――――――――――――広い草原の中を走る街道をゆっくりと馬車が進んでいる。
平賀才人はシエスタの故郷、タルブ村に向かっていた。
自らの不貞を隠そうとしたモット伯の時とは違い、さすがに魔法学院の生徒を殺害したことによって、才人がトリスタニアで自由に活動することは不可能になると予想された結果だった。
事件直後に才人の行動をシエスタから聞いたジェシカは才人の部屋となっていた屋根裏部屋で言った。
「これからのことなんだけど――」
その言葉を聞いた瞬間、才人は追い出されることを覚悟した。
あれだけのことを仕出かした自分が居れば、『魅惑の妖精』亭に迷惑がかかる。
場合によっては自身が衛士に突き出される可能性すらある。
――才人としては、もしそうなれば大人しく従うつもりだった。
彼は自身の力で自分を助けてくれた人達を傷つける気には到底なれなかったのである。
「……トさん、聞いてます?」
そんな思いにふける才人を呼ぶ声が聞こえた。
「もう! 大事な話って言ったじゃないですかっ! ちゃんと聞いてましたか?」
そうシエスタが怒気を含めた声で言った。
その勢いに少し圧倒されながら、才人は素直に謝った。
「ごめん、なんだっけ?」
「ですから――」
「あんたには今すぐにこの『魅惑の妖精』亭から出て行ってもらうってことよ」
そう続けようとしたシエスタを遮ってジェシカが言葉を継いだ。
覚悟していたとは言え、その言葉に才人は衝撃を受けた。
当然の対応、いやむしろ衛士に突き出されないだけマシかもしれない。
「そっか。……迷惑ばっかりかけてたけど、今までお世話になりました」
そう言って才人は『魅惑の妖精』亭を出て行こうとした。
そんな彼の姿を見て、慌ててシエスタが彼を呼び止めた。
「ちょっと! 一体どこに行くんですか?」
「えっ?」
困惑した表情を浮かべた二人――才人の行動に驚いたシエスタと、呼び止められた理由の分からない才人――の様子を眺めていたジェシカが突然笑い出した。
「あんた、やっぱり話を聞いてなかったでしょう――」
そう言ってケラケラと笑うジェシカ。
しばらく笑った後、彼女は話の内容を再び才人に告げたのだった。
――空は快晴、気温は少々高いがそれでも時折吹く風によってむしろ爽やかさを感じさせる。
そして、路面の凹凸によって生じる周期的な振動が人を眠りに誘う……筈だった。
しかし才人は荷台を覆う帆布の下で泣きそうになりながら鼻を摘んでいた。
才人の隣には大きな壷が複数あった――というよりも才人を囲うように壷が配置されていたと言うのが正しい。
中身は農村で使われる肥料――すなわち人間の糞尿だった。
トリステインで人糞が肥料として使われる様になったのはここ50年程のことであった。
それまでは連作によって土地が不作になると、農民は土のメイジに頭を下げ、高額の金銭と引き換えに土壌改良を頼み込む以外に手段はなかった。
しかし、50年程前にトリステイン南部から人糞を肥料として使用する方法が広まり、人糞の需要が農村の供給量を越えると、都市で発生した人糞を運んで売る商売が成り立つ――当然そのコストは貴族の魔法に頼るよりもはるかに安い――こととなったのだった。
無論、王都であるトリスタニアには下水道がある。
しかし、下水道は専ら貴族の館の為に存在するものであり、トリスタニアの住民の大部分を占める平民用にそんな設備がある筈もない。
よってトリスタニアから周辺の農村に肥料として大量の人糞が搬出されるということは都市の住人からすれば一石二鳥であり、日常のごく自然な光景――むろん余り近付きたい代物ではないが――となっていたのであった。
そんな輸送馬車の荷台に才人は忍んでいた。
当然、それを手配したのは『魅惑の妖精』亭の実質的な経営者であるジェシカであり、隠れる方法を指示したのはシエスタであった。
そうして王都から西部に向かう街道を進む輸送馬車は、その臭いに辟易した衛士によっておざなりな――事件が未だに発覚していないということもあったが――検問を受けつつも、無事に通過することが出来たのだ。
「サイトさん、もう外に出ても大丈夫ですよ」
出発してから数時間後、そう告げるシエスタの声を心底ありがたく感じながら才人は潜んでいた帆布を捲って外に出た。
