「止まりなさい! 止まらんと撃つぞ! 止まれ! 現在当鎮守府に敵が接近している! ただちに避難せよ! 止まらんかッ!」 返ってくるのは怒声と発砲音。セラミック製のパワードスーツ用防盾にノックのような着弾音がする。拡声器の音を切り、パワードスーツに乗った警察官はちっ、と舌打ちをした。「遠慮なしに撃ってきてますね」 青のピクセルカモに曹長の階級章を付けた海軍軍人、坂井曹長が、どこから引っ張り出したのかもわからないM79を握り、ため息交じりに言った。「そりゃおめえ、門衛撃ち殺したのに今更警察に容赦する気もねえだろ」 誰ともなくそう発言すると、ははは、というさざめきのような笑い声が無線に満ちる。自暴自棄。その一言がふさわしかった。これから爆撃がやってくるというのに、連中気が狂っているのか、といいたくてたまらない。それが、警察と海軍の混成編成である彼らの本音でもあった。「ガス弾を装填せよ! ガス弾を装填せよ!」「了解。クソッタレ。連中ここでぶっ倒れたら俺たちに賠償請求でもするのかね」「どうせ死体も残らねえよ」 再び、笑い声。笑う他ない、というのが本当のところだった。「連中、気でも狂ってるのかね。これから空襲だってのによ」「狂気の度合いで言えばこっちもでしょうよ。まったく。提督は警察に汚れ仕事を寄越しやがった。おかげで俺たちが納税者を撃つ羽目になってる」「イカれてるのは皆さ。まともなのは敵だけだよ」 ちげえねえや。そう笑って、彼らは一斉に引き金を引いた。「座れ」 提督は大きく息を吐き、青い顔のままトリガーガードに指をかけ、摩耶に命令する。摩耶は銃口をにらみ、後ろに一歩、二歩、と下がる。「……艦娘にそれを撃ってどうにかなるとでも思ってんのか?」「艤装も付けてない艦娘が拳銃弾を止められるとは聞いたこともないね」 ハッタリはきかないか。と摩耶は舌打ちをした。しかし、憤懣は山ほどある。「市民はどうするんだ! 避難誘導は? その時間稼ぎは?!」 提督は再び青い顔のまま、白くなった唇で言葉を紡ぐ。「現在は楽しい暴動の真っ最中だよ。その市民によるな……避難誘導も何も無い」「暴動……?!」 それを聞いて、摩耶は顔色を変える。だが。「だから……ぐ……う……」 提督が銃を取り落し、ひざから倒れこみ、蹲る。はっ、はっ、という荒い息が、聞こえた。「え……お、おい、提督?!」「だから……出るな。出るんじゃない。お前らに一人でも欠けられると……」 胸をかきむしり、は、は、と再び息をつく。呆然としていた艦娘たちに、生気が戻った。 鳳翔は提督に駆け寄り、脈をとる。そしてやはり、とつぶやいた。異常に早かったかと思えば止まり、を繰り返している。ちっ、と舌打ちをして、周りを見て、指示を飛ばす。「AEDを取ってきなさい! 加賀!」「は、はい!」「摩耶は医務室に行って医官を呼んで!」「お、おう!」 一呼吸を置いて、あおむけに寝かせて上着を脱がせると、山城に心臓マッサージをしろ、と指示をして、呼吸が止まっていないことを耳元に提督の口を近づけて確認すると、脱がせた上着を枕代わりに敷く。「も、持ってきました!」 加賀がAED、つまりは除細動器を持ってくると、すぐに箱を開けて設置する。出撃する、しない、の話は提督が倒れたことで吹き飛んでしまった。「連中、マジでイカれてやがるッ!」 イヤマフごしからにも聞こえてくる、20mm機関砲の猛烈な叫び声。空中で砲弾がさく裂し、ガスがぶちまけられる。うめき、悲鳴、悪罵。それらすべてが爆発音で切れ切れになる。しかし。催涙ガスの血膿色の煙の中から、銃弾が発射される。曹長の階級章を付けた男、坂井曹長は絶叫する。「イカレてるッ!イカれてるッ!」 畜生、なんでこんなことになった。どうしてあいつらがこんな時に突っ込んでくる。なぜガス弾をブチ込んでも平気な顔をして応射してくる。 天を、仰ぐ。「ちっくしょう……」 黒いしみが、青い空に広がっている。低空を、舐めるように飛んでいる。坂井曹長は、怒鳴る。