起きて、食べて、寝て。起きて、食べて、寝て。その繰り返しをするたびに、ちらついてはいけないものの影がちらつく。電気を落とした一人部屋。つまり自室。自殺につながるようなカーテンや私物はすべて撤去された、もののない部屋。起き上がり、見てしまったものを反芻すると、洗面所に走る。 妹、榛名の頭を、嬉々として撃ちぬいた。その瞬間、ぐちり、とトリガーを引き絞る、あの感覚。胃の中身が逆流しかけるものの、それをこらえ、喉の奥にこみ上げてきた酸味を水で押し込んだ。 鏡を見る。隈は出来ていない。肌に張りはある。肌が青白くなってしまっているが、それは単に血の気が引いているだけ。やりたいこと、やるべきこと。やらねばならない事。それらすべてが無い。機械のほうがまだ上等な「生き方」をしている。精神の病を患えば、艤装の「セルフチェック」で受診票が出力され、その足でカウンセリングなり投薬なりを受けさせられる。 どうして、私が生きているのだ。そう、彼女、金剛は頭をかきむしりたくなるのをこらえた。その瞬間に、ノックの音がする。「ハーイ?」 なるべく、明るく答える。顔をこすり、血を顔に戻し、血色を装う。大丈夫、まだ大丈夫。そう思いながら、扉を開く。「大和ですが。就寝中だったでしょうか」「イエイエ、まだベッドにはインしてなかったデース」 嘘であることはまあわかっているだろう。シーツが寝乱れているのぐらい、見ればわかる。「人事上の内示が……いえ、内示ではありませんね、決定が出ましたので、その書類だけお渡しします。明日から新編された第三艦隊、臨時の任務部隊編成ですから、正式な部隊コードはありません。第三艦隊の本部班に来てください」 書類を手渡され、扉が閉じる。電気をつけ、書類をめくり、本部班の場所を確認して、そして、部隊編成に目を通す。部隊指揮官は大和で、その補佐を金剛、三隈が行うこととし、部隊の練成訓練担当として坂井曹長(戦時任官で准尉)があてがわれ、本部班会計班に駆逐艦「潮」がおり、軽巡洋艦「長良」と駆逐艦「吹雪」そして「響」がいる。 響、その名を見て、書類を放り捨て、今度こそ金剛は吐いた。目をえぐりとり、哄笑していた記憶が、胃を、心臓を刺した。第二話「リア王」「大丈夫ですか。お嬢さん」 そう言われた少女は振り返る。いやあ、こう道が悪いと3トン半だと腰が痛いでありますなあ。と伸びをしているその少女の顔は夏にもかかわらず白く、脂粉の香りを漂わせている。その白と同じ色の髪を持つ少女「響」は新しくなった青い目をすがめ、言う。「すぱしーば、あきつまる」「お、ロシア語でありますか。いやあ、昔勉強したものです」 いやあ、あの格変化の多さには参りましたな。と言うのを聞いて、響は小首をかしげた。「そうでもない」 その一言とともに、まわりを見て、言う。「……目印が何もない」「いやあ、本当に何もありませんな。あー、伍長! 私が帰るまでとりあえず車を止めておいていただきたい。書類を見せれば喫食申請はあげておりますので、昼は食べられるはずであります!」 運転台に向けて、あきつ丸はそう叫び、そして前を再び見て、言った。「司令部は本当にどこにあるのでしょうかな」「こうなる前はあそこにあった」 指を指した先にあったのは、がれきだけだった。あきらめて、人を探し始める。怒鳴り声が響き、少女が飛び出してきて、響にぶつかる。響が倒れ、呆然としながら見上げると、そこにはつい先ほどまでの怒りを消せていなかった少女がそこに立っている。「あ、えっと……ご、ごめんなさい」 紫に近い色の髪を横で結った少女は、響の手をとり、立ち上がらせる。確か、曙だったはずだ。と響は記憶の糸をたぐった。 時は、少々前にさかのぼる。曙は、目の前の少女をイライラとしながら見、そして、口を開く。「何」 そっけない響き。目の前の少女があわて、口を開こうとして下唇を噛み、うつむいてしまうのを見て、記憶の中のこの少女も「そう」していたことを認識する。記憶の中、そう、記憶の中だ。曙の記憶の中。本当かどうかわからない、記憶の中。「えっと、その……ご、ごめんなさい!」 ごめんなさい。頭を下げようとして、ふらつく。