「状況は!」 提督は、ひどく痛む額をごしごしとこすりながら、加賀と鳳翔に聞く。鳳翔は、というと、目の端が赤い。仮眠をとっていたのか。とふと考えたが、それを置き、言葉を待つ。「……飛行場姫が動き出しました!」 その鳳翔の言葉を聞いて、即座に腰につけていたトランシーバのスイッチを入れる。だが。そこから流れたのは、雑音だらけの空電のみ。提督は、悟った。「すぐに放送をかけろ! 事前に決められていた通り、地下指揮所に人員を収容!」「……了解!」 鳳翔はそれを聞いて、放送施設に駆けだす。加賀に行かせようとしたのだが、と考えたが、すでに遅い。呼び止めて口論になるくらいなら、行かせた方がいい。提督は、そう判断した。「……収容しきれない人員は?」 その加賀の言葉を聞いて、背筋をつう、と冷たいものが垂れていくのを、提督は感じた。「……やむを得ない。運を天に任せる」 事前の計画通りではあった。ではあったが、あまりに非常な決断である。提督は、加賀の顔が真正面から見られなかった。20万人を今から見捨てる。そう思えば、そういう気分にもなった。「どうしたって言うんだよ!」 摩耶の言葉を聞いて、曙は狼狽する。とぎれとぎれの放送からは、第53号計画に基づき、所要人員は地下指揮所に集合せよ。繰り返す、地下指揮所に集合せよ、と聞き取れる。第53号計画。その意味を、摩耶も曙も理解している。「アタシたちは迎撃に出るんじゃないのか?!」 その摩耶の言葉を聞いて、曙は猫の額を割った少年の顔が、ちらつく。どうしてあんな奴のために、私が、と唇をかみしめた。あの子を殺したあんなやつのために、なんで私が戦わなきゃならないの、と、考えてはならないことを考える。「……行きましょう。指示に従わなきゃ」「お前……?!」 曙の顔を、摩耶は目を見開く。お前はそんなことを言う奴じゃあなかった。そう言わんばかりだ。私だって変わることはある。そういいたいのを、曙はこらえ、走り出した。一瞬摩耶は迷い、装備はどちらにしても地下指揮所だ、と思いいたったのか、悠々とこちらを追い抜いて行く。「三隈!」 その声を、曙は聞く。三隈がいる、ということは、つまり。「潮……?!」 潮が抱え込まれ、三隈に抱きかかえられているのを、曙は見る。つい先日、涙を見られてしまったためか、かつての怨恨というよりは、気恥ずかしさで顔を見られない。「あら、摩耶さん。……と、曙さん」 いつものふわりとした笑顔で、いつもと変わらない調子で三隈は笑う。それを、信じられない、という様子で摩耶と潮は見て居た。事実、曙もそれを信じられない。こんな時になんでこんなに呑気でいられるんだ。そういう思いが、ある。「急がないといけませんね」「馬鹿ッ走れッ!」 摩耶は、いつもの手荒さそのものの調子で隈の頭を軽くはたき、はしれ、と手でサインを送る。あらあら、と開いている方の手で頭をさすりながら、走り始める。「53号計画ってことは……空襲かしら」「それ以外の何があるんだよ!」 その三隈と摩耶の怒鳴り合いを聞きながら、抱えられている潮と、曙は思わず視線を交わした。大丈夫なのか、という感覚である。「……ついたら、どうするんですか?!」 弾む息の間から、叫ぶように曙は声を発した。それに、摩耶も同じような調子で返してくる。「提督の指示によるが……防空戦闘に移る。……と! 思う!」「防空戦闘……?!」 防空戦闘。装備しているのが対空砲だったから、ちょうどいい、と曙は走りながら独り言ちた。なんだってVADS、つまり対空機関砲を引っ張ったトラックの一台も走っていないのだろうか、などと考えながら。「……あら、遅かったですね」 そんなことを、加賀の顔を見ながら、山城は言った。46cm3連装砲の砲内部にこびりついたカーボンを落としていたため、すでに地下指揮所に居たため、こんな調子であった。「準備は万端。いつでも出撃できます」 手についた機械油のにおいに顔をしかめながら、山城は艤装を装着する準備を既に終え、加賀の目を見る。なぜ首席参謀のお前がここにいる、提督はどうした。といわんばかりの目で、だ。「……その必要はありません」 どたどた、という足音が、上から響いてくる。ああ、来たのか、と山城は話が面倒くさくなるな、と考えながら、ため息をついた。「その……必要がない、って……どういうことだ!」 息が上がっているためか、それとも「極度の興奮状態にあるからか」は判然としないが、現れた摩耶は顔中を真っ赤にしながら、怒鳴り、加賀につかみかかる。「やめなさい。摩耶」 静かに、山城は目を閉じて言う。ああ、つまり、そういう事なのか、と、理解できたためだ。「やめろって……姉御?! こいつが言っていることの意味が分からないのか! この……この敵前逃亡で味方殺しのクソアマがどんなくそったれなことを言ってるのか、わからないのかよ!」「やめろといっている! お前は軍の秩序を乱すつもりなのか! 摩耶!」 強い調子で山城は言葉を発しながら、摩耶の腕をつかみ、加賀から手を離させ、突き飛ばす。思わないことはなかった。だが「言っていいことと悪いこと」がある。その後ろからついてきていたであろう三隈と曙、そして潮は、目を見開いていた。「軍の序列なんかクソくらえ! 