時刻は2000を回り、灯火管制下なのにもかかわらず、開きっぱなしになっていた遮光カーテンをしめ、提督は向き直る。陸軍との共同作戦で『海軍が全滅した場合の陸軍が撮るべきオプション』について詰める事項が多数あったのだが、お互いに電話での怒鳴り合いに近くなってしまったがために、1700でそれをやめ、明日に回すことを約し、部屋で椅子に座った途端『落ちて』しまっていたため、慌てて跳ね起きて走ってきたのだ。どういう事だ、と思って見てみると、こくり、こくり、と頭が動いている。横で結った髪が、くろぐろと流れていた。「加賀」 うつら、うつらと臨時司令部の事務用の机に腕をおき、舟をこいでいた加賀は、目を覚ます。背筋をただした。疲れが顔に出ていないとはいえ、やはり疲れているのか。と提督はふと考えたが、本題はそれではない。ねぎらいの言葉でもかけるべきなのだろうが、加賀の性格上、嫌味扱いされるだろう、と踏んでいるからだ。「……は、はい。なんでしょうか。提督」「話がある」 慌てていた加賀も、居住まいを正した。提督の声音は真剣そのものだった。「……君は、艦娘になって何年だ」「兵学校を卒業してからですから……4年です。まさか私の年齢を知りたいだけ、とかそういうことなのでしょうか」「いや、違う。そういう意図はない。……そうか、四年か。昨日今日なったわけじゃない、と言う事だけを聞きたかった」 加賀は片眉を上げた。意図はよく読めないが、何か『昨日今日なったような艦娘』では知りえないことを聞こうとしているのか、と目で問いかけている。それに対して、提督は頷いて見せる。そして、続けた。「最上の報告は聞いたか?」「重巡『三隈』に軽巡『長良』と、艤装は失ったものの、駆逐艦『潮』を救助した、ということは報告を受けました」 それを聞いて、他に何かあるのか、と言外に加賀は問う。再び、提督は首肯した。「……それは、私が聞いて良いことなのですか?」「鎮守府と艦隊を実質的に取り仕切ってるお前に、秘密にして良いことはあるのか」「……そういう言い方は不快です」 提督は、言い方にとげがあったことを詫び、本題はそこにはない、と言うことを言った。「最上の個人的な事情を提督にのみ打ち明けられたのなら、私が特に何をいう事もありませんが。色っぽい話なら余計に立ち入りたくありません」 それを聞いて、提督が思わず狼狽する。そんなことをした覚えもないし、そんなことをする精神的な余裕などない。第一、相手は部下である。それに、彼が愛する物は全く別であった。「お返しです」「……ああ、どうも。すまんね」 手を思わずひらひらとやり、提督は咳払いをする。おっと、とばかりに再び加賀は口許を引き締めた。「で、話を戻すが……。単刀直入に聞くぞ、お前は、深海棲艦がどうやって増殖するかを知っているか。話せないことなら話せないと言ってくれ。知らないなら知らないと言ってくれ。本当に大事な話だ」「把握していません。公式の情報でも、噂レベルでも信憑性のある話は聞いたことがありません」「知らない、と言うことだな」 その通りです。と加賀は言って首を縦に振った。提督は、一拍置いて、言った。「どうも、まずいことになった。深海棲艦が鎮守府に入りこんだ可能性がある」「……それは本気でおっしゃっているのですか?」 加賀の顔は、恐怖でひきつる。右手を押さえているのを、提督はふと見とがめたが、触れなかった。たとえ駆逐艦クラスであったとしても、深海棲艦は間違いなく人間には十分な脅威だ。そして、艤装をつけていない艦娘にとっても、だ。艤装があれば『装甲』と俗に言われるフィールドを展開することができるし、肉体の修復もある程度できる。そして、およそ実際の口径に見合わない砲を運用し、航空機を運用することができる。だが、艤装を、というよりも機関部分を着用してなければ神経系の情報伝達が『効率的』なだけの人間である。深海棲艦がこの手の『戦術』を使ってくることは無かった。そうした戦術めいた動きは一部の強力な艦種以外では見られず、数で揉みつぶす。おまけに、頭がよいとされる強力な艦種であっても、攻撃を一時控える、などと言った行動は一切しない。これが本当であれば、作戦計画そのものが根底から覆される。