「いよいよですね」 その大和の声を聞き、金剛は接続された艤装の火を入れる。コンソールを叩く整備員がOSが起動したことを伝えてくる。それが金剛にもわかった。提督と加賀が出陣の見送りに来ており、訓練担当の坂井准尉も顔を見せている。 闇はいまだに深い。朝の訪れはまだすこし先だろう。という感覚が、彼女たちにもある。「テストしマース。異常がないか確認を」 そういうと、チェックプログラムを金剛が走らせる。すべて問題なし。整備員も問題ない、と伝え、コンソールケーブルを引き抜き、コネクタを隠す。データリンカに規約を通し、量子リンカを接続。データをコンソールで追いかければ、計算機資源を駆逐艦が一時的に間借りしていることが読み取れる。セッションが途切れ、またつながる。そのネットワークに、現在この場にいない鳳翔が参加し、準備が完了したことを確認すると、大和が声を上げる。「作戦開始! 旗艦大和、出撃します!」「帽振れ!」 提督の声で、整備員たちが一斉に帽子を振る。大声を上げることもない。そして、それに大和は汽笛で答え、にっと不敵に笑って見せた。 全員が滑るように海面を蹴り、出航。対潜警戒に「疑似餌」分艦隊に吹雪を加えた艦隊が単横陣をとり、大和、金剛がそれに続く。灯火の類を消してはいるものの、白い航跡だけはありありと見える。音戸の瀬戸を通過し、一路塩飽諸島へ向かう。 鳳翔からデータが送信されてくる。塩飽諸島に動きはない。反対に、善通寺駐屯地からは多数の陸軍の車両が派出され、作戦開始を今か今かと待ち続けている。CV-22にパワードスーツが乗り込む有様さえ見えるほどだ。「動きが活発すぎる気がしますね」 そう、大和が我知らずつぶやいたであろう声を、金剛は無視した。どちらにしても、深海棲艦が陸軍の砲撃から隠れている以上、動きは観測機なしでは視認できない。視認したところで、陸上の敵に対する反応は基本的に鈍い。そのため、陸軍は大きな動きを平然と行えるのだ。なるほど、新品、という言葉がふさわしいな、と金剛は考え、前を向いた。そろそろ、日の出だ。「ああ……」 海から、太陽が顔を出す。穏やかな瀬戸内海をきらきらと赤い光が照らし、揺れ、宝石を多数産み、そして消える。その繰り返し。「漁船がいるんですね、危ないのに……」 大和が、漁船の姿を認めてそういうと、長良が答える。「現地の漁協に話は行っているはずなんですが……まあ、ここは交戦想定域の外側ですし……」「たくましいものだ」 響がそう応じる。道のりはまだ長い。だが、金剛にとってこの光景は、戦争をしているとはとても思えない。そんなものを感じさせた。「……さあ、ここから弓削島まで一気に抜けますよ。最近は目撃報告はありませんが、戦闘があるかもしれません。気を引き締めましょう!」 その声を聞き、金剛は了解、と返す。戦って死ねば、楽になれるかもしれない、という考えが、頭の奥底を責め、苛むのを何とかこらえながら。 黒い大地が、蠢き、鼓動する。塩飽諸島の北側の市街地を覆うそれを生きた人間が見れば、あまりにもおぞましいがゆえに嘔吐していたことだろう。そこに生きていた生き物たちを覆い、侵し、追い込まれた「何者か」が、およそこの世に存在するものの口から上がるとは思えない、悲鳴を上げ続けている。そのおぞましい光景を、彼女たちは喜悦の目で見、声を上げる。「アハハハハハァ!」 喜悦。のたうち、叫ぶ。その悲鳴のコーラスを聞けば聞くほど、彼女たちは憎悪のほむらを目に宿し、生きとし生けるものすべてへの呪いの賛歌を奏でるのだ。「ハ、ハぁ……」 沈黙が下りる。四隻の「敵」がやってきた。殺さないといけない。何のためにか。そのような理屈は、もはや通用すまい。 故などない。故に殺すのだ。それに。 敵は、海上だけとは限らない。「釣れましたわ!」 三隈は無線に深海棲艦の発する妨害電波特有の雑音が流れた瞬間、即座にデータリンクに『釣果は上々』と打電する。画像データを送付。駆逐イ級が六隻の駆逐艦隊を補足。塩飽諸島の西側、備後灘に、敵が出てきた。塩飽諸島の広島からは四十キロほど離れている。 そして、データリンクから応答が返ってくる。陸軍も駆逐イ級と交戦中である、という旨の回答だ。戦艦はいまだに補足できていない。位置ははっきりしているが、塩飽諸島の広島北部の市街地を守るように展開している。