「提督、どちらに行かれていたのですか」 開口一番、加賀はそう言った。責める、といえばその通りの声音であり、加賀に何か言って出たか、と思えば、そういえば何も言っていなかった。そう、提督は思い起こした。「ン……まあ、見舞いだ」 そういって、右手の「お汁粉」の缶をひらひらとさせる。それを見て、加賀は顔をしかめた。「第五師団の師団長から連絡がありました。……提督が席を外されている間に、です」「馬糞か。しかしなんだな、電話回線は切れなかったのか」「……馬糞?」「気にするな」 手をひらひらとやり、プッシュ式の電話機の受話器を取り上げ、第五師団の電話番号を押す。外線であれば交換台を介してのやり取りになるが、これは軍内部の専用線だ。「はい、こちらは第五師団司令部、馬淵中佐です」「呉鎮守府司令部です。……おう、誰かと思えば馬糞か」「誰が馬糞だ、てめえ。……わりゃ、晴れて本当に女衒になったんじゃのぉ」 電話口の声を聞き、陸軍の「旧知」の人間がやはり本当に広島の第五師団の師団長に就任したのだ、と再確認する。彼は中佐だったが、しかし、相当な繰り上げだったのは間違いがない。「誰が女衒だ。……おう、馬糞、ワレから連絡があったって聞いたんじゃがのぉ」「おい、方言が出てるぞ。……ああ、それでな、共同作戦をするにあたって、秘匿通信装置の変換器な、あるだろう。サーバーラックにつける通信変換器」「ああ、データリンカのバッファね。それがどうした」 電話口の向こう側から、一瞬声が途絶えた。そして、少ししてから、続ける。「対向がお前ら海軍のデータリンカが先の沿岸砲撃で破損している」 データリンカとは、それぞれに異なる通信方式を使っている場合、その変換を行うもので、かつ海軍と陸軍の秘匿通信の規約を挿入し、相互に変換するものだ。それが壊れている、ということは、データ共有ができないということである。作戦上は大きな問題が生じる、ということだ。 これがどう問題なのか、というと、通信機程度の小型通信機器が深海棲艦相手ではものの役に立たない以上、大出力のデータリンクがその任をになっている。艦娘が艦砲射撃を行ったところに、第五師団の機甲兵力が居ました、ではお話にもならない。 それが、壊れた。ということは、相互にデータのやり取りができなくなる、ということだ。「……おいおい、つまり……貸せってことか」「そういうことだ。平電話でする話じゃないがね。秘匿電話がぶっ壊れてるんだ」「即答はできない。在庫として存在するかどうかもわからんぞ」「それでいい。あって欲しいがね」「こちらもそう考えている。在庫の確認が取れ次第、そちらに連絡する」「了解」 そういって、受話器を置いた。ここが途絶えると、どうなる。を考えた。岩国の米軍相手のデータリンカを今のところ呉鎮守府では保有しておらず、陸軍のリンカを経由してやりとりする予定だった。つまり、そこのラインが途絶えるのだ。米軍と陸軍は当初作戦に則って動けるが、海軍が全くそこの蚊帳の外になる。ここで注意が必要なのが、使っている暗号化規約そのものは陸海軍、ならびに米軍も同じものであるが、使っている通信プロトコルが別のものだ、ということだ。だからこそ、データリンカのバッファが必要なのだ。「在庫確認、できるか。加賀」「主計科の上げてきた物品リストを今確認していました。確かに、そうした物品はあります」 加賀が青いファイルのページを指す。手書きの乱雑な帳簿であるが、コンピュータシステムがダウンしてしまったため、紙ベースのファイルとなっている。 そこには、規約変換器「特113号様式規約変換器(陸軍向け)」と記されていた。規約の読み取り機もセットである、という旨も記されている。「よし、払い出しと貸し出しの手続きを取ろう」「よろしいのですか?」「何がだ」 加賀は、眉をひそめている。その質問の意図がわからず、提督は困惑した。「陸軍と協力することが、よ」 一瞬、加賀は子供に対して噛んで含めるような口調になった。おそらく、これが本来のしゃべり方なのだろう。