知りたくもないことを知る、と言うのは、どういう気分だろう。と時折考えたことがある。手のひらを、オレンジ色の非常灯にかざして、血管が透けて見えないかを試してみて、笑った。 自分が一体何なのか、を悩む余裕がある、というのは、彼女にとってはひどくうらやましいことであった。その苦悩がたとえ、自分が怪物かもしれない、というものであったとしても、だ。「バカみたい」 ふん、と笑って布団を引きかぶる。手のひらで、ごし、と目元をこすった。「……バカみたい」 曙は、そういって何かを笑った。 初めて目を覚ました時、自分が何者かを既にしてわかっていたのは、不幸だったのか、どうか。いや、わかっている、と言うよりは知っている、と言う方が適切かもしれない。なぜなら、自分の記憶は植えつけられたものであったからだ。オリジナルのある時点での記憶を焼き付けた存在。そして、艤装から流れ込んでくる『記憶』を受け止める器としての存在。それが、綾波型駆逐艦『曙』のすべてだった。すべて、という言い方は不適当かもしれない。すべてと言えるほどのものは持っていなかったのだ。オリジナルの『曙』であった少女の持っていたものは、そして駆逐艦として生まれ、水底に沈んだ『曙』の持っていたものは、持っていない。 オリジナルの親は生きている。らしい。らしい、というのは、曙は接触を禁じられていたからだ。彼女にとって、海軍は親であり、家であり、おそらくは墓場になるものである。 ただ。そう曙は思い返す。妹とは会えた。だが、自分の出自を思い知らされただけだった。潮。妹のはずの少女の顔を見た瞬間、曙はうれしかった。確かに、記憶の中では彼女は間違いなく妹だったのだ。だが。潮の顔は、ひきつっていた。 お構いなしに話しかけ、笑いかけたと同時に、目に涙を浮かべた妹のはずの少女から、叫び声が上がった。「曙ちゃんと同じ声で話しかけないで!」 叫ばれた瞬間、曙は逆上し、潮のほほを張っていた。自分でも、なぜそんなことをしたのか、わからない。それが、潮にとってのとどめだったらしい。そして、曙にとって致命的な一言が、潮の喉から発された。「曙ちゃんは死んだのに、どうしてクローンのあなたが生きてるの」 よくよく考えてみれば、どうして話しかけたのだろうか。と思うような話である。オリジナルが彼女の目の前で戦死してから半年も経っていなかったというのに、クローンが目の前に居るのだ。逆の立場なら、と想像しようとして、曙は寝返りを打った。「……ばかみたい」 逆の立場になどなるものか。いや、なりようがない。そう思って、再び笑い、ぬれた目元をこすった。余計者艦隊 第五話「Impostor」 どうして戦うのか、と自問したことがない、と言われれば、嘘だ、と笑うだろう。何しろ、敵たる深海棲艦は悪意と敵意を人類に向けてくるだけで、何かの目的意識があるようには思えない。よしんば。目的意識があったところで、自分にわかる形で何か伝えられるとも思わない。そのくらいの分別がつく程度には、潮は大人になっていた。いや、むしろそうなるように操作されたのかもしれない。そうとも言えた。だが。そう思って、最上が去った後、ずっと聞こえる三隈がすすり泣く声が聞こえるために布団をかぶり直し、ため息をついた。大人なら、あの子に、曙ちゃんのクローンにつらく当たるのがどういうことかをわかっていて当然だ。彼女は家族を失うことがどういうことかをわかっていないし、わかることができない。何しろ、本質的な意味で家族が居ないのだから。そんな孤独な子に私はひどいことを言ったのだ。「……無理だよ」 そう。無理だ。同じ性格で、同じ好みで、そして同じ外見に同じ声で話しかけてくる、死んだはずの姉。もっと大人なら折り合いはつけられるのだろう。と潮は思うが、彼女には耐えられなかった。話しているうちに殺された姉の姿がちらつく。いつも憎まれ口ばかりたたいていたのに、それでいてさびしがり屋で誰かと一緒にいないと不安そうな顔をしている姉。そして、上半身が吹き飛ばされ、血を吹き出す肉人形に変貌した姉の姿が、だ。不思議と、吐き気はしなかった。