才人には生き生きとした周囲の風景が荷台の臭いを隠してくれるような気がして大きく深呼吸しようとし、現実に引き戻されて止める、といった事態もあったが、トリスタニアからの脱出は無事に成功したのだった。
そうして才人は丸1日も馬車に揺られていた。
シエスタと荷馬車の御者が料理と寝床を作る間に才人は焚き火に使う枯れ枝を捜していた。
暗さを増し始めた森の中で才人は枯れ枝を拾い集めながら背中に背負ったデルフリンガーに尋ねてみた。
「なぁデルフ――俺、皆にこんなに世話になってばかりで良いのかな?」
その声色にはこれからの将来に関する不安と現状に対する申し訳なさが過分に含まれていた。
「だからと言って、今の相棒は傭兵なんかにはなりたくはねーだろ?傭兵なんて貴族の下っ端みてーなもんだからよ」
その質問に対して、他に道がねーんだから仕方ねーよ、と笑うデルフリンガー。
ハルケギニアで傭兵を雇えるほどの存在は少数の例外を除けば貴族でしかない。
過去の経歴は問われない傭兵ならば才人が自活していくことも可能かも知れないが、少なくとも才人自身に貴族の手下になる気はない。
結果として、彼としてはジェシカとシエスタの厚意に従うしかないというのが現状だったのだ。
そっか、と答える才人の声を聞きながら、デルフリンガーは内心で思う。
(……それに、あのメイドっ娘や看板っ娘は何か隠してる感じだったがね)
そうデルフリンガーは感じていたが、それに気付いていない才人に言う気にはならなかった。
――言ったところで何の解決にもならないし、確証も無いただの勘に過ぎないのだから。
「サイトさん、村が見えましたよ」
そう御者の隣に座るシエスタが大きな声で言った。
その声に反応して、馬車の荷台に後ろ向きに座っていた才人は首をめぐらせてタルブ村を眺めた。
トリステイン王国南西部に位置するタルブ村は周囲を大きな草原に囲まれた村であった。
村の特産品はワイン。
周囲を森で囲まれた草原地帯の真ん中に広大な葡萄畑と小麦畑、それに野菜を作るための畑が混在している。
そして、人家の密集した中心地近くには採れた葡萄をワインに加工するための醸造所がちょうどランドマークとなっていた。
しかし、何処からどう見ても西洋風にしか見えない村なのに才人には何処か懐かしく感じられた。
それは野菜の植え方や用水路の配置のような目立たない部分であったが、何処と無く才人が子供の頃に帰省した田舎を思わせたのだった。
タルブ村に到着した才人がまず初めに案内されたのは村の名所となっている寺院だった。
「私のひいおじいちゃんが『竜の羽衣』を祭るために建てた寺院なんです」
――最も誰もこれが空を飛ぶところは見たことないんですけどね。
そう言って、シエスタは寺院にしては大きな扉の横にある人間用の扉を開いて才人に入るよう促した。
そこに鎮座していたのは一機の航空機だった。
深緑色に塗られた機体上面と側面。
機体下部は薄青色に塗られ、飛行中の地上からの判別を困難にしている。
三枚羽のプロペラを備えた機首のエンジンカウルには所属部隊を示すものと思しき大きく「辰」の文字。
幅の広い大きな主翼からはその機体が戦闘用航空機であることを示すかの様に機関砲の砲身が突き出していた。
―――零式艦上戦闘機。
才人が生まれるおよそ50年前に採用された日本の海軍主力戦闘機。
世界最強と言われた開戦時の栄光に包まれた時代から、僅か4年でカミカゼという敗北の象徴となった機体。
その機体が確かに才人の目の前に存在していた。
それは才人の生きていた“時代”から半世紀以上も前の存在であったが、確かに才人の“世界”の存在だった。
「ゼロ戦だ――」
重く、押し出すように呟かれたその言葉は、才人が静かに興奮していることを示していた。
そして同時にこのゼロ戦のパイロットであったシエスタの曽祖父が帰れなかった、ということを実感させるものでもあったのだ。
「ぜろせん、ですか?」
聞きなれない言葉に思わずシエスタが聞きなおす。
その言葉に答えずに才人は目の前のゼロ戦を食い入るように見つめながら、大きな声でシエスタに尋ねた。
「シエスタ!」
「はい――なんですか?」
突然大きな声で呼ばれた彼女は少し驚きながらも答える。
