来た、見た、勝った。カエサルのように私は簡潔に物事を述べられればいいが、そうではない、と最初に述べた。そう、事実として物事はそれほど単純ではなかったのである。 呉鎮守府、並びに横須賀鎮守府は太平洋側、ならびに瀬戸内海の制海権を取り戻すことに成功した。しかし、皆が皆軍事的な成功を手にすることが出来るなら、苦労はない。百戦して百勝できるならばそれは神のごとき才を備えた軍事指導者と呼べるだろう。多くの人々が知るように、そうした人間の数は少ない。 心苦しいが、それは事実なのだ。 なぜ呉鎮守府が勝てたのか、という点においては、彼らは確かに「呉という要害」に閉じ込められていたともいえる。だが、その要害が敵戦力の投入を制限し、寡兵で多数を打ち取って見せさせたのである。瀬戸内海という入り組んだ地形は敵であると同時に、最大級の味方であったのだ。 先般、百戦して百勝できるならばそれは神のごとき才を備えた軍事指導者と呼べる、と述べた。だが、これから語る佐世保鎮守府においてはそのような人物は現れなかった。呉鎮守府に寡兵しか投入できない、とも述べた。ではその分の兵力はどこへ行ったのか。賢明なる諸氏であれば、たやすく理解できるであろう。 これから語るのは、佐世保鎮守府がいかにして負けたか。そして失陥したかである。負け戦そのものである。だが、これは必要なことだ。 いかにして来た、見た、勝った、と述べるか。カエサルならぬ私としては、前提を述べる必要があるのだ。