんでしょ?」と続ける。
「アナタ――!」
そう言ってモンモランシーは激高しながら立ち上がった。
しかし、彼女の剣幕を受けても、そのルイズの顔色は変わらない。
「どうしたのかしら?モンモランシー?」
何か問題でもあるの?と言わんばかりの態度を示す少女の姿。
そんなルイズにさらに興奮したモンモランシーは怒気を大量に含めながら問い詰めた。
「どうして!? どうしてロビンを殺したの!」
学院内にはメイジたる学生が召喚した様々な使い魔が暮らしている。
それは巨大な竜からロビンの様なありふれた生き物まで召喚主たるメイジの特性に合わせて多彩だった。
魔法学院の学生はそんな事情を考慮しなければならない筈だった。
しかし、ルイズは自らの行いを悪びれる様子も無い。
にらみ続けるモンモランシーの姿をしばらく見つめ続けた後、ようやく理解したかのように言葉を発する。
「へぇ、憎いんだ?」
そう茶化すように言った後、ルイズは自らの使い魔を失った少女に向けて驚くべき言葉を投げかけた。
「なら、決闘しましょう――わたしと」
モンモランシーの忍耐も限界だった。
決闘は魔法学院の規則で禁じられているが、元来、負けず嫌いな性質である彼女はここまで言われて黙って引き下がるなんてことは出来なかった。
相手は魔法の使えない『ゼロ』のルイズ。
そんな相手が自ら決闘まで持ち出して、彼女を挑発している。
そんなことは彼女のプライドが許さない――!
ロビンの仇も含めて、目の前の少女を後悔させてやる。
そう決意したモンモランシーの前で決闘を持ちかけたルイズは何が楽しいのか、クスクスと笑い続けている。
「ええ、受けて立つわ!」
思わず、感情的にその決闘を受けるとモンモランシーは宣言した。
しかし、その言葉に対しても余裕を崩さない異様な姿に若干の気味悪さを彼女は感じた。
それでも、魔法の使えない『ゼロ』のルイズが何を出来るというのか。
改めて気を取り直したモンモランシーは自身の魔法詠唱に集中しようとして――
「――遅いわ」
その声の直後、彼女の掲げた杖が手の中で弾け飛んだ。
「―――えっ、」
モンモランシーは何が起こったのか理解できなかった。
彼女が魔法を唱えようとした瞬間、自身の杖が弾け飛んだのだ。
――当然、握っていた手の指を巻き添えにして。
激痛に耐えながら負傷した右手を抱え込んで、跪く様な姿勢のまま、彼女は恐怖した――今まで経験したことのない痛みに。
しかし、真の恐怖はすぐ傍に迫っていた。
「怪我をしてるじゃない――大丈夫、わたしが『癒して』あげるわ」
そうクスクスと笑いながら彼女に迫る存在。
傷みよりも、その“存在”に恐怖したモンモランシーは声を上げようとした。
「ま、待っ――」
「――『治癒』」
しかし、その言葉を言い終える前にルイズが杖を振り下ろした。
そして、目の前の「少女」がそれを唱えた瞬間、彼女の右手――肘から先――が弾ける様にして“爆発”した。
「―――ぁ、―――っ!」
激痛と理解不能な現象――そして自らの顔に降りかかった自身の血液を前にしてモンモランシーはパニックに陥り、同時に声にならない絶叫を上げた。
それでも彼女は本能に従って、ルイズの前から逃げ出した。
……今にも狂わんばかりの痛みに苛まれつつ無残にも弾け飛び、肘から先の無い右手を抱えながら。
このときの彼女の脳裏を占めていたのは唯一つ――恐怖からの逃亡だった。
一秒でも早く、一歩でも遠くあの“少女”の傍から逃げ出したかった。
数秒――彼女にとってはその何倍もの時間に感じられた――後、彼女の耳に笑う少女の声が聞こえた。
「あら、どこに行くの――決闘はまだ終わってないわよ」
その声と共に足元でナニカが爆発する感覚と共にモンモランシーは倒れこんだ。
必死で起き上がろうとするが、何故か立ち上がることが出来ない。
彼女は首を回して自身の下半身を見つめ――自身の足がありえない方向に折れ曲がっているのに気付いた。
そして、彼女の視界にはゆっくりと彼女に歩み寄る少女の姿が映る。
「ひ―――! ぁ、―――た、たす、ケ――て」
初めは恐怖から、そして後半は本能から来る言葉だった。
特に後半部は半ば裏返った様な声で、本当に通じたのかも分からない。
そんな彼女の必死の声を聞いた少女は心底楽しそうに、告げた。
「ダメよ。――『参った』って言わないと、決闘は終わらないんだから」
そう言いながら、ルイズは次の呪文を紡ぐ。
紡がれた呪文は『治癒』。
――そして、決闘は事実上、終わりを告げた。
かつての級友の成れの果て、となったモノを眺めながら、彼女は心の底から来る嬉しさを抑え切れなかった。
『ゼロ』と呼ばれ続けた彼女が人生で初めて自覚した「力」。
そして、彼女の力は無力では無い――むしろ、貴族の権力の根源たる魔法すらも圧倒することを証明できたのだ。
『――絶望に打ちひしがれる者に、その運命を受け入れさせてしまえば、後に残るのは「無意味」か「死」のどちらかしかない』
それは召喚に失敗したルイズを目にしたコルベールが危惧した彼女の将来の姿だった。
しかし、ハルキゲニアの社会制度という戦場で絶望の淵に居た少女は狂うことで自身の存在を無意味化することも、死を望むことも無かった。
絶望という無形の暴力に晒されながらも、彼女は「生」を望んだのだ。
彼女が生きる限り存在し続ける、このハルケギニアという戦場で生き延びる為には何が必要なのか。
その回答を彼女は導き出した。
――そう、答えは常に傍にあったのだ。
そんな絶望の中で射した一筋の希望の光――そして、少女はその光に縋りついた。
絶望が深ければ深いほど、人は最初に見つけた光に縋り付こうとし、さらにその欲求は強くなる。
暗い闇の真っ只中にいた彼女に射した光は、今まさに彼女の眼前の光景と共にその強さを増し、彼女を導くものとなっていったのだ。
内側から弾けた様な赤黒い残骸を見つめながら、彼女は改めて決意する。
力の無い貴族連中が作り上げたこのハルケギニアの社会制度は私を認めることはない。
ならば――私の存在を認めさせる新しい社会制度を作ってしまえばいい。
――そう、私は私の為の世界を作り上げてみせよう。
この、私の「力」によって。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
10/08/07
二回目の改定を実施