夜。第三艦隊司令部、つまり事務室に集合がかけられた。大和が正面に立ち、あまり姿を見なかった金剛を含めた面々がすでに座っている。「二日後?!」 陽炎が立つほどだった昼と同じく、じめじめと肌に張り付く暑さの外とは打って変わり、冷房の音だけがからからと響く室内で、吹雪が大声を上げる。その声を聞いて、ええ、そうよ。と大和は答える。艦隊の部隊員全員をそろえ、作戦案の説明にかかる。上級司令部、つまり鎮守府司令部から渡されたおおよその作戦案を詰める作業にかかりきりだったことが、ラップのかけられたメスパンがそのまま置かれていることからもわかる。 二日後。海上での艦隊運動を連携する訓練等もほぼ行っていないため、一言で言ってしまえば無謀そのものである。なぜか、ということは言うまでもあるまい。特に、混成艦隊であり、同型艦ばかりではないこの艦隊においてはかなり危険である。かろうじて吹雪と響のみが特型駆逐艦ということで同型であるのだが。むろん、データリンクによって統制されることで「練度が多少低くても何とかなる」部分があるのは否定できない。だが。そう抗弁しようとしたところ、大和の目が吹雪を刺す。「これから理由を説明します」 そう、大和に言い切られてしまえば、吹雪はいったん口を閉ざすほかない。サイは投げられた。『俺たちがここにいるのは俺たちがここにいるからで』「作戦案、どう思いますか?」 次の日、艦娘用のドックで、そう三隈に問われて、長良は複雑な表情を作っているのが見える。吹雪は艤装の煙突に清掃用のロッドを突っ込み、付着した煤をはらう。「……んー、どうだろうね。難しいと思う、あ、いや、難しいと思います」「難しい、ですか?」 実際、吹雪もそう答えていたであろう回答を、長良がするのを聞いて、なお複雑な気分になる。敵戦力はさほどではない。位置がきわめて悪い事さえ除けば、けっして勝てないことはないのだ。吹雪は参戦していなかったが、周防大島沖海戦は物資がほぼ底をついた状態での戦闘を余儀なくされていたことを思えば、戦艦が二隻も参加できる現状は極めて有利な情勢だ。それに、仮に攻略作戦が失敗した場合は「撤退」という選択肢が取れることが大きな違いだろう。あのときは失敗すれば座して死を待つばかりだったのだ。 では、何が難しいのか。それは「囮」たる「疑似餌」分艦隊が機能するかどうか、ということもあるし、機能したとして、撃破されては意味がないのだ。どのタイミングで「誘導のために逃げるか」という問題もある。駆逐艦を主力とする艦隊の2個程度ならまだ釣り出して、よしんば戦うこともできるが、戦艦タ級を相手するとなると条件がかなり厳しくなってくる。夜間戦闘にもつれこんだとしても分が悪いだろう。魚雷が命中すれば、という部分はあるが、しかし。「……まあ、その……というか、なんで私に聞くんですか?」「自信を持ってもらわないと困ると思って」「自信?」「一度死んだんだから、二度目はないもの。そうでしょ?長良さん」 そう言う三隈の声を聞いて、長良はぎょっとした様子を見せた。吹雪はそれを聞いて、ああ、戦死扱いになっていたということか、と考えて、砲身に防錆油をぬり、模擬弾を装填して、揚弾機をテストし、排出。無事機能していることを確認すると、ふう、とため息をついた。艤装のコンピュータにコンソールケーブルをつないだ整備員がオーケーです。と答えて、システムを落とすのを確認すると、工具類を返納し、整備員が「じょ、冗談はやめてくださいよ……」 そんな風なやり取りをしているのを横目に見て、響の整備を手伝おうとすると、必要ないと返されてしまう。陸軍製艦娘用の固定用ベルトなどが、灰色の船体から浮き上がっているのを見ると、本来の部品とは違うのを接続しても機能はするのだなあ、となどと考える。やることがなくなってしまった、とばかりに左右を見てみると、金剛型と大和型の整備が行われている。人間が装着するにはあまりにも大きすぎ、私が身に着けたら後ろに倒れてしまうのだろうなあ、と吹雪はのんきなことを考えていた。