そして、才人の出した質問は彼女を当惑させることになる。
「――シエスタのひいおじいさんの残したものってほかに無い?」
才人がまず案内されたのはハルケギニアには珍しい――才人に分かる筈もないが――長方形っぽい形の大きな石を立てた墓だった。
そして、その表面に刻まれた墓碑銘にはこう記されていた。
―――海軍少尉 佐々木武雄 異界ニ眠ル
才人はその墓碑銘を読んで、自身と同様に召喚されたシエスタの曽祖父が元の世界に帰れなかったことを実感した。
村の雰囲気やシエスタの容姿に何処か懐かしさを覚えたこともこれで説明が付く。
「なぁシエスタ、その髪と目、ひいおじいちゃん似って言われただろ?」
その事実に驚きながらもシエスタは曽祖父の遺品を示すために彼女の家へと案内してくれた。
そして、彼女は遺品を示しながら、言った。
「ひいおじいちゃんの残したものは『竜の羽衣』を除けば、ここにある変なメガネとこの変な銃、それに誰も読めない日記と、あとは――」
そこで一端、彼女の言葉が途切れる。
――これ以上先を言ってしまっても良いのだろうか。
もうこれを知ってしまえば彼は後には引けなくなる。
私達も彼を野放しに出来なくなる。
最悪の場合、目の前の少年を殺してでも、秘密は守られなくてはならない。
「あとは、何が残ってるんだ?」
彼女の言葉の先を求めて才人が尋ねる。
その言葉には何かに縋るような色があった。
そして、その目にはもう引けない、貴族の存在によって全てを失った少年の思いが凝縮されていた。
そうして彼女は意を決したようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「このことを聞いてしまえば、もう後には引けません。それに貴族に命を狙われることになるかも知れません――その覚悟はありますか?」
「……俺はこの世界の貴族とかって連中のせいで勝手に召喚されたうえに使い魔とやらに仕立て上げられて、おまけに帰る方法もないと言われた。それに、そんな境遇の俺を助けてくれる皆を傷つけたり力で従わせたりする連中を俺は許せねえ。それに俺、決めたんだ――」
そう才人は言って金髪の少年貴族を斬り裂いた時の決意を思い出す。
魔法とかいうファンタジーの世界の癖に才人の居た世界以上に理不尽な世界。
そんな連中、そんな世界が許せない。
“―――この理不尽な連中を許しておけるもんか”
その思いを改めて口にする。
「あの貴族だからと言って平然と他人を傷つける奴らをぶっ倒して見せるって――」
その答えを聞いたシエスタは仕方ありませんね、と言った様子で目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
そしてはっきりとした声で才人に言った。
「――コミン・テルン」
「こみん…てるん?」
聞きなれない単語に今度は才人がその言葉を反芻する。
それに対してシエスタは先程までの重々しさとは一転して解説するかのように説明調で言った。
「ええ、私のひいおじいちゃんが作った組織なんです」
「――ひいおじいちゃんが人間は生まれながらにして平等だ!って言ったときは誰もが驚いたそうですよ。誰もが生まれる前から貴族こそが偉くて、私達平民は絶対に敵わないんだって信じてたんですから」
そう語るシエスタの目が輝いている。
おそらくはその言葉の意味を理解したときの感動を思い出しているのだろう。
「人間は生まれながらに自由になる権利と自由に関わる権利があって――」
シエスタの思い出話は続く。
「わたし、神さまも、始祖ブリミルも、王さまも何も信じていないけど……ひいおじいいちゃんのその言葉――その理想だけは信じています」
そして、そんな説明を聞きながら、才人はシエスタの曽祖父の墓碑銘に刻まれたもう一つの言葉についても理解した。
苔の生えた墓碑銘の左下にはひっそりとこう刻まれていた。
―――革命、未ダ成ラズ。
魔法学院の生徒二人の行方が分からなくなってから二日後、王都の下水道で無残な状態になった遺骸が発見された。
そして、その直後からトリスタニアでの警戒と犯人の捜索が始まった。
特に犯人の捜索は昼夜問わず熾烈に行なわれ――貴族としての尊厳の核心に関わることであったのだ――貴族に指揮された衛士が無理矢理に民家に押し入っては家捜しを始めるという状況であった。
