「……航空偵察の結果は?」 鳳翔の顔を見て、提督は言う。第一臨編任務艦隊司令「山城」第二臨編任務艦隊司令「鳳翔」に、首席作戦参謀「加賀」そして第三臨編任務艦隊司令「大和」が仮設ながらプロジェクタやPC等もある作戦会議室に集合している。鳳翔が前に立ち、端末を軽く操作して投影する内容を選ぶ。「香川県、塩飽諸島の航空偵察ですが、陸軍側からの情報を裏付ける結果となっております。塩飽諸島最大の島である広島近海に深海棲艦の遊弋は認められており、これについては戦艦を中核とする艦隊と判断して差し支えないでしょう。陸軍側が核攻撃を行った際に撃破することができなかった固体です」 上から見た写真では、赤黒い肌の戦艦タ級が形式名不明の重巡を引き連れているのが見て取れる。深海棲艦の残存艦隊の中では今のところもっとも火力の高い艦隊だろう。ほかの2個艦隊については、善通寺駐屯地から展開している砲兵を避けるかのように島嶼部の陰に隠れている。「現有戦力はおそらくこの程度でしょうが、広島の……北東部ですね、こちらをご覧ください」 拡大画像が現れ、黒い「染み」が広がっているのを視認する。つまり。「なるほど、根拠地化を狙っているということか。丸印がついている中央のそれは……?」「ああ、申し訳ありません。画像が二個表示できていませんでした」 マウスを操作するカチカチという音がしている。その間、大和は山城に誰がこの敵を殲滅する任務にアサインされるのだろうか、教官はご存知ですかと話しており、加賀はそれを聞いて、もう一度自分が作成した紙の資料をめくっている。加賀、山城は誰がやるのかを知っているし、大和もうすうす気づいている。山城は仮に岩国の米軍から一報があれば関門海峡側の阻止作戦に出なくてはならないし、航空優勢の確保のために、鳳翔は周防大島の陰で護衛艦隊とともに展開する必要がある。となれば、お鉢が回ってくるのは必然的に大和だ 咳払いの音。それを合図に、再びプロジェクタの投影画像に目を向ける。「……ああ、くそ」 提督は、思わず毒づく。そこには、白い肌の「何か」がこびりついていた。まだ、形をとっていない。まだ、何にもなっていない、すべらかな繭のような物体。鳳翔は、続ける。「ご覧のように、姫君、ないしは鬼と呼称すべき固体の子宮が出来ています。周防大島に比べれば、香川の広島の胎盤組織は小規模ですので、いわゆる基地として機能するタイプのものではない、とこれまでの類例から推察されます」「なるほど。ありがとう、鳳翔」「はい。それでは、これにて航空偵察の報告を終了いたします」 鳳翔が頭を下げる。ふわり、と髪がゆれ、肩にかかり、頭を上げると同時にそれを後ろに払う。それを見て、ふむ、とつぶやいた提督は、加賀のほうにちら、と目を向ける。こくり、とうなずいてみせた加賀は、立ち上がった。「それでは、これより塩飽諸島攻略作戦の説明に入らせていただきます」 状況そのものはさしたる変化はない。作戦発起までの期間が短くなるだけ。短くなるだけ、と言えば聞こえはいいが、新編された艦隊を、多少の訓練すら抜きで投入することになってしまう。連携訓練もなしに投入する、というのは危険度が高い。当然のことである。だが。現下は、連携についてそれなりの経験がある艦隊を引きはがせない。それを考えてしまえば、他に選択肢はない。淡路島に援護を要請するか、と考えたが、淡路島の動きは基本的に鈍い。それが故に戦力が心もとなくとも、呉鎮守府に第十一師団は支援要請をしたのだ。失敗しても、最悪の場合「政治的にまずいものたち」を処分できる。これはあくまで最悪の想定であり、本意ではないものの考えには入っている、程度のことだ。「まず、塩飽諸島から敵艦隊を「釣る」必要がある、と考えております」 そう、これは当然のことであり、なにしろ塩飽諸島は「敵にとって有利な地形である」ということだ。隠れられる島が多く、それを盾にされてしまえば、実に問題となってしまう。 しかし、釣るにしても、と考えながら、提督は配られた作戦案を眺める。三隈を旗艦とした、長良、響の「疑似餌」分艦隊を派出し、敵艦隊を釣り、引き出された敵艦隊を大和、金剛で撃破する。大和と金剛の護衛艦としては、吹雪が随伴する。潜水艦による攻撃の可能性があるためだ、と付記されている。呉港にいる鳳翔によるエアカバーが行われるため、航空攻撃が万一あったとしても対処が可能である、とされていた。その間の航空攻撃が呉にあった場合は、加賀が出撃する、となっている。