「いや、可能性の話だ。だから、これから聞くことは本当に大事なことだ」 くそ、前置きばかり長いな、と、提督は加賀に注意したことをふと思い出した。本題に入る前に前置きが長いのは、軍人としてあまりほめられたことではないのだ。「加賀、お前は艦娘が深海棲艦になるのを見たことがあるか」 目を、加賀が見開く。唇が、震えていた。「あるわけがありません。ありえないからです」 提督は、そうだ。と言った。「だが、最上は見た」「つまり、三隈、長良、潮のうち、誰かが」 そこから先を加賀が続けようとしたのを見て、提督は制止する。「その先を言うな」「だれ、ですか。提督」 加賀のギプスに指が食い込むのを、提督は見た。だが。「言えば、お前はそいつを殺すか」「あた……あっ……」 提督は、はっとなってギプスから手を離した加賀を見て、ゆっくりとうなずいた。「全員の医療データを見たよ。間違いなく全員人間だ。ちょっといじられては居るが、間違いなく。医官は処分、いや、この際言いつくろうのはやめよう。殺そうか迷ったが……過去の記録が閲覧できない状況で助かった。……お互いにな。三隈だよ、例の『深海棲艦』疑惑がかかっているのはな」 殺す、と躊躇なく言ったことに加賀は目を見開いた。こういう事を無造作に言える人間だとは、考えていなかったためだろうか。そう提督は考え、何を驚く、と言った。「……それでは、どうするのですか」「どうするもこうするも、三隈は疑いが晴れるまで出撃させない。晴れたところで周防大島攻略戦以外には出さん。重巡三隻だぞ」 なぜです、とは今度は加賀は聞かなかった。危険度が高いのも確かであるし、それに、燃料が純粋に不足しているためだ。加賀の腕を切った後に正常な腕をつなげないのも、加賀に戦艦たる『山城』とともに動かれると洒落では済まなくなる。鳳翔に艦載機を積んでいるのは、何も艦載機の数が不足しているためだけではない。 それに、出撃されるとボンクラ士官の部類で、兵科士官ではなく、もとは機関科士官である提督にとっては作戦指揮や立案もなにもないからだ。基礎的な部分はもちろん知ってはいるが、それでも加賀が鎮守府と艦隊を実質的に取り仕切っている、という言葉に嘘はない。「では、長良は?」「出撃させる。燃料問題はあるが、対潜哨戒に長良型は強い。曙と電の指揮を執ってもらう」 潮は、と口の形を作ろうとした加賀は、それを止める。なぜなら、艤装、つまり機関部を逃走の際に切り離しているため、艤装が再度出来上がるまで出撃どころではないからだ。山城が手ひどくやられた際にこれをしなかったのは、できなかったということもあるが、修復ならともかく、再建造となると、今のところは大和建造で資材と人員を吸い取られてしまい、不可能だからだ。長良と潮の思い切りの良さはともかく、頭の痛いことではあった。「……摩耶、山城や鳳翔さんがこの件を知っている可能性は?」「三隈が『轟沈した』と見られていた期間から今まで、艦隊行動を共にしていたことは無かったはずです。山城さんと鳳翔教か……鳳翔さんは教官職にありました。摩耶は横須賀から佐世保に配属される途中でしたから……」 鳳翔、と名前を出した時、一瞬加賀が顔をしかめた。本当に苦手なんだなあ、と提督は他人事のように考える。まあ、確かに兵学校時代の教官が部下に居る、となると俺もやりづらいか。とふと考えた。「……鳳翔、鳳翔さんか……呼んできてくれるか」「……はい?」「彼女が教官だったなら、本来知りえない事を教え子から聞いている可能性もある。……違うか?」 そういった瞬間の加賀の顔は、ひどく情けないものだった。「……申し訳ありません、私は知りません」 鳳翔のその声を聞いて、提督ははあ、とため息をついた。加賀は、なるべく鳳翔を見ないようにしながら、所在なさげに立っている。それを鳳翔は一瞬見て、すぐに提督の方を見た。 鳳翔は笑顔を崩さない。桜を白く染め抜いた、模様となった花と同じ色の上衣と、紺の袴といった着物のように艤装を身に着けた、長い髪を後ろで結った少女、いや、女性は、不思議な威圧感があった。なるほど、教官のまとわせている雰囲気だな、と提督は感じたが、どこかそこには『中身』がないように感じた。