ある捜索隊を指揮する下級貴族は食事時の料理屋にずかずかと入り込み、風の魔法で店内をぐちゃぐちゃにかき回してして客と店主を威圧してから捜索を行なわせた。
またある貴族は捜索の成果が上がらないと、八つ当たり気味に平然と平民の家や家具を壊すなどの狼藉を行なっていた。
その一方で実際に捜索を担当する平民の衛士の士気は低い。
貴族に使いまわされる彼らからすれば、同じ平民の家をかき乱すような行為が好ましい筈もない。
その結果として捜索の成果は上がらないという結果に終わる。
さらに、捜索を受けた平民の大半がその横暴ぶりによって非協力的になるという悪循環すら生んでしまっていたのだった。
そして、貴族のその様な振る舞いによって蓄積した不満は、ある不幸な事件によって暴発することとなる。
――トリステインで平民による革命が始まろうとしていた。
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今回もトリ革をお読み頂いてありがとうございます。
作者のさとーです。
この作品は本来、原作をちょっと深刻かつ現実的に捉えてみよう、という発想から生まれたものなのですが、書いていく間に興が乗って調子に乗ってたら、いつの間にか暴走して元キャラが壊れていく形になってしまいました……。
よって、各キャラのファンの皆様(特にギーシュとその彼女方のファンの方)にお詫び申し上げます。
当初予定ではこんなにスプラッタになるはずじゃなかったのにw
……ああ、ほのぼのとした話が書きたい(汗)
「コミン・テルン」について。
原作にある、貴族による革命組織「レコン・キスタ」(本来ならレ・コンキスタなのに…詳しくは原作wikiを参照して下さい)が良いのなら、同じ節で発音できる「コミン・テルン」も良いんじゃね?ということで勝手に平民による革命組織の組織名にしちゃいました。勿論モチーフは世界的な共産主義者の国際的連帯を謳った第三インターナショナルの別名であるコミンテルンです。
この作品ではシエスタの曽祖父、佐々木武雄海軍少尉は学徒出陣で動員されたインテリという設定となっています。インテリであるが故に大学で当時禁止されていた自由主義・共産主義思想に嵌ってしまい、果ては召喚されたハルキゲニアの貴族制度の酷さにあきれ果て、平民の解放と平等な社会を作ることを目指した秘密組織を作るに至った、というムダ設定が付いてますw(厳密には共産主義思想は資本主義社会が行き着く先に発生するものなので、コミン・テルンは自由主義革命を目指す組織ということになります)
09/01/05追記。
共産主義と自由主義について。
資本主義と自由主義を混同されている方が居られるようなので解説をば。
共産主義革命は自由主義革命の一種です。自由主義革命は中世的な貴族階級(特権階級)という身分による統治制度から人間を解放するというものであり、「国家からの自由(自由権)」と「政治への参加の自由(参政権)」を求めたものです。
資本主義思想は自由主義革命によって保証された「財産権(個人の財産の保証)」の末に生産の為の資本を持つ資本家と何も持たない労働者という階級を生み出しました。共産主義思想(本来のマルクス思想)はその自由主義思想から発展した資本主義思想の矛盾を解決するために誕生したもので、貴族などの特権階級が無くなっても(存在している場合もあります)、資本家と労働者という階級闘争が発生していることに対する矛盾の解決として、資本の共有(国家所有―私有財産の否定)を目指して発生した思想だと私は理解しています。(専ら使われる「共産主義」とはレーニンによって改変された「マルクス・レーニン主義」や「スターリン主義」的なイメージを持っておられるかと思います)
よって共産主義も資本主義も元をたどれば自由主義思想に端を発したものであるとの認識でこの作品は描かれています。(つまり、先に階級からの自由を求める自由主義革命ありきで、資本からの自由を求める共産主義革命が発生する、ということとなります―――これ以上はこれから先の展開に関わるのでご容赦下さい)
10/08/07
二回目の改定を実施