整備員が数人がかかりで黄土色の伊勢型向けの砲を大和の艤装に接続し、大和が試験接続用ケーブルで、背負わないまま可動させるのを見て、金剛の方に目を向けた。大和と比べると小型だが、それでも大型のそれを見てしまうと、自分の艤装がちっぽけに見えてしまう。「フー」 だいたいの整備が終わったらしく、整備員に交じって、整備用のグレーの作業服を着た金剛が、こちらに気付く。豊かな栗色の髪をまとめ、シニョンを作っているため、大分印象が違うが、普段のやかましいほどの元気さ、というよりは、生来持っていたであろう品の良さがにじみ出ていた。「オウ。もう整備は大丈夫なんデスか?」 そういって、金剛は微笑む。微笑むといっていいのだろうか、これは、と吹雪はその表情を見て考えた。すこし、顔が引きつっている。「はい!」「……そういえばデスね、ブッキーはどうしてこっちに来たんデス?」「え、ブッキー?」 ブッキー。はて誰のことだろう。左を見て、右を見て、後ろを見る。「吹雪、だからブッキー」「あー」 ははあ、私のことか。ブッキー。わー、初めてあだ名で呼ばれた。などと吹雪は考えている。「イヤデスか?」 そう言う金剛の顔は、吹雪には捨てられた子犬を連想させる。こんなに弱弱しい人だったかなあ。とふと考えた。吹雪にとってはやかましすぎて、彼女が横須賀にいたころは食堂では離れて座っていたものだった。「ああ、いえ、初めてそんな風に呼ばれたもので」 そういえば。と考えて、吹雪は思わず言った。「初めてです。あだ名、つけてもらったの」「オウ、そうなのデスか」 あだ名。あだ名かあ。と金剛の顔を見てみて考えたが、思い浮かばない。なぜかというまでもなく、もともと呼びやすい名前だということもあるだろう。「……ああ、イエ、関係なかったデース。ええと、どうしてこちらに来たんデス?」「あ、いえ、えーと、本来は私が淡路島攻略作戦の伝達で、雪風の代わりにこっちに来る予定だったんですが、機関が壊れてしまって。交換部品が来るころには出発してしまった後でしたから……」「ああ、ナルホド」「なんていうか……昔からどんくさくって。私」 苦笑いを作る。入隊した直後の時代はよく腕立て伏せをさせられたなあ、ということを思い浮かべて、なおさら何とも言えない顔になる。今でこそいっぱしの駆逐艦になったと思っているが、機械がいざというときに故障したのはバツが悪かった。航海中でなくてよかったとは思っているが。「でも、運が良かったデス。戦わなくて済んだんデスから」 その一言に、妙な含みを感じ、吹雪は愛想笑いをする。妙なざわつきがあった。「戦わなくて済んだんデスから」 その一言が、自分の喉から出てくることが、金剛には信じられなかった。普段は戦うことを喜び、好戦的な笑みを浮かべることすらあった彼女からしてみれば、おかしなことではあった。 作業服を洗って、ボイラーから熱が送られてくる物干場に干し、手を油脂を落とす強力な洗剤で洗う。水が蛇口をひねれば出てくるのを考えて、私もよく破壊しなかったものだ、と皮相なことを考えた。おかげで「無事に」水が使える。 話し合ったことがあるわけではない。だから、よくわからないが、どうやら「ほかの艦娘は『帰って』きたとしても過去の深海棲艦 としての破壊活動を覚えているわけではないらしい。うらやましい、と思わず感じてしまう。 はっきりと覚えている。水の冷たさ。肺に入ってくる海水の圧迫感。息ができずにもがき、苦しむうちにそれが消え失せ、別の何かに変わっていく感覚。そして、燃えるような憎悪が、心に宿る。どうして私だけが、どうしてこんなに理不尽に、ただ一人、水の底でこんなにも深い場所で朽ちていかねばならないのか。周りを見てみれば、ひとりではなかった。誰のために死んだのか。いや、誰が私たちを『死地』に送り込み、殺したのか。そう考えてしまえば、あとは止まらなかった。 人を殺せることが、ひたすらにうれしかった。怒りを叩き付け、殺し、奪い、そして肉くれに変えて「仲間」にすることが、この上ない喜びだった。その感情を今でも覚えている。