「状況はどうなっているのか、説明せよ。加賀、鳳翔」 医者に説明を受けた後、いつもと同じように、提督は命ずる。体に違和感はあるが、むろんそれはそうだろう。心臓発作を起こして倒れた、などと薄らみっともなくて言えたものではない。幸い、心電図に異常はないものの、無理をし続ければ重大な問題が生じる可能性がある、という忠告を受けている。「……どうした、何か言うことはないのか。状況を、報告しろ」「……てい、とく」 加賀は、涙をぬぐう。鳳翔は、居心地悪そうに身じろぎした。「提督。それでは、状況を説明します」 提督は、話を聞いていくうち、なるほど、と言った。何がなるほどなのか、と加賀と鳳翔は、先ほどの口論を忘れ、目を合わせる。「艦娘は損耗していないんだな。それなら、やりようはある」「あの……?」「伝令!」 ドアを開き、伝令の兵が駆け込んでくる。電話線が切れているため、陸軍との会話のために深く埋設してあったそれ以外は役に立たない。応急で地上配線をしているが、焼け石に水で、伝令が活躍しているのである。 その少年と見まがうような兵は、目を輝かせている。それを見て、提督はおや、と考えた。ついぞ見た事のない目だ。「……何か」「指揮統制艦『ブルーリッジ』並びに、重巡洋艦『最上』と駆逐艦『電』が帰投いたしました!それで……」「予定通りの行動だな。それで」「……そ、それで……」 言葉に詰まる。涙ぐむその兵を見て、思わず落ち着け、と言いそうになる。だが。「続けなさい」 提督はそう言う。大きな拾い物をして帰ってきたのだろう。おそらくは。「横須賀より駆逐艦『雪風』がやってきました! 淡路島の封鎖を突破してきた、とのことです!」 そう。とてつもなく大きな拾い物だった。 淡路島の封鎖を突破。その意味を聞いた瞬間、提督は跳ね起きた。兵の肩をつかみ、目を見開く。「本当か、それは!」「本当です! 呉に雪風が『帰って』きました!」 帰ってきた。殊勲艦、幸運の女神、死神、様々なあだ名があるが、雪風ほど有名な駆逐艦もあるまい。その勲を聞いたことが無いものもいない。対深海棲艦においても、日陰ではなく日向を歩み続けてきた一隻である。「……ありがとう。すぐにでも話を聞きたい。どこにいるか教えてくれ」「は! 案内します!」 その提督の肩を、今度は鳳翔がつかむ。なんだ、と胡乱な目を向けるが、諭すような口調で、鳳翔は言う。「駆逐艦とはいっても、女の子ですよ。その顔で会うのですか?」 提督は顎に手をやる。ぞり、という感触。どうやら、寝ているうちに無精髭を蓄えてしまっていたらしい。「……剃らないと不味いかね」「海軍士官と言うよりは海賊ですね」 提督は笑った。海賊、海賊か。先祖に海賊はいたかもしれないな、と考えたのである。何しろ、瀬戸内は海賊の海だったのだから。「そうか、そうだな。そうするか」 そう言って、提督は剃刀を探す。自分の部屋はがれきの下に埋もれてしまっているからだ。余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet 第一部:最終話『周防大島攻略戦』「あなたがしれぇですか?」 右を見て、左を見て、下を見て。歴戦の駆逐艦はどこかなあ、と探す。提督は、下を見て、栗色の髪に、同じ色の瞳の少女が、きらきらとした目を向けているのに気づき、後ろを見て、加賀の目を見る。この子か、と問うと、加賀は当然でしょう、と目で返す。鳳翔の方を向く。こくり、と首を縦に振った。「呉鎮守府司令官です」「わあ、お若いですね」「お世辞も言える。良い子じゃないか」「えへへ」 加賀が、緩んだ提督の顔を見て、ほほをひきつらせながら提督の背中をつねる。本題に入れ、と言わんばかりだ。「……で、どのような情報を持ってきてくれたんだ?」「……はい。この命令書を渡すように言われました」 取り外した艤装の中から、防水シートにくるまれたフォルダが取り出される。赤いケースに入ったそれは、秘密に属する事柄の書類が入っていることを意味している。電子的手段による受け渡しではなく、紙媒体での受け渡しを選んだ、ということは、淡路島にはいまだに「姫君」ないしは「鬼」がいる、ということなのだろう。強行突破を成功させた雪風という名の少女は、このなりで間違いなく百戦錬磨と呼ぶにふさわしい者だろう、と提督は考える。 機密保持は、と一瞬考え、そしてこの場にいる人間で、秘密に触れる適格性の審査を通らなかったものは居ないだろう。とその考えを打消し、赤いケースを開け、書類を開く。「……淡路島攻略作戦」 文書番号を見れば、機密横須賀鎮守府命令第106号と記入されており、起案する奴も大変だな、などと考えた。呉鎮守府での各作戦においても文書は起案しているが、起案する人間と決済する人間が同じとは、と苦笑いをして居た事を思うと、さすがに呉鎮守府ほどやられたわけでもないのだろう、とも読み取れた。なぜなら、機密呉鎮守府命令は50号程度しか発刊されていないからだ。 むろん、口頭指示ばかりをしていたからでもある。仮に、文書監査が来たら逆さにつるされるだろうな、と考えて、まあ、負ければ監査も必要なくなる。