「今この状況では必要な措置である、ということはわかっています。私もそうするべきだと考えていますし、賛成します。……けれど……」「……何だ」 言いたいことが、大体提督にも読めてきた。つまり、どうにかしてこの状況を切り抜けた後、陸軍に「規約器を貸与した」ことそれ自体が「政治的問題になるのではないか」と加賀は心配しているのだ。政治的問題。結構なことだ、と提督は口の形をゆがめた。「その心配も懸念も理解する。だが、それで作戦を失敗させては元も子もないな」「……私も、そう考えます。だけど、赤煉瓦はどう思うかしら」 つまるところ、陸軍と海軍、つまり赤煉瓦の政争の種にされるだろうから、ということだ。「存在してるかどうかわからない赤煉瓦のご機嫌をとる必要はない。加賀、士官の責務とは何か」「勝利することです」「よろしい。勝つためには陸軍第五師団に規約変換器を貸与することが必要であると私は考えている。そのように処置してくれ。加賀」「了解しました。処置します」 折った右手で、加賀は敬礼しようとして、顔をしかめたあと、左手で敬礼する。即座に主計科に電話をかけ、物品の確認と、払い出しと貸し出しの書類を整えにかかっていた。その姿を見て、電が言った一言が、無性に気にかかる。彼女が苦心して左手で文字を書くさまを「いい気味なのです」とあの娘は言ったのだ。つまりは、そこだった。 あの海で何があったのか。下関海峡沖海戦でいったい何があったのか。少し前に問うたところ、加賀は言った。「記憶が混濁していてわかりません。戦闘ログは提出しました」 これは事実だろう。と考えている。実際、下関海峡沖で、ある時を境に、加賀は戦闘行動をとれていない。艤装のテレメトリーは「心神喪失状態にある」と判定をしていた。怒りのあまりに必要のない攻撃を行い、深海棲艦の攻撃を招いた。ということである。 ただ、生き残ったのが加賀と電だけだった。ということは、電からしてみれば許せることでもないだろう。というのは、たとえ提督が鈍くても理解ができる。当然といえば当然のことだ。なにしろ、電は「クローン」ではなく、志願して艦娘となった「オリジナル」で、第六駆逐隊は彼女の肉親なのだ。参謀としての加賀は優秀そのものだ。実際、彼女無しにはこの鎮守府は立ち行かないだろう。それと実戦部隊の「電」が対立している、というのはあまり、というかうまくはない。使い物になってもらわないと、困るのだ。「……」 彼女と曙に規約の運搬を任せるか。そう考えた。ただ、深海棲艦がこの規約の運搬作業に目をつけるのはおそらく必然だろう。ならば、偽装作戦は必須である。主力艦隊を陽動に出す必要がある。主力艦隊。主力艦隊か、と再び考えを巡らせた。問題児たる山城、最上、摩耶、鳳翔の集まりが主力と思うと、なかなか身も蓋も無いものを覚える。柱島に集結させれば、その「意図」を察するだろうが、配送すべき対象である広島市に近すぎるのが難点だった。江田島のあたりに集結させたほうがいいか、とも考えるが、しかし。 そう考えた時点で、とん、とん、と肩を叩かれた。「提督?……書類ができました」 加賀の顔を見て、はっとなった。ここに参謀が居るのだから、無い頭を使って考えるよりはマシだろう。そう思えた。「もうめちゃくちゃよ!」 第六駆逐隊、旗艦である暁は泣き笑いをしながら、叫ぶ。それを右舷側についていた電は聞き、量子リンカの統制信号を受信し、射撃統制データリンクを作動させた。「……ヲ級が四? 駆逐艦のほうが足が速いはず……」 電は潰せた敵は雷巡が4であり、10隻の駆逐イ級を「つぶせなかった」ことを覚えていた。そんなこととは裏腹に、暁の統制で腕が勝手に動く。艤装側が肉体の制御をオーバーライド。駆逐艦が四隻で編成されているのは、旧帝国海軍の範に倣っていることもあるが、砲の統制制御の計算資源を共有しているためである。むろん、重巡や空母と協働している場合、その計算資源を借り受けることもある。実際、加賀から先ほど借り受けていた。「之字運動!」 