「……初歩的な質問ですまないが、これで釣れるのか?」「はい。従来の戦術分析によれば問題はない、と認識しております」「そうか。例の『頭のいい』個体による攻撃は想定しているか? 露払いの艦隊がほぼいない状況下で、大和と金剛が攻撃を受ければ、その時は取り返しのつかない事態になるぞ。とくに、大和が、だ」 例の『頭のいい』個体。という言い回し。それを聞いたとき、加賀は一瞬言葉に詰まった。それはつまり、スカーフェイスのような「高い知能をもった深海棲艦の出現を警戒しているか、という問いであると同時に。「……大和は、戦艦タ級と『金剛』の攻撃を受けたとしても、撃破される恐れは低い、と認識しています。撃破し切れるかどうか、については砲火力の関係から不透明です。その際は支援を要請します」 その大和の言葉を聞いて、提督はため息をつく。そのために「装甲が分厚く、ちょっとやそっとでは撃破されえない」大和に任務を割り振ったのだ。自分の口から言わせたい、という卑劣さを自覚し、それが澱のように胃腑に滞留する。敬愛されて負ける指揮官よりも、蛇蝎のごとく嫌われて勝利する指揮官のほうがよい、とはいえ、露骨な敵意の視線を向けられて、内心平気でいられるほどには、提督には経験が足りない。「よろしい。陸軍第十一師団と作戦実施時期について改めて協議し、その後に作戦の決行日時を通知する。解散」 山城と鳳翔は退席し、大和は一瞬燃えるような敵意をにじませたものの、立ちあがって自分の艦隊の事務室に戻っていく。加賀は提督に歩み寄り、言う。「不安があるのはわかりますが、大和の視線で動じたような様子を見せるのはやめたほうがよろしいかと思います」「そうだな。その通りだ」 さて、これから第五師団と第十一師団と電話会議だ。忙しくなるぞ、と言い、提督は加賀に言う。やることは、まだ山ほどある。勝つために。「実戦ですか?」 冷房の音が、がたがたとする。時計の針は、2時を指していた。戸惑ったように、体育訓練計画を作成して持ってきた坂井准尉が言う。夏季であり、また児童が多いため湿球黒球温度が二十八度を超えていた場合訓練を中止する、などと様々付記されており、いざ何かあった時に訓練を中止する根拠作りを指摘しなくていいのは、さすがに年季が入っている、と、大先輩に失礼なことを、大和は考えていた。「はい。近日中にその予定があります。艤装の整備に時間を割きたい、と大和は考えています」「なるほど。まあ、状況が落ち着き始めたとはいえ、やむをえませんな」 そういって、バインダーにはさんだ書類を坂井准尉が受け取る。さほど強度の強い訓練ではなく、それを名目としたレクリエーションも兼ねていたためでもある。「……病院に行っている金剛が帰ってきませんね」「……三隈がついているはずですから……探してきますか」 それを聞いて、事務室の整理ついでに、ぎしぎし音のなる扉に機械油を吹き付けよう、とそれが置いてある戸棚から取り出そうとしていた響が振り向き、言う。「私が探して来よう」 それを聞いて、一瞬大和はぎょっとする。それはいかにも「まずい」のだ。響は知らないことではあるが。なぜか、など言うまでもない。自分の意志ではない状況で、目をえぐった相手と話す、などいい気分ではない。「戻りました」 そう三隈が言い、金剛を連れてくる。若干顔が青白いが、まだ大和が会った時よりは生気が顔に宿っていた。それに顔を向け、少し個人で用談がありますので、こっちに来てください。と金剛に向けていう。事務室の隣には通信機材が置いてある部屋があり、そこには通信員が本来詰めているのだが、今はいない。冷蔵庫がこっそり置かれていたりするため、半ばは休憩室である。 扉を閉め、皮張りのソファに腰掛けるように勧める。「……どうでしたか?」「投薬治療、だそうデス」「……響とは、やっていけそうですか」 それを聞いて、びくり、と金剛が震え、目が泳ぐ。唇が震え、開きかけ、それをかみしめた。まずい質問だ。「なん、とか」「そうですか。大和には、金剛さんに言っておきたいことがあります」 ぐ、と金剛の口元が動いた。「望んでやったことではないのでしょう」 沈黙、目を見開き、金剛はスカートを握りしめ、ふう、と息を強く吐く。「ちが、ちがいマス」 顔を上げ、泣き笑いに近い表情を作る。笑おうとして、無理をしている顔。「喜んで、喜んでやってマシた。楽しかったンデス」「深海棲艦が、です。