「戦艦大和、ああ、いわゆる『本物』の戦艦の方の話だが、アレが時代遅れだとされた理由、説明は出来るか」「様々ですね。航空戦力の攻撃力が戦艦の防御力を優越した。というのが通り一遍の物言いになるかと思います」 そうだな、と提督は加賀に言う。この世界においては、陸軍航空隊が総がかりで大和を日本海に沈めたことが、アメリカと同盟しての総攻撃に勝利した、ある種のターニングポイントであった。陸軍対海軍、という単純な図式ではないが、ある意味で歴史を作った船ではある。その船に対する国民感情もさまざまで、東京特別市を無差別砲撃した長門に向けられる愛憎入り混じった視線に比べればマシではあるものの、艦娘として長門という名を「復活」させる事と並んで、大きな議論にもなった。陸軍は反対も賛成もしなかったが、海軍主流派は「沈んだ船の名前を使うのは」という理由で反対していたものだ。空軍の参謀長が「我々空軍が一度沈めた船をもう一度沈めさせるために引き揚げるのか?」と述べて、海軍からの反感を大いに買ったことも記憶に新しいそれはさておくとしても、今から呼び出す相手のことを思い出してみれば、どうにも複雑な感情がある。賄賂を要求されたとしても激昂して膝を撃ちぬくのはいかにもやりすぎであったし、それを目の前で見せられて見れば、特に「人類を守る」ことを任務とする彼女たちが良い顔をするわけもあるまい。という感覚が提督にはある。加賀とて、話を聞いたときには眉をひそめたものだ。嫌悪感が多少なりとも減衰しているのは、彼女が士官としての教育を受けていたからに過ぎない。うらやましいことだ。と掌を見つめ、提督はため息をついた。この掌の上に流した同胞の血の量が可視化できれば、積層化したどす黒い色の血がこびりつき、洗い流せなくなっているだろう。だが、彼はマクベス夫人ではない。 ノックの音がし、入ります、の声が響いた。「呉鎮守府所属、大和型一番艦「大和」は、命令受領に参りました!」 敬礼に答礼を返し、少女の姿を見る。艤装を装着する際に着用する制式の装束を身にまとっており、豊かな髪が後ろに垂れている。涼やかな目には、敵意がうっすらとにじんでいた。 美人は怒るとそれはそれは怖いな、などと益体もないことを考えながら、提督は命令を下達する。事前に話はしてあるが、直接命令を下すのはこれが初めてだ。「呉鎮守府司令長官兼艦隊司令官より、第三艦隊の編組、ならびに指揮を命ずる!」「大和型一番艦「大和」は、第三艦隊の編組、並びに指揮を命ぜられました!」 決まりきった応答をし、再び、提督は敬礼に答礼をごく短く返す。そして、休め、と命令をした。休めの姿勢を大和がとり、その敵意をにじませた瞳でこちらをじっと見、そして提督が口を開くのを待っていた。「所属する艦娘のリスト、並びに整備員の配置については……加賀」 加賀に声をかけ、リストを渡させる。見てもいいか、と目で問われ、首を縦に振ると、大和はホチキス留めの書類をパラパラとめくり、そしてこれまで下達されていた命令と相違ないことを確認した。そう、つまり。「私にこの艦娘たちが「裏切らないか監視せよ」という事ですね」「相違ない」「裏切った場合、私が『始末』する、という解釈で相違ありませんか」「相違ない」「海上以外、つまり陸上においては監視部隊が居る、という解釈でよいのでしょうか」「相違ない」「……提督。大和はあなたを軽蔑いたします」「何と言ってくれても構わん。我々に必要なのは勝利だ。敗北の末の尊敬ではない」 こんなくだらない任務に大和型を投入する理由は、ごく単純だ。駒が無いのだ。山城とて可能ではあるが、性格的に義務感よりも情が上回る性質であろうことは疑いようがない。