ああ、もう、と雷が怒鳴っていた。そして、その瞬間が訪れた。「赤城さんっ!」 モノフィラメント機雷、と艤装側が網膜に表示する。赤城の艤装が桜色の装甲を展開するが、それを貫通し、そのエネルギーのままに全身をズタズタに引き裂いていくさまを、スローモーションのように、電は見ていた。桜色の装甲が失せ、赤い花が咲く。バラというにはあまりにも赤黒いそれが、ほほをぴっと打った。 加賀の回避運動が、止まる。速力も、同時に落ちた。虚脱状態であることを、艤装が伝えてくる。今の敵航空機は九時からやってきた。すなわち、赤城と加賀の左側からだ。そして、ぬらぬらと粘液で光る敵機が鋭く旋回し、再び高度を下げてくる。おおよそGを無視したそれを迎撃するために、電の体を暁が制御し、強引に発砲。ごっ、という発砲音と、猛烈な炎を銃口より吐き出し、その只中から艦娘が射撃したことによりWW2当時の10cm砲と同等の破壊力を持った弾丸が撃ちだされた。急激な運動のため、バランスを崩し、頭から海に突っ込む。顔を上げ、そして。自分で、射撃をしようとした。「えっ……?」 今、私は何をしようとしたのか。自分で射撃?つまり、それは。暁の帽子が波間に漂っている。雷のものだった足が、いまだに動いている主機にぐじゅり、ぐじゅりという水音とともに引き裂かれ、肉と血をぶちまけている。「あ……?」 加賀は、と目を向けてみれば、そのまま直進している。そして、その先には。青い目の悪鬼が駆逐「ロ」級10隻を引き連れて、微笑していた。「あ……!」 戦艦。海の女王。瞳の青い炎をゆらり、ゆらりと波打たせながら、笑っているのは、戦艦「タ」級である。今手に持っている砲などとは比べ物にならない大口径砲を四門背から生やしている、異形の女王。白い肌と、白い髪。セーラー服を着ているそれは、艦娘と見まがうばかりの姿である。だが、それは、その姿は紛れもない敵のものだった。海のごとき青い瞳の奥底には、底冷えのする怨念が、漂っている。 だが、その笑顔のまま、加賀とその『タ』級はすれ違っていく。交戦も、何も、しないまま。どういうことなのだろうか。麻痺した頭で、電は必死に考える。通り抜けることもできるのか。いったいどういう。 そう考えていると、量子リンカに新しい艦が追加された。一部の砲が使用不能である、というステータス情報と、装甲の損傷状況が小破と判定されている。名は、といえば、金剛型三番艦『榛名』である。 戦わないと。そう、気を持ち直して、砲を握ったその瞬間。 ぐらあ、と頭が揺れた。そして。タ級の砲で足を撃ち抜かれ、ロ級に装甲を侵食されながら、機関を必死に動かし、立ち上がろうともがいている榛名の頭蓋を、容赦なく吹き飛ばす光景が、見えた。 そして。 その隙に、敵のタ級に肉薄した銀色の陰が、発砲炎をとどろかせる。敵の青いうろこ状の「装甲」が展開される前に、その弾丸は貫通し、敵の顔に命中する。左ほほの皮膚を引き裂き、顎を打ち砕いたその弾丸は、タ級の後ろ側で水煙を上げ。 そして。 銀色の陰。つまり、妹分の響が。 微笑したタ級に目をえぐられ、悲鳴を上げながらもがき、そのさなかでも逃げろ、逃げろと叫んでいるのを、見た。「……!」 電は、ベッドから跳ね起きると私室として割り当てられた元重巡用の居室から飛び出し、トイレに駆け込む。「う……ぇぇ」 嘔吐。夜に食べた乾パンの色をした茶色の反吐が、便器の中に吐き出される。「あ……ああああ……」 夢に見たのは、何か。それは、姉妹が殺され、助けに来てくれた榛名が殺され。そして、彼女が『逃げた』その、瞬間だった。 睡眠薬を飲んで眠れば悪夢を見、向精神薬を飲めば頭がぼうっとし、砲を握れば震えあがり。それも、妹を見捨てて逃げた挙句、だ。 提督は、あの美人(スカーフェイスという個体識別名がついた)になったタ級は厄介だな、と戦闘ログを見てつぶやいていた。その時も、吐きそうになるのを必死にこらえていた。だが、夢の中では、もうこらえられなかった。余計者艦隊 第二話中編 -了ー