松葉づえなしにはこの少女は立てない。あわててそれを支えて、見えないように曙も上唇を噛んだ。本当に、この少女は、潮は「記憶の中の潮」そのままだ。彼女が『覚えている潮』そのままなのだ。だが、同時にその記憶が「本物」ではないことも理解している。ただ、この湧き上がってくる感情はなんだ、とも。その正体がわからない。その正体がわからないがゆえに、曙は衝動的に潮を突き飛ばし、わけのわからないことを叫びながら、走り出す。 私が悪いんじゃない。こんな想いを持つように私をクローンとして世界に送り出した連中が悪いんだ。そう思いながら走り、そして。 衝撃。だれかを跳ね飛ばした感覚。倒れ込みはしなかったが、それは彼女を我に返らせるには十分だった。「あ、えっと……ご、ごめんなさい」 大丈夫、と言ってその少女、響を立たせ、砂をはらう。何をやってるんだろう。と思いながら、もう一度謝ると、そこに陸軍の軍帽をかぶった女性がやってくる。後ろから、松葉づえの音もする。ばつの悪いことこの上ない。「やあ、これは都合がいい」「あ……」「曙さんでありましたな」 そういって、陸軍式の敬礼をあきつ丸がする。それに曙は答礼を返した。後ろで誰か、つまり潮ががちゃがちゃとやって、倒れたのを認識すると、もう、と言いながら立たせる。ごめん、と小さく呟いたのを聞いて、一瞬潮が泣きそうな顔になったのが見えてしまう。その様子を見て、響がおや、という目をして見せたのをあきつ丸が一瞬見て、ダメです、と目で制し、そして言う。「司令部に案内していただけませんかな。道がわからないのであります」「迷った」 響の声に、目を一瞬あきつ丸が宙に泳がせるのを、曙は見逃さなかった。「そうとも言いますな」 それ以外にどう言うのだろうか。と思うものの、案内をしないといけないのは確かだ。とばかりに、曙はついてきて、と言う。どうして陸軍の艦娘がここにいるのだろう。と思いながら。「いやあ、なかなかこぎれいなところでありますな。特にこの荷物かけとか」 響が退出し、陸軍からの引き渡し書類を含めた事務的な手続きを終えたあきつ丸は、軍帽の顎紐を片手でもてあそびながら、言う。そこには雑多な荷物がかかっていた。男、つまり提督は苦笑いをし、その隣に立っている加賀はぴくり、と片眉を動かした。「いや、どうも片付かなくてね。ようやく建物の手当てがついたんだ。電話線も電電公社の……今はNTTか、そのOBが避難民に居たから、引き回しの工事を手伝ってもらっているくらいだからな」「これは失礼。いやあ、どうも不調法なもので」 はは、と笑うあきつ丸に少し首を傾け、普段よりも心なしかきつい目をした加賀が声を向ける。「事前連絡は受けています」「いや、これはこれは。申し訳ありません。どうも前置きが長くなってしまいまして」手に持ったフォルダから書類を取り出し、それを提督に手渡す。それに目を通すと、広島の第五師団、善通寺の第十一師団連名での支援要請が記されている。香川県の塩鮑諸島攻略作戦に支援を要請する、との内容であった。当然と言えば当然で、この作戦そのものはどちらが言い出すか、というものだった。深海棲艦が戦艦クラスであれば艦娘を動員しての作戦のほうが陸上戦力を動員しての強行上陸を敢行するよりはまだマシな成果が見込める。「それで、どうして第五の君はともかく、第十一師団、善通寺はうちに話を持ってきたんだ。淡路島に居るだろう。横須賀の連中が」 提督は資料に目を通し、机の上に起き、そう言った。「裁量権の大きさでありますな。赤煉瓦との紐の太さであります」「統合作戦司令部はこれを知っているのか」「通知はしたそうですな」 そうあきつまるはとぼけきる。なるほど、つまり善通寺は『赤煉瓦の紐付き』と交渉したくない、あるいは交渉をしても決断が長引く恐れがある。という事だ。どうせ陸軍が居る。あるいは「陸軍の城下町に住んでいる人間など知った事か」と暗に言われることを恐れている。と言うところだろう。陸軍にとっては悪夢そのものに違いない。確かに「攻撃して勝てないことはないのだ。陸軍の観測によれば、現地に居るのは軽巡を中核とする駆逐艦隊が2個と、戦艦タ級を中核とした艦隊が1個。