本来は苛烈な女性であったと聞いているが、どうにもそういったケンを感じないのである。 優しげな、しかし空虚なものを覚えるその鳳翔に対して、提督は再び口を開いた。「鳳翔……さん」「鳳翔で構いませんよ。提督」 くそ、確かにこれは加賀が苦手とするだろうな。と提督は仕切りなおすように咳払いをして、言った。「三隈を出撃させないとして……どのように監視するべきと考えるか」「潮ちゃんの身辺のお世話の手伝いをさせてはどうでしょう」 鳳翔は、まるで用意していたかのようにすらすらと答えた。「……どうしてだ?」「潮ちゃんなら死んでも……戦力の増減はありません。 0 は 1 になりえませんから」 それを聞いて、そうか。と淡々と提督は受け止め、そしてそう受け止めた自分を嫌悪した。これでもし深海棲艦なら子供が八つ裂きにされるのだぞ。この女はそういったのだ。 そう自分への怒りを鳳翔に転嫁しようとして、提督は口を開こうとした。だが、鳳翔は笑顔を崩し、目をさまよわせている。この女性は、自分が言ったことに動揺しているのだ。おそらく、演技ではない、と提督は感じた。演技だったところで、どちらにしても自分の言っていることの意味は理解しているという事でもある。「……今は、もう修復……いや、治療は終わっていたな」「ただ、松葉づえはついていますから、介助者が居た方が良いでしょう。艦娘の介助を一般の兵、とくに男性に任せるわけには……」 男性、という言葉を発した瞬間、一瞬自分の方を見たように提督は感じたが、あえて無視した。確かに救助されたときに潮を上から下まで思わず見てしまったが。「身辺も含めて考えれば当然だな」 そういってはみたものの、提督はもちろん当然とは考えていない。潮と姉妹であったはずの『曙』の名前が一切出てこなかった。追及するべきか、と考えたが、本題はそこではないし、家族のことに立ち入るのは仕事であっても好きではない。 三隈は出撃させない。潮の身辺を手伝う。理由は燃料不足で、重巡洋艦を三隻も稼働させれば干上がる。となかなか苦しい言い訳である。疲労もあるのだから、最上とローテーション運用をすればいいのだ。本来は。そう考えた提督は、思わず頭を押さえた。 戦力の増加を喜んでいた自分を張り倒したい気分だった。「潮の世話、ですか?」「そうだ」 0900に司令官室に三隈を呼び出した提督は、開口一番そういった。加賀は、というと、長良と曙、電を引き合わせて作戦前ブリーフィングを行っていた。 光の当たり具合によっては緑に近い色を見せる黒髪を左右で結んだ、くすんだ朱色のセーラー服の少女は、小首を傾げた。「まあ、それではモガミンが大変ですわね」「モガ……なんだって?」 なんとなく、この子は頭痛を誘発する達人かもしれない。と提督は考えた。上官の前で自分の姉をモガミンと呼べる奇矯な性格は地なのか、はたまた深海棲艦の変化したそれなのか、と判断がつかない。「最上さんのことです。ほかにモガミンと呼べる人はいらっしゃらないでしょう?」「ああ、まあ、そうね」 俺のことを陰ではシラインとか面白い名前で呼んでいるのだろうか、などと益体もないことを白井、つまり提督は考えた。実際はホワイトさんだったが。 首を振って、提督は続けた。「燃料不足でね」 短く、言う。この厄介な少女をなんとかしたい、そう考えたが、その次の発言で、その考えを改めた。「まあ、それはおかしいですわ。私と最上さんは同型艦です。摩耶さんはともかく、ローテーションが組めます。それに、最上さんは貴重な航空巡洋艦ではありませんか?」 ああ、やはりこの少女は奇矯な性格だが、頭の回りが悪いわけではない。と、提督は顔を見て考えた。にっこりと三隈は笑う。「そうだな。理由の説明は必要か?」「いいえ、理由を問うのはくまりんこの仕事ではありませんから」「……くまり……そ、そうね」 そういって、提督は脱力し、退出するように、と命じた。たかだか数十分のやり取りなのに、妙に疲労したのは、気のせいではない。「……うまく笑えたかしら」 そういって、三隈はため息をつく。自分が疑われている。そう思うと、気が気ではなかったのだ。 別に、理由のない疑いでもないのだろう。そう、三隈は感じていた。心当たりも、あったのだから。 大きな、心当たりが。