「姉さま」 大和と先任である坂井准尉、そして事務官をやっている潮の居ないプレハブの第二艦隊執務室で、金剛は、ひっ、と悲鳴を上げたいのをこらえながら、榛名に向き直った。殺した手ごたえも覚えている、己の妹が、呼吸をし、目を動かし、そしてためらいがちに口にした言葉に、おびえて見せるわけにはいかない、とばかりに、応じた。「オゥ、榛名じゃないデースか。元気にしてまシたか」 いつものように応じられたか。と考えて、吹雪と響の方を見る。響はわれ関さず、という様子で、資料のページをめくっており、榛名の方を見ようともしない。吹雪は、目をそらして上を見て、金剛の表情を見なかったことにして榛名の方に向き直り、言った。「ようこそ、呉鎮守府の第二艦隊へ。お話は伺っています」 ラフに敬礼。各所に「継いだ」痕が見え、その戦歴を物語るその腕を見て、榛名は少し息をのんだようだった。それを見て、金剛は困惑をする。こんなに、妹は率直な反応を見せただろうか、と。どちらかというと、護衛艦隊の艦娘たちには無関心だったように思うのだが。という感がある。「よろしくね、吹雪ちゃん」「はい、榛名さん」 にこにこと笑いながら、握手してほら、響ちゃんも、と言う吹雪を見、そして榛名を見る。不思議と、目を合わさない。 ぎこちなく響と握手する榛名を見て、ひょっとして、という思いとともに、吐き気がこみあげてくる。まさか。「榛名。ひょっとして」 一瞬、ごくり、と喉が動いたように見えた。「いや、しかしプレハブとはいえ冷房が効いてていいな、ここは」 そう言って、榛名の後ろから男が現れる。制帽をぱたぱたと団扇がわりにしている提督だ。「提督」 榛名は、目を泳がせながら逡巡ののちに一礼をする。無関心だった響も含め、全員が敬礼。答礼を素早く返し、そのままで構わん、と提督は口にした。「大和と先任、あとは……潮はどこだ?」「あー、っと、どうだったっけ、響ちゃん?」「物資に受領に行っている」「そうか」 短く提督は返す。プレハブの休憩室を指し、使っていいか、と聞く。「変なことじゃなければ」 そう、吹雪は言う。黒地に白い横線一本のソックスか、と彼女の足元を一瞥し、天井を見て、言う。「するように見えるのか?」「司令官の足元を見る視線が変でしたから」 まさか、この娘は「あれ」を知っているのか、と考えたが、やめた。陸軍の風習で、海軍で知っている者はあまりいない。ことに、中央ではそれが顕著だ。中央から来た吹雪が知っているはずはないだろう。そう考え、言葉を口にする。「いくらなんでも艦娘相手に勝てるわけがないだろう」 そう言って笑い、扉を開けて二人を手招きし、部屋に入った後にソファに座る様に促す。部屋の中には冷蔵庫があり、その裏から延びるテーブルタップからは携帯電話の充電器がたこ足のように連なっている。周防大島、および近海での深海棲艦による電波妨害下では意味が無かったために充電はされていなかったがゆえに、不思議と新鮮に見えた。書類や整備用の簡易工具やペンキの類が置かれていて、休憩室というよりは倉庫に近い、という印象を提督に与えた。「話と言っても金剛も榛名も察しているだろうが、これからするのはかなり不愉快な話だ」 そう前置きをしてから、提督は息を吸い、吐いた。「君達二人は元深海棲艦だ。少なくとも、状況証拠から言って確度は極めて高い。だが、大きな相違点がある。金剛は深海棲艦だったころの事を覚えているが、榛名は違う、と言っている。そこでもう一度確認するが、本当に覚えていないのだな?」「……はい、榛名は覚えていません。言葉だけでは信頼できないなら、脳スキャンを受けても構いません」 それを聞いて、金剛は物問いたげな表情を作る。どういう事だ、と。私の脳裏にこびりついて離れない「あの記憶」がそちらには無いのか、と。「脳スキャンね。あれも『本当にそう記憶している』のなら意味が無い。だからする必要はないぞ」 そう言っているが、脳スキャンなどをしていない、などはむろん嘘だ。榛名は収容時に艦娘の艤装とのダイレクトインタフェースごしにアクセスし、その間の記憶が無かったことを確認しているため、裏が取れている。これは、あくまで再確認に過ぎない。