金剛型一番艦金剛が、ではありません」「わた、ワタシ、ワタシは……!」「生きて帰ってきた。それで十分じゃないですか」 そういって、スカートを握りしめた手に、手を重ねる。ぼたぼたと、涙が零れ落ちてくる。声を押し殺し、しゃくりあげる彼女を見て、大和は罪悪感に駆られる。こんなにも泣いているこの少女の涙を、わにの涙だ、嘘だ、と疑わねばならないのが、彼女の立場なのだ。 長良は、十五時に集合すること、と五体無事な駆逐艦たちに言い、潮にスポーツドリンクを入れたウォータージャグを用意してもらう。長良がジャグを持っていき、ところどころ穴の開いた芝生の運動場で、体操着に着替えた吹雪と響を見て、言う。私物のジャージを着た彼女は、汗をだらだらと流しながら今にもうめき声を上げそうな響と、汗を流していない吹雪を見比べた。単に夏に弱いだけか、という感はある。「えー、今日の訓練は……LSDです。お薬じゃなくてゆっくり走る、ってほうですね」「はい、わかりました!」「はい……」 まあ、何ができるわけでもない。走るだけだ。作戦が近い、という話も伝達されているため、さほど長く訓練をやるつもりもない。本来一時間ほど流すのがLSDでは効果的なのだが、あまりに暑いため、三十分ほど軽く流して、それで終わりにする予定である。「時間は三十分。ついてきてね」 そういって、軽く体操をして、走り始める。本当は、こういうゆったりとした走りは、長良はあまり好きではない。ぐちゃぐちゃとしたことを考える余裕ができるからだ。普段は、死んだ仲間たちのことを。今は。そう、不可解な部隊の配置換え。そしてその面々を見るたび、どうにもある共通項がある。大和と吹雪を除いて、だが。記録上の戦死者。戦死していないことはわかっている。何しろ自分のことだからだ。記録が間違っているはずだ。そう、長良は思っていた。 大和。なぜ大和が「こんな貧相な艦隊に」いるのだろう。そう思わざるを得ない。つまるところ、それは。「な、長良さーん。早いですよぉ……」 ぜえぜえと息を切らしながら、吹雪が言う。時計を見てみると、16分経っている。外周が1kmの運動場を四周しているため、1km4分程度のペースで走っていた。響は、というと完全に顎が上がってしまっている。しまった、とうめいた。全力で走ればもっと早いのだが、ゆっくり、ではなくなってしまっている。余計なことを考えているうちに、ペースが上がってしまっていたのだろう。「ああ、ごめんごめん。休憩にしよっか。大丈夫?響ちゃん。喉乾いた?」 そういって、顔を見る。赤くはなっていない。しっかりと汗も出ている。熱中症ではないだろう。そう判断して、ジャグから水を出して、飲ませる。すぱしーば、と言いながら、受け取った途端一気に飲み干してしまっているため、ああ、これはいけない、と考えた。訓練時間を朝にしないと、響はだめだ、と。暑さに体がまだ慣れきっていないのだ。さらに、そこに長良がペースを上げすぎたためだろう。艤装を着用していれば、ある程度体のバランスをモニタできるのだが、着用していなければそうもいかない。 はあ、と木陰で息をつき、長良は座り込む。そして、吹雪が言う。「……でも、なんだか臨時編成って言っても、この部隊、変な編成ですよね」 それを聞いたとき、長良はぎくり、とする。「そうだね……うん……確かに変だよね」 あいまいに答える。だから、長良はゆっくり走るのは嫌いだった。「作戦案の了承がとれた。……核攻撃は極力避ける方針だそうだ」 電話の受話器を置くと、提督は加賀に顔を向ける。陸軍側と協議した結果、作戦は二日後の早朝0500を発起とする。ということになった。夜間に呉を出発し、艦隊を釣り出している間に「姫君」を殺すパワードスーツ部隊をCV-22オスプレイで輸送する、とのことだった。最悪の場合に備え、鳳翔によるエアカバーも行う。その点で、艦隊防空が弱まる、と異論は唱えたものの、第十一師団の要請そのものはもっともなものだったため、引き下がった。正式な書類が、広島ごしにネットワークで送達されてくる。「塩飽諸島攻略作戦か……」 周防大島ほど大規模な作戦ではないにしても、それでも、相当重要な作戦である。なぜか。 海上交通の要衝であり、さらには瀬戸大橋の基礎となっている島々である。それが重要でないはずはなかった。呉鎮守府は確かに一息つけただろう。だが、瀬戸内海の制海権を奪い返してはいない。そして、そうしなければ、彼らに明日はないのである。