動かないのならこっちのものだ。とばかりに、三隈と長良は砲を発砲。十五キロ先を航行している敵からは応射はないが、自動的な回避行動は既にとっている。波は低い。身を隠すものがないということも意味しているが、しかし。「……もっと広島に接近します!」 三隈の声に、響と長良が了解、と声を張る。敵の砲撃が開始された。それに響が応射。敵に命中し、海を赤く染める。おぞましい悲鳴が三隈の耳に届くが、知ったことではない。せいぜい叫べ、そして敵を呼び寄せろ。そういう好戦的な心理があった。 動け、動け、動いてもらわないと困る。そう考えながらも、鳳翔からのデータリンクの映像には定期的に目を寄せている。動いた時には引かなければいけない。彼女たちでも戦艦と戦うことはできるが、勝てるとは限らない。 雷撃を加え、敵を殲滅した段階で、三隈は横目に敵影をとらえる。「……動いたッ!」 さあ、誘導しなくては。そう考えながら、敵に向かう。あくまで彼女たちは疑似餌だ。だから、食われる前に引き上げてもらわなくては困るのだ。「敵に動きあり! こちらに向かってきているようです!」 吹雪の声を聞き、大和は金剛に視線を向け、こくり、と首を動かした。「抜錨! これより疑似餌分艦隊を引き上げに向かいます!」「抜錨!」 その声に応じ、金剛と吹雪も動き始める。島の陰に隠れていた彼女たちは動き始める。仕留め時だ。そう考えながら。「え……?」 ソナーの音。吹雪は警報を聞き、大声を張る。「しまっ……! 潜水艦!」 爆雷を投下しようとした瞬間、吹雪は悲鳴を上げないために必死になる。爆炎。痛み。ざくざくと破片が刺さる感触。左腕の感覚が、ない。 悲鳴を上げようとする喉を、艤装側が強制制御。爆雷投下。ベルトキットから止血帯を取り出し、出血を艤装側が抑えているところに巻き付け、止血。「ブッキー!」 金剛の声を聞き、吹雪は理性を取り戻す。視線。どうしてそんなにも泣きそうな目でこっちを見る。まだ戦える。戦わなくては。歯を食いしばり、艤装側が痛覚を遮断して痛みが消える。そして、声の限りに叫ぶ。「さあ、私が相手よ! やっつけちゃうんだから!」 顔をだし、こちらを引きずり込まんとする潜水艦が顔をだし、いやらしく笑う。そして。「行って!」 行かないと。行ってもらわないと。さもないと、私が怖くて泣き出しちゃう。そう吹雪は考える。データリンク、カット。「ふう、ふうう……」 息を深く吐く。潜水艦を相手にするなら、もっと冷えた頭でないといけない。だから、あの金剛の顔はわきに追いやれ。戦わないといけないのだ。 爆発が、彼女の頭を冷やす。爆雷再装填。「行きましょう、金剛!」「……ハイ」 金剛は、自分の頭の冷え具合が信じられなかった。確かに動揺していた。だが。それと同時に、ああ、なんと吹雪がうらやましい事か。と考えてしまう。そんなわけはないのだ。そんなことはないはずなのだ。いや、そうあらねばならない。そう考える彼女のほかに、もう一人が言う。あの子がうらやましいんでしょう。死ねて、と。 艤装側がその心理徴候をつかみ、アドレナリンを強制的に分泌させる。ああ、その意思が塗り替えられていく感覚が、何ともいとわしい。あのときの感覚と同じだ。とはいえ、自殺願望が思考の隅に追いやられていくその感覚そのものは、悪くない。「……助けられます」 そう短く言う大和の声が、ノイズだらけの無線機から聞こえてくる。大物が近い。そうだ、彼女は、吹雪は私、金剛ではない。だから、同じ目に絶対にあわせてはいけない。だから、倒さないと。 唇を噛む。砲制御コンピュータが、鳳翔の航空機とリンク。戦艦タ級が1隻、雷巡チ級が4隻。射程内。殺せる。「テーッ!」 金剛の砲が、膨大な黒煙と炎、そして弾丸を吐き出す。波しぶきが立つ。遠い。敵が移動するのをつかむ。ぐるぐると円運動をしながら、敵艦隊に接近し続ける。近づけ、もっと近づけ。桜色の装甲が敵の砲弾に打ち据えられ、抜ける。不発。「合流しました!」「逃げて」いた三隈達が、するすると艦隊の後尾に合流する。単縦陣で砲撃し続ける。うちに、1隻、2隻と敵が脱落し、沈み、血だまりに変わっていく。海が赤く染まり、ウォークライが響く。「とった……!」 大和の声。戦艦タ級の装甲を打ち破り、砲弾がめりこみ、そして、耳をつんざく悲鳴が戦域中に響き渡る。