だから、本当に問題とするべきは「本当にそう記憶している」ことなのだ。脳という物は、事実を偽る器官であり、だからこそ証言という物が本質的に証拠としてあてにならないのである。「なぜそうなったのか、は興味がない。だが、これが表に出てしまえばきわめて政治的にマズいことになる。金剛にはすでに言っているが、榛名、君にも監視がついている。口を閉ざせ、背中に気を付けろ。撃たせるな」 それだけと言えばそれだけの話だが、と言い、提督は立ち上がり、部屋の外に出て行く。その背中に、榛名の言葉が刺さった。「優しいんですね」 振り向きそうになり、提督は自制し、その言葉を無視した。「作戦案がおおよそ固まりました」 中天に太陽ではなく、月が上ったころの提督の執務室に、その声が響いた。顔には疲労が出ていないものの、肩が下がり気味で少々疲れた様子の首席参謀たる加賀が、提督の執務室に現れる。その後ろから、第一艦隊旗艦を務める山城、第二艦隊の旗艦たる大和に、次席参謀の鳳翔が続く。作戦案をこちら側で揉み、帝国陸軍、アメリカ海兵隊の当局者と協議し、おおよその決着を見たのである。 照明の光度が落とされ、プロジェクタのファンの唸りと、空調の音だけが、執務室を支配する。スクリーンの前に立つ加賀と、端末を操作する鳳翔以外は身じろぎもしない。「まず、この写真をご覧ください」 スクリーンには、帝国陸軍、アメリカ海兵隊と共同で行った仮想演習の後に映し出された写真が、並べて貼られている。「いずれの航空写真を分析した結果でも、北部の比田勝港が最も敵の密度が高い、と推計されています。そこで、まず北部の上島にある比田勝港、御岳、南部の下島の浅芽山、厳原港を標的にB-70での核攻撃を行い、おそらくは降雨が予測できるため、それが収束してからしかる後に厳原港に強行上陸。可能な限り前進して情報収集と戦闘を行い、下島で前進困難となった場合は中対馬病院まで後退して回収、上島の場合は茂木海水浴場跡を予定しています」「一応聞いておきますが、現地住民が生きている可能性は……」 これは山城である。言わずがもなの事であるが、一応は聞いておく、という風であった。「避難そのものは旧韓国の鎮海からの侵攻の時点で終了しています。何より数か月にわたる深海棲艦の浸透を受けて人間で居られるものはいません。東南アジア戦域ですでに知られたことです」「B-70と言うことは……アメリカ空軍にやらせるのですか?」 つまり、われわれの手でやらないのか。そう大和は言いたげである。だが、本国での核攻撃のハードルは極めて高いことも、彼女は理解している。この世界における内戦時に、帝国陸海軍の手で投下された2発の核という特殊事情がある。そのために、広島の第五師団は必要ではあってもパワードスーツ用の核砲弾すら貯蔵していなかったのだ。 一応日本海側の美保空軍基地にB-1は居るものの、肝心の核は別に保管されている。核の即応力という点では全く問題外の措置であったが、政治的事情故である。「政治的な配慮です」 それで話は終わりだ、というように加賀は次のスライドを表示するよう、鳳翔に目配せをする。ため息が、漏れた。「核攻撃後、深海棲艦が山口県、九州沿岸に向かってくる可能性があります。我々海軍はこれを撃退、ないしは撤退に追い込む事が主任務となっています」 敵のおおよその数すら不明な状況で、核攻撃後の塵埃だらけの視程で戦うのか、と考えると、バカげた話ではある。ではあるが、最大規模の航空写真を見てしまえば、そうも言っていられないのである。この規模の集団が本格的に動けば、現在の戦略的な均衡は崩壊する。「第一艦隊は核攻撃前に壱岐島の陰に隠れ、九州方面の侵攻阻止を担います。対馬に近い唐津市には第五師団が展開しているため、仮に取り逃したとしても、できれば誘導してもらいたいとのことです」 配置図を見れば、唐津市と糸島市の湾を取り囲むような形で配置されており、砲兵による殺し間が構築されている。その殺し間の後方には、対馬へ投入されないパワードスーツ小隊が配置されており、砲撃で始末できなかった深海棲艦を掃討するべく控えているのだ。