戦艦タ級のみは動きの様相が違うが、他は「差し出された餌」に反応するだけの従来通りの「深海棲艦」だ。輸送艦が通るなら目くらましの砲撃か、戦術核攻撃を行えばそれでよい。いわゆるEMP攻撃を敢行してくる姫君クラスや鬼クラスと呼称される、そう言った強力な深海棲艦はいないのだから、陸軍のみでも対応可能だと言われてしまえばその通りなのだ。 しかし、ここに陸軍の苦悩がある。先般の輸送艦の通行時に核を簡単にはなったようにも思えるが、国土を核に汚染する、という事の意味が彼らにわからないわけではない。その後の住民の復帰にも多大な時間がかかる。できる、という事とやりたい、という事は全く別の問題なのだ。加えて、塩鮑諸島からの避難民も居るのだ。彼らが我慢しているのは「駆逐されれば帰ることができる」という希望があるからだ。さらに言えば、落とされてしまった瀬戸大橋の修復も行いたいのだ。是が非でも塩飽諸島からの深海棲艦の駆逐を行わねばならない。そのためには海上交通の安全が必須である。「それに、善通寺の師団長はこう言っておりましたな」 あきつまるはにッと笑う。「貸しがあるだろう、と」 貸し。つまり、物資を安全に通させてやった。その借りを返せ、という事だろう。本作戦を孤立した司令部の裁量権の範疇と考えるべきか、提督は決断を迫られていた。「えーと、ここが第三艦隊の事務室……ってここでいいのかな」 そう言いながら、提督の執務室前で響や曙たちと合流した、というよりも道に迷っていたところを拾われた吹雪は扉を開く、そこには、准尉の階級章を付けた男性が、髪を後ろで結った女性とともに部屋の片づけをしていた。准尉。軍隊の酸いも甘いもかみ分けた、下士官の中で一番偉い人。そういう認識が、吹雪にもあった。「そろそろ休憩にしますか」 そう男性が言って、こちらを向き、おや、という顔を作る。名札には坂井と書かれている。准尉にしては若いなあ、と見上げているうちに、いけない、という顔を作って、吹雪は敬礼。それに坂井准尉は答礼し、後ろを見て、その髪を結った女性、つまり『大和』に向け、吹雪の方をもう一度見る。「入退室要領は教わらなかったかッ! やり直し!」 怒鳴り声。体育訓練担当の兵曹を思い出すその迫力に、目を白黒させながら、吹雪は反射的に答える。「は、はい!」 吹雪は退出し、そして、後ろにくっついていた響、潮、曙に対し、目を向けて、いう。「……ね、ねえ、知ってる? ここのやりかた」「私がやろう」 そういって、響が普段とは違う、腹から出る声で入ります、と声を出す。「ついてきて」「私は嫌よ」 そういって、曙はふい、と横を向く。それを少し見た後、吹雪と潮の方を見、うなずいた。 響の後ろに、吹雪と、松葉づえをついた潮が続き、横一列に並んで敬礼、と号令をかけ、響自身も敬礼をし、女性からの答礼が返ってきた時点で手を下げ、なおれ、と号令をかける。「響、以下、三名の者は、呉鎮守府第三艦隊司令部に用件があり、参りました!」「休め」 駆逐艦「響」以下三名が着任した、という旨のあいさつを行う。そして、大和は吹雪と響に目を向け、口を開いた。「それでは最初の命令を伝達いたします」「は」 響はどうもおかしいな、という顔を作る。面倒くさいことにならなければいいが、という様子だ。それを見て、吹雪は少しあわてたような表情を作る。「ジュースを買ってきてください。私はレモネードで」 坂井准尉に大和が目を向ける。何が良いですか、と穏やかに言う。「コーヒーで。ブラックなら何でも」 千円札が響に手渡される。好きなものを買ってきてもいい、といわれると、響と吹雪は退出し、潮だけが残る。事務官としての仕事があるから残ってもらいたい、と言われたためだ。 外に出ると、曙があつい、と呻きながら、手で顔をぱたぱたとあおいでいるのが目に入る。「どうだった? ……潮は?」「ジュースを買おう。潮のぶんも」 ごめん、意味が分からない。と曙は言う。吹雪も、よくわからなかった。こういう「説明をしない」性格なのだ、というところがよくわからず、掴むところが見当たらない。そういう印象が、吹雪の抱いた響の第一印象だった。