至近にいたために血を浴びて、ああ、やっぱりあの姉も死ぬんだな、と思ってしまったのである。 最上とその旗下の艦隊がとり逃した重巡『リ級』と、どこからか現れた有象無象が殺到し、攻撃を仕掛けてくる。潜水艦もたっぷりやってきた。避難民は全滅。自分たちが生き残ったことも奇跡と言えた。 生き残って軍法会議で降格処分を受けた最上と、もう一度同じ部隊で戦うのか。と一瞬考えては見たが、戦うも何も、艤装がないことには陸に張り付いているしかない。同様に『死んだはず』の三隈を張り付けている、ということは、多分、何かしらの疑いをかけられているのだろう。そう潮は判断していた。長良はどうして別にされたのだろうか、とも思ったが、おそらく率いている部隊というのは、監視の役割もあるのか、などと益体もないことを考えて、寝返りをうつ。 眠ろう。そう考え、再び瞼を閉じる。たとえ、見るのが悪夢でも、今の状況よりは悪くない。潮は、苦く笑った。年に見合わない笑い方であった。「救援は! 救援はまだなの?!」 絶叫に近い声を聴く。溜まった薬きょうをぼちゃぼちゃと音をさせながら海に吐き出させ、再装填。潮は、舌打ちをこらえながら声の主を見る。 その声の主、吹雪は、避難民にしがみつかれて、振り払おうかどうか迷っている。機関の出力上余裕はあるが、発砲ができなければそれどころではない。重巡『リ』級を先頭に敵戦隊が殺到しているのだ。重巡『リ』級は狙い澄ましたかのように避難民の救命ボートを優先的に狙い、生き残った避難民を助けようと動いた艦娘たちを狙っている。それでなくとも、吹雪のようにまとわりつかれて発砲や機動どころでなくなっている者もいるのだ。潮と曙は発砲し続けることで寄せ付けていないが、漣と吹雪はその暇が無かった。「定期交信の途絶で動いてるはずだよ!」 長良がうめくように言い、漣と吹雪に振り払え、と合図する。このままでは残りもやられてしまうためだ。とり逃した『リ』級はどこからか現れた駆逐艦を引き連れ、盛んに砲撃を行っている。リ級を含む第一集団が正面、識別不明の駆逐艦6隻の第二集団が左舷側、軽巡1と駆逐5の第三集団が右舷側より接近していた。避難民の盾として、囮として動くも何も、最初から避難民を狙ってきている。となれば、選択肢はない。相互に10㎞もないような超近距離戦闘である。たとえ重巡が相手であっても、やれる可能性はある、ともいえる。「ごめんなさい……!」 吹雪と漣は、ためらいがちに避難民を振り払って増速。砲弾の着弾の水しぶきと、悲鳴がさながらコーラスのよう。そして、その只中に響き渡るのは深海棲艦の歓喜の声。 信号弾が上がり、位置が露呈することも構わず発光信号を長良が送ってくる。ワレニツヅケ。それのみだった。「畜生……クソ提督……!」 曙は吐き捨て、右舷側集団に対して発砲していた潮に向って怒鳴る。「長良についていくわよ! 来なさい!」「でも……!」 それを聞いて、曙は再び叫ぶ。金切声に近いそれが、耳朶を打った。「あのクソ重巡をぶっ飛ばすのが先よ!」 どのクソ重巡なのか、と思わず問い返しそうになったが、潮はそれをあえて無視し、砲撃を止めてデータリンクの示す長良の位置に向う。隊形をなんとか単縦に組みなおすと、長良が再び怒鳴った。その間にも盛んに砲撃を相手が行ってくるからだ。「来たわね。第一集団に攻撃を集中させる。迎撃に向った組も反転してこっちに来るわ! 挟撃ができる!」「他は?!」「雷撃した後、こちらが右舷側を、重巡が左舷側をやる手はずになっている!」 潮は、食いつかれたらどうするんだ、と言いかけたが、目の前の曙が睨みつけていて、それをやめた。最後尾には吹雪がついている。吹雪ならなんとかやるだろう、と長良は見ているのだ。「さあ、食い破るわよ!」 長良の合図で一斉に砲撃を開始し、黒い煙が視界を覆う。砲撃音が耳朶をたたき、耳が痛んだ。「雷撃準備!」雷撃のための姿勢をとり、撃ちだしたその瞬間に、発砲炎が視界に入る。ヒュッ、という風切音すらした音声に、思わず潮は目を閉じた。着弾地点は艦隊の横だ。データリンクでは全員の反応がある。よかった。と目を開け、顔を上げた瞬間、ひどく顔が濡れていることに気づいた。