任官前、任官後、さらに昇任時にと複数回にわたって行われていた性格分析もそれを裏付けている。鳳翔も可能不可能で言えば可能だが、本質的な意味合いで随行して裏切りの現場を捉えて扼殺という任務に性格はともかく、戦闘能力の観点で向かない。 その意味において、大和の性格分析は端的なものだった。義務感がきわめて強い。情と義務をはかりにかければ、義務を優先する。そういう一種『冷徹』ともとられがちなものを持っていた。だからこそ、山城ではなく大和をこの任務に充てた。 息をつき、そして、提督は大和の目を見返し、口を開いた「私が代われるものならそうしている。恥知らずなことを言っているのは理解しているとも」 仲間を見張り、裏切れば撃て。そう言っている恥知らず。それを自覚していないわけがない。だが、必要なことだった。 大和はそれを聞いて、ふう、と息を吐いた。「すぐに編組にかかる、という認識で構いませんか?」「いや、現在任務中の艦もある。帰投後という形になるな」 かてて加えて、陸軍の病院から帰ってくる艦娘も居る。海軍施設にいた艦娘達も復帰させたいところなのだが、艤装の予備が何しろ存在しない。その点、特型であれば予備はいくらもある、というところである。事務員という形で復帰した、大淀という艦娘も居る。「……響ですか」 名前のリストを見てみれば、政治的事情でやむを得ないとはいえ変則的な編成となっている。戦艦「大和」に巡洋戦艦「金剛」で重巡洋艦「三隈」軽巡洋艦「長良」駆逐艦「響」に駆逐艦「雪風」に、事務官として駆逐艦「潮」だ。水雷戦隊を三隈に編成させ、大和と金剛が火力と被害担当として機能する、という構成だろうか。そこで、はた、と思い当たるところがあり、大和は顔を上げる。「提督、現在雪風は横須賀に召還命令で帰還中では」 ああ、そうか、と提督がつぶやき、大和から手渡された書類を見る。発刊の日付そのものは雪風の召還命令と同日だが、時間的なズレがあるためだ。「ああ、ここは手違いだな。雪風の代替艦がこちらに派出される予定だから、その船と置き換えて考えてくれ。あとで訂正を発刊する」「わかりました」 敬礼と答礼。そして、大和は執務室から出ていく。はあ、と提督は息をついた。「……やってくれると思うか、加賀」「やってもらわなければ困ります」 その通り。とひとりごち、提督はふたたびため息をついた。船団護衛を実施している艦娘は、今頃どうしているだろうか、と考えながら。「淡路島までは無事着いたのかなあ」 そう秘匿無線機を切り忘れたままつぶやく少女の方をちらと見る、海風に揺れる栗色に近い黒の髪を指で押さえる。水兵服が同じようにはためく姿は、女学生と言われても違和感はないだろう。彼女が走っているのが、海の上でなければ。「吹雪、ワッチサボるなよー」 その声に、吹雪と呼ばれた少女があわてて周辺警戒に移るのを視認した。もう、とつぶやきながら。「もー、深雪だってこっち見てたってことは……」 その声に対し、思わず彼女は声を出した。「お前ら、秘匿回線を何に使ってるんだ。緩むんじゃねーぞ」 海上護衛総隊隷下、臨時編成横須賀鎮守府第二海上護衛艦隊旗艦「天龍」はそういって秘匿通信を切り、護衛対象の貨物船(付記:いわゆるRO-RO船である)に対し異常なしと報告をする。まったく、こいつらはあの戦況を経験しても変わらんな、とつぶやいた。報告として聞いている呉鎮守府や佐世保に比べて極端に戦局が悪くなることは無かったものの、それでも横須賀鎮守府の緊張感の度合いは負けず劣らずである。言うまでもないことだが、横須賀が抜かれればあとは首都東京だけなのだ。その緊張感は尋常なものではない。呉鎮守府は耐えきった。