そう、提督は笑った。 ホチキスで留められただけの書類のページをめくれば、詳細な作戦計画が記されており、発起日時すら記されていた。あと2日後。艦娘の3個艦隊、さらには三沢基地や横須賀の米軍の航空部隊を動員し、そのうえで帝国陸軍の四国の第11師団、大阪の第4師団の戦力を総動員して奪還に当たる。と記されている。その編成のぜいたくさに思わず天を仰いだ。三沢の虎の子である戦術核装備型のF-22Aすら動員しているのだ。それに引き替え、一個艦隊、それもまともな編成ではない呉鎮守府、海田市防衛でズタ袋のようになった帝国陸軍第5師団と、さらにF-35Bが5機しか出せない岩国の海兵隊とを比べると、と考えたところで、はた、と思い至った。こんな大兵力を投入する、ということは、深海棲艦もその対応に追われることとなる。それは周防大島のそれも例外ではない。むしろ、周防大島は、淡路島と比べると、相対的に危険度が低い呉鎮守府しかない。戦力を集中させるならどこか。それは、つまり。提督は、思わず雪風の顔を見る。少女は、にこり、と笑って見せた。「吉報だな。感謝する」「はいっ」 雪風は敬礼をする。提督は答礼をし、そして加賀と鳳翔に向き直る。「読め」 加賀は書類を受け取り、それを読んだ後に鳳翔に渡す。そして、鳳翔が読み終わったのを確認すると、口を開いた。「周防大島攻略作戦を発起する。時期を見る必要があるが……以前、加賀に提出してもらった作戦計画があったな。修正の必要はあるし、動きを見なくてはいけないが、どうか」「……どちらにしても、航空偵察は欠かしていません。周防大島の集団が動けば、その時は分かります」 鳳翔がそういうのを見て、一瞬の間をおいて、加賀が口を開く。「その通りです。きょうか……鳳翔さんが監視をしていますから、タイミングを見る必要はありますし、欺瞞である可能性も検討する必要はありますが、そうした行動に出る個体はほぼありません。やってみた兵棋演習では敗北ばかりでしたが、周防大島の集団が淡路島に増援に向うとなれば、状況は変わります」「……勝てると思うが、どうか」 その問いを投げると、加賀はすこしの逡巡の後に、首を縦に振った。「いけます」「そうか。監視の目を緩めるな。艤装は常に電源を入れた状態にして、ブルーリッジの機関の火は落とすな。いつ動くかわからんのだからな。動くかどうかも含めて、だが」 は、と加賀と鳳翔は言い、鳳翔に頼みます、と視線を向けると、その指示を伝達しに、部屋の外に歩み去る。加賀は、小さくため息をつき、口を開いて、そして小さな声を出して、少し顔を赤らめる。「それにしても」 提督は、加賀がぽつり、と何か言いかけたのを聞き、どうした、と問うた。何か作戦上気になる点があるのならば、指摘してもらわねば困るからだ。「いえ、作戦の事ではなく……まるで、本当に海賊になった気分だな、と」「……髭を剃らなきゃあよかったな」「……あの髭は、似合いませんから……」 そう短く、加賀は言った。そんなものか、と顎を撫で、提督はつぶやき、そして再び天を仰ぐ。この作戦で勝てば、勝てば次につなげられる。そう思うだけで、幾らか胃腑でわだかまっていたものが、抜けていくのを感じた。「俺たちがお前に付き合う意味がどれほどある」 そう、男は単刀直入に聞く。馬淵中佐は、顔をこすりながら、電話口の先の「提督」と話をしていた。広島撤退の決心を参謀に進言されていた時に届いた報が、淡路島攻略作戦の発動であった。つまり、あまりにタイミングが良すぎるために、疑念を抱いたのだ。「広島を撤退して、その後にどこに行く」 そのことを一言だけ問われ、言い返そうとして馬淵中佐は言いよどんだ。 そう、確かに広島を撤退し、中国山地に籠ってしまえば、陸軍だけなら持久出来る。持久は出来るのだ。だが。それは結局持久ができるだけに過ぎず、中長期的には反攻の見込みが全くなくなるということでもある。パワードスーツは動かなくなり、その他の車両は燃料補給ができなくなる。弾薬にしたところで同様だ。ジリ貧になるのは目に見えている。「わかっているはずだ。最後の好機だぞ」 その一言は、確かに甘い。指揮官にとって、挽回の機会こそはもっとも甘い果実だ。だが。「お前の『賭け』に乗って死ぬのは俺の兵だ。それに見合うものが提供できるのか、貴様に」 一呼吸を置いて、提督は続ける。「勝利だ」「ふん、知った風なことを言う」「強襲上陸作戦は計画しているんだろう?」 再び、馬淵は顔をこする。「……無論だ。貴様の言った通り、周防大島の集団の移動が確認出来次第、呼集をかける。総力戦だ」「そうか。……米軍側とは話はついているな?」「F-35を出してくれるとさ」「核装備型か?」「いや、通常型だな」 そうか、と応じ、では、通すべき規約ナンバーを送達する。そのナンバーを読み上げたのちに、提督は幸運を、と言って、通話が切れた。まったく、とんでもないときにとんでもない爆弾を持ってきてくれるものだ。と、馬淵は笑い、顔を上げた。「あきつ丸、連隊長クラスを招集しろ」「は」 あきつ丸は答礼し、走り出す。正念場だぞ。と馬淵は再び、顔をこすった。