その感情が、彼女の、金剛の心の中からやってきたものであるということも、はっきりと覚えている。そう「思わされていた」と認識する自分もいるが、しかし。「……ヤメないと……」 そういって、顔をごしごしと洗い、再び鏡を見る。 金剛は、もう一度戦いのただなかで死ねば、私もああなれるのだろうか。すべてを忘れて、もう一度笑えるのだろうか。そう考えると、涙がほほをつたうのを感じ、そして目の前の少女が顔をぐしゃぐしゃにしているのを、視認した。 朝と呼ぶには、あまりに暗い。そんな時間に、ごそごそとほかの艦隊所属の艦娘を起こさないように身支度をし、艦隊司令部ではなく、鎮守府の司令部に集まっていく。 全員が門前に集まったのを大和が確認すると、ちらと時計を見る。集合時間よりも二十分ほど早い。あまり早く集合しても意味はないが、といって遅くても仕方がない。と考えていたが、顔を見せた加賀に呼ばれ、室内に移動した。そこには簡単な朝食が整えられており、任務中の携行食も用意されていた。移動時間が長いため、むろんレトルトパックなのだが。「食堂は開いていませんから、こちらで朝食をとってください」 そういった加賀は、表情を動かさない。食事の手配は上級司令部が行う、と文書に記載されていたのはこういうことか、と大和などは考えたようだが、少し恥ずかしい。本来なら、部隊側が申請を上げておかなければならなかった事項だ。坂井准尉はそれを知っていたから指摘しなかったのか、と思うと、何とも言えない顔になる。間抜けな新品だ、と「見透かされて」しまっただろう。 長机の上に白いリネンのテーブルクロスが敷かれ、握り飯と味噌汁が置かれているだけで、あとはカレーでもなんでも好きにとれ、と言わんばかりの様子である。おそらくは昨日の残りのカレーと、ほどよい焼き加減のチーズオムレツや、ゆでたあとにパリッと焼いたウインナー、みずみずしいサラダなどがアルミ製の什器の中に入れられ、温かいものは電熱器で温められ、冷たいものは氷で冷やされている。少し前からすると考えられない、などと言いながら、長良が幸せそうにオムレツをほおばっているのを見て、大和もごくり、と喉を鳴らした。あまり食べ過ぎてもいけないが、オムレツなど食べるのはいつぶりだろうか。 オムレツをトングで取り、ウインナーとサラダを同じ皿に乗せて、戻る。箸でケチャップをかけたオムレツの腹を裂くと、皿の上にとろり、と甘い芳香を放つチーズが流れだす。それを口に入れると、卵特有の甘みと、ケチャップの酸味、チーズのうまみが口の中で楽しめる。それでいて、こってりとしすぎないのが実によい味だ。炊烹員は何時から作戦前の準備をやってくれたのだろう。と考えると、もっと食べたほうがいいのかもしれない、と思ってしまうが、やめにした。すべてを胃におさめ、コーヒーをのみ、頭をしっかりと覚醒させると、加賀が再び現れ、そしてその後ろから提督が現れた。「そのままで良い」 そう提督が言うと、立ち上がって敬礼をしかけた吹雪ががたん、と音をたて、バツの悪そうな顔を作ったのが見えた。「……まあ、まじめなのはいいことだ」 そうまじめくさって提督が言うと、加賀は目を一瞬泳がせた。それに提督は気づくと、何か言いたげな目を向けて、第三艦隊、すなわち大和たちに向き直る。「本作戦の意義がわかるか。金剛」 大和は一瞬驚く。金剛も面食らったような表情を作るが、すぐに口を開いた。「呉、淡路島間の海上交通の要衝たる塩飽諸島を攻略し、もって瀬戸内海の制海権を確固たるものとすること、ならびに瀬戸大橋の修復を行う素地をつくること、デス」「よろしい。その通りである。まあ、もっと俗なことを言ってしまえば、今回の攻略作戦を成功させれば、今日の朝食と同じものが食堂で毎日食べられる、ということだ」 思わず、大和は吹き出しそうになる。だが。「だが、生きて帰らなければ意味がない。生き残れよ」 そういって、まじめくさった顔を作って、提督は答礼を待たずに敬礼をして、退出していく。作戦発起前の『式典』としては、じつに異例なことではあった。