「深海棲艦だ! くそったれ! なんで逃げない! なんで向ってくる!」 畜生。どうしてこいつらは正気を失ってるんだ。わからないのか。敵は俺たちじゃあない。俺たちであってたまるものか。今空に居るのか人類の敵だろう。なぜお前たちは。「あ……!」 警察のパワードスーツの体が、何かをかわすようによじられた。坂井曹長は、20mm機関砲の砲身の一撃を腹に受け、吹き飛ばされ、ぐるぐると体が振り回される。「は……は……ッ!」 体を、起こそうとする。激痛が全身に走り、頭が白くなる。悲鳴が聞こえる。あまりのうるささに正気を取り戻すと、その悲鳴は自身の口中から絞り出されたものだったことに気づき、笑う。「気が狂ってるんだ……どいつも……こいつも」 視線を巡らせると、そこにはロケット砲弾らしきものを受けた警察のパワードスーツがかしぎ、中からずるり、と体が落ちる。地を這い、顔を上げ。そして。「やめ……」 声が、出なかった。押し寄せる人の波に、警察官は飲み込まれた。掲げられ、苦悶の声を上げている。にもかかわらず、あちこちから拳が飛び、歓声が聞こえる。いや、野獣の咆哮といってもいいかもしれない。そして、そこに深海棲艦の蝙蝠型の戦闘機が襲い掛かり、機銃掃射。歓声がほとばしったままの喉が絶叫をたて、そして数度の掃射をあび、市民であったもの、そして、野獣に変じた者、彼らを止めようとした者たちは、一つの肉塊となっている。赤黒い塊。「……まともなのは、敵だけじゃねえか……」 笑い、坂井曹長は目を閉じた。 略奪者も、そしてその制止者も、すべてを肉くれに変えた後、深海棲艦の戦闘機は引き上げていく。後に残ったのは、蠅と、新鮮な蛆がたかった死体。つぎはぎの修理痕があったかと思えば、別の場所が壊れている。 3日間。鳳翔は敵を刺激する恐れがある、と認識していながらも艦載機を飛ばし、周防大島を観測し、そして。「……動きは無い、か」 追加の艦隊行動もなく、周防大島の飛行場姫は沈黙を守っている。いいか悪いか、わからない。どちらにしても、市民も、兵たちも。そして艦娘たちも疲れ切っている。ただ、虚無感だけが広がっていた。死体を一瞥しては、片付ける気力もない、という様子で肩を落とし、ただ歩いている。生存者はどのくらいか、ということ自体、よくわかっていない。加賀は何とか最低限の基地機能を復旧させよう、と飛び回っている。発電機と水道が破壊されていなかったことだけは、奇跡に近い。もっとも、電気は下手に復旧させれば火災が起きるため、限定された区画のみに限って復旧させているようだ。鳳翔が今いる地下指揮所はもともと発電機を持っているため、あまり関係はないのだが。 そして、鎮守府の責任者である提督は、というと、心室細動を起こしたものの、一応は無事だ、ということになっている。なっている、といえば語弊があるが、そうとしか形容のしようがない。意識を失ってはいるが、体内式除細動器を埋め込む必要はなかったため、そう形容しているのだ。それに、もとが健康体であったが、疲労と睡眠不足であったにもかかわらず、無理をし続けたのが原因だろう。としか言えない、というのが医者の見立てである。 その提督は、というと、今にも起きてきそうな顔色で、ベッドに寝ている。脳波も脈拍も正常。ただ、意識だけがない。鳳翔は、ため息をつきながら、ベッドの横におかれているパイプいすに腰掛けた。たとえ艦娘が生きていたとしても、その司令官であるあなたが倒れていては意味がないのだ。そう言いたげに、顔を見つめている。「ああ、畜生」 またこの夢か。そう、提督はつぶやく。手りゅう弾のピンをにちり、と引き抜き、すっと開けた扉の隙間から投擲。そして。「……」 無言で扉をけ破り、船室に入ると、そこには。「……クリア」 誰もいなかった。ただ、折り重なるように、銃を握った少年と、銃を握った少女だったものが転がっている。誰も居ない。無感動に死体を見て、男は前進していく。64式小銃を握り、敵を反射的に撃ち、任務を終える。 