佐世保はどうか。それについて、航空偵察では一応機能しているらしいことまでは見て取れる。だが、関門海峡以西は呉鎮守府も全く手が出せていないという。それを想えば、天龍ならずとも緊張の度合いを高めるというものだ。淡路島奪還後も、民間船舶が、端的に言えば深海棲艦の血で太った魚狙いの、同じく肝の太い漁師が消息を絶っているという報告も、少なからず淡路島陸海空統合司令部に上がってきている。天龍の旗下には軽巡洋艦「球磨」特型駆逐艦「吹雪」「深雪」に白露型駆逐艦「夕立」「春雨」が加わっている。何れも伊豆大島奪還作戦に参加し、淡路島奪還作戦にも参加した経験豊富な面々だった。とはいえ、連戦の疲れもあり、先ごろのように規律が緩みがちなことが、天龍の心労を増やしていたことも事実である。 特に、護衛対象の船が積んでいるのが呉鎮守府への物資を載せた船の護衛という事で、神経質にならざるを得ない。淡路島沖で投錨して交代要員に引き継ぎ、司令部に報告を終えるまでは、天龍の胃痛の種には事欠かなさそうなものである。 大過なく交代を終え、艤装の整備を部下に命じて司令部に報告に行くと、前線指揮官となっていたはずの扶桑の姿はなく、主席副官として勤務していた、緑の長い髪をもつ鈴谷の姿があるのみである。天龍が鈴谷に扶桑はどうした、と聞くとため息交じりに答えた。「牡蠣に当たってダウンしてんのよ」「牡蠣」 牡蠣ってあの牡蠣だよな。と天龍は考え、天を仰ぎ、そして絶句した。「えっ、よりによって牡蠣を食ったのか?」 いかに好物であったとしても、言うまでもないが前線指揮官があの手の「当たると酷い」ものを食べることは基本的によろしくない。当たり前の話だが、指揮官が使用不能になっていてはお話にならないからだ。「……うん、まあその通りなんだけどさあ」 鈴谷が言うには、地元住民との懇親会で出されてしまって断れなかった、との事である。お粗末な話と言えばそうであるが、まあわからなくもない事情だ。鈴谷も食べたらしいが、当たったのは扶桑一人、というあたりが哀愁を誘う。「でさ、えーと、山城に手紙を届けてほしい、って話があってさ」「ノロウイルスの蔓延に手を貸す気はねーぞ」「ロタよ」「なお悪いじゃねーか」 大丈夫、私が代筆したから。と言って鈴谷は手紙を差し出す。はいよ、と答えて、吹雪に持たせるか、などと考えていた。「畜生が!」 悪態をつき倒しながら、天龍は自分の歯がばりり、という音を立てるのを聞いた。電波妨害下にあり、警戒をしていたのにもかかわらず、塩鮑諸島の近傍で呉鎮守府の交代要員に引き継ぐために若干足を遅くした結果がこれか、と毒づいた。春雨が運悪く戦艦「タ」級の初撃によって沈められたことが、彼女に苦い後悔を味わわせている。肉薄しての魚雷攻撃か。くそ、どうする。伏兵が居たらどうしようもないだろうが。と考え込み、そして。「球磨!俺についてこい! 夕立と吹雪、深雪は貨物船の護衛から絶対に離れるな!」「でも……!」 その抗弁の声が、吹雪からする。それに大して、天龍は罵声で答えた。「馬鹿野郎! 命令だ! 犬の糞一号に戻ったか! テメーが指揮を執れ! 吹雪!」 くそっ、と毒づくと、球磨が滑るようにやってきて、言う。「苦労人クマねー」 くっくと笑い、球磨はその余裕ある態度を崩さない。天龍とは違った種類の人種である。「大丈夫クマ―、鮭の皮を分けてくれればそれでいいクマ―」 わざと球磨は振り返ってとぼけて見せ、そして。「若い子には将来があるクマ」 真面目くさった顔で、そう言った。が、顔を上げて、そして。「あ、ヤバいクマ。全速で逃げないと」 空中から寄せられる、フラフラと揺れる陸軍の発光信号を艤装側の「妖精」が読み取り、トランスコードする。