「誘導ね……」 津波を制御しろ、と言っているようなものだな、と言った様子で第一艦隊旗艦の山城はつぶやく。事実、その通りなのだ。とはいえ、それをやれ、と言われている以上はできる、と判断されている、ということだろう、という調子である。不幸だわ、とぼそり、とつぶやくあたりがらしいとはいえたが。「第二艦隊は小屋島に待機してもらい、本州側の防衛についてもらいます」「……申し訳ありませんが、あまりに防衛範囲が広すぎませんか?」 そう言って、大和は難色を示す。それに対し、加賀は頷きながら、続けた。「その懸念は尤もです。ですが、第一艦隊の速力では対応できない恐れがあります。大和さんはともかく、第二艦隊は高速戦艦が二隻、いえ、二人所属しています。これは純粋に速力の問題です」 加賀は息を吸い、続けた。「私と鳳翔きょ、……失礼、鳳翔さんがエアカバーを担います」 加賀は、鳳翔の視線を感じたのか、眼球を左右に動かし、一瞬下唇を噛んだ。大和はそれを無視して、再び眉間に皺を寄せて発言する。「いえ、それは……第一艦隊の方が手薄になるのではありませんか?」「海兵隊の飛行隊がその任を担います。その点に関しては信頼してもよいかと」「対馬からのEMPの可能性は……?」「それは否定できません。できませんが、その可能性を確かめるためにも今回の偵察が必要なのです」 懸念材料は多い。何しろ、周防大島攻略の際にはわかっていた情報がわからないために、実際にそこに攻撃を試みる、という話なのだ。だが、やらねばならない。佐世保との連絡が途絶し、おそらく組織的な抵抗が全く不可能になっていると考える以上は、是が非にでも対馬の圧迫は取り除かねばならないのだ。 損耗すなわち敵の戦力補充。そう考えれば、深海棲艦との生存闘争は、すでにして負けているようなものだ。そう、彼女は考えた。止血帯で引きちぎれてしまった腕を締め上げ、己の装束に含まれている白を赤に染めるそれを止める。あさ黒い肌に血がまとわりつき、ぬらぬらと光る。 まるでホースから出てくる水のようだ。鼓動に呼応してびゅうびゅうと吹き出すそれを見てしまえば、思わず笑ってしまう。血が足りない。敵の流す血も、自分の血も。「長門も……こうだったのか」 ふん、と鼻を鳴らす。長門、長門か。あの女も無責任な死に方をしたものだ。指揮官は最後まで生き残らなくてはならないのに、散って行ってしまったのだから。そして、私も、この武蔵も同じことをしている。無責任な話だ。そう考えながら、かすむ目で敵をとらえ、砲撃をするも命中せず。舵の制御が壊れている。ぐわん、ぐわん、と蛇行し、揺れ、そのたびに激痛と痛覚遮断特有の、痛いはずなのに衝撃だけが来る特有の感覚が走った。痛みだけが、彼女を現世につなぎとめている「くそ……」 うめきか、それとも悪罵か。己にすらわからない言葉が、口の端から漏れる。「……ああ、くそ」 ごん、と殴られるような衝撃が、あった。敵のウォークライが聞こえる。敵、敵とはなんだ。深海棲艦の事だ。だから、倒さないと。「……なんだ、そこに居たのか、長門」 じぶじぶと沈んでいく己の体。哄笑する敵の言葉が、わかる。戦艦タ級が長門、空母ヲ級が蒼龍と飛龍。そんな風に、見えた。みな、笑っている。何を笑っているのか。「……疲れたな」 武蔵は、目を閉じた。足を吹き飛ばされ、腕を失い、それでもなお戦い続ける意思を手放さなかった海の女王は沈んでいく。 次に目を開けた時、彼女は武蔵以外の何かになっているだろう。 武蔵を失い、多数の艦を失った。そう、疲れ切った表情の霧島から、その報告を受けた時に男は顔をこすりながら、天を仰いだ。「しばらく、一人にしてくれ。考えをまとめたい」 考えがまとまることはなかった。拳銃を口にくわえ、引き金を引く。悲しいかな、佐世保の提督と呼ばれていた男にはそれ以外に考えられなかったからだ。彼の拳銃は正常に機能し、脳漿と頭蓋とをじゅうたんにぶちまける。千々に乱れる思考の中、もったいないことをした、とらちもないことを考えた。そうして、思考がなくなる寸前に、霧島の声が聞こえた。 武蔵轟沈。それが、戦艦レ級が対馬に居る理由だった。当然、それを知る者は、未だ現世には居ない。