水か。と思って手でそれを拭い、顔を上げる。「あ……」 そこには、がくがくと震えた足があった。いや、足だけがあった。びゅうびゅうと血を吹きあげ、倒れこんだそれは、姉『であったもの』だった。「えっ……え?」 手のひらを見れば、それは海水などではなく、血である。ばしゃん、と姉であったものが倒れこみ、ぶくぶくと沈んでいく。データリンク、途絶。綾波型駆逐艦『曙』戦死。 それを目の前で見た潮は、絶叫するでもなく、ただ茫然としていた。自動的に体が動き、応射する。接近してきた重巡『リ』級は、その砲撃をものともせずに漣に雷撃を浴びせ、漣の足を引きちぎり、吹雪の頭にこぶしを振りおろし、砕く。あまりに手際のよい殺戮に、いっそ潮は手をたたきたい気分になっていた。むろん、恐怖のあまりに笑いの発作が起きかけているだけなのだが。 雷跡が潮の左舷側を走る。砲撃がぶつかり、敵の青い障壁にぶつかったその瞬間に魚雷が命中し、リ級は悲鳴を上げて沈む。長良は、肩で息をしながら、潮に近づき、肩をゆする。「大丈夫?! やれる?!」「……は、はい。はい。やれ、やれます!」「よし!」 畜生。と長良は怒りの言葉を吐きながら、波を蹴立てていく。それに潮は追随するが、海のこの赤はどっちの赤だろう。などと考えていた。 それを、そんな風に意識していたな、と冷えた頭で潮は見ている。 お定まりの敗戦だった。最上は責任を取って降格。長良と私、潮、そして熊野は生き残って無様を晒し続けていた。いや、長良はその次の沖縄撤退戦で戦死した『はず』なのか、とも。だが。「あれ? 潮じゃない。なんで喪章なんか着けてるの?」 ひらひらと手を振る姿が、目に入る。ああ、と思わず潮は嘆息した。これは。「誰かのお葬式? それにしても、なんで私を呼ばなかったんだろ。ムカつくなあ」 横で結んだ長い髪と、勝気そうな瞳。そして、どこかさびしさをにじませたそれは、当人に生き写しである。そう。葬式で送り出した姉の姿の。「……呼ぶわけ、ないわ」 そう答える声が、震えているのを意識する。「……どうして?」 どうしてだって、と言いそうになり、いつもの姉のように、小首を傾げているのを見て、視界がぼやける。ああ、いつもこんな風に、困惑した時は顔をしかめて、小首を傾げていたのだ。姉は。そう潮は思って、ぐっと下唇を噛む。「ねえ、どうして?」 いつもと同じように笑い、死んだはずの姉が近づいてくる。足から上がなくなって、即死だったはずの、そして、何も入っていない棺桶を燃やしたはずの姉が。潮は、爆発した。「曙ちゃんは死んだのに、どうしてクローンのあなたが生きてるの!」 その瞬間、曙は何かをわめきながら掴みかかってくる。こちらも構わず髪をつかみ、同じ言葉を怒鳴る。「なんであなたが生きてるの!」 お姉ちゃんは死んだのに。「景気はどうだい、馬糞」 提督の陰気なそれを聞いて、陰気な笑いが返ってくる。「最低の景気さ、女衒」 ただひたすらに、お互いに疲れていた。陸軍は上陸してくる深海棲艦の迎撃のために海田市で必死の防戦を行い、海軍は、というとその支援にも向かえないありさまだった。一度、試験も兼ねて戦艦による砲撃を行った時はなんとかなったが、現在は海田市から叩き出されている。パワードスーツを装着した陸軍兵は.50calを持っているが、軽巡や重巡が上がってくると重迫撃砲でも対応が難しい。まして、例の『スカーフェイス』こと、左ほほのそげた戦艦『タ』級が上陸してきた、となると完全にお手上げだった。敵は海に一時的に戻っているが、いつまた上陸してくるかもわからないとなると、鉄道の復旧は絶望である。「……やるしかねえよ。米軍も……米軍の海軍航空隊も同意見だ。F-35Cで爆撃する、と言っている」 そう、陸軍の師団長は言っている。実際、提督も同意見だった。「周防大島攻略戦の発動か」「そうだ。ルビコンを渡るのは早い方がいい」 ルビコン川。そうだ、決断をするほかない。「時期は、どうする」「どうする、じゃねえよ。こっちは後2週間広島を持たせられるかどうかだ。広島放棄も検討してるくらいだぞ」 是非は、無かった。