時差はあったものの、天龍にもそれが伝わった。『第十一師団より達する。これより核攻撃を実施する』 というメッセージであった。あわてて転進し、船舶の側にも即座に発光信号を打つ。対閃光対処。猛烈なサイレンの音とともに、絃窓にシャッターが下りていく。「くそっ、またこの手かよ!」 天龍は、船の陰に隠れ、そして再び毒づいた。「敵艦隊の進撃の阻止を確認。これより帰投する」 陸軍の制式パワードスーツは、ロケットモーターを動翼で強引に制御し、引いていく。そのさなかの通信を、彼女は傍受した。それを洋上から見た「何か」は、ずる、という音とともに、表皮がめくれあがり、目だけが炯々と光るのを自覚した。「フ、フフ」 哄笑。『たかが核攻撃』で、彼女が沈むはずはない。三度の核攻撃に抗尋しきったその身は、白かった表皮が赤黒くなっても変わることはない。彼女は、戦艦タ級はそういう生き物であった。 塩鮑諸島に、彼女は針路を向ける。機能が生きていることを確認して、大丈夫。まだ殺せる。この痛みを、恨みを、ぶつける対象は地に満ちている。そう、考え。ふたたび、彼女は笑った。「貨物船団が襲撃を受けた?!」 その報を陸軍第五師団ごしに受け、あわてて腰を浮かし、加賀に作戦図とオーバーレイを持ってくるように指示を飛ばしたものの、電話口の相手は、いたって平静そのものだった。「戦術核攻撃で撃退できたから問題ない」 電話口の相手、馬糞こと馬淵中佐の軽い一言に、提督は絶句した。艦娘は艤装から生じる桜色の「装甲」が放射線から身を守ってくれるし、放射化の恐れはないが、貨物船の船殻の方は除染の必要性がある。受話器のマイク側を手で覆い、加賀に作戦図は良いから除染部隊を編組してくれ、と指示を飛ばした。貨物まで汚染されていなければいいが、と考え、そしてまあ検査してみるほかない、と気を取り直した。最新型であれば核攻撃の放射線を船殻のみでとどめる設計になっているはずであるし、というのが彼の考えであった。果たして、その考えは正しかった。船は無事除染を受けてから入港し、接舷した岸壁から船の腹の中の様々な物資を吐き出していく。仮設住宅の資材、食料、医薬品、軍需物資も含めて、かなりな量だ。護衛をしていた艦娘達も、横須賀側はともかく、呉鎮守府は戦死者を出さずに済んだ。そのことに、提督は胸をなでおろした。戦力はともかく不足している。それがためである。 受け入れと分配。そして仮設住宅ができる事を聞き、みな安堵の表情を見せている、という事を炊き出しを担当していた主計官から聞くと、安心感もひとしおであった。人間、モノがなければ荒むものだからだ。「……いや、これで一息つけるな」 これで代わりが来ればもっとよかったのだが。とはさすがの提督とて言わない。それがいかにも常識はずれなことであるのは理解しているし、なにより、加賀に聞かせて良い顔をするはずもない。「いえ、新規の着任者が……ああ、まあ要するに雪風の交代者がおりますので、その着任者の処置をお願いいたします」「ああ、そうか……名前は何と言ったかな」「特型、いえ、吹雪型駆逐艦一番艦「吹雪」と言ったはずです」「そうか」 短く返し、そして、一人の少女がノックとともに、入ってくる。「特型、もとい、吹雪型駆逐艦一番艦「吹雪」は、呉鎮守府第三艦隊勤務を命ぜられました!」 敬礼と答礼。そして、休め、と声をかけると、吹雪は休めの姿勢をとる。そして、2、3言葉をかけると、吹雪は言った。「よろしくお願いします! 司令官!」 その明るさが、妙にまぶしい。胃腑に沈殿しているものを想うと、提督は奇妙な感慨にとらわれた。第一話:Turncoat Fleets -了-