沈んでいくそれを大和と金剛は無視し、広島北部に足を向ける。三隈には、吹雪を救援せよ、と命令を下達。「……これで良いわね?」「……ハイ」 大和の声を聞き、金剛はそう応ずる。生きているかはわからない。ただ、助かってほしい。そう金剛は考えた。「なんだい、ありゃあ……」 陸軍のパワードスーツ部隊は、塩飽諸島の広島に上陸し、少々の鉄板なら撃ち貫ける仕様の化学レーザー砲を兼ねるレーザーターゲッターと、GPSユニット、量子データリンカを背負った、海軍の砲撃要請用の支援用パワードスーツを護衛しながら進む。黒いしみのただなかに、白い「何者か」を認めたのだ。今回、例の規約ロード用MEMS弾を使わない理由は、純粋に「規約をロードしうる機関が発達しているかどうかわからない」からだ。「子宮だよ」 そう支援用パワードスーツの男は応じる。あくまで子宮だ胎盤だ、というのは比喩に過ぎないのだが、実態としては確かに類似している。栄養を与える黒いコールタールの「胎盤」と「姫君をはぐくむ子宮」という意味合いで言えば、だ。「それじゃああれかい、おれたちが今歩いてるここはメスの体内かい」 野卑な笑い声。それに対して、はは、と短い笑いで応じ、ぐっとグリップを握り、ターゲティングモードに切り替える。「それじゃあ、海の姫君たちにあのクソをファックしてもらわなきゃな!」 不可視のレーザーが発される。白い「子宮」にそれが到達すると、熱エネルギーに変わったそれが表面をあわだたせる。ぶすぶすと煙が上がるのすら、支援機の男には見える。「おいでなすったぞ!」 ぶつぶつとコールタールから、深海棲艦にすらなっていない「何か」が這い出す。まるで、女王アリを守る兵隊アリみてえだ、と思わず悪態をついた。「座標データ、来ました!」 そういうと、大和と金剛は砲制御コンピュータに緒元を入力。発砲。「……!」 金剛は、喉から悲鳴が出てくるのを意識した。足を、何かがつかんでいる。もがき、暴れ、引き倒される。海水を飲み、吐き出す。「あ……?!」 そこには、深海棲艦、青白い肌を持つはずの戦艦「タ」級がいた。赤黒い肉が異様な悪臭を放ち、吐息すらかからんばかり。ウォークライ。「や……!」 金剛は、足を振り回す。そして、喉に食いつこうとでもしたのか、一瞬戦艦タ級が離れたその時。海面から出てきた砲から発せられた弾丸が、その体を引きちぎった。「は……は……は……」「大丈夫ですか!」 そういいながら、大和が金剛を助け起こすと、金剛は一散に戦艦タ級の残骸に向かい、逃がすものか、とばかりに腕を突き入れ、そして。「え……?」 そこにいたのは、戦艦タ級ではなく。「あ……?」 鈴を鳴らすような声。ぬめる肉のただなかから、現れ、目を開けたのは。「榛名……?」 頭を打ち貫くあの感触。喉から、悲鳴が漏れ出ているのを聞く。自分の喉から出ている、とばかり、金剛は思っていた。だが。 榛名は、悲鳴を上げ、叫びちらし、そして。「嫌ぁ!」 そういって、金剛の手を払い、海に消えた。赤く染まった海だけが、そこに「何か」がいたことを語っている。「こん、ごう」 大和の声を聞き、茫然とした顔の金剛は首を向ける。「あの……」「聞いて、クダサイ」 一瞬の後。顔を崩し、大和に抱き着く。「うらやましいって、うらやましいって思っちゃったンデス!」 何がうらやましいのか。言うまでもない。榛名は「死ねた」のだ。彼女と違って。だから、大和は言わねばならないことがある。金剛のしゃくりあげる声が、少し小さくなると、大和は金剛を引きはがす。「エ……?」「帰りましょう。吹雪ちゃんにお礼をあなたは言わなきゃいけないんです」「どう、シテ」「どうしてって。さあ、行きましょう。呉鎮守府に早く帰らないと。吹雪ちゃんのバイタル、結構危ないんです。……ああ、陸軍から連絡がありました。今治に救急ヘリを回したそうですよ」 一瞬息を吐き、大和は続けた。「作戦完了。全員帰投。それでいいじゃないですか」 ごまかしに過ぎないことは、わかっている。だが。彼女は問題があるとは思わない。金剛はこれからも思い、悩むだろう。それもわかっている。 しかし、生きていかなくてはいけない。そう思いながら、大和は前に進む。金剛も、それに続いた。余計者艦隊 瀬戸内海追撃編 -了―