敵拠点を襲撃する。その任務を付与された彼は、掃討を完了して、引き上げる時にふとその部屋を通りかかる。元ANZACの海賊を間引く任務なんか、なんで俺がやるんだ。とぼやきながら。そこには、少年と少女の死体が、変わらず転がっていた。じっとそれを見て、そして何も感じなかった。なぜ。そう提督は考えた。なぜ、何も感じない。子供の爆裂死体だぞ。ゲロの一つくらい込み上げてこないのか。血のにおいも猛烈にするし、南国であるためか、悪臭すら立っている。普通は生理反応として吐き気が込み上げてくるところだ。それすらも、ない。 その日、彼は船室で寝る前に、海軍を辞めることを決意した。殺しが嫌になった、とかそういう事ではない。そんななまなかなことではない。それはつまり。子供を肉塊にしたにもかかわらず、何も感じず、心がひとつも動いていないことが、恐ろしくてならなくなったのだ。「ああ……畜生」 やめられなかったよなあ、と夢の中で、寝息を立てている自分に語り掛ける。辞められなかった。辞められるはずもなかった。その時には、すでに彼女たちの司令官に就任していたからだ。「ひどいことをしたなあ。本当に」 そういって、涙した。「……加賀?」 鳳翔は、目の前の加賀が、常になく取り乱していることを見て、顔をしかめた。唇は引き結ばれ、眉間にはしわがよっている。椅子から立ち上がり、じ、と顔を見た。「あなたは……あなたはここで何をやっているのですか」 ぞくり、とした。地獄の底から響く声、とはこういう声のことを言うのだろうか。「この大変な時に、あなたは……あなたは」 手で顔を覆い、加賀は蹲り、低い声で鳳翔を呪った。「なぜ、助けてくれないんですか。あなたのほうができるじゃないですか。私は提督が倒れたあの時、体が動かなかった。あなたは動いて、適切な処置をした。どうして、かわってくれないんですか。私だって、やれることはやったんです。やったんです……」「……」 沈黙が、落ちる。鳳翔は、考えた。 なぜ助けなかったのか。そんなことは知れている。出来ることは知っていたからだ。なぜ助ける気が無かったのか。だって、私を呪って首をくくった「あの人」のいないここで、なんで頑張る必要があるのか。よく、わからなかったからだ。 目の前の加賀は、疲れ切り、血色が悪い、ということもわかる。作戦の相談や決裁ができるだけの、加賀と同じように「提督と同じこと」を考えながら動くこともできた。だが、なぜやらなかったのか。「よくわからないわ」「……えっ」「よく、わからない。そう言ったのよ」 加賀はふらふらと立ち上がり、そして。手を振り上げて、鳳翔のほほを思いっきり張った。「ふざけるなっ!」 ふざけるな。はあ、はあ、と肩で息をしながら、加賀はじっと鳳翔の目をにらみ、声を上げる。「ふざけないで……ふざけないでください。本当に、ふざけないで……どうしてなんです。教官……あなたは……!」 どうして。そこから先は、加賀の喉からは声にならなかった。嗚咽だけが、響いていた。時計の音だけが、やたらに耳に響いていた。ほほが、あつい。「……痴話喧嘩か、なにかか」 男の声が、響いた。「……てい、とく」 その声を聞いて、加賀は顔を上げる。「……美人が台無しだな。……状況は」 寝たふりしてた方がよかったかね。と提督はつぶやき、体を起こす。「最悪なんだろう? 何番底なのかわからんな、こいつばかりは」 提督は、低く笑い、ひきつる頬で無理ににやり、と笑ってみせた。「……電です。物資を満載して帰ってきたら、鎮守府が更地になっていました」「いやあ、縁起でもないけど本当に更地だね。きれいさっぱりしてる。僕の目がオカシイのかなぁ」 そう最上と電は、惚けたまま言う。その後ろから、声がした。「……冗談になってませんよ!お二人とも!」「ああ、そうね。うん、僕も冗談じゃないから困ってるんだよねえ」 いったん言葉を切って、最上は顔を向けて言う。「吉報を持ってきてくれたんだろう? 雪風」