姉御だってなんてことを言っているかわからないわけじゃないだろうが!」 加賀は、下を見て唇を噛んでいる。こうなったら加賀は使い物になるまい。そう考えながら、山城はぴっ、とさされた摩耶の指を払い、同じような調子で返す。「摩耶、それ以上はわかっているんでしょう?!」 そう言った瞬間、摩耶は顔をゆがめ、そして自分の装備を見て、繰り返す。「わかってんだろ、姉御も」 そう言われた時、加賀と同じように、山城も思わず下唇を、噛んだ。 「……録音音声、流れてるわね」 放送装置から自分の音声が流れていることを確認すると、鳳翔は駆け出す。そのとき、ふと気になって後ろを見ると、爆炎が上がった。空爆、とふと身を固くし、地に伏せるが、特有の轟音はない。窓も、割れていない。「……人間の敵は、人間ってことなの……?」 破城槌のようにした角材をメインゲートに打ち付ける避難民の姿が、目に入る。守衛たちも発砲しようかどうか迷い、銃を上げ下げしていた。それを見て、悲壮感に駆られかけたが、しかし。頭の冷えた部分が、鳳翔に言う。お前は生きることに興味が失せたのではなかったのか。そう、言っている。「……」 鳳翔は、振り返らずに走る。銃声と、人間同士が戦うウォークライの声が、後ろから、した。「デッキアップ、急げッ!」 警察官が、パワードスーツに身を滑り込ませ、核融合バッテリーを軍の整備士が装着し、ぐっと親指を上げるのを、提督は慌てて腕を振り、制止する。「今はまずいッ!」「そんなことを言っている場合ですかッ! 電話でメインゲートが破られたって連絡があったんです!」 給弾口から催涙ガス弾を20mm砲に送り込みながら、ハーネスを閉め、そしてコクピットを閉じて顔が見えなくなる彼らを、見た。4機のパワードスーツが、同様にスターターをかけ、ぐいん、と動き始める。腰には、20mm通常弾をセットしている。残りの4機は、というと、それを悔しそうに眺めていた。バックアップ、というところだろうか。いずれも、年若い。「私たちはおまわりさんですよ」 外部スピーカーで、そういう彼らを見て、提督は止めることが無駄である、と悟った。彼らは暴徒鎮圧とともに、できれば避難民に空襲が迫っていることを知らせ、逃がしたい、と考えているのだろう。それを止めることは、提督は、その良心から言っても、不可能だった。いかにも、無残な、痩せこけた良心だった。優秀な指揮官には、なれそうもない。そう思いながら、痛む頭をさする。「市民を守るのは私たちの仕事です。……後は、あんたたちの仕事だ。軍人。武運を祈る」「そちらも」 敬礼をすると、ははは、と警官たちは笑い、搬入用エレベーターで地上に向い、姿を消した。あんたたちの仕事だ。そう言われて、と提督は思わず吐きそうになるのをこらえた。 俺があんたたちのようにふるまえるものか。俺が何を選ぶか知っていて、それを言うのか、お前たちは。そう、悪態をつきたい心持だった。だが、それは提督には許されないし、そんなことは甘えである。選ぶ、ということは本質的にそのような要素を持っている。「……」 言うべきことは、もはやない。そこからは背を向け、地下指揮所の艦娘の装備の臨時整備ショップに向う。そして、そこから漏れ聞こえる口論の声を聞きながら、提督は、ホルスターから拳銃を抜き、そのグリップを握りしめた。ブローニング・ハイパワーと呼ばれる、ベルギー製の拳銃のハンマーを見て、こいつを撃つようなことにならなければいいが、と考えて、スライドを引いた。「提督……?」 その声が、耳に届く。加賀のそのすがるような声を聞いて、思わず提督は舌打ちをした。説得できなかった、ということか。そういう苦い思いが、腹の中でわだかまり、右手の拳銃の重さをより意識させる。「提督……!」 怒声が鼓膜を、強くたたく。三隈と潮、そして曙の戸惑いの視線を身に受けながら、摩耶のそれを受け、静かに返した。「待て、どこへ行く」 ブローニング・ハイパワーのグリップをぐ、と握りながら、トリガーに指をかけて、摩耶にそれを向ける。振り向いた摩耶は、信じられないものを見る顔をしていた。「おい、提督、どういう意味だ、それは」 加賀はじ、とこちらを見て、曙は潮に袖を引かれ、山城は摩耶を止めようとしている。後ろから気配のする鳳翔のほうを見てみると、その表情は、読めない。防空壕の中で銃撃戦を始めようとするとは、いよいよ俺も正気ではないようだ、と提督は苦い思いを噛みしめていた。「決まってる。決まってるだろ! 空爆を受けているんだぞ! 摩耶様の出番だろうが!」 腕を振り、怒気を露わに摩耶は言う。何のために私がここに居るのか、といわんばかりに、怒りで顔が歪んでいる。「出番を決めるのは俺だ。座れ。これは命令だぞ」 再び、グリップを握る手に力を込める。そうとも、わかっているとも。お前の出番も、お前たちが戦うべき戦場はここだとも。道理としてはそうだ。呉の市民20万を見捨てる選択をする。それはお前たちが許せないことであるとも。理解もしている。そして唾棄もしている。「座れ」 だが。指揮官として、提督はその道理を通すわけにはいかなかった。 その瞬間、ずずん、という音が、響く。ついに、地獄が始まった。